生活/文化

 




私の母について前編は、こちらです。



私の母について前編(日本語)→

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私の母について前編(韓国語)→

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以下、私の母について前編からの続きです。




幼い頃・子供の頃の、私と私の弟(私は兄弟姉妹は2歳年下の弟が一人います)は、私の母にとって、マスコット・自慢のペット(愛玩動物)のような物でしたw



私も私の弟も、子供時代、ズル賢い子供で、母の前で、お行儀が良いペット(愛玩動物)を演じている限り、母に愛されて、母に甘やかされて、結果として、自分達の得になる(自分達が幸せになる)と言う事を、幼い頃から、本能的に分かっていると言う感じの子供でしたw



また、それに関連して、私も私の弟も、こうすれば、大人達に、可愛がられると言う事を、幼い頃から、本能的に分かっていると言った感じの子供で、(まるで、女性が小悪魔テクを無意識的・意識的に使うようにw)、そうした事を、無意識的・意識的に行っていました。


前述の通り、幼い頃・子供の頃の、私と私の弟は、私の母にとって、マスコット・自慢のペット(愛玩動物)のような物でw、お客さんが家に来た際は、多くの場合、母に、一回は、挨拶に出されました。



私も私の弟も、幼い頃・子供の頃、お客さんに挨拶する時、無意識的・意識的に、はにかんだりしていましたが、私も私の弟も、はにかんだ方が、大人に可愛いと思われ、可愛がられると言うのを、幼い頃から本能的に分かっていた為であると思いますw



お客さんに、一通り、顔見せを済ませた後は、私の母は、それぞれの部屋に戻って遊んでなさいと言った感じの事を言ったり、そのような流れに持って行ったりしたのですが、私も私の弟も、長時間、お客さんに愛想を使い続けるのも疲れるのでw、母が、そのような感じの事を言ったり、そのような流れに持って行った時は、私も私の弟も、喜んで、再び、自分たちの部屋に戻り、おもちゃやゲームで遊んでいました。





私の実家は、別に裕福ではなく、普通の中流の家庭なのですが、私は、親(母)に、子供の頃、フォーマル、セミフォーマル、カジュアルの服の使い分けを、きちんと教育されて育った方であると思います。



フォーマルは、それこそ、行事の時や高級レストランに食事をしに行く際の服装であり、カジュアルは、普段着、セミフォーマルは、その中間の服装です。



ちなみに、東京都心部の西部の、静かで落ち着いた住宅地にある、我が家の近所の、私の実家は、元々、私の母方の祖父母の家で(ちなみに、私の母は、一人っ子です)、現在は、両親が引き継いで暮らしています。ちなみに、既に、母方の祖父母ともに亡くなっています。



私が、子供の頃、私の母方の祖父は、家族(私の母方の祖母、私の両親、私、私の2歳年下の弟)を連れて、日光(nikko)(栃木(tochigi)県(東京圏の北端に位置する県)に位置する。箱根(hakone)(東京圏(東京圏の南部を占める県である、神奈川(kanagawa)県)の、南西端部に位置する)と並ぶ、東京近郊を代表するリゾート(resort)地・保養地・観光地・避暑地)の、金谷(kanaya)ホテル(日光(nikko)を代表する、歴史のある高級リゾート(resort)ホテル。1873年開業)に宿泊しに行く事もあったのですが、その際には、私の母は、私と私の弟に、フォーマルな服を着せました。


ちなみに、私の母方の祖父は、普段の生活は、つましかったですが、何故か、家族を(私の母方の祖父にとっては、妻、娘夫婦、孫)を、金谷(kanaya)ホテルに連れて行く事に関しては、気前が良かったです。ちなみに、日光(nikko)は、私の母方の祖父の、お気に入りの場所でした。


ちなみに、今は、時代の流れとして、昔程、服の使い分けがなされていない事と、リゾート(resort)と言う事もあり、高級リゾート(resort)ホテルに宿泊、又は、高級リゾート(resort)ホテルを利用する際にも、カジュアルな服で(普段着で)と言う場合も、少なくありません。




私の父は、普通の会社員ですが(ちなみに、父は、今は、既に、半分定年退職状態となっています。また、私の母は、私の父と結婚してから、ずっと主婦です)、私の父は、私が、子供の頃、毎月一回(概ね1年間に12回)、父の給料日の直後の、土曜日等に、給料日祝いの夕食として、夕食を、家族(私の母、私、弟)を、ステーキ(beef steak)レストランや洋食(yoshoku)(日本で、近代以降、日本人の口に合う様に、(日本人の視点からすれば)改良された、西洋料理)レストランに、ステーキ(beef steak)やハンバーグ(hamburger steak)を食べに連れて行きました(ちなみに、その際には、私の母方の祖父母は、家で、お留守番と言うか、行きませんでした。また、その際には、私も弟も、毎回、両親に、おもちゃ等を買って貰うのを楽しみにしていました)。その際には、母は、子供(私、及び、弟)には、基本的には、セミフォーマルの服を着せ、割と高級なステーキ(beef steak)レストランに行く場合には、フォーマルな服を着せました。


また、それとは別に、毎月一回(概ね1年間に12回)、父の給料日の直後あたりの日に、私の父と母は、(おそらく、ステーキ(beef steak)やハンバーグ(hamburger steak)を中心とした食事ではなく、大人向けの食事である)日本料理や西洋料理、中国料理の外食の夕食又は昼食を、(子供(私と弟)を、私の母方の祖父母と共に、家に、お留守番させて)、二人で食べに行ってました。その際には、母は、いつも、とてもお洒落をして(フォーマルな、お洒落な服を着て)、出掛けていました。また、それとは、また別に、私の父と母は、昔から(私が子供の頃から)、現在に至るまで、毎年、母の誕生日(又は、その付近の日)(父の誕生日は、昔から、それはしないw)と、結婚記念日(又は、その付近の日)に、高級な、日本料理や西洋料理、中国料理の外食を食べに出掛けており、その際にも、母は、昔から(私が、子供の頃から)、いつも、とてもお洒落をして(フォーマルな、お洒落な服を着て)、出掛けています(と言うか、今は、実家暮らしではないので、今の状況は、詳しく分かりませんが、おそらく、今も、そうです)。




前述の通り、私は兄弟姉妹は、2歳年下の弟が一人いるのですが、私の名前も、私の弟の名前も、私の母がつけました(ちなみに、私の名前も、私の弟の名前も、別にキラキラネームではありませんw)。


私の母は、私に対しても、私の弟に対しても、それぞれ中学生になるまでは(小学生の時までは)、(○○は、それぞれ、私の名前と、私の弟の名前の、最初の、二文字)、「○○坊」と呼んでいました。


私の母は、私の母なりの、男児の元服と言ったような考え方があったのかもしれません。私の母は、私に対しても、私の弟に対しても、それぞれ、中学校の入学と同時に、一方的に、もう子供ではなく、大人なのだから、もう、「○○坊」とは呼ばす、(○○は、それぞれ、私の名前と、私の弟の名前の、最初の、二文字)、これからは、「○○」と呼びます宣言をし、それ以来、現在に至るまで、私と、私の弟の事を、「○○」と言い続けています。


