伝統文化

韓国人女性の著書の紹介です 

 

◆「反日」を捨てる韓国 呉 善花(著)

◆「80パーセント以上の語彙を失った」

戦後の韓国で漢字が廃止されたことによって引き起こされた弊害のなかでも、もっとも大きなものは、日常的にあまり使われない漢語、しかし非常に重要な語彙が、事実上一般の韓国人のあいだからしだいに失われていったことである。とくに高い精神性と抽象的な事物に関する語彙の大部分が、多くの人々にとって縁遠いものとなっていった。

たとえば「日帝問題」となると、韓国人はインテリだろうと庶民だろうときまって感情論となり、世界的な水準から歴史をみつめた冷静な議論になることがまずない。それは通常、反日教育や固陋な小中華主義のせいだとされてきた。しかし、そればかりではない。そもそも現代韓国は、漢字を廃止したため、世界を論ずるにふさわしい抽象度をもって議論を展開するための言語的なべースが、ほとんど崩壊状態にあるのである。

韓国がそうした悲惨な状況に陥っていることを率直に認める韓国人もけっして少なくない。たとえば、東方研究会会長の金暦顯氏は次のようにいう。

「……戦後国粋主義者たちによって漢字が学校教育から疎外された結果、意味もわからないままに言葉を使い、80パーセント以上の語彙を失い、現在では世界最低の読書率を記録するにいたってしまった。一朝のうちに国民全体が読み書きのできない最低の状態に陥ったことを痛歎しないではいられない」(『ハングル十漢字文化』一九九九年八月創刊号)

80パーセント以上失われたという語彙の大部分が、日常的にはあまり使われないものだ。しかし世界を論じたり高度な思考を展開したりするにはなくてはならない概念語、抽象語、専門語など「漢語高級語彙」の一群なのである。どれほど思考の広がりや奥行きが阻害されているかがわかろうというものだ。そのため、一般に知的な関心は低く、国民一人あたり年問平均読書量も世界一低いといわれるような惨憎たる知的荒廃が生み出されている。「国民全体が読み書きのできない最低の状態に陥った」というのは、けっして大げさな表現だとばかりはいえないのである。

 

 

◆表音文字の限界

韓国がこれほど見るも無残な状態に陥っているにもかかわらず、ハングル専用主義者たちはあくまで漢字は廃止すべきだと主張しつづけている。一方、日本人ならば、漢字廃止が国民の精神生活にどれだけ大きな影響をおよぼすかは、話すまでもないことだろうと思っていたが、どうもそうではないらしいということを、最近体験した。

社会科学系の日本の大学生、大学院生、韓国や中国からの留学生たち十数名が集まった場で韓国の漢字廃止問題をテーマに話をしたときのことである。私は漢字廃止による弊害について事例を挙げながら紹介し、最後に、そのために韓国人の思考水準がかなり低下しており、日韓の過去の歴史についての議論がまともにできない理由の一つもそこにある、といった話をした。

私が話し終えると、言語学を専門としているという日本の大学院生が次のような意見を述べたのである。

「あなたの話はまったく学問的ではない。言語は音声だけですべてを表わすことが可能なものだから、漢字をなくしたからといって何ら思考に影響を与えるものではない。子どもは文字を知らなくとも耳で聞いて言葉を覚えていく。そのことからも、表意文字が人間にとって必要なものではないことがわかる」

韓国のハングル主義者とそっくりの主張だったことに驚いたが、彼の頭のなかに光り輝いているのはおそらく、近代言語学の根本的なテーゼなのである。

近代一言語学によれば、言語体系は概念差異の系列と、それに関連する音声差異の系列である。そしてこの二つの関連する系から、一部の概念(意味されるもの)と一部の音声記号(意味するもの)の組み合わせが分離したものが言語である、ということになる。彼が「言語は音声だけですべてを表わすことが可能なものだ」というのは、そういう意味からのことだと思う。

しかし私の話は、そんな言語学理論のレベルにかかわるものではまったくない。私がいっていることは結局のところ、表音文字は音声で弁別できる以上の情報を表わすことができない、ということである。つまり表音文字は、聴覚情報をたんに視覚情報に変換した記号にすぎない。そして、人間の耳による情報処理能力に対して、目による情報処理能力は比較にならないほど大きなものだ。そういう論旨を受けとってほしかった。

中国人、日本人、かつての韓国人は、視覚の情報処理能力を充分に発揮することによって、音声で弁別できる以上の情報を表わすことが可能な、漢字という表意文字を用いて言語生活を送ってきたのである。別ないい方をすれば、視覚による弁別の助けを借りた言語生活を歴史的に展開してきたのである。

