横田夫妻 の戦い(今回は、妻、早紀江さん目線で解説) | |
横田 早紀江(よこた さきえ、1936年2月4日 - )は、北朝鮮による拉致被害者横田めぐみの母、横田滋の妻。福音派の教会に所属するクリスチャン。 | |
●1977年11月15日長女めぐみが寄居中学校からバドミントン部の 練習終了後の下校途中に失踪する。 |
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●その日の午後9時50分に、横田夫妻は新潟県警に捜索願を出す。捜索願を 受けた新潟県警が捜索を開始する。 |
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●11月22日には、公開捜査に踏み切り、『新潟日報』や『毎日新聞』で報道される。一年間で延べ3000人の捜査員を動員して捜査をするが、行方の手がかりがつかめなかった。 | |
●何の手がかりもないなかで、早紀江は、新聞の群衆写真や雑誌の グラビアなどに娘めぐみと似た女性が写っていると、新聞社に 問い合わせしたり、写真の女性がいる場所を訪ねたりさえするほど、各地を必死に探しまわった。 |
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●1980年(昭和55年)1月 日本海沿岸を中心に起きた、地村保志、浜本富貴恵、市川修一、増元るみ子らの蒸発事件には、外国の情報機関が関与している 疑いが強いと書いた新聞記事を横田夫妻が読み、産経新聞新潟支局の 支局長に面会し、娘の失踪事件との関連性を尋ねたが、関係性は否定された。 |
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●1984年(昭和59年)に日本同盟基督教団五十嵐キリスト教会でTEAMの マクダニエル宣教師より洗礼を受け、娘のために祈り続ける。 |
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●1988年8月、拉致被害者の有本恵子さんの両親は日本社会党委員長 土井たか子の事務所(兵庫県西宮市)に相談。当初土井は有本夫妻に 同情する姿勢を見せて暖かく対応したため有本夫妻は安心したが、その後 土井事務所からは返事はなくなり、一切連絡が途絶えてしまった。 このため有本夫妻は上京して自由民主党の政治家に助けを求めることを決め、1988年9月、東京都千代田区永田町の衆議院議員会館に自由民主党幹事長の安倍晋太郎を訪ねる。安倍は夫妻の訴えを聞き届け、当時秘書だった次男の安倍晋三に夫妻を外務省と警察庁に案内するよう命じ、夫妻はここに至って事の次第を外務省・警察庁に伝えることができた |
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●以後有本夫妻は安倍父子に連絡するようになり、安倍父子はこの問題に取り組むことになる。 | |
●1991年以来、日本政府は北朝鮮に対し拉致事件を提起していたが、 北朝鮮側は否定し続けた。 そのため拉致事件ではなく拉致疑惑と呼ばれ続け、拉致を否定する立場を取る人々により日本政府や 右翼による陰謀であると新聞紙面やTV報道で度々主張され続けた。 |
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●1997年(平成9年)2月号で「アエラ」「産経新聞」などでとりげられた。この 記事を高世仁が安明進に確認して、横田めぐみが拉致にあったことが 判明する。 |
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●1997年1月21日長女めぐみが北朝鮮に拉致されているという情報が伝わり、横田滋が議員会館で詳しい情報を聞いた。そのころ、早紀江は何も 知らないまま、千葉におけるキリスト教の集会で、「せめて娘がどこにいるのかだけでも教えてください」と、仲間とともに祈っていた。帰宅後、滋から今日入った情報について聞かされ驚くとともに、「生きていたのね、めぐみちゃん」と、失踪から19年めにして初めて希望を見出す。 |
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●社民党機関誌『月刊社会民主』1997年7月号では、「20年前に少女が 行方不明になったことは事実だが、それが北朝鮮によるものというのは何一つ根拠がなく、元工作員の矛盾だらけの又聞き証言やその他の意味付けがされて生まれたのが実態であり、日本政府が食糧支援をさせないために最近になって創作された事件である」という社会科学研究所「月刊日韓分析」編集員 北川広和による記載がなされ、以後、北朝鮮と長年友好的な新聞各社や ニュースステーション、筑紫哲也 NEWS23等で「拉致事件は日本政府による陰謀」としたコメントや文章がしばしば流布された。 2001年、日本人拉致事件が明るみに出て以降も同論文は同党の公式ホームページに掲載され続けた。 |
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●1997年3月14日、ソウルに行き元北朝鮮工作員安明進に会見して娘の消息を聞く。このとき、横田夫妻が持参した多くの写真のうち、拉致の約1ヵ月前に 新潟空港で滋が撮っためぐみの写真を見て、安明進はこの写真が自分が 北朝鮮で見た女性と一番よく似ていると証言した |
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●2000年(平成12年)5月いのちのことば社のチャペルが提供され、東京で 毎月行われる「横田早紀江さんを囲む祈り会」が開始される[4]。十数名から はじまった祈祷会であるが、チャペルは満員になった。 |
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●2002年(平成14年)9月17日日朝首脳会談が平壌で行われた。その時、 梅本和義駐英公使がめぐみの娘とされているキム・ヘギョンに面会した。 北朝鮮政府が拉致の事実を認めて謝罪して、拉致被害者の安否の情報を 日本政府に伝えた。 |
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●2003年6月「数年前、横田めぐみさんのご両親が拉致解決の街頭署名活動をしていたとき 朝鮮学校の生徒から生卵をぶつけられた話は朝日は 決して取り上げようとしない 」 |
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●その時横田夫妻は外務省の飯倉公館に集められ、福田康夫官房長官 (当時)と植竹繁雄外務副大臣(当時)より、長女めぐみが死亡しているという 北朝鮮の情報を宣告される。結婚して、娘キム・ヘギョンを生んだとも 伝えられる。ここからマスコミの冷たい反応が変わったといわれる。 |
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●2006年(平成18年)4月28日 ジョージ・W・ブッシュアメリカ合衆国大統領と会談。娘の救出を訴える。 | |
●その後も今現在まで、横田めぐみの死亡説を否定して、夫と共に娘を含めた拉致被害者の奪還ための活動を続けている。 20万人の娘を拉致された朝鮮人の ご両親は、娘の奪還の為に いったい、何をやっていたのですか? ↓ < \ `∀´> 娘を売った金で、 たらふく、焼酎を飲んだ nida♪ エヒュ | |
눈물이 멈추지 않는