ドリア(doria)は、洋食(yoshoku)(日本で、近代以降、日本に合う様に、(日本人の視点からすれば)改良された西洋料理)の一つで、グラタン(gratin)の、macaroniの代わりにriceを使った様な食べ物です。
参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「横浜は、東京areaの海の玄関口(gateway)となっている大きな港町です。私は、横浜は、仕事の用事でも、よく訪れますが(横浜は、仕事の用事で、よく訪れる場所の一つです)、横浜の港町の雰囲気が好きで、休日にも、よく遊びに行きます。」
hotel new grandは、1927年に開業した、横浜の都心部の港沿いに建つ高級ホテルで、横浜を代表する、歴史のある、高級ホテルです。hotel new grandは、個人的に、今まで、7回宿泊しています(何れも、デート(date)で、宿泊しています)。
以下、ドリア(doria)の歴史関して、hotel new grandのsite等を参考にしました。
ドリア(doria)は、hotel new grandで、初代料理長を務めた、サリー・ワイル(Saly Weil)が考案した料理です。サリー・ワイル(Saly Weil)は、1927年に、hotel new grandの開業の際に、パリ(Paris)から招かれた、スイス人の、シェフ(chef)です。
サリー・ワイル(Saly Weil)は、フランス料理のシェフ(chef)でしたが、西欧(西ヨーロッパ)料理全般を得意としていて、イタリア料理やスイス料理なども得意としていました。
サリー・ワイル(Saly Weil)は、メニュー(menu)に、「コック長(chef)は、メニュー(menu)に書かれている以外の、いかなる料理にもご用命に応じます(どんな料理でも作ります)」と記し、客の要望に合わせて様々な料理を作って提供していました。
1930年頃のある日、hotel new grandに滞在していた、スイス人の銀行家が、体調を崩し、サリー・ワイル(Saly Weil)に、「体調が良くないので、何かのど越しの良いものを(食べ易い物を)」とリクエスト(要望)し、サリー・ワイル(Saly Weil)が、即興で創作し、その、スイス人の銀行家に提供した料理が、ドリア(doria)の原型となった料理です。
好評だった、この料理は、“Shrimp Doria”(海老と御飯の混合)として、レギュラーメニューになり(通常の、メニュー(menu)に掲載され)、hotel new grandの名物料理の一つになりました。
ドリア(doria)は、サリー・ワイル(Saly Weil)の弟子達により、他のホテルや、街のレストランでも提供される様になり、後に、洋食(yoshoku)の一つとして定着する様になりました。
以上、ドリア(doria)の歴史関して、hotel new grandのsite等を参考にしました。
以下、基本的に、wikiから抜粋して来た、ドリア(doria)の歴史です。
現在知れ渡っているドリア(doria)の原型は、1930年頃、横浜のホテルニューグランド(hotel new grand)の初代総料理長であったサリー・ワイル(Saly Weil)が、体調を崩した欧州の銀行家のために即興で提供した料理であると考えられている。その時提供されたものは、バターライスに芝エビのクリーム煮とベシャメルソース(ホワイトソース)をかけ、オーブンで焼き上げたものである。
好評だったこの料理は、「“Shrimp Doria”(海老と御飯の混合)」として、ア・ラ・カルトのレギュラーメニューとなり、ニューグランド(hotel new grand)の名物料理の一つとなり(ワイルのオリジナル・ドリアは、今でもニューグランドで提供されている)、それが弟子達によって他のホテルや街場のレストランでも提供されて広まり、今では日本全国の洋食の定番料理となっている。
戦前のニューグランドでは、それ以外にも蟹を使ったドリア(doria)など、いくつかのバリエーションが存在していた。
上にチーズをのせる発想はワイル以降の後継者の改良によって得られたもの、という説もあるが、当時のフランス料理にはリゾットの上に魚介のクリームソースとチーズをかけてグラタンにする、という料理も存在している。
以上、基本的に、wikiから抜粋して来た、ドリア(doria)の歴史でした。
以下、基本的に、wikiから抜粋して来た、サリー・ワイル(Saly Weil)の説明です。
サリー・ワイル(Saly Weil 1897年 - 1976年)は、スイス出身の料理人。
横浜、ホテルニューグランドの初代総料理長として来日し、約20年間にわたり日本に本場ヨーロッパのレシピや技術を伝え、日本の西洋料理の発展に寄与した。スイスへ帰国してからは日本からの留学生の受け入れに尽力し、日本から留学した留学生達からは「スイス・パパ」と慕われた。
スイス・ベルンに住む父マックス、母ユージェニーの間に、姉が一人、妹が二人居る長男として生まれる。家はユダヤ系の家系であった。 ローザンヌのホテル学校を卒業後、1912年にベルンのナショナルホテルで料理人としてのキャリアをスタートさせ、その後は1923年オランダ・ラハイエで初めて料理長となり、フランス・ルーアン、サン・マロ、スイス・ラインフェルデン、フランス・ヴィムルーなど、オランダ、スイス、フランスなどのヨーロッパ各地のレストランを修業して回る。また、この間にオランダ船でコックを務めていたこともあり、アフリカ、トルコ、モロッコ、パレスチナ、ギリシャなどの地中海料理にも見識を得た。 1927年に横浜ホテルニューグランドの開業にあたり、欧州視察にあたった土井慶吉のめがねに適ったスイス人初代支配人、アルフォンゾ・デュナンの推薦により、パリのホテルから招聘されて来日した。
料理の特徴
ワイルは、20世紀初頭のフランス料理界を席巻していた、オーギュスト・エスコフィエの料理に傾倒していたといわれる。エスコフィエは近代フランス料理の完成者と評される存在であり、コース料理の基本を定め、それ以降のフランス料理の格式を確固たるものとさせた。ワイルはエスコフィエの提唱したフランス料理をベースに、子羊のクリーム煮(スイス料理)、パスタやピカタ(イタリア料理)、ウィーン・シュニッツェル(オーストリア料理)、ハンガリアン・グーラッシュ(ハンガリー料理)、スカッチ・ハギス(スコットランド料理)、ハンブルク風ステーキ(ドイツ料理)、ビーフ・ストロガノフ(ロシア料理)、ローストビーフ(イギリス料理)といった料理を出していたという記録や証言もあり、十代から二十代の修業時代をヨーロッパを転々として技術を培った経験からヨーロッパ各国の郷土料理に長じていたといわれる。
ニューグランド時代
ワイルは1927年10月29日、ニューグランドの開業一ヵ月ほど前に横浜港より入国し、調理場の中だけでなくホテルの施設の面からも影響を及ぼしている。それ以前の日本のホテルのレストランはヨーロッパの貴族文化に倣ったテーブルマナーやドレスコードに厳しく大仰なもので、気軽に楽しむといったものではなかった。提供される料理もコースとして予め定められたものが提供されるばかりであったことから、ダイニングと別にコートを身に着けたまま、あるいはネクタイを着用することなく、お酒を楽しみながら食事をとれるようなグリルを設置し、一品料理から注文を受けた。 「どんなにいい料理を作っても、サービスの態度一つで美味しくも不味くもなる」と考え、時にはコックコートのまま自ら客席に赴き、接客し、注文や客の要望を受けるなど、ゲストが楽しめる空間を演出した。今日ではよく見られる、ローストビーフをシェフが客席を回って手切りしてサーブするスタイルは、ワイルが初めて行った。 当時のグリルのメニューには「料理長はメニュー以外のどんな料理の注文にも応じます」と書かれていたとされ、ある来客が「体調が優れないからのど越しの良いもの」をリクエストしたところ、ワイルが即興で創作したものがベースとなってドリアが誕生した。ワイルが作った当時のドリアは今日でもニューグランドの名物料理となっている。
ニューグランドでは、メイン・ダイニングの他にグリルルームと二つのレストランがあり、東京にもニューグランドの支店を出していたため、ワイルは各店舗を回ってはメニューを指示し、味の確認をしては客席に顔を出すなど非常に多忙だったという。そのため、メイン・ダイニングは内海藤太郎や荒田勇作、グリルは山本政孝、東京ニューグランドにはワイルと同じくスイスから来日していたアーンスト・ローエンベルゲルや戸村誠蔵などそれぞれの部署に料理長を置き、メニューはワイルが書くものの、厨房の調理作業は彼らに委ねられていた。
