伝統文化紹介 Relationship

 





後から、若干、内容を追加しました。




東京會舘は、100年の歴史を有する、東京の、レストラン・結婚式場・宴会場です。




写真は、借り物。1922年に建てられた、初代の、東京會舘の建物(写真左側)。




以下、「」内。私の前の投稿文より。。。

「私は弟とは、昔から(幼い頃から)、お互いに、過干渉しない、適度な距離感の、個人主義なのですが、中学校・高校時代、学校の部活に縛られない、帰宅部であった事、大学受験の為の、予備校は、通わず、学校の勉強と、(自分で選んだ参考書を使った)自宅の勉強だけで(家で、自分だけで行った勉強だけで)、大学を受験した事、大学時代に1年間、アメリカの大学に留学した事等について、弟は、私の影響を受けており、ちゃんと、私の背中を見ていてくれたのだなと思います。
 
私は、高校の時、遊び重視派高校生だったのでw、大学受験の為の予備校・塾には行かずに(模試は何回か受けた)、学校の勉強以外は、(自分で選んだ参考書を使った)自宅の勉強だけで(家で自分で行った勉強だけで)、大学を受験しました(弟も、その影響を受けました。私も弟も、高校までずっと公立(私も弟も高校までずっと共学でw、弟の方が勉強が出来た高校だが、何れにしても、私が通った高校も弟が通った高校も、伝統的に、全般的に女子の方が優勢で校風は何となく女性的な高校w)で浪人もしなかったので、私の両親は、大学受験までは、私にも私の弟にも、教育費に関してはあまり掛からなかったと思います)。ちなみに、私は、異性関係チャラチャラ男子高校生、2歳年下の弟はスケボ・サーフィン男子高校生でしたw」



以下、前に行った投稿から抜粋して来た物です。


私の母は、大学は英米文学科を出ているのですが、それはあまり関係がなく、洋画がとても好きだったと言うのがあるのか、英語がとても好きで、留学経験はなくても、独学で、英語は、昔から発音も良く流暢に話せましたし(今でも大丈夫でしょう(それ程英語は忘れていないでしょう))、父も、留学経験はないですが、仕事で使う関係で、昔から英語は話せます(発音は、あまり上手くありませんがw)。


ちなみに、私の家族が出た学校に関し、私の父(大学から田舎から東京に出て来ました)は、大学までずっと公立(大学は国立)、私の母、私、私の弟(私の2歳年下。外資系の会社に勤める会社員。既に結婚をし、まだ2人共幼いですが、子供が2人いて、妻・子供達と共に東京の西部郊外の静かて落ち着いた住宅地に買った一戸建て住宅に暮らしている)は、高校までずっと公立です。

私の母方の祖母(既に亡くなっています)は、田舎の裕福な地主の家(戦後は、おそらく農地改革により没落した)の娘で、地元の私立のミッション系の女学校を卒業した後、東京のA学院大学に進学しました。母方の祖母は、女子大生時代、祖母の実家(祖母の父)の、麻布の東京の別宅に暮らし、身の回りの世話は、お抱えの女中さん達にやって貰っていたようです。

私の母方の祖母は、女学校ではカナダ人の女性(だったかな?)の先生に親しんでいて、大学でも、外国人(おそらく北米)の先生に接する機会があったのでしょう。古い人の割には、少し英語は話せました(発音も良かったw)。

また、さすがに今は、そういう事はないかもしれませんが、ここだけの話(ここだけの話とは言いながら、今までkjで書いて来てしまっていますがw)、私の母も、私も、私の弟も、A学院大学だけを受験する事を条件とすれば、受験の点数いかんにかかわらず、母方の祖母のコネでA学院大学に行く事が可能であったと言う、ズルい現実もありましたw

ちなみに、母は、K大学に行きたかったので、コネは使わなかったのですが、K大学を落っこちて、コネを使わずに普通に受験して受かったA学院大学の英米文学科に進学しました。私は、当時のA学院大学の通学環境で別の大学の方が良かったので、コネを使わないで、A学院大学も受かったのですが、概ね学力が同じ位の第一志望であった別の私立大学に行きました。弟は、やはりコネを使わずに受験して、A学院大学も受かったのですが、第一志望であったA学院大学よりも学力が高い別の私立大学に行きました。

以上の事から実家では、(私が子供の頃、それを読んでいた訳ではありませんが)、英語の雑誌を定期購読していたり、英字新聞をとっていたり、母がよくFENの音楽番組等を聴いたりしていて、幼い頃から、英語自体には、慣れる環境にあり、また、帰国子女と言える程の期間ではなく、また、住むよりも滞在していたと言った表現の方が、ふさわしいと言った短い期間ではあるのですが、会社員の父の仕事の関係で、小学校低学年の時の約2年間(当時、日本のアニメ等は祖母が私の為にマメにビデオに録画してくれましたw)、中学1年と2年の間の約1年間、アメリカに暮らしていて(小学生の頃はL.A.、中学の頃は、サンフランシスコ。休みの日に、現地で親に色々遊びに連れて行って貰ったり、良い(楽しい)思い出として残っています)、又、大学生の時、アメリカの大学に1年間留学する等していました(ちなみに、弟も、大学生の時、アメリカの大学に1年間留学したのですが、弟は、その事に関して、私の影響を受けました(私の真似をしました))。したがって、私の話す英語は、発音も含めて、アメリカ英語ですw

ちなみに、私は、中学・高校の英語の授業は好きでしたし、勉強も、全く苦になりませんでした。私は高校時代(高校1年の時か2年の時かどちらか忘れた)に一回の受験で英検準1級を取ったのですが、英検準1級ともなると基本的な日常会話程度では使わないような単語も憶えなければならないのですが、単語を憶えるのも全く苦ではなかったですし、又、当時、まだ青くて、授業の時間、当てられて教科書を朗読する時、発音が良くて、かっこいいアピールが出来る事も快感に思っていましたw ちなみに、過去に付き合っていた女の子に、(その子は付き合う前から、私が外国人と英語で話したりするのを見て(聞いて)いたのですが)、付き合った後、「○○くんて、前から、漢字が読めない人なのかなと言う印象を勝手に持っていた」と言われた事がありますw


ちなみに、私の今の彼女は、私が、英語を話すのを聞くのが好きで、又、よく、英語由来の外来語(地名・社名等を含む)を、英語の発音で発音して欲しいと私にねだるのですが、私は、面倒なので、ほぼほぼ、いつも、彼女のそのお願いは、断っていてw(スルーしていてw)、日本語をしゃべる時は、英語由来の外来語(地名・社名等を含む)も、普通に日本語の発音で話しています。


以上、前に行った投稿から抜粋して来た物でした。



以下、前に行った投稿から抜粋して来た物です。


私は、理数系ではないので(数学・理科は苦手なので)、大学は、全て、私立大学の文系の学部を受験しました。

以下、私の受験した大学です。

W大学(不合格)。この大学は、元々、私の学力からして受かると思わなく、初めから狙っておらず(したがって、この大学を受験する為の受験対策も、全くしておらず(過去問題等も全く見ておらず))、まあ、可能性は低いけれども、まぐれで、受かれば、ラッキー程度の、記念受験と言った感じでした。

M大学(合格)。

C央大学(合格)。

A学院大学(合格)。

M学院大学(滑り止めの大学として受験。合格)。

S蹊(kei)大学(吉祥寺(kichijyoji)(東京中心部(東京23区)に近い東京の西部郊外に位置する大学。不合格)。S蹊(kei)大学は、入試難易度(難度)は、当時、M大学、C央大学、A学院大学よりも低く、概ね、M学院大学と同じ位であったのですが、試験問題が、個人的に肌に合わず(この大学は、元々、この大学の入試問題向けの受験対策も、全くしておらず(過去問題等も全く見ておらず))、ちょっと舐めて受験したと言うのもあります)、受験している時から手応えがなく、不合格でした。

M大学(合格)、C央大学(合格)、A学院大学(合格)は、当時、概ね、入試難易度(難度)が、同じ位でした。

C央大学は、東京都心部から、比較的遠い、東京の西部郊外に位置する大学で、大学のキャンパス(敷地や校舎)は、広く、ゆったりとしていて、学習環境的には、当時、受験した大学の中で、最も良かったのですが、(東京都心部に生まれ育った私からしたらw)こんな田舎に4年間も通いたくないと思い((大袈裟な表現で冗談ではありますが)不慣れな環境でw、受験した際に、足の指がしもやけになってしまいましたw)、合格しましたが、行くのをやめました。

A学院大学は、受験したのは、東京都心部の校舎でしたが、当時1年生から2年生は、遠い、東京近郊にあるキャンパス(校舎)に通わなければならなかったので(現在は、再び、元々のように(私の母が通っていた頃のように)、4年間、東京都心部のキャンパス(校舎)に戻っている)、合格しましたが、それを理由に行くのをやめました。

M学院大学(滑り止めの大学として受験。合格)は、私の母方の祖母は、M学院大学の創立者のアメリカ人と、私の母方の祖母の祖父が仲が良かったようで、行く事を勧めてくれたのですが(ちなみに、私の母方の祖母は、自分が卒業した、A学院大学は、(本当は、私に、行って欲しかったようですが)、敢えて勧めませんでした)、M学院大学も、悪い大学ではないのですが、この時、受験し、合格した、他の大学に比べると、名門度と言う点においては落ち、就職面において不利かなと思い(その点においては、元々、大学の入試問題向けの受験対策も、全くしておらず(過去問題等も全く見ておらず))、ちょっと舐めて受験した事と、試験問題が、個人的に肌に合わず、不合格でありましたが、前述したS蹊(kei)大学も同じ)、行くのをやめました。

結局、消去法により、通学が楽な(1、2年は、東京中心部(東京23区)の西端地域に位置するキャンパス(校舎)、3、4年は、東京都心のキャンパス(校舎))、合格した、M大学に行く事にしました。

ちなみに、M大学は、政治経済学部を選んで受験したのですが、学部は、入学してから、勉強が楽である(単位が取り易い)学部であると言う、とても単純で馬鹿な基準で選びました。M大学の、政治経済学部は、当時、勉強が楽である(単位が取り易い)事から、大学内において、パラダイス(paradise・天国)政治経済学部と呼ばれていましたw(私のような、チャラチャラした学生が行くには、環境的に、丁度、良いw)。ちなみに、M大学は、実は、受験前から、前述した理由による消去法により、第一志望でした。


ちなみに、私の弟も、私同様、理数系ではないので(数学・理科は苦手なので)、大学は、全て、私立大学の文系の学部を受験したのですが、私の弟は、最初から、W大学(弟はW大学は法学部を選んで受験しました)が第一志望で、その大学に合格する為の受験勉強をし、その大学以外は、私の記憶が曖昧なので、間違っていたら申し訳ありませんが、何れも、滑り止めとして、M大学、C央大学、A学院大学を受験して、何れも、合格しています(弟は、何だかんだ言って、私の背中を見ていてくれたようで、弟は、受験する大学は、私の影響を受けました(私の真似をしました))。


以上、前に行った投稿から抜粋して来た物でした。


私と弟の子供時代・学生時代・趣味・弟の自動車・弟の家族の話等に関しては、以下の(すぐ下でリンクを付けた)、2つの投稿を参照して下さい。

弟の話前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658265/page/11?&sfl=membername&stx=nnemon2
弟の話後編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658264/page/11?&sfl=membername&stx=nnemon2



以下、12月の上旬に行った、以下の投稿から抜粋して来た物です。私の弟・私の弟の奥さん(妻)と私の母の嫁と姑の関係・鈴木真海子さん等に関しては、以下の(すぐ下でリンクを付けた)投稿を参照して下さい。