にもかかわらず、そうして使われてきた言葉の大群のすべてを音声記号だけで表わそうとすれば、実際的に処理しきれない膨大な情報がこぼれ落ちてしまう。その弊害はあまりにも大きく、そのために思考が阻害されることになるのは当然のことなのだ。私はそういうことをいっているのである。

韓国のハングル専用主義者たちもまた、この大学院生と同じようなことをいっている。ハングルはアルファベットよりも多くの音声を表記することができる、だから世界一優秀な表音文字なのだ、表意文字としての漢字の必要性はまったくないのだと。

にもかかわらず、なぜ歴史的な語彙の80パーセント以上を失うことになったのか。彼らの言語=音声記号理論からは失う理由が見えず、同音異義語で困るといっても「言語は音声だけですべて表わすことが可能」なのだから、いくらでもつくれることになる。

ところが、現実に言葉を用いて生きている人々のほうでは、視覚の助けを借りられないために多くの言葉を失っていくし、そんなに膨大な新語創作など現実にはできるわけもない。これほど当然のことが、なぜかこの学者の卵やハングル専用主義者たちには共通に理解できない。実際的な言語生活の現場から学ぼうとしないからだというしかないだろう。

◆漢字訓読みの「効用」

なんとしても韓国には漢字教育が復活しなくてはならない。しかし、日本語を勉強するなかで本格的な漢字の知識を身につけてきた私の体験からすると、たんなる漢字復活だけでは、けっして韓国人の思考のあり方に革命的な変化がもたらされることはないと思える。

なぜ、そういうことがいえるのか。日本語を覚えはじめて間もないころ、一つの漢字にたくさんの読みがあることで、かなり頭のなかが混乱した。韓国では「生」という漢字は「セン」という音で表わすだけである。つまり日本式にいえば一つの漢字には一つの音読みしかない。「しかない」というよりも、一個の文字に対して複数の音が対応する(読みがある)日本のほうが尋常ではない。

「生」ならば、まず音読みとして「セイ」と「ショウ」の二つがある。さらに訓読みとして「いきる」「うむ」「はえる」「おう」「き」「なま」「うぶ」などがあり、人名や地名となるとそれ以外に意味不明なさまざまな音が充てられるのだからたいへんだ。なんでわざわざ漢字に充てるのか、全部平仮名で表記すれば簡単なのに……と思ってウンザリしたものである。

しかし、それだけで驚いてはいけなかった。同じ音をもつ言葉が、それぞれ意味の異なる多数の漢字の訓読みに充てられているのである。これにも困った。「顔に墨が付く」という用例で「付く」を教わると、こんどは別のところで「あなたの家に着く」という「着く」が出てくる。また「仕事に就く」とか「胸を突く」などが出てくる。こうなると、「つく」という言葉の正体がまことに不明瞭になってくる。そこで辞書を引いてみると仰天するのである。

<この下のハングル翻訳がどうなるのか?????>

「付く、着く、就く、即く」「吐く」「尽く、掲く」「突く、衝く、撞く」「揚く、春ぐ」「漬く」「築く」などがズラッと並んでいて、辞書に載っている以外にも「つく」の読みをもつ漢字はたくさんあるらしい。混乱はいっそう深まり、「つく」とはいったいどういう言葉なのか、まったくわからなくなってくる。

韓国語では「付く」を「ブッタ」というが、他の「つく」はほとんど別の言葉で表わされるから、「つく=ブッタ」と覚えるばかりでは日本語の「つく」という言葉の意味を知ったことにはならないのである。

<書いてあることが理解できたかな?・・・・・・・・・・・・・・・>

そんな具合に、漢字と訓読みの関係ではたいへんな苦労をしたのだが、いまでも十分に読み分け、書き分けができているとはいえない。しかし、このややこしい訓読みがある程度こなせるようになってくると、自分でも驚くほど漢字の知識と日本語の力が身についてくるのである。あとに詳しく述べるが、それは訓読みを通すことによって、漢語が和語(固有語)としっかり結びついたかたちで頭に刻み込まれていくからである。

この漢字訓読みの「効用」を身にしみて感じてきたことからいうと、韓国で漢字教育が復活したとしても、とうてい日本人ほど自由自在に漢語を操って思考を展開することはできないと思わざるをえない。韓国には漢字の訓読みがなく、あくまで音読みされるだけだから、いくらたくさんの漢字を覚えたとしても、日本人のように身近な固有文化の手触りをもって確実に「自分のものとなる」ことは、とても期待できることではないのである。

