鉄道話

http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20120502/231656/

 4月27日夕刻のJR大阪駅。次の日からの大型連休に期待を膨らませ、会社や学校からの家路をたどる大勢の人々でごった返す。なかでも独特な熱気 に包まれた10番線ホームは、カメラを構えた鉄道ファンであふれかえっていた。お目当ては、寝台特急ブルートレインの臨時列車、その名も「ニコニコ超会議 号」だ。


たまたま通りかかった人も携帯電話で記念撮影

 この列車は、インターネットの画面上でユーザーがコメントを付け合うことができる動画サイト「ニコニコ動画」を運営するドワンゴが、東京の幕張 メッセで4月28~29日に開いたイベント「ニコニコ超会議」の参加者を関西方面から運ぶために企画された。発案者は、無類の鉄道マニアとして知られる ミュージシャンの向谷実氏だ。


向谷“車掌”がご登場!

 向谷氏は日本を代表するフュージョンバンド、カシオペア(現在は活動休止中)のキーボード奏者として名が知れ渡る一方、電車の運転シミュレーター を製造・販売する株式会社音楽館(東京都世田谷区)の社長として大忙しの日々を送っている。このことは日経ビジネス2月13日号の「旗手たちのアリア~鉄 道に安心捧げる音楽家」でも紹介したことがある。

 その向谷氏がこの日、薄いグレーの制服・制帽を身にまとい車掌に扮して登場すると、鉄道ファンたちのカメラから一斉にフラッシュがたかれた。敬礼 のポーズを決めながら、初めて会ったはずのファンたちと古くからの知り合いのように大声で語り合っている間に、発車時刻が到来。17時49分、定刻通り大 阪駅のホームを滑り出した夢のブルトレの行き先は、かつてなかった路線となる上野駅。しかも、ここから日本海側へ遠回りする長旅だ。


誰よりも表情がまぶしい向谷車掌(ドワンゴ提供)

夢を現実にする発想力とエネルギー

 向谷氏が以前から親しくしているドワンゴの川上量生会長と話が弾んだ際、全くのノリで決めたこの「夢のブルトレ」企画は、鉄道好きの向谷氏がこれまでずっと暖めていたアイデアの一部だったという。

 「夢」の企画とされる理由。それは、車両が老朽化によって激減しているほか、飛行機や新型列車に押されて利用者が落ち込んだことで、これ まで多くの路線が廃止されてきた背景そのものが物語る。そのことに加え、分割民営化して久しいJR各社の連携が国鉄時代のようにはスムーズにいかなくなっ たという事情も透けて見える。

 もちろん、分割民営化により各社が採算重視になったのは当然のことだ。ただでさえ長い距離の運行となった今回の企画に関しても、あるJR関係者は 「夜間は旅客の乗降がないにもかかわらず、安全確保のために路線上の各駅に人を配置しなければならない。コスト面に限らず、会社をまたがって人員確保の調 整をするのは難しかった」と打ち明ける。

 これまでもブルトレの臨時列車としては、夏の高校野球で応援のために地方と甲子園を結ぶための貸し切り列車や、一部団体の大量移動向けはあった。しかし、運行そのものをイベント化する貸し切りの事例はほとんどなかったという。

 いざ、やろうと思ってはみても、鉄道会社の関係者ですら簡単に言ってできる話ではない。それを実現に導いていくところが向谷氏の向谷氏たる所以だ。同氏が持つ発想力とエネルギーに、回りの多くの人が巻き込まれていくのだ。

 多方面に人脈を持つ向谷氏は早速、JRや旅行会社の関係者に相談を持ちかけた。電話に出た先方の多くは最初こそ驚きを隠せなかったが、熱心な向谷 氏の話に耳を傾けるうちに、いつの間にか受け入れていた。「無謀に見える今回の企画だが、JR社内にも、予想以上に前向きに受け止めてくれる情熱のある人 たちが少なくなかった」と向谷氏は振り返る。

 当初は、2008年に廃止された「銀河」(東京~大阪)のように東海道線を走るルートも考えた。だが、管轄の東海旅客鉄道(JR東海)ではブルト レの運用が事実上難しいという理由で断念。発想豊かな向谷氏は次に、機関士が多く所属する日本貨物鉄道(JR貨物)に相談を持ちかけた。しかし、JR貨物 の車両は駅で客車用のホームに入れない。それではと、貨物用のホームを使う案を模索したが、そこでは人の乗降ができないという。

 それでもめげない向谷氏がすぐさま思いついたのが、今回の大阪から上野に至る路線だった。管轄となる西日本旅客鉄道(JR西日本)と東日本旅客鉄 道(JR東日本)、そしてツアー商品として成り立たせなくてはならないという旅行会社としてのミッションを課せられた日本旅行が向谷氏を軸にタッグを組む ことになった。

