生活/文化



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以下、「」内、少し前に行った、私のkjのレスから抜粋して来た物です。



「ちなみに、今までの個人的な経験から、プライベートにおいても、仕事(ビジネス)においても、ありがとうございます、感謝します、助かりますと言った言葉は、出し惜しみしないで損をする事(出し惜しみして得をする事)はないと思います。

ちなみに、私は、自分の人生の生き方の、一般的なポリシー(方針)として、人に対して恩着せがましくしないという事があります。私はボランティアに積極的に参加するような性格ではありませんが、日常生活における人助けは好きですが、人間は、本来、人を助けたら気分が良くなる生き物で(私もそうです)、私にとって人を助ける事は完全に自己満足です。したがって、もちろん、助けた人から感謝の言葉を貰ったり、お礼をされれば嬉しいですが、私の中では、人助けをした時点において完結しており、助けた人や物を上げた人から感謝の言葉やお礼がなくても、私の中で、不快になったり、腹を立てたりする理由は何もありません。

それと矛盾するかもしれませんが、一方において、私は、人から何かをして貰って当たり前という感覚は、一生、持たないようにしようと思っています。


我が家の近所の私の実家は、元々、母方の祖父母の家で(ちなみに母は一人っ子です)、母方の祖父母が同居していたのですが(既に母方の祖父母とも亡くなり、現在は、実家は両親が引き継いで暮らしています)、母方の祖父は、健康過ぎて、医者いらずで医者嫌いで、かえって、その事があだとなり、癌の自覚症状が出るまで病院に行かず、病院に行って検査を受けた時には既に治療し治るには手遅れとなっており、70代の終わりで癌により亡くなりました。母方の祖父は、癌にさえならなければ(癌の原因はタバコでした)、又は、癌が早期に発見され治療が出来ていれば、90歳以上は生きたような気がします。

母方の祖父は、病院で癌が発見されてから、一回の、大きな手術を経て、1年も持たずに、私が高校生の時に70代の終わりで亡くなりました。母方の祖父の闘病生活は、とても、痛く・苦しい物であったようですが、母方の祖父は、一切、痛いとか、苦しいと言った事や愚痴や不満を、家族に言わずに、母方の祖父が出来得る限り、家族の前では、穏やかで、優しい、夫・父・祖父であり続けようとしました。母方の祖父は、病院の、医者や看護婦達にも、病状を伝える為の、痛いとか苦しいとかは言っていた様ですが、泣き言の痛いとか苦しいとか、愚痴や不満は、一切言わずに、その代わり、ひたすら、家族(妻(私の母方の祖母)、娘(私の母))に対して同様、感謝の言葉・お礼の言葉を述べていたそうです。

それは、おそらく、母方の祖父の、昔ながらの男の意地と言った物であったと思いますが、母方の祖母と、母は、それを、昔の男の家族に心配をかけない為の、優しさ・強さだと捉えて、賞賛していましたし、今でも、私の母は、そう捉えて、私の母方の祖父の事を賞賛しています。

実際になれるかどうか分かりませんが、私は、母方の祖父のような、強い男性になりたいと思っています。」



以下、「」内、私が、kjの投稿で、よく書いて来た言葉です。


「個人的に、日本で、男として生まれ て(日本人の男として生まれて)、良かったと思う(幸せだと思う)、最も重要な理由に、性格も含めて、日本の女性(日本の女性達)が、世界で、一番、良い (世界で、一番、素晴らしい)(あくまで、私の個人的な意見ですが。。。w)と言う事が挙げられます。生まれてから、今まで、生きて来て、女性達には、本当に、優しく、親切にして貰って来て、本当に、感謝しています。

日本の女性の特徴は、私の経験の範囲内における、一般的な傾向として(もちろん、全ての、女性に当てはまる訳ではない)、愛想・愛嬌がある、ファッション(服装)や、振る舞い等が、女性である事を意識している、好意を持っている(好きな)男性に対して、自分で(自ら)、積極的に、アプローチする(誘惑する)女性が、多い(ただし、そうではない女性もいる)、好きなった異性とのsexは、男性よりも積極的である、優しい、親切、根本的に、頭が良いと言った事が挙げられます。」



上で、「生まれてから、今まで、生きて来て、女性達には、本当に、優しく、親切にして貰って来て、本当に、感謝しています。」と言う事に関して、私は、昔から、女性に対して(まあ、男性に対してもそうなのですが、特に女性に対して)、何かをして貰ったら、どんな些細な事でも、口癖のように、素直に、「ありがとう」と相手に伝わるように言って来たと言う事もあると思います。


