상장돈장 50페이지에서 班君太子(반군태자)는 첫째 아들이고, 南君太子(남군태자)은 둘째 아들로 나오죠.
둘째는 談理神母(담리신모)이며 여자죠.
여자들은 理라는 돌림자로 되어 있죠.
祗摩紀(지마기) 23년, AD181년, 4월.
四月 自春大旱 班君太子祈雨于蚊川 而得疾薨 上怒命毁蚊川祠 初 阿世大母有私臣木我者 不知何許人也 其根肥大沈沈 有味 阿世藏于密室 而好之 日知大王聞 而惡之 遂焚于川上 自後有大蚊生于川上 多害人 命卜之 則木我之化也 乃配阿世 而作祠 而祭之 蚊自不見 而雨調 年豊 旱魃之時 其蚊復見 至是 其蚊又生 太子被咬 乃命羽林軍焚其祠 火燒蚊川林 時板久從太子 而不謹 故降其爵 以南君太子爲正統太子 所松爲五品權妻
4월 봄부터 크게 가물었다. 班君太子(반군태자)가 蚊川(문천)에서 비를 내리기를 기도하였는데 병을 얻어 죽었다. 상이 노하여 蚊川祠(문천사)를 헐도록 명하였다. 처음에 阿世大母(아세대모)에게 木我(목아)라는 私臣(사신)이 있었는데 어떻게 허락된 사람인지 모른다. 그의 男根(남근)은 비대하고 왕성하여 맛이 있었다. 阿世(아세)가 밀실에 숨겨 두고, 그를 좋아하였다. 日知大王(일지대왕)이 듣고 그를 미워하여, 결국 하천에서 (목아를) 불태웠다. 그 후에 하천에 왕모기가 생겨서, 사람들을 많이 害(해)하였다. 점을 치도록 명했더니, 木我(목아)가 변한 것이라고 하였다. 이에 阿世(아세)와 짝지워 주고, 사당을 짓게 하고, 제사를 지냈다. 모기가 저절로 보이지 않게 되었고, 비가 고르게 와서, 그 해에 풍년이 들었다. 가물었을 때 그 모기가 다시 나타났다. 이 때 이르러 그 모기가 또 생겨서, 太子(태자)가 모기에 물렸다. 이내 羽林軍(우림군)에게 명하여 그 사당을 태우도록 하고, 蚊川林(문천림)을 불로 태웠다. 이때 板久(판구)가 太子(태자)를 따라갔는데, 열심히 일하지 않은 까닭에 그의 작위를 강등시켰다. 南君太子(남군태자)를 正統太子(정통태자)로 삼았고, 所松(소송)을 五品權妻(5품권처)로 삼았다.
*板久(판구) = 여자 이름.
왼쪽 두번째 줄은 전에 했던 해석에서 빠져 버렸는데,
以南君太子爲正統太子 所松爲五品權妻
= 南君太子(남군태자)를 正統太子(정통태자)로 삼았고, 所松(소송)을 五品權妻(5품권처)로 삼았다.
지마왕 23년에 班君太子(반군태자)가 모기에 죽어 버리자, 둘째 아들인 南君太子(남군태자)가 정식 태자가 되었다고 적혀 있죠.
이 때 所松(소송)이란 여자는 權妻(권처) 출신이라는 것도 알게 되죠.
南君太子(남군태자)의 처는 2명인데, 첫번째 처는 達亥(달해)이죠.
2번째 처는 所松(소송)이며, 權妻(권처) 출신이므로,
그의 아들은 英君(영군)은 아달라와의 왕위 경쟁에서 불리한 위치에 있음을 짐작할 수 있죠.
サングザングドンザング 50ページで 班君太子(叛軍太子)は第一息子で, 南君太子(南軍太子)は二番目息子に出ます.
二番目は 談理神母(ダムリシンモ)で女ですよ.
女達は 理というドルリムザになっています.
祇摩紀(ジマギ) 23年, AD181年, 4月.
四月 自春大旱 班君太子祈雨于蚊川 而得疾薨 上怒命毀蚊川祠 初 阿世大母有私臣木我者 不知何許人也 其根肥大沈沈 有味 阿世蔵于密室 而好之 日知大王聞 而悪之 遂焚于川上 自後有大蚊生于川上 多害人 命卜之 則木我之化也 乃配阿世 而作祠 而祭之 蚊自不見 而雨調 年豊 旱魃之時 其蚊復見 至是 其蚊又生 太子被咬 乃命羽林軍焚其祠 火焼蚊川林 時板久従太子 而不謹 故降其爵 以南君太子為正統太子 所松為五品権妻
4月春から大きく照りこんだ. 班君太子(叛軍太子)が 蚊川(ムンチォン)で雨を降るのを祈ったが病気を得てたまらなかった. 相違怒って 蚊川祠(ムンチォンサ)を壊すように命じた. 初めに 阿世大母(アセデモ)に 木我(モクア)という 私臣(使臣)があったがどんなに許諾された人なのか分からない. 彼の 男根(男根)は肥大で旺盛で美味しかった. 阿世(分かろう)が密室に隠しておいて, 彼が好きだった. 日知大王(日誌大王)が聞いて彼を憎んで, 結局河川で (モクアを) 燃やした. その後に河川に王母期が生じて, 人々をたくさん 害(日)した. 占いをするように命じたら, 木我(モクア)が弁韓のだと言った. これに 阿世(分かろう)とチァックジウォ酒庫, 祠堂を建てるようにして, 祭祀を執り行なった. 蚊が自然に見えなくなったし, 雨が選ぶように来て, その年に豊年になった. 照りこんだ時その蚊がまた現われた. この時のぼってその蚊がまた生じて, 太子(太子)が蚊に刺された. たちところに 羽林軍(ウリムグン)に命じてその祠堂を焼くようにして, 蚊川林(ムンチォンリム)を不老乗せた. この時 板久(パング)が 太子(太子)に付いて行ったが, 熱心に働かないわけに彼の作為を降等させた. 南君太子(南軍太子)を 正統太子(正統太子)にしたし, 所松(訴訟)を 五品権妻(5プムグォンチォ)にした.
*板久(パング) = 女名前.
左側二番目行は前にした解釈で抜けてしまったが,
以南君太子為正統太子 所松為五品権妻
= 南君太子(南軍太子)を 正統太子(正統太子)にしたし, 所松(訴訟)を 五品権妻(5プムグォンチォ)にした.
ジマワング 23年に 班君太子(叛軍太子)が蚊に死んでしまうと, 二番目息子である 南君太子(南軍太子)が正式太子になったと書かれています.
が時 所松(訴訟)と言う(のは)女は 権妻(権先) 出身というのも分かるようになります.
南君太子(南軍太子)の妻は 2人だが, 一番目妻は 逹亥(達して)ですよ.
2番目妻は 所松(訴訟)で, 権妻(権先) 出身なので,
彼の息子は 英君(領軍)はアダルラとの王位競争で不利な位置にあることを見当をつけることができます.