たとえば、「むげんほうよう」という言葉を知らなくとも、漢字で「夢幻泡影」と書」けば、日本人ならば「ゆめ・まぼろし・あわ・かげ」という訓読みが反射的に重なるから、その意味は一目瞭然、「人生のはかないたとえ」といった言葉であることがすぐにピンとくる。韓国の場合はそうはいかない。夢・幻・泡・影という一つ一つの漢字の意味を記憶のなかからとり出さなくてはならない。

それはたとえば、英語の単語の並びをみて、頭のなかの単語帳から意味を探し出すのとほとんど同じことなのだ。ようするに国語を学ぶというよりは、外国語を身につけるのと同じように学んでいかなくてはならないのである。

そのため、どうしても国民のあいだに国語力の大きな格差が生じることになってしまう。よほどの力のある者を別にして、一般の韓国人が一般の日本人並みの漢字・漢語の理解力を獲得するには、最初から決定的な限界があるといわざるをえないのである。(P110~P119)

◆世界一読書率の低い国民

<日本の小説が今韓国で流行っているよ>

自民族優越主義的な主張は論外として、漢字復活論者とハングル専用論者に共通しているのは、言語伝達の機能的な側面の利便さの議論に終始していることである。残念ながら、いまだ思考や発想のあり方にまでつっこんだ本格的な議論がなされるにはいたっていない。

私の考えでは、漢字排斥がもたらした最大の弊害は、韓国語では日本語と同じように概念語や専門用語の大部分が漢字語であるのに、漢字の知識(および漢字映像の助けに拠ってそれらの言葉を駆使することができなくなったところにある。そのため韓国人は、抽象度の高い思考を苦手とするようになってしまった、というのが私の考えである。


なぜそうなるかというと、「そんざい(存在)」「まなぶ(学ぶ)」「たいさく(対策)」は一般に使われる言葉だからわかるが、「しこう(至高)」「けんじん(賢人)」「すいぽう(水防)」となると、日常的にはまず使われない言葉であるため、とくに知識として学ばないかぎり知ることがないからである。

これらはみな日本では漢字で書かれるから、初歩的な漢字の知識があれば、いちいち言葉の意味を教えられなくてもおよその意味をつかんで文章を読み進めていくことができる。そして、そうしているうちに自然に正確な概念としての意味をつかんでいく。

こうして、ややこしい概念語を理解していく体験は非常に重要なことである。最近の日本では、難しい漢字の概念語をなるべく使わずに、できるだけやさしいいい方に変えていこうとする傾向が強いが、それはぜひともやめていただきたい。そんなことを続けていれば、韓国のように、じつに貧弱な概念の持ち合わせしかない者たちが大量に輩出することになってしまうことはあきらかだ。

先にも述べたように、韓国語の語彙の約七〇パーセントが漢字語である。この膨大な漢字語をいちいち固有語でいい換えたり、新しい言葉をつくったりして定着させていくことは、事実上不可能である。そのため、書き言葉としては右の例に挙げたようを言葉でもかなり頻繁に使われることになる。

するとどういうことになるかというと、新聞や雑誌や書物のなかに、意味不明の言葉がたくさん出てくることになる。ハングル専用世代はしかたなくそこを読み飛ばす。そのため、じつにいいかげんな読み方しかできていないのが実情である。

当然ながら、韓国にいた時分の私もそうしていた。恐ろしいのは、意味不明の言葉を読み飛ばすことが習慣となること、そして自分の知らない漢字語がちょくちょく出てくるような書物や雑誌を読まなくなってしまうことである。たとえば、政治・経済を専攻しなかった者には、時事評論雑誌などを読むのはとてもつらいことになる。私は韓国の大学では臨床病理学を専攻していたから、まずそうした雑誌には食指が動かなかった。

そうなるとこれもまた当然ながら、ジャーナリズムのほうも読者に合わせて語彙を選択するようになり、その悪循環から、概念語や専門語にきわめて乏しいまことに通俗的な丈章ばかりが社会に蔓延していくのである。

最近、漢字復活論者たちの論考をよく目にするようになって、彼らが韓国ではもっとも良質の教養と見識を身につけた理性的な知識人たちであることがよくわかった。こういう人たちも韓国でしっかり生きていたことを知ったのは、私には大きな救いだった。一部には自民族優越主義があるのだが、ハングル民族主義者のようにファナティックなものではない。