当時のワイルの料理を味わった著名人には、1929年5月2日に来日したイギリス国王ジョージ五世の第三王子、グロスター公ヘンリー王子、1931年1月に来日したアメリカ人俳優ダグラス・フェアバンクス、1932年5月に来日したチャールズ・チャップリン、1934年日米親善試合で来日したベーブ・ルースなどが挙げられる。また、大佛次郎は1931年から約10年に渡ってホテルニューグランドの318号室を定宿として執筆活動を行っていた。
以上、wikiから抜粋して来た、サリー・ワイル(Saly Weil)の説明でした。
以下、「」内。去年の8月の下旬に行った投稿から抜粋して来た物です。
「私が暮らす、渋谷(shibuya)区(東京都心部の西部に位置する区)は、コロナワクチンは、ファイザー(Pfizer)社製の物を用いており、私も、我が家の近所の実家の、私の、両親も、ファイザー(Pfizer)社製の、ワクチンの接種を受けました。
私の父は、6月の初旬までに、母は、6月の中旬までに、それぞれ、2回目のコロナのワクチンの接種を終えています。2回目のワクチンの副反応は(ワクチンの副反応は、2回目の方が強く出る)、2回目のコロナワクチンの接種を受けた翌日に、父は、倦怠感と37度台の発熱があり、母は、注射した側の腕の痛みがあり、また、何となく、熱っぽく感じたが(熱があるように感じたが)、体温を測らなかった(もしかしたら、37度台位の発熱はあったのかもしれません)そうですが、両親共、2回目のコロナワクチンの接種を受けた、翌々日は、何ともなくなったそうです。
渋谷区(shibuya)区は、40歳から49歳(私が該当する)の、コロナワクチンの接種の予約の開始は、7月16日からとなっていたのですが、私も、無事、予約が取れて、7月23日に、1回目の、コロナワクチン接種を受け(副反応は、注射した側の腕に、筋肉痛程度の痛みが出る位でしたが、翌日には、治まりました)、先々週の金曜日(8月13日)に、2回目の、コロナワクチンの接種を受けました。私の2回目のコロナワクチンの副反応は、酷くw、翌日(先々週の土曜日。8月14日)は、一日中、注射した側の腕の痛みと、39度前後の発熱(最高、39.2度)、翌々日(先週の日曜日。8月15日)も、一日中、38.5度前後(最高38.7度)の発熱がありましたが、先週の月曜日(8月16日)に、朝起きたら、副反応は、すっきりと(完全に)なくなっていました。ちなみに、先々週の土曜日(8月15日)も、先週の日曜日(8月16日)も、インフルエンザや風邪での発熱と異なり、強い倦怠感はありましたが、フラフラするとか(眩暈がする)とか気分が悪くなると言った事はなく(家の中を、立って歩くとか、普通に可能w)、食欲も、普通にありましたw」
以下、「」内。基本的に、去年の10月の上旬に行った投稿から抜粋して来た物です。
「彼女は、先週の金曜日(10月1日)に、無事、2回目のコロナワクチンの接種を受けました(彼女は、1回目のコロナワクチンの接種は、9月の第2週に受けました。彼女もファイザー(Pfizer)社製の、ワクチンの接種を受けています)。
彼女の、ワクチンの副反応は、私と、よく似ていて、1回目の、コロナワクチン接種の副反応は、注射した側の腕に、筋肉痛程度の痛みが出る位で、2回目の、コロナワクチン接種の副反応は、(彼女は、先週の金曜日の夜から今週の月曜日の朝まで、我が家で、私と過ごしていたのですが)、翌日(先週の土曜日。10月2日)は、一日中、注射した側の腕の痛みと、38度前後の発熱、翌々日(今週の日曜日。10月3日)も、一日中、37.5度前後の発熱がありましたが、今週の月曜日(10月4日)に、朝起きたら、副反応は、すっきりと(完全に)なくなっていました。
ちなみに、彼女も、私の時と同様、翌日も、翌々日も、インフルエンザや風邪での発熱と異なり、強い倦怠感はありましたが、フラフラするとか(眩暈がする)とか気分が悪くなると言った事はなかったそうで(家の中を、立って歩くとか、普通に可能でした)、食欲も、普通にありました。
彼女の、コロナワクチン接種の副反応は、1回目、2回目とも、前述の通り、私と、よく似ていましたが、2回目の副反応は、私に比べれば、相対的には、軽く、発熱は、翌日と、翌々日、それぞれ、私よりも、1度程度、低かったです。
ちなみに、私も彼女も、それぞれの両親の体質を受け継ぎ、根本的な(基本的な)、健康体質・元気体質の体を持っています。」
以下、参考の投稿。
柿の歴史他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3402783/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2
以下、「」内。3月の下旬に行った投稿から抜粋して来た物です。
「前述の通り、我が家の近所の実家の両親は、1回目と2回目は、ファイザー(Pfizer)社製の、ワクチンの接種を受けましたが、3回目の、ワクチンの接種は、父は、1月の後半に、モデルナ(Moderna)社製の、ワクチンの接種を受け、母は、3回目の、ワクチンの接種も、ファイザー(Pfizer)社製の、ワクチンの接種を希望した為、当時の、ファイザー(Pfizer)社製のワクチンの、需要(接種希望者)に対する供給不足の為、父よりも、少し遅れて、2月の前半に、ファイザー(Pfizer)社製の、ワクチンの接種を受けました。両親共、3回目のワクチン接種の副反応は、2回目のワクチンの接種を受けた時の、副反応と同程度だった様です。
私は、3回目のワクチン接種は、今月の中旬(先々週の金曜日)に、仕事の合間に受けて来ました。モデルナ(Moderna)社製の、ワクチンならば、もう一か月、早く(2月の中旬から)、3回目のワクチンの接種を受ける事が出来ましたが、モデルナ(Moderna)社製の、ワクチンは、副反応として、ごく稀に頭が禿げる可能性もあると言う話もあり(フェイクニュースの可能性も高いと思いますが、一応、用心を取ってw ちなみに、私は、40代ですが、依然として、髪の毛は、フサフサです)、3回目のワクチンの接種も、ファイザー(Pfizer)社製の、ワクチンを希望して受けました。ちなみに、渋谷(shibuya)区の、3回目の、ワクチンの接種に関して、ファイザー(Pfizer)社製の、ワクチンが、モデルナ(Moderna)社製の、ワクチンよりも、接種が遅くなると言う状況は、丁度、私が、3回目のワクチンの接種を受けた頃(3月の中旬)に、解消された様です。
彼女の、3回目の、ワクチンの接種は、これからです(来月中)。」
前述の通り、私は、先月の(3月)の中旬に、3回目の、コロナワクチンの接種を受けましたが、私の、3回目のコロナワクチンの副反応は、2回目の時よりも軽かったです。
私の、3回目のコロナワクチンの副反応は、ワクチンの接種を受けた日は、注射した側の腕に、軽い、筋肉痛程度の痛みが出る位、翌日は、ワクチンの副反応が強く出て、朝から、基本的に、一日中、38度台半ばから後半位の発熱と(夕食後辺りから、熱は、徐々に下がって行き、夜寝る直前には、熱は、37度台半ばまで下がりました)、強い倦怠感がありました。ただし、インフルエンザや風邪での発熱と異なり、強い倦怠感はありましたが、フラフラするとか(眩暈がする)とか気分が悪くなると言った事はなく(家の中を、立って歩くとか、普通に可能w)、食欲も、普通にありましたw
翌々日は、朝、起きたら、熱は、完全に下がって、平熱となっていましたが、基本的に、一日中、強い倦怠感ではないものの、倦怠感は残りました(夕食を食べ終えた辺りに、倦怠感は、完全になくなり、副反応は、完全になくなりました)。
以下、参考の投稿。
セルニック(sernik)(ポーランド伝統のケーキ)の話等→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3500461?&sfl=membername&stx=nnemon2
彼女は、今月の中旬(先々週の金曜日)に、3回目の、コロナワクチンの接種を受けました(彼女も、3回共、ファイザー(Pfizer)社製の、ワクチンの接種を受けています)。
先々週の金曜日(以下、この日と書きます)は、自宅(我が家)に持ち込んだ仕事と、職場(事務所)に顔を出しての仕事の併用と言った感じでした。
ちなみに、我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置します)の最寄りの、通勤電車・地下鉄駅と、(東京都心部の)私の職場(事務所)の最寄り駅は、地下鉄で4駅(運賃は、初乗り運賃(168円(約1,680won))、我が家の玄関から職場(事務所)の玄関まで(通勤時間は)、30分位です。
以下、参考の投稿。
