▲高宗毒殺の具体的情報に言及した「倉富勇三郎日記」の1919年10月30日部分/李泰鎭教授提供 90年前3・1運動の口火になった 高宗皇帝の死が日本側の指示による毒殺だった、という情報を記録した当 時の日本の高位官僚の文書が 初めて発掘された。この文書は 1919年当時、日本宮内省の帝室会計審査局 長官だった倉富勇三郎(1853〜1948)が書いた日記で、 ▲高宗毒殺の背景に 初代朝鮮総督寺内正毅(1852〜1919)と当時の朝鮮総督長谷川好道(1850〜1924)がおり ▲毒殺の理由は高宗が独立運動に係わったからだという
宮内省内の情報を記録した。 李泰鎭(イ・テジン)ソ¥ウル大国史学科教授は 最近、日本の国会憲政資料室が所蔵している「倉富勇三郎日記」の該当部分の写本を入手し、この事実を27日、本紙に公開した。 李教授は京都大、永井和教授のホームページを通じて
文書の内容を知り、これに対する研究成果を来る4月23日、米国ハワイ大で開かれる学術会議で
論文発表¥する予¥定だと明らかにした。 |
歴史板の皆さんが、大好きなイテジン教授の近況