전통문화

説明編/高麗・太祖の后「神成王后」は金姓か?

参考にしたのは
岡田英弘「倭国の時代」
荻山秀雄「三国史記新羅紀の疑義」

高麗史の列伝、后の項目で
太祖の妃の一人である神成王后の旧称・生きているときの名前が書いていないこと。
後大良院夫人の存在が記述してあるのに、(前)大良院夫人(陜州君)が記述されていない不自然さから馬脚を現した。
そこから、書き換えが行われて、神成王后は金氏できなく李氏であることが解ってきた。

この過程をメモ~
高麗史の原文はネットでは見当たらないようなので、それぞれで確認してください


さてと、まず順番を書いておこう。

1、三国史記と高麗史の記述から、
新羅の金一族の娘がどのように高麗王家に嫁いだかを見る。

2、高麗史の記録では、
顕宗の父親を生んだ母の名前は「神成王太后金氏」と、なっている。
しかし、それは死後の尊称であり、生きているときの名前は消されている。
だから、彼女が生きていた時の名前を推察し、かの后は金一族の娘ではなく、陜州が本貫の李姓の一族の女性だったことを立証する。

3、娘が金一族の出身ではなく、「李一族の出身」であるという文書が複数あることを紹介する。

4、当時の記念物を見る。
新羅王の金氏の由来を書き、さらに新羅と高麗の関係を書いた墓誌がある。
その墓誌には、高麗の太祖の娘が金一族に嫁いだことを書いているのに、金氏の娘が太祖に嫁いだことを書いていない不自然さがあり、抜けていることを見る。

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金富軾は三国史記と言う歴史書を作って、
金富軾の一族の女性が高麗王の顕宗の親の血統に入ったということにした。
そしてモンゴルに支配されて忠烈王が登場するまでつづいたことになる。



「三国史記」では
高麗の太祖に嫁いだ女性が生んだ子が顕宗の父親=安宗(郁)だと言っている。
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   「三国史記」敬順王
http://koreandb.nate.com/history/saki/bonkidetailIframe?sn=788

    ○ 初 新羅之降也 太祖甚喜 旣待之以厚禮 使告曰
    “今王以國與寡人 其爲賜大矣 願結昏於宗室 以永甥舅之好”
    答曰 “我伯父億廉拤干 知大耶郡事 其女子德容雙美 非是無以備內政”
    太祖遂取之生子 是顯宗之考 追封爲安宗


     これよりまえ、新羅が降伏してきたとき、太祖は大変喜んで彼らを厚くもてなした。
     太祖の使者が、「いま、王は国家をあげて私に与えてくださった。これは、賜りものの中でもつとも大きなものです。
   どうか、婚を王室と結んで、永く甥舅のよしみを結びたいものです。」と告げた。
  これに対して王が、「私の伯父の億廉迊干は大耶郡の知事です。彼の娘は人徳もあり、
  容姿も美しく、彼女をおいて内助をつとめることのできるものは他におりません。」と答えた。

   太祖は彼女を娶って子を産ませた。
   これが高麗第八代の顕宗の亡父で、追封して安宗といった人である。
----------------------------------------------------------

三国史記では、新羅の金億廉が大耶郡の知事をしているときに、その娘が嫁いだそうだ。


高麗史88巻は「列伝 第1 后妃」を見てみよう。
「神成王太后金氏」の記録は、「三国史記」と同じ文体で内容も似ている文なのだ!

金富軾は、叡宗実録・仁宗實録を編纂しているから、
列伝の后妃にも関与できるから、彼に依る文なのだろう。
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   高麗史 88冊 列伝 后 神成王太后金氏

  ○神成王太后金氏 新羅人匝干億廉之女。
   新羅王金傅遣使謂降 太祖待以厚禮。
   使歸告曰。今王以國与寡人。其爲賜大矣。願結昏 宗室以永甥舅之好。
   傅報曰。我伯父億廉有女。德容双美。非是無以備内政。
   太祖遂取之生安宗显宗。即位追諡神成王太后・陵曰貞。・・・・・・