職場近くの銀杏並木他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3445437/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2
ちなみに、この日は、車で、出勤しました(事務所に出ました)。
この日の夕食は、彼女と我が家で食べ、彼女は、我が家に泊まりました。前述の通り、彼女は、この日、3回目のコロナワクチンの接種を受けましたが、この日の、彼女の、ワクチンの副反応は、注射した側の腕に、軽い、筋肉痛程度の痛みが出る位でした。
この日の夕食の、メイン(main)の、おかずのメニュー(menu)は、この前日の彼女とのスカイプの会話の中で、彼女は、魚系の物で、私にお任せと言う事で(彼女は、1週間の内、1日から3日位、我が家に泊まっていますが、彼女が、我が家に泊まらない日は、基本的に、夜に、1時間程、(我が家の隣の区の彼女の一人暮らしのマンションの)彼女とスカイプで話しています)、鰹とキハダマグロ(鮪)の刺身と、秋刀魚の焼き物にしました。
この日の夕食の、メイン(main)の、おかずの一つの、鰹とキハダマグロ(鮪)の刺身。この日、私が、車で、仕事の取引先の一つを訪れたついでに(車で、仕事の取引先の一つを訪れた帰りに)、取引先の周辺のマートで買って来た、国産(日本産)の生の鰹の刺身用とキハダマグロ(鮪)の刺身用を切って、刺身で食べた物です。この日の夕食の、メイン(main)の、おかずは、この他(鰹とキハダマグロ(鮪)の刺身の他)、秋刀魚の焼き物にしました(国産(日本産)の、秋刀魚を焼いて食べました)。この日の夕食の、メイン(main)の、おかずは、何れも、美味しかったです(彼女も、何れも、美味しいと言って食べていました)。
ちなみに、この日の夕食時は、私は、飲み物は、お酒は、日本酒を飲みました。
参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「私は、両親とも、酒に強くて酒飲みでw、遺伝により、酒は強いです(私は、酒が強く、酒をいくら飲んでも、顔色が、全く、変わらないタイプです)。酒は、基本、どんなに飲んでも酒に飲まれる事はありませんw
それは、ウイスキーをストレートでボトル1本を超えて、比較的短時間で飲めば、時間差で後から腰は抜けますが(学生の頃の話w)、どんなに飲んでも、性格は、普段よりも陽気で上機嫌になる位で、大きくは変わりません。
日本酒、ワイン、ウイスキー、ビール、焼酎なんでも行けますが、私は、お酒の飲み方は、本来的には、ウイスキーの様な、濃いお酒を、ロックで、チビリチビリと飲むのが好きです。
ちなみに、彼女は、お酒が弱いです。」
前述の通り、この日は、彼女は、我が家に泊まりました。
前述の通り、私は、先月の(3月)の中旬に、3回目の、コロナワクチンの接種を受けましたが、私の、3回目のコロナワクチンの副反応は、2回目の時よりも軽かったのですが、彼女の、3回目のコロナワクチンの副反応は、2回目の時よりも、重たかったです。
この翌日(先々週の土曜日)と、この翌々日(先週の日曜日)は、彼女は、ワクチンの副反応が、強く出ました(ちなみに、この翌日と、この翌々日も、彼女は、我が家に泊まりました)。ただし、彼女は、この翌日(先々週の土曜日)は、38度台後半の発熱、この翌々日(先週の日曜日)も、38度台後半から38度台半ばの発熱がありましたが、インフルエンザや風邪での発熱と異なり、強い倦怠感はありましたが、フラフラするとか(眩暈がする)とか気分が悪くなると言った事はなかったそうで(家の中を、立って歩くとか、普通に可能でした)、食欲も、普通にありました。
この翌日(先々週の土曜日)と、この翌々日(先週の日曜日)は、私は、(ワクチンの副反応による発熱と倦怠感で、基本的に寝ていた)彼女の看病をしながら(看病と言っても、彼女が疲れて目を閉じて眠りたくなるまで、彼女に構ってあげるのと、定期的に、寝ている彼女の様子を見る(目を覚ましていたら「(体調)大丈夫?」と声を掛ける)位でしたが)、基本的に、自宅(我が家)に持ち込んだ仕事をしていました(仕事は、やろうと思えばやる事はいくらでもあります)。
この翌日(先々週の土曜日。以下、この日と書きます)は、彼女は、朝から、一日中、38度台後半の熱と強い倦怠感がありました。
この日の、朝食は、彼女のワクチンの副反応の体調の様子見と言った感じで、レトルトの(お湯で温めるだけで簡単に出来る)、雑炊にしました。私も、彼女に合わせて、レトルトの(お湯で温めるだけで簡単に出来る)、雑炊を食べました。
彼女と我が家で食べた、この日の昼食は、私が、私の街のマートで、天婦羅を買って来て、私が作った、温かい、天婦羅、うどんにしました。
彼女と我が家で食べた、この日の夕食の、メイン(main)料理は、私が手作りした、フレンチトースト(French toast)と、国産の(日本産)の牛肉の、ステーキ(beefsteak)肉(私が、この日の昼に、私の街のマートで買って来た物)を焼いて、ステーキ(beef steak)にしました。ちなみに、この日の夕食では、彼女は、ワクチンの副反応の体調の様子見と言った感じで、ステーキ(beef steak)は、少量食べました。ちなみに、この日の夕食時は、私は、飲み物は、お酒は、赤ワイン(wine)を飲みました。
この翌日(先週の日曜日。以下、この日と書きます)も、彼女は、基本的に、朝から、一日中、38度台後半から半ば位の熱と強い倦怠感がありました(彼女は、夕食辺りから、徐々に熱が下がり、夜、寝る前には、熱が、38度台前半まで下がりました)。
彼女と、我が家で食べた、この日の朝食は、普段の朝食(パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yoghurt))と同じ内容でした(朝食は、私が、用意しました)。
彼女と、我が家で食べた、この日の昼食は、この前日の夕食で食べた、私が手作りした、フレンチトースト(French toast)が、彼女に、好評で、彼女は、また、(私が手作りした)フレンチトースト(French toast)を食べたいと言ったので、私が、手作りした、フレンチトースト(French toast)にしました。
彼女と、我が家で食べた、この日の夕食の、メイン(main)料理は、私が、手作りした、海老ドリア(doria)にしました(私が、彼女に、海老ドリア(doria)を作ってあげました)。ちなみに、この日の夕食時は、私は、飲み物は、お酒は、白ワイン(wine)を飲みました。
写真以下2枚。この日の夕食の、メイン(main)料理で、私が、手作りした、海老ドリア(doria)。レシピ(調理法)は、ネット(internet)で検索して出て来た、家庭で作る、ドリア(doria)の、レシピ(調理法)を参考にしました。
作っている途中。ちなみに、海老は、私も彼女も、好きな食材です。これを、バター(butter)と塩・胡椒を混ぜた(バター(butter)と塩・胡椒で風味をつけた)ご飯(rice)にかけて、チーズ(cheese)と、アスパラガス(asparagus)を載せて、オーブントースターで焼いて出来上がり。
完成。パセリ(parsley)は、オーブントースターで焼いてから、仕上げでかけるべき物ですが、うっかりと、オーブントースターで焼く前にかけてしまいました(まあ、結果として、とても美味しく出来たので、良かったとしましょうw)。とても美味しく出来ました(彼女も、とても美味しいと言って食べていました)。この日の夕食で食べて、余った物は、翌日の朝食の一部として(普段の、朝食(パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yoghurt))の内容に加えて)、温め直して食べました(翌日に、温め直して食べても、美味しかったです)。
おまけ。この日の夕食で食べた、ひと手間かけた、野菜サラダ(salad)。
参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「我が家の、普段の、朝食又は(休みの日の)遅い朝食兼昼食は、パン、シリアル(cereal)、野菜サラダ(salad)、3種類程の果物、牛乳、ジュース(juice)、ヨーグルト(yogurt)と言った内容であり、又、我が家で、夕食を食べる時は、野菜サラダ(salad)を食べる事が、多い事から、我が家の、ドレッシング(dressing)の、需要は、大きいです。
我が家には、常時、概ね、3、4種類の(少なくとも3種類の)、ドレッシング(dressing)を買って使えるように用意しています(特に、どのドレッシング(dressing)とか決まっている訳ではありません)。」