また、私に対しても、私の弟に対しても、中学生になるまでは(小学生の時までは)、ペット(愛玩動物)扱いであったのに対し、その後も、物質的には甘やかせ続けましたけど(率直に言って、私と、弟が、それぞれ、子供の頃から高校生の頃、私の両親は、子供を(私と私の弟を)、とても甘やかしていた事は、否定出来ません)、中学生以降は、急に、大人の男性として扱うようになりました。





私は、高校時代(私の高校生活は)、爽やかな面も、あった事はあったのですが、素朴で、爽やかな青春と言うよりは、どちらかと言えば、(当時、当時の私と同じ位、程度の低かったw、友達達と共に)、club(nightclub)等で、よく、夜遊びしたり、(私は、普通の、男女共学の高校に通っていて、学校内の、女の子達とも、仲良くしていたのですが)、よく、他の高校に通う、女の子達等と、合コン(友人や知り合い等の紹介による、男女が、知り合う為の、居酒屋等での、飲み会や食事会。日本では、大学生等の学生位の年齢(18歳位)から20代位の年齢の若者の間で、盛んに行われている)したりして、また、ここでは書けないような事をしたりして(人を傷つけるような事ではありません)、どちらかと言えば、都会の、荒くれた(率直に言ってしまえば、爽やかと言うよりも、どちらかと言えば、猥雑で、堕落して、馬鹿っぽい(馬鹿のような))高校生活を送っていましたw(まあ、それは、それで、楽しかった)。



ちなみに、私も、当時、私と一緒に遊んでいた、悪友達(友達達)も、学校の先生の前では、優等生で(素直で、礼儀正しく、一般的には、学校内においては、学校の規則を、しっかりと守る生徒で)、親の前でも、一般的には、反抗期なんて言う物は、存在しない位、良い子(良い、子供)でしたw  また、私には2歳年下の弟がいるのですが、私の弟は、私に比べれば、かなり真面目でした。



私の親は、自由放任主義的な面があり、私の母は、私が、中学生・高校生時代、夜遊びをする際に、友達の家に泊まって来る等と言えば、深く詮索しませんでしたし、母自体が、チャラチャラしている面があり、男の子は、ある程度、遊んだ方が良い・やんちゃした方が良い位に、思っていた節がありw、そう言う意味では、ある意味、やり易かったですw(私は、遊び易かったですw)。






「私の母について前編」でも書きましたが、私の母方の祖母は、結婚してから亡くなるまで、アルバイトを含めて、一切の仕事をした事がない主婦でしたし、私の母も、結婚してからは、アルバイトを含めて、一切の仕事をした事がない主婦です。


私の母は、(まあ、私は、母の事を、スーパー主婦と呼んでいるのですがw)、私の母は、子供の頃から、運動神経が良い(私の母は、小学校・中学校・高校と体育の成績は常に良かった様です)と言うのが関係しているのかしていないのか分かりませんが、料理を含めて、一つ、一つの作業が丁寧な訳では決してないのですが、昔から(私が子供の頃から)、家事の手際が、非常に良く、家事をこなす、スピード(速度)が、非常に速いです。まあ、私の母の、(一つ、一つの作業が丁寧な訳ではないけれど)、家事の手際が、非常に良く、家事をこなす、スピード(速度)が、非常に速いと言うのは、私の母の、家事を出来るだけ短時間で済ませ、自分が自由になる時間、自分が遊べる時間を、少しでも、より多く確保したいと言う、欲望・気持ちが、昔から、そうさせて来たのかもしれません。


ちなみに、私の母は、少し、バタバタして、おっちょこちょいの面もあり、私と私の弟が、子供(小学生)の頃、私と私の弟の、それぞれの、親しい友達を、数名ずつを呼んで、家(私の実家)で、クリスマスパーティーを開いた際に、さあケーキよと言って、大きなケーキ(私の母が作ったケーキではなく注文したケーキですがw)を、テーブルに運んで来る際に、私の母は、何かにつまづいて(何だか忘れた)、コケて、ケーキを逆さまに床に落として、台無しにしてしまった(もちろん、その時、私も、私の弟も、それぞれの友達たちも、一瞬、固まり、開いた口が塞がりませんでしたw)なんて事もあります。



私の母は、(私の母から見れば)家事に関して不器用な私と私の弟に、家事を手伝わすと、かえって、足手纏いになって家事のスピードが遅くなるから手伝わしたくはないと言った感じで、私の母は、基本的に、日常的な家事は、私と、私の弟に、あまり手伝わせませんでした。



その代わり、家の中等の力仕事は、私と私の弟が、それぞれ、中学生以降は、わざと(故意)に用事を見つけてまで、出来る限り、私と私の弟に手伝わせるようになりました。そして、手伝わせた後は、ほぼ必ず、「さすがは、男、頼りになる!」とか「さすがは、男!」等と、やたらと「男」を強調して褒めましたw


私の弟は、私よりも2歳年下なので、当然、私の方が、早く、中学生になったのですが、私が、家の力仕事を手伝っているのを見て、小学生の弟が、「僕も手伝う」と言うと、私の母は、必ず、「○○坊は、まだ子供だから駄目」と一旦は、断りました。それで、弟は、「僕は、子供じゃないから、手伝う」と言った感じの事を言って、むずかると、私の母は、(まだ小学生の)弟に負担にならない程度に手伝わせ、私と同様に、褒めて、お礼をしました。


私の母は、私の母なりに、保守的な考えに基づいて、男の子は、女性を助ける、力強く、優しい男性に育てなければならないと言う、保守的な教育方針があったのかもしれません。




私の母は、ミーハーで、面食いの(ハンサムな男性が好きな)、女性でした。また、私の母は、親バカでしたw 私の母は、自分の息子(私と、私の弟。特に私w)の事を、ハンサムと評価していました。


私の母が、私が思春期の頃に、私に、よく言っていた言葉(また、私の弟にも、私の弟が、思春期の頃に、時々、言っていた言葉)で、印象に残っている言葉で、たぶん内面や心掛け等に関して言っていたんだと思いますが、「美男子(又は、ハンサム。どちらか忘れた。まあ、両方言っていたと思います)は、女性(又は、女性達。たぶん両方言っていたと思います)の美男子に対する期待に応える義務がある」と言う言葉がありますw


また、私の母は、私と、私の弟が、思春期の頃に、私と私の弟に対して、「美男子(又は、ハンサム)に生まれたのは、たまたま運が良かっただけで、図に乗ってはいけない」だとか、「運が良く美男子(又は、ハンサム)に生まれたからには、相応の社会的な責任を負わなければならない」と言った感じの言葉も言っていましたw 笑ってしまうような言葉ですがw、母は、割と真面目な気持ちで息子達に言い聞かせているような感じでした。

以下、参考投稿。

初めて買ったCD(日本語)→
/jp/board/exc_board_8/view/id/2506425/page/3?&sfl=membername&stx=jlemon

初めて買ったCD(韓国語)→
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以下、少し、私の父に関する文は、基本的に「私の母について前編」の繰り返しです。


私の父は、私が子供の頃・若い頃は、典型的な、仕事人間・会社人間と言った感じで、平日は、週1日から3日位、仕事を終えた後、家に早く帰る日がありましたが(ちなみに、そうした日は、たいてい、父は母と一緒に風呂に入りましたw
)、それ以外は、ほとんど深夜に帰宅していましたが
(ちなみに、私の母は、夫が仕事で帰宅が遅い日には、待たずに、さっさと寝てしまうタイプの妻でした。また、「私の母について前編」で書いた通り、私の母は、かつて、夫(私の父)がいるのにも関わらず、密かに、複数の男性とデートを楽しむ行為をしていましたが、そうした行為は、父が仕事人間・会社人間だったからやり易かったと言う面があると思いますw)、土・日・祝日や休暇時期は、子供(私及び弟)が親離れするまでは、家族と過ごす時間を大切にし、子供が親離れをしてからは、母と夫婦二人で、しょっちゅう、遊びに出かけるようになりました。