自宅録音ミュージシャン他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_5/view/id/3610017/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2



https://youtu.be/ivbQqaSWzSg


鈴木真海子のPERSONAL TRACKS / Dec,2022。動画は、借り物。2日程前に、アップされた動画の様です。you tubeで、お勧めの動画として出て来た動画で、彼女と見てみた動画です。この動画作成者の動画は、初めて見ました。 後述しますが、鈴木真海子さん(上の動画の女性)は、私の弟の奥さん(妻)に、よく似ていますw 彼女も、上の動画を見て、鈴木真海子さんは、私の弟の奥さん(妻)に、よく似ていると言っていましたw



以上、12月の上旬に行った投稿から抜粋して来た物でした。


以下、「」内。私の前の投稿文より。。。


「私は兄弟姉妹は、既に結婚している2歳年下の弟が、一人いますが、私の弟と、私の弟の奥さん(妻)が、知り合って交際し結婚に至るようになったきっかけは、合コンですw 私の弟は、外資系の会社員で、既に、結婚をし、(まだ、二人共、幼いですが)子供が2人いて(男の子(上)が1人と、女の子(下)が1人)、弟の家族(妻・子供)と共に、東京の西部郊外の、静かで落ち着いた住宅地に買った、一戸建て住宅に、暮らしています。弟の、奥さん(妻)(ちなみに、弟の、奥さん(妻)は、弟よりもかなり年下です)は、結婚する前は、4年制の女子大学を卒業した後、服(ファッション)関係の、会社で、会社員として働いていましたが、結婚してからは、主婦となりました。ちなみに、どうでも良い事ですが、私の弟の奥さん(妻)は、S和女子大学と言う大学を卒業していますが、三軒茶屋にある、S和女子大学は、私は学生時代(高校・大学時代)、悪友・悪友達と文化祭に女子大生をナンパしに行って、後日、ナンパして電話番号聞き出した女子大生とデートしたり仲良くなったり、同大学の女子大生達と合コンして王様ゲームをして楽しんだりしたという事で馴染みがありw、私の2歳年下の弟は、学生時代は馴染みはなかったが、合コンで知り合って、交際し、結婚した、弟よりもかなり年下の妻(結婚前はファッション関係の会社員・弟と結婚後は主婦)の出た大学が、S和女子大学で、私と弟、それぞれ、別な意味でそれぞれ馴染み・縁のある女子大学ですw」





以下、基本的に(参考の投稿を、新しい投稿に入れ替えたり、若干、内容を追加する等しています)、去年の4月の下旬に行った、投稿の再掲です。


ちなみに、私の実家(元々、私の母方の祖父母の家で、母方の祖父母共既に亡くなり、現在は、両親が引き継いで暮らしている。ちなみに、母は、一人っ子です)は、我が家(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地に位置します)の近所にあります。


以下、基本的に、他の方の投稿に、今日の昼休みにつけた、私のレスから抜粋して来た物です。

デパートはオンライン販売に活路を求めているようですが、限度がありそうですね。


私は、今年の母の日は、近所の実家の母には、日比谷花壇の「ロゼボヌール」というアレンジメントと、東京會舘の「シーズナルプティフール・ママン S」という菓子の詰め合わせを送ります。



以上、基本的に、他の方の投稿に、今日の昼休みにつけた、私のレスから抜粋して来た物でした。






写真は、借り物。日比谷花壇の「ロゼボヌール」。


写真は、借り物。東京會舘の「シーズナルプティフール・ママン S」。


以下、参考の投稿。

等々力渓谷他 →
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3297180/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2
 


以下、基本的に、3月の上旬に行った「弁当(bento)の話他」と言う投稿から抜粋して来た物です。




以下、「」内。私の前の投稿文より。。。

「私は、学生の頃(高校生・大学生の頃)、おそらくチャラチャラしていた事もあってw、芸能人・モデル事務所の人からスカウトの声がかけられていたのですが、母も女子大生の時、一応、芸能人・モデル事務所の人からスカウトの声がかかっていたそうですw(母方の祖父は穏やかで温和な性格であったのですが、当時、母にそれだけはやめてくれと言っていたそうでw、母は、母方の祖父に従って、断っていたそうです)。」

「私の母は、大学を卒業した後、私の父と結婚をするまでOLをしていました。私の父と母が知り合ったきっかけは、二人共、まだ社会人になってから間もない頃、英検の準備学校で(母は英検1級持ってます。父は英検1級は挫折しましたw)、母が教室に通う初日に、教室に入った時に、既に着席していた(その時初対面の)父の顔を見て、一目惚れした私の母が、咄嗟の判断で、(さり気なくか強引か分かりませんがw)父の隣りの席に座り、教科書を忘れたふりをして、父に見せて貰った事です。」


以下、前に投稿で紹介した動画です。ちなみに、私は、DaiGo(メンタリスト)の話の動画は、この投稿で紹介している動画を含めて、ほぼほぼ、今までに、kjで紹介している物しか見ていません。


外見レベルが上の相手と付き合う【心理学的戦略】とは→
https://youtu.be/wg1TBItbA40



以下、「」内。私の前の投稿文より。。。

「私は、20代の初めまでは、実年齢よりも上に見られ、20代の後半頃からは、実年齢よりも、下に見られるようになり、それが、今も続いています。それに関しても、(私の)母からの遺伝なのかもしれません(まあ、私は、顔は、母よりも、父に似ているのですが。。。)。」


以下、前に投稿で紹介した動画です。ちなみに、IQが高い事は、年齢の割の若さにも関係しているようです。その事に関しては、私は、以下の動画の話で初めて、知りました。


【ゆたぼん】学校に行くべきか否か、科学の結論は→
https://youtu.be/s2O83TMyKaA



以下、「」内。私の前の投稿文より。。。ちなみに、私の今の彼女、色白、弟の奥さん(妻)、色白です。

「ちなみに、私の家族の肌の色は、父(白)、母(白)、私の弟(白)、私だけ、(おそらく私の母方の祖父の隔世遺伝で)どちらかと言えば黒です。例えがイケメン俳優さんで申し訳ありませんがw、私の肌の色は、丁度、竹野内 豊さんと同じ位の感じです(ちなみに、どうでも良い事ですがw、私よりも竹野内豊さんの方がまあまあ年上です)。」


以下、去年行った投稿から抜粋して来た物です。


私の弟は色白で、私は色黒の縄文系寄りの濃い顔です。私と弟は、背は、概ね同じ位ですが(ちなみに、体型は弟も痩せ型の体型です)、私の弟の方が、私よりも、若干背が高いですが(弟の身長は178cmから179cm位)、スタイルは、私の方が、弟よりも、顔が小さく、足が長くて、良いです(ただし、弟も、決してスタイルは悪いという訳ではなく、標準よりも良いと思います)。顔は、昔から、我が家の近所の実家の私の母は、大っぴらには言いませんが、私の方が弟よりもイケメンであると評価していますw


以上、前に行った投稿から抜粋して来た物でした。


以下、「」内。私の前の投稿文より。。。


「私は、顔は、母よりも、父に似ており、私の弟は、父と母、両方に似ているとも言えるし、父と母、どちらにも似ていないとも言える顔です。

私と、私の母との関係は、私の母にとって、私は、昔から、自分の好みのタイプのルックス(外貌)の(私は、顔は、母よりも父に似ているのですが、私の父と母は、父の顔を見て、一目惚れした私の母が、父に対して、猛烈にアプローチ(誘惑)しての、バリバリの恋愛結婚ですw)、何でも、気楽に話せる、気の合う男友達と言った感じで、私の母は、昔から、自分の恋愛話でも何でも、自分の事は、何でも、バンバン私に話して来ていますw これに対して、私の母は、私の弟に対しては、昔から、態度を使い分けて来ていると言った感じで、弟に対しては、自分の話を、何でもすると言う訳ではなく(弟に対しては、自分の、女性である面を見せようとせず)、昔から、相対的に、母親の顔をしようとして来ている感じです。弟は、幼い頃・子供の頃は、甘えん坊で(今でも、私の弟は、性格に甘えん坊な面がある様な気がします)、私の母に、べったりと言った感じで、(弟が、幼い頃・子供の頃は)、私の母に、よく甘えており、母も、弟が、幼い頃・子供の頃、弟に対して、よく甘えさせて、相対的に、しっかりと母親をしていた感じですw」


「私は個人的に少なからぬ女性経験はありますがw(済みません。私は昔は(若い頃は)、ワルでした)、前述の通り、母自身、何も考えていないと言うか、母自体がチャラチャラしている面があり、男の子は、ある程度、遊んだ方が良い・やんちゃした方が良い位に、思っていた節があり、又、変な話かもしれませんが、私の母は、私に関して、自分が惚れた男性との間に産んだ自分の息子(私)の女性関係・女性遍歴に関して、昔から、まんざらでもないと思って来た・誇りに思って来たような面もある感じもしますw」



以下、私と弟に関する他の参考の投稿。

90’s ~Japanese City Pop他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3608174/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2
YOASOBI他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_5/view/id/3644739/page/11?&sfl=membername&stx=nnemon2



以下、基本的に(参考の投稿を、新しい投稿に入れ替える等しています)、去年の9月に行った、「母のお弁当(bento)他」と言う投稿から抜粋して来た物です。


以下、2018年に行った投稿から抜粋して来た物です。


前述の通り、私の母方の祖母は、結婚してから、アルバイトを含めて、仕事は、一切した事がない専業主婦でしたし、私の母も、結婚してから、アルバイトを含めて、仕事は、一切した事がない専業主婦です。

私の母は、(まあ、私は、母の事を、スーパー主婦と呼んでいるのですがw)、私の母は、子供の頃から、運動神経が良い(私の母は、小学校・中学校・高校と体育の成績は常に良かった様です)と言うのが関係しているのかしていないのか分かりませんが、料理を含めて、一つ、一つの作業が丁寧な訳では決してないのですが、昔から(私が子供の頃から)、家事の手際が、非常に良く、家事をこなす、スピード(速度)が、非常に速いです。まあ、私の母の、(一つ、一つの作業が丁寧な訳ではないけれど)、家事の手際が、非常に良く、家事をこなす、スピード(速度)が、非常に速いと言うのは、私の母の、家事を出来るだけ短時間で済ませ、自分が自由になる時間、自分が遊べる時間を、少しでも、より多く確保したいと言う、欲望・気持ちが、昔から、そうさせて来たのかもしれません。

私の母は、(私の母から見れば)家事に関して不器用な私と私の弟に、家事を手伝わすと、かえって、足手纏いになって家事のスピードが遅くなるから手伝わしたくはないと言った感じで、私の母は、基本的に、日常的な家事は、私と、私の弟に、あまり手伝わせませんでした。

その代わり、家の中等の力仕事は、私と私の弟が、それぞれ、中学生以降は、わざと(故意)に用事を見つけてまで、出来る限り、私と私の弟に手伝わせるようになりました。そして、手伝わせた後は、ほぼ必ず、「さすがは、男、頼りになる!」とか「さすがは、男!」等と、やたらと「男」を強調して褒めましたw

私の母は、私の母なりに、保守的な考えに基づいて、男の子は、女性を助ける、力強く、優しい男性に育てなければならないと言う、保守的な教育方針があったのかもしれません。


私の母は、結婚してから、アルバイトを含めて、仕事は、一切した事がない専業主婦ですが、昔から、料理は、必ずしも、手作りに拘らず、自分の匙加減で、楽をする為に、市販の物を活用する事に関して、全く厭いません。その事に関して、母方の祖父は全く気にしていませんでしたし、父も、昔から全く気にしていません。もちろん、子供達(私、及び、私の2歳年下の弟)も、実家暮らしの時、その事を全く気にしていませんでした。

父は、母が家事に時間をかける位ならば、昔から、(自分の)休日に自分と一緒に遊んでよと言った感じだと思います。ちなみに、母は、外食にしても、家で食べる食事にしても、本人が、食いしん坊なので(美味しい物を食べるのが好きなので)、母の料理は、大雑把ではありますが、母は、昔から、料理は上手な方(母の作る料理は美味しい)と思います。ちなみに、私は、若い頃は、基本的には、食事は、腹が一杯になれば良いと言った感じで、食事に対して、あまり関心がなかったのですが、今となっては、母の、食いしん坊な点を、よく受け継いでいると感じます。

