生活/文化



以下、「」内。私の前の投稿文より。。。



「東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地にある、我が家の近所の、私の実家は、元々、私の母方の祖父母の家で(ちなみに母は、一人っ子です)、現在は、両親が引き継いで暮らしています。既に、母方の祖父母共に、亡くなっています。

我が家の近所の私の実家の、私の父は、会社員で(父は、既に、半分定年退職状態になってから久しいですが)、私の母は、父と結婚してから、アルバイトを含めて、仕事を、一切した事がない専業主婦です。



私には、兄弟姉妹は、2歳年下の弟が一人います。私の弟は、外資系の会社員で、既に、結婚をし、(まだ、二人共、幼いですが)子供が2人いて(男の子(上)が1人と、女の子(下)が1人。女の子は、一昨年、生まれたばかり)、弟の家族(妻・子供)と共に、東京の西部郊外の、静かで落ち着いた住宅地に買った、一戸建て住宅に、暮らしています。

弟の、奥さん(妻)(ちなみに、弟の、奥さん(妻)は、弟よりもかなり年下です)は、結婚する前は、四年制の大学を卒業した後、服(ファッション)関係の、会社で、会社員として働いていましたが、結婚してからは、主婦となりました。




私は、会社員と比べて、相対的に、安定的ではなく、相対的に、ビジネスにおいて危険性が高いが、相対的に、自分で自分の時間を自由に管理する事が出来、又、自分の才能・仕事の能力・仕事の効率性・努力が、自分の収入に直結する(直接繋がる)、個人事業の道を選びました。

私は、普通の中流層・庶民層なのですが、私は、基本的には、自分が、与えられた環境の中で、自分の能力の範囲内で、出来得る限り生き(ここで言う、出来得る限り生きとは、自分の能力の限界を知り、自分の幸福の為に、自分の努力の落とし所を知ると言う意味も含まれます)、自分が稼いだお金で、出来得る限りの、幸せな生活をしている(幸せな人生を生きている)と言う、自信があります。」




以下、「」内。少し前の私の投稿の他の方のレスに対する私のレスから抜粋して来た物。


「人には、様々な、ストレス解消・気分転換の方法があります。私の、ストレス解消・気分転換の方法は、彼女と、遊びに出掛けたり、美味しい物を食べたり、エッチをしたり、友人(友人達)と飲んだり、kjで気の向くままに自分の生活文化や日本の文化を紹介したりする投稿を行う事等です。」




you tubeから借りて来た物。前に投稿で使用した動画の関係で、you tubeで、お勧めの動画として出て来た動画で、一昨日の夜、途中、歯を磨いたりしながら、ちょっと見てみた動画です。一昨日(12月28日に)、アップされた動画です。ちなみに、私は、DaiGo(メンタリスト)の話の動画は、この動画を含めて、ほぼ、今まで、kjにアップした事がある18個の動画しか見ていません。



以下、「」内。私の前の投稿文及びレスの中から、上の動画の話に、関連付けられるかなと思う話しです。



「私はリアルとkj使い分けるの面倒なので、一切、使い分けていないというw」



「私は、個人的に、仕事の業務時間以外にも、仕事仲間・仕事関係者とべったりと言うのはあまり好まないタイプで、それよりも、プライベートの友人関係や、家族がいるのならば、家族と過ごす時間を大切にするタイプです。」



「自分の両親、及び、兄弟姉妹、(子供がいる方の場合)自分の子供は、別として、世の中の全ての人々は、お互いに育った環境が異なる、多かれ少なかれ違いの差はあれども自分とは異なる価値観を持つ他人であり、自分の事を、世の中の全ての人々に理解して貰う事なんかは、最初から無理な事なのです。

ちなみに、私は、自分が絶対的に正しいとか自分は絶対的に善であると言った事は、信じていません。したがって、この人、性格嫌だなと(性格が嫌いと)思う人は、相手も、自分に対して、そう思っているのだろうなと言う可能性も考えており、どちらが正しいと言う訳ではなく、単なる、お互いの価値観の違いなんだろうなとも考えます。そこで、お互いに価値観が違うのならば、無理して、価値観をすり寄せようとするのは、人生における時間と労力の無駄使いであり、出来る事なら、出来るだけ、お互いに関わりを持たないようにしましょうと言うのが、私の、基本的なスタンス(姿勢)です。人間は仲良くしたい人達、相性が合う人達だけと仲良くすれば、それでいいのです。」



「私は、20代の初めまでは、実年齢よりも上に見られ、20代の後半頃からは、実年齢よりも下に見られるようになりました。」




以下、「」内は、以下の投稿から抜粋して来た物。

白洲次郎とプリンシプル→

/jp/board/exc_board_8/view/id/2641423/page/13?&sfl=membername&stx=jlemon


「以下、基本的には、前に行った、「私のプリンシプルについて」と言う投稿の中から、抜粋して来た物です。


私は普段、何とも思わずに、何気なく日々を過ごしている方ですが、それでも、白洲次郎の言うプリンシプルのような物は大事にしたいと思っています。


「プリンシプルとは何と訳したらよいか知らない。原則とでもいうのか。…西洋人とつき合うには、すべての言動にプリンシプルがはっきりしていることは絶対に必要である。日本も明治維新前までの武士階級等は、総ての言動は本能的にプリンシプルによらなければならないという教育を徹底的にたたき込まれたものらしい」(白洲次郎の発言。wikiより。。。)。

以下、参考に。。。
http://www.academyhills.com/note/opinion/09091602principle.html

以下、「」内、上の参考のサイトから引用させて貰った、プリンシプルに関する文です。

「白洲自身は“プリンシプル”を「筋」、または「武士の一分」と表現していますが、私は「生きる上での美学」だと思っています。これは、「自分はこういう生き方をしたい。そうすれば納得できる人生になる」ということを心の中に持つということです。」

「一人ひとりが“プリンシプル”を持った生き方をする。そういう人間が増えれば、社会全体も美学や品格が持てるはずであり、「政治家が悪い」「市町村が悪い」「先生が悪い」ではなく、「まず自分がしっかりする、これがスタートライン」だと気づいたのです。」

「“プリンシプル”と似た言葉に“ディシプリン”がありますが、これは規律という意味です。“プリンシプル”は誰かが決めたものではなく、一人ひとり違っていてもいいのです。それを持っている人間がいかに強いことか。国がひっくり返っても、自分自身にしっかりした美学があれば揺るがない、ぶれないのです。」

以下、私のプリンシプル(私自身のプリンシプル)について、少し書きます。

私は、何だかんだ言って、自分の事が好きであり、自分の人生(生き方)が、好きです。全ての原点(出発点)は、ここにあると思います。 

もちろん、私は、今、自分が、子供の頃・思春期・青年期に思い描いていたような自分には、全くなれていませんし、自分が、子供の頃・思春期・青年期に思い描いていたような人生(生活)を送っている訳でも全くありません。また、私自身も、私の生き方(人生)も、完璧とは、ほど遠く、むしろ欠陥だらけです(欠陥が、たくさんあります)。