私の父は、私が子供の頃・若い頃は、典型的な、仕事人間・会社人間と言った感じで、土・日・祝日や休暇時期に、子供(私及び弟)を積極的に遊びに連れていったり・子供(私及び弟)と積極的に遊んだりして、子供(私及び弟)の思い出作りには、出来るだけ協力するが、子供(私及び弟)の教育に関しては、「君(私の母)に、全て、任せる」と言った感じで、子供(私及び弟)の教育に関しては、妻である私の母に全て任せて、自分は(私の父は)、子供(私及び弟)の教育に関して、一切、関与する事はありませんでした。



そして、私の父に、子供(私及び弟)の教育の全てを任された、私の母は、どうだったのかと言うと。。。私の母は、子供に対して、勉強しろと、一切、言わないタイプの親でした。


前述の通り、率直に言って、私と、弟が、それぞれ、子供の頃から高校生の頃、私の両親は、子供を(私と私の弟を)、とても甘やかしていた事は、否定出来ません。私の両親は、子供(私と私の弟)に、勉強の妨げになるような誘惑になる物を、どんどん買い与える一方で、私の母は、あまりに、子供(私と私の弟)に対して、勉強しろと言わないものだから、私は、かえって、勉強に関して、これで良いのかと不安になり、勉強に関して、自分で、どうにかしなければならないと思うようになりました。そして、私の、勉強に関して、自分自身で、どうにかしなければならないと思う気持ち・姿勢は、(おそらく)、私の弟にも、影響を与えました。


また、私の母は、昔から(本人が若い頃から・私が子供の頃から)、チャラチャラしていて、何も考えておらず(少なくとも一見何も考えていないような感じで)何も考えないで欲望のままに突っ走ってしまうような面がある女性で、私と、私の弟は、むしろ、自分達が、しっかりとして、私の母を、支えなければならない・助けなけばならない位の気持ちがありましたw まあ、私の母は、何も考えていないようであり、実は、強い人で、私と、私の弟の助け等なくても、全く、大丈夫なような気もしますがw


私の母は、子供(私と私の弟)が、学校の勉強で、悪い成績をとって来た時には、ニコニコしながら、「また、今度、頑張ればいいじゃない」と言った感じの事を言い、一切、気にしていませんでした。また、私の母は、子供(私と私の弟)が、学校の勉強で、良い成績をとって来た時には、これでもかと言う位に、大袈裟に褒めましたw(おそらく、故意に、大袈裟に、褒めていたのだと思います)。私も、私の弟も、それは、褒められれば、嬉しい物だから、それが、勉強の励みになったりもしました。


私は、高校の時、物理のテストで赤点をとって母と共に学校に呼びだされた事があるのですが、母は、ニコニコしながら、「面白そう。たまには、そう言うのも、いいじゃない」と言った感じの反応で、私の高校の先生が何を言っても、ニコニコしながら、「うちの息子は、大丈夫だと思います」の、一点張りでしたw





我が家の近所の私の実家の両親は、二人共、高齢者になった、今でも、夫婦、とても仲が良く、頻繁に、二人で遊びに出掛けています。私の父は、会社員ですが、現在、半分、定年退職状態で、私の両親は、年齢的には高齢者の中で若い年齢ではありますが、夫婦で、よく二人共通の趣味のゴルフに行きますし(両親は、未だに、夫婦で、スキーにも行きます)、夫婦で、海外を含めた、長期旅行も、よくしており、私の父は、仕事と遊びを、とても、元気に楽しみ続けています。私は、両親の(まあ、私の母は、私の父と結婚してから、ずっと主婦ですが。。。)、元気と、パワーが(力が)、羨ましい位ですw









すぐ下の動画は、おまけで、韓国の方は、日本語が分かる方以外は、何を言っているのか、分からなくて、申し訳ありませんが、日本の、テレビ番組で、タモリ(tamori)(下の補足説明参照)(動画で、小柄で、サングラス(sunglasses)を掛けている男性)の、深夜テレビ番組より。。。この番組は、地味な、テレビ番組ですが、深夜テレビ番組として、安定した、長い人気を誇る、テレビ番組で、1982年から、約36年間、続いている、テレビ番組です。この回では、みうらじゅん(miura jyun)(下の補足説明参照。動画で、長髪の男性)が出演し、ゴムで出来た、おもちゃ(toy)の蛇について解説しています(関連する、他の、古い(懐かしい)、おもちゃ(toy)も、紹介しています)。ゴムで出来た、おもちゃ(toy)の蛇は、日本で、おそらく、1950年代頃から1970年代頃にかけて、男の子供向けの、おもちゃ(toy)として、人気がありました(おそらく、人気の、絶頂期は、1960年代)。日本では、ゴムで出来た、おもちゃ(toy)の蛇は、その後は、次々と登場する、新しい、おもちゃ(toy)に押されて、人気が衰退して行き、現在は、完全に、マイナーな(少数派の)、子供向けの、おもちゃ(toy)となっています。みうらじゅん(miura jyun)は、多趣味で(とても趣味が多く)、様々な物の、コレクター(collector)として有名ですが、ゴムで出来た、おもちゃ(toy)の蛇の、コレクター(collector)ともなっています。ちなみに、私が、幼い頃は、既に、ゴムで出来た、おもちゃ(toy)の蛇の人気は、衰退期に入っていましたが、辛うじて、まだ、ある程度の人気は残っていたと言った感じで、私は、幼い頃から、子供の頃、親に買って貰った、ゴムで出来た、おもちゃ(toy)の蛇を持っていました。
タモリ(tamori):1945年生まれ。現在72歳。1970年後半頃から活躍している、日本の、コメディアン(comedian)・お笑い芸人。日本の、大御所(その業界の、第一人者として、強い影響力を持つ人物)の、コメディアン(comedian)・お笑い芸人の一人。様々な分野において、広い知識を持つ、知識人でもある。
みうらじゅん(miura jyun):みうらじゅん(miura jyun)は、芸名(stage name)。1958年生まれ。現在59歳。とても、趣味が多く、様々な分野について、とても、広い知識を有する事に加えて、発言や話が、平凡な、コメディアン(comedian)・お笑い芸人よりも、遥かに(ずっと)、面白い事から、1980年代後半頃から活躍している、日本の、タレント(テレビに出演する事等を職業とする人)。個性的な趣味が多く、そうした、自分の、趣味を、追求して行ったら(自由気ままに、思う存分楽しんでいたら)、それが、そのまま活かされて、自分の職業に繋がってしまった様な人です。