私の母は、昔から、お節料理(正月の料理)は、基本的には、手作りはしない方針で(特に、作るのに手間がかかる物に関しては、昔から、一切、作らず)、簡単な物は、幾つか作りますが、昔から市販の物を、大いに活用しています。

私の母は、少し、バタバタして、おっちょこちょいの面もあり、私と私の弟が、子供(小学生)の頃、私と私の弟の、それぞれの、親しい友達を、数名ずつを呼んで、家(私の実家)で、クリスマスパーティーを開いた際に、さあケーキよと言って、大きなケーキ(私の母が作ったケーキではなく注文したケーキですがw)を、テーブルに運んで来る際に、私の母は、何かにつまづいて(何だか忘れた)、コケて、ケーキを逆さまに床に落として、台無しにしてしまった(もちろん、その時、私も、私の弟も、それぞれの友達たちも、一瞬、固まり、開いた口が塞がりませんでしたw)なんて事もあります。

私の母は、クリスチャン(Christian)ではありませんが、私の両親は(ちなみに、私の父も、クリスチャン(Christian)ではありません)、毎年、クリスマス時期に、自分達の家(我が家の近所の私の実家)に、近所の、(自分達の)親しい友人達等を、招いて、クリスマスパーティー(Christmas Party)を行っていますが、その際には、毎年、メイン(main)料理として、丸ごとの、ローストターキー(roast turkey)を注文していますが(ローストターキー(roast turkey)は、私の母が、自分で、作る訳ではないw)、(私の母は、昔から、ミーハーな女性ですが)、そうした事も、私の母の、ミーハー的な性格から来ていると思います。


私は、高校時代、高校の、昼食は、母が作ってくれた、お弁当(bento)を食べるか、パンやサンドイッチ(sandwich)を買って食べていました。

母は、自由奔放な面がある女性であり(私の母は、私と私の2歳年下の弟が、幼稚園・小学校の頃、天気が良くて、気分が乗ったりしたら、突然、幼稚園・学校を、ずる休みさせて、動物園・遊園地等に、子供達(子供)を、遊びに連れて行く事がありましたw)、「今日は、面倒なので、お弁当(bento)作らなかったので、適当に買って食べて!」なんて言う時もあり、そう言う時は、私は、高校の昼食は、パンやサンドイッチ(sandwich)を買って食べていましたが(私は、それでも、全く、構いませんでした)、それでも、(私は、高校時代、高校の、昼食は)、母が作ってくれた、お弁当(bento)を食べる時の方が、かなり多かったです。

私は、昔から(子供の頃から)、ご飯(rice)食い(ご飯(rice)を、好んで、たくさん食べる者)ではなく、おかず食い(おかずを、好んで、たくさん食べる者)である関係で、私が、高校生の時、母が、私の為に作ってくれる、お弁当(bento)は、弁当箱に、基本的に、おかず70%から80%、ご飯(rice)30%から20%位の割合でしたw

私の母は、私が実家暮らしの、私が子供の頃・学生の頃・20代の半ば頃、私に対して、よく、「○○(私の名前の、最初の、二文字)は、いつも(又は、何を作っても)、美味しいねと言ってくれるので、料理のつくり甲斐がある」と言った感じの事を言っていました。

私は、お世辞でも何でもなく、母の作る料理が、美味しいから、美味しいと言っていただけです。


ちなみに、私は、昔から、交際している女の子・女性又は親密な女の子・女性が、私と2人きりの時に、私の為に料理を作ってくれた場合、私は、その料理が、美味しくても、普通でも、美味しくなくても、不味くても、私の為に、せっかく、手間をかけて料理を作ってくれたのだから、少なくとも、美味しいと言うようにしています。そして、もし、その料理が、美味しくなかったり、不味かったりした場合は、その女の子・女性の今後の為に、「もう少し、塩味を濃くした方が、より美味しくなると思うよ」とか、「もう、少し、薄味にした方が、より美味しくなるかも」とか、具体的なアドバイスを添えるようにしています。

ちなみに、私は、今まで、実生活において、私と2人きりの時に、私の為に料理を作ってくれた、交際している女の子・女性又は親密な女の子・女性の、料理、及び、料理の腕前に関して、その女の子・女性の前でも、その女の子・女性以外の誰に対しても、悪く言った事は、一度もありません。


以上、前に行った投稿から抜粋して来た物でした。


以下、「」内。私の前の投稿文より。。

「現在、彼女は、隣りの区のマンションに一人暮らしをし、一週間に、1日から3日位、我が家に泊まっているのですが、その際に(彼女が我が家に泊まる際に)、彼女が、私に料理を作ってくれれば、嬉しいですが、私は、自分から、彼女に対して、料理を作って欲しいとは、一切、言わないようにしており、いつも、彼女が作ってくれると言っても、無理しなくてもいいよ、大丈夫?と言った感じの事を、まず言うようにしています(ちなみに、私の今の彼女の作る料理は、美味しいです)。」


以下、「」内。私の前の投稿文より。。。

「私の母は、率直に言って、昔から(本人が若い頃から)、面食いの女性ですが、ちゃんと、私の父の中身も見て、自分の結婚相手として選んでくれて良かったと思います。

東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地にある我が家の近所の私の実家は、元々、私の母方の祖父母の家です(ちなみに、私の母は、一人っ子です。既に、母方の祖父母とも亡くなり、現在は、(我が家の近所の私の実家は)両親が引き継いで暮らしています)。

私の母方の祖父は、見合いで、私の母方の祖母と結婚したのですが、私の母方の祖父は、結婚したからには、ずっと(一生)、妻の事を大切にし、守らなければならないと言った、昔ながらの(保守的な)、紳士の美学・ポリシー(方針)と言った物を持った男性でした。ちなみに、私の父も、同様の、紳士の美学・ポリシー(方針)を持った男性ですが、性格が穏やかで、温和な紳士であると言う点においても、私の母方の祖父に共通していて、元々、面食いの私の母が、私の父に、一目惚れして、私の母から、私の父に、バリバリにアプローチして、私の母と私の父は、交際する事になったのですが(バリバリの恋愛結婚w)、私の母が、私の父に、自分の父(私の母方の祖父)の性格と共通する面を見出したのも、私の母が、私の父と結婚するまでに至った、大きな理由の一つなのかもしれません。」


以下、5月に行った投稿から抜粋して来た物です。


以下、去年の12月に行った投稿から抜粋して来た物です。

以下、前に行った投稿から抜粋して来た物です。


上で、「生まれてから、今まで、生きて来て、女性達には、本当に、優しく、親切にして貰って来て、本当に、感謝しています。」と言う事に関して、私は、昔から、女性に対して(まあ、男性に対してもそうなのですが、特に女性に対して)、何かをして貰ったら、どんな些細な事でも、口癖のように、素直に、「ありがとう」と相手に伝わるように言って来たと言う事もあると思います。

この事は、意識している訳でもなく、昔から、自然と身についていました。

何故かと言うと、「ありがとう」と言う言葉は、母に対する父の口癖で、父は、母に対して、本当に、よく、「ありがとう」と、自然のように言っていた為です(おそらく、今も、そうであると思います)。

母は、父と結婚してから、アルバイトを含めて、仕事を、一切した事がない専業主婦なので、時間があるからと言うのもあると思いますが、会社員である、父の世話・面倒を見る事を、実に、甲斐甲斐しく行っていました(おそらく、今も、そうであると思います)。特に、父の出勤前と、父が会社から早目に帰宅した際に、そんな感じでした。ただし、母は、自由奔放な面が強い女性でありw、「自分がやりたいようにはやらしてもらうわよ」と言った感じでw、私の父は、私が子供の頃・若い頃は、典型的な、仕事人間・会社人間と言った感じで、平日は、週1日から3日位、仕事を終えた後、家に早く帰る日がありましたが、それ以外は、ほとんど深夜に帰宅していましたが 、母は、夫が仕事で帰宅が遅い日には、待たずに、さっさと寝てしまうタイプの妻でしたw

父は、母に何かをして貰った際に、どんな些細な事でも、口癖のように、素直に、優しい笑顔で、「ありがとう」と母に伝わるように言っていました(おそらく、今もそうであると思います)。

鶏が先か、卵が先かと言った感じで、母は、父に、優しい笑顔で、「ありがとう」と言って貰う事が、大好物のようで、父に、優しい笑顔で、「ありがとう」と言って貰う事が嬉しくて(父に、優しい笑顔で、「ありがとう」と言って貰いたくて)、上手い例えが思い浮かびませんが、小ツバメに対して餌を運ぶ親ツバメのように、また、花の周りを飛び回る蝶々のように、父の世話・面倒を見る事を、甲斐甲斐しく行っていました。


私の父は、普通の会社員ですが(ちなみに、父は、今は、既に、半分定年退職状態となっています。また、私の母は、私の父と結婚してから、ずっと主婦です)、私の父は、私が、子供の頃、毎月一回(概ね1年間に12回)、父の給料日の直後の、土曜日等に、給料日祝いの夕食として、夕食を、家族(私の母、私、弟)を、ステーキ(beef steak)レストランや洋食(yoshoku)(日本で、近代以降、日本人の口に合う様に、(日本人の視点からすれば)改良された、西洋料理)レストランに、ステーキやハンバーグを食べに連れて行きました(ちなみに、その際には、私の母方の祖父母は、家で、お留守番と言うか、行きませんでした。また、その際には、私も弟も、毎回、両親に、おもちゃ等を買って貰うのを楽しみにしていました)。その際には、母は、子供(私、及び、弟)には、基本的には、セミフォーマルの服を着せ、割と高級なステーキ(beef steak)レストランに行く場合には、フォーマルな服を着せました。

また、それとは別に、毎月一回(概ね1年間に12回)、父の給料日の直後あたりの日に、私の父と母は、(おそらく、ステーキやハンバーグを中心とした食事ではなく、大人向けの食事である)日本料理や西洋料理、中国料理の外食の夕食又は昼食を、(子供(私と弟)を、私の母方の祖父母と共に、家に、お留守番させて)、二人で食べに行ってました。その際には、母は、いつも、とてもお洒落をして(フォーマルな、お洒落な服を着て)、出掛けていました。また、それとは、また別に、私の父と母は、昔から(私が子供の頃から)、現在に至るまで、毎年、母の誕生日(又は、その付近の日)(父の誕生日は、昔から、それはしないw)と、結婚記念日(又は、その付近の日)に、高級な、日本料理や西洋料理、中国料理の外食を食べに出掛けており、その際にも、母は、昔から(私が、子供の頃から)、いつも、とてもお洒落をして(フォーマルな、お洒落な服を着て)、出掛けています(と言うか、今は、実家暮らしではないので、今の状況は、詳しく分かりませんが、おそらく、今も、そうです)。

前述の通り、毎月一回(概ね1年間に12回)、父の給料日の直後あたりの日に、私の父と母は、(おそらく、ステーキやハンバーグを中心とした食事ではなく、大人向けの食事である)日本料理や西洋料理、中国料理の外食の夕食又は昼食を、(子供(私と弟)を、私の母方の祖父母と共に、家に、お留守番させて)、二人で食べに行ってましたが、その際に、(父は、前述の通り、普段、母に何かをして貰った際に、どんな些細な事でも、口癖のように、素直に、優しい笑顔で、「ありがとう」と母に伝わるように言っていましたが(おそらく、今もそうであると思いますが))、父は、毎回、改めて、母に対して、感謝の気持ちを伝えていたと思います。ちなみに、両親は、その際、基本的に、毎回、父が母に対して買ってあげた花(ブーケ・花束)を家(私の実家)に持ち帰って来ました(この花のエピソードに関しては、私は、父のマメさに敵わないかもと思いますw)。また、おそらく、母は、そうした食事の際、毎回、父の事を褒めたり、おだてたりしていたと思います。