この事は、意識している訳でもなく、昔から、自然と身についていました。


何故かと言うと、「ありがとう」と言う言葉は、母に対する父の口癖で、父は、母に対して、本当に、よく、「ありがとう」と、自然のように言っていた為です(おそらく、今も、そうであると思います)。


母は、父と結婚してから、アルバイトを含めて、仕事を、一切した事がない専業主婦なので、時間があるからと言うのもあると思いますが、会社員である、父の世話・面倒を見る事を、実に、甲斐甲斐しく行っていました(おそらく、今も、そうであると思います)。特に、父の出勤前と、父が会社から早目に帰宅した際に、そんな感じでした。ただし、母は、自由奔放な面が強い女性でありw、「自分がやりたいようにはやらしてもらうわよ」と言った感じでw、私の父は、私が子供の頃・若い頃は、典型的な、仕事人間・会社人間と言った感じで、平日は、週1日から3日位、仕事を終えた後、家に早く帰る日がありましたが、それ以外は、ほとんど深夜に帰宅していましたが 、母は、夫が仕事で帰宅が遅い日には、待たずに、さっさと寝てしまうタイプの妻でしたw


父は、母に何かをして貰った際に、どんな些細な事でも、口癖のように、素直に、優しい笑顔で、「ありがとう」と母に伝わるように言っていました(おそらく、今もそうであると思います)。


鶏が先か、卵が先かと言った感じで、母は、父に、優しい笑顔で、「ありがとう」と言って貰う事が、大好物のようで、父に、優しい笑顔で、「ありがとう」と言って貰う事が嬉しくて(父に、優しい笑顔で、「ありがとう」と言って貰いたくて)、上手い例えが思い浮かびませんが、小ツバメに対して餌を運ぶ親ツバメのように、また、花の周りと飛び回る蝶々のように、父の世話・面倒を見る事を、甲斐甲斐しく行っていました。





私の母は、無意識的・意識的に、「さすが!」とか「凄い!」とか「頼りになる!」とか、周囲の男性達を、おだてて、立てて、男性達に、助けて貰ったり、面倒な事を引き受けて貰ったり、優しくして貰うのが、(おそらく)若い頃から、とても上手で(とても得意で)、無意識的・意識的に、そうした事が、大好き(とても好き)な女性です。

私の母が年を取り、私が中年になってからの話ですが、前に、近所の実家に暮らす母は、私に、「男は、おだてれば何でもしてくれるのよ」と、ぶっちゃけ自分で本音を暴露していましたw

私の父も、もしかしたら子供が見ていない時に(母と二人きりの時に)、母に、さんざん、おだてられて来たのかもしれませんw

我が家の近所の私の実家の場合、元々、母方の祖父母の家で、母方の祖父母が同居していたのですが(既に母方の祖父母とも亡くなっている。今は両親の二人暮らし)、それは別の話として置いておいたら、私と弟が実家を出るまでは、母(父と結婚してからはずっと専業主婦)以外、会社員の父、私、私の2歳年下の弟の、全員、男であったのですが、母は、まあ何も考えないタイプの女性というのもありますがw、男連中を褒めて伸ばすタイプで、私は気分が良かったですし、父も弟も、そうであると思います。


ちなみに、私には、兄弟姉妹は、2歳年下の弟が一人います。私の弟は、外資系の会社員で、既に、結婚をし、(まだ、二人共、幼いですが)子供が2人いて(男の子(上)が1人と、女の子(下)が1人。女の子は、一昨年、生まれたばかり)、弟の家族(妻・子供)と共に、東京の西部郊外の、静かで落ち着いた住宅地に買った、一戸建て住宅に、暮らしています。




私の実家は、別に裕福ではなく、普通の中流の家庭なのですが、私は、親(母)に、子供の頃、フォーマル、セミフォーマル、カジュアルの服の使い分けを、きちんと教育されて育った方であると思います。


フォーマルは、それこそ、行事の時や高級レストランに食事をしに行く際の服装であり、カジュアルは、普段着、セミフォーマルは、その中間の服装です。


私の父は、普通の会社員ですが(ちなみに、父は、今は、既に、半分定年退職状態となっています。また、私の母は、私の父と結婚してから、ずっと主婦です)、私の父は、私が、子供の頃、毎月一回(概ね1年間に12回)、父の給料日の直後の、土曜日等に、給料日祝いの夕食として、夕食を、家族(私の母、私、弟)を、ステーキ(beef steak)レストランや洋食(yoshoku)(日本で、近代以降、日本人の口に合う様に、(日本人の視点からすれば)改良された、西洋料理)レストランに、ステーキ(beef steak)やハンバーグ(hamburger steak)を食べに連れて行きました(ちなみに、その際には、私の母方の祖父母は、家で、お留守番と言うか、行きませんでした。また、その際には、私も弟も、毎回、両親に、おもちゃ等を買って貰うのを楽しみにしていました)。その際には、母は、子供(私、及び、弟)には、基本的には、セミフォーマルの服を着せ、割と高級なステーキ(beef steak)レストランに行く場合には、フォーマルな服を着せました。


