ある視点から見ると「沖縄は日本ではない」とはどういうことか
「琉球の自然」の特異さと多様さ
別世界だけど、とても密接
沖縄県知事選の投票日がやってきました。タイミングを計ったように台風が近づいてきたので、少々心配ですが…。
この選挙は、「民意」と「国益」のせめぎあい、という見方が、一部にあるようです。
「国益」という視点からは、戦時中にはマリアナ諸島もパラオ諸島も、台湾も朝鮮半島も中国東北部も、日本人の誰もが「日本」であると信じて疑わなかったように、いま沖縄も紛うことなき「日本」の一部であることは、(沖縄にお住まいの方はともかくとして)おそらく大半の日本国民の共通認識だと思います。
しかし地史的、あるいは生物地理的(もちろん、人類も含む)視点に限れば、沖縄と日本は明確に異なります。そのような観点からいえば、かつてそうであったように、沖縄が日本と一線を画す「独立国」であっても不思議ではありません。そのうえで、互いに敬意を払いつつ「共栄」していけるなら、世界にも類を見ないモデルケースとなるはずです。
いまなお地球のあちこちでは、民族・人種紛争や領土紛争が勃発しています。一方で本来、そうした地域間以上に複雑な要素を含み持つ沖縄と日本が「同じ国家」であるという現在の状況は、実は稀有な例であろうと思われます。沖縄と日本は、世界の国家同士、民族同士の対立を調停するための範となる可能性を秘めているのです。
誤解を恐れず言うならば、沖縄は日本ではありません。と同時に、日本ときわめて深く、きわめて密接な関係を有した空間です。
本稿では、筆者がライフワークとして取り組んできた「生物地理学」の知識と経験を総動員して、「琉球弧(南西諸島)」について、九州から台湾の間に連なる島々をひとつひとつ見渡しながら、生物地理的な視点からのアプローチを行ないます。 そして、そのこと(「否定」と「肯定」が矛盾しないこと)を検証していきます。
安仁屋宗八も抱いたかもしれない「違和感」
外木場と北別府は南九州(鹿児島)の出身。鹿児島には三文字名字が多く、例えば二階堂進(「趣味は田中角栄」の自民党元副総裁)とか赤瀬川原平(「路上観察」でも知られる小説家)もルーツは鹿児島です。
一方、安仁屋は沖縄出身。沖縄にも三文字名字がけっこういます(ちなみに、その間の奄美は一文字名字が多い)。
終戦の前年に生まれた安仁屋は、1962年の夏、沖縄県から初の甲子園(全国高校野球大会)出場を果たしました。社会人野球を経て広島カープに入団、弱かった頃の広島カープを外木場と共に支え、後に阪神タイガースのリリーフエースとして活躍しました。
その後、再び広島に戻り、現在に至るまで「沖縄人」であるとともに「広島の白髭の好々爺」としてファンに愛されています。彼の話には、必ずと言って良いほど、「甲子園に出場した時は、パスポートが必要だった」という話題が出てきます。当時、沖縄はまだアメリカ領でしたから、安仁屋に限らず当時を回想する沖縄の人たちの話題には、よく「パスポート」の話が出てきます。
もう一つ注目したいのは、当時の沖縄の高校が甲子園出場をかけて勝ち抜いた地区予選は、「九州大会」だったということです。比較的最近まで、沖縄は実質上「九州の一部」と見做されていたわけです。
本土の市民からすれば、当たり前のことかもしれません。でも、沖縄に住む人々は、大きな違和感を覚えていたはずです。というより、違和感を持ちながらも半ば諦めていたかもしれません。
「沖縄は沖縄である」としか言いようがない
それは、日本やアジアの野生生物に興味を持つ筆者のような人間にとっては当然のことなのですが、一般的には、そうは考えない人のほうがずっと多い状況でした。
ところが近年、その状況が変わりつつあるように感じます。沖縄が、いろんな意味で日本本土とは異なる空間であることが、一般的にも次第に浸透してきているように感じるのです。