以上、前に行った投稿から抜粋して来た物でした。


以下、「」内。前の Dartagnanさんの、この投稿の私のレスから抜粋して来た物→
/jp/board/exc_board_8/view/id/3051350/page/10

「Dartagnanさん。あの人たち、奥様に先立たれたら下着の場所も分からない人達なんだろうな。>この点に関しては、昔から母が好きでそうしているのですがw、昔から母が父の面倒を見過ぎである事から、近所の実家の父アルアルと言った感じで、父が聞いたら耳の痛い話だと思いますw ただし、父と母はお互いに同年代ですが、父も元気ですが、父よりも母の方が生命力が強いと思うので、父は母に先立たれる心配はなさそうですw」


以上、5月に行った投稿から抜粋して来た物でした。


以下、「」内。私の前の投稿文より、私と父の違いについてです。

「彼女は、1週間の内、1日から3日位、我が家に泊まっているのですが、彼女と我が家で過ごしている時に、家事の事を気にせずに、まったりと過ごせるように、彼女が泊まらない日の夜に、家の家事は、コツコツやっています」

「ちなみに、私は、男ですが、また、性格は、細かい事は気にしない大雑把な面がありますが、小便は、便器に座ってしています(公衆便所の、小専用の便器は別ですが)。我が家に男の友人が遊びに訪れた場合も、小便は、絶対に座ってするように言っています。我が家のトイレを掃除するの私ですからね。ちなみに、私の、今の彼女は、東京の私が暮らす区の隣りの区のマンションに一人暮らししており、1週間に、1日から3日位は、我が家に泊まるという交際形態になっているのですが、当然、彼女に、我が家のトイレの掃除をさせる事はありません(彼女は、彼女で、自分の一人暮らしのマンションのトイレを、きちんと掃除しているのですから)。」


以下、最近行った投稿から抜粋して来た物です。


以下、「」内。私の前の投稿文より。。。

「彼女と彼女の母の仲は、彼女が、子供の頃から、決して上手く行っている訳ではないのですが、私と、彼女の母の仲は、特に悪くも何もありません(彼女の母の、私に対する、人当たりは、良いですと言うか、何故か、不思議と、気に入られてる感すらありますw)。」

彼女と彼女の母の関係性に関しては、以下の投稿を参照して下さい。

Strong/A Whole New World他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3612336/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2




以下の動画は、前に投稿で紹介した動画の関係で、you tubeで、お勧めの動画として出て来た動画で、今、寝る前に、歯を磨きながら、ちょっと見てみた動画です。7月30日にアップされた動画の様です。ちなみに、私の今の彼女が、私と交際し始めたのは、彼女が、10代の大学生の時です。


【あなたは〇〇ですか?】一言で将来性がわかるテスト(20歳から25歳の頃○○だった人は裕福に?!)→
https://youtu.be/Up9ZNapzcW4


ちなみに、私は、お金持ちではありませんが、私の収入と資産のトータルは、安定しています。

以下、参考の投稿。

隠れ金持ちの見抜きかた結婚したら超幸せかも他 →
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3657532/page/12?&sfl=membername&stx=nnemon2



私は、大学時代1年間、アメリカの大学に留学していますが、普通に、日本の、4年制の大学を卒業していますが、私の大学生活は、非常に、楽しかったです。


以下、「」内。私の前の投稿・レスより。。。

「私は、大学時代、広い人脈を有していました(私が、人生の中で、一番広い人脈を有していたのは、暇で、時間が、とてもたくさんあった、私が大学生の時です)。」

「私は、大学時代、日本の大学に通う一方で、1年間、アメリカの大学に留学したのですが、アメリカの大学で取った単位を日本の大学に組み入れる事で、途中、アメリカの大学に1年留学しても、4年間で、大学を卒業する事が可能であったのですが、(まあ、私は、高校時代も、よく遊んでいたのですがw、引き続き)、大学時代も、遊ぶ事を重視していた為、ゆとりを持って、大学4年生の9月から、概ね1年間留学をし、また、日本の大学の4年生に復学して、大学を卒業した為、結果として5年間で大学を卒業する事となり、私は、大学入試の時、浪人(希望の大学を受験する為に、高校卒業後、一定期間(通常は1年間)、予備校(大学受験準備学校)に通う等して勉強する事)はしなかったのですが、最終的には1年浪人して大学に入学した人と同い年で大学を卒業しました。就職に関しては、一年間のアメリカの大学の留学から、日本に帰国し、日本の大学の4年生に復学した後、大学時代の友人と個人事業を始めた(厳密には、元々、大学時代の友人が既に始めていた事業に参加した)ので、問題はありませんでした。大学時代の、アメリカの大学の1年間の留学は、今でも、良い思い出として残っており、行って良かったと思っています。」

 


도쿄회관·모의 도시락의 화외





나중에, 약간, 내용을 추가했습니다.




도쿄회관은, 100년의 역사를 가지는, 도쿄의, 레스토랑·결혼식장·연회장입니다.




사진은, 차용물.1922년에 지어진, 초대의, 도쿄회관의 건물(사진 좌측).




이하, 「」 안.나의 앞의 투고문보다...

「 나는 남동생이란, 옛부터(어릴 적부터), 서로, 과간섭하지 않는, 적당한 거리감의, 개인주의입니다만, 중학교·고교시절, 학교의 동아리에 묶이지 않는, 귀가부에서 만난 일, 대학 수험을 위한, 예비학교는, 다니지 않고, 학교의 공부와(스스로 선택한 참고서를 사용한) 자택의 공부만으로(집에서, 자신만으로 간 공부만으로), 대학을 수험한 일, 대학시절에 1년간, 미국의 대학에 유학한 일등에 대해서, 남동생은, 나의 영향을 받고 있어 제대로, 나의 등을 보고 있어 주었던 것이다라고 생각합니다.

나는, 고등학교때, 놀이 중시파 고교생이었으므로 w, 대학 수험을 위한 예비학교·학원에는 가지 않고 (모의 시험은 몇회인가 받은), 학교의 공부 이외는, (스스로 선택한 참고서를 사용한) 자택의 공부만으로(집에서 스스로 간 공부만으로), 대학을 수험했습니다(남동생도, 그 영향을 받았습니다.나나 남동생도, 고등학교까지 쭉 공립( 나나 남동생도 고등학교까지 쭉 공학으로 w, 남동생이 공부를 할 수 있던 고등학교이지만, 어느 쪽으로 해도, 내가 다닌 고등학교도 남동생이 다닌 고등학교도, 전통적으로/`A 전반적으로 여자가 우세하고 교풍은 웬지 모르게 여성적인 고교 w)로 재수생도 하지 않았기 때문에, 나의 부모님은, 대학 수험까지는, 나에게도 나의 남동생에게도, 교육비에 관해서는 별로 걸리지 않았다고 생각합니다).덧붙여서, 나는, 이성 관계 체라체라 남자 고교생, 2세 연하의 남동생은 스케보·서핑 남자 고교생이었습니다 w」



이하, 앞에 간 투고로부터 발췌해 온 것입니다.


나의 어머니는, 대학은 영미 문학과를 나와 있습니다만, 그것은 별로 관계가 없고, 양화를 아주 좋아했다고 말하는 것이 있다 의 것인지, 영어를 아주 좋아하고, 유학 경험은 없어도, 독학으로, 영어는, 옛부터 발음도 잘 유창하게 이야기할 수 있었고(지금도 괜찮겠지요(그렇게 영어는 잊지 않을 것입니다)), 아버지도, 유학 경험은 없습니다만, 일로 사용하는 관계로, 옛부터 영어는 할 수 있습니다(발음은, 별로 능숙하지는 않습니다가 w).


덧붙여서, 나의 가족이 나온 학교에 관해, 나의 아버지(대학에서 시골에서 도쿄로 나왔습니다)는, 대학까지 쭉 공립(대학은 국립), 나의 모, 나, 나의 남동생( 나의 2세 연하.외자계의 회사에 근무하는 회사원.이미 결혼을 해, 아직 2명 모두 어립니다만, 아이가 2명 있고, 아내·아이들과 함께 도쿄의 서부 교외의 정인가라고 락도착한 주택지에 산 독립주택에 살고 있다)는, 고등학교까지 쭉 공립입니다.

나의 외가의 조모(이미 죽습니다)는, 시골의 유복한 지주의 집(전후는, 아마 농지 개혁에 의해 몰락했다)의 딸(아가씨)로, 현지의 사립의 미션계의 여학교를 졸업한 후, 도쿄의 A학원 대학에 진학했습니다.외가의 조모는, 여대생 시대, 조모의 친가(조모의 아버지)의, 삼베의 도쿄의 별택에 살아, 신변의 도움은, 고용의 가정부들에게 해 받고 있던 것 같습니다.

나의 외가의 조모는, 여학교에서는 캐나다인의 여성(였는지?)의 선생님에게 친하게 지내고 있고, 대학에서도, 외국인(아마 북미)의 선생님에게 접할 기회가 있었겠지요.낡은 사람에 비해서는, 조금 영어는 할 수 있었습니다(발음도 좋았던 w).

또, 과연 지금은, 그러한 일은 없을지도 모릅니다만, 여기만의 이야기(여기만의 이야기라고는 말하면서, 지금까지 kj로 써 와 버리고 있습니다만 w), 나의 어머니도, 나도, 나의 남동생도, A학원 대학만을 수험하는 일을 조건이라고 하면, 수험의 점수 안돼에 관계없이, 외가의 조모의 커넥션으로 A학원 대학에 가는 것이 가능했다고 하는, 즐 있어 현실도 있었던 w

덧붙여서, 어머니는, K대학에 가고 싶었던 의로, 커넥션은 사용하지 않았습니다만, K대학을 떨어지고, 커넥션을 사용하지 않고 보통으로 수험해 합격한 A학원 대학의 영미 문학과에 진학했습니다.나는, 당시의 A학원 대학의 통학 환경에서 다른 대학이 좋았기 때문에, 커넥션을 사용하지 말고, A학원 대학도 합격했습니다만, 대체로 학력이 같은 정도의 제일 지망인 다른 사립 대학에 갔습니다.남동생은, 역시 커넥션을 사용하지 않고 수험하고, A학원 대학도 합격했습니다만, 제일 지망인 A학원 대학보다 학력이 높은 다른 사립 대학에 갔습니다.

이상의 일로부터 친가에서는, (내가 어릴 적, 그것을 읽고 있던 것은 아닙니다만), 영어의 잡지를 정기 구독하고 있거나 영문자 신문을 구독해 있거나, 어머니가 자주(잘) FEN의 음악 프로그램등을 듣거나 하고 있고, 어릴 적부터, 영어 자체에는, 익숙해지는 환경에 있어, 또, 귀국자녀라고 말할 수 있을수록의 기간이 아니고, 또, 사는 것보다도 체재하고 있었다고 한 표현이, 적격이다고 한 짧은 기간입니다만, 회사원의 아버지의 일의 관계로, 초등학교 저학년때의 약 2년간(당시 , 일본의 애니메이션등은 조모가 나를 위해 콩(물집)에 비디오에 녹화해 주었던 w), 중학 1년과 2년간의 약 1년간, 미국에 살고 있어(초등 학생의 무렵은 L.A., 중학의 무렵은, 샌프란시스코.휴일에, 현지에서 부모에게 여러가지 놀이에 데려서 가서 받거나 좋은(즐겁다) 추억으로서 남아 있습니다), 또, 대학생때, 미국의 대학에 1년간 유학하는 등 하고 있었습니다(덧붙여서, 남동생도, 대학생때, 미국의 대학에 1년간 유학했습니다만, 남동생은, 그 일에 관해서, 나의 영향을 받았습니다( 나의 흉내를 냈습니다)).따라서, 내가 이야기하는 영어는, 발음도 포함하고, 미국 영어입니다 w

덧붙여서, 나는, 중학·고등학교의 영어의 수업은 좋아했고, 공부도, 전혀 고통 스럽지 않았습니다.나는 고교시절(고교 1년때나 2년때인가 어느 쪽인지 잊는 것)에 1회의 수험으로 영검 준 1급을 취했습니다만, 영검 준 1급 이나 되면 기본적인 일상 회화 정도에서는 사용하지 않는 듯한 단어도 기억하지 않으면 안 됩니다만, 단어를 기억하는 것도 전혀 근심은 아니었습니다 해, 또, 당시 , 아직 푸르러서, 수업의 시간, 맞힐 수 있어 교과서를 낭독할 때, 발음이 좋아서, 근사한 어필을 할 수 있는 일도 쾌감으로 생각했던 w 덧붙여서, 과거에 교제하고 있던 여자 아이에게, (그 아이는 교제하기 전부터, 내가 외국인과 영어로 하거나 하는 것을 보고((듣)묻고) 있었습니다만), 교제한 후, 「00훈?`트, 전부터, 한자를 읽을 수 없는 사람인가라고 하는 인상을 마음대로 가지고 있었다」라고 말해진 일이 있어요 w


덧붙여서, 나의 지금의 그녀는, 내가, 영어를 하는 것을 듣는 것을 좋아하고, 또, 자주(잘), 영어 유래의 외래어(지명·회사명등을 포함한다)를, 영어의 발음으로 발음했으면 좋겠다고 나에게 조릅니다만, 나는, 귀찮아서, 거의 거의, 언제나, 그녀의 그 부탁은, 끊고 있어 w(스르 하고 있어 w), 일본어를 말할 때는, 영어 유래의 외래어(지명·회사명등을 포함한다)도, 보통으로 일본어의 발음으로 이야기하고 있습니다.