動画は、you tubeから借りて来た物。少し古い動画ですが、2009年頃。タモリ(tamori)(動画で、小柄で、サングラス(sunglasses)を掛けている男性)、みうらじゅん(miura jyun)(動画で、長髪の男性)以外に出演している男性は、板尾 創路(itao itsuji)(1963年生まれ。1990年代初め頃から活躍している、日本の、コメディアン(comedian)・お笑い芸人)、又、出演している、女性は、YOUです。YOU(1964年。東京生まれ。YOUは、芸名(stage name))は、1980年代後期から活躍している、日本の、女性、歌手・作詞家・タレント(テレビに出演する事等を職業とする人)です。YOUは、元々、FAIRCHILDと言う、1980年代後期から1990年代初め頃に活躍していた、日本の、男女混成の(女、一人、男、二人)の、J-pop rock bandの、メンバー(member)の一人であり、FAIRCHILDでは、ボーカル(lead vocals)と作詞を担当していましたが、会話・発言が、面白い事から(平凡な、女性、コメディアン(comedian)よりも、面白い)、若い頃から、音楽活動と並行して、タレント(テレビに出演する事等を職業とする人)としても、活躍しており、FAIRCHILDが、1993年に解散して以降は、主に、タレント(テレビに出演する事等を職業とする人)として、活躍しています。
 
ちなみに、私の母は、YOUよりも、遥かに(ずっと)、年上の世代ですが、特に、今よりも、若い頃は、年齢よりも、かなり若く見えた事もあって、今よりも、若い頃、外貌が、(老けてからのw)YOUに似ていると言われていた事がありますw(上の動画は、老けてからの、YOUで(YOUは、当時、44歳から45歳)、上の動画の時期は、私の母が、YOUに似ていると言われていた時期に該当しますw)。 ちなみに、私は、顔は、母よりも、父に似ています。

ちなみに、私は、比較的、多く、食べ物を食べる方ですが(そう言っても、標準よりも、若干(ほんの、少しだけ)、多く食べる程度です)、幸いな事に?、(比較的、たくさん)食べても、太らない体質(痩せている体質)なのですが、そうした、私の体質は、私の母に似ました。私の母も、昔から、比較的、たくさん食べるのに、痩せており、今でも、(年齢の割に)、比較的、たくさん、食べ物を食べますが、痩せています。


ちなみに、みうらじゅん(miura jyun)は、私よりも、非常に、年上の人ですが(私よりも、むしろ、私の親の年齢に、相対的に、かなり近い人ですが)、詳しくないので間違っていたら申し訳ありませんが、みうらじゅん(miura jyun)も、私と同様、子供・中学生・高校生の頃、親に、とても甘やかされて、育った様ですが、みうらじゅん(miura jyun)が、私と違って、客観的に見て、人生で成功したのは、まあ、私の才能がないと言うのが大きいと思いますがw、みうらじゅん(miura jyun)が、親に甘やかされて育って、エネルギー(力)が、内側(自分の趣味)に向いたのに対し、私の場合、親に甘やかされて育って、エネルギー(力)が、外側(高校生から大学生にかけて、女の子と遊ぶ事)に向いてしまったからかもしれませんw




以下、参考の投稿です。

私の弟について(日本語)→
/jp/board/exc_board_8/view/id/2542677?&sfl=membername&stx=jlemon

私の弟について(韓国語)→
/kr/board/exc_board_8/view/id/2542677?&sfl=membername&stx=jlemon








 



나의 어머니에 대해 후편




나의 어머니에 대해 전편은, 이쪽입니다.



나의 어머니에 대해 전편(일본어)→

/jp/board/exc_board_8/view/id/2544087?&sfl=membername&stx=jlemon



나의 어머니에 대해 전편(한국어)→

/kr/board/exc_board_8/view/id/2544087?&sfl=membername&stx=jlemon




이하, 나의 어머니에 대해 전편으로부터의 계속입니다.




어릴 적·어릴 적의, 나와 나의 남동생( 나는 형제 자매는 2세 연하의 남동생이 한 명 있습니다)은, 나의 어머니에게 있어서, 마스코트·자랑의 애완동물(애완동물)과 같은 물건이었습니다 w



나도 나의 남동생도, 아이 시대, 즐 영리한 아이로, 어머니의 앞에서, 예의범절이 좋은 애완동물(애완동물)을 연기하고 있는 한, 어머니에게 사랑받고, 어머니에게 응석부리고, 결과적으로, 자신들의 이득이 되는(자신들이 행복해진다)라고 하는 것을, 어릴 적부터, 본능적으로 알고 있다고 하는 느낌의 아이였습니다 w



또, 거기에 관련하고, 나도 나의 남동생도, 이렇게 하면, 어른들에게, 귀여워해진다고 말하는 일을, 어릴 적부터, 본능적으로 알고 있다고 한 느낌의 아이로, (마치, 여성이 소악마 테크닉을 무의식적·의식적으로 사용하도록(듯이) w), 그러한 일을, 무의식적·의식적으로 실시하고 있었습니다.


상술한 대로, 어릴 적·어릴 적의, 나와 나의 남동생은, 나의 어머니에게 있어서, 마스코트·자랑의 애완동물(애완동물)과 같은 물건으로 w, 손님이 집에 왔을 때는, 많은 경우, 어머니에게, 1회는, 인사에 출?`우했다.



나도 나의 남동생도, 어릴 적·어릴 적, 손님에게 인사할 때, 무의식적·의식적으로, 수줍어하거나 하고 있었습니다만, 나도 나의 남동생도, 수줍어하는 것이, 어른에게 귀엽다고 생각되어 귀여워해진다고 말하는 것을, 어릴 적부터 본능적으로 알고 있던 때문이다고 생각하는 w



손님에게, 대충, 얼굴 좀 보여주어를 끝마친 다음은, 나의 어머니는, 각각의 방으로 돌아와 놀아 주세요라고 한 느낌의 일을 말하거나 그러한 흐름에 가지고 가거나 했습니다만, 나도 나의 남동생도, 장시간, 손님에게 붙임성을 계속 사용하는 것도 지치므로 w, 어머니가, 그러한 느낌의 일을 말하거나 그러한 흐름에 가지고 갔을 때는, 나도 나의 남동생도, 기뻐하고, 다시, 스스로의 방으로 돌아와, 장난감이나 게임에서 놀고 있었습니다.





나의 친가는, 별로 유복하지 않고, 보통 중류의 가정입니다만, 나는, 부모(어머니)에게, 어릴 적, 포멀, 준정식, 캐쥬얼의 옷의 사용구분을, 제대로 교육되어 자란 (분)편이다고 생각합니다.



포멀은, 그야말로, 행사때나 고급 레스토랑에 식사를 하러 갈 때의 복장이며, 캐쥬얼은, 평상복/`A준정식은, 그 중간의 복장입니다.



덧붙여서, 도쿄도심부의 서부의, 조용하고 침착한 주택지에 있는, 우리 집의 부근의, 나의 친가는, 원래, 나의 외가의 조부모의 집에서(덧붙여서, 나의 어머니는, 독자입니다), 현재는, 부모님이 계승하며 살고 있습니다.덧붙여서, 이미, 외가의 조부모 모두 죽습니다.



내가, 어릴 적, 나의 외가의 조부는, 가족( 나의 외가의 조모, 나의 부모님, 나, 나의 2세 연하의 남동생)을 동반하고, 닛코(nikko)(토치기(tochigi) 현(동경권의 북단에 위치하는 현)에 위치한다.하코네(hakone)(동경권(동경권의 남부를 차지하는 현인, 카나가와(kanagawa) 현)의, 남서 단부에 위치한다)와 대등한, 도쿄 근교를 대표하는 리조트(resort) 지·보양지·관광지·피서지)의, 카나야(kanaya) 호텔(닛코(nikko)를 대표하는, 역사가 있는 고급 리조트(resort) 호텔.1873년 개업)에 숙박하러 가는 일도 있었습니다만, 그 때에는, 나의 어머니는, 나와 나의 남동생에게, 포멀한 옷을 입혔습니다.