また、それとは別に、毎月一回(概ね1年間に12回)、父の給料日の直後あたりの日に、私の父と母は、(おそらく、ステーキ(beef steak)やハンバーグ(hamburger steak)を中心とした食事ではなく、大人向けの食事である)日本料理や西洋料理、中国料理の外食の夕食又は昼食を、(子供(私と弟)を、私の母方の祖父母と共に、家に、お留守番させて)、二人で食べに行ってました。その際には、母は、いつも、とてもお洒落をして(フォーマルな、お洒落な服を着て)、出掛けていました。また、それとは、また別に、私の父と母は、昔から(私が子供の頃から)、現在に至るまで、毎年、母の誕生日(又は、その付近の日)(父の誕生日は、昔から、それはしないw)と、結婚記念日(又は、その付近の日)に、高級な、日本料理や西洋料理、中国料理の外食を食べに出掛けており、その際にも、母は、昔から(私が、子供の頃から)、いつも、とてもお洒落をして(フォーマルな、お洒落な服を着て)、出掛けています(と言うか、今は、実家暮らしではないので、今の状況は、詳しく分かりませんが、おそらく、今も、そうです)。


前述の通り、毎月一回(概ね1年間に12回)、父の給料日の直後あたりの日に、私の父と母は、(おそらく、ステーキ(beef steak)やハンバーグ(hamburger steak)を中心とした食事ではなく、大人向けの食事である)日本料理や西洋料理、中国料理の外食の夕食又は昼食を、(子供(私と弟)を、私の母方の祖父母と共に、家に、お留守番させて)、二人で食べに行ってましたが、その際に、(父は、前述の通り、普段、母に何かをして貰った際に、どんな些細な事でも、口癖のように、素直に、優しい笑顔で、「ありがとう」と母に伝わるように言っていましたが(おそらく、今もそうであると思いますが))、父は、毎回、改めて、母に対して、感謝の気持ちを伝えていたと思います。ちなみに、両親は、その際、基本的に、毎回、父が母に対して買ってあげた花(ブーケ・花束)を家(私の実家)に持ち帰って来ました(この花のエピソードに関しては、私は、父のマメさに敵わないかもと思いますw)。また、おそらく、母は、そうした食事の際、毎回、父の事を褒めたり、おだてたりしていたと思います。



前述の通り、父は、普段、母に何かをして貰った際に、どんな些細な事でも、口癖のように、素直に、優しい笑顔で、「ありがとう」と母に伝わるように言っていましたが(今もそうであると思います)、さすがに、母が、父を含めて家族にご飯を作った時に、毎回、ありがとうとは言いませんでした。ちなみに、私は、昔から、交際している女の子・女性(もちろん、私の今の彼女を含む)又は親密な女の子・女性が、私と2人きりの時に、私の為に料理を作ってくれた場合、毎回、(少なくとも)美味しいと言う事に加えて、「ありがとう」と言っています(また、私は、前述の通り、昔から、女性に対して、何かをして貰ったら、どんな些細な事でも、素直に、「ありがとう」と相手に伝わるように言っています)。




私の母は、私が実家暮らしの、私が子供の頃・学生の頃・20代の半ば頃、私に対して、よく、「○○(私の名前の、最初の、二文字)は、いつも(又は、何を作っても)、美味しいねと言ってくれるので、料理のつくり甲斐がある」と言った感じの事を言っていました。

私は、お世辞でも何でもなく、母の作る料理が、美味しいから、美味しいと言っていただけです。



ちなみに、私は、昔から、交際している女の子・女性又は親密な女の子・女性が、私と2人きりの時に、私の為に料理を作ってくれた場合、私は、その料理が、美味しくても、普通でも、美味しくなくても、不味くても、私の為に、せっかく、手間をかけて料理を作ってくれたのだから、少なくとも、美味しいと言うようにしています。そして、もし、その料理が、美味しくなかったり、不味かったりした場合は、その女の子・女性の今後の為に、「もう少し、塩味を濃くした方が、より美味しくなると思うよ」とか、「もう、少し、薄味にした方が、より美味しくなるかも」とか、具体的なアドバイスを添えるようにしています。

