映画俳優/タレント


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過去に行った80年代の音楽の思い出の投稿の総集編と言った感じの投稿です。


以下、80年代の音楽の思い出前編からの続きです。


80年代の音楽の思い出前編は、以下です。


80年代の音楽の思い出前編(日本語)→

/jp/board/exc_board_8/view/id/2636409?&sfl=membername&stx=jlemon

80年代の音楽の思い出前編(韓国語)→

/kr/board/exc_board_8/view/id/2636409?&sfl=membername&stx=jlemon



東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地にある、我が家の近所の、私の実家は、元々、私の母方の祖父母の家で(ちなみに母は、一人っ子です)、現在は、両親が引き継いで暮らしています。既に、母方の祖父母共に、亡くなっています。


私には、兄弟姉妹は、2歳年下の弟が一人います。私の弟は、外資系の会社員で、既に、結婚をし、(まだ、二人共、幼いですが)子供が2人いて(男の子(上)が1人と、女の子(下)が1人。女の子は、一昨年、生まれたばかり)、弟の家族(妻・子供)と共に、東京の西部郊外の、静かで落ち着いた住宅地に買った、一戸建て住宅に、暮らしています。


後述する通り、私の父は、子供の教育に関しては面倒くさいので何も考えないと言った感じの、ある意味、子育てに関して自己中心的な面があった男性でしたが、父の、私と弟が、幼い頃・子供の頃の、子供(私と弟)に関する教育方針の中で、個人的に、例外的に、評価出来ると思う事の一つにw、以下の事があります。

それは、私と私の2歳年下の弟が、幼い頃・子供の頃、父の主導により、私の両親は、子供に、多くの絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)を買い与えると共に、多くの絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)を読み聞かせる主義であった事です。

父は(又は父の主導により)、私が幼い頃、私は、父(又は両親)に、多くの絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)を買い与えられました。それ等の、絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)は、私に買い与えられた物ですが、父(又は両親)は、当然、それ等の、絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)が、私の、お古として、弟が、読み聞かせられる・読む事も想定していました。

少し、大袈裟に言えば、私が幼い頃の当時、日本国内外の、名作と呼ばれていた、絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)の、ほとんどは、家(実家)にあったと思います。また、アメリカ・ヨーロッパの(たぶん。。。具体的に、どの国の物であったのか、憶えていないと言うか、幼かったので意識していませんでした)、飛び出す絵本等も、家(実家)に、たくさんありました。

絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)を、私に読み聞かせていたのは、母、及び、父で、弟に読み聞かせていたのは、母、父、弟よりも先に絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)の字が読めるようになってからの子供の頃の私です。私は、子供の頃、弟の為に、自分の絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)等の読み聞かせの音をカセットテープに録音したりもしていました。

絵本(子供向けの絵の多い、お話の本)とは別に、父は、私が幼い頃、私に、古本屋(古本店)で、古本の、世界の童話・民話、シリーズ・全集等の、子供向けの、世界の童話・民話等の、シリーズ・全集ものを、まとめ買いし、何セットか、買って来ました。それ等の、シリーズ・全集ものも、私に買い与えられた物ですが、父は、当然、それ等の、シリーズ・全集ものが、私の、お古として、弟が、読み聞かせられる・読む事も想定していました。

その様な、シリーズ・全集ものの、全ての、お話を、親が子供に読み聞かせるのは、時間的に無理であった事から、私は、自分で字が読めるようになってからは、その様な、シリーズ・全集ものは、自分で、読みました(まあ、ほとんどの話は、忘れてしまっているのですがw)。

その様な、幼い頃、親に読み聞かされていた、世界の童話・民話、シリーズ・全集等に収められていた、お話の中で、最も印象に残っている、お話の一つとして、「幸福な王子」があります。「幸福な王子」は、私が、そうした、世界の童話・民話、シリーズ・全集等の字を、弟よりも先に読めるようになってからは、私の2歳年下の弟に、何回も読み聞かせてもいました。



「幸福な王子」の、お話です。You tubeから借りて来た物。子供の頃、何回も読んだ、「幸福な王子」の、お話は、私と弟の人生の価値観に大きな影響を与えました(今でも、私と(おそらく)弟の人生の価値観に大きな影響を与え続けています)。

















私の母は、昔から(私が子供の頃から)、「母親である前に女」であるような女性ですw

私は、顔は、母よりも、父に似ており、私の弟は、父と母、両方に似ているとも言えるし、父と母、どちらにも似ていないとも言える顔です。

私と、私の母との関係は、私の母にとって、私は、昔から、自分の好みのタイプのルックス(外貌)の(私は、顔は、母よりも父に似ているのですが、私の父と母は、父の顔を見て、一目惚れした私の母が、父に対して、猛烈にアプローチ(誘惑)しての、バリバリの恋愛結婚ですw)、何でも、気楽に話せる、気の合う男友達と言った感じで、私の母は、昔から、自分の恋愛話でも何でも、自分の事は、何でも、バンバン私に話して来ていますw これに対して、私の母は、私の弟に対しては、昔から、態度を使い分けて来ていると言った感じで、弟に対しては、自分の話を、何でもすると言う訳ではなく(弟に対しては、自分の、女性である面を見せようとせず)、昔から、相対的に、母親の顔をしようとして来ている感じです。

私は個人的に少なからぬ女性経験はありますがw(済みません。私は昔は(若い頃は)、ワルでした)、前述の通り、母自身、何も考えていないと言うか、母自体がチャラチャラしている面があり、男の子は、ある程度、遊んだ方が良い・やんちゃした方が良い位に、思っていた節があり、又、変な話かもしれませんが、私の母は、私に関して、自分が惚れた男性との間に産んだ自分の息子(私)の女性関係・女性遍歴に関して、昔から、まんざらでもないと思って来た・誇りに思って来たような面もある感じもしますw

私の父は、私が子供の頃・若い頃は、典型的な、仕事人間・会社人間と言った感じで、土・日・祝日や休暇時期に、子供(私及び弟)を積極的に遊びに連れていったり・子供(私及び弟)と積極的に遊んだりして、子供(私及び弟)の思い出作りには、出来るだけ協力するが、子供(私及び弟)の教育に関しては、妻である私の母に全て任せて、自分は(私の父は)、子供(私及び弟)の教育に関して、一切、関与する事はなく、(父は、私及び私の弟が子供の頃は、子供(私及び弟)の事は好きで、一緒に遊ぶのは楽しいが)、子供の教育に関しては面倒くさいので何も考えないと言った感じの、ある意味、子育てに関して自己中心的な面があった男性でした。

父は、私が幼い頃・子供の頃、私と、よく遊んでくれましたが、父は、私の弟に関しては、長男である私と遊ぶので、子供と遊ぶのは飽きてしまったと言った感じもありましたw(前述の通り、私の父は、ある意味、子育てに関して自己中心的な面があった男性です)。これに対して、弟は、幼い頃・子供の頃は、甘えん坊で(今でも、私の弟は、性格に甘えん坊な面がある様な気がします)、私の母に、べったりと言った感じで、(弟が、幼い頃・子供の頃は)、私の母に、よく甘えており、母も、弟が、幼い頃・子供の頃、弟に対して、よく甘えさせて、相対的に、しっかりと母親をしていた感じですw