이상, 앞에 간 투고로부터 발췌해 온 것이었습니다.



이하, 앞에 간 투고로부터 발췌해 온 것입니다.


나는, 이수계는 아니기 때문에(수학·이과는 서툴러서), 대학은, 모두, 사립 대학의 문과의 학부를 수험했습니다.

이하, 나의 수험한 대학입니다.

W대학(불합격).이 대학은, 원래, 나의 학력부터 합격한다고 생각하지 않고, 처음부터 노리지 않고(따라서, 이 대학을 수험하기 때문에(위해)의 수험 대책도, 전혀 있지 않고(과거 문제등도 완전히 보지 않고)), 뭐, 가능성은 낮지만, 우연으로, 합격하면, 럭키 정도의, 기념 수험이라고 한 느낌으로 해?`스.

M대학(합격).

C앙대학(합격).

A학원 대학(합격).

M학원 대학(미끄럼방지의 대학으로서 수험.합격).

S혜(kei) 대학(키츠쇼지(kichijyoji)(도쿄 중심부(도쿄 23구)에 가까운 도쿄의 서부 교외에 위치하는 대학.불합격).S혜(kei) 대학은, 입시 난이도(난도)는, 당시 , M대학, C앙대학, A학원 대학보다 낮고, 대체로, M학원 대학과 같은 정도였습니다만, 시험 문제가, 개인적으로 피부에 맞지 않고(이 대학은, 원래, 이 대학의 입시 문제 전용의 수험 대책도, 전혀 있지 않고(과거 문제등도 완전히 보지 않고)), 조금 얕봐 수험했다고 말하는 것도 있어요), 수험하고 있을 때부터 반응이 없고, 불합격이었습니다.

M대학(합격), C앙대학(합격), A학원 대학(합격)은, 당시 , 대체로, 입시 난이도(난도)가, 같은 정도였습니다.

C앙대학은, 도쿄도심부로부터, 비교적 먼, 도쿄의 서부 교외에 위치하는 대학에서, 대학의 캠퍼스(부지나 교사)는, 넓고, 느긋하고 있고, 학습 환경적으로는, 당시 , 수험한 대학안에서, 가장 좋았습니다만, (도쿄도심부에서 태어나 자란 나부터 하면 w) 이런 시골에 4년간이나 다니고 싶지 않다고 마음((과장인 겉(표) 현으로 농담입니다만) 낯선 환경에서 w, 수험했을 때에, 다리의 손가락이 동상이 되어 버렸던 w), 합격했습니다만, 가는 것을 그만두었습니다.

A학원 대학은, 수험한 것은, 도쿄도심부의 교사였지만, 당시 1 학년에서 2 학년은, 먼, 도쿄 근교에 있는 캠퍼스(교사)에 다니지 않으면 안 되었기 때문에(현재는, 다시, 원래와 같이( 나의 어머니가 다니고 있었을 무렵과 같이), 4년간, 도쿄도심부의 캠퍼스(교사)로 돌아오고 있다), 합격했습니다만, 그것을 이유로 가는 것을 그만두었습니다.

M학원 대학(미끄럼방지의 대학으로서 수험.합격)은, 나의 외가의 조모는, M학원 대학의 창립자의 미국인과 나의 외가의 조모의 조부가 사이가 좋았던 것 같고, 가는 일을 권해 주었습니다만(덧붙여서, 나의 외가의 조모는, 자신이 졸업한, A학원 대학은, (사실은, 나에게, 갔으면 좋았던 것 같습니다만), 감히 권하지 않았습니다), M학원 대학도, 나쁜 대학은 아닙니다만, 이 때, 수험해, 합격한, 다른 대학에 비하면, 명문도라고 하는 점에 대하고는 떨어져 취직면에 있어 불리한가와 생각(그 점에 있어서는, 원래, 대학의 입시 문제 전용의 수험 대책도, 전혀 있지 않고(과거 문제등도 완전히 보지 않고 )), 조금 얕봐 수험한 일과 시험 문제가, 개인적으로 피부에 맞지 않고, 불합격이었습니다만, 전술한 S혜(kei) 대학도 같다), 가는 것을 그만두었습니다.

결국, 소거법에 의해, 통학이 편한(1, 2년은, 도쿄 중심부(도쿄 23구)의 니시하타 지역에 위치하는 캠퍼스(교사), 3, 4년은, 도쿄도심의 캠퍼스(교사)), 합격한, M대학에 가는 일로 했습니다.

덧붙여서, M대학은, 정치 경제학부를 선택해 수험했습니다만, 학부는, 입학하고 나서, 공부가 편한(단위가 취하기 쉽다) 학부이다고 한다, 매우 단순하고 바보같은 기준으로 선택했습니다.M대학의, 정치 경제학부는, 당시 , 공부가 편한(단위가 취하기 쉽다) 일로부터, 대학내에 있고, 파라다이스(paradise·천국) 정치 경제학부로 불리고 있었던 w( 나와 같은, 체라체라 한 학생이 가려면 , 환경적으로, 꼭, 좋은 w).덧붙여서, M대학은, 실은, 수험 전부터, 전술한 이유에 의한 소거법에 의해, 제일 지망이었습니다.


덧붙여서, 나의 남동생도, 저와 같이, 이수계는 아니기 때문에(수학·이과는 서툴러서), 대학은, 모두, 사립 대학의 문과의 학부를 수험했습니다만, 나의 남동생은, 최초부터, W대학(남동생은 W대학은 법학부를 선거그리고 수험했습니다)가 제일 지망으로, 그 대학에 합격하기 때문에(위해)의 수험 공부를 해, 그 대학 이외는, 나의 기억이 애매해서, 잘못되어 있으면 죄송합니다만, 어느 쪽도, 미끄럼방지로서 M대학, C앙대학, A학원 대학을 수험하고, 어느 쪽도, 합격하고 있습니다(남동생은, 무엇인가 응이다 말하고, 나의 등을 보고 있어 준 것 같고, 남동생은, 수험하는 대학은, 나의 영향을 받았습니다( 나의 흉내를 냈습니다)).


이상, 앞에 간 투고로부터 발췌해 온 것이었습니다.


나와 남동생의 아이 시대·학생시절·취미·남동생의 자동차·남동생의 가족의 이야기등에 관해서는, 이하의(바로 아래에서 링크를 붙인), 2개의 투고를 참조해 주세요.

남동생의 이야기 전편→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658265/page/11?&sfl=membername&stx=nnemon2
남동생의 이야기 후편→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658264/page/11?&sfl=membername&stx=nnemon2



이하, 12월의 초순에 간, 이하의 투고로부터 발췌해 온 것입니다.나의 제· 나의 남동생의 부인(아내)과 나의 어머니의 신부와 시어머니의 관계·스즈키 신카이자씨등에 관해서는, 이하의(바로 아래에서 링크를 붙인) 투고를 참조해 주세요.

자택 녹음 뮤지션외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_5/view/id/3610017/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2



https://youtu.be/ivbQqaSWzSg

<iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube-nocookie.com/embed/ivbQqaSWzSg" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe>
스즈키 신카이자의 PERSONAL TRACKS / Dec,2022.동영상은, 차용물.2 일정전에, 업 된 동영상의 님입니다.you tube로, 추천의 동영상으로서 나온 동영상으로, 그녀와 본 동영상입니다.이 동영상 작성자의 동영상은, 처음으로 보았습니다.후술 합니다만, 스즈키 신카이자씨(위의 동영상의 여성)는, 나의 남동생의 부인(아내)에게, 잘 닮는 w 그녀도, 위의 동영상을 보고, 스즈키 신카이자씨는, 나의 남동생의 부인(아내)에게, 잘 비슷하다고 했던 w



이상, 12월의 초순에 간 투고로부터 발췌해 온 것이었습니다.


이하, 「」 안.나의 앞의 투고문보다...


「 나는 형제 자매는, 이미 결혼한 2세 연하의 남동생이, 한 명 있습니다만, 나의 남동생과 나의 남동생의 부인(아내)이, 알게 되어 교제해 결혼에 이르게 된 계기는, 미팅입니다 w 나의 남동생은, 외자계의 회사원으로, 이미, 결혼을 해, ( 아직, 두 명모두, 어립니다만) 아이가 2명 있어(사내 아이(위)가 1명으로 여자 아이(아래)가 1명), 남동생의 가족(아내·아이)과 함께, 도쿄의 서부 교외의, 조용하고 침착한 주택지에 산, 독립주택에, 살고 있습니다.남동생의, 부인(아내)(덧붙여서, 남동생의, 부인(아내)은, 남동생보다 꽤 연하입니다)은, 결혼하기 전은, 4년제의 여자대학을 졸업한 후, 옷(패션) 관계의, 회사에서, 회사원으로서 일하고 있었습니다만, 결혼하고 나서는, 주부가 되었습니다.덧붙여서, 꼭 좋은 일입니다만, 나의 남동생의 부인(아내)?`헤, S화여자대학이라고 하는 대학을 졸업하고 있습니다만, 상겐지야야에 있는, S화여자대학은, 나는 학생시절(고교·대학시절), 나쁜 친구·나쁜 친구들과 문화제에 여대생을 헌팅하러 가서, 후일, 헌팅해 전화 번호 (듣)묻기 시작한 여대생과 데이트 하거나 사이가 좋아지거나 같은 대학학의 여대생들과 미팅 해 임금님 게임을 하고 즐기거나 했다고 하는 일로 익숙한 것이 있어 w, 나의 2세 연하의 남동생은, 학생시절은 익숙한 것은 없었지만, 미팅에서 알게 되고, 교제해, 결혼한, 남동생보다 꽤 연하의 아내(결혼전은 패션 관계의 회사원·남동생과 결혼 후는 주부)가 나온 대학이, S화여자대학에서, 나와 남동생, 각각, 별도인 의미로 각각 친숙해 져·인연이 있는 여자대학입니다 w」





이하, 기본적으로(참고의 투고를, 새로운 투고로 바꾸어 넣거나 약간, 내용을 추가하는 등 하고 있습니다), 작년의 4월의 하순에 간, 투고의 재게입니다.


덧붙여서, 나의 친가(원래, 나의 외가의 조부모의 집에서, 외가의 조부모모두 이미 죽어, 현재는, 부모님이 계승하며 살고 있다.덧붙여서, 어머니는, 독자입니다)는, 우리 집(도쿄도심부의 서부의 조용하고 침착한 주택지에 위치합니다)의 부근에 있습니다.