ちなみに、私は、今まで、実生活において、私と2人きりの時に、私の為に料理を作ってくれた、交際している女の子・女性又は親密な女の子・女性の、料理、及び、料理の腕前に関して、その女の子・女性の前でも、その女の子・女性以外の誰に対しても、悪く言った事は、一度もありません。




ちなみに、私の今の彼女の作る料理は、美味しいです。





写真以下。今日、我が家で、彼女と二人で食べた、(今日の)夕食です。



写真以下2枚。彼女の、手作りの、夏野菜の、 カレー(curry)。ご飯(rice)の上に、 カレー(curry)のルー(挽き肉の カレー(curry))をかけて、その上に、夏野菜の炒め物を載せて食べます。美味しかったです。





夏野菜の炒め物。






カレー(curry)のルー(挽き肉の カレー(curry))。少し余ったので、明日の遅い朝食兼昼食の一部として食べる予定です。






以下、デザート(dessert)。



写真以下2枚。果物。もちろん、ケーキ(cake)の前に食べました。




既に別の日に、半分食べてしまっていた物ですが、パイナップル(pineapple)。








もちろん、これ全部、一度に食べた訳ではありませんが、(既に1個食べてしまっていましたが)、湘南(syonan)ゴールドと言う、品種の蜜柑。頂き物。







以下、私の街の、よく利用する、お気に入りの、ケーキ(cake)店の、ケーキ(cake)。ココナッツ(coconut)系のケーキ(cake)と、塩キャラメル(caramel)系の、ケーキ(cake)。何れも、二人で分けて食べました。この店の、ケーキ(cake)は、とても、美味しいです。















ココナッツ(coconut)系のケーキ(cake)。







写真以下2枚。塩キャラメル(caramel)系の、ケーキ(cake)。




















「고마워요」라고 하는 말의 마법



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이하, 「」 안, 조금 앞에 간, 나의 kj의 레스로부터 발췌해 온 것입니다.



「덧붙여서, 지금까지의 개인적인 경험으로부터, 프라이빗에 대해도, 일(비즈니스)에 대해도, 감사합니다, 감사합니다, 살아납니다라고 한 말은, 내기 아까워하지 않고 손해 보는 일(내기 아까워해 이득을 보는 일)은 없다고 생각합니다.

덧붙여서, 나는, 자신의 인생의 삶의 방법의, 일반적인 폴리시(방침)로서 사람에 대해서 생색내는 것같게 하지 않는다고 하는 것이 있어요.나는 자원봉사에게 적극적으로 참가하는 성격이 아닙니다만, 일상생활에 있어서의 사람 돕기는 좋아합니다만, 인간은, 본래, 사람을 도우면 기분이 좋아지는 생물로( 나도 그렇습니다), 나에게 있어서 사람을 돕는 일은 완전하게 자기만족입니다.따라서, 물론, 도운 사람으로부터 감사의 말을 받거나 답례를 하시면 기쁩니다만, 나에게는, 사람 돕기를 한 시점에 두어 완결하고 있어, 도운 사람이나 물건을 올린 사람으로부터 감사의 말이나 답례가 없어도, 나중에서, 불쾌하게 되거나 화를 내거나 하는 이유는 아무것도 없습니다.

그것과 모순될지도 모릅니다만, 한편에 있고, 나는, 사람으로부터 무엇인가를 해 받아 당연이라고 하는 감각은, 일생, 가지지 않게 하려고 생각합니다.


우리 집의 부근의 나의 친가는, 원래, 외가의 조부모의 집에서(덧붙여서 어머니는 독자입니다), 외가의 조부모가 동거하고 있었습니다만(이미 외가의 조부모와도 돌아가셔, 현재는, 친가는 부모님이 계승하며 살고 있습니다), 외가의 조부는, 너무 건강하고, 의사 필요하지 않고로 의사 싫고, 오히려, 그 일이 원수가 되어, 암의 자각 증상이 나올 때까지 병원에 가지 않고, 병원에 가서 검사를 받았을 때에는 이미 치료해 나으려면 뒤늦음이 되고 있어 70대의 마지막으로 암에 의해 돌아가셨습니다.외가의 조부는, 암에마저 안 되면(암의 원인은 담배였습니다), 또는, 암이 조기에 발견되어 치료가 되어있어 있으면, 90세 이상은 산 것 같은 생각이 듭니다.