   神成王太后金氏は新羅人で匝干 金億廉の娘である。
   新羅王金傅が使を高麗に遣って降伏する意を示すと、太祖は厚い礼で使臣をもてなして送った。
   その使臣が帰ってから高麗太祖の言葉を伝達して
  「もう王が一国を私に与えたら、それは大きい贈り物だと思う。
    だから君の宗室と婚姻をして、これから永遠に妻の父婿の良い関係を持つことを願う」
   と言ったら、金傅が回答して言うには
   「私の伯父、金億廉に娘がいて、徳性と容貌がすべて美しいです。
    この人の外にはあなたの配偶者になる人物がいません」と言った。
   それで太祖はいよいよ彼女と結婚して<安宗>を生んだ。
   顯宗が王位に上がると神成王太后という諡号を追贈した。御陵名前を貞陵といった。

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2、


高麗史、顯宗一を見てみよう。

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  ○顯宗元文大王 諱詢 字安世 安宗之子 母曰孝肅王后皇甫氏
     成宗十一年 壬辰 七月 壬辰生
     稍長封大良院君 年十二
     千秋太后忌之逼令祝髮

   顕宗元文大王の名前は詢壱与、
   字は安世 安宗の息子であり、母は孝肅王后皇甫氏だった。
   成宗 11年壬辰7月壬辰日に生まれた。
   少し成長して大良院君に冊封されたから当時年が 12歳だった。

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顕宗の母親の名前は、孝肅王后皇甫である。
顕宗が冊封を受けて、大良院君という名前になった。

高麗の初期には、君、大君、院君の称号は、生母の名において宮殿の名前か、本貫の地名を冠するものが多い。

高麗史地理志を見れば、顕宗の母親「孝肅王后皇甫氏」の出身地が書いてある。


高麗史 地理志 
-------------------------------------------------------
  晉州牧 陜州
   ○ 陜州 本新羅大良州郡[良一作耶] 景德王改爲江陽郡
    顯宗由大良院君即位 又以 皇妃 孝肅王后之鄕 陞知陜州事 屬縣十二.

    陜州は、元々、新羅の大良州郡〔良は耶とも書く〕。
    景徳王が江陽郡に改めた。
    顕宗が大良院君に冊封されて即位したし、
    また、王の母である孝肅王后の故郷という理由で知陜州事に昇格させた。
    陜州には所属県が 12個ある。
-------------------------------------------------------

陜州は慶尚南道陜川に当たり、新羅時代は大良州郡または大耶州郡と書いたが、いずれも同じ発音だったのだろう。
ちなみに日本書紀に出てくる多羅という地名も、この地に当てるらしい。

ここから、顕宗の母親が、陜州(大良州)を本貫とすることがわかる。


さて、ここからだ。

太祖の后には、後大良院君夫人李氏がいる。

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    高麗史 88冊 列伝 后 後大良院君夫人李氏    

     ○後大良院夫人李氏 陜州人 大匡元之女.
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この后は名前の大良院から陜州=大良州の出身だとわかる。
そして、これまた李姓。

注意するのは、後大良院君と言う意味。
後の大良院、つまり、「次の大良院夫人」という意味だ。
彼女の前にも、大良院夫人がいたから、彼女は後大良院となっているわけ。
彼女の前に、もう一人、大良院と名のる后がいたはずなのに、高麗史の記録には出てこない。

高麗史の列伝、后の項目に、太祖の夫人で、大良院と名のる人がいないのだ。

陜州=大良州に関係する女性が一人いた。

神成王太后金氏だ。

彼女は、この投稿で問題にしている顕宗の父親の母その人だ

高麗史の中の神成王太后金氏の記録は
高麗史88冊 列伝 后 神成王太后金氏で上方に書いてあるから参照。
神成王太后が陜州(=大良=大耶)に関係があったか解らない。

しかし、上述した三国史記の敬順王を読めば、
神成王太后金氏は新羅人で匝干 金億廉の娘であって、
神成王太后の父である金億廉は大耶郡の知事をしていたということから、陜州(=大良)に住んでいたことがわかる。
高麗史には、神成王太后という死後の諡名しか載っていないが、存命中は大良院君と名のっていた可能性が高い。


ここで、神成王太后の異伝を載せている三国遺事を見てみよう。

------------------------------------------------------------
三国遺事巻二 
http://www.dal.kr/data/library/hanmoon/samgoogyusa2.html

   金傳大王の項目で、中盤当たりの記事

   ○本朝登仕郞 金寬毅所撰王大宗録云 神成王后李氏 
    本慶州大尉李正言 爲俠州守時 太祖王幸此州 納爲妃.故或云俠州君.
    願堂玄化寺. 三月二十五日 立忌葬貞陵 生一子 安宗也 。。。。