덧붙여서, 나의 외가의 조부는, 평상시의 생활은, 검소했습니다만, 왜일까, 가족을( 나의 외가의 조부에게 있어서는, 아내, 딸(아가씨) 부부, 손자)을, 금 골짜기(kanaya) 호텔에 데리고 가는 일에 관해서는, 기질이 좋았습니다.덧붙여서, 닛코(nikko)는, 나의 외가의 조부의, 마음에 드는 장소였습니다.


덧붙여서, 지금은, 시대의 흐름으로서 석정, 옷의 사용구분이 이루어지지 않은 것과 리조트(resort)라고 하는 것도 있어, 고급 리조트(resort) 호텔에 숙박, 또는, 고급 리조트(resort) 호텔을 이용할 때에도, 캐쥬얼인 옷으로(평상복으로)라고 하는 경우도, 적지는 않습니다.




나의 아버지는, 보통 회사원입니다만(덧붙여서, 아버지는, 지금은, 이미, 반정년퇴직 상태가 되고 있습니다.또, 나의 어머니는, 나의 아버지와 결혼하고 나서, 쭉 주부입니다), 나의 아버지는, 내가, 어릴 적, 매월 1회(대체로 1년간에 12회), 아버지의 월급날의 직후의, 토요일등에, 월급날 축하의 저녁 식사로서 저녁 식사를, 가족( 나의 모, 나, 남동생)을, 스테이크(beef steak) 레스토랑이나 양식(yoshoku)(일본에서, 근대 이후, 일본인이 입맛에 맞는 것처럼, (일본인의 시점으로부터 하면) 개량된, 서양 요리) 레스토랑에, 스테이크(beef steak)나 햄버거(hamburger steak)를 먹어에 데리고 갔습니다(덧붙여서, 그 때에는, 나의 외가의 조부모는, 집에서, 집보기라고 말하는지, 가지 않았습니다.또, 그 때에는, 나나 남동생도, 매회, 부모님에게, 장난감등을 사 받는 것을 기대하고 있었습니다).그 때에는, 어머니는, 아이( 나, 및, 남동생)에게는, 기본적으로는, 준정식의 옷을 입혀 생각보다는 고급 스테이크(beef steak) 레스토랑에 가는 경우에는, 포멀한 옷을 입혔습니다.


또, 그것과는 별도로, 매월 1회(대체로 1년간에 12회), 아버지의 월급날의 직후 쯤의 날에, 나의 아버지와 어머니는, (아마, 스테이크(beef steak)나 햄버거(hamburger steak)를 중심으로 한 식사가 아니고, 어른용의 식사이다) 일본 요리나 서양 요리, 중국 요리의 외식의 저녁 식사 또는 점심 식사를, (아이( 나와 남동생)를, 나의 외가의 조부모와 함께, 집에, 집보기시키고), 둘이서 먹으러 가고 있었습니다.그 때에는, 어머니는, 언제나, 매우 멋을 부리고(포멀한, 세련된 옷을 입고), 나가고 있었습니다.또, 그것이란, 또 별로, 나의 아버지와 어머니는, 옛부터(내가 어릴 적부터), 현재에 이르기까지, 매년, 어머니의 생일(또는, 그 부근의 날)(아버지의 생일은, 옛부터, 그것은 하지 않는 w)와 결혼기념일(또는, 그 부근의 날)에, 고급, 일본 요리나 서양 요리, 중국 요리의 외식을 먹어에 나가고 있어 그 때에도, 어머니는, 옛부터(내가, 어릴 적부터), 언제나, 매우 멋을 부리고(포멀한, 세련된 옷을 입고), 나가고 있습니다(라고 말하는지, 지금은, 친가 생활은 아니기 때문에, 지금의 상황은, 자세하게 모릅니다만, 아마, 지금도, 그렇습니다).




상술한 대로, 나는 형제 자매는, 2세 연하의 남동생이 한 명 있습니다만, 나의 이름도, 나의 남동생의 이름도, 나의 어머니가 붙였습니다(덧붙여서, 나의 이름도, 나의 남동생의 이름도, 별로 반짝반짝 네임?`나는 없습니다 w).


나의 어머니는, 나에 대해서도, 나의 남동생에 대해서도, 각각 중학생이 될 때까지는(초등 학생때까지는), (00은, 각각, 나의 이름과 나의 남동생의 이름의, 최초의, 2 문자), 「00방」이라고 부르고 있었습니다.


나의 어머니는, 나의 어머니나름의, 남아 원복이라고 말한 것 같은 생각이 있었을지도 모릅니다.나의 어머니는, 나에 대해서도, 나의 남동생에 대해서도, 각각, 중학교의 입학과 동시에, 일방적으로, 더이상 아이가 아니고, 어른스러운이니까, 이제(벌써), 「00방」이란호, (00은, 각각, 나의 이름과 나의 남동생의 이름의, 최초의, 2 문자), 지금부터는, 「00」(이)라고 부르는 선언을 해, 그 이후로, 현재에 이르기까지, 나와 나의 남동생의 일을, 「00계속 」이라고 하고 있습니다.


또, 나에 대해서도, 나의 남동생에 대해서도, 중학생이 될 때까지는(초등 학생때까지는), 애완동물(애완동물) 취급인 것에 대해, 그 후도, 물질적이게는 응석을 받아 줄 수 있는 계속했습니다만(솔직하게 말하고, 나와 남동생이, 각각, 어릴 적부터 고교생의 무렵, 나의 부모님은, 아이를( 나와 나의 남동생을), 매우 응석을 받아 주고 있던 일은, 부정 할 수 없습니다), 중학생 이후는, 갑자기, 어른의 남성으로서 급나름이 되어 ?`오.





나는, 고교시절( 나의 고교생활은), 상쾌한 면도, 어느A 일은 있었습니다만, 소박하고, 상쾌한 청춘이라고 말하는 것보다는, 어느 쪽일까하고 말하면, (당시 , 당시의 나와 같은 정도, 정도가 낮았던 w, 친구들과 함께), club(nightclub) 등으로, 자주(잘), 밤놀이하거나( 나는, 보통, 남녀공학의 고교에 다니고 있고, 학교내의, 여자 아이들과도, 사이좋게 지내고 있었습니다만), 자주(잘), 다른 고교에 다니는, 여자 아이들등과 미팅(친구나 알게 되어 등의 소개에 의한, 남녀가, 알게 되기 때문에(위해)의, 선술집등으로의, 회식이나 식사회.일본에서는, 대학생등의 학생위의 연령(18세 정도)으로부터 20 대위의 연령의 젊은이의 사이로, 활발히 행해지고 있다) 하거나 하고, 또, 여기에서는 쓸 수 없는 듯한 것을 하거나 하고(사람을 상처 입히는 일이 아닙니다), 어느 쪽일까하고 말하면, 도시의, 난폭한(솔직하게 말해 버리면, 상쾌라고 말하는 것보다도, 어느 쪽일까하고 말하면, 추잡하고, 타락 하고, 바보 같다(바보와 같은)) 고교생활을 보내고 있었던 w(뭐, 그것은, 그래서, 즐거웠다).