외가의 조부는, 병원에서 암이 발견되고 나서, 1회의, 큰 수술을 거치고, 1년이나 가지지 않고 , 내가 고교생때에 70대의 마지막으로 돌아가셨습니다.외가의 조부의 투병 생활은, 매우, 아프고·괴로운 것인 것 같습니다만, 외가의 조부는, 모두, 아프다든가, 괴롭다고 한 일이나 푸념이나 불만을, 가족에게 말하지 않고 , 외가의 조부가 생길 수 있는 한, 가족의 앞에서는, 온화하고, 상냥한, 부·부·조부로 계속 되려고 했습니다.외가의 조부는, 병원의, 의사나 간호사들에게도, 병상을 전하기 때문에(위해)의, 아프다든가 괴롭다든가는 말한 님입니다만, 푸념의 아프다든가 괴롭다든가, 푸념이나 불만은, 일절 말하지 않고 , 그 대신해, 오로지, 가족(아내( 나의 외가의 조모), 딸(아가씨)( 나의 어머니))에 대해서 같이, 감사의 말·답례의 말을 말하고 있었다고 합니다.

그것은, 아마, 외가의 조부의, 옛날부터의 남자의 고집이라고 한 것이었다고 생각합니다만, 외가의 조모와 어머니는, 그것을, 옛 남자의 가족에게 걱정을 끼치지 않기 때문에의, 상냥함·힘이라고 파악하고, 칭찬하고 있었고, 지금도, 나의 어머니는, 그렇게 파악하고, 나의 외가의 조부의 일을 칭찬하고 있습니다.

실제로 될 수 있을지 모릅니다만, 나는, 외가의 조부와 같은, 강한 남성이 되고 싶습니다.」



이하, 「」 안, 내가, kj의 투고로, 잘 써 온 말입니다.


「개인적으로, 일본에서, 남자로서 태생 (이)라고(일본인의 남자로서 태어나고), 좋았다고 생각한다(행복하다고 생각한다), 가장 중요한 이유에, 성격도 포함하고, 일본의 여성(일본의 여성들)이, 세계에서, 제일, 좋다 (세계에서, 제일, 훌륭하다)(어디까지나, 나의 개인적인 의견입니다만...w)라고 말하는 것이 들 수 있습니다.태어나고 나서, 지금까지, 살아 오고, 여성들에게는, 정말로, 상냥하고, 친절하게 해 받아 오고, 정말로, 감사하고 있습니다.

일본의 여성의 특징은, 나의 경험의 범위내에 있어서의, 일반적인 경향으로서(물론, 모든, 여성에게 들어맞는 것은 아니다), 붙임성·애교가 있다, 패션(복장)이나, 행동등이, 여성인 일을 의식하고 있는, 호의를 가지고 있는(좋아하는) 남성에 대해서, 스스로(스스로), 적극적으로, 어프로치 하는(유혹한다) 여성이, 많은(다만, 그렇지 않은 여성도 있다), 좋아해 된 이성과의 sex는, 남성보다 적극적인, 상냥한, 친절, 근본적으로, 머리가 좋다고 한 일을 들 수 있습니다.」



위에서, 「태어나고 나서, 지금까지, 살아 오고, 여성들에게는, 정말로, 상냥하고, 친절하게 해 받아 오고, 정말로, 감사하고 있습니다.」라고 하는 일에 관해서, 나는, 옛부터, 여성에 대해서(뭐, 남성에 대해서도 그렇습니다만, 특히 여성에 대해서), 무엇인가를 해 받으면, 어떤 사소한 일에서도, 말버릇과 같이, 솔직하게, 「고마워요」라고 상대에게 전해져 게 말해 왔다고 하는 일도 있다고 생각합니다.


이 일은, 의식하고 있는 것도 아니고, 옛부터, 자연과 몸에 붙어 있었습니다.


왜일까라고 말하면, 「고마워요」라고 하는 말은, 어머니에 대한 아버지의 말버릇으로, 아버지는, 어머니에 대해서, 정말로, 자주(잘), 「고마워요」라고, 자연과 같이 말한 때문입니다(아마, 지금도, 그렇다라고 생각합니다).


