①山背大兄王という人
斑鳩で聖徳太子/厩戸皇子の長子として育つ。推古の後継者として名が挙がった。
ところが妾なし。通常、あの時代の貴人には妻が何名もいたはずである。
出てこないのは崇峻天皇くらいでは。
帝説では嫁の名前は一人のみ。
でも死んだときは妃妾子弟と書かれている。
いたんじゃね?
入鹿に見つかる前にと斑鳩宮を抜け出して、生駒山に隠れたとき三輪文屋君、舎人田目連と娘の菟田諸石、伊勢阿倍堅経がいたという。
菟田諸石は 山背の身分の低い妻ではないだろうか。
ところで三輪君はどうしてそこにいたのだろうか。厩戸の妻・橘大郎女の産んだ手嶋女王・白髪部王でもそこにいたのだろうか。
三輪君は三輪山をいただく神道の家柄である。
対して山背は仏教徒である。宗教の括りはそこまでは無くなってきていただろうとはいえ、並ぶと不自然な組み合わせ。
帝説では手嶋・白髪部王の名前が山背と死んだ人リストの中に入っていない。
生き残っている可能性があるが、別の日に別の場所・別の原因で死んだ弓削王の名前も「一緒リスト」に
入っているのであのリスト自体意味がないのかもしれない。
②泊瀬王という人
聖徳太子/厩戸皇子の妃・膳菩岐々美郎女の生んだ長子。
629年に忽かに発病して死んだ。
彼の妃は佐富女王。厩戸皇子の母が厩戸皇子の異母兄と再婚して産んだ子である。
いつも思うことだが、佐富女王と泊瀬王には年の開きがとにかくある。
あの時代にありえることだろうか?
①山背大兄王という人
斑鳩で聖徳太子/厩戸皇子の長子として育つ。推古の後継者として名が挙がった。
ところが妾なし。通常、あの時代の貴人には妻が何名もいたはずである。
出てこないのは崇峻天皇くらいでは。
帝説では嫁の名前は一人のみ。
でも死んだときは妃妾子弟と書かれている。
いたんじゃね?
入鹿に見つかる前にと斑鳩宮を抜け出して、生駒山に隠れたとき三輪文屋君、舎人田目連と娘の菟田諸石、伊勢阿倍堅経がいたという。
菟田諸石は 山背の身分の低い妻ではないだろうか。
ところで三輪君はどうしてそこにいたのだろうか。厩戸の妻・橘大郎女の産んだ手嶋女王・白髪部王でもそこにいたのだろうか。
三輪君は三輪山をいただく神道の家柄である。
対して山背は仏教徒である。宗教の括りはそこまでは無くなってきていただろうとはいえ、並ぶと不自然な組み合わせ。
帝説では手嶋・白髪部王の名前が山背と死んだ人リストの中に入っていない。
生き残っている可能性があるが、別の日に別の場所・別の原因で死んだ弓削王の名前も「一緒リスト」に
入っているのであのリスト自体意味がないのかもしれない。
②泊瀬王という人
聖徳太子/厩戸皇子の妃・膳菩岐々美郎女の生んだ長子。
629年に忽かに発病して死んだ。
彼の妃は佐富女王。厩戸皇子の母が厩戸皇子の異母兄と再婚して産んだ子である。
いつも思うことだが、佐富女王と泊瀬王には年の開きがとにかくある。
あの時代にありえることだろうか?