전통문화

「農民論」私考





百姓という言葉が,「農民」のみを意味する言葉となったのが,いったいいつの頃であったのかは,はっきりしない。

本百姓や小百姓,或いは水呑百姓等々の言葉が物語るように,我々日本人自身も以前は,「百姓=農民」という図式に馴らされ,それが正しく訂正されないまま,近年に至っている。

しかし,20世紀後半頃より各地に遺されていた古文書の解析により,「百姓=農民」説に対して,大きな疑問符が浮かび上がってきた。

例えば網野善彦氏(1928年-2004年)が,数多くの古文書から調べ上げた中世職能民の生活の在り方には,従来の歴史学が見落としていた,「百姓」とは,本来さまざまな職能を有する平民を意味する語であったことを,鮮やかに浮かび上がらせたのである。網野氏の学問的業績に対しては,今日もなお多少の批判もあるが,それでも従来の歴史観を覆すのに充分な力業であったと云わざるを得ない。

今後はより学際的な-例えば民俗学的,言語学的,考古学的,地理学等々の-アプローチを包括した,複合的歴史学の展開が望まれるところである。

”1980年,「日本中世の民衆像」と題する小著を岩波新書として刊行したとき,私はその副題を「平民と職人」とし,「百姓」という語を用いなかった。それは,この書の中で(20頁),「近世以降「百姓」といえば「お百姓さん」という言葉からわかりますように,それ自体農民をさす語になっています」と述べたような認識を,当時,私自身がなおもっており,「中世社会に於ける百姓身分の実体の多様さが「百姓」という言葉を使うとかえって理解しがたくなってしまうのではないか」と考えたからにほかならない。

しかしそれからしばらくして,1984年から開始された神奈川大学日本常民文化研究所による奥能登と時国家の調査を通じて,私は近世においても「百姓」を農民に解するのは明白な誤りであることを知ることができた。

たしかに近世に入ると,「農夫」を「俗に百姓と云う」とするような状況が進行しているとはいえ,古代・中世・近世を通じて国制的な身分用語として用いられた「百姓」の語は,一貫してその本来の語義-さまざまな多くの姓をもつふつうの人という意味で使用されていたことは,間違いない事実である。”

                                     ( 網野善彦 著「日本中世の百姓と職能民」 平凡社 8頁~9頁 )


”さきに私は中世の「平民」の「自由人」としての特質を特に強調したが,それは彼等が公事負担の義務を負い,田地,畠地の耕作を請け負う限り年貢,地子を負担しなくてはならなかった点,また「家令型」にせよ,一種の主従関係の束縛をうけなくてはならなかったことに着目して,これを「隷属農民」と規定する見方と,必ずしも真っ向から矛盾するものではない。

またもとより「平民」の中に,大きくわけて,上層-平民名の名主,下層-小百姓・脇百姓,間人などの階層があり,それらの人々の間に,多少とも従属関係のあったことも事実である。とはいえ,こうした従属性,従属関係のみを強調することは,年貢・公事の負担が「平民」の「義務」であると同時にともに,「権利」でもありえた側面を無視し,結局は,私的隷属の強制に対する「平民」の根深く強靱な抵抗の源泉を見失わせる結果となるであろう。

そしてまた,前述したような「平民」の自由」を「保護」することによって,たえず「公」に吸収・組織しようとする支配権力の動向についても,この見方からだけでは,決して的確に把握することは出来ないし,さらに,こうした動きに抗して,「平民」自体の中に成長してくるであろう自覚的な自由・平等の思想についても,それを捉える道を失わせることになる,と私は考える。

日本の中世後期には,萌芽ではあれ,このような思想が生み出されつつあったのではないか,と思われるが,戦国期を経て,「平民」の「自由」を再び新たな「公」に吸収して確立した幕藩体制の支配下に置かれた百姓にしても,権力はその「自由」のすべてをわがものになしえなかったに相違ない。

その意味で,ふつう「農奴」と規定されている近世の百姓身分についても,この視覚からとらえ直して見る必要があり,さらにまた「農奴」そのものの規定についても,再検討し,さらに厳密にされなくてはならないと思う(後略)”

                                                                ( 同書 30頁~31頁 )

農民の年貢や公事が奴隷制の証拠足り得ないのは,それが農民の「義務」であると同時に,公に対し,農民の生命・農地・自由といった「権利」を担保する側面もあったとし,また百姓という階層には農民以外の商人や数多の職能民や遊芸の民など雑多な身分の人々が含まれていたとする,後に網野史観と呼ばれることとなった歴史観には,例えばマルクス主義歴史学の影響を強く受けた安良城盛昭などから激しい批判が寄せられたが,どちらの説がより実証的であったのか,今日でははっきりと正否が分かれているところである。




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