この日も彼女は、我が家に泊まり、この翌日(先週の月曜日。以下、この日と書きます)は、朝食を食べた後、彼女を、車で、我が家の隣の区の彼女の一人暮らしのマンションに送りました。彼女は、この日は、在宅勤務で大丈夫で、私は、自宅(我が家)に持ち込んだ仕事と、職場(事務所)に顔を出しての仕事の併用と言った感じでした。ちなみに、この日は、車で、出勤しました(事務所に出ました)。
前述の通り、この日は、彼女は、在宅勤務で大丈夫であったのですが、彼女は、この日まで、ワクチン接種の副反応が残り、この日は、彼女は、基本的に、一日中、37度台半ば位の発熱(彼女は、この日は、朝に、37度台半ばの熱がありましたが、仕事を終えた夕方の時点で、まだ、37度台半ばの熱があったそうです)と倦怠感があったそうで、この日は、大変でしたが、何とか、仕事をこなした(仕事を終えた)そうです。この日は、彼女は、仕事を終えた夕方辺りから、徐々に、倦怠感がなくなって行き、この日は、夜に、彼女とスカイプで話したのですが、彼女は、私とスカイプで話し終える頃には、完全に倦怠感がなくなったそうです(彼女は、私と話していると、楽しくて、元気になると言っていました。ちなみに、この時に限らず、彼女は、普段、私と話していると、楽しくて、元気になると言った感じの事を、よく言ってくれます)。彼女は、この日の夜、寝る前には、熱が、完全に平熱に戻り、副反応は、完全になくなったそうです。
以下、適当に、おまけ。
明治(meiji。日本の大規模食品会社の一つ。菓子部門(旧明治製菓)は、1916年創業)の、カカオ(cacao)分が多い、チョコレート(chocolate)の製品シリーズ。この、明治(meiji)の、カカオ(cacao)分が多い、チョコレート(chocolate)の製品シリーズの、チョコレート(chocolate)は、仕事の合間の、息抜き等で食べています。
この、チョコレート(chocolate)の製品シリーズ→
https://www.meiji.co.jp/sweets/chocolate/chocokoka/
AND THE FRIET(東京都心部(広尾)に本店がある、高級フライドポテト(french fries)店。まあ、高級フライドポテト(french fries)と言っても、フライドポテト(french fries)自体、大衆的な、食べ物ですがw)の、ジャガイモ(potato)の、スナック(snack)菓子。左、黒トリュフ(truffle)塩味、右、アンチョビ(anchovy)とガーリック(garlic)味。
AND THE FRIET→
https://andthefriet.com/
この、ジャガイモ(potato)の、スナック(snack)菓子の説明→
https://andthefriet.com/driedfriet/
以下、家での食事を含む、比較的最近の投稿。
海老フライの歴史他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3513366?&sfl=membername&stx=nnemon2
カップケーキ(cupcake)の歴史他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3513789?&sfl=membername&stx=nnemon2
牛丼の歴史他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3511758?&sfl=membername&stx=nnemon2
ロールケーキ(Swiss roll)の歴史他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3510361?&sfl=membername&stx=nnemon2
月世界(富山県の伝統菓子)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3506637?&sfl=membername&stx=nnemon2
世田谷 無量寺他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3505074?&sfl=membername&stx=nnemon2
The Yeomen Warders(ロンドン塔の衛兵隊)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3500462?&sfl=membername&stx=nnemon2
도리아(doria)는, 양식(yoshoku)(일본에서, 근대 이후, 일본에 맞는 것처럼, (일본인의 시점으로부터 하면) 개량된 서양 요리)의 하나로, 그라탕(gratin)의, macaroni 대신에 rice를 사용한 님음식입니다.
참고에, 이하, 「」 안.나의 앞의 투고문보다...
「요코하마는, 도쿄 area의 바다의 현관문(gateway)이 되고 있는 큰 항구도시입니다.나는, 요코하마는, 일의 용무에서도, 잘 방문합니다만(요코하마는, 일의 용무로, 잘 방문하는 장소의 하나입니다), 요코하마의 항구도시의 분위기를 좋아하고, 휴일에도, 잘 놀러 갑니다.」
hotel new grand는, 1927년에 개업한, 요코하마의 도심부의 항구 가에 세우는 고급 호텔에서, 요코하마를 대표하는, 역사가 있는, 고급 호텔입니다.hotel new grand는, 개인적으로, 지금까지, 7회 숙박하고 있습니다(어느 쪽도, 데이트(date)로, 숙박하고 있습니다).
이하, 도리아(doria)의 역사 관계하고, hotel new grand의 site등을 참고로 했습니다.
도리아(doria)는, hotel newgrand로, 초대 요리장을 맡은, 사리(인도 여성의 민족 의상)·와일(Saly Weil)이 고안 한 요리입니다.사리(인도 여성의 민족 의상)·와일(Saly Weil)은, 1927년에, hotel new grand의 개업 시에, 파리(Paris)로부터 초대된, 스위스인의, 세프(chef)입니다.
사리(인도 여성의 민족 의상)·와일(Saly Weil)은, 프랑스 요리의 세프(chef)였지만, 서구(서유럽) 요리 전반을 자랑으로 여기고 있고, 이탈리아 요리나 스위스 요리등도 자랑으로 여기고 있었습니다.
사리(인도 여성의 민족 의상)·와일(Saly Weil)은, 메뉴(menu)에, 「콕장(chef)은, 메뉴(menu)에 쓰여져 있는 이외의, 어떠한 요리에도 주문에 응합니다(어떤 요리라도 만듭니다)」라고 적어, 손님의 요망에 맞추어 님 들인 요리를 만들어 제공하고 있었습니다.
1930년경인 어느 날, hotel new grand에 체재하고 있던, 스위스인의 은행가가, 컨디션을 무너뜨려, 사리(인도 여성의 민족 의상)·와일(Saly Weil)에, 「컨디션이 좋지 않기 때문에, 무엇인가 목월 해의 좋은 것을(먹어 쉬운 것을)」이라고 리퀘스트(요망) 해, 사리(인도 여성의 민족 의상)·와일(Saly Weil)이, 즉흥으로 창작해, 그, 스위스인의 은행가에게 제공한 요리가, 도리아(doria)의 원형이 된 요리입니다.
호평이었다, 이 요리는,"ShrimpDoria"(새우와 밥의 혼합)로서 레귤러 메뉴가 되어(통상의, 메뉴(menu)에 게재되어), hotel new grand의 명물 요리의 하나가 되었습니다.
도리아(doria)는, 사리(인도 여성의 민족 의상)·와일(Saly Weil)의 제자들에 의해, 다른 호텔이나, 거리의 레스토랑에서도 제공되는 것처럼 되어, 후에, 양식(yoshoku)의 하나로서 정착하는 것처럼 되었습니다.
이상, 도리아(doria)의 역사 관계하고, hotel new grand의 site등을 참고로 했습니다.
이하, 기본적으로, wiki로부터 발췌해 온, 도리아(doria)의 역사입니다.
현재 널리 알려지고 있는 도리아(doria)의 원형은, 1930년경, 요코하마의 호텔 뉴 그랜드(hotel new grand)의 초대총요리장인 사리(인도 여성의 민족 의상)·와일(Saly Weil)이, 컨디션을 무너뜨린 유럽의 은행가를 위해서 즉흥으로 제공한 요리이다고 생각되고 있다.그 때 제공된 것은, 버터 라이스에 잔디 새우의 크림 익혀와 베샤멜소스(화이트 소스)를 치고 오븐으로 구운 것이다.