それでも、私は、基本的には、自分が、与えられた環境の中で、自分の能力の範囲内で、出来得る限り生き(ここで言う、出来得る限り生きとは、自分の能力の限界を知り、自分の幸福の為に、自分の努力の落とし所を知ると言う意味も含まれます)、出来得る限りの、幸せな生活をしている(幸せな人生を生きている)と言う、自信があるからこそ、人との(他人との)、人間関係を、自分よりも、上か下かと言う上下関係で見る事はなく(ちなみに、人との(他人との)、人間関係を、自分が、好きか嫌いか(自分が、好きな性格か、嫌いな性格か)で見る事はあります)、他の人、及び、他の人の人生(生き方)を尊重する事が出来るのであり、又、どの様な人とも、対等な、同じ人間であると言う気持ちで付き合う事が出来るのであると思います。


以下、私のプリンシプルの一部です。私は、完璧ではありませんが、私の人生、及び、私の日々の生活において、以下の、私自身のプリンシプルを出来るだけ大切にしようと、心掛けています。

自分と言う物を持ち、自分と他人を比較しない。自分と他人との関係を、自分よりも上か下で判断しない(上か下かで見ない)。ただし、自分と他人との関係を、自分が好きか嫌いかで(自分が好きなタイプの性格か、自分が嫌いなタイプの性格か)で見る事はある。

上の、自分と他人との関係を、自分よりも上か下かで判断しないから繋がって来る事ですが、他人に接する態度を、可能な限り、自分よりも上か下かの判断基準で変えないようにする。ただし、他人に接する態度を、自分が好きか嫌いかの判断基準で変える事はある。

他人に対して、偉そうな態度をとったり、他人に対して、虚勢を張ったりしない。そもそも、私は他人に対して、偉い態度をとれる程の人間ではありませんが、私は、他人に対して、偉そうな態度をとったり、他人に対して、虚勢を張る男は、年齢関係なく、「器の小さな男」だと思ってしまうので、自分が、他人に対して、偉そうな態度をとったり、他人に対して、虚勢を張っても、そう思われるだけと考えたら、他人に対して、偉そうな態度をとったり、他人に対して、虚勢を張る意味が感じられないどころか、他人に対して、偉そうな態度をとったり、他人に対して、虚勢を張る事等、恥ずかしくて、とても出来ない。

人に対して、恩着せがましくしない。私は、ボランティアに積極的に参加するような性格ではありませんが、日常生活における人助けは好きですが、人間は、本来、人を助けたら気分が良くなる生き物で(私も、そうです)、私にとって、人を助ける事は、完全に自己満足です。したがって、もちろん、助けた人から、感謝の言葉を貰ったり、お礼をされれば、嬉しいですが、私の中では、人助けをした時点において完結しており、助けた人や、物を上げた人から、感謝の言葉やお礼がなくても、私の中で、不快になったり、腹を立てたりする理由は何もありません。

怒るべき所では怒るが、些細な事では、イライラしたり、怒ったりせず、他人との無駄な衝突や喧嘩は出来るだけ避けるようにする(その方が、無駄な時間も労力も使わず、結果として自分の得になる)。

飲食店やホテル等の、店員や従業員も、自分と同じ人間。金を払っているのだから、お客様は神様だと言った意識で、偉そうに接したり、傲慢に接したりはしない。飲食店やホテル等の、店員や従業員のミスに関しては寛大に対処し、意図的ではないミスに関しては怒らない。公衆の面前で、店員や従業員を怒鳴りつけたり威嚇するなんて言語道断。その様な行為は、例えば、飲食店で、女性と共に二人で食事をしていた場合、女性の面子を潰す事になるし、他の客の、楽しく快適な食事の時間を妨害する事となる。」





以下は、前に行った以下の投稿から抜粋して来た物です。

人生が分からない・何の為に生きて行くのか (私の過去の、他の方の、「悩みの相談」掲示板の投稿の、回答集の投稿)→

/jp/board/exc_board_8/view/id/2753119/page/4?&sfl=membername&stx=jlemon


以下、「」内。2018年5月27日の、韓国の若い男性の悩みの相談の投稿です。

「こんにちは.

20歳, 世の中をこれから経験している韓国の男性です.

私はいつも他人達と話し合う時歯をちょっと見えるように笑います.

事実は絶対笑わせないが.... 私はいつも笑います!(家族除外)

なぜ ? 自ら探求した結果

私はこの行動が相手に対する防御態勢という結論を導出しました.

自尊感が低い関係でいつも話し合う時笑うのです.

いつも笑う顔を作れば人々が私を甘く見る感じもあります.

馬鹿のように見えるという話も時たま聞きます.

そのまま無表情でいたいです.

相手が私の笑う顔に好感を表示してお互いに親しい関係で発展するケースも多いですが..

世の中にはもちろん良い人々も多いが.. 私を利用しようとする人々も多くの関係にこの関係を長続くことは嫌いです.

顔をいつも無表情であれば他の人々が私を否定的に評価することもできてそれが心理的な要因で作用するようです.

私は世の中をどんなに生きて行かなければなりませんか?」



以下、「」内。上の投稿に対する、私の回答です(これは、別にスレを立てて回答しました)。

「 2018-05-30 08:38:53

私はこの行動が相手に対する防御態勢という結論を導出しました.>

○○さんは、おそらく人に嫌われる事を恐れているのでしょう?

人に嫌われる事を恐れてはいけません。

自分の両親、及び、兄弟姉妹、(子供がいる方の場合)自分の子供は、別として、世の中の全ての人々は、お互いに育った環境が異なる、多かれ少なかれ違いの差はあれども自分とは異なる価値観を持つ他人であり、自分の事を、世の中の全ての人々に理解して貰う事なんかは、最初から無理な事なのです。

ちなみに、私は、自分が絶対的に正しいとか自分は絶対的に善であると言った事は、信じていません。したがって、この人、性格嫌だなと(性格が嫌いと)思う人は、相手も、自分に対して、そう思っているのだろうなと言う可能性も考えており、どちらが正しいと言う訳ではなく、単なる、お互いの価値観の違いなんだろうなとも考えます。そこで、お互いに価値観が違うのならば、無理して、価値観をすり寄せようとするのは、人生における時間と労力の無駄使いであり、出来る事なら、出来るだけ、お互いに関わりを持たないようにしましょうと言うのが、私の、基本的なスタンス(姿勢)です。

私は、この人、性格嫌だなと(性格が嫌いと)思う人は、仕事上においては、完全に無感情対応、プライベート(私生活)においては、関わらないようにしているので、プライベート(私生活)においては、結果として、私の周囲には、この人、性格嫌だなと(性格が嫌いと)思わない人だけが残るので、プライベート(私生活)においては、私の周囲において、性格が嫌だなと(性格が嫌いと)思う人の割合は0であるとも言えますw