    本朝(高麗)の登仕郞の金寬毅が撰した「王代宗録」によると、
    顕宗の祖母の神成王后李氏は、もと慶州大尉の出身・李正言の娘で、李正言が俠    州守として在任中、太祖がその州に来て、彼女を娶って妃とし、故に或いは俠州君と呼んだという。
    彼女の願堂は玄化寺で、3月25日が忌日で、貞陵に葬っている。
    彼女は子を一人生んだ。安宗と言う。

-------------------------------------------------------------




三国遺事は言う。
高麗史・三国史記とは書かれていないことや、違う内容の記録があるという。

金寛毅が編纂した「王代宗録」によれば、
高麗の太祖が陜州に行った時に娶って妃にした女性がいる。
この女性が生きているときの名前は陜州君(=大良州君)だという。
名前は神成王后は金氏ではなく、李氏だという。
その親は新羅人の金億廉ではなく、李正言であるという。
神成王后李氏の忌日も明記している。

金寛毅の「王代宗録」では
高麗の太祖が陜州(大良州)に行ったことになっている。
その記録の通り、高麗の太祖は高宗に行ったことがあるか?


あるのだ。

太祖三年の冬十月、太祖10年の秋7月、8月
特に太祖10年秋7月には後百済の要衝「大良城」を攻略して、更に進軍して付近を平定している。

「王代宗録」は、今は存在しない。
「王代宗録」が嘘を言っているのか?
いや、同様のことを記している編者が複数いたことが明らかになっている。
三国史記・高麗史とは違う内容の記録が存在していたことは「高麗史節要」、「東国通鑑」にも書いてある。


例えば高麗史節要では、
----------------------------------------------------------
http://www.itkc.or.kr:7003/index.jsp?bizName=KO&url=/KO/KO_NODEVIEW.jsp%3Fseojiid=kc_ko_a004%26gunchaid=av001%26muncheid=01%26finid=019

  [李斉賢曰]・・・
  我太祖、妃嬪衆多、孫子繁衍、而顯宗、自新羅外孫即位、此後継統者、皆其子孫、豈非陰徳之報者歟、金寛毅、任景肅、閔漬、三家之書、皆以為大良院夫人李氏、太尉正言之女也、生安王、未知何拠也

  李斉賢がいうには・・・・
  顕宗が新羅の外孫として王位に上がったし、その後に王統を受け継いだ人が皆彼の子孫だったからどうしてその陰徳の報答ではなかろうか。」と言った。

   金寛毅・任景肅・閔漬 三家の文では皆、大良院夫人李氏は太尉正言の娘として安王(安宗)を生んだとしたが、どこに根拠した言葉なのかわからない。」とした。
------------------------------------------------------------------

三国遺事に登場する金寛毅の

三国遺事で登場する金寛毅は、
毅宗の時に徴仕郎検校軍器監で任ぜられ、修史に詳しい高官だったらしい。

そして彼の実績である「編年通録」「王代宗録」は、
太祖の登場以前は由緒ある血統の人物にするために修飾が多いが、
太祖以降の記録になると官撰と言えるほどの内容があるらしい。

また、金寛毅と金富軾と同時代の人物で、、
門地・地位、声望、いずれも金富軾の方にあるわけで
高麗の一官僚が、公認されない私見を書けば、どんな罰を受けるかわからないから王統のデマは書けない。

神成王后李氏の忌日も明記して反駁するような記事は、十分な確証がなければ書けない。

任景肅は女性で、金富軾と同時代に生き、仁宗の妃になって毅宗、明宗、神宗を生んでいる。
閔漬と言う人物は、多くの歴史書を進撰している。

まさしく奇異なことは書かない人物たちだ。


お終いに

開城金鳳毛墓誌という石碑を見てみよう。

http://gsm.nricp.go.kr/_third/user/frame.jsp?View=search&No=4&ksmno=3358
  └ http://gsm.nricp.go.kr/_third/user/viewer/viewer01.jsp?ksmno=3358

これは、三国史記編纂の64年後、1208年煕宗5年ごろに出来たのだが
新羅王姓金氏の由来や、新羅と高麗の関係が記されている石碑だ。

そこには、太祖が新羅に嫁がせた娘の事は書いてあるのに、
今回の投稿で問題にした新羅から高麗の太祖に嫁いだ金姓の神成王太后の記録は無い。

ここからも、金富軾が三国史記で言うような血脈は嘘だということがわかる。


画像は 霊鷲山大慈恩玄化寺之碑
http://blog.daum.net/sabul358/18321764



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