호평이었다 이 요리는, 「“ShrimpDoria”(새우와 밥의 혼합)」로서, 아·라·컬트의 레귤러 메뉴가 되어, 뉴 그랜드(hotel new grand)의 명물 요리의 하나가 되어(와일의 오리지날·도리아는, 지금도 뉴 그랜드로 제공되고 있다), 그것이 제자들에 의해서 다른 호텔이나 가장의 레스토랑에서도 제공되어 퍼져, 지금은 일본 전국의 양식의 정평 요리가 되고 있다.
전쟁 전의 뉴 그랜드에서는, 그 이외에도 게를 사용한 도리아(doria) 등, 몇개의 바리에이션이 존재하고 있었다.
위에 치즈를 얹는 발상은 와일 이후의 후계자의 개량에 의해서 얻을 수 있던 것, 이라고 하는 설도 있지만, 당시의 프랑스 요리에는 리좃트 위에 어개의 화이트 소스와 치즈를 쳐 그라탕으로 한다, 라고 하는 요리도 존재하고 있다.
이상, 기본적으로, wiki로부터 발췌해 온, 도리아(doria)의 역사였습니다.
이하, 기본적으로, wiki로부터 발췌해 온, 사리(인도 여성의 민족 의상)·와일(Saly Weil)의 설명입니다.
사리(인도 여성의 민족 의상)·와일(Saly Weil 1897년 -1976해)는, 스위스 출신의 요리인.
요코하마, 호텔 뉴 그랜드의 초대총요리장으로서 일본 방문해, 약 20년간에 걸쳐 일본에 본고장 유럽의 레시피나 기술을 전해 일본의 서양 요리의 발전에 기여했다.스위스에 귀국하고 나서는 일본으로부터의 유학생의 받아 들여에 진력해, 일본으로부터 유학한 유학생들에게서는 「스위스·파파」라고 존경받았다.
스위스·Bern에 사는 아버지 막스, 어머니 유제니의 사이에, 언니(누나)가 한 명, 여동생이 두 명 있는 장남으로서 태어난다.집은 유태계의 가계였다. 로잔느의 호텔 학교를 졸업 후, 1912년에 Bern의 내셔널 호텔에서 요리인으로서의 캐리어를 스타트시켜, 그 다음은 1923년 네델란드·라하이에로 처음으로 요리장이 되어, 프랑스·루 안, 산·마로, 스위스·라인페르덴, 프랑스·빔 루 등, 네델란드, 스위스, 프랑스등의 유럽 각지의 레스토랑을 수업해 돈다.또, 이전에 네델란드선으로 콕을 맡고 있던 적도 있어, 아프리카, 터키, 모로코, 팔레스타인, 그리스등의 지중해 요리에도 견식을 얻었다.1927해에 요코하마 호텔 뉴 그랜드의 개업에 해당해, 유럽 시찰에 해당한 도이 케이키치의 안경에 필적한 스위스인 초대 지배인, 아르폰조·듀난의 추천에 의해, 파리의 호텔로부터 초빙 되어 일본 방문했다.
요리의 특징
와일은, 20 세기 초두의 프랑스 요리계를 석권 하고 있던, 오규스트·에스코피에의 요리에 심취하고 있었다고 한다.에스코피에는 근대 프랑스 요리의 완성자와 평 되는 존재이며, 코스 요리의 기본을 정해 그 이후의 프랑스 요리의 격식을 확고한 것과 시켰다.와일은 에스코피에의 제창한 프랑스 요리를 베이스로, 새끼양의 크림 익혀(스위스 요리), 파스타나 피커타(이탈리아 요리), 빈·슈닛트르(오스트리아 요리), 한가리안·굿 러쉬(헝가리 요리), 스카치·하기스(스코틀랜드 요리), Hamburg풍스테이크(독일 요리), 비프·스트로가노후(러시아 요리), 로스트 비프(영국 요리)라고 하는 요리를 내고 있었다고 하는 기록이나 증언도 있어, 십대부터 20대의 수업 시대를 유럽을 전전하고 기술을 기른 경험으로부터 유럽 각국의 향토 요리에 연상였다고 한다.
뉴 그랜드 시대
와일은 1927년 10월 29일, 뉴 그랜드의 개업1개월 정도 전에 요코하마항에서 입국해, 조리장안 뿐만이 아니라 호텔의 시설의 면으로부터도 영향을 미치고 있다.그 이전의 일본의 호텔의 레스토랑은 유럽의 귀족 문화에 모방한 테이블 매너나 드레스 코드에 어렵고 호들갑스러운 것으로, 부담없이 즐긴다고 한 것은 아니었다.제공되는 요리도 코스로서 미리 정해진 것이 제공될 뿐에서 만난 것으로부터, 다이닝과 별로 코트를 몸에 댄 채로, 있다 있어는 넥타이를 착용하는 일 없이, 술을 즐기면서 식사를 할 수 있는 그릴을 설치해, 일품 요리로부터 주문을 받았다. 「아무리 좋은 요리를 만들어도, 서비스의 태도 하나로 맛있지도 맛이 없고도 된다」라고 생각해 때에는 콕 코트인 채 스스로 객석으로 향해 가, 접객 해, 주문이나 손님의 요망을 받는 등, 게스트가 즐길 수 있는 공간을 연출했다.오늘로는 잘 볼 수 있는, 로스트 비프를 세프가 객석을 돌아 손 잘라 서브 하는 스타일은, 와일이 처음으로 갔다.당시의 그릴의 메뉴에는 「요리장은 메뉴 이외 목응인 요리의 주문에도 응합니다」라고 쓰여져 있었다고 여겨져 있다 손님이 「컨디션이 뛰어나지 않기 때문에 목월 해의 좋은 것」을 리퀘스트 했는데, 와일이 즉흥으로 창작한 것이 베이스가 되어 도리아가 탄생했다.와일이 만든 당시의 도리아는 오늘이라도 뉴 그랜드의 명물 요리가 되고 있다.
뉴 그랜드에서는, 메인·다이닝 외에 그릴 룸과 두 개의 레스토랑이 있어, 도쿄에도 뉴 그랜드의 지점을 내고 있었기 때문에, 와일은 각 점포를 돌고는 메뉴를 지시해, 맛의 확인을 하고는 객석에 얼굴을 내미는 등 매우 다망했다고 말한다.그 때문에, 메인·다이닝은 내해후지 타로나 아라타 유사쿠, 그릴은 야마모토 마사타카, 도쿄 뉴 그랜드에는 와일과 같이 스위스에서 일본 방문하고 있던 안스트·로 엔베르 겔이나 호촌성장 등 각각의 부서에 요리장을 두어, 메뉴는 와일이 쓰지만, 주방의 조리 작업은 그들이 맡길 수 있고 있었다.
당시의 와일의 요리를 맛본 저명인에게는, 1929년 5월 2일에 일본 방문한 영국 국왕 죠지5세의 제3 왕자, 그로스타공헨리-왕자, 1931년 1월에 일본 방문한 미국인 배우 더글라스·페아반타 `N스, 1932년 5월에 일본 방문한 찰즈·채플린, 1934년 일·미 친선 시합으로 일본 방문한 베이브·르스등을 들 수 있다.또, 오사라기 지로는 1931년부터 약 10년에 걸쳐 호텔 뉴 그랜드의 318호실을 정숙소로서 집필 활동을 실시하고 있었다.
이상, wiki로부터 발췌해 온, 사리(인도 여성의 민족 의상)·와일(SalyWeil)의 설명이었습니다.
이하, 「」 안.작년의 8월의 하순에 간 투고로부터 발췌해 온 것입니다.
「내가 사는, 시부야(shibuya) 구(도쿄도심부의 서부에 위치하는 구)는, 코로나 백신은, 파이저(Pfizer) 사제의 물건을 이용하고 있어 나도, 우리 집의 부근의 친가의, 나의, 부모님도, 파이저(Pfizer) 사제의, 백신의 접종을 받았습니다.