その最たる例が、天気予報。これまで「九州・沖縄 地方」とひと括りにされていたのが、「沖縄地方」と独立して表記されることが増えました。
また興味深いことに、沖縄だけでなく、奄美諸島も「奄美地方」として独自に表記されることが少なくありません。こうした捉え方は、沖縄を九州と同じ括りで捉えたり、あるいは奄美諸島を単純に「鹿児島県」として九州に一括してしまったりするよりも、遥かに適切だと思います。
ただ、それはそれで、筆者は一抹の違和感を覚えるのです。日本人は、権威がものごとの定義を変えると、何の疑いも持たず素直に従ってしまう傾向があるように思われます。その時々に少し視点を変え、改めて別の角度から見渡してみようとは、なかなか試みないーー。
日本本土(細かく言えば、屋久島などの大隅諸島以北)と、奄美大島との間には、生物地理学的な境界線として「渡瀬線」が提唱されています。大雑把に言えば屋久島と奄美大島の間、細かく言えば屋久島とトカラ列島の間です(さらに細かくトカラ列島悪石島と小宝島の間とする意見もあります)。
教科書的には、渡瀬線を挟んで屋久島以北が「旧北区」、奄美以南が「東洋熱帯区」とされるわけですが、実態は、非常に複雑でデリケートで多様極まるのです。
奄美・沖縄を、九州(あるいは屋久島)以北の日本本土と切り離す見方も悪くはないのですが、絶対的な処置とはいえない。もう少し、良い意味での曖昧さが欲しいように思います。琉球と九州はきわめて異質な空間ではあるものの、極めて密接な関係も有している。これらは決して矛盾しません。答え(事実)を一つに限定せず、多様な角度から照らし出すことーー。
掘り下げて考えるために、まず南西諸島(琉球弧)の北端の島の一つである、屋久島の話から始めましょう。
「3つの琉球」とは何か
沖縄の植物相の研究に、生涯にわたり取り組んだ初島住彦(1906-2008)は、南西諸島を3つの地域に分けています。「北琉球」「中琉球」「南琉球」です。
生物地理的に見た、厳密な意味での「琉球」は「中琉球」(先島地方と尖閣諸島、大東列島を除く沖縄県に鹿児島県の奄美諸島を加えた地域)のことです(「南琉球」=宮古や八重山などの「先島諸島」については別の機会に説明します)。「北琉球」は、屋久島と種子島とトカラ火山列島(三島列島+口永良部島+トカラ列島)で、通常「大隅諸島」と呼ばれています。
九州と台湾の間に連なる南西諸島(琉球弧)は、性格の全く異なる(しかし互いに影響を与え合う)3つの地域から成り立っているのです。
一般的にいわれる「琉球」は、「南琉球」などを含めた沖縄県全体(あるいは奄美諸島を加える)で、通常、屋久島や種子島を加えることはありません。
屋久島の自然の魅力は、野生のスギ(通称・屋久杉)の巨木が鬱蒼と生い繁る、中腹の原生林と捉えられています。でも、本当に注目されるべきは「亜熱帯から亜寒帯(正確には冷温帯)までの植生が混在する」多様性です。
植物学者の前川文夫(1908-1984)は、屋久島の魅力を、次のように語っています(要約)。
緯度的にちょうど温帯と亜熱帯の境に位置する九州の南方海上に突き出し、高い山を擁していることから、屋久島では「山塊効果」によって、温帯と亜熱帯の両方の要素がそれぞれ増幅されて現れる。そこに南から黒潮の流れがぶち当たり、多大な雨量によって豊かな森林が形成され、地球上に他に類を見ない、多様で豊富な生物相が出現するーー。
屋久島の南岸低地帯は、亜熱帯気候に属します。屋久島の気象は、北端部の一湊で観測したデータに基づいているため、積算温量(ある期間の気温で、基準となる温度を上回った分を積算した値。年間200以上が亜熱帯の目安とされる)は、190台の一湊と210台の南岸・尾之間で20以上の差があります。気温の面では、南岸は沖縄、中腹は東京、山上は北海道と例えてもよいかも知れません。島の上半部が旧北区に、下半部が東洋熱帯区に属すると考えることもできそうです。