使い勝手の良い写真なので、私の多くの投稿で使い回してしまっていますがw、私が子供の頃(小学生の頃)の写真です(前に、我が家の近所の実家を訪れた際に、出て来た、古い写真の中から、私が写っている物の一部を貰って来て、我が家に保管してある物の中から、一枚)。夏の休暇時期の写真で、とても日焼けしていますw 左側の帽子は、私の2歳年下の弟の帽子(私は兄弟姉妹は2歳年下の弟が一人います)、右側の帽子は、私の父の帽子で、写真は、私の母が撮影した写真です。服は、夏の休暇時期なので、とてもカジュアルな服装になっています(普段、小学校に通う時は、もう少し、お洒落をして行きましたw)。子供の頃(小学生の頃)は、夏の休暇時期は、この様な服で、飛び回っていました。 ちなみに、私の家族の肌の色は、父(白)、母(白)、私の弟(白)、私だけ、(おそらく私の母方の祖父の隔世遺伝で)どちらかと言えば黒です(ちなみに、どうでも良い事ですが、家族全員、酒飲みで、酒には強いですw)。例えがイケメン俳優さんで申し訳ありませんがw、私の肌の色は、調度、竹野内 豊さんと同じ位の感じです(ちなみに、どうでも良い事ですがw、私よりも竹野内豊さんの方がまあまあ年上です)。


上の写真で見て分かる通り、私は、子供の頃(小学生の頃)は、少し、丸々としていました(少し、太っていました)。ただし、実は、(たぶん、小学生の頃の、女の子は、相対的に、それ程、深く考えないで、男の子に、バレンタインデー(Valentine‘s Day)の、チョコレート(chocolate)を渡してしまう年頃と言うのもあって)、私が、人生の内で、バレンタインデー(Valentine‘s Day)の、チョコレート(chocolate)(義理チョコレートではなく、私の為の(私向けの)、個別のチョコレート(chocolate))を、一番、たくさん貰っていたのは、小学校中学年から小学校高学年の頃でw、バレンタインデー(Valentine‘s Day)の時期には、親に、冗談で、よく、チョコレート(chocolate)屋さん(チョコレート(chocolate)店)を開いた方が良いとか、チョコレート(chocolate)会社を経営出来るのではないか等と、からかわれていましたw

私は、チョコレート(chocolate)を含めた、お菓子全般は、好きなのですが、小学生の頃の、バレンタインデー(Valentine‘s Day)時期は、チョコレート(chocolate)を貰い過ぎて、チョコレート(chocolate)を食べるのに飽きてしまい(チョコレート(chocolate)を食べ切れなくて)、チョコレート(chocolate)をくれた女の子達には、大変、申し訳なかったのですが、少しずつ味見をして、家族や男の友人達等に、(貰った)チョコレート(chocolate)をあげたりしていました。

ちなみに、私は、小学校の頃は、同じ小学校に通う、同じclassの女の子・同学年の女の子のような、同年代の、子供の女の子達には興味は示さず、当時、小学生の頃の私から見たら、十分に、大人に見える、女性、芸能人であった、中山 美穂(nakayama miho)と言う、女性、アイドル(idol)歌手が、好きでしたw 中山 美穂(nakayama miho)は、私が、生まれて、初めて好きになった、女性、芸能人の一人です。

高校生になると、身近な(自分の周囲の)女性達に夢中になり、女性、芸能人自体に、それ程、興味を持たなくなり、好みの女性のタイプも変化したので、だんだんと、中山 美穂(nakayama miho)のファン(fan)でなくなって行きましたが。。。

私は、小学校の頃は、同じ小学校に通う、同じclassの女の子・同学年の女の子のような、同年代の、子供の女の子達には興味は示さず、小学生の頃の私から見たら、十分に、大人に見える、女性、芸能人の事が好きになり、逆に、高校生になると、身近な(自分の周囲の)女性達に夢中になり、女性、芸能人自体に、それ程、興味を持たなくなり、基本的に、女性、芸能人の事なんて、どうでも、良くなりましたw

中山 美穂(nakayama miho)に関しては、80年代の音楽の思い出前編を、参照して下さい。


幼い頃・子供の頃の、私と私の弟は、私の母にとって、マスコット・自慢のペット(愛玩動物)のような物でしたw ぶっちゃけて言うと、私も弟も、幼い頃・子供の頃、大人達からの、可愛い・ハンサム・可愛くてハンサムと言った感じの、お世辞は言われ慣れていましたw 

私も私の弟も、子供時代、ズル賢い子供で、母の前で、お行儀が良いペット(愛玩動物)を演じている限り、母に愛されて、母に甘やかされて、結果として、自分達の得になる(自分達が幸せになる)と言う事を、幼い頃から、本能的に分かっていると言う感じの子供でしたw

また、それに関連して、私も私の弟も、こうすれば、大人達に、可愛がられると言う事を、幼い頃から、本能的に分かっていると言った感じの子供で、(まるで、女性が小悪魔テクを無意識的・意識的に使うようにw)、そうした事を、無意識的・意識的に行っていました。

前述の通り、幼い頃・子供の頃の、私と私の弟は、私の母にとって、マスコット・自慢のペット(愛玩動物)のような物でw、お客さんが家に来た際は、多くの場合、母に、一回は、挨拶に出されました。

私も私の弟も、幼い頃・子供の頃、お客さんに挨拶する時、無意識的・意識的に、はにかんだりしていましたが、私も私の弟も、はにかんだ方が、大人に可愛いと思われ、可愛がられると言うのを、幼い頃から本能的に分かっていた為であると思いますw

お客さんに、一通り、顔見せを済ませた後は、私の母は、それぞれの部屋に戻って遊んでなさいと言った感じの事を言ったり、そのような流れに持って行ったりしたのですが、私も私の弟も、長時間、お客さんに愛想を使い続けるのも疲れるのでw、母が、そのような感じの事を言ったり、そのような流れに持って行った時は、私も私の弟も、喜んで、再び、自分たちの部屋に戻り、おもちゃやゲームで遊んでいました。



私の母は、子供(私と私の弟)に対して勉強しろと一切言わないタイプの親でしたw

私の母は、子供(私、及び、私の弟)が、子供の頃から高校生の頃、子供(私、及び、私の弟)の事を、物質的には、好き放題、甘やかせ、又、子供(私、及び、私の弟)の勉強に関しては、全くと言って良い程、関心がなかったのですが、母は、二人の息子を育て上げるにあたって、これだけはと言う教育方針がありました(もっとも、母にとっては、もしかしたら、それも意図的な教育方針と言うものではなく、母は、それについても、何も考えずに、無意識的・本能的に、そうしていたのかもしれません)。

私も、私の2歳年下の弟も、少し、大袈裟な言い方をすれば、保守的な考えに基づき、女性を、尊敬・尊重し、女性を大切にすると言う事に関しては、母に徹底的に教育されました。

私の母は、ミーハーで、面食いの(ハンサムな男性が好きな)、女性でした。また、私の母は、親バカでしたw 私の母は、自分の息子(私と、私の弟。特に私w)の事を、ハンサムと評価していました。

私の母が、私が思春期の頃に、私に、よく言っていた言葉(また、私の弟にも、私の弟が、思春期の頃に、時々、言っていた言葉)で、印象に残っている言葉で、たぶん内面や心掛け等に関して言っていたんだと思いますが、「美男子(又は、ハンサム。どちらか忘れた。まあ、両方言っていたと思います)は、女性(又は、女性達。たぶん両方言っていたと思います)の美男子に対する期待に応える義務がある」と言う言葉がありますw

また、私の母は、私と、私の弟が、思春期の頃に、私と私の弟に対して、「美男子(又は、ハンサム)に生まれたのは、たまたま運が良かっただけで、図に乗ってはいけない」だとか、「運が良く美男子(又は、ハンサム)に生まれたからには、相応の社会的な責任を負わなければならない」と言った感じの言葉も言っていましたw 笑ってしまうような言葉ですがw、母は、割と真面目な気持ちで息子達に言い聞かせているような感じでした。


以下、参考の投稿。

万引きの思い出/先生のエコ贔屓(日本語)→

/jp/board/exc_board_8/view/id/2625194/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon

万引きの思い出/先生のエコ贔屓(日本語)→

/kr/board/exc_board_8/view/id/2625194/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon

インタビューとラブレター(日本語)→

/jp/board/exc_board_8/view/id/2623529/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon

インタビューとラブレター(韓国語)→

/kr/board/exc_board_8/view/id/2623529/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon

男根の世代前編(日本語)→

   

   

/jp/board/exc_board_8/view/id/2630944/page/1?&sfl=membername&stx=jlemon

男根の世代前編(韓国語)→

/kr/board/exc_board_8/view/id/2630944/page/1?&sfl=membername&stx=jlemon

自動車のBGMとして聴く曲(まとめ編)(日本語。韓国の方は、韓国語で表示で、ご覧下さい)→

/jp/board/exc_board_5/view/id/2622100?&sfl=membername&stx=jlemon

宮古(miyako)島等    (日本語。韓国の方は、韓国語で表示で、ご覧下さい)→

/jp/board/exc_board_8/view/id/2639909?&sfl=membername&stx=jlemon





これは、調度、私が、子供の頃の物で、「Dragon Ball」(日本の、人気、漫画・TVアニメシリーズ(TV anime series)。漫画は、1984年から、アニメ(anime)は、1986年から)の、最初の、TVアニメシリーズ(TV anime series)(1986年から1989年に放映)の、エンディングテーマ曲(終わりに流れる曲)(1986年)です。「Dragon Ball」は、子供の頃、「Dragon Ball」の原作の漫画が連載されていた、週刊少年ジャンプ(Weekly Shonen Jump)(日本の、人気、少年(男性、小学生・中学生・高校生)向けの、週刊の、漫画雑誌の一つ)も、TVアニメシリーズ(TV anime series)も、夢中で、見ていました。










以下2つは、私が、中学生の頃、好きだったrock bandの例です。

Shark Islandは、アメリカの、 rock bandなのに、ヨーロッパ的な雰囲気がある所が、好きでした。ちなみに、私が、中学生・高校生の頃、とても好きであったバンドの一つにGuns N’ Rosesがあるのですが、Guns N’ Rosesの、ボーカリスト(lead vocalist)、W. Axl Roseは、Shark Islandのボーカリスト(lead vocalist)、Richard Blackの影響を受けています。



Shark Islandの曲の例。Shark Island- 「Paris Calling」(1989年)。













「IT BITES」は、イギリスのrock bandで、私が、中学生の頃、大好きであった(とても好きであった)、rock bandです。




10代の頃、街中で、偶然、「IT BITES」の中心人物であるFrancis Dunnery(リードボーカル(lead vocals)とギター(guitar)担当)に出会った際に貰った、Francis Dunneryのサイン(autograph)。不意打ちで、出会った時に貰ったので、ノート(notebook)の切れ端に書いて貰いましたw







以下、4つ。「IT BITES」の曲の例。



「IT BITES」-「Kiss Like Judas」(1988年)。












「IT BITES」-「Sister Sarah」(1989年)












「IT BITES」-「Still Too Young to Remember」(1989年)。













「IT BITES」-「The Ice Melts into Water」(1989年)。生演奏。











HANOI ROCKSは、1980年代前半に活躍していた、フィンランドの、rock bandで、ヨーロッパと日本で、人気があった、rock bandです。HANOI ROCKSは、アメリカにおいては、知名度は低いです。

HANOI
ROCKSは、ヨーロッパと日本で、人気があったのですが、HANOI
ROCKSが活躍していた1980年代前半当時は、私は、まだ幼い頃から子供の頃で、また、私は、小学校高学年で、聴く音楽に関して、親離れをし(親の影響下を脱し)、自分自身の(自分独自の)、音楽の趣味に目覚めるまでは、親(主に母親)の影響で、J-popやソフトな(柔らかい)洋楽(イギリス・アメリカを中心とした西洋の)pop等を聴いていたのですが、HANOI
ROCKSは、当時、親が興味がなかった事から、私は、HANOI ROCKSについて、知りませんでした。

この様に、私は、HANOI
ROCKSが活躍していた時を、リアルタイムで味わった世代ではないのですが、私が、中学生・高校生の頃、とても好きであったバンドの一つにGuns
N’ Rosesがあるのですが、Guns N’ Rosesが、HANOI ROCKSの影響を受けていた事等から、私は、HANOI
ROCKSは、中学生の頃から、興味を持ち、CDを買って聴くようになり、中学生・高校生の頃(特に中学生の頃)、好きなバンドの一つでした。


以下5つ。HANOI ROCKSの曲の例。

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HANOI ROCKS-「Café Avenue」(1982年)。













HANOI ROCKS-「Don"t You Ever Leave Me」(1981年)。














HANOI ROCKS-「Malibu Beach Nightmare」(1983年)。












HANOI ROCKS-「Ice Cream Summer」(1983年)












HANOI ROCKS-「Tragedy」(1981年)。














使い勝手の良い写真なので、私の多くの投稿で使い回してしまっていますが、今年の1月、彼女とデートした際に、東京駅の前で、彼女が、ふざけて撮った、私の写真。プライバシーの為、髪型(髪)まで、全て隠す為に、顔を隠す黒い部分は、ゆとりを持って、大きめに取ってあり、実際の顔は、黒い部分よりも、小さいですw ちなみに、私の肩の形の関係かな。。。私は、コート(coat)を着ると、体格が、良く見えますが、実際は、コート(coat)を着て見えるよりも痩せていますw(コート(coat)の中身は、痩せていますw)。

上の写真の詳細に関しては、以下の投稿を、参照して下さい。


上の写真の詳細に関しては、以下の投稿を、参照して下さい。
適当に雑多なJ-pop(日本語)→
/jp/board/exc_board_3/view/id/2595722?&sfl=membername&stx=jlemon
適当に雑多なJ-pop(韓国語)→
/kr/board/exc_board_3/view/id/2595722?&sfl=membername&stx=jlemon







私は、小学校高学年で、聴く音楽に関して、親離れをし(親の影響下を脱し)、自分自身の(自分独自の)、音楽の趣味に目覚めるまでは、親(主に母親)の影響で、J-popやソフトな(柔らかい)洋楽(イギリス・アメリカを中心とした西洋の)pop等を聴いていました。

そんな、親(母親)の影響で、よく聴いていた、J-pop・ソフトな(柔らかい)洋楽(イギリス・アメリカを中心とした西洋の)pop等の一つに、Duran Duranがあります。ちなみに、Duran Duranのベーシスト(bassist)、John Taylorは、小学生の頃、思い出せる限り、男ながら、漫画・アニメの登場人物以外で、初めて格好良いと思った男の一人です。ちなみに、私は、別にホモではありませんw(と言うか、自分では、かなりの女好きの(女性が好きな)男だと思いますw)。



Duran Duran-「Notorious」(1986年)。














前述の通り、私は、小学校高学年で、聴く音楽に関して、親離れをし(親の影響下を脱し)、自分自身の(自分独自の)、音楽の趣味に目覚めるまでは、親(主に母親)の影響で、J-popやソフトな(柔らかい)洋楽(イギリス・アメリカを中心とした西洋の)pop等を聴いていたのですが、小学校高学年の時、Bon Joviを、初めて聴いた際に、こんな音楽があるのかと衝撃を受け、以来、hard rock・ heavy metalの魅力に取りつかれ、中学生の頃、hard rock・ heavy metalを、とても、よく聴いていました(CDも、たくさん買いました(CDもたくさん、持っていました))。