이하, 기본전`I에, 다른 분의 투고에, 오늘의 점심시간에 붙인, 나의 레스로부터 발췌해 온 것입니다.

백화점은 온라인 판매에 활로를 요구하고 있는 것 같습니다만, 한도가 있을 듯 하네요.


나는, 금년의 어머니의 날은, 근처의 친가의 어머니에게는, 히비야 화단의 「로제보누르」라고 하는 어레인지먼트와 도쿄회관의 「시즈 널 푸티 풀·마만 S」라고 하는 과자의 여러가지를 섞어 담은 포장 을 보냅니다.



이상, 기본적으로, 다른 분의 투고에, 오늘의 점심시간에 붙인, 나의 레스로부터 발췌해 온 것이었습니다.






사진은, 차용물.히비야 화단의 「로제보누르」.


사진은, 차용물.도쿄회관의 「시즈 널 푸티 풀·마만 S」.


이하, 참고의 투고.

도도로키 계곡외 →
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_16/view/id/3297180/page/4?&sfl=membername&stx=nnemon2



이하, 기본적으로, 3월의 초순에 간 「도시락(bento)의 화외」라고 하는 투고로부터 발췌해 온 것입니다.




이하, 「」 안.나의 앞의 투고문보다...

「 나는, 학생의 무렵(고교생·대학생의 무렵), 아마 체라체라 하고 있던 일도 있어 w, 연예인·모델 사무소의 사람으로부터 스카우트의 말을 걸칠 수 있고 있었습니다만, 어머니도 여대생때, 일단, 연예인·모델 사무소의 사람으로부터 스카우트의 소리가 나돌고 있었다고 합니다 w(외가의 조부는 온화하고 온화한 성격이었습니다만, 당시 , 어머니에게 그 만큼은 그만두어 줘라고 말하고 있었다고 하고 w, 어머니는, 외가의 조부에 따라서, 끊고 있었다고 합니다).」

「 나의 어머니는, 대학을 졸업한 후, 나의 아버지와 결혼을 할 때까지 OL를 하고 있었습니다.나의 아버지와 어머니가 알게 된 계기는, 두 명모두, 아직 사회인이 되고 나서 얼마 되지 않은 무렵, 영검의 준비 학교에서(어머니는 영검 1급 가지고 있습니다.아버지는 영검 1급은 좌절 했던 w), 어머니가 교실에 다니는 첫날에, 교실에 들어갔을 때에, 이미 착석 하고 있던(그 때 첫 대면의) 아버지의 얼굴을 보고, 한 눈 반한 나의 어머니가, 순간의 판단으로, (사리기분인?`인가 무리한가 모릅니다만 w) 아버지의 이웃의 자리에 앉아, 교과서를 잊은 체를 하고, 아버지에게 보이게 해 받은 일입니다.」


이하, 전에 투고로 소개한 동영상입니다.덧붙여서, 나는, DaiGo(멘타리스트)의 이야기의 동영상은, 이 투고로 소개하고 있는 동영상을 포함하고, 거의 거의, 지금까지, kj로 소개하고 있는 것 밖에 보고 있지 않습니다.


외관 레벨이 위의 상대와 교제하는【심리학적 전략】이란→
https://youtu.be/wg1TBItbA40



이하, 「」 안.나의 앞의 투고문보다...

「 나는, 20대의 처음까지는, 실연령보다 위로 보여져 20대의 후반무렵부터는, 실연령보다, 깔볼 수 있게 되어, 그것이, 지금도 계속 되고 있습니다.거기에 관계해도, ( 나의) 어머니로부터의 유전인지도 모릅니다(뭐, 나는, 얼굴은, 어머니보다, 아버지를 닮아 있습니다만...).」


이하, 전에 투고로 소개한 동영상입니다.덧붙여서, IQ가 높은 일은, 연령의 비율의 젊음에도 관계하고 있는 것 같습니다.그 일에 관해서는, 나는, 이하의 동영상의 이야기로 처음으로, 알았습니다.


【개】학교에 가야할 것인가 아닌가, 과학의 결론은→
https://youtu.be/s2O83TMyKaA



이하, 「」 안.나의 앞의 투고문보다...덧붙여서, 나의 지금의 그녀, 살갗이 흼, 남동생의 부인(아내), 살갗이 흼입니다.

「덧붙여서, 나의 가족의 피부의 색은, 부(백), 모(흰색), 나의 남동생(흰색), 나만, (아마 나의 외가의 조부의 격세 유전으로) 어느 쪽일까하고 말하면 흑입니다.비유가 이케멘 배우씨로 죄송합니다만 w, 나의 피부의 색은, 꼭, 타케노우치 유타카씨와 같은 정도의 느낌입니다(덧붙여서, 꼭 좋은 일입니다만 w, 나보다 타케노우치 유타카 씨가 그저 연상입니다).」


이하, 작년 간 투고로부터 발췌해 온 것입니다.


나의 남동생은 살갗이 흼으로, 나는 색흑의 죠몽계 집합의 진한 얼굴입니다.나와 남동생은, 키는, 대체로 같은 정도입니다만(덧붙여서, 체형은 남동생도 마름형의 체형입니다), 나의 남동생이, 나보다, 약간 키가 큽니다만(남동생의 신장은 178 cm에서 179 cm위), 스타일은, 제 쪽이, 남동생보다, 얼굴이 작고, 다리가 길고, 좋습니다(다만, 남동생도, 결코 스타일은 나쁘다고 하는 것이 아니고, 표준보다 좋다고 생각합니다).얼굴은, 옛부터, 우리 집의 부근의 친가의 나의 어머니는, 공공연하게는 말하지 않습니다만, 제 쪽이 남동생보다 이케멘이다고 평가하고 있는 w


이상, 앞에 간 투고로부터 발췌해 온 것이었습니다.


이하, 「」 안.나의 앞의 투고문보다...


「 나는, 얼굴은, 어머니보다, 아버지를 닮아 있어 나의 남동생은, 아버지와 어머니, 양쪽 모두를 닮아 있다고도 말할 수 있고, 아버지와 어머니, 어느 쪽에도 닮지 않다고 말할 수 있는 얼굴입니다.

나와 나의 어머니와의 관계는, 나의 어머니에게 있어서, 나는, 옛부터, 자신의 좋아하는 타입의 룩스(외모)의( 나는, 얼굴은/`A어머니보다 아버지를 닮아 있습니다만, 나의 아버지와 어머니는, 아버지의 얼굴을 보고, 한 눈 반한 나의 어머니가, 아버지에 대해서, 맹렬하게 어프로치(유혹) 한, 열심인 연애 결혼입니다 w), 뭐든지, 마음 편하게 이야기할 수 있는, 기분이 맞는 남자 친구라고 한 느낌으로, 나의 어머니는, 옛부터, 자신의 연애이야기라도 뭐든지, 자신의 일은, 뭐든지, 모두 나에게 이야기해 와있는 w 이것에 대해서, 나의 어머니는, 나의 남동생에 대해서는, 옛부터, 태도를 구사해 와있다고 한 느낌으로, 남동생에 대해서는, 자신의 이야기를, 뭐든지 한다고 말하는 것이 아니고(남동생에 대해서는, 자신의, 여성인 면을 보이려고 하지 않고), 옛부터, 상대적으로, 모친의 얼굴을 하려고 해 와있는 느낌입니다.남동생은, 어릴 적·어릴 적은, 응석꾸러기로(지금도, 나의 남동생은, 성격에 응석꾸러기인 면이 있다 님생각이 듭니다), 나의 어머니에게, 찰싹 말한 느낌으로, (남동생이, 어릴 적·어릴 적은), 나의 어머니에게, 잘 응석부리고 있어 어머니도, 남동생이, 어릴 적·어릴 적, 남동생에 대해서, 잘 응석부리게 하고, 상대적으로, 제대로 모친을 하고 있던 느낌입니다 w」


「 나는 개인적으로 적지않은 여성 경험은 있어요가 w(끝나지 않습니다.나는 옛날은(젊은 무렵은), 왈이었습니다), 상술한 대로, 어머니 자신, 아무것도 생각하지 않다고 할까/`A어머니 자체가 체라체라 하고 있는 면이 있어, 사내 아이는, 있다 정도, 노는 것이 좋은·응석 하는 것이 좋은 정도에, 생각한 마디가 있어, 또, 이상한 이야기일지도 모릅니다만, 나의 어머니는, 나에 관해서, 자신이 반한 남성과의 사이에 낳은 자신의 아들( 나)의 여성 관계·여성 편력에 관해서, 옛부터, 반드시 싫지만은 않다고 생각해 온·자랑으로 생각해 온 것 같은 면도 있는 느끼기도 하는 w」



이하, 나와 남동생에 관한 다른 참고의 투고.

90’s Japanese City Pop외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3608174/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2
YOASOBI외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_5/view/id/3644739/page/11?&sfl=membername&stx=nnemon2



이하, 기본적으로(참고의 투고를, 새로운 투고로 바꾸어 넣는 등 하고 있습니다), 작년의 9월에 간, 「어머니의 도시락(bento) 외」라고 하는 투고로부터 발췌해 온 것입니다.


이하, 2018년에 간 투고로부터 발췌해 온 것입니다.


상술한 대로, 나의 외가의 조모는, 결혼하고 나서, 아르바이트를 포함하고, 일은, 일절 한 일이 없는 전업 주부였고, 나의 어머니도, 결혼하고 나서, 아르바이트를 포함하고, 일은, 일절 한 일이 없는 전업 주부입니다.

나의 어머니는, (뭐, 나는, 어머니의 일을, 슈퍼 주부라고 부르고 있습니다만 w), 나의 어머니는, 어릴 적부터, 운동신경이 좋은( 나의 어머니는, 초등학교·중학교·고등학교와 체육의 성적은 항상 좋았다 님입니다)라고 하는 것이 관계하고 있는지 하고 있지 않는 것인지 모릅니다만, 요리를 포함하고, 하나, 하나의 작업이 정중한 (뜻)이유에서는 결코 없습니다만, 옛부터(내가 어릴 적부터), 가사의 솜씨가, 매우 좋고, 가사를 해내는, 스피드(속도)가, 매우 빠릅니다.뭐, 나의 어머니의, (하나, 하나의 작업이 정중한 것은 아니지만), 가사의 솜씨가, 매우 좋고, 집일을 해내는, 스피드(속도)가, 매우 빠르다고 하는 것은, 나의 어머니의, 가사를 가능한 한 단시간에 끝마쳐 자신이 자유롭게 되는 시간, 자신이 놀 수 있는 시간을, 조금이라도, 보다 많이 확보하고 싶다고 하는, 욕망·기분이, 옛부터, 그렇게 시켜 왔을지도 모릅니다.

나의 어머니는, ( 나의 어머니가 보면) 가사에 관해서 서투른 나와 나의 남동생에게, 가사를 수전와 오히려, 거치적 거림이 되어 가사의 스피드가 늦어지기 때문에 수전나 싶지는 않다고 한 느낌으로, 나의 어머니는, 기본적으로, 일상적인 가사는, 나와 나의 남동생에게, 별로 돕게 하지 않았습니다.

그 대신해, 집안등의 육체 노동은, 나와 나의 남동생이, 각각, 중학생 이후는, 일부러(고의)에 용무를 찾아내서까지, 가능한 한, 나와 나의 남동생에게 돕게 하게 되었습니다.그리고, 돕게 한 다음은, 거의 반드시, 「과연은, 남자, 의지가 된다!」라고「과연은, 남자!」등과 함부로 「남자」를 강조해 칭찬했던 w

나의 어머니는, 나의 어머니 나름대로, 보수적인 생각에 근거하고, 사내 아이는, 여성을 돕는, 강력하고, 상냥한 남성에게 기르지 않으면 안 된다고 하는, 보수적인 교육 방침이 있었을지도 모릅니다.