気候条件的には、「渡瀬線」ではっきり断絶しているわけではないですし、南方から分布する、いわゆる熱帯性植物の種数が急に少なくなるわけではありません。九州本土の南端辺りまでは、気温も熱帯性植物の種数も、ごく緩やかな減少カーブを描いています(急激に変化するのは九州の内陸部に入ってからです)。ある意味、南西諸島全体が「緩やかな移行地帯」と言ってもよいでしょう。
でも、一般的には「確かにこの渡瀬線が区切りである」とされています。それは、気候の違いではなく、地史的な要因に基づく相違です。
独自の進化を遂げた沖縄の生物たち
現在に至るまでの悠久の時間の中で、それぞれの島は、異なる過程と時間単位に沿って成り立っています。中でも、より古い時代に陸塊が周囲の陸地と切り離されたと考えられる奄美・沖縄には、独自の進化を遂げた(というよりも進化に取り残された)顕著な固有種が存在します。それらの種の多くは、屋久島以北には分布していません。
渡瀬線の持つ本来の意味は、奄美・沖縄に固有の生物相と、屋久島以北の生物相を分ける境界線だということです。
ここで大事なのは、奄美・沖縄(先島諸島は除く)のみに特有な生物は、それ以南(すなわち南琉球=宮古・八重山などの先島諸島)にも分布しているわけではない、ということ。気候の部分でも述べたように、南方(熱帯アジア各地)に連なる種の多くは、どこか特定の地点で分布が途切れることはありません。途切れるのは、あくまで「奄美・沖縄」にのみ固有の生物なのです。
渡瀬線は、南と北の明確な境ではなく、奄美・沖縄の生物相と、それ以北の生物相との境界である。ということは、奄美・沖縄の南側にも境界線があるということになります。その「蜂須賀線」については、詳しくは次項「中琉球」「南琉球」の項で述べます。
世界遺産になる前に「奄美・沖縄」について日本人が知るべきこと
その自然の素晴らしさは、まさに異次元
今回の登録候補地域は、「奄美大島」「徳之島」「沖縄島北部」および「西表島」。この切り取り方と組み合わせ方は、筆者に言わせれば「これしかない」と言うべきベストな選択です。
読者の皆さんの中には、「単独では登録できないから、寄せ集めにしたのでは?」と穿った見方をする方もいらっしゃるかもしれませんが、そうではないでしょう。これらの地域は、それぞれ単独(細かく言えば「奄美大島+徳之島」「沖縄本島北部」「西表島」)でも、ひとつひとつが十分に、世界自然遺産に相応しい地です。
また、一見同じような自然環境に見えても、それぞれの自然の根本的な構成には大きな差異があります。細かく見れば異なる要素を持っている一連の地域が、一括して自然遺産に登録されれば、それは非常にポジティブかつ大きな意味を持ちます。
「南西諸島」全体を捉える場合、本来ならばもう一つの独自の自然環境を持つ地域、「屋久島」もこの中に加えたいところです。西表島と対になる意味合いを持つ地史的・生物地理的空間として、屋久島が重要になってくるからです(もちろん屋久島はすでに単独で自然遺産に登録されているので、除外されて当然なのですが)。
4つの島(屋久島を含めれば5つの島)に代表される、九州と台湾の間に連なる島々。それぞれが持っている自然の独自の魅力はもちろん、これらを異なる要素が集合した「列島」として捉えれば、さらに魅力が倍増します。本稿では、一般的な「南西諸島」「琉球弧」の捉え方とは異なる角度から、この世界に新たな光を当てて行くことを目指します。
前回の記事では、南西諸島北部(北琉球)に位置する屋久島の話題からスタートしました。九州に近い「北琉球」から、台湾の手前の「南琉球」まで、それぞれの島々の自然の特徴を順に紹介していく予定ですが、多くの読者は、まず「南西諸島」の位置関係などを正確に把握していないかもしれません。そこで、まずは南西諸島の中心をなす沖縄本島の自然から紹介し、その後に改めて北から南に進んでいくことにします。
沖縄が世界的にも稀な理由
