長らく続いて来た朝鮮時代の「車」の話は、もう終わりが近づいてきました。
鄭東愈の書いたものだけでなく、同時代に「車」について書かれた物が無いか探してみました。
2件、見つかりました。
★ 朴趾源(1737~1805) 「熱河日記」
★ 朴斉家(1750~?) 「北学議」
ともに、「車」に対する項目を設けて論じているようですが、朴斉家「北学議」の方は本文を見ておりません。しかしながら、朴趾源と朴斉家は北(清)学派と呼ばれた実学を重視する学派で子弟関係にあったようですので、似たような見解の持ち主と推察されます。
朴斉家「北学議」の本文が入手可能な方、紹介よろしくお願いします。
「熱河日記Ⅰ」 P179~ 車制 からの抜書きです。
——— 先ずは、中国(清)での車の利用法を数々紹介してます————
p182
わが朝鮮は、車がなくはないのに、車輪は正円形でないし、轍<車跡>は軌<車轍>に入らない。これでは車がないようなものだ。しかしながら、人は、きまり文句として「わが朝鮮は岩石の多い土地で車の使用は駄目だ。」という。これはなんという発言か。国が車を使用しない。だから道路が整備しないのだ。車が通行すれば、道路は自ら整備する。街巷の狭隘、嶺の難所の険峻は、なんの憂いもない。
——————- 中略 —————-
<大意>
中国と朝鮮で地形は大差ないのに、中国の財貨と冨は一地方に渋滞しないで流通している。
ついで、朝鮮各地の産物をあげ
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その理由を問うてみよう。車がどうして使用されないのか。一言で要約するなら、士大夫のあやまちである。平生、書物を読んでは、「周礼」は聖人の作だとはいう。輸入といい、輿人といい、車人といい、輈人といいながら、これを製造する方法はどうなのか、これを運転する方法はどうなのか、ついに研究しない。これはいわゆる徒読であって、どうして学問に裨益しようか。
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金庚信が平壌を囲んだ蘇定方軍に兵糧を届ける為に2000両の車両を使った記事があるのだから、最初から無かった訳ではないだろう。
오랫동안 계속 되어 온 조선시대의 「차」의 이야기는, 벌써 마지막이 가까워져 왔습니다.
정동유가 쓴 것 뿐만이 아니고, 동시대에 「차」에 대해 쓰여진 것이 없는가 찾아 보았습니다.
2건, 발견되었습니다.
★ 박지원(1737~1805) 「열하 일기」
★ 박제가(1750~?) 「북학의」
박제가 「북학의」의 본문이 입수 가능한 분, 소개 잘 부탁드립니다.
「열하 일기