友人を例にとれば、○○さんが相手に対する防御態勢を行わなくても、○○さんが、一緒にいて、心地が良いのが、本当の友人であり、(その人が、一般的に見て、良い人か立派な人かと言う事とは全く無関係に)○○さんにとって大切にしなければいけない人であると思います。私の場合、昔から(子供の頃から)、そうした友人達には恵まれて来ており、それが、自分は、別に全ての人々に理解して貰わなくても良いと言う自信にも繋がっているのだと思います。



○○さんが、人に嫌われる事を恐れると言う事は、○○さんは、○○さん自身の存在の価値の評価の基準を、○○さん自身ではなく他人に置いているからです。

自分自身の評価の基準を他人に置いてはいけません。

○○さんが、○○さん自身の存在の価値の評価の基準を他人に置くと言う事は、○○さんの心が他人に支配されてしまっている事を意味します。

まずは、○○さん自身の心を、一旦、他人からの支配から解放しましょう。

人間は、誰でも、5,000万から1億の競争をくぐり抜けて卵子に結びついて生まれて来たのですから、人間は、誰でも、生まれて来ただけで、特別な価値があります。

たとえ、○○さんが、どんな生き方をしたとしても、(○○さん自身にとっても、世界中の誰にとっても)○○さんの代わりになる人は、世界に一人もいないと言う事に関しては、世界的なスーパースターであっても、○○さんであっても、全くの平等であり、等しく、貴重な物なのです。


人生において、最も、重要な事は、自分が、与えられた環境の中で、自分の能力の範囲内で、出来得る限り幸せに生きる事だと思います。その際に、最も重要である事は、自分自身及び自分の大切な人達の価値の評価の基準を、それ以外の他者(他人)に置かない事と、自分自身の人生の幸せの評価の基準を他者(他人)との比較に置かない事であると思います。




世の中にはもちろん良い人々も多いが.. 私を利用しようとする人々も多くの関係にこの関係を長続くことは嫌いです.>

○○さんが、その様に感じている、又は、その様な、経験をしているのは、○○さんが、自分自身の価値の評価の基準を他人に置き、○○さんが、人に嫌われる事を恐れているから、○○さんは、○○さんが、性格嫌だなと思う人(性格が嫌いな人)にも、自分の人生の時間と言う財産を浪費(無駄遣い)しているからです。

人は誰でも人生の時間には限りがあります。お金だけでなく、時間と言うのも人にとって大事な財産なのです。自分のお金もそうですが、自分の時間も、自分が性格が嫌だなと思う人(性格が嫌いな人)に使うのではなく、自分自身や自分の大切な人達の幸福の為に使って下さい。

○○さんは、もしかしたら、全ての人から嫌われて、友達が、一人もいなくなったら、どうしようと不安に思うかもしれません。

それならば、それで良いではないですか。

前述した通り、自分の両親、及び、兄弟姉妹、(子供がいる方の場合)自分の子供は、別として、世の中の全ての人々は、お互いに育った環境が異なる、多かれ少なかれ違いの差はあれども自分とは異なる価値観を持つ他人であり、自分の事を、世の中の全ての人々に理解して貰う事なんかは、最初から無理な事なのです。


一人になったら、一人になったで、自分のお金も、自分の時間も、全て、○○さん自分自身の幸福の為だけに使えば良いではないですか。

安心して下さい。他人に流されないで、しっかりとした自分自身・自分自身の価値観を持ち、幸せな生活をし、心の底から、本当の笑顔でいる人の周りには、自然と、気が合う、心地良い人達が集まって来ます。


人は、全ての人達と仲良くする必要はないのです。自分の大切な人・自分の大切な人達・自分と気の合う人達と、心地良い時間を過ごすだけで、十分、幸せなのです。



以下、「」内、私の過去の投稿から持って来た、私の人生の生き方、一般に対する、ポリシー(方針)です。


「人に対して、恩着せがましくしない。私は、ボランティアに積極的に参加するような性格ではありませんが、日常生活における人助けは好きですが、人間は、本来、人を助けたら気分が良くなる生き物で(私も、そうです)、私にとって、人を助ける事は、完全に自己満足です。したがって、もちろん、助けた人から、感謝の言葉を貰ったり、お礼をされれば、嬉しいですが、私の中では、人助けをした時点において完結しており、助けた人や、物を上げた人から、感謝の言葉やお礼がなくても、私の中で、不快になったり、腹を立てたりする理由は何もありません。」


私は、聖人君子(完璧な人間)ではないので、以上の「」内の事が当てはまるのは、私の大切な人達、及び、助けが必要とされている人達だけです。私は、私の大切な人達、及び、助けが必要とされている人達を、助けたら気分が良く、私にとって、その様な人達を助ける事は、完全に自己満足です。したがって、もちろん、助けた人から、感謝の言葉を貰ったり、お礼をされれば、嬉しいですが、私の中では、人助けをした時点において完結しており、助けた人や、物を上げた人から、感謝の言葉やお礼がなくても、私の中で、不快になったり、腹を立てたりする理由は何もありません。

一方において、私は、この人、性格嫌だなと(性格が嫌いと)思う人、且つ、助けが必要とされていない人を助けても、気分は良くありませんし、その様な人々を助ける為に、自分の、お金も、自分の人生の時間と言う財産も、浪費(無駄遣い)するつもりは、一切ありません(全くありません)。

○○さん自身の判断で(○○さん自身の価値観で)、○○さん自身が、本当に助けたいと思う人達だけに・○○さんの助けが必要とされている人達だけに、○○さんの、自分の人生の時間と言う財産を消費しましょう。○○さん自身が、本当に助けたい人達だけを助けるだけで、○○さんは、自然と、幸せな気分となり、心の底から、自然な笑顔が出て来ると思います。そして、その様な、○○さんの周りには、自然と、心地良い人達が集まって来ると思います。



以下、以下の、前に、kjに行った、「幸福な王子」と言う投稿から、一部を、抜粋して来た物です。


私の父は、子供の教育に関しては面倒くさいので何も考えないと言った感じの、ある意味、子育てに関して自己中心的な面があった男性でしたが、父の、私と弟(私には、兄弟姉妹は、2歳年下の弟が一人います)が、幼い頃・子供の頃の、子供(私と弟)に関する教育方針の中で、個人的に、例外的に、評価出来ると思う事の一つにw、以下の事があります。

それは、私と私の2歳年下の弟が、幼い頃・子供の頃、父の主導により、私の両親は、子供に、多くの絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)を買い与えると共に、多くの絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)を読み聞かせる主義であった事です。