難題は車両の調達とダイヤの組成

 大きな課題の1つは、実際に車両を調達できるかどうかだった。ブルートレインの名前の由来になっている真っ青な車両は、長く連なる客車の部分だ。 今回使われた客車は「24系ブルートレイン客車」。寝台部分が上下2段式で、寝台エリアと通路との間に仕切りがない開放型B寝台と呼ばれるものだ。通路側 には開閉式の補助席もあり、乗客同士のコミュニケーションが取りやすい、開放的な空間が演出されている。今から40年以上も前の1968年(昭和43年) から製造が始まった車両だが、ブルトレの中では新しい部類だそうだ。


ブルートレインの名前の由来は真っ青な客車の色だ

 この客車は普段、JR東日本の青森運転センターで待機している予備車両だという。それを今回は5両用い、JR西日本のお膝元、大阪まではるばる移動させてのスタートとなった。

 客車を牽引する機関車は「EF81形電気機関車」。交流と直流の両方の電気で動くことが可能だ。今回の路線では途中、信越本線の長岡駅(新潟県長 岡市)でスイッチバックして進行方向が逆になるため、同形の2つの機関車が使われた。大阪から長岡までは、JR西日本の敦賀運転センターに所属する、「赤 13号」というローズピンク色の機関車だ。今年3月まで大阪~青森間を通常運行していた「日本海」などで活躍していた。そして、もう1つの長岡から上野ま での機関車は、青森運転センター所属で、赤みが強い紅色の車体だ。いずれの機関車も正面に「ニコニコ超会議」と刻み込まれた特注ヘッドマークが掲げられ た。台座から作り、3個製造したうちの2つが使用された。


“ニコ動”のキャラクターもしっくりはまったヘッドマーク

 もう1つの大きな難題は、いままでにない路線を、しかも通常運行する電車の間を縫って実際に走らせることができるかどうか。そこは、鉄道会社で運 行ダイヤを組む担当を担う「スジ屋」と呼ばれる職人の腕の見せ所だ。今ではコンピューターを使ってダイヤを作成することが多いが、それでも随所に人間の勘 が求められるという。向谷氏は最初の段階で、JR東日本の「スジ」に詳しい知人に相談し、心強い反応を感じたそうだ。

 ブルトレの車両や機関士が今でも比較的多いというJR西日本は、さして利益が多く出るわけでもないという今回の企画を受け入れたことについて、 「鉄道をよく知らない人たちにも、改めて鉄道の良さを知ってもらういい機会になればいい」(広報担当)と、向谷氏ならではの発想力に期待を寄せる。実際、 ニコニコ動画という多種多様なユーザーが集まるサイトのイベント向けとあって、100人を超えた乗客のうち約3分の1の人がブルトレ初体験だったようだ。

いきなり「とちりました!」

 それでは、そのニコニコ超会議号の乗車リポートを始めよう。


最近ではiPadが向谷氏のトレードマークの1つに

 カメラを構えた“撮り鉄”たちを後に、ラッシュアワーの大阪駅を定刻通りに滑り出した同号は東海道線を東へ向かう。

 「車内放送だあ、車内放送っ!」。乗客よりもはしゃいでいるのは、紛れもなく向谷“車掌”本人だ。日頃からちょっとした作曲・演奏用に肌身離さず 持ち歩いているiPadを握りしめ、車掌室へ飛び込む。マイクをiPadに近づけて再生アイコンを押す。歌声合成ソフトのボーカロイドを駆使したご自慢の お手製車内チャイムが女性の声で鳴り響く。

 ♪にこにこ、にこにこ、ちょ~かいぎぃ~♪
 ♪ミソドミ、レシソソ、シ ~ララソ ~♪

 車内で一斉に拍手と歓声がわき起こる。

 「ご乗車ありがとうございます。ニコニコ超会議号、専属車掌の向谷でございます。それでは、くどいようですが、もう一度かけさせていただきます。私の人生で最大級の興奮する瞬間です」

 ♪にこにこ・・・(ブツッと途切れる)

 「…とちりました」(乗客、大爆笑!)

 想像通りというか、こんな感じで旅は始まった。

 今回の路線は簡単に言えば、実在の2つのブルトレを途中で組み合わせた格好だ。今年3月まで通常運行していた「日本海」の大阪駅から長岡駅までの 部分と、今も走っている「あけぼの」の長岡駅から上野駅までの部分をつなぐと、同じ路線になるわけだ。この列車と同様に長岡駅で方向転換するブルトレに は、金沢から長岡を経由して上野まで行く「北陸」があった。


昔のイメージを復活させたブルトレ着席券

 向谷車掌による最初の車内アナウンスに前後するころ、列車は高槻駅を通過した。途中、巨大な板チョコが側壁を被った明治製菓の大阪工場に圧倒され る。ほどなく山崎駅を通ると、サントリーの山崎蒸留所の近くでは、夕暮れの中でベビーカーを押すお母さんが子供に電車を見せながらあやす姿が見られた。

 向谷車掌のほか、ドワンゴの川上会長、旅客全般の世話をする日本旅行の添乗員の方々、取材陣は最後尾の1号車に乗り込んでいる。古くなったとはい え、ブルトレの乗り心地は良い。揺れはさほど感じず、新幹線の振動とは違う心地良さに、筆者は仕事を忘れていた。そのころ、向谷車掌は、乗客1人1人と談 笑しながら、サインを書いて回り始めた。