前回の記事で、筆者は沖縄の特殊性について、その源泉は気候や環境ではなく、遥か過去に遡る地史的要因によるものである、と記しました。
その際、読者からいただいたコメントの多くは「そのような論法に基づけば、北海道をはじめ日本中(あるいは世界中)どこでも独立国だらけになってしまうではないか」というものでした。
ある意味ではその通りです。沖縄だけでなく、例えば北海道も小笠原も、対馬も屋久島も西表島も、本州と比べれば、みなそれぞれに独特です。もちろん本州各地にも個性があります。日本はきわめて南北に長い国ですから、場所に応じて気候も植生環境も変化し、その上に成り立つ文化も異なってくるのは当然です。
しかし沖縄、特に中琉球の特殊さは、日本の他の地域の生物相とは、特殊さの次元が異なります。中核にあるのは、進化(正確に言えば特殊化、日本におけるその極は小笠原の固有種)とは対極の、「進化に取り残された生物」たちの存在です。
たかだか数万年の人類の歴史と、数百万年から数千万年単位の地域の成立史、そこに育まれた固有生物の歴史は、全く位相が異なります。地域の固有生物の姉妹種(sister species)の多くが、世界のどこにも見当たらない……そのような場所は、日本はもちろん、世界中を見渡しても極めて稀有です。
その一方で筆者は、多くの研究者が信じているであろう「生物地理学的にみて、沖縄が地球上で他に類を見ない特殊な空間であるが、あえて関連する地域を示すとすれば、日本本土よりも台湾や中国大陸である」という「定説」にも反論を試みたいと考えています。「生物地理的に見ても、沖縄(中琉球)と最も関連が深いのは、実は日本本土なのである」という見方です。
島々の位置関係を押さえる
琉球トラフを挟んだ南北の端に位置する、長崎県の男女群島と沖縄県の尖閣諸島は、「中国大陸棚上にある日本の国土」ということになります(こう書くと「国益を損なうような情報を流すな」という批判も飛んできそうですが、自信をもって自国の領土を主張するためには、有利不利にかかわらず、まずはその位置関係を全国民がきちんと把握しておくべきだと筆者は思います)。
中琉球と南琉球の根本的差異
本部と国頭の両地域の中間には名護市があり、基地移転問題で注目を浴びている辺野古地域はそのすぐ南東方、大雑把に見れば、北部山地の付け根付近の東岸部に位置しています。
人口は中~南部に集中しています。一方、野生生物(在来種)が多く見られるのは、北東部の国頭地方の周辺です。国頭地方から石川岳付近にかけてまでが、島在来の野生生物の生育地であり、それ以南は平坦な人口密集地ということになります。
この沖縄本島北半部に加えて、奄美群島の徳之島と奄美大島を加えた「中琉球」と呼ばれる地域が、「世界のどこにも姉妹種が存在しない」沖縄固有の生物たちの棲みかです。
以前の記事でも述べたように、西表島など「南琉球」の固有生物たちは、「中琉球」の固有生物とは成立の次元が大きく異なります。南琉球の固有生物は、おおむね台湾や中国大陸や東南アジアの集団と種のレベルで共通しています。
むろん、西表島をはじめとした「南琉球」の野生生物の魅力や自然の素晴らしさは「中琉球」に負けていませんが、地史や生物地理からみた生物相の成立時間の単位は大きく異なります。筆者はこれら二つの地域を「沖縄」と一括りで扱うべきではないと考えているほどです(この筆者の見解は、いわゆる教科書的な定説とは大きく異なっていますが、その具体的な検証は「南琉球」の項で行う予定です)。
そのことがほとんどの日本国民に、もしかすると少なからぬ沖縄県民にも伝わっていない要因の一つに、日本の「地図」の急速な劣化を指摘できます。
北琉球弧、大隅半島九州文化圏、屋久島(鹿児島県)
オリジナル縄文(奄美・沖縄・アイヌ)
二重瞼頻度
言語
ある視点から見ると「沖縄は日本ではない」とはどういうことか
「琉球の自然」の特異さと多様さ