ちなみに、Bon Joviは、世界的に人気が出る前に、日本で、むしろアメリカ国内よりも(たぶん)、人気があったのですが(日本の若い女性達にアイドル的な人気を博していた)、そんな、日本で、若い女性達に、アイドル的な人気を博していた頃の、Bon Joviは、当時、私は知らなくて(その当時は、まだ、私は、親の影響下で、J-popやソフトな(柔らかい)洋楽(イギリス・アメリカを中心とした西洋の)pop等を聴いていた)、私が、Bon Joviを知ったのは、Bon Joviが世界的に人気が出てからです(Bon Joviの3作目のアルバム、「Slippery When Wet(日本名、ワイルド・イン・ザ・ストリーツ)」(1986年)が、世界的に、ヒットしてからです)。

私が、小学校高学年の頃、生まれて初めて、自分の意志で、且つ、自分の、お小遣いで買ったCDは、Bon Joviの3作目のアルバム、「Slippery When Wet(日本名、ワイルド・イン・ザ・ストリーツ)」(1986年)です。ちなみに、当時、私は、異性に目覚めている部分はありましたが、まだ、性欲には目覚めていなかったのですが、「Slippery When Wet(日本名、ワイルド・イン・ザ・ストリーツ)」の、日本版のジャケット(と言うか、日本版のジャケットが、元々のジャケットで、アメリカ国内版のジャケットは、元々のジャケットが、過激過ぎる等と言った理由で、差し替えられた物であるようです)が、恥ずかしいと言う認識はあり、それを誤魔化す為等の理由で、EUROPEのアルバム、「The Final Countdown」(1986年)も、その時、一緒に買ったのは内緒ですw(と言うか、別に内緒ではありませんw ちなみに、「The Final Countdown」も、いいアルバムでした)。

小学校高学年から中学校2年生頃、家で、Bon JoviのCDをかけながら、鏡に自分を映して、Bon Joviのボーカリスト、Jon Bon Joviの歌真似をして、一人で、Bon Joviごっこをしていたのは、赤面の(恥ずかしい)思い出ですw しかしながら、この小学校高学年から中学校2年生頃の赤面の(恥ずかしい)行為(Bon Joviごっこ)が、後に、意外な所で、役に立ち、若い頃(大学生の頃)、北米(アメリカ・カナダ)の、カラオケ(karaoke)バー・カラオケ(karaoke)パブに客として訪れ、店のステージで、Bon Joviを歌った際に、店内の客達に、大うけしましたw




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Bon Jovi-「You Give Love a Bad Name」(1986年)。私が、小学校高学年の時、生まれて初めて買ったCD、「Slippery When Wet(日本名、ワイルド・イン・ザ・ストリーツ)」(1986年)の収録曲です。
















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Bon Jovi-「I"ll Be There for You」(1988年)

















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Bon Jovi-「Living in Sin」(1988年)。


















前述の通り、私は、小学校高学年の時、Bon Joviを、初めて聴いた際に、こんな音楽があるのかと衝撃を受け、以来、hard rock・ heavy metalの魅力に取りつかれ、中学生の頃、hard rock・ heavy metalを、とても、よく聴いていましたが(CDも、たくさん買いました(CDもたくさん、持っていました))、Skid RowとL.A. Gunsは、私が中学生の頃、とても好きであった、bandです。L.A. Gunsに関しては、中学から高校の初めにかけて好きでした(当時、Guns N” Rosesも好きでしたが、L.A. Gunsの方が、より好きでした)。





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Skid Row-「I Remember You」(1989年)。

















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L.A. Guns-「The Ballad of Jayne」(1989年)。ちなみに、L.A. Gunsの、ボーカリスト(vocalist)、Phil Lewisの、奥さん(妻)は、日本の、一般人の(たぶん。。。)、女性です。

















 


80년대의 음악의 추억 후편


IE등으로, 이 투고의 사진을 볼 수 없는 경우는, Firefox로, 봐 주세요.

과거에 간 80년대의 음악의 추억의 투고의 총집편이라고 한 느낌의 투고입니다.


이하, 80년대의 음악의 추억 전편으로부터의 계속입니다.


80년대의 음악의 추억 전편은, 이하입니다.


80년대의 음악의 추억 전편(일본어)→

/jp/board/exc_board_8/view/id/2636409?&sfl=membername&stx=jlemon

80년대의 음악의 추억 전편(한국어)→

/kr/board/exc_board_8/view/id/2636409?&sfl=membername&stx=jlemon



도쿄도심부의 서부의 조용하고 침착한 주택지에 있는, 우리 집의 부근의, 나의 친가는, 원래, 나의 외가의 조부모의 집에서(덧붙여서 어머니는, 독자입니다), 현재는, 부모님이 계승하며 살고 있습니다.이미, 외가의 조부모 모두, 죽습니다.


나에게는, 형제 자매는, 2세 연하의 남동생이 한 명 있습니다.나의 남동생은, 외자계의 회사원으로, 이미, 결혼을 해, ( 아직, 두 명모두, 어립니다만) 아이가 2명 있어(사내 아이(위)가 1명으로 여자 아이(아래)가 1명.여자 아이는, 재작년, 태어났던 바로 직후), 남동생의 가족(아내·아이)과 함께, 도쿄의 서부 교외의, 조용하고 침착한 주택지에 산, 독립주택에, 살고 있습니다.


후술 하는 대로, 나의 아버지는, 아이의 교육에 관해서는 귀찮기 때문에 아무것도 생각하지 않는다고 한 느낌의, 있다 의미, 육아에 관해서 자기중심적인 면이 있던 남성이었지만, 아버지의, 나와 남동생이, 어릴 적·어릴 적의, 아이( 나와 남동생)에 관한 교육 방침 중(안)에서, 개인적으로, 예외적으로, 평가 할 수 있다고 생각하는 일의 하나에 w, 이하의 일이 있어요.

그것은, 나와 나의 2세 연하의 남동생이, 어린 무렵·어릴 적, 아버지의 주도에 의해, 나의 부모님은, 아이에게, 많은 그림책(어린이용의 그림이 많은, 이야기의 책)을 사 줌과 동시에, 많은 그림책(어린이용의 그림이 많은, 이야기의 책)을 읽어 들려주는 주의인 일입니다.

아버지는(또는 아버지의 주도에 의해), 내가 어릴 적, 나는, 아버지(또는 부모님)에게, 많은 그림책(어린이용의 그림이 많은, 이야기의 책)을 사 주어졌습니다.그것등의, 그림책(어린이용의 그림이 많은, 이야기의 책)은, 나에게 사 주어진 것입니다만, 아버지(또는 부모님)는, 당연, 그것등의, 그림책(어린이용의 그림이 많은, 이야기의 책)이, 나의, 고물로서 남동생이, 읽어 들려줄 수 있는·읽는 일도 상정하고 있었습니다.

조금, 과장하여 말하면, 내가 어릴 적의 당시 , 일본 내외의, 명작으로 불리고 있던, 그림책(어린이용의 그림이 많은, 이야기의 책)의, 대부분은, 집(친가)에 있었다고 생각합니다.또, 미국·유럽의(아마...구체적으로, 어느 나라의 물건이었는지, 기억하지 않다고 하는지, 어렸기 때문에 의식하고 있었었습니다), 뛰쳐나오는 그림책등도, 집(친가)에, 많이 있었습니다.

그림책(어린이용의 그림이 많은, 이야기의 책)을, 나에게 읽어 들려주고 있던 것은, 어머니, 및, 아버지로, 남동생에게 읽어 들려주어 (이)라고 있던 것은, 모, 부, 제보다 먼저 그림책(어린이용의 그림이 많은, 이야기의 책)의 글자를 읽을 수 있게 되고 나서의 어릴 적의 나입니다.나는, 어릴 적, 남동생을 위해, 자신 그림책(어린이용의 그림이 많은, 이야기의 본)등이 읽어 들려주어의 소리를 카셋트 데이프에 녹음하기도 하고 있었습니다.