路線の魅力

 京都駅を過ぎ、山科駅からは琵琶湖を右手に眺めながら北上する湖西線に入った。夜7時ごろはすでに暗くなり、湖面の様子はうかがえない。

 近江塩津駅で琵琶湖に別れを告げ、北陸本線へ入り北上。日本海に近い敦賀駅で運転停車した。この近くには、日本原子力発電敦賀原子力発電所があ り、最近では直下に活断層の存在が指摘され、廃炉に追い込まれる可能性が出てきた渦中の場所だ。しかし、もちろん駅構内はいつもの平穏な空気に包まれてい る。ほかの同乗者と、そんな不思議な感覚を確認し合った。

 列車は福井駅を通過して、金沢駅に到着。時計の針は午後10時半。「JR」の文字をいくつもつなげたデザインの浴衣を着た乗客も目立ってきた。就寝の準備のため、枕元の照明を頼りに、細長い白いシーツを寝台となる座席に敷く姿も。


LEDでは出せない暖かみのある明かり

見所は長岡駅での方向転換

 筆者がブルトレに乗った思い出は30年以上前の1980年ごろだったであろうか。九州の熊本駅を夕方に発車し、翌朝に東京駅にたどり着く「みず ほ」だった。今回の車内では当時の風情を堪能できた。上段の寝台に上るためのはしごは、両手で開閉する備え付け型のものだ。昔はあったタバコの吸い殻入れ はすべて撤去され、ねじ穴だけが当時を思い起こさせる。


2階で落ちないように寝るには慣れが必要?

 窓側から突きだした小さなテーブルの下端には、ビンに入った飲料のフタをあける栓抜きが今も残っている。「フタのカドをひつかけて、ビンを上へ“こじる”」と、イラスト付きの説明書きも健在だ。


ブルトレに乗るときは、あえて“王冠”付きビン入り飲料を持ち込もう

 

 高岡駅、富山駅を過ぎ、日本海沿いを北東方向へ。日付が変わるころ、新潟県に入る。親不知駅や青海駅あたりでは、眼下に海面が広がっているはず。だが、大きく欠けた月の明かりが頼りない深夜とあって、暗闇に吸い込まれそうだ。

 眠気をはじき飛ばすかのように驚かされたのは、信越本線に合流する直江津駅。夜中の1時前後だというのに、ホームにはカメラを構える人、人、人。 なかには、小学生ほどの子供達の姿も。親に連れられてきたというより、親のほうが付き添わされてきたのか、大人顔負けの装備の鉄道キッズたちだ。我々も、 車内から手を振って笑顔を振りまくしかなかった。

 柏崎駅からは日本海を離れるように、引き続き信越本線を東へ。そして、今回の見所、長岡駅にたどり着いたのは深夜2時過ぎだ。ここで、大阪から 引っ張ってきてくれたローズピンクの機関車を切り離し、後方に別の紅色の機関車を連結させる儀式が厳かに執り行われる。ここから上野までは、進行方向が逆 になる。

 反対向きに走り始めた列車は、宮内駅まで戻ると、今度は上越線に入った。越後湯沢駅、越後中里駅を過ぎ、珍しいループ線のトンネルをくぐる。その 後の水上駅を通過したところで、筆者は目を覚ました。実は筆者は直江津駅を過ぎた後、いつの間にやら爆睡状態。寝台が必要ないほどに盛り上がっていた5両 目のお客さんたちに、「皆さん、飲みませんか~」と大声を掛けていただいたそうだが、全く気づかなかったほどだ。最も楽しみにしていた長岡駅でのビッグイ ベントを見逃し、朝起きてしばらくは、連結作業を目撃した関係者の少し興奮した話しぶりに耳が痛かった。

ブルトレよりプロジェクトの「車掌」役

 ところで、向谷車掌はというと、朝6時ごろから40分程度、運転停車していた渋川駅でお目覚めになった。「社長、今、渋川駅です」と関係者が声を掛けるやいなや、「渋い!」と本日の第一声。向谷氏は、やはり口から覚醒するようだ。

 「顔、洗ってくる!」と席を立った、グレーのパジャマ姿の向谷氏。筆者に対し、「松村さん、おはよう」と声を掛けるやいなや、立ったまま、鉄道ビジネスのあり方を熱く語ってくれた。

 「今回、乗ってみて思ったんだけど、やっぱりベッドが狭いね。幅をあと15センチメートル広げないと。収納も今風にもっと増やさなければ。そうす ればツアー客だけでなく、きっとビジネス客だって使う人が増えるはずですよ」。古い車両の復活イベントにとどまらず、実用向けの新しいビジネスに展開でき ないかと、向谷氏は本気で考えている様子だ。

 向谷氏は、鉄道事業全般を「コンテンツビジネス」と捉えている。鉄道の世界には、音楽と同様に人それぞれで様々な楽しみ方が存在する。それらをコンテンツとして提供すれば、単なる輸送手段にとどまらない可能性が広がり、ほかの業種にも経済効果が波及すると信じている。

