전통문화

더 이상 논의라고 할까 말싸움에 교제하는 것도 귀찮지만, 조금 방치하는 것도 좋지 않을까라고 생각했으므로, 지적해 둔다. 이하의 주장에 대해이다.

상냥한 언니(누나)의 보충



조선에 현존 하는 사원의 양식을 어디까지 거슬러 올라갈 수 있는지, 라고 하는 이야기.

현물에서는, 거슬러 올라갈 수 없습니다.
13 세기무렵에 정지입니다.
그렇지만 그러면 불쌍해서, 일본에 남는 것이라는 비교로 가 봅시다.

예,술병기둥, 이것은 남북조에는 이미 완성하고 있어, 토우쇼우다이사(요즘, (쿠다라)백제인은 내리지 않으므로, 건축 양식은 견당사가 배워 왔습니다.)에 채용되고 있는 것으로부터, 8 세기말까지는 메이저인 양식인 것을 압니다.

그리고 hinomoto 를 아주 좋아하는 공포, 「주심 파오식」입니다만, 이것은 8 세기 후반 이후에 유행한 「일본풍」이라고 하는 중국 양식식의 영향을 받은 건축 양식과 공통되고 있습니다.

이 2개의 편성은, 당까지는 거슬러 올라갈 수 있습니다만, 그 이전에는 거슬러 올라갈 수 없습니다.호류사로 보여지는 육조 양식과는 다른 양식입니다.

(이)라고일로, 형식의 유사성으로부터의 가설에 의해서, 고려의 건축은 겨우, 통일 신라 중기 이후까지 밖에 거슬러 올라갈 수 없는 양식인 것으로.

고려의 절의 기둥을 가져오고, (쿠다라)백제?한국?무슨나 그것?라는 이야기.(조소


네?중국에서는 연속하고 있다?
예, 연속하고 있지만, 그 거 「중국」의 이야기로, 한국의 이야기가 아닙니다 w





원래의 존군의 주장에서는 술병기둥의 전파 경로는 송→고려였다는 두지만, 뭐, 너무 끈질기게 추궁해도 불쌍하기 때문에 그것은 잊는다고 하자.



우에에 끌어들인 그의 주장 가운데, 만일 굵은 글씨로 한 곳(점)이 사실로, 그가 만든 표와 같이 7 세기, 8 세기의 중국과 8 세기의 일본에 술병기둥을 확인할 수 있는지, 어느 추정할 수 있다면—술병기둥 혹은 옛 식의 몸통 붙은 전파 경로가 당→통일 신라→고려라고 하는 루트로, 별로 나도 이존은 없는 것이다. 그러나 나라시대의 연호 건축으로 보여지는 것은 긴


面倒ながら訂正

これ以上議論というか口喧嘩に付き合うのも面倒なのだが、ちょっと放置するのも良くないかなと思ったので、指摘しておく。 以下の主張についてである。

優しいお姉さんの補足

朝鮮に現存する寺院の様式をどこまで遡れるか、というお話。
現物では、遡れません。
13世紀頃で停止です。
でもそれじゃ可哀想なので、日本に残る物との比較で行ってみましょう。

ええ、徳利柱、これは南北朝には既に完成しており、唐招提寺(この頃、百済人はおりませんので、建築様式は遣唐使が学んできました。)に採用されていることから、8世紀末まではメジャーな様式であったことが解ります。