別世界だけど、とても密接
沖縄県知事選の投票日がやってきました。タイミングを計ったように台風が近づいてきたので、少々心配ですが…。
この選挙は、「民意」と「国益」のせめぎあい、という見方が、一部にあるようです。
「国益」という視点からは、戦時中にはマリアナ諸島もパラオ諸島も、台湾も朝鮮半島も中国東北部も、日本人の誰もが「日本」であると信じて疑わなかったように、いま沖縄も紛うことなき「日本」の一部であることは、(沖縄にお住まいの方はともかくとして)おそらく大半の日本国民の共通認識だと思います。
しかし地史的、あるいは生物地理的(もちろん、人類も含む)視点に限れば、沖縄と日本は明確に異なります。そのような観点からいえば、かつてそうであったように、沖縄が日本と一線を画す「独立国」であっても不思議ではありません。そのうえで、互いに敬意を払いつつ「共栄」していけるなら、世界にも類を見ないモデルケースとなるはずです。
いまなお地球のあちこちでは、民族・人種紛争や領土紛争が勃発しています。一方で本来、そうした地域間以上に複雑な要素を含み持つ沖縄と日本が「同じ国家」であるという現在の状況は、実は稀有な例であろうと思われます。沖縄と日本は、世界の国家同士、民族同士の対立を調停するための範となる可能性を秘めているのです。
誤解を恐れず言うならば、沖縄は日本ではありません。と同時に、日本ときわめて深く、きわめて密接な関係を有した空間です。
本稿では、筆者がライフワークとして取り組んできた「生物地理学」の知識と経験を総動員して、「琉球弧(南西諸島)」について、九州から台湾の間に連なる島々をひとつひとつ見渡しながら、生物地理的な視点からのアプローチを行ないます。 そして、そのこと(「否定」と「肯定」が矛盾しないこと)を検証していきます。
安仁屋宗八も抱いたかもしれない「違和感」
外木場と北別府は南九州(鹿児島)の出身。鹿児島には三文字名字が多く、例えば二階堂進(「趣味は田中角栄」の自民党元副総裁)とか赤瀬川原平(「路上観察」でも知られる小説家)もルーツは鹿児島です。
一方、安仁屋は沖縄出身。沖縄にも三文字名字がけっこういます(ちなみに、その間の奄美は一文字名字が多い)。
終戦の前年に生まれた安仁屋は、1962年の夏、沖縄県から初の甲子園(全国高校野球大会)出場を果たしました。社会人野球を経て広島カープに入団、弱かった頃の広島カープを外木場と共に支え、後に阪神タイガースのリリーフエースとして活躍しました。
その後、再び広島に戻り、現在に至るまで「沖縄人」であるとともに「広島の白髭の好々爺」としてファンに愛されています。彼の話には、必ずと言って良いほど、「甲子園に出場した時は、パスポートが必要だった」という話題が出てきます。当時、沖縄はまだアメリカ領でしたから、安仁屋に限らず当時を回想する沖縄の人たちの話題には、よく「パスポート」の話が出てきます。
もう一つ注目したいのは、当時の沖縄の高校が甲子園出場をかけて勝ち抜いた地区予選は、「九州大会」だったということです。比較的最近まで、沖縄は実質上「九州の一部」と見做されていたわけです。
本土の市民からすれば、当たり前のことかもしれません。でも、沖縄に住む人々は、大きな違和感を覚えていたはずです。というより、違和感を持ちながらも半ば諦めていたかもしれません。
「沖縄は沖縄である」としか言いようがない
それは、日本やアジアの野生生物に興味を持つ筆者のような人間にとっては当然のことなのですが、一般的には、そうは考えない人のほうがずっと多い状況でした。
ところが近年、その状況が変わりつつあるように感じます。沖縄が、いろんな意味で日本本土とは異なる空間であることが、一般的にも次第に浸透してきているように感じるのです。
その最たる例が、天気予報。これまで「九州・沖縄 地方」とひと括りにされていたのが、「沖縄地方」と独立して表記されることが増えました。