 今回の臨時列車で向谷氏は専属車掌という、いわば作り物の役柄を務めたわけだ。しかしながら、プロジェクトの発案から企画・交渉・実現化の過程を 踏まえて考えると、様々な人や企業を結びつけ、進むべき道へ誘導していく姿こそが、まさに列車内を取りまとめる車掌そのものだった。

 その向谷車掌も、今回は上野までは行くことができず、高崎駅で任務を終えた。同じ日に品川駅から運行されるミステリートレインの乗車に間に合うよ う、向谷氏と我々は高崎駅で下車し、東京駅行きの新幹線に乗り換えなければならなかった。様々な人々や企業を巻き込んだ新たなプロジェクトの実現に向け た、向谷氏の次なる“車掌”業務に期待を募らせる関係者は少なくない。


夢のブルトレと高崎駅でお別れする向谷車掌

――――――――――――――――――――――――――――――

企画に合わせて夜行バスを走らせる例はたまに聞きますが
ブルートレインとは豪毅ですね(^^;
ニコニコ動画の運営母体はそんなに儲かってなかったと記憶していますが
ひとえに向谷氏の尽力のお陰?

ブルートレインも風情があって良いんですが
新幹線と夜行バスがこれだけ普及していれば分が悪く・・・





青い車体も久しく見てないなぁ


임시 침대 특급 「싱글벙글 초회의호」

http://business.nikkeibp.co.jp/article/opinion/20120502/231656/

 4월 27 일 저녁각의 JR오사카역.다음날부터의 대형 연휴에 기대를 부풀려 회사나 학교로부터의 귀로를 더듬는 많은 사람들로 뒤끓는다.그 중에서도 독특한 열기 에 싸인 10 번선 홈은, 카메라를 지은 철도 팬으로 가득 넘치고 있었다.목적은, 침대 특급 브르트레인의 임시 열차, 그 이름도「싱글벙글 초회의 호」다.


우연히 우연히 지나간 사람도 휴대 전화로 기념 촬영

 이 열차는, 인터넷의 화면상에서 유저가 코멘트를 서로 붙일 수 있는 동영상 사이트「싱글벙글 동영상」를 운영하는 드원고가, 도쿄의 마쿠하리 메시지로 4월 28~29일에 열린 이벤트「싱글벙글 초회의」의 참가자를 칸사이 방면에서 옮기기 위해서 기획되었다.발안자는, 비길 데 없음의 철도 매니아로서 알려진다 뮤지션의 무쿠야 미노루씨다.


무쿠야“차장”가 등장!

 무쿠야씨는 일본을 대표하는 퓨전 밴드, 카시오페아(현재는 활동 휴지중)의 키보드 연주자로서 이름이 널리 알려지는 한편, 전철의 운전 모의 실험 장치 (을)를 제조・판매하는 주식회사 음악관(도쿄도 세타가야구)의 사장으로서 아주 바쁜 날마다를 보내고 있다.이것은 일경 비지니스 2월 13일호의「기수들의 아리아~철 길에 안심 바치는 음악가」에서도 소개했던 적이 있다.

 그 무쿠야씨가 이 날, 얇은 그레이의 제복・제모를 몸에 걸쳐 차장에게 분장해 등장하면, 철도 팬들의 카메라로부터 일제히 플래시를 모여들 수 있었다.경례 의 포즈를 결정하면서, 처음으로 만났음이 분명한 팬들과 옛부터의 아는 사람과 같이 큰 소리로 이야기를 주고 받고 있는 동안에, 발차 시각이 도래.17시 49분 , 정각 대로대 판역의 홈을 미끄러지기 시작한 꿈의 특급 침대 열차의 행선지는, 전에 없었던 노선이 되는 우에노역.게다가, 여기로부터 일본해측에 우회하는 긴 여행이다.


누구보다 표정이 눈부신 무쿠야 차장(드원고 제공)

꿈을 현실로 하는 발상력과 에너지

 무쿠야씨가 이전부터 친하게 지내고 있는 드원고의 카와카미량생 회장과 이야기가 활기를 띠었을 때, 완전한 김으로 결정한 이「꿈의 특급 침대 열차」기획은, 철도 좋아하는 무쿠야씨가 지금까지 쭉 따뜻하게 하고 있던 아이디어의 일부였다고 한다.

 「꿈」의 기획으로 여겨지는 이유.그것은, 차량이 노후화에 의해서 격감하고 있는 것 외에 비행기나 신형 열차에 밀리고 이용자가 침체한 것으로, 이것 까지 많은 노선이 폐지되어 온 배경 그 자체가 이야기한다.그것에 가세해 분할 민영화해 오래 된 JR각사의 제휴가 국철 시대와 같이는 부드럽게 가지 않고 라고 하는 사정도 비쳐 보인다.