나의 어머니는, 결혼하고 나서, 아르바이트를 포함하고, 일은, 일절 한 일이 없는 전업 주부입니다만, 옛부터, 요리는, 반드시, 손수 만들기에 구애받지 않고, 자신의 숟가락 가감으로, 락을 하기 위해, 시판의 물건을 활용하는 일에 관해서, 전혀 싫어하지 않습니다.그 일에 관해서, 외가의 조부는 전혀 신경쓰고 있어 , 아버지도, 옛부터 전혀 신경쓰고 있지 않습니다.물론, 아이들( 나, 및, 나의 2세 연하의 남동생)도, 친가 생활때, 그 일을 전혀 신경쓰고 있지 않았습니다.

아버지는, 어머니가 가사에 시간을 들이는 정도라면, 옛부터, (자신의) 휴일에 자신과 함께 놀아라고 한 느낌이라고 생각합니다.덧붙여서, 어머니는, 외식으로 해도, 집에서 먹는 식사를 해도, 본인이, 먹보이므로(맛있는 것을 먹는 것을 좋아해서), 어머니의 요리는, 대략적인 것은 있어요가, 어머니는, 옛부터, 요리는 능숙한 분(어머니가 만드는 요리는 맛있다)이라고 생각합니다.덧붙여서, 나는, 젊은 무렵은, 기본적으로는, 식사는, 배가 가득하게 되면 좋다고 한 느낌으로, 식사에 대해서, 별로 관심이 없었습니다만, 이제 와서는, 어머니의, 먹보인 점을, 잘 계승하고 있다고 느낍니다.

나의 어머니는, 옛부터, 정월요리(정월의 요리)는, 기본적으로는, 손수 만들기는 하지 않을 방침으로(특히, 만드는데 시간이 드는 것에 관해서는, 옛부터, 모두, 만들지 않고), 간단한 것은, 몇인가 만듭니다만, 옛부터 시판의 물건을, 많이 활용하고 있습니다.

나의 어머니는, 조금, 푸드득푸드득 하고, 덜렁이의 면도 있어, 나와 나의 남동생이, 아이(초등 학생)의 무렵, 나와 나의 남동생의, 각각의, 친한 친구를, 수명씩을 부르고, 집( 나의 친가)에서, 크리스마스 파티를 열었을 때에, 자 케이크야라고 말하고, 큰 케이크( 나의 어머니가 만든 케이크는 아니고 주문한 케이크입니다만 w)를, 테이블에 옮겨 올 때에, 나의 어머니는, 무언가에 채이고(무엇인가 잊은), 이끼라고, 케이크를 역상에 마루에 떨어뜨리고, 엉망으로 해 버렸다(물론, 그 때, 나도, 나의 남동생도, 각각의 친구들도, 일순간, 굳어져, 열린 구가 차지 않았습니다 w)는 일도 있습니다.

나의 어머니는, 크리스챤(Christian)이 아닙니다만, 나의 부모님은(덧붙여서, 나의 아버지도, 크리스챤(Christian)이 아닙니다), 매년, 크리스마스 시기에, 자신들의 집(우리 집의 부근의 나의 친가)에, 근처의, (자신들의) 친한 친구들등을, 부르고, 크리스마스 파티(ChristmasParty)를 실시하고 있습니다만, 그 때에는, 매년, 메인(main) 요리로서 통째로의, 로스트 터키(roast turkey)를 주문하고 있습니다만(로스트 터키(roastturkey)는, 나의 어머니가, 스스로, 만드는 것이 아닌 w), ( 나의 어머니는, 옛부터, 미하-여성입니다만), 그러한 일도, 나의 어머니의, 미하-적인 성격으로부터 와있다고 생각합니다.


나는, 고교시절, 고등학교의, 점심 식사는, 어머니가 만들어 준, 도시락(bento)을 먹는지, 빵이나 샌드위치(sandwich)를 사 먹고 있었습니다.

어머니는, 자유분방한 면이 있다 여성이며( 나의 어머니는, 나와 나의 2세 연하의 남동생이, 유치원·초등학교의 무렵, 날씨가 좋아서, 기분이 타거나 하면, 돌연, 유치원·학교를, 질질 끄는 휴일 시키고, 동물원·유원지등에, 아이들(아이)을, 놀이에 데리고 가는 것이 있었던 w), 「오늘은, 귀찮아서, 도시락(bento) 만들지 않았기 때문에, 적당하게 사 먹어!」(이)라고 말할 때도 있어, 그렇게 말할 때는, 나는, 고등학교의 점심 식사는, 빵이나 샌드위치(sandwich)를 사 먹고 있었습니다만( 나는, 그런데도, 완전히, 상관하지 않았습니다), 그런데도, ( 나는, 고교시절, 고등학교의, 점심 식사는), 어머니가 만들어 준, 도시락(bento)을 먹을 때가, 꽤 많았습니다.

나는, 옛부터(어릴 적부터), 밥(rice) 먹어(밥(rice)을, 기꺼이, 많이 먹는 사람)이 아니고, 반찬 먹어(반찬을, 기꺼이, 많이 먹는 사람)인 관계로, 내가, 고교생때, 어머니가, 나를 위해 만들어 주는, 도시락(bento)은, 도시락상자에, 기본적으로, 반찬 70%에서 80%, 밥(rice) 30%에서 20%위의 비율이었습니다 w

나의 어머니는, 내가 친가 생활의, 내가 어릴 적·학생의 무렵·20대의 반 무렵, 나에 대해서, 자주(잘), 「00( 나의 이름의, 최초의, 2 문자)은, 언제나(또는, 무엇을 만들어도), 맛있다라고 말해 주므로, 요리의 구조 보람이 있다」라고 한 느낌의 일을 말했습니다.

나는, 아첨에서도 아무것도 아니고, 어머니가 만드는 요리가, 맛있기 때문에, 맛있다고 해 받을 수 있어입니다.


덧붙여서, 나는, 옛부터, 교제하고 있는 여자 아이·여성 또는 친밀한 여자 아이·여성이, 나와 2명 뿐때에, 나를 위해 요리를 만들어 주었을 경우, 나는, 그 요리가, 맛있어도, 보통에서도, 맛있지 않아도, 맛이 없어도, 나를 위해, 모처럼, 수고를 들이고 요리를 만들어 주었으니까, 적어도, 맛있다고 하도록(듯이) 하고 있습니다.그리고, 만약, 그 요리가, 맛있지 않거나, 맛없는가 충분했을 경우는, 그 여자 아이·여성의 향후를 위해, 「좀 더, 짠맛을 진하고?`오분이, 보다 맛있어진다고 생각해」라고, 「 이제(벌써), 조금, 박미로 하는 것이, 보다 맛있어질지도」라고, 구체적인 어드바이스를 더하도록(듯이) 하고 있습니다.

덧붙여서, 나는, 지금까지, 실생활에 대하고, 나와 2명 뿐때에, 나를 위해 요리를 만들어 준, 교제하고 있는 여자 아이·여성 또는 친밀한 여자 아이·여성의, 요리, 및, 요리의 솜씨에 관해서, 그 여자 아이·여성의 앞에서도, 그 여자 아이·여성 이외의 누구에 대해서도, 나쁘게 말한 일은, 한번도 없습니다.


이상, 앞에 간 투고로부터 발췌해 온 것이었습니다.


이하, 「」 안.나의 앞의 투고문보다..

「현재, 그녀는, 이웃의 구의 맨션에 혼자 생활을 해, 일주일간에, 1일부터 3일 정도, 우리 집에 묵고 있습니다만, 그 때에(그녀가 우리 집에 묵을 때에), 그녀가, 나에게 요리를 만들어 준다면, 기쁩니다만, 나는, 자신으로부터, 그녀에 대해서, 요리를 만들었으면 좋다고는, 모두, 말하지 않게 있어, 언제나, 그녀가 만들어 준다고 해도, 무리하지 않아도 괜찮아, 괜찮아?이렇게 말한 느낌의 일을, 우선 말하도록(듯이) 하고 있습니다(덧붙여서, 나의 지금의 그녀가 만드는 요리는, 맛있습니다).」


이하, 「/`v내.나의 앞의 투고문보다...

「 나의 어머니는, 솔직하게 말하고, 옛부터(본인이 젊은 무렵부터), 미인만 탐하는 사람의 여성입니다만, 제대로, 나의 아버지의 내용도 보고, 자신의 결혼상대로서 선택해 주어 좋았다고 생각합니다.

도쿄도심부의 서부의 조용하고 침착한 주택지에 있는 우리 집의 부근의 나의 친가는, 원래, 나의 외가의 조부모의 집입니다(덧붙여서, 나의 어머니는, 독자입니다.이미, 외가의 조부모와도 돌아가셔, 현재는, (우리 집의 부근의 나의 친가는) 부모님이 계승하며 살고 있습니다).

나의 외가의 조부는, 맞선으로, 나의 외가의 조모와 결혼했습니다만, 나의 외가의 조부는, 결혼한 이상, 쭉(일생), 아내의 일을 소중히 해, 지키지 않으면 안 된다고 한, 옛날부터의(보수적인), 신사의 미학·폴리시(방침)라고 한 것을 가진 남성이었습니다.덧붙여서, 나의 아버지도, 같은, 신사의 미학·폴리시(방침)를 가진 남성입니다만, 성격이 온화하고, 온화한 신사이다고 하는 점에 대해도, 나의 외가의 조부에게 공통되고 있고, 원래, 미인만 탐하는 사람의 나의 어머니가, 나의 아버지에게, 한 눈 반하고, 나의 어머니로부터, 나의 아버지에게, 열심히에 어프로치 하고, 나의 어머니와 나의 아버지는, 교제하는 일이 되었습니다만(바리바타 `추후 연애 결혼 w), 나의 어머니가, 나의 아버지에게, 자신의 아버지( 나의 외가의 조부)의 성격과 공통되는 면을 찾아냈던 것도, 나의 어머니가, 나의 아버지와 결혼하기까지 도달한, 큰 이유의 하나인지도 모릅니다.」


이하, 5월에 간 투고로부터 발췌해 온 것입니다.


이하, 작년의 12월에 간 투고로부터 발췌해 온 것입니다.

이하, 앞에 간 투고로부터 발췌해 온 것입니다.


위에서, 「태어나고 나서, 지금까지, 살아 오고, 여성들에게는, 정말로, 상냥하고, 친절하게 해 받아 오고, 정말로, 감사하고 있습니다.」라고 하는 일에 관해서, 나는, 옛부터, 여성에 대해서(뭐, 남성에 대해서도 그렇습니다만, 특히 여성에 대해서), 무엇인가를 해 받으면, 어떤 사소한 일에서도, 말버릇과 같이, 솔직하게, 「고마워요」라고 상대에게 전해지도록(듯이) 말해 왔다고 하는 일도 있다고 생각합니다.

이 일은, 의식하고 있는 것도 아니고, 옛부터, 자연과 몸에 붙어 있었습니다.

왜일까라고 말하면, 「고마워요」라고 하는 말은, 어머니에 대한 아버지의 말버릇으로, 아버지는, 어머니에 대해서, 정말로, 자주(잘), 「고마워요」라고, 자연과 같이 말한 때문입니다(아마, 지금도, 그렇다라고 생각합니다).

어머니는, 표`모니 결혼하고 나서, 아르바이트를 포함하고, 일을, 일절 한 일이 없는 전업 주부이므로, 시간이 있다로부터라고 말하는 것도 있다라고 생각합니다만, 회사원인, 아버지의 도움·돌보는 일을, 실로, 카이 카이 까는 가고 있었습니다(아마, 지금도, 그렇다라고 생각합니다).특히, 아버지의 출근전과 아버지가 회사로부터 빨리 귀가했을 때에, 그런 느낌이었습니다.다만, 어머니는, 자유분방한 면이 강한 여성이며 w, 「자신이 하고 싶게는이든지 받아요」라고 한 느낌으로 w, 나의 아버지는, 내가 어릴 적·젊은 무렵은, 전형적인, 사업인 사이·회사 인간이라고 한 느낌으로, 평일은, 주 1일부터 3일 정도, 일을 끝낸 후, 집에 빨리 돌아가는 날이 있었습니다만, 그 이외는, 거의 심야에 귀가하고 있었습니다만 , 어머니는, 남편이 일로 귀가가 늦은 날에는, 기다리지 않고 , 빨리 자 버리는 타입의 아내였습니다 w

아버지는, 어머니에게 무엇인가를 해 받았을 때에, 어떤 사소한 일에서도, 말버릇과 같이, 솔직하게, 상냥한 웃는 얼굴로, 「고마워요」라고 어머니에게 전해지도록(듯이) 말했습니다 (아마, 지금도 그렇다라고 생각합니다).