덧붙여서, 나도, 당시 , 나와 함께 놀고 있던, 나쁜 친구들(친구들)도, 학교의 선생님의 앞에서는, 우등생으로(솔직하고, 예의진`우 깐다, 일반적으로는, 학교내에 있어서는, 학교의 규칙을, 제대로 지키는 학생으로), 부모의 앞에서도, 일반적으로는, 반항기라고 말하는 것은, 존재하지 않는 정도, 좋은 아이(좋은, 아이)였습니다 w  또, 나에게는 2세 연하의 남동생이 있습니다만, 나의 남동생은, 나에 비하면, 꽤 성실했습니다.



나의 부모는, 자유방임 주의적인 면이 있어, 나의 어머니는, 내가, 중학생·고교생 시대, 밤놀이를 할 때에, 친구의 집에 묵어 오는 등이라고 말하면, 깊게 잔소리해 , 어머니 자체가, 체라체라 하고 있는 면이 있어, 사내 아이는, 있다 정도, 노는 것이 좋은·응석 하는 것이 좋은 정도에, 생각한 마디가 있어 w, 그렇게 말하는 의미에서는, 있다 의미, 하기 쉬웠습니다 w( 나는, 놀기 쉬웠습니다 w).






「 나의 어머니에 대해 전편」에서도 썼습니다만, 나의 외가의 조모는, 결혼하고 나서 돌아가실 때까지, 아르바이트를 포함하고, 일절의 일을 한 일이 없는 주부였고, 나의 어머니도, 결혼하고 나서는, 아르바이트를 포함하고, 일절의 일을 한 일이 없는 주부입니다.


나의 어머니는, (뭐, 나는, 어머니의 일을, 슈퍼 주부라고 부르고 있습니다만 w), 나의 어머니는, 어릴 적부터, 운동신경이 좋은( 나의 어머니는, 초등학교·중학교·고등학교와 체육의 성적은 항상 좋았다 님입니다)라고 하는 것이 관계하고 있는지 하고 있지 않는 것인지 모릅니다만, 요리를 포함하고, 하나, 하나의 작업이 정중한 (뜻)이유에서는 형태 `·오라고 없습니다만, 옛부터(내가 어릴 적부터), 가사의 솜씨가, 매우 좋고, 가사를 해내는, 스피드(속도)가, 매우 빠릅니다.뭐, 나의 어머니의, (하나, 하나의 작업이 정중한 것은 아니지만), 가사의 솜씨가, 매우 좋고, 가사를 해내는, 스피드(속도)가, 매우 빠르다고 하는 것은, 나의 어머니의, 가사를 가능한 한 단시간에 끝마쳐 자신이 자유롭게 되는 시간, 자신이 놀 수 있는 시간을, 조금이라도, 보다 많이 확보하고 싶다고 하는, 욕망·기분이, 옛부터, 그렇게 시켜 왔을지도 모릅니다.


덧붙여서, 나의 어머니는, 조금, 푸드득푸드득 하고, 덜렁이의 면도 있어, 나와 나의 남동생이, 아이(초등 학생)의 무렵, 나와 나의 남동생의, 각각의, 친한 친구를, 수명씩을 부르고, 집( 나의 친가)에서, 크리스마스 파티를 열었을 때에, 자 케이크야라고 말하고, 큰 케이크( 나의 어머니가 만든 케이크는 아니고 주문한 케이크입니다만 w)를, 테이블에 옮겨 올 때에, 나의 어머니는, 무언가에 채이고(무엇인가 잊은), 이끼라고, 케이크를 역상에 마루에 떨어뜨리고, 엉망으로 해 버렸다(물론, 그 때, 나도, 나의 남동생도, 각각의 친구들도, 일순간, 굳어져, 열린 구가 차지 않았습니다 w)같은 일도 있어요.



나의 어머니는, ( 나의 어머니가 보면) 가사에 관해서 서투른 나와 나의 남동생에게, 가사를 수전와 오히려, 거치적 거림이 되어 가사의 스피드가 늦어지기 때문에 수전나 싶지는 않다고 한 느낌으로, 나의 어머니는, 기본적으로, 일상적인 가사는, 나와 나의 남동생에게, 별로 돕게 하지 않았습니다.



그 대신해, 집안등의 육체 노동은, 나와 나의 남동생이, 각각, 중학생 이후는, 일부러(고의)에 용무를 찾아내서까지, 가능한 한, 나와 나의 남동생에게 돕게 하게 되었습니다.그리고, 돕게 한 다음은, 거의 반드시, 「과연은, 남자, 의지가 된다!」라고「과연은, 남자!」등과 함부로 「남자」를 강조해 칭찬했던 w


나의 남동생은, 나보다 2세 연하이므로, 당연, 제 쪽이, 빨리, 중학생이 되었습니다만, 내가, 집의 육체 노동을 돕고 있는 것을 보고, 초등 학생의 남동생이, 「나도 돕는다」라고 하면, 나의 어머니는, 반드시, 「00방은, 아직 아이이니까 타목」이라고 일단은, 거절했습니다.그래서, 남동생은, 「나는, 아이가 아니기 때문에, 돕는다」라고 한 느낌의 일을 말하고, 않고 와 나의 어머니는, ( 아직 초등 학생의) 남동생에게 부담이 되지 않는 정도로 돕게 해 나와 같게, 포째라고, 답례를 했습니다.


나의 어머니는, 나의 어머니 나름대로, 보수적인 생각에 근거하고, 사내 아이는, 여성을 돕는, 강력하고, 상냥한 남성에게 기르지 않으면 안 된다고 하는, 보수적인 교육 방침이 있었을지도 모릅니다.




나의 어머니는, 미하-로, 미인만 탐하는 사람의(핸섬한 남성을 좋아하는), 여성이었습니다.또, 나의 어머니는, 사랑에 눈먼 부모였습니다 w 나의 어머니는, 자신의 아들( 나와 나의 남동생.특히 나w)의 일을, 핸섬이라고 평가하고 있었습니다.


나의 어머니가, 내가 사춘기의 무렵에, 나에게, 잘 말한 말(또, 나의 남동생에게도, 나의 남동생이, 사춘기의 무렵에, 가끔, 말한 말)로, 인상에 남아 있는 말로, 아마 내면이나 마음가짐등에 관해서 말하고 있었다라고 생각합니다만, 「미남자(또는, 핸섬.어느 쪽인지 잊었다.뭐, 양쪽 모두 말했다고 생각합니다)는, 여성(또는, 여성들.아마 양쪽 모두 말했다고 생각합니다)의 미남자에 대한 기대에 응할 의무가 있다」라고 하는 말이 있어요 w


또, 나의 어머니는, 나와 나의 남동생이, 사춘기의 무렵에, 나와 나의 남동생에 대해서, 「미남자(또는, 핸섬)로 태어난 것은, 우연히 운이 좋았던 것 뿐으로, 뜻대로 되어 우쭐대어 안 된다」라고, 「운이 양구미남자(또는, 핸섬)로 태어난 이상, 상응하는 사회적인 책임을 지지 않으면 안 된다」라고 한 느낌의 말도 말했던 w 웃어 버리는 말입니다만 w, 어머니는, 생각보다는 성실한 기분으로 아들들에게 타이르고 있는 느낌이었습니다.

이하, 참고 투고.