 물론, 분할 민영화에 의해 각사가 채산 중시가 된 것은 당연한 일이다.그렇지 않아도 긴 거리의 운행이 된 이번 기획에 관해서도, 어느 JR관계자는 「야간은 여객의 승강이 없음에도 불구하고, 안전 확보를 위해서 노선상의 각 역에 사람을 배치해야 한다.코스트면에 한정하지 않고, 회사를 걸쳐 인원 확보의 조 정을 하는 것은 어려웠다」와 털어 놓는다.

 지금까지도 특급 침대 열차의 임시 열차로서는, 여름의 고교 야구로 응원을 위해서 지방과 코시엔을 연결하기 위한 전세 열차나, 일부 단체의 대량 이동 전용은 있었다.그러나, 운행 그 자체를 이벤트화하는 전세의 사례는 거의 없었다고 한다.

 막상, 하려고 해 봐도, 철도 회사의 관계자로조차 간단하게 말해서 할 수 있는 이야기는 아니다.그것을 실현에 이끌어 갈 곳이 무쿠야씨의 무쿠야씨인 소이다.동씨가 가지는 발상력과 에너지에, 회전이 많은 사람이 말려 들어간다.

 다방면으로 인맥을 가지는 무쿠야씨는 조속히, JR나 여행 회사의 관계자에게 상담을 걸었다.전화를 받은 상대방의 상당수는 최초야말로 놀라움을 숨길 수 없었지만, 열심인 무쿠야 씨의 이야기에 귀를 기울일 때에, 어느새인가 받아 들이고 있었다.「무모하게 보이는 이번 기획이지만, JR사내에도, 예상 이상으로 적극적으로 받아 들여 주는 정열이 있는 사람 들이 적지 않았다」와 무쿠야씨는 되돌아 본다.

 당초는, 2008년에 폐지된「은하」(도쿄~오사카)와 같이 토카이도선을 달리는 루트도 생각했다.하지만, 관할의 토카이 여객철도(JR토카이)에서는 브르트 레의 운용이 사실상 어렵다고 하는 이유로 단념.발상 풍부한 무쿠야씨는 다음에, 기관사가 대부분 소속하는 일본 화물철도(JR화물)에 상담을 걸었다.그러나, JR화물 의 차량은 역에서 객차용의 홈에 들어갈 수 없다.그러면과 화물용의 홈을 사용하는 안을 모색했지만, 그곳에서는 사람의 승강을 할 수 없다고 한다.

 그런데도 굴하지 않는 무쿠야씨가 곧 바로 생각났던 것이, 이번 오사카에서 우에노에 이르는 노선이었다.관할이 되는 서일본 여객철도(JR서일본)와 동일본 여객철 길(JR동일본), 그리고 투어 상품으로서 성립되게 한 없으면 안 된다고 하는 여행 회사로서의 미션을 부과된 일본 여행이 무쿠야씨를 축으로 팀을 이룬다 되었다.

난제는 차량의 조달과 다이어의 조성

 큰 과제의 하나는, 실제로 차량을 조달할 수 있을지였다.브르트레인의 이름의 유래가 되어 있는 시퍼런 차량은, 길게 늘어서는 객차의 부분이다. 이번 사용된 객차는「24계 브르트레인 객차 」.침대 부분이 상하 2단식에서, 침대 에리어와 통로와의 사이에 구분이 없는 개방형 B침대로 불리는 것이다.통로측 에는 개폐식의 보조석도 있어, 승객끼리의 커뮤니케이션이 취하기 쉬운, 개방적인 공간이 연출되고 있다.지금부터 40년 이상이나 전의 1968년(쇼와 43년) (으)로부터 제조가 시작된 차량이지만, 특급 침대 열차 중(안)에서는 새로운 부류라고 한다.


브르트레인의 이름의 유래는 시퍼런 객차의 색이다

 이 객차는 평상시, JR동일본의 아오모리 운전 센터에서 대기하고 있는 예비 차량이라고 한다.그것을 이번은 5량 이용해 JR서일본의 무릅 밑, 오사카까지 멀리 이동시킨 스타트가 되었다.

 객차를 견인하는 기관차는「EF81형 전기 기관차 」.교류와 직류의 양쪽 모두의 전기로 움직이는 것이 가능하다.이번 노선에서는 도중 , 신에쓰본선의 나가오카역(니가타현장 강시)로 스윗치 백해 진행 방향이 거꾸로 되기 위해, 동형의 2개의 기관차가 사용되었다.오사카로부터 나가오카까지는, JR서일본의 츠루가 운전 센터에 소속하는, 「빨강 13호」라고 하는 로즈 핑크색의 기관차다.금년 3월까지 오사카~아오모리간을 통상 운행하고 있던「일본해」등에서 활약하고 있었다.그리고, 이제(벌써) 1개의 나가오카로부터 우에노 (으)로의 기관차는, 아오모리 운전 센터 소속으로, 붉은 빛이 강한 홍색의 차체다.어느 기관차도 정면으로「싱글벙글 초회의」와 새겨진 특주 헤드 마크를 내걸 수 있다 .대좌로부터 만들어, 3개 제조한 우리 2개가 사용되었다.