しかし、彼らがいっているように、韓国人はハングル尊用のおかげで「世界;読書率の低い国民」となってしまっている。

そしてそのことは、韓国人の知的レベルの低下をもたらしている。韓国人は教育熱心で知的レベルの高い人たちだといわれることがよくあるが、それはまったくあたっていない。私は日本に来てからも韓国で出版される書物や雑誌の文章をことあるごとに読んできているが、そのほとんどが「地に足がついていない」ものばかりだというしかない。それらの典型は、叙述は現実から遊離して具体性に乏しく、主張はあきらかに何かの共同幻想に酔っていることを感じさせる、といったものだ。

また私の世代以降のハングル世代の者たちと話していると、上の世代のほうによりいっそう高い教養と深い見識の持ち主がいると感じざるをえない。そして、日本人と話していればいるほど、韓国人のものの考え方がいかに単純かつ浅いものかと思い知らされる。とくに若者であるほどそうなのだ。

テレビ番組の多くは日本の真似で、日本で売れ筋のものはすぐにそのまま横流しのようにとり入れる。独自に番組を創作する力が育っていないのだ。戦後韓国の知的荒廃は、消費社会化の波とともにいっそう拍車がかかっている。

戦後韓国が歩んできた漢字廃止・ハングル専用の歴史は、そのこととまったく無縁ではない。私は日本を知り、日本語を知り、日本語の漢字の受け入れ方を知って、そのことをはっきり確認できたように思う。(P100~P104)

 

この文章正確には、ハングルで表す事は難しいでしょうね ハングルの欠点である、同音異義語を書いてあるので 違う漢字が並んでいても、訳すと同じハングルが並んでいる事になるのでしょうね。

言語は高々100年ほどで、仕上がる物ではないです、世界で100年ほどの歴史しか無い言語はハングルだけですね、意図されて創られたのもハングルだけ

他の言語は数百年かかって出来上がった、自然派生的なものが大部分です。


「반일」을 버리는 한국오선화

한국인 여성의 저서의 소개입니다 

 

◆「반일」을 버리는 한국오선화(저)

◆「80퍼센트 이상의 어휘를 잃었다」

전후의 한국에서 한자가 폐지된 것에 의해서 일으켜진 폐해중에서도, 가장 큰 것은, 일상적으로 별로 사용되지 않는 한문어, 그러나 매우 중요한 어휘가, 사실상 일반의 한국인의 사이부터 차츰 없어져 간 것이다.특히 높은 정신성과 추상적인 사물에 관한 어휘의 대부분이, 많은 사람들에게 있어서 인연이 먼 것이 되어 갔다.

예를 들어 「일제 문제」가 되면, 한국인은 인텔리일거라고 서민일거라고 반드시 감정론이 되어, 세계적인 수준으로부터 역사를 응시한 냉정한 논의가 되는 것이 우선 없다.그것은 통상, 반일 교육이나 고누인 코나카화주의의 탓이라고 되어 왔다.그러나, 그것 뿐만이 아니다.원래 현대 한국은, 한자를 폐지했기 때문에, 세계를 논하기에 어울린 추상도를 가지고 논의를 전개하기 위한 언어적 냄비 스가, 거의 붕괴 상태에 있는 것이다.

한국이 그러한 비참한 상황에 빠져 있는 것을 솔직하게 인정하는 한국인도 결코 적지 않다.예를 들어,동방 연구회 회장 금력현씨는 다음과 같이 말한다.

「……전후 국수주의자들에 의해서 한자가 학교 교육으로부터 소외된 결과, 의미도 모르는 채로 말을 사용해, 80퍼센트 이상의 어휘를 잃어, 현재는 세계 최저의 독서율을 기록하기에 이르러 버렸다.일조가운데 국민 전체를 읽고 쓰기를 할 수 없는 최저 상태에 빠진 것을 통탄 하지 않을 수 없다」( 「한글10 한자 문화」1999년 8월 창간호)

80퍼센트 이상 없어졌다고 하는 어휘의 대부분이, 일상적으로는 별로 사용되지 않는 것이다.그러나 세계를 논하거나 고도의 사고를 전개하거나 하려면 없으면 안 되는 개념어, 추상어, 전문어 등 「한문어 고급 어휘」의 한 무리인 것이다.얼마나 사고의 확대나 깊이가 저해되고 있을지를 알자고 하는 것이다.그 때문에, 일반적으로 지적인 관심은 낮고, 국민 한 명 당년문평균 독서량도 세계 제일 낮다고 말해지는 참증인 지적 황폐가 만들어지고 있다.「국민 전체를 읽고 쓰기를 할 수 없는 최저 상태에 빠졌다」라고 하는 것은, 결코 과장된 표현이라고만은 말할 수 없는 것이다.