また興味深いことに、沖縄だけでなく、奄美諸島も「奄美地方」として独自に表記されることが少なくありません。こうした捉え方は、沖縄を九州と同じ括りで捉えたり、あるいは奄美諸島を単純に「鹿児島県」として九州に一括してしまったりするよりも、遥かに適切だと思います。
ただ、それはそれで、筆者は一抹の違和感を覚えるのです。日本人は、権威がものごとの定義を変えると、何の疑いも持たず素直に従ってしまう傾向があるように思われます。その時々に少し視点を変え、改めて別の角度から見渡してみようとは、なかなか試みないーー。
日本本土(細かく言えば、屋久島などの大隅諸島以北)と、奄美大島との間には、生物地理学的な境界線として「渡瀬線」が提唱されています。大雑把に言えば屋久島と奄美大島の間、細かく言えば屋久島とトカラ列島の間です(さらに細かくトカラ列島悪石島と小宝島の間とする意見もあります)。
教科書的には、渡瀬線を挟んで屋久島以北が「旧北区」、奄美以南が「東洋熱帯区」とされるわけですが、実態は、非常に複雑でデリケートで多様極まるのです。
奄美・沖縄を、九州(あるいは屋久島)以北の日本本土と切り離す見方も悪くはないのですが、絶対的な処置とはいえない。もう少し、良い意味での曖昧さが欲しいように思います。琉球と九州はきわめて異質な空間ではあるものの、極めて密接な関係も有している。これらは決して矛盾しません。答え(事実)を一つに限定せず、多様な角度から照らし出すことーー。
掘り下げて考えるために、まず南西諸島(琉球弧)の北端の島の一つである、屋久島の話から始めましょう。
「3つの琉球」とは何か
沖縄の植物相の研究に、生涯にわたり取り組んだ初島住彦(1906-2008)は、南西諸島を3つの地域に分けています。「北琉球」「中琉球」「南琉球」です。
生物地理的に見た、厳密な意味での「琉球」は「中琉球」(先島地方と尖閣諸島、大東列島を除く沖縄県に鹿児島県の奄美諸島を加えた地域)のことです(「南琉球」=宮古や八重山などの「先島諸島」については別の機会に説明します)。「北琉球」は、屋久島と種子島とトカラ火山列島(三島列島+口永良部島+トカラ列島)で、通常「大隅諸島」と呼ばれています。
九州と台湾の間に連なる南西諸島(琉球弧)は、性格の全く異なる(しかし互いに影響を与え合う)3つの地域から成り立っているのです。
一般的にいわれる「琉球」は、「南琉球」などを含めた沖縄県全体(あるいは奄美諸島を加える)で、通常、屋久島や種子島を加えることはありません。
屋久島の自然の魅力は、野生のスギ(通称・屋久杉)の巨木が鬱蒼と生い繁る、中腹の原生林と捉えられています。でも、本当に注目されるべきは「亜熱帯から亜寒帯(正確には冷温帯)までの植生が混在する」多様性です。
植物学者の前川文夫(1908-1984)は、屋久島の魅力を、次のように語っています(要約)。
緯度的にちょうど温帯と亜熱帯の境に位置する九州の南方海上に突き出し、高い山を擁していることから、屋久島では「山塊効果」によって、温帯と亜熱帯の両方の要素がそれぞれ増幅されて現れる。そこに南から黒潮の流れがぶち当たり、多大な雨量によって豊かな森林が形成され、地球上に他に類を見ない、多様で豊富な生物相が出現するーー。
屋久島の南岸低地帯は、亜熱帯気候に属します。屋久島の気象は、北端部の一湊で観測したデータに基づいているため、積算温量(ある期間の気温で、基準となる温度を上回った分を積算した値。年間200以上が亜熱帯の目安とされる)は、190台の一湊と210台の南岸・尾之間で20以上の差があります。気温の面では、南岸は沖縄、中腹は東京、山上は北海道と例えてもよいかも知れません。島の上半部が旧北区に、下半部が東洋熱帯区に属すると考えることもできそうです。