“니코동”의 캐릭터도 잘 빠진 헤드 마크

 이제(벌써) 1개의 큰 난제는, 지금까지 없는 노선을, 게다가 통상 운행하는 전철의 사이를 누비어 실제로 달리게 할 수 있을지.거기는, 철도 회사에서 운 행 다이어를 짜는 담당을 담당하는「스지가게」로 불리는 직공의 실력발휘의 기회다.지금은 컴퓨터를 사용해 다이어를 작성하는 것이 많지만, 그런데도 여기저기에 인간의 감 하지만 요구된다고 한다.무쿠야씨는 최초의 단계에서, JR동일본의「스지」에 자세한 아는 사람에게 상담해, 든든한 반응을 느꼈다고 한다.

 특급 침대 열차의 차량이나 기관사가 지금도 비교적 많다고 하는 JR서일본은, 별로 이익이 많이 나오는 것도 아니다고 하는 이번 기획을 받아 들였던 것에 대해서, 「철도를 잘 모르는 사람들에게도, 재차 철도의 좋은 점을 알리는 좋을 기회가 되면 되는」(홍보 담당)와 무쿠야씨만이 가능한 발상력에 기대를 건다.실제, 싱글벙글 동영상이라고 하는 다종 다양한 유저가 모이는 사이트의 이벤트 전용답게, 100명을 넘은 승객 중 약 3분의 1의 사람이 특급 침대 열차 첫체험이었던 것 같다.

갑자기「실수했습니다!」

 그러면, 그 싱글벙글 초회의호의 승차 리포트를 시작하자.


최근에는 iPad가 무쿠야씨의 트레이드마크의 하나에

 카메라를 지은“촬영철”들을 후에, 러시아워의 오사카역을 정각 대로에 미끄러지기 시작한 동호는 토카이도선을 동쪽을 향한다.

 「차내 방송이다 , 차내 방송!」.승객보다 까불며 떠들고 있는 것은, 요행도 없고 무쿠야“차장”본인이다.평소부터 약간의 작곡・연주용으로기신 떼어 놓지 않고 가지고 다니고 있는 iPad를 잡아 닫아 차장실에 뛰어든다.마이크를 iPad에 접근해 재생 아이콘을 누른다.가성 합성 소프트의 보카로이드를 구사한 자랑의 수제 차내 차임이 여성의 소리로 울린다.

 ♪싱글벙글, 싱글벙글, ~회의~♪
 ♪미소드미, 레시소소, 시 ~라라소 ~♪

 차내에서 일제히 박수와 환성이 끓어 일어난다.

 「 승차 감사합니다.싱글벙글 초회의호, 전속 차장의 무쿠야입니다.그러면, 장황한듯 하지만, 한번 더 걸치겠습니다.나의 인생으로 최대급의 흥분하는 순간입니다 」

 ♪싱글벙글・・・(브특과 중단된다)

 「…실수했던」(승객, 대폭소!)

 상상 대로라고 하는지, 이런 식으로 여행은 시작되었다.

 이번 노선은 간단하게 말하면, 실재의 2개의 특급 침대 열차를 도중에 조합한 모습이다.금년 3월까지 통상 운행하고 있던「일본해」의 오사카역으로부터 나가오카역까지의 부분과 지금도 달리고 있는「여명」의 나가오카역에서 우에노역까지의 부분을 이으면, 같은 노선이 되는 것이다.이 열차와 같게 나가오카역에서 방향 전환하는 특급 침대 열차에 (은)는, 카나자와로부터 나가오카를 경유하고 우에노까지 가는「호쿠리쿠」가 있었다.


옛 이미지를 부활시킨 특급 침대 열차 좌석권

 무쿠야 차장에 의한 최초의 차내 아나운스에 전후 하는 무렵, 열차는 타카츠키역을 통과했다.도중 , 거대한 판초코가 측벽을 감싼 메이지 제과의 오사카 공장에 압도 되어 .이윽고 야마사키역을 지나면, 산토리의 야마자키 증류소의 근처에서는, 황혼속에서 유모차를 누르는 엄마가 아이에게 전철을 보이면서 어르는 모습을 볼 수 있었다.

 무쿠야 차장외, 드원고의 카와카미 회장, 여객 전반을 돌보는 일본 여행의 수행안내원의 분들, 취재진은 최후미의 1호차에 탑승하고 있다.낡아졌다고는 있어 네, 특급 침대 열차의 승차감은 좋다.흔들림은 그다지 느끼지 않고, 신간선의 진동과는 다른 기분 좋음에, 필자는 일을 잊고 있었다.그 당시, 무쿠야 차장은, 승객 1명 1명과 담 소 하면서, 싸인을 써 돌기 시작했다.

노선의 매력

 쿄토역을 지나 야마시나역에서는 비와코를 우테에 바라보면서 북상하는 코사이선에 들어갔다.밤 7시경은 벌써 어두워져, 호면의 모습은 (들)물을 수 없다.