어머니는, 아버지와 결혼하고 나서, 아르바이트를 포함하고, 일을, 일절 한 일이 없는 전업 주부이므로, 시간이 있다로부터라고 말하는 것도 있다라고 생각합니다만, 회사원인, 아버지의 도움·돌보는 일을, 실로, 카이 카이 까는 가고 있었습니다(아마, 지금도, 그렇다라고 생각합니다).특히, 아버지의 출근전과 아버지가 회사로부터 빨리 귀가했을 때에, 그런 느낌이었습니다.다만, 어머니는, 자유분방한 면이 강한 여성이며 w, 「자신이 하고 싶게는이든지 받아요」라고 한 느낌으로 w, 나의 아버지는, 내가 어릴 적·젊은 무렵은, 전형적인, 사업인 사이·회사 인간이라고 한 느낌으로, 평일은, 주 1일부터 3일 정도, 일을 끝낸 후, 집에 빨리 돌아가는 날이 있었습니다만, 그 이외는, 거의 심야에 귀가하고 있었습니다만 , 어머니는, 남편이 일로 귀가가 늦은 날에는, 기다리지 않고 , 빨리 자 버리는 타입의 아내였습니다 w


아버지는, 어머니에게 무엇인가를 해 받았을 때에, 어떤 사소한 일에서도, 말버릇과 같이, 솔직하게, 상냥한 웃는 얼굴로, 「고마워요」라고 어머니에게 전해지도록(듯이) 말했습니다 (아마, 지금도 그렇다라고 생각합니다).


닭이 앞인가, 알이 앞일까하고 말한 느낌으로, 어머니는, 아버지에게, 상냥한 웃는 얼굴로, 「고마워요」라고 해 받는 것이, 매우 좋아하는 같고, 아버지에게, 상냥한 웃는 얼굴로, 「고마워요」라고 해 받는 것이 기쁘고(아버지에게, 상냥한 웃는 얼굴로, 「고마워요」라고 해 받고 싶어서), 능숙한 비유가 생각해 떠오르지 않습니다만, 소제비에 대해서 먹이를 옮기는 친제비와 같이, 또, 꽃의 주위와 날아다니는 나비들과 같이, 아버지의 도움·돌보는 일을, 카이 카이 까는 가고 있었습니다.





나의 어머니는, 무의식적·의식적으로, 「과연!」라고「굉장하다!」라고「의지가 된다!」라고, 주위의 남성들을, 치켜세우고, 세우고, 남성들에게, 도와 받거나 귀찮은 일을 맡아 받거나 상냥하게 해 받는 것이, (아마) 젊은 무렵부터, 매우 능숙하고(매우 자신있고), 무의식적·의식적으로,?`사한 일이, 너무 좋아(매우 좋아해)인 여성입니다.

나의 어머니가 나이를 먹어, 내가 중년이 되고 나서의 이야기입니다만, 전에, 근처의 친가에 사는 어머니는, 나에게, 「남자는, 치켜세우면 뭐든지 해 주어」라고, 스스로 본심을 폭로하고 있었던 w

나의 아버지도, 혹시 아이가 보지 않을 때에(어머니와 둘이서의 때에), 어머니에게, 실컷, 치겨 세워져 왔을지도 모릅니다 w

우리 집의 부근의 나의 친가의 경우, 원래, 외가의 조부모의 집에서, 외가의 조부모가 동거하고 있었습니다만(이미 외가의 조부모와도 죽는다.지금은 부모님의 두 명 생활), 그것은 다른 이야기로서 놓아두면, 나와 남동생이 친가를 나올 때까지는, 어머니(아버지와 결혼하고 나서는 쭉 전업 주부) 이외, 회사원의 부, 나, 나의 2세 연하의 남동생의, 전원, 남자였습니다만, 어머니는, 뭐 아무것도 생각하지 않는 타입의 여성이라고 하는 것도 있어요가 w, 남자 무리를 칭찬해 늘리는 타입으로, 나는 기분이 좋았습니다 해, 아버지나 남동생도, 그렇다라고 생각합니다.


덧붙여서, 나에게는, 형제 자매는, 2세 연하의 남동생이 한 명 있습니다.나의 남동생은, 외자계의 회사원으로, 이미, 결혼을 해, ( 아직, 두 명모두, 어립니다만) 아이가 2명 있어(사내 아이(위)가 1명?`니, 여자 아이(아래)가 1명.여자 아이는, 재작년, 태어났던 바로 직후), 남동생의 가족(아내·아이)과 함께, 도쿄의 서부 교외의, 조용하고 침착한 주택지에 산, 독립주택에, 살고 있습니다.




나의 친가는, 별로 유복하지 않고, 보통 중류의 가정입니다만, 나는, 부모(어머니)에게, 어릴 적, 포멀, 준정식, 캐쥬얼의 옷의 사용구분을, 제대로 교육되어 자란 (분)편이다고 생각합니다.


포멀은, 그야말로, 행사때나 고급 레스토랑에 식사를 하러 갈 때의 복장이며, 캐쥬얼은, 평상복, 준정식은, 그 중간의 복장입니다.