처음으로 산 CD(일본어)→
/jp/board/exc_board_8/view/id/2506425/page/3?&sfl=membername&stx=jlemon

처음으로 산 CD(한국어)→
/kr/board/exc_board_8/view/id/2506425/page/3?&sfl=membername&stx=jlemon






이하, 조금, 나의 아버지에 관한 문장은, 기본적으로 「 나의 어머니에 대해 전편」의 반복입니다.


나의 아버지는, 내가 어릴 적·젊은 무렵은, 전형적인, 사업인 사이·회사 인간이라고 한 느낌으로, 평일은, 주 1일부터 3일 정도, 일을 끝낸 후, 집에 빨리 돌아가는 날이 있었습니다만(덧붙여서, 그러한 날은, 대부분, 아버지는 어머니와 함께 목욕했던 w ), 그 이외는, 거의 심야에 귀가하고 있었습니다만 (덧붙여서, 나의 어머니는, 남편이 일로 귀가가 늦은 날에는, 기다리지 않고 , 빨리 자 버리는 타입의 아내였습니다.또, 「 나의 어머니에 대해 전편」으로 쓴 대로, 나의 어머니는, 일찌기, 남편( 나의 아버지)이 있는데도 관련되지 않고, 은밀하게, 복수의 남성과 데이트를 즐기는 행위를 하고 있었습니다만, 그러한 행위는, 아버지가 사업인 사이·회사 인간이었기 때문에 하기 쉬웠다고 말하는 면이 있다라고 생각하는 w), 토, 일·축일이나 휴가 시기는, 아이( 나 및 남동생)가 부모 떨어져 할 때까지는, 가족과 보내는 시간을 소중히 해, 아이가 부모 떨어져를 하고 나서는, 어머니와 부부 둘이서, 언제나, 놀러 나와 걸치게 되었습니다.


나의 아버지는, 내가 어릴 적·젊은 무렵은, 전형적인, 사업인 사이·회사 인간이라고 한 느낌으로, 토, 일·축일이나 휴가 시기에, 아이( 나 및 남동생)를 적극적으로 놀아에 데려가거나·아이( 나 및 남동생)와 적극적으로 놀거나 하고, 아이( 나 및 남동생)의 추억 만들기에는, 가능한 한 협력하지만, 아이( 나 및 남동생)의 교육에 관해서는, 「너( 나의 어머니)에게, 모두, 맡긴다」라고 한 느낌으로, 아이( 나 및 남동생)의 교육에 관해서는, 아내인 나의 어머니에게 모두 맡기고, 자신은( 나의 아버지는), 아이( 나 및 남동생)의 교육에 관해서, 모두, 관여하는 일은 없습니다?`나 했다.



그리고, 나의 아버지에게, 아이( 나 및 남동생)의 교육의 모두를 맡은, 나의 어머니는, 어땠어요 의 것인지라고 말하면...나의 어머니는, 아이에 대해서, 공부하라고, 모두, 말하지 않는 타입의 부모였습니다.


상술한 대로, 솔직하게 말하고, 나와 남동생이, 각각, 어릴 적부터 고교생의 무렵, 나의 부모님은, 아이를( 나와 나의 남동생을), 매우 응석을 받아 주고 있던 일은, 부정 할 수 없습니다.나의 부모님은, 아이( 나와 나의 남동생)에게, 공부의 방해가 되는 유혹이 되는 것을, 자꾸자꾸 사 주는 한편으로, 나의 어머니는, 너무나, 아이( 나와 나의 남동생)에 대해서, 공부하라고 말하지 않는 것이니까, 나는, 오히려, 공부에 관해서, 이것으로 좋은 것인지와 불안하게 되어, 공부에 관해서, 스스로, 어떻게든 해야 한다고 생각하게 되었습니다.그리고, 나의, 공부에 관해서, 자기 자신으로, 어떻게든 해야 한다고 생각하는 기분·자세는, (아마), 나의 남동생에게도, 영향을 주었습니다.


또, 나의 어머니는, 옛부터(본인이 젊은 무렵부터·내가 어릴 적부터), 체라체라 하고 있고, 아무것도 생각하지 않고(적어도 일견 아무것도 생각하지 않은 듯한 느낌으로) 아무것도 생각하지 말고 욕망대로 힘차게 달려 버리는 면이 있다 여성으로, 나와 나의 남동생은, 오히려, 자신들이, 제대로 하고, 나의 어머니를, 지지하지 않으면 안 되는·도와 울면 안 되는 정도의 기분이 있었던 w 뭐, 나의 어머니는, 아무것도 생각하지 않는 것 같고, 실은, 강한 사람으로, 나와 나의 남동생의 도움등 없어도, 완전히, 괜찮은 것 같은 생각도 듭니다만 w


나의 어머니는, 아이( 나와 나의 남동생)가, 학교의 공부로, 나쁜 성적을 취해 왔을 때에는, 싱글벙글 하면서, 「또, 이번에 , 노력하면 되지 않아」라고 한 느낌의 일을 말해, 모두, 신경쓰고 있지 않았습니다.또, 나의 어머니는, 아이( 나와 나의 남동생)가, 학교의 공부로, 좋은 성적을 취해 왔을 때에는, 이것이라도일까하고 하는 정도에, 과장하여 칭찬했던 w(아마, 고의로, 과장하여, 칭찬하고 있었던 것이라고 생각합니다).나도, 나의 남동생도, 그것은, 칭찬할 수 있으면, 기쁜 것이니까, 그것이, 공부의 격려가 되기도 했습니다.


나는, 고등학교때, 물리의 테스트로 낙제점을 얻어 어머니와 함께 학교에 불러내진 일이 있다의입니다만, 어머니는, 싱글벙글 하면서, 「재미있을 것 같다.가끔씩은, 그렇게 말하는 것도, 좋지 않아」라고 한 느낌의 반응으로, 나의 고등학교의 선생님이 무슨 말을 해도, 싱글벙글 하면서, 「우리 아들은, 괜찮아 (이)라고 생각합니다」의, 시종일관이었습니다 w





우리 집의 부근의 나의 친가의 부모님은, 두 명모두, 고령자가 된, 지금도, 부부, 매우 사이가 좋고, 빈번히, 둘이서 놀러 나와 걸고 있습니다.나의 아버지는, 회사원입니다만, 현재, 반, 정년퇴직 상태로, 나의 부모님은, 연령적으로는 고령자중에서 젊은 연령입니다만, 부부로, 자주(잘) 두 명 공통의 취미의 골프하러 가고( 부모님은, 아직도, 부부로, 스키에도 갑니다), 부부로, 해외를 포함한, 장기 여행도, 잘 있어, 나의 아버지는, 일과 놀이를, 매우, 건강하게 계속 즐기고 있습니다.나는, 부모님의(뭐, 나의 어머니는, 나의 아버지와 결혼하고 나서, 쭉 주부입니다만...), 건강과 파워가(힘이), 부러운 정도입니다 w