父は(又は父の主導により)、私が幼い頃、私は、父(又は両親)に、多くの絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)を買い与えられました。それ等の、絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)は、私に買い与えられた物ですが、父(又は両親)は、当然、それ等の、絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)が、私の、お古として、弟が、読み聞かせられる・読む事も想定していました。

少し、大袈裟に言えば、私が幼い頃の当時、日本国内外の、名作と呼ばれていた、絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)の、ほとんどは、家(実家)にあったと思います。また、アメリカ・ヨーロッパの(たぶん。。。具体的に、どの国の物であったのか、憶えていないと言うか、幼かったので意識していませんでした)、飛び出す絵本等も、家(実家)に、たくさんありました。

絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)を、私に読み聞かせていたのは、母、及び、父で、弟に読み聞かせていたのは、母、父、弟よりも先に絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)の字が読めるようになってからの子供の頃の私です。私は、子供の頃、弟の為に、自分の絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)等の読み聞かせの音をカセットテープに録音したりもしていました。


絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)とは別に、父は、私が幼い頃、私に、古本屋(古本店)で、古本の、世界の童話・民話、シリーズ・全集等の、子供向けの、世界の童話・民話等の、シリーズ・全集ものを、まとめ買いし、何セットか、買って来ました。それ等の、シリーズ・全集ものも、私に買い与えられた物ですが、父は、当然、それ等の、シリーズ・全集ものが、私の、お古として、弟が、読み聞かせられる・読む事も想定していました。

その様な、シリーズ・全集ものの、全ての、お話を、親が子供に読み聞かせるのは、時間的に無理であった事から、私は、自分で字が読めるようになってからは、その様な、シリーズ・全集ものは、自分で、読みました(まあ、ほとんどの話は、忘れてしまっているのですがw)。

その様な、幼い頃、親に読み聞かされていた、世界の童話・民話、シリーズ・全集等に収められていた、お話の中で、最も印象に残っている、お話の一つとして、「幸福な王子」があります。「幸福な王子」は、私が、そうした、世界の童話・民話、シリーズ・全集等の字を、弟よりも先に読めるようになってからは、私の2歳年下の弟に、何回も読み聞かせてもいました。


子供の頃、何回も読んだ、「幸福な王子」の、お話は、私と弟の人生の価値観に大きな影響を与えました(今でも、私と(おそらく)弟の人生の価値観に大きな影響を与え続けています)。




「幸福な王子」の、お話です。You tubeから借りて来た物。

以下、「幸福な王子」の、お話の内容です(以下、省略)。」















인간 관계의 정리에 대해



이하, 「」 안.나의 앞의 투고문보다...



「도쿄도심부의 서부의 조용하고 침착한 주택지에 있는, 우리 집의 부근의, 나의 친가는, 원래, 나의 외가의 조부모의 집에서(덧붙여서 어머니는, 독자입니다), 현재는, 부모님이 계승하며 살고 있습니다.이미, 외가의 조부모 모두, 죽습니다.

우리 집의 부근의 나의 친가의, 나의 아버지는, 회사원으로(아버지는, 이미, 반정년퇴직 상태가 되고 나서 오래 됩니다만), 나의 어머니는, 아버지와 결혼하고 나서, 아르바이트를 포함하고, 일을, 일절 한 일이 없는 전업 주부입니다.



나에게는, 형제 자매는, 2세 연하의 남동생이 한 명 있습니다.나의 남동생은, 외자계의 회사원으로, 이미, 결혼을 해, ( 아직, 두 명모두, 어립니다만) 아이가 2명 있어(사내 아이(위)가 1명으로 여자 아이(아래)가 1명.여자 아이는, 재작년, 태어났던 바로 직후), 남동생의 가족(아내·아이)과 함께, 도쿄의 서부 교외의, 조용하고 침착한 주택지에 산, 독립주택에, 살고 있습니다.

남동생의, 부인(아내)(덧붙여서, 남동생의, 부인(아내)은, 남동생보다 꽤 연하입니다)은, 결혼하기 전은, 4년제의 대학을 졸업한 후, 옷(파타 `b숀) 관계의, 회사에서, 회사원으로서 일하고 있었습니다만, 결혼하고 나서는, 주부가 되었습니다.




나는, 회사원과 비교해서, 상대적으로, 안정적이 아니고, 상대적으로, 비즈니스에 대해 위험성이 높지만, 상대적으로, 스스로 자신의 시간을 자유롭게 관리할 수가 있어 또, 자신의 재능·일의 능력·일의 효율성·노력이, 자신의 수입에 직결하는(직접 연결된다), 개인 사업의 길을 선택했습니다.

나는, 보통 중류층·서민층입니다만, 나는, 기본적으로는, 자신이, 주어진 환경속에서, 자신의 능력의 범위내에서, 할 수 있는 한 살아(여기서 말하는, 할 수 있는 한 살아와는, 자신의 능력의 한계를 알아, 자신의 행복을 위해, 자신의 노력의 떨어 뜨리는 곳을 안다고 하는 의미도 포함됩니다), 자신이 번 돈으로, 할 수 있는 한, 행복한 생활을 하고 있는(행복한 인생을 살아 있다)라고 말하는, 자신이 있어요.」




이하, 「」 안.조금 전의 나의 투고의 다른 분의 레스에 대한 나의 레스로부터 발췌해 온 것.


「사람에게는, 님 들인, 스트레스 해소·기분 전환의 방법이 있어요.나의, 스트레스 해소·기분 전환의 방법은, 그녀와 놀러 나와 건?`네야 A 맛있는 것을 먹거나 에이치를 하거나 친구(친구들)와 마시거나 kj로 기분이 향하는 대로 자신의 생활 문화나 일본의 문화를 소개하거나 하는 투고를 실시하는 일등입니다.」




<iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube-nocookie.com/embed/y5J_HXGTkOU" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe>

you tube로부터 빌려 온 것.전에 투고로 사용한 동영상의 관계로, youtube로, 추천의 동영상으로서 나온 동영상으로, 그저께의 밤, 도중 , 이빨을 닦거나 하면서, 조금 본 동영상입니다.그저께(12월 28일에), 업 된 동영상입니다.덧붙여서, 나는, DaiGo(멘타리스트)의 이야기의 동영상은, 이 동영상을 포함하고, 거의, 지금까지, kj에 올라간 일이 있다 18개의 동영상 밖에 보고 있지 않습니다.



이하, 「」 안.나의 앞의 투고문 및 레스중에서, 위의 동영상의 이야기에, 관련지을 수 있을까라고 생각하는 이야기입니다.