気候条件的には、「渡瀬線」ではっきり断絶しているわけではないですし、南方から分布する、いわゆる熱帯性植物の種数が急に少なくなるわけではありません。九州本土の南端辺りまでは、気温も熱帯性植物の種数も、ごく緩やかな減少カーブを描いています(急激に変化するのは九州の内陸部に入ってからです)。ある意味、南西諸島全体が「緩やかな移行地帯」と言ってもよいでしょう。
でも、一般的には「確かにこの渡瀬線が区切りである」とされています。それは、気候の違いではなく、地史的な要因に基づく相違です。
独自の進化を遂げた沖縄の生物たち
現在に至るまでの悠久の時間の中で、それぞれの島は、異なる過程と時間単位に沿って成り立っています。中でも、より古い時代に陸塊が周囲の陸地と切り離されたと考えられる奄美・沖縄には、独自の進化を遂げた(というよりも進化に取り残された)顕著な固有種が存在します。それらの種の多くは、屋久島以北には分布していません。
渡瀬線の持つ本来の意味は、奄美・沖縄に固有の生物相と、屋久島以北の生物相を分ける境界線だということです。
ここで大事なのは、奄美・沖縄(先島諸島は除く)のみに特有な生物は、それ以南(すなわち南琉球=宮古・八重山などの先島諸島)にも分布しているわけではない、ということ。気候の部分でも述べたように、南方(熱帯アジア各地)に連なる種の多くは、どこか特定の地点で分布が途切れることはありません。途切れるのは、あくまで「奄美・沖縄」にのみ固有の生物なのです。
渡瀬線は、南と北の明確な境ではなく、奄美・沖縄の生物相と、それ以北の生物相との境界である。ということは、奄美・沖縄の南側にも境界線があるということになります。その「蜂須賀線」については、詳しくは次項「中琉球」「南琉球」の項で述べます。
世界遺産になる前に「奄美・沖縄」について日本人が知るべきこと
その自然の素晴らしさは、まさに異次元
今回の登録候補地域は、「奄美大島」「徳之島」「沖縄島北部」および「西表島」。この切り取り方と組み合わせ方は、筆者に言わせれば「これしかない」と言うべきベストな選択です。
読者の皆さんの中には、「単独では登録できないから、寄せ集めにしたのでは?」と穿った見方をする方もいらっしゃるかもしれませんが、そうではないでしょう。これらの地域は、それぞれ単独(細かく言えば「奄美大島+徳之島」「沖縄本島北部」「西表島」)でも、ひとつひとつが十分に、世界自然遺産に相応しい地です。
また、一見同じような自然環境に見えても、それぞれの自然の根本的な構成には大きな差異があります。細かく見れば異なる要素を持っている一連の地域が、一括して自然遺産に登録されれば、それは非常にポジティブかつ大きな意味を持ちます。
「南西諸島」全体を捉える場合、本来ならばもう一つの独自の自然環境を持つ地域、「屋久島」もこの中に加えたいところです。西表島と対になる意味合いを持つ地史的・生物地理的空間として、屋久島が重要になってくるからです(もちろん屋久島はすでに単独で自然遺産に登録されているので、除外されて当然なのですが)。
4つの島(屋久島を含めれば5つの島)に代表される、九州と台湾の間に連なる島々。それぞれが持っている自然の独自の魅力はもちろん、これらを異なる要素が集合した「列島」として捉えれば、さらに魅力が倍増します。本稿では、一般的な「南西諸島」「琉球弧」の捉え方とは異なる角度から、この世界に新たな光を当てて行くことを目指します。
前回の記事では、南西諸島北部(北琉球)に位置する屋久島の話題からスタートしました。九州に近い「北琉球」から、台湾の手前の「南琉球」まで、それぞれの島々の自然の特徴を順に紹介していく予定ですが、多くの読者は、まず「南西諸島」の位置関係などを正確に把握していないかもしれません。そこで、まずは南西諸島の中心をなす沖縄本島の自然から紹介し、その後に改めて北から南に進んでいくことにします。
沖縄が世界的にも稀な理由
前回の記事で、筆者は沖縄の特殊性について、その源泉は気候や環境ではなく、遥か過去に遡る地史的要因によるものである、と記しました。