そしてhinomotoちゃんが大好きな組物、「柱心包式」ですが、これは8世紀後半以降に流行した「和様」という唐様式の影響を受けた建築様式と共通しています。

この2つの組み合わせは、唐までは遡ることが出来ますが、それ以前には遡れません。法隆寺に見られる六朝様式とは異なる様式です。

てなことで、形式の類似性からの仮説によっても、高麗の建築はせいぜい、統一新羅中期以降までしか遡ることができない様式なのでぃす。

高麗の寺の柱を持ってきて、百済?韓国?何すかそれ?ってお話。(嘲笑


え?中国では連続している?
ええ、連続してるけど、それって「中国」のお話で、韓国のお話じゃありませんw


もともとのジョン君の主張では徳利柱の伝播経路は宋→高麗だったはずなのだが、まあ、あまりしつこく追及しても可哀想だからそれは忘れるとしよう。

上に引いた彼の主張のうち、仮に太字にしたところが事実で、彼が作った表のように7世紀、8世紀の中国と8世紀の日本に徳利柱が確認できるか、あったと推定できるのならば――徳利柱あるいは古式の胴張りの伝播経路が唐→統一新羅→高麗というルートで、別に私も異存はないのである。 しかし天平建築に見られるのは緊杀、せいぜいが卷杀であって、徳利柱は見られないということは、栄養市民が既に指摘したことは無視できないことだ。 それを信じないのなら例えばこういう記述を引こう。

「いずれも柱頭に丸面をとるが、胴張り(いわゆるエンタシス)はなく柱によってわずかに上細りが見られるものがある。 下端が細まってエンタシスに見えるのは、風蝕と明治修理の際、高根継の柱下部を作為的に細めたらしい。」(『建築史基礎資料集成4 仏堂1』 唐招提寺金堂)

一体なにをもって唐招提寺に徳利柱があるとジョン君が誤認したのかはよく分からないが、はっきり訂正させていただくと、そういうことは学界では認識されていない。 唐招提寺に徳利柱は、ない。 あしからず。

従って、「唐招提寺にあるから8世紀、7世紀の唐にもあった」という推論も成り立たない。 私も前のスレで指摘したが、中国で徳利柱が確認されているのは河北定興の义慈惠石柱(570年)のみ。 すでに隋代に入ると敦煌石窟壁画などに卷杀を利用した梭柱が見られるものの、徳利柱の形式は姿を消している。 それ以降に確認できる梭柱も、卷杀を上端ないし上下端のみに施したものばりである。

百済に建築技術をつたえた南北朝時代の中国には確かに徳利柱があり、また百済が建築技術をつたえた飛鳥時代の日本にも徳利柱があることから、徳利柱が百済の木造建築で用いられたことは恐らく間違いない。 百済の遺構である定林寺石塔の隅柱が丸みを持った曲線で形取られていることもその推定を助ける。

しかし、隋唐代以降の中国に徳利柱は見られず、また唐から直接技術を伝えられたはずの日本に残る天平時代の建築にも徳利柱を持つものは一つも無い。 なので、隋唐に徳利柱が用いられたと推測することは、現時点では、できないのである。 むろんただ痕跡が全て失われただけで、当時存在した可能性はゼロではないが。

さて、8世紀に日本と韓国はいずれも唐から建築技術を受容して、それぞれ和様と柱心包形式という様式を形成したとされる。 しかし、注意していただきたいのだが、受容した結果作られた様式は、オリジナルと全く同じではない。 先の投稿でも言ったことだが、受容に際しては意図するとせざるとに関わらず、必ず要素の取捨選択が行われる。 例を繰り返せば、日本の和様は垂木を平行に配置する『平行垂木』という形式を持っている。 しかし唐で一般的だったのは扇形に配置する『扇垂木』である。 日本人は唐様式を導入しながらも、飛鳥時代(恐らくは、百済及び南北朝時代の中国)から受け継いだ平行垂木の伝統を残した。 この例が示しているのは、唐の様式を取り入れても、それ以前の要素が残るということは、あり得る、ということだ。

では高麗時代の柱心包建築に残る徳利柱は、どこから来たのか。 上述の経緯から、唐→統一新羅→高麗というルートは辿れないのである。 そうすると、統一新羅が三国時代から受け継いだものと考えるしかない。 結局、この古い形式の出所は南北朝まで遡るしかなく、必然的に百済を経由して統一新羅へ至り、唐様式の受容後もそれが保存されて柱心包式の要素となり、高麗に継承されたというルートを描くしかないのである。

無論、あくまで現在見つかっている遺物から構築しうる仮説としてはそれが最も蓋然性が高いだろうというだけのことで、今後、唐やそれ以降の時代の中国から徳利柱がもし見つかれば、話は変わってくるだろう。 しかし現時点では、私は高麗の徳利柱は百済に通じると考えるべきだと思う。 皆さんがどう思われるかは、皆さんで考えればよろしい。




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