「 나는 리얼과 kj 구분하여 사용하는 것 귀찮아서, 모두, 구분하여 사용하지 않다고 하는 w」



「 나는, 개인적으로, 일의 업무 시간 이외에도, 일동료·일관계자와 찰싹 말하는 것은 별로 좋아하지 않는 타입으로, 그것보다, 프라이빗의 친구 관계나, 가족이 있다면, 가족과 보내는 시간을 소중히 하는 타입입니다.」



「자신의 부모님, 및, 형제 자매, (아이가 있는 분의 경우) 자신의 아이는, 예외지만, 세상의 모든 사람들은, 서로 자란 환경이 다르다, 많든 적든 차이의 차이는 저것들 자신과는 다른 가치관을 가지는 것 외 사람이며, 자신의 일을, 세상의 전?`트의 사람들에게 이해해 받는 일은, 최초부터 무리한 일입니다.

덧붙여서, 나는, 자신이 절대적으로 올바르다든가 자신은 절대적으로 선이다고 한 일은, 믿고 있지 않습니다.따라서, 이 사람, 성격 싫다라고(성격이 싫다고) 생각하는 사람은, 상대도, 자신에 대해서, 그렇게 생각하고 있을 것이라고 할 가능성도 생각하고 있어 어느 쪽이 올바르다고 하는 것이 아니고, 단순한, 서로의 가치관의 달라일까라고도 생각합니다.거기서, 서로 가치관이 다르다면, 무리하고, 가치관을 소매치기 대려고 하는 것은, 인생에 있어서의 시간과 노력의 낭비이며, 할 수 있는 일이라면, 가능한 한, 서로 관계를 가지지 않도록 합시다라고 말하는 것이, 나의, 기본적인 스탠스(자세)입니다.인간은 사이좋게 지내고 싶은 사람들, 궁합이 맞는 사람들만과 사이좋게 지내면, 그것으로 좋습니다.」



「 나는, 20대의 처음까지는, 실연령보다 위로 보여져 20대의 후반무렵부터는, 실연령보다 깔볼 수 있게 되었습니다.」




이하, 「」 안은, 이하의 투고로부터 발췌해 온 것.

시라스 지로와 원칙→

/jp/board/exc_board_8/view/id/2641423/page/13?&sfl=membername&stx=jlemon


「이하, 기본적으로는, 앞에 간, 「 나의 원칙에 대해」라고 하는 투고중에서, 발췌해 온 것입니다.


나는 평상시, 뭐라고 생각지도 않게, 아무렇지도 않게 날들을 보내고 있는 분입니다만, 그런데도, 시라스 지로가 말하는 원칙과 같은 물건은 소중히 하고 싶습니다.


「원칙이란 뭐라고 번역해야 좋은가 모른다.원칙이라고도 말하는 것인가.…서양인과 사귀려면 , 모든 언동에 원칙이 뚜렷한 것은 반드시 필요하다.일본도 메이지 유신전까지의 타케시 계급등은, 총이라고의 언동은 본능적으로 원칙에 의하지 않으면 안 된다고 하는 교육을 철저하게 주입해진 것 같다」(시라스 지로의 발언.wiki보다...).

이하, 참고에...
http://www.academyhills.com/note/opinion/09091602principle.html

이하, 「」 안, 위의 참고의 사이트로부터 인용시켜 받은, 원칙에 관한 문장입니다.

「백주자신은“원칙”을 「줄기」, 또는 「무사의 1분」이라고 표현하고 있습니다만, 나는 「사는데 있어서의 미학」이라고 생각합니다.이것은, 「자신은 이런 삶의 방법을 하고 싶다.그러면 납득할 수 있는 인생이 된다」라고 하는 것을 마음 속에 갖는다고 하는 것입니다.」

「한사람 한사람이“원칙”을 가진 삶의 방법을 한다.그러한 인간이 증가하면, 사회 전체도 미학이나 품격을 가질 수 있을 것이어, 「정치가가 나쁘다」 「시읍면이 나쁘다」 「선생님이 나쁘다」가 아니고, 「우선 자신이 확실히 하는, 이것이 스타트 라인」이라고 눈치챘습니다.」

「“원칙”과 닮은 말에“디시플린”이 있어요가, 이것은 규율이라고 하는 의미입니다.“원칙”은 누군가가 결정한 것이 아니고, 한사람 한사람 차이가 나도 괜찮습니다.그것을 가지고 있는 인간이 얼마나 강한 일인가.나라가 뒤집혀도, 자기 자신에게 견실한 미학이 있으면 흔들리지 않는, 흔들리지 않습니다.」

이하, 나의 원칙(나 자신의 원칙)에 대해서, 조금 씁니다.

나는, 무엇인가 응이다 말하고, 자신의 일하지만 좋아하고, 자신의 인생(삶의 방법)이, 좋아합니다.모든 원점(출발점)은, 여기에 있다고 생각합니다. 

물론, 나는, 지금, 자신이, 어릴 적·사춘기· 청년기에 마음에 그리고 있던 것 같은 자신에게는, 전혀 익숙해 져 있지 않고, 자신이, 어릴 적·사춘기· 청년기에 마음에 그리고 있던 것 같은 인생(생활)을 보내고 있는 것에서도 전혀 없습니다.또, 나 자신도, 나의 삶의 방법(인생)도, 완벽하다고는, 만큼 멀고, 오히려 결함 투성이입니다(결함이, 많이 있어요).

그런데도, 나는, 기본적으로는, 자신이, 주어진 환경속에서, 자신의 능력의 범위내에서, 할 수 있는 한 살아(여기서 말하는, 할 수 있는 한 살아와는, 자신의 능력의 한계를 알아, 자신의 행복을 위해, 자신의 노력의 떨어 뜨리는 곳을 안다고 하는 의미도 포함됩니다), 할 수 있는 한, 행복한 생활을 하고 있는(행복한 인생을 살아 있다)라고 말하는, 자신이 있다로부터야말로, 사람과의(타인과의), 인간 관계를, 자기보다도, 위나 아래일까하고 하는 상하 관계로 보는 일은 없고(덧붙여서, 사람과의(타인과의), 인간 관계를, 자신이, 좋아하는가 싫은가(자신이, 좋아하는 성격인가, 싫은 성격인가)로 보는 일은 있어요), 다른 사람, 및, 다른 사람의 인생(삶의 방법)을 존중하는 것이 성과 것여, 또, 어떤 사람과도, 대등한, 같은 인간이다고 하는 기분으로 교제할 수가 있는 것이다고 생각합니다.


이하, 나의 원칙의 일부입니다.나는, 완벽하지는 않습니다만, 나의 인생, 및, 나의 나날의 생활에 대하고, 이하의, 나 자신의 원칙을 가능한 한 소중히 하려고, 유의하고 있습니다.

자신이라고 하는 것을 가져, 자신과 타인을 비교하지 않는다.자신과 타인과의 관계를, 자기보다도 위나 아래에서 판단하지 않는다(위나 아래인가로 보지 않는다).다만, 자신과 타인과의 관계를, 자신을 좋아하는가 싫은가로(자신을 좋아하는 타입의 성격인가, 자신이 싫은 타입의 성격인가)로 보는 일은 있다.