그림책(어린이용의 그림이 많은, 이야기의 책)과는 별도로, 아버지는, 내가 어릴 적, 나에게, 헌책방(헌책점)에서, 헌책의, 세계의 동화·민화, 시리즈·전집등의, 어린이용의, 세계의 동화·민화등의, 시리즈·전집의 것을, 정리해 사 , 무슨 세트인가, 사 왔습니다.그것등의, 시리즈·전집의 것도, 나에게 사 주어진 것입니다만, 아버지는, 당연, 그것등의, 시리즈·전집의 것이, 나의, 고물로서 남동생이, 읽어 들려줄 수 있는·읽는 일도 상정하고 있었습니다.

그 님, 시리즈·전집의 것의, 모든, 이야기를, 부모가 아이에게 읽어 들려주는 것은, 시간적으로 무리임 일로부터, 나는, 스스로 글자를 읽을 수 있게 되고 나서는, 그 님, 시리즈·전집의 것은, 스스로, 읽었습니다(뭐, 대부분의 이야기는, 잊어 버리고 있습니다만 w).

그 님, 어릴 적, 부모에게 읽어 듣고 있던, 세계의 동화·민화, 시리즈·전집등에 거둘 수 있고 있던, 이야기속에서, 가장 인상에 남아 있다, 이야기의 하나로서, 「행복한 왕자」가 있어요.「행복한 왕자」는, 내가, 그러한, 세계의 동화·민화, 시리즈·전집등의 글자를, 남동생보다 먼저 읽을 수 있게 되고 나서는, 나의 2세 연하의 남동생에게, 몇번이나 읽어 들려주어도 있었습니다.


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「행복한 왕자」의, 이야기입니다.Youtube로부터 빌려 온 것.어릴 적, 몇번이나 읽은, 「행복한 왕자」의, 이야기는, 나와 남동생의 인생의 가치관에 큰 영향을 주었던(지금도, 나와(아마) 남동생의 인생의 가치관에 큰 영향을 계속 주고 있습니다).

















나의 어머니는, 옛부터(내가 어릴 적부터), 「모친이기 전에 여자」인 여성입니다 w

나는, 얼굴은, 어머니보다, 아버지를 닮아 있어 나의 남동생은, 아버지와 어머니, 양쪽 모두를 닮아 있다고도 말할 수 있고, 아버지와 어머니, 어느 쪽에도 닮지 않다고 말할 수 있는 얼굴입니다.

나와 나의 어머니와의 관계는, 나의 어머니에게 있어서, 나는, 옛부터, 자신의 좋아하는 타입의 룩스(외모)가( 나는, 얼굴은, 어머니보다 아버지를 닮아 있습니다만, 나의 아버지와 어머니는, 아버지의 얼굴을 보고, 한 눈 반한 나의 어머니가, 아버지에 대해서, 맹렬하게 어프로치(유혹) 한, 열심인 연애 결혼입니다 w), 뭐든지, 마음 편하게 이야기할 수 있는, 기분이 맞는 남자 친구라고 한 느낌으로, 나의 어머니는, 옛부터, 자신의 연애이야기라도 뭐든지, 자신의 일은, 뭐든지, 모두 나에게 이야기해 와있는 w 이것에 대해서, 나의 어머니는, 나의 남동생에 대해서 (은)는, 옛부터, 태도를 구사해 와있다고 한 느낌으로, 남동생에 대해서는, 자신의 이야기를, 뭐든지 한다고 말하는 것이 아니고(남동생에 대해서는, 자신의, 여성인 면을 보이려고 하지 않고), 옛부터, 상대적으로, 모친의 얼굴을 하려고 해 와있는 느낌입니다.

나는 개인적으로 적지않은 여성 경험은 있어요가 w(끝나지 않습니다.나는 옛날은(젊은 무렵은), 왈이었습니다), 상술한 대로, 어머니 자신, 아무것도 생각하지 않다고 하는지, 어머니 자체가 체라체라 하고 있는 면이 있어, 사내 아이는, 있다 정도, 노는 것이 좋은·응석 하는 것이 좋은 정도에, 생각한 마디가 있어, 또, 이상한 이야기일지도 모릅니다만, 나의 어머니는, 나에 관해서, 자신이 반한 남성과의 사이에 낳은 자신의 아들( 나)의 여성 관계·여성 편력에 관해서, 옛부터, 반드시 싫지만은 않다고 생각해 온·자랑으로 생각해 온 것 같은 면도 있는 느끼기도 하는 w

나의 아버지는, 내가 어릴 적·젊은 무렵은, 전형적인, 사업인 사이·회사 인간이라고 한 느낌으로, 토, 일·축일이나 휴가 시기에, 아이( 나 및 남동생)를 적극적으로 놀아에 데려가거나·아이( 나 및 남동생)와 적극적으로 놀거나 하고, 아이( 나 및 남동생)의 추억 만들기에는, 가능한 한 협력하지만, 아이( 나 및 남동생)의 교육에 관해서는, 아내인 나의 어머니에게 모두 맡기고, 자신은( 나의 아버지는), 아이( 나 및 남동생)의 교육에 관해서, 모두, 관여하는 일은 없고, (아버지는, 나 및 나의 남동생이 어릴 적은, 아이( 나 및 남동생)의 일은 좋아하고, 함께 노는 것은 즐겁지만), 아이의 교육에 관해서는 귀찮기 때문에 아무것도 생각하지 않는다고 한 느낌의, 있다 의미, 육아에 관해서 자기중심적인 면이 있던 남성이었습니다.

아버지는, 내가 어릴 적·어릴 적, 나와 잘 놀아 주었습니다만, 아버지는, 나의 남동생에 관해서는, 장남인 나와 놀므로, 아이와 노는 것은 질려 버렸다고 한 느낌도 있었던 w(상술한 대로, 나의 아버지는, 있다 의미, 육아에 관해서 자기중심적인 면이 있던 남성입니다).이것에 대해서, 남동생은, 어릴 적·어릴 적은, 응석꾸러기로(지금도, 나의 남동생은, 성격에 응석꾸러기인 면이 있다 님생각이 듭니다), 나의 어머니에게, 찰싹 말한 느낌으로, (남동생이, 어릴 적·어릴 적은), 나의 어머니에게, 잘 응석부리고 있어 어머니도, 남동생이, 어릴 적·어릴 적, 남동생에 대해서, 잘 응석부리게 하고, 상대적으로, 제대로 모친을 하고 있던 느낌입니다 w





사용하기 편리한 사진이므로, 나가 많은 투고로 사용해 돌려 버리고 있습니다만 w, 내가 어릴 적(초등 학생의 무렵)의 사진입니다(전에, 우리 집의 부근의 친가를 방문했을 때에, 나온, 낡은 사진중에서, 내가 비치고 있는 것의 일부를 받아 오고, 우리 집에 보관되어 있는 것중에서, 한 장).여름의 휴가 시기의 사진으로, 매우 햇볕에 그을리고 있습니다 w 좌측의 모자는, 나의 2세 연하의 남동생의 모자( 나는 형제 자매는 2세 연하의 남동생이 한 명 있습니다), 우측의 모자는, 나의 아버지의 모자로, 사진은, 나의 어머니가 촬영한 사진입니다.옷은, 여름의 휴가 시기이므로, 매우 캐쥬얼인 복장이 되어 있습니다(평상시, 초등학교에 다닐 때는, 좀 더, 멋을 부려서 갔던 w).어릴 적(초등 학생의 무렵)은, 여름의 휴가 시기는, 이와 같은 옷으로, 날아다니고 있었습니다. 덧붙여서, 나의 가족의 피부의 색은, 부(백), 모(흰색), 나의 남동생(흰색), 나만, (아마 나의 외가의 조부의 격세 유전으로) 어느 쪽일까하고 말하면 흑입니다(덧붙여서, 꼭 좋은 일입니다만, 가족 전원, 술꾼으로, 술에는 강합니다 w).비유가 이케멘 배우씨로 죄송합니다만 w, 나의 피부의 색은, 세간, 타케노우치 유타카씨와 같은 정도의 느낌입니다(덧붙여서, 꼭 좋은 일입니다만 w, 나보다 타케노우치 유타카 씨가 그저 연상입니다).