바로 아래의 동영상은, 덤으로, 한국 분은, 일본어를 알 수 있는 분 이외는, 무슨 말을 하고 있는지, 몰라서, 죄송합니다만, 일본의, TV프로에서, 타모리(tamori)(아래의 보충 설명 참조)(동영상으로, 몸집이 작고, 선글래스(sunglasses)를 걸치고 있는 남성)의, 심야 TV프로보다...이 프로그램은, 수수한, TV프로입니다만, 심야 TV프로로서 안정된, 긴 인기를 자랑하는, TV프로에서, 1982년부터, 약 36년간, 계속 되고 있는, TV프로입니다.이 회로는, 미우라 쥰(miura jyun)(아래의 보충 설명 참조.동영상으로, 장발의 남성)이 출연해, 고무로 만든, 장난감(toy)의 뱀에 대해 해설하고 있습니다(관련하는, 다른, 낡은(그립다), 장난감(toy)도, 소개하고 있습니다).고무로 만든, 장난감(toy)의 뱀은, 일본에서, 아마, 1950년대무렵부터 1970년대경에 걸치고, 사내 아이보조자 전용의, 장난감(toy)으로서 인기가 있었습니다(아마, 인기의, 절정기는, 1960년대).일본에서는, 고무로 만든, 장난감(toy)의 뱀은, 그 다음은, 차례차례로 등장하는, 새로운, 장난감(toy)에 밀리고, 인기가 쇠퇴해 가, 현재는, 완전하게, 마이너(소수파의), 어린이용의, 장난감(toy)이 되고 있습니다.미우라 쥰(miura jyun)는, 다취미로(매우 취미가 많아), 님 들인 물건의, 컬렉터(collector)로서 유명합니다만, 고무로 만든, 장난감(toy)의 뱀의, 컬렉터(collector)가 되고 있습니다.덧붙여서, 내가, 어릴 적은, 이미, 고무로 만든, 장난감(toy)의 뱀의 인기는, 쇠퇴기에 들어가 있었습니다만, 가까스로, 아직, 있다 정도의 인기는 남아 있었다고 한 느낌으로, 나는, 어릴 적부터, 어릴 적, 부모에게 사 받은, 고무로 만든, 장난감(toy)의 뱀을 가지고 있었습니다.
타모리(tamori):1945 년생.현재 72세.1970년 후반무렵부터 활약하고 있는, 일본의, 코메디언(comedian)·코메디언.일본의, 중진(그 업계의, 제일인자로서 강한 영향력을 가지는 인물)의, 코메디언(comedian)·코메디언의 한 명.님 들인 분야에 있고, 넓은 지식을 가지는, 지식인이기도 하다.
미우라 쥰(miura jyun):미우라 쥰(miura jyun)은, 예명(stage name).1958 년생.현재 59세.매우, 취미가 많아, 님 들인 분야에 도착하고, 매우, 넓은 지식을 가지는 일에 가세하고, 발언이나 이야기가, 평범한, 코메디언(comedian)·코메디언보다, 훨씬 더(쭉), 재미있는 일로부터, 1980년대 후반무렵부터 활약하고 있는, 일본의, 탤런트(텔레비전에 출연하는 일등을 직업으로 하는 사람).개성적인 취미가 많아, 그러한, 자신의, 취미를, 추구해서 가면(자유 멋대로, 마음껏 즐기고 있으면), 그것이, 그대로 살려지고, 자신의 직업에 연결되어 버린 님사람입니다.




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동영상은, you tube로부터 빌려 온 것.조금 낡은 동영상입니다만, 2009년경.타모리(tamori)(동영상으로, 몸집이 작고, 선글래스(sunglasses)를 걸치고 있는 남성), 미우라 쥰(miura jyun)(동영상으로, 장발의 남성) 이외로 출연하고 있는 남성은, 이타오창로(itao itsuji)(1963 년생.1990년대 초 무렵부터 활약하고 있는, 일본의, 코메디언(comedian)·코메디언), 또, 출연하고 있는, 여성은, YOU입니다.YOU(1964년.도쿄 태생.YOU는, 예명(stage name))는, 1980년대 후기부터 활약하고 있는, 일본의, 여성, 가수·작사가·탤런트(텔레비전에 출연하는 일등을 직업으로 하는 사람)입니다.YOU는, 원래, FAIRCHILD라고 말하는, 1980년대 후기부터 1990년대 초 무렵에 활약하고 있던, 일본의, 남녀 혼성의 것(여자, 한 명, 남자, 두 명)한, J-pop rock band의, 멤버(member)의 한 사람으로 있어, FAIRCHILD에서는, 보컬(lead vocals)와 작사를 담당하고 있었습니다만, 회화·발언이, 재미있는 일로부터(평범한, 여성, 코메디언(comedian)보다, 재미있다), 젊은 무렵부터, 음악 활동과 병행하고, 탤런트(텔레비전에 출연하는 일등을 직업으로 하는 사람)로서도, 활약하고 있어, FAIRCHILD가, 1993년에 해산한 이후는, 주로, 탤런트(텔레비전에 출연하는 일등을 직업으로 하는 사람)로서 활약하고 있습니다.
 
덧붙여서, 나의 어머니는, YOU보다, 훨씬 더(쭉), 연상의 세대입니다만, 특히, 지금보다, 젊은 무렵은, 연령보다, 꽤 젊게 보인 일도 있고, 지금보다, 젊은 무렵, 외모가, (늙고 나서의 w) YOU를 닮아 있다고 말해지고 있던 일이 있어요 w(위의 동영상은, 늙고 나서의, YOU로(YOU는, 당시 , 44세부터 45세), 위의 동영상의 시기는, 나의 어머니가, YOU를 닮아 있다고 말해지고 있었던 시기에 해당하는 w). 덧붙여서, 나는, 얼굴은, 어머니보다, 아버지를 닮아 있습니다.

덧붙여서, 나는, 비교적, 많아, 음식을 먹는 분입니다만(그렇게 말해도, 표준보다, 약간(그저, 약간), 많이 먹는 정도입니다), 다행스럽게?, (비교적, 많이) 먹어도, 살찌지 않는 체질(야위고 있는 체질)입니다만, 그러한, 나의 체질은, 나의 어머니를 닮았습니다.나의 어머니도, 옛부터, 비교적, 많이 먹는데, 야위고 있어 지금도, (연령에 비해), 비교적, 많이, 음식을 먹습니다만, 야위고 있습니다.


덧붙여서, 미우라 쥰(miura jyun)는, 나보다, 매우, 연상의 사람입니다만( 나보다, 오히려, 나의 부모의 연령에, 상대적으로, 꽤 가까운 사람입니다만), 자세하지 않기 때문에 잘못되어 있으면 죄송합니다만, 미우라 쥰(miura jyun)도, 나와 같이, 아이·중학생·고교생의 무렵, 부모에게, 매우 응석부리고, 자란 님입니다만, 미우라 쥰(miura jyun)가, 나와 달리, 객관적으로 보고, 인생으로 성공한 것은, 뭐, 나의 재능이 없다고 하는 것이 크다고 생각합니다만 w, 미우라 쥰(miura jyun)가, 부모에게 응석부리며 자라고, 에너지(힘)가, 안쪽(자신의 취미)에 향한 것에 대해, 나의 경우, 부모에게 응석부리며 자라고, 에너지(힘)가, 외측(고교생으로부터 대학생에게 걸치고, 여자 아이와 노는 일)에 향해 버렸기 때문에일지도 모릅니다 w




이하, 참고의 투고입니다.

나의 남동생에 대해(일본어)→
/jp/board/exc_board_8/view/id/2542677?&sfl=membername&stx=jlemon

나의 남동생에 대해(한국어)→
/kr/board/exc_board_8/view/id/2542677?&sfl=membername&stx=jlemon











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