 오오미 시오즈역에서 비와코에 이별을 고하고 호쿠리쿠 본선에 들어간 북상.일본해에 가까운 츠루가역에서 운전 정차했다.이 가까운 곳에는, 일본 원자력발전 츠루가 원자력 발전소가 , 최근에는 직하에 활단층의 존재가 지적되고 폐로에 몰릴 가능성이 나온 와중의 장소다.그러나, 물론 역 구내는 평소의 평온인 공기에 싸이고 있어 .다른 동승자와 그렇게 이상한 감각을 서로 확인했다.

 열차는 후쿠이역을 통과하고, 카나자와역에 도착.시계의 바늘은 오후 10시 반.「JR」의 문자를 얼마든지 연결한 디자인의 유카타를 입은 승객도 눈에 띄어 왔다.취침의 준비를 위해, 머리맡의 조명을 의지하여, 홀쪽한 흰 시트를 침대가 되는 좌석에 까는 모습도.


LED에서는 낼 수 없는 따뜻함이 있는 빛

볼만한 곳은 나가오카역에서의 방향 전환

 필자가 특급 침대 열차를 탄 추억은 30년 이상전의 1980년즈음이었다일까.큐슈의 쿠마모토역을 저녁에 발차해, 이튿날 아침에 도쿄역에 간신히 도착하는「보지 않고 」였다.이번 차내에서는 당시의 풍치를 즐길 수 있었다.상단의 침대에 오르기 위한 사다리는, 양손으로 개폐하는 비치형의 것이다.옛날은 있던 담배의 담배꽁초 넣어 (은)는 모두 철거되어 나사구멍만이 당시를 생각나게 한다.


2층에서 떨어지지 않게 자려면 습관이 필요?

 창가로부터 찌르기 낸 작은 테이블의 하단에는, 빈에 들어간 음료의 뚜껑을 여는 병따개가 지금도 남아 있다.「뚜껑의 모퉁이를 히개 걸치고, 빈을 위에“비집어 트는”」와 일러스트 첨부의 설명서 간 건재하다.


특급 침대 열차를 탈 때는, 굳이“왕관”부착 빈들이 음료를 반입하자

 타카오카역, 토야마역을 지나 일본해 가를 북동 방향에.일자가 바뀌는 무렵, 니가타현에 들어간다.오야시라즈역이나 아오미역 근처에서는, 눈아래에 해면이 퍼지고 있을 것.하지만, 크게 빠진 달의 빛이 믿음직스럽지 못한 심야인 만큼, 어두운 곳에 빨려 들여갈 것 같다.

 졸음을 튕겨 날리는 것 같이 놀라게 해진 것은, 신에쓰본선에 합류하는 나오에쓰역.한밤중의 1시 전후라고 하는데, 홈에는 카메라를 짓는 인, 사람, 사람. (안)중에는, 초등 학생 정도의 아이들의 모습도.부모 에 이끌려 왔다고 하는 것보다, 부모 쪽이 부착첨원 되어 왔는지, 어른 압도하는 장비의 철도 아이들이다.우리도, 차내로부터 손을 흔들고 웃는 얼굴을 뿌릴 수 밖에 없었다.

 카시와자키역에서는 일본해를 떨어지도록(듯이), 계속 신에쓰본선을 동쪽에.그리고, 이번 볼만한 곳, 나가오카역에 간신히 도착한 것은 심야 2 시 넘어다.여기서, 오사카로부터 이끌어 와 준 로즈 핑크의 기관차를 떼어내, 후방에 다른 홍색의 기관차를 연결시키는 의식이 엄숙하게 거행해진다.여기에서 우에노까지는, 진행 방향이 역 (이)가 된다.

 반대 향하러 에 치우치기 시작한 열차는, 미야우치역까지 돌아오면, 이번은 죠에츠선에 들어갔다.에치고 유자와역, 에치고 나카사토역을 지나 드문 루프선의 터널을 빠져 나간다.그 후의 미즈카미역을 통과했더니, 필자는 눈을 떴다.실은 필자는 나오에쓰역을 지난 후, 어느새든지 폭수상태.침대가 필요없을만큼 분위기가 살고 있던 5량 눈의 손님들에게, 「여러분, 마시지 않습니까~」와 큰 소리를 걸어 주었다고 하지만, 전혀 눈치채지 못했다(정도)만큼이다.가장 기대하고 있던 나가오카역에서의 빗그이 겨이삭띠를 놓쳐, 아침에 일어 나 당분간은, 연결 작업을 목격한 관계자의 조금 흥분한 말투에 귀가 따가왔다.

특급 침대 열차보다 프로젝트의「차장」역

 그런데, 무쿠야 차장은이라고 하면, 아침 6시경부터 40분 정도, 운전 정차하고 있던 시부카와역에서 눈을 뜨셨다.「사장, 지금, 시부카와역입니다」와 관계자가 말을 걸자 마자, 「차분하다!」와 오늘의 제일성.무쿠야씨는, 역시 입으로부터 각성 하는 것 같다.