 

 

◆표음문자의 한계

한국이 이 정도 보는 것도 끔찍한 상태에 빠져 있는 것에도 불구하고, 한글 전용 주의자들은 어디까지나 한자는 폐지해야 한다고 계속 주장하고 있다.한편, 일본인이라면, 한자 폐지가 국민의 정신 생활에 얼마나 큰 영향을 미까는, 이야기할 것까지도 없는 일일거라고 생각했지만, 아무래도 그렇지 않는 것 같다고 하는 것을, 최근 체험했다.

사회과학계의 일본의 대학생, 대학원생, 한국이나 중국으로부터의 유학생들수십명이 모인 장소에서 한국의 한자 폐지 문제를 테마로 이야기를 했을 때이다.나는 한자 폐지에 의한 폐해에 대하고 사례를 들면서 소개해, 마지막으로, 그 때문에(위해) 한국인의 사고 수준이 꽤 저하하고 있어 일한의 과거의 역사에 대한 논의를 온전히 할 수 없는 이유의 하나도 거기에 있다, 라고 하는 이야기를 했다.

내가 이야기해 끝내면, 언어학을 전문으로 하고 있다고 하는 일본의 대학원생이 다음과 같은 의견을 말했던 것이다.

「당신의 이야기는 완전히 학문적이지 않다.언어는 음성만으로 모든 것을 나타내는 것이 가능한 것이니까, 한자를 없앴다고 해 아무런 사고에 영향을 주는 것은 아니다.아이는 문자를 몰라도 귀로 (듣)묻고 말을 기억해 간다.그것으로부터도, 표의 문자가 인간에게 있어서 필요한 것이 아닌 것을 안다」

한국의 한글 주의자와를 빼닮은 주장이었던 일로 놀랐지만, 그의 머리 속에 빛나 빛나고 있는 것은 아마, 근대 언어학의 근본적인 정립인 것이다.

근대 한마디 어학에 의하면, 언어 체계는 개념 차이의 계열과 거기에 관련하는 음성 차이의 계열이다.그리고 이 두 개의 관련하는 계로부터, 일부의 개념(의미되는 것)과 일부의 음성 기호(의미하는 것) 의 편성이 분리한 것이 언어이다, 라는 것이 된다.그가 「언어는 음성만으로 모든 것을 나타내는 것이 가능한 것이다」라고 하는 것은, 그러한 의미로부터라고 생각한다.

그러나 나의 이야기는, 그런 언어학 이론의 레벨과 관계되는 것에서는 전혀 없다.내가 말하고 있는 것은 결국, 표음문자는 음성으로 변별 할 수 있는 이상의 정보를 나타낼 수 없다고, 하는 것이다.즉 표음문자는, 청각 정보를 단순히 시각 정보로 변환한 기호에 지나지 않는다.그리고, 인간의 귀에 의한 정보처리 능력에 대해서, 눈에 의한 정보처리 능력은 비교가 되지 않을 정도 큰 것이다.그러한 논지를 받기를 원했다.

중국인, 일본인, 한 때의 한국인은, 시각의 정보처리 능력을 충분히 발휘하는 것에 의해서, 음성으로 변별 할 수 있는 이상의 정보를 나타내는 것이 가능한, 한자라고 하는 표의 문자를 이용해 언어 생활을 배웅하고 왔던 것이다.별도인 좋은 분을 하면, 시각에 의한 변별의 도움을 빌린 언어 생활을 역사적으로 전개했기 때문에 있다.

그럼에도 불구하고, 그렇게 해서 사용되어 온 말의 큰 떼의 모든 것을 음성 기호만으로 나타내려고 하면, 실제적으로 처리 다 할 수 없는 방대한 정보가 넘쳐 흐름 떨어져 버린다.그 폐해는 너무 크고, 그 때문에(위해) 사고가 저해되게 되는 것은 당연한 일이다.나는 그런 것을 말하고 있는 것이다.

한국의 한글 전용 주의자들도 또, 이 대학원생과 같은 일을 말하고 있다.한글은 알파벳보다 많은 음성을 표기할 수 있는, 그러니까 세계 제일 우수한 표음문자다, 표의 문자로서의 한자의 필요성은 전혀 없는 것이라면.