나의 아버지는, 6월의 초순까지, 어머니는, 6월의 중순까지, 각각, 2번째의 코로나의 백신의 접종을 끝내고 있습니다.2번째의 백신의 부반응은(백신의 부반응은, 2번째가 강하게 나온다), 2번째의 코로나 백신의 접종을 받은 다음날에, 아버지는, 권태감과 37도대의 발열이 있어, 어머니는, 주사한 측의 팔의 아픔이 있어, 또, 웬지 모르게, 열정적이게 느꼈지만(열이 있다 게 느꼈지만), 체온을 측정하지 않았다고(혹시, 37도대 정도의 발열은 있었을지도 모릅니다) 합니다만, 부모님모두, 2번째의 코로나 백신의 접종을 받은, 다음 다음날은, 별 일 없게 되었다고 합니다.
시부야구(shibuya) 구는, 40세부터 49세(내가 해당한다)의, 코로나 백신의 접종의 예약의 개시는, 7월 16일부터되고 있었습니다만, 나도, 무사, 예약을 잡히고, 7월 23일에, 1회째의, 코로나 백신 접종을 받아(부반응은, 주사한 측의 팔에, 근육통 정도의 아픔이 나오는 정도였지만, 다음날에는, 다스려졌습니다), 앞으로주의 금요일(8월 13일)에, 2번째의, 코로나 백신의 접종을 받았습니다.나의 2번째의 코로나 백신의 부반응은, 심하고 w, 다음날(앞으로주의 토요일.8월 14일)은, 하루종일, 주사한 측의 팔의 아픔과 39도 전후의 발열(최고, 39.2도), 다음 다음날(지난 주의 일요일.8월 15일)도, 하루종일, 38.5도 전후(최고 38.7도)의 발열이 있었습니다만, 지난 주의 월요일(8월 16일)에, 아침에 일어 나면, 부반응은, 깨끗이(완전하게) 없어져 있었습니다.덧붙여서, 앞으로주의 토요일(8월 15일)도, 지난 주의 일요일(8월 16일)도, 인플루엔자나 감기로의 발열과 달리, 강한 권태감은 있었습니다만, 휘청휘청 한다든가(현기증이 한다)라든지 속이 메스꺼워진다고 한 일은 없고(집안을, 서서 걷는다든가, 보통으로 가능 w), 식욕도, 보통으로 있었던 w」
이하, 「」 안.기본적으로, 작년의 10월의 초순에 간 투고로부터 발췌해 온 것으로 .
「그녀는, 지난 주의 금요일(10월 1일)에, 무사, 2번째의 코로나 백신의 접종을 받았습니다(그녀는, 1회째의 코로나 백신의 접종은, 9월의 제2주에 받았습니다.그녀도 파이저(Pfizer) 사제의, 백신의 접종을 받고 있습니다).
그녀의, 백신의 부반응은, 나와 잘 비슷하고, 1회째의, 코로나 백신 접종의 부반응은, 주사한 측의 팔에, 근육통 정도의 아픔이 나오는 정도로, 2번째의, 코로나 백신 접종의 부반응은, (그녀는, 지난 주의 금요일의 밤부터 이번 주의 월요일의 아침까지, 우리 집에서, 나와 보내고 있었습니다만), 다음날(지난 주의 토요일.10월 2일)은, 하루종일, 주사한 측의 팔의 아픔과 38도 전후의 발열, 다음 다음날(이번 주의 일요일.10월 3일)도, 하루종일, 37.5도 전후의 발열이 있었습니다만, 이번 주의 월요일(10월 4일)에, 아침에 일어 나면, 부반응은, 깨끗이(완전하게) 없어져 있었습니다.
덧붙여서, 그녀도, 나때와 같이, 다음날도, 다음 다음날도, 인플루엔자나 감기로의 발열과 달리, 강한 권태감은 있었습니다만, 휘청휘청 한다든가(현기증이 한다)라든지 속이 메스꺼워진다고 한 일은 없었다고 하고(집안을, 서서 걷는다든가, 보통으로 가능하고 한), 식욕도, 보통으로 있었습니다.
그녀의, 코로나 백신 접종의 부반응은, 1회째, 2번째 모두, 상술한 대로, 나와 잘 닮았습니다만, 2번째의 부반응은, 나에 비하면, 상대적으로는, 가볍고, 발열은, 다음날과 다음 다음날, 각각, 나보다, 1도 정도, 낮았습니다.
덧붙여서, 나나 그녀도, 각각의 부모님의 체질을 계승해, 근본적인(기본적인), 건강한 몸질·건강 체질의 몸을 가지고 있습니다.」
이하, 참고의 투고.
감의 역사외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3402783/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2
이하, 「」 안.3월의 하순에 간 투고로부터 발췌해 온 것입니다.
「상술한 대로, 우리 집의 부근의 친가의 부모님은, 1회째와 2번째는, 파이저(Pfizer) 사제의, 백신의 접종을 받았습니다만, 3번째의, 백신의 접종은, 아버지는, 1월의 후반에, 모데르나(Moderna) 사제의, 백신의 접종을 받아 어머니는, 3번째의, 백신의 접종도, 파이저(Pfizer) 사제의, 백신의 접종을 희망한 때문, 당시의, 파이저(Pfizer) 사제의 백신의, 수요(접종 희망자)에 대한 공급 부족 (위해)때문에, 아버지보다, 조금 늦고, 2월의 전반에, 파이저(Pfizer) 사제의, 백신의 접종을 받았습니다.부모님모두, 3번째의 백신 접종의 부반응은, 2번째의 백신의 접종을 받았을 때의, 부반응과 동일한 정도였다 님입니다.
나는, 3번째의 백신 접종은, 이번 달의 중순(앞으로주의 금요일)에, 일의 사이에 받아 왔습니다.모데르나(Moderna) 사제의, 백신이라면, 이제(벌써) 1개월, 빨리(2월의 중순부터), 3번째의 백신의 접종을 받을 수가 있었습니다만, 모데르나(Moderna) 사제의, 백신은, 부반응으로서 극히 드물게 머리가 벗겨질 가능성도 있다고 하는 이야기도 있어(페이크 뉴스의 가능성도 높다고 생각합니다만, 일단, 조심을 취해 w 덧붙여서, 나는, 40대입니다만, 여전히, 머리카락은, 후사후사입니다), 3번째의 백신의 접종도, 파이저(Pfizer) 사제의, 백신을 희망해 받았습니다.덧붙여서, 시부야(shibuya) 구의, 3번째의, 백신의 접종에 관해서, 파이저(Pfizer) 사제의, 백신이, 모데르나(Moderna) 사제의, 백신보다, 접종이 늦어진다고 하는 상황은, 꼭, 내가, 3번째의 백신의 접종을 받았을 무렵(3월의 중순)에, 해소된 님입니다.
그녀의, 3번째의, 백신의 접종은, 이것으로부터입니다(다음 달중).」
상술한 대로, 나는, 지난 달의 것(3월)한 중순에, 3번째의, 코로나 백신의 접종을 받았습니다만, 나의, 3번째의 코로나 백신의 부반응은, 2번째때보다 가벼웠습니다.
나의, 3번째의 코로나 백신의 부반응은, 백신의 접종을 받은 날은, 주사한 측의 팔에, 가벼운, 근육통 정도의 아픔이 나오는 정도, 다음날은, 백신의 부반응이 강하게 나오고, 아침부터, 기본적으로, 1 일중, 38도대 반으로부터 후반위의 발열과(저녁 식사 후 근처로부터, 열은, 서서히 내려서 가, 밤에 자기 직전에는, 열은, 37도대 중반까지 흘렀습니다), 강한 권태감이 있었습니다.다만, 인플루엔자나 감기로의 발열과 달리, 강한 권태감은 있었습니다만, 휘청휘청 한다든가(현기증이 한다)라든지 속이 메스꺼워진다고 한 일은 없고(집안을, 서서 걷는다든가, 보통으로 가능 w), 식욕도, 보통으로 있었던 w
다음 다음날은, 아침, 일어나면, 열은, 완전하게 내리고, 보통체온이 되고 있었습니다만, 기본적으로, 하루종일, 강한 권태감은 아니기는 하지만, 권태감은 남았습니다(저녁 식사를 다 먹은 근처에, 권태감은, 완전하게 없어져, 부반응은, 완전하게 없어졌습니다).