나의 아버지는, 보통 회사원입니다만(덧붙여서, 아버지는, 지금은, 이미, 반정년퇴직 상태가 되고 있습니다.또, 나의 어머니는, 나의 아버지와 결혼하고 나서, 쭉 주부입니다), 나의 아버지는, 내가, 어릴 적, 매월 1회(대체로 1년간에 12회), 아버지의 월급날의 직후의, 토요일등에, 월급날 축하의 저녁 식사로서 저녁 식사를, 가족( 나의 모, 나, 남동생)을, 스테이크(beef steak) 레스토랑이나 양식(yoshoku)(일본에서, 근대 이후, 일본인이 입맛에 맞는 것처럼, (일본인의 시점으로부터 하면) 개량된, 서양 요리) 레스토랑에, 스테이크(beef steak)나 햄버거(hamburger steak)를 먹어에 데리고 갔습니다(덧붙여서, 그 때에는, 나의 외가의 조부모는, 집에서, 집보기라고 말하는지, 가지 않았습니다.또, 그 때에는, 나나 남동생도, 매회, 부모님에게, 장난감등을 사 받는 것을 기대하고 있었습니다).그 때에는, 어머니는, 아이( 나, 및, 남동생)에게는, 기본적으로는, 준정식의 옷을 입혀 생각보다는 고급 스테이크(beef steak) 레스토랑에 가는 경우에는, 포멀한 옷을 입혔습니다.


또, 그것과는 별도로, 매월 1회(대체로 1년간에 12회), 아버지의 월급날의 직후 쯤의 날에, 나의 아버지와 어머니는, (아마, 스테이크(beef steak)나 햄버거(hamburger steak)를 중심으로 한 식사가 아니고, 어른용의 식사이다) 일본 요리나 서양 요리, 중국 요리의 외식의 저녁 식사 또는 점심 식사를, (아이( 나와 남동생)를, 나의 외가의 조부모와 함께, 집에, 집보기시키고), 둘이서 먹으러 가고 있었습니다.그 때에는, 어머니는, 언제나, 매우 멋을 부리고(포멀한, 세련된 옷을 입고), 나가고 있었습니다.또, 그것이란, 또 별로, 나의 아버지와 어머니는, 옛부터(내가 어릴 적부터), 현재에 이르기까지, 매년, 어머니의 생일(또는, 그 부근의 날)(아버지의 생일은, 옛부터, 그것은 하지 않는 w)와 결혼기념일(또는, 그 부근의 날)에, 고급, 일본 요리나 서양 요리, 중국 요리의 외식을 먹어에 나가고 있어 그 때에도, 어머니는, 옛부터(내가, 어릴 적부터), 언제나, 매우 멋을 부리고(포멀한, 세련된 옷을 입고), 나가고 있습니다(라고 말하는지, 지금은, 친가 생활은 아니기 때문에, 지금의 상황은, 자세하게 모릅니다만, 아마, 지금도, 그렇습니다).


상술한 대로, 매월 1회(대체로 1년간에 12회), 아버지의 월급날의 직후 쯤의 날에, 나의 아버지와 어머니는, (아마, 스테이크(beef steak)나 햄버거(hamburger steak)를 중심으로 한 식사가 아니고, 어른용의 식사이다) 일본 요리나 서양 요리, 중국 요리의 외식의 저녁 식사 또는 점심 식사를, (아이( 나와 남동생)를, 나의 외가의 조부모와 함께, 집에, 집보기시키고), 둘이서 먹으러 갔었습니다만, 그 때에, (아버지는, 상술한 대로, 평상시, 어머니에게 무엇인가를 해 받았을 때에, 어떤 사소한 일에서도, 말버릇과 같이, 솔직하게, 상냥한 웃는 얼굴로, 「고마워요」라고 어머니에게 전해지도록(듯이) 말했습니다만 (아마, 지금도 그렇다라고 생각합니다만)), 아버지는, 매회, 재차, 어머니에 대해서, 감사의 기분을 전하고 있었다고 생각합니다.덧붙여서, 부모님은, 그 때, 기본적으로, 매회, 아버지가 어머니에 대해서 사 준 꽃(부케·꽃다발)을 집( 나의 친가)에 가지고 돌아가 왔습니다(이 꽃의 에피소드에 관해서는, 나는, 아버지의 부지런함에 이길 수 없을지도라고 생각하는 w).또, 아마, 어머니는, 그러한 식사때, 매회, 아버지의 일을 칭찬하거나 치켜세우거나 하고 있었다고 생각합니다.