위의 사진으로 보고 아는 대로, 나는, 어릴 적(초등 학생의 무렵)은, 조금, 환들로 하고 있었습니다(조금, 살쪄 있었습니다).다만, 실은, (아마, 초등 학생의 무렵의, 여자 아이는, 상대적으로, 그렇게, 깊게 생각하지 말고, 사내 아이에게, 발렌타인데이(Valentine‘s Day)의, 초콜릿(chocolate)을 건네주어 버리는 년경이라고 말하는 것도 있고), 내가, 인생중에서, 발렌타인데이(Valentine‘s Day)의, 초콜릿(chocolate)(의리 초콜릿이 아니고, 나를 위한( 나 전용의), 개별의 초콜릿(chocolate))을, 제일, 많이 받고 있던 것은, 초등학교 중학년부터 초등학교 고학년의 무렵에 w, 발렌타인데이(Valentine‘s Day)의 시기에는, 부모에게, 농담으로, 자주(잘), 초콜릿(chocolate) 가게(초콜릿(chocolate) 점)을 여는 것이 좋다든가, 초콜릿(chocolate) 회사를 경영 할 수 있는 것은 아닌가 등과 조롱당하고 있었던 w

나는, 초콜릿(chocolate)을 포함한, 과자 전반은, 좋아합니다만, 초등 학생의 무렵의, 발렌타인데이(Valentine‘s Day) 시기는, 초콜릿(chocolate)을 너무 받아서 , 초콜릿(chocolate)을 먹는데 질려 버려(초콜릿(chocolate)을 다 먹을 수 없어서), 초콜릿(chocolate)을 준 여자 아이들에게는, 큰 일 , 미안했습니다만, 조금씩 맛보기를 하고, 가족이나 남자의 친구들등에, (받은) 초콜릿(chocolate)을 주거나 하고 있었습니다.

덧붙여서, 나는, 초등학교의 무렵은, 같은 초등학교에 다닌다, 같은 class의 여자 아이· 동학년의 여자 아이와 같은, 동년대의, 아이의 여자 아이들에게는 흥미는 보이지 않고, 당시 , 초등 학생의 무렵의 내가 보면, 충분히, 어른으로 보이는, 여성, 연예인인, 나카야마 미호(nakayama miho)라고 말하는, 여성, 아이돌(idol) 가수가, 좋아했습니다 w 나카야마 미호(nakayama miho)는, 내가, 태어나고, 처음으로 좋아하게 된, 여성, 연예인의 한 사람입니다.

고교생이 되면, 친밀한(자신의 주위의) 여성들에 열중해, 여성, 연예인 자체에, 그렇게, 흥미를 가지지 않게 되어, 기호의 여성의 타입도 변화했으므로, 점점, 나카야마 미호(nakayama miho)의 팬(fan)이 아니게 되어서 갔습니다만...

나는, 초등학교의 무렵은, 같은 초등학교에 다닌다, 같은 class의 여자 아이· 동학년의 여자 아이와 같은, 동년대의, 아이의 여자 아이들에게는 흥미는 보이지 않고, 초등 학생의 무렵의 내가 보면, 충분히, 어른으로 보이는, 여성, 연예인의 일을 좋아하게 되어, 반대로, 고교생이 되면, 친밀한(자신의 주위의) 여성들에 열중해, 여성, 연예인 자체에, 그렇게, 흥미를 가지지 않게 되어, 기본적으로, 여성, 연예인의 일은, 꼭, 좋아졌던 w

나카야마 미호(nakayamamiho)에 관해서는, 80년대의 음악의 추억 전편을, 참조해 주세요.


어릴 적·어릴 적의, 나와 나의 남동생은, 나의 어머니에게 있어서, 마스코트·자랑의 애완동물(애완동물)과 같은 물건이었습니다 w 라고 말하면, 나나 남동생도, 어릴 적·어릴 적, 어른들로부터의, 귀여운·핸섬·귀여워서 핸섬이라고 한 느낌의, 아첨은 말해져 익숙해져 있었던 w 

나도 나의 남동생도, 아이 시대, 즐 영리한 아이로, 어머니의 앞에서, 예의범절이 좋은 애완동물(애완동물)을 연기하고 있는 한, 어머니에게 사랑받고, 어머니에게 응석부리고, 결과적으로, 자신들의 이득이 되는(자신들이 행복해진다)라고 하는 것을, 어릴 적부터, 본능적으로 알고 있다고 하는 느낌의 아이였습니다 w

또, 거기에 관련하고, 나도 나의 남동생도, 이렇게 하면, 어른들에게, 귀여워해진다고 말하는 일을, 어릴 적부터, 본능적으로 알고 있다고 한 느낌의 아이로, (마치, 여성이 소악마 테크닉을 무의식적·의식적으로 사용하도록(듯이) w), 그러한 일을, 무의식적·의식적으로 실시하고 있었습니다.

상술한 대로, 어릴 적·어릴 적의, 나와 나의 남동생은, 나의 어머니에게 있어서, 마스코트·자랑의 애완동물(애완동물)과 같은 물건으로 w, 손님이 집에 왔을 때는, 많은 경우, 어머니에게, 1회 (은)는, 인사에 나왔습니다.

나도 나의 남동생도, 어릴 적·어릴 적, 손님에게 인사할 때, 무의식적·의식적으로, 수줍어하거나 하고 있었습니다만, 나도 나의 남동생도, 수줍어하는 것이, 어른에게 귀엽다고 생각되어 귀여워해진다고 말하는 것을, 어릴 적부터 본능적으로 알고 있던 때문이다고 생각하는 w

손님에게, 대충, 얼굴 좀 보여주어를 끝마친 다음은, 나의 어머니는, 각각의 방으로 돌아와 놀아 주세요라고 한 느낌의 일을 말하거나 그러한 흐름에 가지고 가거나 했습니다만, 나도 나의 남동생도, 장시간, 손님에게 붙임성을 계속 사용하는 것도 지치므로 w, 어머니가, 그러한 느낌의 일을 말하거나 그러한 흐름에 가지고 갔을 때는, 나도 나의 남동생도, 기뻐하고, 다시, 스스로의 방으로 돌아와, 장난감이나 게임에서 놀고 있었습니다.



나의 어머니는, 아이( 나와 나의 남동생)에 대해서 공부한다고 일절 말하지 않는 타입의 부모였습니다 w

나의 어머니는, 아이( 나, 및, 나의 남동생)가, 어릴 적부터 고교생의 무렵, 아이( 나, 및, 나의 남동생)의 일을, 물질적이게는, 자기 마음대로, 감 태우게 해 또, 아이( 나, 및, 나의 남동생)의 공부에 관해서는, 완전히라고 말해 좋을 만큼, 관심이 없었습니다만, 어머니는, 두 명의 아들을 기르는 에 (이)라고, 이것만은이라고 하는 교육 방침이 있었습니다(가장, 어머니에게 있어서는, 혹시, 그것도 의도적인 교육 방침이라고 하는 것이 아니고, 어머니는, 거기에 붙어도, 아무것도 생각하지 않고 , 무의식적·본능적으로, 그렇게 해서 있었을지도 모릅니다).