이하, 참고의 투고.
셀 닉(sernik)(폴란드 전통의 케이크)의 이야기등→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3500461?&sfl=membername&stx=nnemon2
그녀는, 이번 달의 중순(앞으로주의 금요일)에, 3번째의, 코로나 백신의 접종을 받았던(그녀도, 3회 모두, 파이저(Pfizer) 사제의, 백신의 접종을 받고 있습니다).
앞으로주의 금요일(이하, 이 날이라고 씁니다)은, 자택(우리 집)에 반입한 일과 직장(사무소)에 얼굴을 내민 일의 병용이라고 한 느낌이었습니다.
덧붙여서, 우리 집(도쿄도심부의 서부의 조용하고 침착한 주택지에 위치합니다)의 근처의, 통근 전철·지하철역과(도쿄도심부의) 나의 직장(사무소)의 근처역은, 지하철로 4역(운임은, 최초구간 운임(168엔( 약 1,680 won)), 우리 집의 현관에서 직장(사무소)의 현관까지(통근 시간은), 30분 정도입니다.
이하, 참고의 투고.
직장 가까이의 은행 가로수외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3445437/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2
덧붙여서, 이 날은, 차로, 출근했습니다(사무소에 나왔습니다).
이 날의 저녁 식사는, 그녀와 우리 집에서 먹어 그녀는, 우리 집에 묵었습니다.상술한 대로, 그녀는, 이 날, 3번째의 코로나 백신의 접종을 받았습니다만, 이 날의, 그녀의, 백신의 부반응은, 주사한 측의 팔에, 가벼운, 근육통 정도의 아픔이 나오는 정도였습니다.
이 날의 저녁 식사의, 메인(main)의, 반찬의 메뉴(menu)는, 일전에일의 그녀와의 스카이프의 회화속에서, 그녀는, 물고기계의 물건으로, 나에게 맡겨라라고 하는 것으로(그녀는, 1주간중, 1일부터 3일 정도, 우리 집에 묵고 있습니다만, 그녀가, 우리 집에 묵지 않는 날은, 기본적으로, 밤에, 1시간정도, (우리 집의 근처의 구의 그녀의 혼자 생활의 맨션의) 그녀와 스카이프로 이야기하고 있습니다), 가다랭이와 키하다마그로(다랑어)의 생선회와 꽁치의 구이로 했습니다.
이 날의 저녁 식사의, 메인(main)의, 반찬의 하나의, 가다랭이와 키하다마그로(다랑어)의 생선회.이 날, 내가, 차로, 일의 거래처의 하나를 방문한 김에(차로, 일의 거래처의 하나를 방문한 오는 길에 ), 거래처의 주변의 마트에서 사 온, 국산(일본산)의 생의가다랭이의 생선회용과 키하다마그로(다랑어)의 생선회용을 자르고, 생선회로 먹은 것입니다.이 날의 저녁 식사의, 메인(main)의, 반찬은, 이 외(가다랭이와 키하다마그로(다랑어)의 생선회의 외), 꽁치의 구이로 했던(국산(일본산)의, 꽁치를 구어 먹었습니다).이 날의 저녁 식사의, 메인(main)의, 반찬은, 어느 쪽도, 맛있었습니다(그녀도, 어느 쪽도, 맛있다고 해 먹고 있었습니다).
덧붙여서, 이 날의 저녁 식사시는, 나는, 음료는, 술은, 일본술을 마셨습니다.
참고에, 이하, 「」 안.나의 앞의 투고문보다...
「 나는, 부모님 모두, 술에 강해서 술꾼으로 w, 유전에 의해, 술은 강합니다( 나는, 술이 강하고, 술을 아무리 마셔도, 안색이, 완전히, 변하지 않는 타입입니다).술은, 기본, 아무리 마셔도 술에 먹히는 일은 없습니다 w
그것은, 위스키를 스트레이트로 보틀 1개를 넘고, 비교적 단시간에 마시면, 시간차이로 나중에 허리는 빠집니다만(학생의 무렵의 이야기 w), 아무리 마셔도, 성격은, 평상시보다 밝고 매우 기분이 좋아 지는 정도로, 크지는 바뀌지 않습니다.
일본술, 와인, 위스키, 맥주, 소주 뭐든지 갈 수 있습니다만, 나는, 술의 마시는 방법은, 본래적으로는, 위스키와 같은, 진한 술을, 락으로, 치비리치비리와 마시는 것을 좋아합니다.
덧붙여서, 그녀는, 술이 약합니다.」
상술한 대로, 이 날은, 그녀는, 우리 집에 묵었습니다.
상술한 대로, 나는, 지난 달의 것(3월)한 중순에, 3번째의, 코로나 백신의 접종을 받았습니다만, 나의, 3번째의 코로나 백신의 부반응은, 2번째때보다 가벼웠습니다만, 그녀의, 3번째의 코로나 백신의 부반응은, 2번째때보다, 무거웠습니다.
이 다음날(앞으로주의 토요일)과 이 다음 다음날(지난 주의 일요일)은, 그녀는, 백신의 부반응이, 강하게 나왔습니다(덧붙여서, 이 다음날과 이 다음 다음날도, 그녀는, 우리 집에 묵었습니다).다만, 그녀는, 이 다음날(앞으로주의 토요일)은, 38도대 후반의 발열, 이 다음 다음날(지난 주의 일요일)도, 38도대 후반부터 38도대 반의 발열이 있었습니다만, 인플루엔자나 감기로의 발열과 달리, 강한 권태감은 있었습니다만, 휘청휘청 한다든가(현기증이 한다)라든지 속이 메스꺼워진다고 한 일은 없었다고 하고(집안을, 서서 걷는다든가, 보통으로 가능했습니다), 식욕도, 보통으로 있었습니다.
이 다음날(앞으로주의 토요일)과 이 다음 다음날(지난 주의 일요일)은, 나는, (백신의 부반응에 의한 발열과 권태감으로, 기본적으로 자고 있던) 그녀의 간병을 하면서(간병이라고 말해도, 그녀가 지쳐 눈감아 자고 싶어질 때까지, 그녀에게 상관해 주는 것과 정기적으로, 자고 있는 그녀의 님 아이를 보는(눈을 뜨고 있으면 「(컨디션) 괜찮아?」라고 말을 건다) 정도였지만), 기본적으로, 자택(우리 집)에 반입한 일을 하고 있었습니다(일은, 하려고 하면 하는 일은 얼마든지 있어요).
이 다음날(앞으로주의 토요일.이하, 이 날이라고 씁니다)는, 그녀는, 아침부터, 하루종일, 38도대 후반의 열과 강한 권태감이 있었습니다.
이 날의, 아침 식사는, 그녀의 백신의 부반응의 컨디션의 님 아이 봐라고 한 느낌으로, 레토르트의(더운 물로 따뜻하게 하는이다 로 간단하게 할 수 있다), 죽으로 했습니다.나도, 그녀에 맞추고, 레토르트의(더운 물로 따뜻하게 하는 것만으로 간단하게 할 수 있다), 죽을 먹었습니다.
그녀와 우리 집에서 먹은, 이 날의 점심 식사는, 내가, 나의 거리의 마트에서, 튀김을 사 오고, 내가 만든, 따뜻한, 튀김, 우동으로 했습니다.
그녀와 우리 집에서 먹은, 이 날의 저녁 식사의, 메인(main) 요리는, 내가 직접 만든, 프렌치 토스트(French toast)와 국산의 것(일본산)한 쇠고기의, 스테이크(beefsteak) 육(내가, 이 날의 낮에, 나의 거리의 마트에서 사 온 것)을 굽고, 스테이크(beef steak)로 했습니다.덧붙여서, 이 날의 저녁 식사에서는, 그녀는, 백신의 부반응의 컨디션의 님 아이 봐라고 한 느낌으로, 스테이크(beefsteak)는, 소량 먹었습니다.덧붙여서, 이 날의 저녁 식사시는, 나는, 음료는, 술은, 붉은 와인(wine)을 마셨습니다.
