時々、良心が法より優位である事に対して馬鹿な揶揄がされていた。
馬鹿曰く。
「自分の良心に反しなければ、法律も他人の迷惑も知ったこっちゃなし」
馬鹿と思う理由:他者にも同じ権利があることが判っていない。
個人の良心は他人には見えない。
馬鹿曰く。
15~18世紀の欧州で、異端審問官の正義と良心は、無理に改宗させられた上に常に監視されるユダヤ人の正義と良心に、どのように整合させることができるのだろうか?
馬鹿と思う理由:異端審問官の正義と良心が他者の規範に出来る時代と現代を混同している。
勝手に条件を変えて都合の良い結論に導く何処かの馬鹿Jと同じだ。
ある人の疑問:「悪法は守らないのならば、ソレをどうするのか」
「一方的に悪法と決め付けソレを守らないスタンスは敬遠すべきといっている。」
不思議な疑問だ。
社会の機能が停止する条件は何処にもない。
「今行われている仕組みで処理される」
「周囲が悪法と判断しなければ罰せられるだけだ。」
良心は個人のもので他者には見えない心であることを理解していないのか?
理解しようとしないのか?
個人の判断と社会の判断の区別が付かない団栗頭なのか?
たいへん不思議である。
私には他人の良心は見えないし、聞こえないし、感じられない。
他人の良心が見えますか?
가끔, 양심이 법보다 우위인 일에 대해서 바보같은 야유가 되고 있었다.
바보 가라사대.
「자신의 양심에 반하지 않으면, 법률도 타인의 폐도 안 없음」
바보라고 생각하는 이유:다른 사람에게도 같은 권리가 있는 것이 알지 않았다.
개인의 양심은 타인에게는 안보인다.
바보 가라사대.
15