 「얼굴, 씻어 온다!」와 자리에서 일어난, 그레이의 파자마 모습의 무쿠야씨.필자에 대해, 「마츠무라씨, 안녕」와 말을 걸자 마자, 선 채로, 철도 비지니스의 본연의 자세를 뜨겁게 말해 주었다.

 「이번, 타 보고 생각했지만, 역시 침대가 좁다.폭을 앞으로 15 센티미터 넓히지 않으면.수납도 유행이게도 와 늘리지 않으면.절구 투어객 뿐만이 아니라, 반드시 비지니스객도 사용하는 사람이 증가할 것이에요 」.낡은 차량의 부활 이벤트에 머무르지 않고, 실용 전용의 새로운 비지니스에 전개 성과 없을까, 무쿠야씨는 진심으로 생각하고 있는 모습이다.

 무쿠야씨는, 철도 사업 전반을「컨텐츠 비지니스」라고 파악하고 있다.철도의 세계에는, 음악과 같게 사람 각자로 여러가지 즐기는 방법이 존재한다.그것들을 컨텐츠로서 제공하면, 단순한 수송 수단에 머무르지 않을 가능성이 퍼져, 다른 업종에도 경제 효과가 파급한다고 믿고 있다.

 이번 임시 열차로 무쿠야씨는 전속 차장이라고 한다, 말하자면 모조품의 역할을 맡은 것이다.그렇지만, 프로젝트의 발안으로부터 기획・교섭・실현화의 과정을 밟고 생각하면, 여러가지 사람이나 기업을 묶어 가야할 길에 유도해 나가는 모습이, 확실히 열차내를 정리하는 차장 그 자체였다.

 그 무쿠야 차장도, 이번은 우에노까지는 가지 못하고, 타카사키역에서 임무를 끝냈다.같은 날에 시나가와역으로부터 운행되는 미스터리 트레인의 승차에 시간이 맞아 , 무쿠야씨와 우리는 타카사키역에서 하차해, 도쿄역행의 신간선으로 갈아 타지 않으면 안 되었다.여러가지 사람들이나 기업을 말려 들게 한 새로운 프로젝트의 실현을 향해 , 무쿠야씨의 다음 되는“차장”업무에 기대를 더해가는 관계자는 적지 않다.


꿈의 특급 침대 열차와 타카사키역에서 작별하는 무쿠야 차장

――――――――――――――――――――――――――――――

기획에 맞추어 야행 버스를 달리게 하는 예는 이따금 듣습니다만
브르트레인과는 호의군요(^^;
싱글벙글 동영상의 운영 모체는 그렇게 득을 보지 않았다고 기억하고 있습니다만
전적으로 무쿠야씨의 진력의 덕분?

브르트레인도 풍치가 있어 좋습니다만
신간선과 야행 버스가 이만큼 보급되어 있으면 분이 나쁘고 ・・・





푸른 차체도 오랫동안 보지 않았어



TOTAL: 5156

番号 タイトル ライター 参照 推薦
2656
No Image
HEMU430X高速列車公開(動画ニュース追....... シムナヒョン 2012-05-17 10969 0
2655
No Image
【ギネス認定世界で一番海に近い駅....... うなぎのねどこ 2012-05-17 4495 0
2654
No Image
大邱都市鉄道3号線モノーレール工事7....... シムナヒョン 2012-05-16 3980 0
2653
No Image
山梨リニア実験線:延伸区間トンネル....... kore_a_4 2012-05-15 6671 0
2652
No Image
HEMU-430X明日正式公開(新しい車写真) シムナヒョン 2012-05-15 7343 0
2651
No Image
海に一番近い駅 kore_a_4 2012-05-14 3952 0
2650
No Image
岡山と松山を結ぶ高速バス ~マド....... wonperor 2012-06-24 3776 0
2649
No Image
世界一を見に行ってみた。 umiboze 2012-05-14 4424 0
2648
No Image
麗水エキスポ、来場者を水増し? kore_a_4 2012-05-12 5170 0
2647
No Image
京都へ行って桜を見てきましたよ。 umiboze 2012-05-11 4183 0
2646
No Image
臨時寝台特急「ニコニコ超会議号」 KEEMUN 2012-05-11 3587 0
2645
No Image
JR西日本が近畿車輛の一部株式取得 kore_a_4 2012-05-10 3563 0
2644
No Image
大阪から近鉄に乗ってみた。 umiboze 2012-05-10 4315 0
2643
No Image
ゴールデンウイーク後半に旅に出て....... umiboze 2012-05-09 4993 0
2642
No Image
今年の夏の節電対策は? kore_a_4 2012-05-07 2955 0
2641
No Image
Shibuya Hikarie誕生 ねふ子 2012-05-06 9028 0
2640
No Image
韓国 ロシアの沿海州に高速鉄道計....... kore_a_4 2012-05-05 4783 0
2639
No Image
近畿車輛 “ロスの路面電車を受注!....... sun3000 2012-05-02 7115 0
2638
No Image
韓国の地下鉄で爆弾テロ? kore_a_4 2012-05-02 3725 0
2637
No Image
GWの小樽。 umiboze 2012-05-01 3679 0