冒頭の一節を、原文・現代語訳セットで抜き出して番号をつけますね。
原文:「①嘗」「②謂」「③朝鮮之俗有至拙者三至難者二」
現代語訳:
「③朝鮮の風習には拙きに至るものが三つ難儀に至るものが二つ有ると」
「①これまでに」「②言われたものだ。」
「①嘗」は「②謂」のみを修飾しますね。
「①嘗」は「②謂」だけにのみ影響を与えます。
「①嘗」は「③朝鮮之俗有至拙者三至難者二」には影響を与えないです。
「①嘗」は「③朝鮮之俗有至拙者三至難者二」より後の文にも
影響を与えないです。
「①嘗」が影響を与えるのは「②謂」のみですね。
「嘗謂」「——————-A———————-」
「嘗謂」「私の国は李氏朝鮮という(A=現在)」
「嘗謂」「朝鮮半島には以前、倭人が多く住んでいた(A=過去)」
「嘗謂」「朝鮮はロケットで火星に行く(A=未来)」
「嘗謂」とは言っても、その言うところの内容は現在・過去・未来
なんでも言えますね。
当然ですね、だって、
「①嘗」が影響を与えるのは「②謂」だけなんですから。
「過去に言ったことがある」とはいっても、その言った内容まで
過去のものとは限りませんね。
言った当時現在のことかもしれませんし、
言った当時より過去のことかもしれませんし、
言った当時からはるか遠い未来のことかもしれません。
「過去に言ったことがある」その言った内容が、
言った当時現在のことなのか、
言った当時より過去のことなのか、
言った当時より未来のことなのか、
それを決めるのは、それより後の文章ですね。
つまり、「③朝鮮之俗有至拙者三至難者二」の内容が
記述当時のことなのか、記述当時より過去のことなのか、
記述当時より未来のことなのか、
それを決めるのは、
③より後の文章だということです。
んじゃ、「③朝鮮之俗有至拙者三至難者二」より後の文章を
見てみましょうね。
すると、
(原文)
我國無針
我國有舟無車
と言っていますね。
(現代語訳)
私の国には針が無い。
私の国には舟は有るけれども車が無い。
と言っていますね。
「私の国には針が無い」・・・「私の国」って言ってますね。
「私」は著者「鄭東愈」ですね。
「国」は「朝鮮」ですね。
「私の国=鄭東愈の朝鮮」ですね。
鄭東愈は1744―1808年当時生きていた人ですから、
「鄭東愈の朝鮮=鄭東愈が生きていた1744―1808年当時の朝鮮」
ですね。
つまり、
「鄭東愈が生きていた1744―1808年当時の朝鮮には針が無い」ですね。
さらに、この「針が無い」の文章は、「針が無い」と言っているだけで、
他に何らの時制的制限はないですね。
「昔者我國無針=昔は私の国には針がなかった」
とか言ってるわけじゃないですね。
あくまで「我國無針=私の国には針が無い」としか言ってませんね。
それゆえ、「針が無い」のは、
この記述当時の朝鮮のことになりますね。
同じく、「車が無い」のも、
この記述当時の朝鮮のことになりますね。
つまり、「朝鮮には針も車も無い」は
少なくともこの記述当時の朝鮮のことだと
鄭東愈が言っていると解釈して
なんら間違いはないですね。
————————————————(続く)———————————————
모두의 일절을, 원문·현대어역세트로 뽑아내고 번호를 매기네요.
원문:「①상」 「②이유」 「③조선지속유지졸자3 지난자2」
현대어역:
「③조선의 풍습에는 졸 나무에 이르는 것이 세 개 고생스럽게 도달하는 것이 두 개 있으면」
「①지금까지」 「②말해진 것이다.」
「①상」은 「②이유」만을 수식하네요.
「①상」은 「②이유」인 만큼 마셔 영향을 줍니다.
「①상」은 「③조선지속유지졸자3 지난자2」에는 영향을 주지 않습니다.
「①상」은 「③조선지속유지졸자3 지난자2」보다 후의 문장에도
영향을 주지 않습니다.
「①상」이 영향을 주는 것은 「②이유」뿐입니다군요.
「상위」 「-------------A---------------」
「상위」 「 나의 나라는 이씨 조선이라고 한다(A=현재)」
「상위」 「한반도에는 이전, 왜인이 대부분 살고 있었다(A=과거)」
「상위」 「조선은 로켓으로 화성에 간다(A=미래)」
「상위」라고는 말해도, 그 말하는 곳(중)의 내용은 현재·과거·미래
뭐든지 말할 수 있네요.
당연하네요, 래,
「①상」이 영향을 주는 것은 「②이유」만일 수 있는이니까.
「과거에 말했던 적이 있다」라고 들어가도, 그 말한 내용까지
과거의 것이라고는 할 수 없겠네요.
말한 당시 현재의 일일지도 모르고,
말한 당시부터 과거의 일일지도 모르고,
말한 당시부터 아득한 먼 미래의 일일지도 모릅니다.
「과거에 말했던 적이 있다」그 말한 내용이,
말한 당시 현재의 일인가,
말한 당시부터 과거의 일인가,
말한 당시부터 미래의 일인가,
그것을 결정하는 것은, 그것보다 후의 문장이군요.
즉,「③조선지속유지졸자3 지난자2」의 내용이
기술 당시의 일인가, 기술 당시부터 과거의 일인가,
기술 당시부터 미래의 일인가,
그것을 결정하는 것은,
③보다 후의 문장이라고 하는 것입니다.
응은, 「③조선지속유지졸자3 지난자2」보다 후의 문장을
봐요.
하면,
(원문)
아국무 바늘
아국유주무차
이라고 말하네요.
(현대어역)
나의 나라에는 바늘이 없다.
나의 나라에는 배는 있지만 차가 없다.
이라고 말하네요.
「 나의 나라에는 바늘이 없다」···「 나의 나라」라고 말하네요.
「 나」는 저자 「정동유」군요.
「나라」는 「조선」이군요.
「 나의 나라=정동유의 조선」이군요.
정동유는1744―1808년 당시 살아 있던 사람이기 때문에,
「정동유의 조선=정동유가 살아 있던1744―1808년 당시의 조선」
이군요.
즉,
「정동유가 살아 있던1744―1808년 당시의 조선에는 바늘이 없다」군요.
게다가 이 「바늘이 없다」의 문장은, 「바늘이 없다」라고 하는 것만으로,
그 밖에 아무런 시제적 제한은 없네요.
「옛 사람아국무 바늘=옛날은 나의 나라에는 바늘이 없었다」
이라든가 말하고 있는 것이 아니네요.
어디까지나 「아국무 바늘=나의 나라에는 바늘이 없는」이라고 밖에 말하지 않았습니다.
그러므로,「바늘이 없다」 것은,
이기술 당시의 조선가 되네요.
같이,「차가 없다」 것도,
이 기술 당시의 조선가 되네요.
즉, 「조선에는 바늘도 차도 없다」는
적어도 이 기술 당시의 조선라면
정동유가 말한다고 해석해
아무런 실수는 없네요.
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