위의, 자신과 타인과의 관계를, 자기보다도 위나 아래인가로 판단하지 않기 때문에 연결되어 오는 일입니다만, 타인에게 접하는 태도를, 가능한 한, 자기보다도 위나 아래인가의 판단 기준으로 바꾸지 않게 한다.다만, 타인에게 접하는 태도를, 자신을 좋아하는가 싫은가의 판단 기준으로 바꾸는 일은 있다.

타인에 대해서, 잘난듯 한 태도를 취하거나 타인에 대해서, 허세를 치거나 하지 않는다.원래, 나는 타인에 대해서, 훌륭한 태도를 취할 수 있을 정도의 인간이 아닙니다만, 나는, 타인에 대해서, 잘난듯 한 태도를 취하거나 타인에 대해서/`A허세를 치는 남자는, 연령 관계없이, 「그릇이 작은 남자」라고 생각해 버리므로, 자신이, 타인에 대해서, 잘난듯 한 태도를 취하거나 타인에 대해서, 허세를 쳐도, 그렇게 생각될 뿐(만큼)이라고 생각하면, 타인에 대해서, 잘난듯 한 태도를 취하거나 타인에 대해서, 허세를 치는 의미가 느껴지지 않기는 커녕, 타인에 대해서, 잘난듯 한 태도를 취하거나 타인에 대해서, 허세를 치는 일등 , 부끄러워서, 도저히 할 수 없다.

사람에 대해서, 생색내는 것같게 하지 않는다.나는, 자원봉사에게 적극적으로 참가하는 성격이 아닙니다만, 일상생활에 있어서의 사람 돕기는 좋아합니다만, 인간은, 본래, 사람을 도우면 기분이 좋아지는 생물로( 나도, 그렇습니다), 나에게 있어서, 사람을 돕는 일은, 완전하게 자기만족입니다.따라서, 물론, 도운 사람으로부터, 감사의 말을 받거나 답례를 하시면, 기쁩니다만, 나에게는, 사람 돕기를 한 시점에 두어 완결하고 있어, 도운 사람이나, 물건을 올린 사람으로부터, 감사의 말이나 답례가 없어도, 나중에서, 불쾌하게 되거나 화를 내거나 하는 이유는 아무것도 없습니다.

화내야 할 곳에서는 화내지만, 사소한 일에서는, 초조해하거나 화내거나 하지 않고, 타인과의 쓸데 없는 충돌이나 싸움은 가능한 한 피하도록(듯이)?`노 한다(그 쪽이, 쓸데 없는 시간도 노력도 사용하지 않고, 결과적으로 자신의 이득이 된다).

음식점이나 호텔등의, 점원이나 종업원도, 자신과 같은 인간.돈을 지불하고 있으니까, 고객은 신이라고 말한 의식으로, 잘난듯 하게 접하거나 오만하게 접하거나는 하지 않는다.음식점이나 호텔등의, 점원이나 종업원의 미스에 관해서는 관대에 대처해, 의도적이 아닌 미스에 관해서는 화내지 않는다.공중의 면전에서, 점원이나 종업원을 고함치거나 위협하다는 언어 도단.그 님행위는, 예를 들면, 음식점에서, 여성과 함께 둘이서 식사를 하고 있었을 경우, 여성의 딱지를 잡는 일이 되고, 다른 손님의, 즐겁게 쾌적한 식사의 시간을 방해하는 일이 된다.」





이하는, 앞에 간 이하의 투고로부터 발췌해 온 것입니다.

인생을 모르는·무슨때문에 살아서 가는 것인가 ( 나의 과거의, 다른 분의, 「고민의 상담」게시판의 투고의, 회답집의 투고)→

/jp/board/exc_board_8/view/id/2753119/page/4?&sfl=membername&stx=jlemon


이하, 「」 안.2018년 5월 27일의, 한국의 젊은 남성의 고민의 상담의 투고입니다.

「안녕하세요.

20세, 세상을 지금부터 경험하고 있는 한국의 남성입니다.

나는 언제나 타인들과 서로 이야기할 때 이빨을 조금 보이도록(듯이) 웃습니다.

사실은 절대 웃기지 않지만.... 나는 언제나 웃습니다!(가족 제외)

왜 ? 스스로 탐구한 결과

나는 이 행동이 상대에 대한 방어 태세라고 하는 결론을 도출했습니다.

자존감이 낮은 관계로 언제나 서로 이야기할 때 웃습니다.

언제나 웃는 얼굴을 만들면 사람들이 나를 얕잡아 보는 느낌도 있습니다.

바보와 같이 보인다고 하는 이야기도 가끔 (듣)묻습니다.

그대로 무표정하고 아픕니다.

상대가 나의 웃는 얼굴에 호감을 표시해 서로 친한 관계로 발전하는 케이스도 많습니다만..

세상에는 물론 좋은 사람들도 많지만.. 나를 이용하려고 하는 사람들도 많은 관계에 이 관계를 오래 계속구 (일)것은 싫습니다.

얼굴을 언제나 무표정하면 다른 사람들이 나를 부정적으로 평가할 수도 있어 그것이 심리적인 요인으로 작용하는 것 같습니다.

나는 세상을 아무리 살아서 가지 않으면 안됩니까?」



이하, 「」 안.위의 투고에 대한, 나의 회답입니다(이것은, 별로 스레를 세워 회답했습니다).

「 2018-05-30 08:38:53

나는 이 행동이 상대에 대한 방어 태세라고 하는 결론을 도출했습니다.>

00씨는, 아마 사람에게 미움받는 일을 무서워하고 있겠지요?

사람에게 미움받는 일을 무서워해서는 안됩니다.

자신의 부모님, 및, 형제 자매, (아이가 있는 분의 경우) 자신의 아이는, 예외지만, 세상의 모든 사람들은, 서로 자란 환경이 다르다, 많든 적든 차이의 차이는 저것들 자신과는 다른 가치관을 가지는 것 외 사람이며, 자신의 일을, 세상의 모든 사람들에게 이해해 받는 일은, 최초부터 무리한 일입니다.

덧붙여서, 나는, 자신이 절대적으로 올바르다든가 자신은 절대적으로 선이다고 한 일은, 믿고 있지 않습니다.따라서, 이 사람, 성격 싫다라고(성격이 싫다고) 생각하는 사람은, 상대도, 자신에 대해서, 그렇게 생각하고 있을 것이라고 할 가능성도 생각하고 있어 어느 쪽이 올바르다고 하는 것이 아니고, 단순한, 서로의 가치관의 달라일까라고도 생각합니다.거기서, 서로 가치관이 다르다면, 무리하고, 가치관을 소매치기 대려고 하는 것은, 인생에 있어서의 시간과 노력의 낭비이며, 할 수 있는 일이라면, 가능한 한, 서로 관계를 가지지 않도록 합시다라고 말하는 것이, 나의, 기본적인 스탠스(자세)입니다.