나도, 나의 2세 연하의 남동생도, 조금, 과장인 말투를 하면, 보수적인 생각에 근거해, 여성을, 존경·존중해, 여성을 소중히 한다고 말하는 일에 관해서는, 어머니에게 철저하게 교육되었습니다.

나의 어머니는, 미하-로, 미인만 탐하는 사람의(핸섬한 남성을 좋아하는), 여성이었습니다.또, 나의 어머니는, 사랑에 눈먼 부모였습니다 w 나의 어머니는, 자신의 아들( 나와 나의 남동생.특히 나w)의 일을, 핸섬이라고 평가하고 있었습니다.

나의 어머니가, 내가 사춘기의 무렵에, 나에게, 잘 말한 말(또, 나의 남동생에게도, 나의 남동생이, 사춘기의 무렵에, 가끔, 말한 말)로, 인상에 남아 있는 말로, 아마 내면이나 마음가짐등에 관해서 말하고 있었다라고 생각합니다만, 「미남자(또는, 핸섬.어느 쪽인지 잊었다.뭐, 양쪽 모두 말했다고 생각합니다)는, 여성(또는, 여성들.아마 양쪽 모두 말했다고 생각합니다)의 미남자에 대한 기대에 응할 의무가 있다」라고 하는 말이 있어요 w

또, 나의 어머니는, 찬`р니, 나의 남동생이, 사춘기의 무렵에, 나와 나의 남동생에 대해서, 「미남자(또는, 핸섬)로 태어난 것은, 우연히 운이 좋았던 것 뿐으로, 뜻대로 되어 우쭐대어 안 된다」라고, 「운이 자주(잘) 미남자(또는, 핸섬)로 태어난 이상, 상응하는 사회적인 책임을 지지 않으면 안 된다」라고 한 느낌의 말도 말했던 w 웃어 버리는 말입니다만 w, 어머니는, 생각보다는 성실한 기분으로 아들들에게 타이르고 있는 느낌이었습니다.


이하, 참고의 투고.

도둑의 추억/선생님의 에코비희(일본어)→

/jp/board/exc_board_8/view/id/2625194/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon

도둑의 추억/선생님의 에코비희(일본어)→

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인터뷰와 러브 레터(일본어)→

/jp/board/exc_board_8/view/id/2623529/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon

인터뷰와 러브 레터(한국어)→

/kr/board/exc_board_8/view/id/2623529/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon

남근의 세대 전편(일본어)→

/jp/board/exc_board_8/view/id/2630944/page/1?&sfl=membername&stx=jlemon

남근의 세대 전편(한국어)→

/kr/board/exc_board_8/view/id/2630944/page/1?&sfl=membername&stx=jlemon

자동차의 BGM로서 듣는 곡(정리편)(일본어.한국 분은, 한국어로 표시로, 봐 주세요)→

/jp/board/exc_board_5/view/id/2622100?&sfl=membername&stx=jlemon

미야코(miyako) 섬등 (일본어.한국 분은, 한국어로 표시로, 봐 주세요)→

/jp/board/exc_board_8/view/id/2639909?&sfl=membername&stx=jlemon




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이것은, 세간, 내가, 어릴 적의 물건으로, 「Dragon Ball」(일본의, 인기, 만화·TV애니메이션 시리즈(TV anime series).만화는, 1984년부터, 애니메이션(anime)은, 1986년부터)의, 최초의, TV애니메이션 시리즈(TV anime series)(1986년부터 1989년에 방영)의, 엔딩 테마곡(마지막에 흐르는 곡)(1986년)입니다.「Dragon Ball」는, 어릴 적, 「Dragon Ball」의 원작의 만화가 연재되고 있던, 주간 소년 점프(Weekly Shonen Jump)(일본의, 인기, 소년(남성, 초등 학생·중학생·고교생) 보내의, 주간의, 만화 잡지의 하나)도, TV애니메이션 시리즈(TV anime series)도, 열중해서, 보고 있었습니다.










이하 2는, 내가, 중학생의 무렵, 좋아했던 rock band의 예입니다.

Shark Island는, 미국의, rock band인데, 유럽적인 분위기가 있다 곳이, 좋아했습니다.덧붙여서, 내가, 중학생·고교생의 무렵, 매우 좋아함 밴드의 하나에 Guns N’ Roses가 있다의입니다만, Guns N’ Roses의, 가수(lead vocalist), W. Axl Rose는, Shark Island의 가수(lead vocalist), Richard Black의 영향을 받고 있습니다.


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Shark Island의 곡의 예.Shark Island- 「Paris Calling」(1989년).













「IT BITES」는, 영국의 rock band로, 내가, 중학생의 무렵, 정말 좋아함 (매우 좋아함), rock band입니다.




10대의 무렵, 거리에서, 우연히, 「IT BITES」의 중심 인물인 Francis Dunnery(리드 보컬(lead vocals)와 기타(guitar) 담당)를 만났을 때에 받은, Francis Dunnery의 싸인(autograph).기습으로, 만났을 때에 받았으므로, 노트(notebook)의 자투리에 써 받았던 w







이하, 4.「IT BITES」의 곡의 예.


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「IT BITES」-「Kiss Like Judas」(1988년).











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「IT BITES」-「Sister Sarah」(1989년)











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「IT BITES」-「Still Too Young to Remember」(1989년).












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「IT BITES」-「The Ice Melts into Water」(1989년).실제 연주.











HANOI ROCKS는, 1980년대 전반에 활약하고 있던, 핀란드의, rock band로, 유럽과 일본에서, 인기가 있던, rock band입니다.HANOI ROCKS는, 미국에 있어서는, 지명도는 낮습니다.

HANOI ROCKS는, 유럽과 일본에서, 인기가 있었습니다만, HANOI ROCKS가 활약하고 있던 1980년대 전반 당시는, 나는, 아직 어릴 적부터 어릴 적으로, 또, 나는, 초등학교 고학년으로, 듣는 음악에 관해서, 부모 떨어져를 해(부모의 영향하를 벗어나), 자기 자신의(자신 독자적인), 음악의 취미에 눈을 뜰 때까지는, 부모(주로 모친)의 영향으로, J-pop나 소프트한(부드럽다) 서양 음악(영국·미국을 중심으로 한 서양의) pop등을 듣고 있었습니다만, HANOI ROCKS는, 당시 , 부모가 흥미가 없었던 것으로부터, 나는, HANOI ROCKS에 대해서, 몰랐습니다.

이와 같게, 나는, HANOI ROCKS가 활약하고 있었을 때를, 리얼타임에 맛본 세대는 아닙니다만, 내가, 중학생·고교생의 무렵, 매우 좋아함 밴드의 하나에 Guns N’ Roses가 있다의입니다만, Guns N’ Roses가, HANOI ROCKS의 영향을 받고 있던 일등으로부터, 나는, HANOI ROCKS는, 중학생의 무렵부터, 흥미를 가져, CD를 사 듣게 되어, 중학생·고교생의 무렵(특히 중학생의 무렵), 좋아하는 밴드의 하나였습니다.


이하 5.HANOI ROCKS의 곡의 예.

</iframe>"> <iframe src="https://www.youtube-nocookie.com/embed/hDxQ8Z4NYP4?rel=0" allow="autoplay; encrypted-media" allowfullscreen="" width="560" height="315" frameborder="0"></iframe>
HANOI ROCKS- 「Café Avenue」(1982년).












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HANOI ROCKS- 「Don"t You Ever Leave Me」(1981년).













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HANOI ROCKS- 「Malibu Beach Nightmare」(1983년).











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HANOI ROCKS- 「Ice Cream Summer」(1983년)











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HANOI ROCKS- 「Tragedy」(1981년).