その際、読者からいただいたコメントの多くは「そのような論法に基づけば、北海道をはじめ日本中(あるいは世界中)どこでも独立国だらけになってしまうではないか」というものでした。
ある意味ではその通りです。沖縄だけでなく、例えば北海道も小笠原も、対馬も屋久島も西表島も、本州と比べれば、みなそれぞれに独特です。もちろん本州各地にも個性があります。日本はきわめて南北に長い国ですから、場所に応じて気候も植生環境も変化し、その上に成り立つ文化も異なってくるのは当然です。
しかし沖縄、特に中琉球の特殊さは、日本の他の地域の生物相とは、特殊さの次元が異なります。中核にあるのは、進化(正確に言えば特殊化、日本におけるその極は小笠原の固有種)とは対極の、「進化に取り残された生物」たちの存在です。
たかだか数万年の人類の歴史と、数百万年から数千万年単位の地域の成立史、そこに育まれた固有生物の歴史は、全く位相が異なります。地域の固有生物の姉妹種(sister species)の多くが、世界のどこにも見当たらない……そのような場所は、日本はもちろん、世界中を見渡しても極めて稀有です。
その一方で筆者は、多くの研究者が信じているであろう「生物地理学的にみて、沖縄が地球上で他に類を見ない特殊な空間であるが、あえて関連する地域を示すとすれば、日本本土よりも台湾や中国大陸である」という「定説」にも反論を試みたいと考えています。「生物地理的に見ても、沖縄(中琉球)と最も関連が深いのは、実は日本本土なのである」という見方です。
島々の位置関係を押さえる
琉球トラフを挟んだ南北の端に位置する、長崎県の男女群島と沖縄県の尖閣諸島は、「中国大陸棚上にある日本の国土」ということになります(こう書くと「国益を損なうような情報を流すな」という批判も飛んできそうですが、自信をもって自国の領土を主張するためには、有利不利にかかわらず、まずはその位置関係を全国民がきちんと把握しておくべきだと筆者は思います)。
中琉球と南琉球の根本的差異
本部と国頭の両地域の中間には名護市があり、基地移転問題で注目を浴びている辺野古地域はそのすぐ南東方、大雑把に見れば、北部山地の付け根付近の東岸部に位置しています。
人口は中~南部に集中しています。一方、野生生物(在来種)が多く見られるのは、北東部の国頭地方の周辺です。国頭地方から石川岳付近にかけてまでが、島在来の野生生物の生育地であり、それ以南は平坦な人口密集地ということになります。
この沖縄本島北半部に加えて、奄美群島の徳之島と奄美大島を加えた「中琉球」と呼ばれる地域が、「世界のどこにも姉妹種が存在しない」沖縄固有の生物たちの棲みかです。
以前の記事でも述べたように、西表島など「南琉球」の固有生物たちは、「中琉球」の固有生物とは成立の次元が大きく異なります。南琉球の固有生物は、おおむね台湾や中国大陸や東南アジアの集団と種のレベルで共通しています。
むろん、西表島をはじめとした「南琉球」の野生生物の魅力や自然の素晴らしさは「中琉球」に負けていませんが、地史や生物地理からみた生物相の成立時間の単位は大きく異なります。筆者はこれら二つの地域を「沖縄」と一括りで扱うべきではないと考えているほどです(この筆者の見解は、いわゆる教科書的な定説とは大きく異なっていますが、その具体的な検証は「南琉球」の項で行う予定です)。
そのことがほとんどの日本国民に、もしかすると少なからぬ沖縄県民にも伝わっていない要因の一つに、日本の「地図」の急速な劣化を指摘できます。
北琉球弧、大隅半島九州文化圏、屋久島(鹿児島県)
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オリジナル縄文(奄美・沖縄・アイヌ)
二重瞼頻度
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