상술한 대로, 아버지는, 평상시, 어머니에게 무엇인가를 해 받았을 때에, 어떤 사소한 일에서도, 말버릇과 같이, 솔직하게, 상냥한 웃는 얼굴로, 「고마워요」라고 어머니에게 전해지도록(듯이) 말했습니다만 (지금도 그렇다라고 생각합니다), 과연, 어머니가, 아버지를 포함해 가족에게 밥을 만들었을 때에, 매회, 고마워요라고는 말하지 않았습니다.덧붙여서, 나는, 옛부터, 교제하고 있는 여자 아이·여성(물론, 나의 지금의 그녀를 포함한다) 또는 친밀한 여자 아이·여성이, 나와 2명 뿐때에, 나를 위해 요리를 만들어 주었을 경우, 매회, (적어도) 맛있다고 하는 일에 가세하고, 「고마워요」라고 합니다 (또, 나는, 상술한 대로, 옛부터, 여성에 대해서, 무엇인가를 해 받으면, 어떤 사소한 일에서도, 솔직하게, 「고마워요」라고 상대에게 전해지도록(듯이) 말합니다).




나의 어머니는, 내가 친가 생활의, 내가 어릴 적·학생의 무렵·20대의 반 무렵, 나에 대해서, 자주(잘), 「00( 나의 이름의, 최초의, 2 문자)은, 언제나(또는, 무엇을 만들어도), 맛있다라고 말해 주므로, 요리의 구조 보람이 있다」라고 한 느낌의 일을 말했습니다.

나는, 아첨에서도 아무것도 아니고, 어머니가 만드는 요리가, 맛있기 때문에, 맛있다고 해 받을 수 있어입니다.



덧붙여서, 나는, 옛부터, 교제하고 있는 여자 아이·여성 또는 친밀한 여자 아이·여성이, 나와 2명 뿐때에, 나를 위해 요리를 만들어 주었을 경우, 나는, 그 요리가, 맛있어도, 보통에서도, 맛있지 않아도, 맛이 없어도, 나를 위해, 모처럼, 수고를 들이고 요리를 만들어 주었으니까, 적어도, 맛있다고 하도록(듯이) 하고 있습니다.그리고, 만약, 그 요리가, 맛있지 않거나, 맛없는가 충분했을 경우는, 그 여자 아이·여성의 향후를 위해, 「좀 더, 짠맛을 진하게 하는 것이, 보다 맛있어진다고 생각해」라고, 「 이제(벌써), 조금, 박미로 하는 것이, 보다 맛있어질지도」라고, 구체적인 어드바이스를 더하도록(듯이) 하고 있습니다.

덧붙여서, 나는, 지금까지, 실생활에 대하고, 나와 2명 뿐때에, 나를 위해 요리를 만들어 준, 교제하고 있는 여자 아이·여성 또는 친밀한 여자 아이·여성의, 요리, 및, 요리의 솜씨에 관해서, 그 여자 아이·여성의 앞에서도, 그 여자 아이·여성 이외의 누구에 대해서도, 나쁘게 말한 일은, 한번도 없습니다.




덧붙여서, 나의 지금의 그녀가 만드는 요리는, 맛있습니다.





사진 이하.오늘, 우리 집에서, 그녀와 둘이서 먹은, (오늘의) 저녁 식사입니다.



사진 이하 2매.그녀의, 손수 만든, 여름 들판나물의, 카레(curry).밥(rice) 위에, 카레(curry)의 루(간 고기의 카레(curry))를 치고, 그 위에, 여름 들판나물이 볶아 것을 실어 먹습니다.맛있었습니다.





여름 들판나물이 볶아 것.






카레(curry)의 루(간 고기의 카레(curry)).조금 남았으므로, 내일이 늦은 아침 식사겸점심 식사의 일부로서 먹을 예정입니다.






이하, 디저트(dessert).



사진 이하 2매.과일.물론, 케이크(cake)의 전에 먹었습니다.




이미 다른 날에, 반 먹어 버리고 있던 것입니다만, 파인애플(pineapple).








물론, 이것 전부, 한 번에 먹은 것은 아닙니다만, (이미 1개 먹어 버리고 있었습니다만), 쇼난(syonan) 골드라고 말하는, 품종의 밀감.선물.







이하, 나의 거리의, 자주(잘) 이용하는, 마음에 드는, 케이크(cake) 점의, 케이크(cake).코코넛(coconut) 계의 케이크(cake)와 소금 카라멜(caramel) 계의, 케이크(cake).어느 쪽도, 둘이서 나누어 먹었습니다.이 가게의, 케이크(cake)는, 매우, 맛있습니다.















코코넛(coconut) 계의 케이크(cake).







사진 이하 2매.소금 카라멜(caramel) 계의, 케이크(cake).





















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