사용하기 편리한 사진이므로, 나가 많은 투고로 사용해 돌려 버리고 있습니다만, 금년의 1월, 그녀와 데이트 했을 때에, 도쿄역의 앞에서, 그녀가, 장난쳐 찍은, 나의 사진.프라이버시이기 때문에, 머리 모양(머리카락)까지, 모두 숨기기 위해, 얼굴을 숨기는 검은 부분은, 여유를 가지고, 큰에 취해 있어, 실제의 얼굴은, 검은 부분보다, 작습니다 w 덧붙여서, 나의 어깨의 형태의 관계일까...나는, 코트(coat)를 입으면, 체격이, 잘 보입니다만, 실제는, 코트(coat)를 입어 보이는 것보다도 야위고 있습니다 w(코트(coat)의 내용은, 야위고 있습니다 w).

위의 사진의 상세하게 관계해서는, 이하의 투고를, 참조해 주세요.


위의 사진의 상세하게 관계해서는, 이하의 투고를, 참조해 주세요.
적당하게 잡다한 J-pop(일본어)→
/jp/board/exc_board_3/view/id/2595722?&sfl=membername&stx=jlemon
적당하게 잡다한 J-pop(한국어)→
/kr/board/exc_board_3/view/id/2595722?&sfl=membername&stx=jlemon







나는, 초등학교 고학년으로, 듣는 음악에 관해서, 부모 떨어져를 해(부모의 영향하를 벗어나), 자기 자신의(자신 독자적인), 음악의 취미에 눈을 뜰 때까지는, 부모(주로 모친)의 영향으로, J-pop나 소프트한(부드럽다) 서양 음악(영국·미국을 중심으로 한 서양의) pop등을 듣고 있었습니다.

그런, 부모(모친)의 영향으로, 잘 듣고 있던, J-pop·소프트한(부드럽다) 서양 음악(영국·미국을 중심으로 한 서양의) pop등의 하나에, Duran Duran가 있어요.덧붙여서, Duran Duran의 베이시스트(bassist), John Taylor는, 초등 학생의 무렵, 생각해 낼 수 있는 한, 남자면서, 만화·애니메이션의 등장 인물 이외로, 처음으로 근사하다고 생각한 남자의 한 사람입니다.덧붙여서, 나는, 별로 호모가 아닙니다 w(라고 말하는지, 스스로는, 상당한 여자 좋아하는(여성을 좋아하는) 남자라고 생각하는 w).


<iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube-nocookie.com/embed/Z9z0e1Wm64M" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe>
Duran Duran- 「Notorious」(1986년).














상술한 대로, 나는, 초등학교 고학년으로, 듣는 음악에 관해서, 부모 떨어져를 해(부모의 영향하를 벗어나), 자기 자신의(자신 독자적인), 음악의 취미에 눈을 뜰 때까지는, 부모(주로 모친)의 영향으로, J-pop나 소프트한(부드럽다) 서양 음악(영국·미국을 중심으로 한 서양의) pop등을 듣고 있었습니다만, 초등학교 고학년때, Bon Jovi를, 처음으로 들었을 때에, 이런 음악이 있다 의 것인지와 충격을 받는 이래, hard rock· heavy metal의 매력에 사로잡혀 중학생의 무렵, hard rock· heavy metal를, 매우, 잘 듣고 있었습니다(CD도, 많이 샀습니다(CD도 많이, 가지고 있었습니다)).

덧붙여서, Bon Jovi는, 세계적으로 인기가 있기 전에, 일본에서, 오히려 미국내보다(아마), 인기가 있었습니다만(일본이 젊은 여성들에게 아이돌적인 인기를 얻고 있던), 그런, 일본에서, 젊은 여성들에게, 아이돌적인 인기를 얻고 있었을 무렵의, Bon Jovi는, 당시 , 나는 몰라서(그 당시는, 아직, 나는, 부모의 영향하에서, J-pop나 소프트한(부드럽다) 서양 음악(영국·미국을 중심으로 한 서양의) pop등을 듣고 있던), 내가, Bon Jovi를 안 것은, Bon Jovi가 세계적으로 인기가 있고 나서입니다(Bon Jovi의 3 작목의 앨범, 「Slippery When Wet(일본명, 와일드·인·더·스트리트)」(1986년)이, 세계적으로, 히트 하고 나서입니다).

내가, 초등학교 고학년의 무렵, 태어나고 처음으로, 자신의 의지로, 한편, 자신의, 용돈에서 산 CD는, Bon Jovi의 3 작목의 앨범, 「Slippery When Wet(일본명, 와일드·인·더·스트리트)」(1986년)입니다.덧붙여서, 당시 , 나는, 이성에게 눈을 뜨고 있는 부분은 있었습니다만, 아직, 성욕에는 눈을 뜨지 않았습니다만, 「Slippery When Wet(일본명, 와일드·인·더·스트리트)」의, 일본판의 쟈켓(라고 말하는지, 일본판의 쟈켓이, 원래의 쟈켓으로, 미국내판의 쟈켓은, 원래의 쟈켓이, 너무 과격한 등이라고 한 이유로, 교체된 것인 것 같습니다)이, 부끄럽다고 하는 인식은 있어, 그것을 속이기 때문에(위해) 등의 이유로, EUROPE의 앨범, 「The Final Countdown」(1986년)도, 그 때, 함께 산 것은 비밀입니다 w(라고 말하는지, 별로 비밀이 아닙니다 w 덧붙여서, 「The Final Countdown」도, 좋은 앨범이었습니다).

초등학교 고학년으로부터 중학교 2 학년무렵, 집에서, Bon Jovi의 CD를 걸치면서, 거울에 자신을 비추고, Bon Jovi의 가수, Jon Bon Jovi의 노래 흉내를 내고, 혼자서, Bon Jovi 놀이를 하고 있던 것은, 빨간 얼굴의(부끄럽다) 추억입니다 w 그렇지만, 이 초등학교 고학년으로부터 중학교 2 학년무렵의 빨간 얼굴의(부끄럽다) 행위(Bon Jovi 놀이)가, 후에, 뜻밖의 곳에서, 도움이 되어, 젊은 무렵(대학생의 무렵), 북미(미국·캐나다)의, 가라오케(karaoke) 바·가라오케(karaoke) 퍼브에 손님으로서 방문해 가게의 스테이지에서, Bon Jovi를 노래했을 때에, 점내의 객들에게, 대 받아 했던 w




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Bon Jovi- 「You Give Love a Bad Name」(1986년).내가, 초등학교 고학년때, 태어나고 처음으로 산 CD, 「Slippery When Wet(일본명, 와일드·인·더·스트리트)」(1986년)의 수록곡입니다.
















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Bon Jovi- 「I"ll Be There for You」(1988년)

















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Bon Jovi- 「Living in Sin」(1988년).


















상술한 대로, 나는, 초등학교 고학년때, Bon Jovi를, 처음으로 들었을 때에, 이런 음악이 있다 의 것인지와 충격을 받는 이래, hard rock· heavy metal의 매력에 사로잡혀 중학생의 무렵, hard rock· heavy metal를, 매우, 잘 듣고 있었습니다만(CD도, 많이 샀습니다(CD도 많이, 가지고 있었습니다)), Skid Row와 L.A. Guns는, 내가 중학생의 무렵, 매우 좋아함, band입니다.L.A. Guns에 관해서는, 중학으로부터 고등학교의 처음에 걸쳐 좋아했습니다(당시 , Guns N" Roses도 좋아했습니다만, L.A. Guns가, 보다 좋아했습니다).





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Skid Row- 「I Remember You」(1989년).

















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L.A. Guns- 「The Ballad of Jayne」(1989년).덧붙여서, L.A. Guns의, 가수(vocalist), Phil Lewis의, 부인(아내)은, 일본의, 일반인의(아마...), 여성입니다.



















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