그럼에도 불구하고, 왜 역사적인 어휘의 80퍼센트 이상을 잃게 되었는가.그들의 언어=음성 기호 이론에서는 잃는 이유가 보이지 않고, 동음 이의어로 곤란하다고 해도 「언어는 음성만으로 모두 나타내는 것이 가능」이기 때문에, 얼마든지 만들 수 있게 된다.

그런데 , 현실에 말을 이용해 살아 있는 사람들 쪽에서는, 시각의 도움을 빌릴 수 없기 위해(때문에) 많은 말을 잃어 가고, 그렇게 방대한 신어 창작 등 현실에는 할 수 있는 것도 없다.이 정도 당연한 일이, 왠지 이 학자 지망생이나 한글 전용 주의자들에게는 공통에 이해할 수 없다.실제적인 언어 생활의 현장으로부터 배우려고 하지 않기 때문이라고 말할 수 밖에 없을 것이다.

◆한자 훈독의 「효용」

어떻게 해서든지 한국에는 한자 교육이 부활하지 않으면 안 된다.그러나, 일본어를 공부하는 가운데 본격적인 한자의 지식을 몸에 익혀 온 나의 체험으로부터 하면, 단순한 한자 부활만으로는, 결코 한국인의 사고의 본연의 자세에 혁명적인 변화가 초래될 것은 없다고 생각된다.

왜, 그런 것을 말할 수 있는 것인가.일본어를 기억 처음 얼마 되지 않은 무렵, 하나의 한자에 많은 읽기가 있는 것으로, 꽤 머리 속이 혼란했다.한국에서는 「생」이라고 하는 한자는 「센」이라고 하는 소리로 나타내는 것만으로 있다.즉 일본식에 말하면 하나의 한자에는 하나의 음독 밖에 없다.「밖에 없다」라고 하는 것보다도, 한 개의 문자에 대해서 복수의 소리가 대응하는(읽기가 있다) 일본 쪽이 심상하지 않다.

「생」이라면, 우선 음독으로서 「세이」와「쇼」의 두 개가 있다.한층 더 훈독으로서 「산다」 「낳는다」 「은 있다」 「왕」 「나무」 「날것」 「」등이 있어, 인명이나 지명이 되면 그 이외에 의미불명한 다양한 소리가 충당되니까 힘들다.어째서 일부러 한자에 충당하는지, 전부 히라가나로 표기하면 간단한데……라고 생각해 운자리 한 것이다.

그러나, 그 만큼으로 놀라서는 안되었다.같은 소리를 가지는 말이, 각각 의미가 다른 다수의 한자의 훈독에 충당되고 있는 것이다.이것에도 곤란했다.「얼굴에 먹이 붙는다」라고 하는 용례로 「붙는다」를 배우면, 이번은 다른 곳에서 「당신의 집에 도착한다」라고 하는 「도착한다」가 나온다.또 「일에 종사한다」라고인가 「가슴을 찌른다」등이 나온다.이렇게 되면, 「대한다」라고 하는 말의 정체가 정말로 불명료하게 된다.거기서 사전을 찾아 보면 앙천 하는 것이다.

<이 아래의 한글 번역이 어떻게 되는 것인가?????>

「붙는, 도착하는, 오르는, 즉위한다」 「토한다」 「진구, 게구」 「찌르는, 찌르는, 친다」 「양구, 봄」 「익는다」 「쌓아 올린다」등이 즈락과 함께 있고, 사전에 실려 있는 것 외에도 「붙는다」의 읽기를 가지는 한자는 많이 있는 것 같다.혼란은 한층 더 깊어져, 「붙는다」라고 네싶은 어떤 말인가, 완전히 모르게 되어 진다.

한국어에서는 「붙는다」를 「붓타」라고 하지만, 다른 「붙는다」는 거의 다른 말로 표현되기 때문에, 「붙는다=붓타」라고 기억할 뿐에서는 일본어의 「대한다」라고 하는 말의 의미를 알았던 것에는 안 되는 것이다.

<써 있는 것을 이해할 수 있었는지?···············>

그런 상태로, 한자와 훈독의 관계에서는 대단한 고생을 했지만, 지금도 충분히 읽어 나누어 나누어 써가 되어 있다고는 말할 수 없다.그러나, 이 까다로운 훈독이 어느 정도 해낼 수 있게 되면, 스스로도 놀라울 정도 한자의 지식과 일본어의 힘이 몸에 따라 오는 것이다.나중에 자세하게 말하지만, 그것은 훈독을 통하는 것에 의해서, 한문어가 일본어(고유어)와 확실히 결합된 형태로 머리에 새겨져 가기 때문이다.