나는, 이 사람, 성격 싫다라고(성격이 싫다고) 생각하는 사람은, 업무상에 대해서는, 완전하게 무감정 대응, 프라이빗(사생활)에 대해서는, 관련되지 않게 하고 있으므로, 프라이빗(사생활)에 대해서는, 결과적으로, 나의 주위에는, 이 사람, 성격 싫다라고(성격이 싫다고) 생각하지 않는 사람만이 남으므로, 프라이빗(사생활)에 대해서는, 나의 주위에 대하고, 성격이 싫다라고(성격이 싫다고) 생각하는 사람의 비율은 0이다고도 말할 수 있는 w

친구를 예를 들면, 00씨가 상대에 대한 방어 태세를 실시하지 않아도, 00씨가, 함께 있고, 마음이 좋은 것이, 진짜 친구이며, (그 사람이, 일반적으로 보고, 좋은 사람인가 훌륭한 사람일까하고 하는 일과는 완전히 무관계하게)00씨에게 있어서 소중히 하지 않으면 안 된다 사람이다고 생각합니다.나의 경우, 옛부터(어릴 적부터), 그러한 친구들에게는 풍족해 오고 있어 그것이, 자신은, 별로 모든 사람들에게 이해해 받지 않아도 좋다고 하는 자신에도 연결되고 있는 것이라고 생각합니다.



00씨가, 사람에게 미움받는 일을 무서워한다고 말하는 일은, 00씨는, 00씨자신의 존재의 가치의 평가의 기준을, 00씨자신은 아니고 타인에게 두고 있기 때문입니다.

자기 자신의 평가의 기준을 타인에게 두어서는 안됩니다.

○○씨가, 00씨자신의 존재의 가치의 평가의 기준을 타인에게 둔다고 하는 일은, 00씨의 마음이 타인에게 지배되어 버리고 있는 일을 의미합니다.

우선은, 00씨자신의 마음을, 일단, 타인으로부터의 지배로부터 해방합시다.

인간은, 누구라도, 5000만에서 1억의 경쟁을 빠져 나가고 난자에 결합되어 태어났으니까, 인간은, 누구라도, 태어난 것만으로, 특별한 가치가 있어요.

비록, 00씨가, 어떤 삶의 방법을 했다고 해도, (00씨자신에 있어서도, 온 세상의 누구에 있어서도)00씨 대신에 되는 사람은, 세계에 한 명도 없다고 하는 일에 관해서는, 세계적인 슈퍼스타여도, 00씨여도, 완전한 평등하고, 동일하고, 귀중한 것입니다.


인생에 대하고, 가장, 중요한 일은, 자신이, 주어진 환경속에서, 자신의 능력의 범위내에서, 할 수 있는 한 행복하게 사는 일이라고 생각합니다.그 때에, 가장 중요한 일은, 자기 자신 및 자신의 소중한 사람들의 가치의 평가의 기준을, 그 이외의 다른 사람(타인)에게 두지 않는 것과 자기 자신의 인생의 행복의 평가의 기준을 다른 사람(타인)이라는 비교에 두지 않는 것이다고 생각합니다.




세상에는 물론 좋은 사람들도 많지만.. 나를 이용하려고 하는 사람들도 많은 관계에 이 관계를 오래 계속구 (일)것은 싫습니다.>

00씨가, 그 님에 느끼고 있다, 또는, 그 님, 경험을 하고 있는 것은, 00씨가, 자기 자신의 가치의 평가의 기준을 타인에게 두어, 00씨가, 사람에게 미움받는 일을 무서워하고 있기 때문에, 00씨는, 00씨가, 성격 싫다라고 생각하는 사람(성격이 싫은 사람)에게도, 자신의 인생의 시간이라고 하는 재산을 낭비(낭비)하고 있기 때문입니다.

사람은 누구라도 인생의 시간에는 한계가 있어요.돈 뿐만이 아니라, 시간이라고 하는 것도 사람에게 있어서 소중한 재산입니다.자신의 돈도 그렇습니다만, 자신의 시간도, 자신이 성격이 싫다라고 생각하는 사람(성격이 싫은 사람)에게 사용하는 것이 아니라, 자기 자신이나 자신의 소중한 사람들의 행복을 위해 사용해 주세요.

00씨는, 혹시, 모든 사람으로부터 미움받고, 친구가, 한 명도 없어지면, 어떻게 하려고 불안하게 생각할지도 모릅니다.

그러면, 그래서 좋지 않습니까.

전술한 대로, 자신의 부모님, 및, 형제 자매, (아이가 있는 분의 경우) 자신의 아이는, 예외지만, 세상의 모든 사람들은, 서로 자란 환경이 다르다, 많든 적든 차이의 차이는 저것들 자신과는 다른 가치관을 가지는 것 외 사람이며, 자신의 일을, 세상의 모든 사람들에게 이해해 받는 일은 (은)는, 최초부터 무리한 일입니다.


한 명이 되면, 한 명이 되었다로, 자신의 돈도, 자신의 시간도, 모두, 00씨자기 자신의 행복 (위해)때문에인 만큼 사용하면 좋지 않습니까.

안심해 주세요.타인에게 흘러가지 말고, 제대로 한 자기 자신·자기 자신의 가치관을 가져, 행복한 생활을 해, 마음속으로부터, 진짜 웃는 얼굴로 있는 사람의 주위에는, 자연과 마음이 맞는, 기분 좋은 사람들이 모여 옵니다.


사람은, 모든 사람들과 사이좋게 지낼 필요는 없습니다.자신의 소중한 사람·자신의 소중한 사람들·자신과 기분이 맞는 사람들과 기분 좋은 시간을 보내는 것만으로, 충분히, 행복합니다.



이하, 「」 안, 나의 과거의 투고로부터 가져 온, 나의 인생의 삶의 방법, 일반적으로 대하는, 폴리시(방침)입니다.


「사람에 대해서, 생색내는 것같게 하지 않는다.나는, 자원봉사에게 적극적으로 참가하는 성격이 아닙니다만, 일상생활에 있어서의 사람 돕기는 좋아합니다만, 인간은, 본래, 사람을 도우면 기분이 좋아지는 생물로( 나도, 그렇습니다), 나에게 있어서, 사람을 돕는 일은, 완전하게 자기만족입니다.따라서, 물론, 도운 사람으로부터, 감사의 말을 받거나 답례를 하시면, 기쁩니다만, 나중에서 (은)는, 사람 돕기를 한 시점에 두어 완결하고 있어, 도운 사람이나, 물건을 올린 사람으로부터, 감사의 말이나 답례가 없어도, 나중에서, 불쾌하게 되거나 화를 내거나 하는 이유는 아무것도 없습니다.」


나는, 성인 군자(완벽한 인간)는 아니기 때문에, 이상의 「」 안의 일이 들어맞는 것은, 나의 소중한 사람들, 및, 도움이 필요하게 되고 있는 사람들만입니다.나는, 나의 소중한 사람들, 및, 도움이 필요하게 되고 있는 사람들을, 도우면 기분이 좋고, 나에게 있어서, 그 님사람들을 돕는 일은, 완전하게 자기만족입니다.따라서, 물론, 도운 사람으로부터, 감사의 말을 받거나 답례를 하시면, 기쁩니다만, 나에게는, 사람 돕기를 한 시점에 두어 완결하고 있어, 도운 사람이나, 물건을 올린 사람으로부터, 감사의 말이나 답례가 없어도, 나중에서, 불쾌하게 되거나 화를 내거나 하는 이유는 아무것도 없습니다.

