※1761年に来日
※翻訳の為、平易な表¥現にしてあります
1761年、江戸幕府の9代将軍徳川家重が没し、将軍の襲職を祝うために恒例の朝鮮通信使が招聘された。 この第11次の朝鮮通信使に、書記官として随行した金仁謙(김 인겸)は、その時の日本への長旅の記録を「日東壮遊歌」と題して書き残した。 そこに見られる日本の諸都市の描写には、日本の豊かさを目の当たりにした朝鮮の文人の感想が露に表¥現されている。その一部を抜粋して見てみよう。
●1764年1月22日 大阪
100万軒はあると思われる家の全ては「瓦の屋根」だ。
凄い。
大阪の富豪の家は「朝鮮の最大の豪邸」の10倍以上の広さで、銅の屋根で、黄金の内装である。
この贅沢さは異常だ。
都市の大きさは約40kmもあり、その全てが繁栄している。
信じられない。
中国の伝説に出てくる楽園とは、本当は大阪の事だった。
世界に、このように素晴らしい都市が他にあるとは思えない。
ソ¥ウルの繁華街の10000倍の発展だ。
北京を見た通訳が通信使にいるが、「北京の繁栄も大阪には負ける」と言っている。
穢れた愚かな血を持つ、獣のような人間が中国の周の時代に、この土地にやってきた。
そして2000年の間、平和に繁栄し、一つの姓(つまり天皇家)を存続させている。
嘆かわしく、恨めしい。
●1764年1月28日 京都
街の繁栄では大阪には及ばない。
しかし倭王(天皇)が住む都であり、とても贅沢な都市だ。
山の姿は勇壮、川は平野を巡って流れ、肥沃な農地が無限に広がっている。
この豊かな楽園を倭-人が所有しているのだ。
悔しい。
「帝」や「天皇」を自称し、子や孫にまで伝えられるのだ。
悔しい。
この犬のような倭-人を全て掃討したい。
この土地を朝鮮の領土にして、朝鮮王の徳で礼節の国にしたい。
●1764年2月3日 名古屋
街の繁栄、美しさは大阪と同じだ。
凄い。
自然の美しさ、人口の多さ、土地の豊かさ、家屋の贅沢さ…この旅で最高だ。
中原(中国の中心地)にも無い風景だ。
朝鮮の都も立派だが、名古屋と比べると、とても寂しい。
人々の美しさも最高だ。
特に女性が美しい。
美しすぎる。
あれが人間だろうか?
「楊貴妃が最高の美人だ」と言われているが、名古屋の女性と比べれば、美しさを失うだろう。
(帰路にて)
名古屋の美人が道を歩く我々を見ている。
我々の一員は、名古屋の美人を一人も見逃さないように、頭を左右に必死に動かしている。
●1764年2月16日 江戸(東京)
左側には家が連なり、右側には海が広がっている。
山は全く見えず、肥沃な土地が無限に広がっている。
楼閣や屋敷の贅沢さ、、人々の賑わい、男女の華やかさ、城壁の美しさ、橋や船…。
全てが大阪や京都より三倍は優っている。
この素晴らしさを文章で表¥現する事は、私の才能¥では不可能¥だ。
女性の美しさと華やかさは名古屋と同じだ。
●1764年7月8日、ソ¥ウル到着
「皆官服に身を整え、王の御前に参上する。(中略)宿所へと戻る。妹が喜んで迎えてくれ、その娘は嬉しさに泣き出した。一族親戚も慰労にやってくる。」
★江戸時代には江戸の人口は最盛期の1721年に130万人といわれ、 1800年頃のロンドン86万人、パリ54万人と推計される他の都市と比べても多くの人々が暮らしており、江戸は当時世界最大規模の都市。
http://www.tokyo-icc.jp/lespace/chikyu/cki_0407.html