닭이 앞인가, 알이 앞일까하고 말한 느낌으로, 어머니는, 아버지에게, 상냥한 웃는 얼굴로, 「고마워요」라고 해 받는 것이, 매우 좋아하는 같고, 아버지에게, 상냥한 웃는 얼굴로, 「고마워요」라고 해 받는 것이 기쁘고(아버지에게, 상냥한 웃는 얼굴로, 「고마워요」라고 해 받고 싶어서), 능숙한 비유가 생각해 떠오르지 않습니다만, 소제비에 대해서 먹이를 옮기는 친제비와 같이, 또, 꽃의 주위를 날아다니는 나비들과 같이, 아버지의 도움·돌보는 일을, 카이 카이 까는 가고 있었습니다.


나의 아버지는, 보통 회사원입니다만(덧붙여서, 아버지는, 지금은, 이미, 반정년퇴직 상태가 되고 있습니다.또, 나의 어머니는, 나의 아버지와 결혼하고 나서, 쭉 주부입니다), 나의 아버지는, 내가, 어릴 적, 매월 1회(대체로 1년간에 12회), 아버지의 월급날의 직후의, 토요일등에, 월급날 축하의 저녁 식사로서 저녁 식사를, 가족( 나의 모, 나, 남동생)을, 스테이크(beefsteak) 레스토랑이나 양식(yoshoku)(일본에서, 근대 이후, 일본인이 입맛에 맞는 것처럼, (일본인의 시점으로부터 하면) 개량된, 서양 요리) 레스토랑에, 스테이크나 햄버거를 먹어에 데리고 갔습니다(덧붙여서, 그 때에는, 나의 외가의 조부모는, 집에서, 집보기라고 말하는지, 가지 않았습니다.또, 그 때에는, 나나 남동생도, 매회, 부모님에게, 장난감등을 사 받는 것을 기대하고 있었습니다).그 때에는, 어머니는, 아이( 나, 및, 남동생)에게는, 기본적으로는, 준정식의 옷을 입혀 생각보다는 고급 스테이크(beefsteak) 레스토랑에 가는 경우에는, 포멀한 옷을 입혔습니다.

또, 그것과는 별도로, 매월 1회(대체로 1년간에 12회), 아버지의 월급날의 직후 쯤의 날에, 나의 아버지와 어머니는, (아마, 스테이크나 햄버거를 중심으로 한 식사가 아니고, 어른용의 식사이다) 일본 요리나 서양 요리, 중국 요리의 외식의 저녁 식사 또는 점심 식사를, (아이( 나와 남동생)를, 나의 외가의 조부모와 함께, 집에, 집보기시키고), 둘이서 먹으러 가고 있었습니다.그 때에는, 어머니는, 언제나, 매우 멋을 부리고(포멀한, 세련된 옷을 입고), 나가고 있었습니다.또, 그것이란, 또 별로, 나의 아버지와 어머니는, 옛부터(내가 어릴 적부터), 현재에 이르기까지, 매년, 어머니의 생일(또는, 그 부근의 날)(아버지의 생일은, 옛부터, 그것은 하지 않는 w)와 결혼기념일(또는, 그 부근의 날)에, 고급, 일본 요리나 서양 요리, 중국 요리의 외식을 먹어에 나가고 있어 그 때에도, 어머니는, 옛부터(내가, 어릴 적부터), 언제나, 매우 멋을 부리고(포멀한, 세련된 옷을 입고), 나가고 있습니다(라고 말하는지, 지금은, 친가 생활은 아니기 때문에, 지금의 상황은, 자세하게 모릅니다만, 아마, 지금도, 그렇습니다).

전술의 통?`네야 A매월 1회(대체로 1년간에 12회), 아버지의 월급날의 직후 쯤의 날에, 나의 아버지와 어머니는, (아마, 스테이크나 햄버거를 중심으로 한 식사가 아니고, 어른용의 식사이다) 일본 요리나 서양 요리, 중국 요리의 외식의 저녁 식사 또는 점심 식사를, (아이( 나와 남동생)를, 나의 외가의 조부모와 함께, 집에, 집보기시키고), 둘이서 먹으러 갔었습니다만, 그 때에, (아버지는, 상술한 대로, 평상시, 어머니에게 무엇인가를 해 받았을 때에, 어떤 사소한 일에서도, 말버릇과 같이, 솔직하게, 상냥한 웃는 얼굴로, 「고마워요」라고 어머니에게 전해지도록(듯이) 말했습니다만 (아마, 지금도 그렇다라고 생각합니다만)), 아버지는, 매회, 재차, 어머니에 대해서, 감사의 기분을 전하고 있었다고 생각합니다.덧붙여서, 부모님은, 그 때, 기본적으로, 매회, 아버지가 어머니에 대해서 사 준 꽃(부케·꽃다발)을 집( 나의 친가)에 가지고 돌아가 왔습니다(이 꽃의 에피소드에 관해서는, 나는, 아버지의 부지런함에 이길 수 없을지도라고 생각하는 w).또, 아마, 어머니는, 그러한 식사때, 매회, 아버지의 일을 칭찬하거나 치켜세우거나 하고 있었다고 생각합니다.


이상, 앞에 간 투고로부터 발췌해 온 것이었습니다.


이하, 「」 안.전의 Dartagnan씨의, 이 투고의 나의 레스로부터 발췌해 온 것→
/jp/board/exc_board_8/view/id/3051350/page/10

「Dartagnan씨.그 사람들, 사모님이 앞서가면 속옷의 장소도 모르는 사람들이겠지.>이 점에 관해서는, 옛부터 어머니를 좋아하고 그렇게 해서 있습니다만 w, 옛부터 어머니가 아버지의 너무 돌본 일로부터, 근처의 친가의 아버지 알 알이라고 한 느낌으로, 아버지가 (들)물으면 귀의 아픈 이야기라고 생각하는 w 다만, 아버지와 어머니는 서로 동년대입니다만, 아버지도 건강합니다만, 아버지보다 어머니가 생명력이 강하다고 생각하므로, 아버지는 어머니가 앞서갈 걱정은 없을 것 같습니다 w」


이상, 5월에 간 투고로부터 발췌해 온 것이었습니다.


이하, 「」 안.나의 앞의 투고문보다, 나와 아버지의 차이에 대해입니다.

「그녀는, 1주간중, 1일부터 3일 정도, 우리 집에 묵고 있습니다만, 그녀와 우리 집에서 보내고 있을 때에, 가사의 일을 신경쓰지 않고 , 기다리거나와 보낼 수 있도록(듯이), 그녀가 묵지 않는 날의 밤에, 집의 가사는, 부지런히 하고 있습니다」

「덧붙여서, 나는, 남자입니다만, 또, 성격은, 세세한 일은 신경쓰지 않는 대략적인 면이 있어요가, 소변은, 변기에 앉아 하고 있습니다(공중 변소의, 소전용의 변기는 별도입니다만).우리 집에 남자의 친구가 놀이에 방문했을 경우?`언A소변은, 반드시 앉고 하도록(듯이) 말합니다.우리 집의 화장실을 청소하는 것 나니까요.덧붙여서, 나의, 지금의 그녀는, 도쿄의 내가 사는 구의 이웃의 구의 맨션에 혼자 생활 있어, 1주간에, 1일부터 3일 정도는, 우리 집에 묵는다고 하는 교제 형태가 되어 있습니다만, 당연, 그녀에게, 우리 집의 화장실의 청소를 시키는 일은 없습니다(그녀는, 그녀로, 자신의 혼자 생활의 맨션의 화장실을, 제대로 청소하고 있으니까).」


이하, 최근 간 투고로부터 발췌해 온 것입니다.


이하, 「」 안.나의 앞의 투고문보다...

「그녀와 그녀의 어머니의 사이는, 그녀가, 어릴 적부터, 결코 능숙하게 가고 있는 것은 아닙니다만, 나와 그녀의 어머니의 사이는, 특히 나쁘지도 아무것도 없습니다(그녀의 어머니의, 나에 대한, 인당은, 좋습니다라고 말하는지, 왜일까, 신기하다와 마음에 들고 있는 감조차 있어요 w).」

그녀와 그녀의 어머니의 관계성에 관해서는, 이하의 투고를 참조해 주세요.

Strong/A Whole New World외→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3612336/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2




이하의 동영상은, 전에 투고로 소개한 동영상의 관계로, you tube로, 추천의 동영상으로서 나온 동영상으로, 지금, 자기 전에, 이빨을 닦으면서, 조금 본 동영상입니다.7월 30일에 업 된 동영상의 님입니다.덧붙여서, 나의 지금의 그녀가, 나와 교제하기 시작한 것은, 그녀가, 10대의 대학생때입니다.


【당신은 00입니까?】한마디로 장래성을 알 수 있는 테스트(20세부터 25세의 무렵 00이었던 사람은 유복하게?)→
https://youtu.be/Up9ZNapzcW4


덧붙여서, 나는, 부자가 아닙니다만, 나의 수입과 자산의 토탈은, 안정되어 있습니다.

이하, 참고의 투고.

숨어 부자가 봐 빼기 분결혼하면 매우 행복할지도 외 →
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3657532/page/12?&sfl=membername&stx=nnemon2



나는, 대학시절 1년간, 미국의 대학에 유학하고 있습니다만, 보통으로, 일본의, 4년제의 대학을 졸업하고 있습니다만, 나의 대학생활은, 매우, 즐거웠습니다.


이하, 「」 안.나의 앞의 투고·레스보다...

「 나는, 대학시절, 넓은 인맥을 가지고 있었습니다(내가, 인생에서, 제일 넓은 인맥을 가지고 있던 것은, 한가해서, 시간이, 매우 많이 있던, 내가 대학생때입니다).」

「 나는, 대학시절, 일본의 대학에 다니는 한편으로, 1년간, 미국의 대학에 유학했습니다만, 미국의 대학에서 잡은 단위를 일본의 대학에 집어 넣는 일로, 도중 , 미국의 대학에 1년 유학해도, 4년간으로, 대학을 졸업하는 것이 가능했어입니다만, (뭐, 나는, 고교시절도, 잘 놀고 있었습니다만 w, 계속), 대학시절도, 노는 일을 중시하고 있던 때문, 여유를 가지고, 대학 4 학년의 9월부터, 대체로 1년간 유학을 해, 또, 일본의 대학의 4 학년에 복학하고, 대학을 졸업한 때문, 결과적으로 5년간에 대학을 졸업하는 일이 되어, 나는, 대학 입시때, 재수생(희망의 대학을 수험하기 위해, 고등학교 졸업의`니 후, 일정기간(통상은 1년간), 예비학교(대학 수험 준비 학교)에 다니는 등 해 공부하는 일)는 하지 않았습니다만, 최종적으로는 1년 재수생 해 대학에 입학한 사람과 동갑으로 대학을 졸업했습니다.취직에 관해서는, 1년간의 미국의 대학의 유학으로부터, 일본에 귀국해, 일본의 대학의 4 학년에 복학한 후, 대학시절의 친구와 개인 사업을 시작했다(엄밀하게는, 원래, 대학시절의 친구가 이미 시작하고 있던 사업에 참가했다) 것으로, 문제는 없었습니다.대학시절의, 미국의 대학의 1년간의 유학은, 지금도, 좋은 추억으로서 남아 있어 가서 좋았다고 생각합니다.」



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