이 한자 훈독의 「효용」을 가슴에 사무치고 느껴 온 것으로부터 말하면, 한국에서 한자 교육이 부활했다고 해도, 도저히 일본인(정도)만큼 자유자재로 한문어를 조종해 사고를 전개할 수 없다고 생각하지 않을 수 없다.한국에는 한자의 훈독이 없고, 어디까지나 음독될 뿐(만큼)이니까, 아무리 많은 한자를 기억했다고 해도, 일본인과 같이 친밀한 고유 문화의 감촉을 가지고 확실히 「자신의 것이 된다」(일)것은, 매우 기대할 수 있는 것은 아닌 것이다.

예를 들어, 「조짐 편나름」이라고 하는 말을 몰라도, 한자로 「몽환포영」이라고 책」보풀, 일본인이라면 「째·환상·조·그림자」라고 하는 훈독이 반사적과 겹쳐지기 때문에, 그 의미는 일목 요연, 「인생의 무상한 비록」이라는 말인 것이 곧바로 핀과 온다.한국의 경우는 그렇게는 가지 않는다.몽·환·포·영이라고 하는 하나 하나의 한자의 의미를 기억 속으로부터 취하기 시작하지 않으면 안 된다.

그것은 예를 들어, 영어의 단어의 줄을 보고, 머리 속의 단어장으로부터 의미를 찾아내는 것과 거의 같은 것이다.야 하는에 국어를 배운다고 하는 것보다는, 외국어를 몸에 익히는 것과 같이 배워 가지 않으면 안 되는 것이다.

그 때문에, 아무래도 국민의 사이에 국어력의 큰 격차가 생기게 되어 버린다.상당한 힘이 있는 사람을 따로 하고, 일반의 한국인이 일반의 일본인 같은 수준의 한자·한문어의 이해력을 획득하려면 , 최초부터 결정적인 한계가 있다고 하지 않을 수 없는 것이다.(P110~P119)

◆세계 제일 독서율의 낮은 국민

<일본의 소설이 지금 한국에서 유행하고 있어>

자민족우월 주의적인 주장은 논외로서 한자 부활 논자와 한글 전용 논자에게 공통되고 있는 것은, 언어 전달의 기능적인 측면의 편리 사노 논의로 시종 하고 있는 것이다.유감스럽지만, 아직도 사고나 발상의 본연의 자세에까지 찔러 넣은 본격적인 논의가 이루어지는 에는 이르지 않았다.

나의 생각으로는, 한자 배척이 가져온 최대의 폐해는, 한국어에서는 일본어와 같이 개념어나 전문 용어의 대부분이 한자어인데, 한자의 지식( 및 한자 영상의 도와에 거는 그러한 말을 구사할 수 없게 된 것에 있다.그 때문에 한국인은, 추상도의 높은 사고를 골칫거리로 할 것 같게 되어 버렸다는 것이 나의 생각이다.


왜 그렇게 되는가 하면, 「존재(존재)」 「(배운다)」 「싶어 구(대책)」는 일반적으로 사용되는 말이니까 알지만, 「깔자(지고)」 「건아응(현인)」 「(수방)」(이)가 되면, 일상적으로는 우선 사용되지 않는 말이기 위해, 특별히 지식으로서 배우지 않는 한 아는 것이 없기 때문에이다.

이것들은 모두 일본에서는 한자로 쓰여지기 때문에, 초보적인 한자의 지식이 있으면, 하나 하나 말의 의미를 가르칠 수 없어도 대략의 의미를 잡고 문장을 읽어 진행시켜 나갈 수 있다.그리고, 그렇게 해서 있을 때에 자연스럽게 정확한 개념으로서의 의미를 잡아 간다.

이렇게 하고, 까다로운 개념어를 이해해 나가는 체험은 매우 중요한 것이다.최근의 일본에서는, 어려운 한자의 개념어를 가능한 한 사용하지 않고 , 가능한 한 쉬운 좋은 분으로 바꾸어 가려고 하는 경향이 강하지만, 그것은 꼭 그만두어 주셨으면 한다.그런 일을 계속하고 있으면, 한국과 같이, 실로 빈약한 개념의 소지 밖에 없는 사람들이 대량으로 배출하게 되어 버리는 것은 명확하다.