이 다음날(지난 주의 일요일.이하, 이 날이라고 씁니다)도, 그녀는, 기본적으로, 아침부터, 하루종일, 38도대 후반부터 중반위의 열과 강한 권태감이 있었습니다(그녀는, 저녁 식사 근처로부터, 서서히 열이 내려, 밤, 자기 전에는, 열이, 38도대 전반까지 흘렀습니다).
그녀와 우리 집에서 먹은, 이 날의 아침 식사는, 평상시의 아침 식사(빵, 시리얼(cereal), 야채 사라다(salad), 3 종류정도의 과일, 우유, 쥬스(juice), 요구르트(yoghurt))와 같은 내용이었습니다(아침 식사는, 내가, 준비했습니다).
그녀와 우리 집에서 먹은, 이 날의 점심 식사는, 일전에일의 저녁 식사로 먹은, 내가 직접 만든, 프렌치 토스트(French toast)가, 그녀에게, 호평으로, 그녀는, 또, (내가 직접 만든) 프렌치 토스트(French toast)를 먹고 싶다고 했으므로, 내가, 직접 만든, 프렌치 토스트(Frenchtoast)로 했습니다.
그녀와 우리 집에서 먹은, 이 날의 저녁 식사의, 메인(main) 요리는, 내가, 직접 만든, 새우 도리아(doria)로 했던(내가, 그녀에게, 새우 도리아(doria)를 만들어 주었습니다).덧붙여서, 이 날의 저녁 식사시는, 나는, 음료는, 술은, 흰색 와인(wine)을 마셨습니다.
사진 이하 2매.이 날의 저녁 식사의, 메인(main) 요리로, 내가, 직접 만든, 새우 도리아(doria).레시피(조리법)는, 넷(internet)에서 검색해 나온, 가정에서 만드는, 도리아(doria)의, 레시피(조리법)를 참고로 했습니다.
만들고 있는 도중.덧붙여서, 새우는, 나나 그녀도, 좋아하는 식재입니다.이것을, 버터(butter)와 소금·후추를 혼합했다(버터(butter)와 소금·후추로 풍미를 준) 밥(rice)에 치고, 치즈(cheese)와 아스파라거스(asparagus)를 얹고, 오븐 토스터로 구워 완성.
완성.파슬리(parsley)는, 오븐 토스터로 굽고 나서, 완성해 나가야 할 것입니다만, 무심코 와 오븐 토스터로 굽기 전에 걸쳐 버렸습니다(뭐, 결과적으로, 매우 맛있게 할 수 있었으므로, 좋았다고 합시다 w).매우 맛있게 할 수 있었습니다(그녀도, 매우 맛있다고 해 먹고 있었습니다).이 날의 저녁 식사로 먹고, 남은 것은, 다음날의 아침 식사의 일부로서(평상시의, 아침 식사(빵, 시리얼(cereal), 야채 사라다(salad), 3 종류정도의 과일, 우유, 쥬스(juice), 요구르트(yoghurt))의 내용에 가세하고), 다시 따뜻하게 해 먹었습니다(다음날에, 다시 따뜻하게 해 먹어도, 맛있었습니다).
덤.이 날의 저녁 식사로 먹은, 사람 수고 걸친, 야채 사라다(salad).
참고에, 이하, 「」 안.나의 앞의 투고문보다...
「우리 집의, 평상시의, 아침 식사 또는(휴일이) 늦은 아침 식사겸점심 식사는, 빵, 시리얼(cereal), 야채 사라다(salad), 3 종류정도의 과일, 우유, 쥬스(juice), 요구르트(yogurt)라고 한 내용이며, 또, 우리 집에서, 저녁 식사를 먹을 때는, 야채 사라다(salad)를 먹는 것이, 많은 일로부터, 우리 집의, 드레싱(dressing)의, 수요는, 큽니다.
우리 집에는, 상시, 대체로, 3, 4 종류의(적어도 3 종류의), 드레싱(dressing)을 사서 쓸 수 있도록(듯이) 준비해 있습니다(특히, 어느 드레싱(dressing)이라든지 정해져 있는 것이 아닙니다).」
이 날도 그녀는, 우리 집에 묵어, 이 다음날(지난 주의 월요일.이하, 이 날이라고 씁니다)는, 아침 식사를 먹은 후, 그녀를, 차로, 우리 집의 근처의 구의 그녀의 혼자 생활의 맨션에 보냈습니다.그녀는, 이 날은, 재택 근무로 괜찮고, 나는, 자택(우리 집)에 반입한 일과 직장(사무소)에 얼굴을 내민 일의 병용과 말?`스 느낌이었습니다.덧붙여서, 이 날은, 차로, 출근했습니다(사무소에 나왔습니다).
상술한 대로, 이 날은, 그녀는, 재택 근무로 괜찮았어입니다만, 그녀는, 이 날까지, 백신 접종의 부반응이 남아, 이 날은, 그녀는, 기본적으로, 하루종일, 37도대 반위의 발열(그녀는, 이 날은, 아침에, 37도대 반의 열이 있었습니다만, 일을 끝낸 저녁의 시점에서, 아직, 37도대 반의 열이 있었다고 합니다)과 권태감이 있었다고 하고, 이 날은, 큰 일이었습니다만, 어떻게든, 일을 해냈다고(일을 끝냈다고) 합니다.이 날은, 그녀는, 일을 끝낸 저녁 근처로부터, 서서히, 권태감이 없어져서 가, 이 날은, 밤에, 그녀와 스카이프로 이야기했습니다만, 그녀는, 나와 스카이프로 이야기해 끝내는 무렵에는, 완전하게 권태감이 없어졌다고 합니다(그녀는, 나와 이야기하고 있으면, 즐거워서, 힘이 난다고 했습니다.덧붙여서, 이 때에 한정하지 않고, 그녀는, 평상시, 나와 이야기하고 있으면, 즐거워서, 힘이 난다고 한 느낌의 일을, 잘 말해 줍니다).그녀는, 이 날의 밤, 자기 전에는, 열이, 완전하게 보통체온으로 돌아와, 부반응은, 완전하게 없어졌다고 합니다.
이아래, 적당하게, 덤.
메이지(meiji.일본의 대규모 식품 회사의 하나.과자 부문( 구메이지 제과)은, 1916년 창업)의, 카카오(cacao) 분이 많은, 초콜릿(chocolate)의 제품 시리즈.이, 메이지(meiji)의, 카카오(cacao) 분이 많은, 초콜릿(chocolate)의 제품 시리즈의, 초콜릿(chocolate)은, 일의 사이의, 숨돌리기등으로 먹고 있습니다.
이, 초콜릿(chocolate)의 제품 시리즈→
https://www.meiji.co.jp/sweets/chocolate/chocokoka/
AND THE FRIET(도쿄도심부(히로오)에 본점이 있다, 고급 fried potato(french fries) 점.뭐, 고급 fried potato(french fries)라고 말해도, fried potato(french fries) 자체, 대중적인, 음식입니다만 w)의, 감자(potato)의, 스넥(snack) 과자.왼쪽, 흑트뤼프(truffle) 짠맛, 오른쪽, 안쵸비(anchovy)와 걀릭(garlic) 미.
AND THE FRIET→
https://andthefriet.com/
이, 감자(potato)의, 스넥(snack) 과자의 설명→
https://andthefriet.com/driedfriet/
이하, 집에서의 식사를 포함한, 비교적 최근의 투고.
새우 플라이의 역사외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3513366?&sfl=membername&stx=nnemon2
컵 케이크(cupcake)의 역사외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3513789?&sfl=membername&stx=nnemon2
소고기 덮밥의 역사외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3511758?&sfl=membername&stx=nnemon2
롤 케이크(Swiss roll)의 역사외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3510361?&sfl=membername&stx=nnemon2
달세계(토야마현의 전통 과자) 외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3506637?&sfl=membername&stx=nnemon2
세타가야 무량사외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3505074?&sfl=membername&stx=nnemon2
The Yeomen Warders(런던탑의 위병대) 외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_11/view/id/3500462?&sfl=membername&stx=nnemon2