한편에 있고, 나는, 이 사람, 성격 싫다라고(성격이 싫다고) 생각하는 사람, 한편, 도움이 필요로 하지않은 사람을 도와도, 기분은 자주(잘) 않고, 그 님사람들을 돕기 위해, 자신의, 돈도, 자신의 인생의 시간이라고 하는 재산도, 낭비(낭비)할 생각은, 일절 없습니다(전혀 없습니다).

00씨자신의 판단으로(00씨자신의 가치관으로), 00씨자신이, 정말로 돕고 싶은 사람들에게만·00씨의 도움이 필요하게 되고 있는 사람들에게만, 00씨의, 자신의 인생의 시간이라고 하는 재산을 소비합시다.00씨자신이, 정말로 돕고 싶은 사람들만을 돕는 것만으로, 00씨는, 자연과 행복한 기분이 되어, 마음속으로부터, 자연스러운 웃는 얼굴이 나온다고 생각합니다.그리고, 그 님, 00씨의 주위에는, 자연과 기분 좋은 사람들이 모여 온다고 생각합니다.



이하, 이하의, 전에, kj에 간, 「행복한 왕자」라고 하는 투고로부터, 일부를, 발췌해 온 것입니다.


나의 아버지는, 아이의 교육에 관해서는 귀찮기 때문에 아무것도 생각하지 않는다고 한 느낌의, 있다 의미, 육아에 관해서 자기중심적인 면이 있던 남성이었지만, 아버지의, 나와 남동생( 나에게는, 형제 자매는, 2세 연하의 남동생이 한 명 있습니다)이, 어릴 적·어릴 적의, 아이( 나와 남동생)에 관한 교육 방침 중(안)에서, 개인적으로, 예외적으로, 평가 할 수 있다고 생각하는 일의 하나에 w, 이하의 일이 있어요.

그것은, 나와 나의 2세 연하의 남동생이, 어릴 적·어릴 적, 아버지의 주도에 의해, 나의 부모님은, 아이에게, 많은 그림책(어린이용의 그림이 많은, 이야기의 책)을 사 주면 모두, 많은 그림책(어린이용의 그림이 많은, 이야기의 책)을 읽어 들려주는 주의인 일입니다.

아버지는(또는 아버지의 주도에 의해), 내가 어릴 적, 나는, 아버지(또는 부모님)에게, 많은 그림책(어린이용의 그림이 많은, 이야기의 책)을 사 주어졌습니다.그것등의, 그림책(어린이용의 그림이 많은, 이야기의 책)은, 나에게 사 주어진 것입니다만, 아버지(또는 부모님)는, 당연, 그것등의, 그림책(어린이용의 그림이 많은, 이야기의 책)이, 나의, 고물로서 남동생이, 읽어 들려줄 수 있는·읽는 일도 상정하고 있었습니다.

조금, 과장하여 말하면, 내가 어릴 적의 당시 , 일본 내외의, 명작으로 불리고 있던, 그림책(어린이용의 그림이 많은, 이야기의 책)의, 대부분은, 집(친가)에 있었다고 생각합니다.또, 미국·유럽의(아마...구체적으로, 어느 나라의 물건이었는지, 기억하지 않다고 하는지, 어렸기 때문에 의식하고 있었었습니다), 뛰쳐나오는 그림책등도, 집(친가)에, 많이 있었습니다.

그림책(어린이용의 그림이 많은, 이야기의 책)을, 나에게 읽어 들려주고 있던 것은, 어머니, 및, 아버지로, 남동생에게 읽어 들려주고 있던 것은, 모, 부, 제보다 먼저 그림책(어린이용의 그림이 많은, 이야기의 책)의 글자를 읽을 수 있게 되고 나서의 어릴 적 의 나입니다.나는, 어릴 적, 남동생을 위해, 자신 그림책(어린이용의 그림이 많은, 이야기의 본)등이 읽어 들려주어의 소리를 카셋트 데이프에 녹음하기도 하고 있었습니다.


그림책(어린이용의 그림이 많은, 이야기의 책)과는 별도로, 아버지는, 내가 어릴 적, 나에게, 헌책방(헌책점)에서, 헌책의, 세계의 동화·민화, 시리즈·전집등의, 어린이용의, 세계의 동화·민화등의, 시리즈·전집의 것을, 정리해 사 , 무슨 세트인가, 사 왔습니다.그것등의, 시리즈·전집의 것도, 나에게 사 주어진 것입니다만, 아버지는, 당연, 그것등의, 시리즈·전집의 것이, 나의, 고물로서 남동생이, 읽어 들려줄 수 있는·읽는 일도 상정하고 있었습니다.

그 님, 시리즈·전집의 것의, 모든, 이야기를, 부모가 아이에게 읽어 들려주는 것은, 시간적으로 무리임 일로부터, 나는, 스스로 글자를 읽을 수 있게 되고 나서는, 그 님, 시리즈·전집의 것은, 스스로, 읽었습니다(뭐, 대부분의 이야기는, 잊어 버리고 있습니다만 w).

그 님, 어릴 적, 부모에게 읽어 듣고 있던, 세계의 동화·민화, 시리즈·전집등에 거둘 수 있고 있던, 이야기속에서, 가장 인상에 남아 있다, 이야기의 하나로서, 「행복한 왕자」가 있어요.「행복한 왕자」는, 내가, 그러한, 세계의 동화·민화, 시리즈·전집등의 글자를, 남동생보다 먼저 읽을 수 있게 되고 나서는, 나의 2세 연하의 남동생에게, 몇번이나 읽어 들려주어도 있었습니다.


어릴 적, 몇번이나 읽은, 「행복한 왕자」의, 이야기는, 나와 남동생의 인생의 가치관에 큰 영향을 주었던(지금도, 나와(아마) 남동생의 인생의 가치관에 큰 영향을 계속 주고 있습니다).



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「행복한 왕자」의, 이야기입니다.You tube로부터 빌려 온 것.

이하, 「행복한 왕자」의, 이야기의 내용입니다(이하, 생략).」
















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