먼저도 말한 것처럼, 한국어의 어휘의 약70퍼센트가 한자어이다.이 방대한 한자어를 하나 하나 고유어로 좋은 바꾸거나 새로운 말을 만들거나 해 정착시켜 가는 것은, 사실상 불가능하다.그 때문에, 문장체로서는 오른쪽이 예로 든 듯을 말에서도 꽤 빈번히 사용되게 된다.

그러자(면) 무슨 일이 되는가 하면, 신문이나 잡지나 서적 속에, 의미 불명의 말이 많이 나오게 된다.한글 전용 세대는 어쩔 수 없게 거기를 읽어 날린다.그 때문에, 실로 적당한 읽는 법 밖에 되어 있지 않은 것이 실정이다.

당연히, 한국에 있던 시분의 나도 그렇게 해서 있었다.무서운 것은, 의미 불명의 말을 읽어 날리는 것이 습관이 되는 것, 그리고 자신의 모르는 한자어가 가끔 나오는 서적이나 잡지를 읽지 않게 되어 버리는 것이다.예를 들어, 정치·경제를 전공하지 않았던 사람에게는, 시사 평론 잡지등을 읽는 것은 매우 괴롭게 된다.나는 한국의 대학에서는 임상 병리학을 전공하고 있었기 때문에, 우선 그러한 잡지에는 식지가 움직이지 않았다.

그렇게 되면 이것도 또 당연히, 저널리즘 쪽도 독자에 맞추어 어휘를 선택하게 되어, 그 악순환으로부터, 개념어나 전문어에 극히 부족한 정말로 통속적인 장장만이 사회에 만연해 나가는 것이다.

최근, 한자 부활 논자들의 논고를 잘 보게 되고, 그들이 한국에서는 가장 양질의 교양과 견식을 몸에 익힌 이성적인 지식인들인 것을 잘 알았다.이런 사람들도 한국에서 확실히 살아 있던 것을 안 것은, 나에게는 큰 구제였다.일부에는 자민족우월 주의가 있지만, 한글 민족주의자와 같이 열광적인 것은 아니다.

그러나, 그들이 말하고 있도록(듯이), 한국인은 한글존용 덕분에 「세계;독서율의 낮은 국민」이 되어 버리고 있다.

그리고 그것은, 한국인의 지적 레벨의 저하를 가져오고 있다.한국인은 교육열심으로 지적 레벨의 높은 사람들이라고 말해지는 일이 자주 있지만, 그것은 전혀 맞지 않았다.나는 일본에 오고 나서도 한국에서 출판되는 서적이나 잡지의 문장을 일이 있을 때 마다 읽어 오고 있지만, 그 대부분이 「땅에 단서가 잡히지 않았다」 것(뿐)만이라고 할 수 밖에 없다.그러한 전형은, 서술은 현실로부터 유리 해 구체성이 부족하고, 주장은 명확하게 무엇인가의 공동 환상에 취해 있는 것을 느끼게 한다, 라고 한 것이다.

또 나의 세대 이후의 한글 세대의 사람들과 이야기하고 있으면, 위의 세대 쪽에 의해 한층 더 높은 교양과 깊은 견식의 소유자가 있으면 느낌 않을 수 없다.그리고, 일본인과 이야기하고 있으면 있을수록, 한국인의 것의 생각이 얼마나 단순하고 얕은 것이라고 생각해 알게 된다.특히 젊은이일 만큼 한다.

TV프로의 상당수는 일본의 흉내로, 일본에서 히트 상품의 것은 곧바로 그대로 부정유출과 같이 거두어 들인다.독자적으로 프로그램을 창작하는 힘이 자라지 않은 것이다.전후 한국의 지적 황폐는, 소비사회화의 물결과 함께 한층 더 박차가 걸려 있다.

전후 한국이 걸어 온 한자 폐지·한글 전용의 역사는, 그것과 전혀 무연은 아니다.나는 일본을 알아, 일본어를 알아, 일본어의 한자의 받아 들이는 방법을 알고, 그것을 분명히 확인할 수 있던 것처럼 생각한다.(P100~P104)

 

이 문장 정확하게는, 한글로 나타내는 일은 어렵겠지요 한글의 결점인, 동음 이의어를 써 있으므로 다른 한자가 줄지어 있어도, 번역하는과 같은 한글이 줄지어 있는 일이 되겠지요.

언어는 고들 100년 정도로, 완성되는 것은 아닙니다, 세계에서 100년 정도의 역사 밖에 없는 언어는 한글만이군요, 의도되어 만들어졌던 것도 한글만

다른 언어는 수백 년 걸려서 완성된, 자연 파생적인 것이 대부분입니다.



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