旅行 GreenZonePositiveRelationship




以下、基本的に(参考の投稿を入れ替える等しています)、一昨年の2月に行った投稿の再掲です。


以下、「以下、過去に行った投稿から抜粋して来た物です。。。」という文からは、前にkjで、行った投稿から抜粋して来た物で、当時、交際していた女性と、箱根(hakone)に、一泊2日の小旅行に行って来た時の物です。



箱根(hakone)(東京圏(東京圏の南部を占める県である、神奈川(kanagawa)県)の、南西端部に位置します)は、日光(nikko)(栃木(tochigi)県(東京圏の北端に位置する県)に位置する)と並ぶ、東京近郊を代表するリゾート(resort)地・保養地・観光地・避暑地です(箱根(hakone)は、日本有数の温泉地となっています)。



富士屋(fujiya)ホテルは、箱根(hakone)を代表する、高級リゾート(resort)ホテルの一つです。富士屋(fujiya)ホテルは、前身の温泉旅館時代も含めると(16世紀後半には、韓国では悪名が高い(悪い意味で有名な)、豊臣 秀吉(toyotomi hideyoshi)も宿泊しました)、14世紀末からの(600年以上もの)歴史を有する(近代的なリゾート(resort)ホテルに変わってからの歴史は、1878年から)、箱根(hakone)を代表する高級リゾート(resort)ホテルです。



富士屋(fujiya)ホテルは、第2次世界大戦前には、日本国内のみならず、(日本以外の)東・東南アジア在住の欧米人富裕層の間でも、東洋有数のリゾート(resort)ホテルとして知られていました。富士屋(fujiya)ホテルには、今まで、孫文(Sun Yat-sen)(日本に2度、亡命し、亡命中は、日本の、実業家等から支援を受けて、裕福な暮らしをしていた)、チャーリー・チャップリン(Charlie Chaplin)、フランク・ロイド・ライト(Frank Lloyd Wright)、ヘレン・ケラー(Helen Keller)、ジョン・レノン(John Lennon)・小野 洋子(ono yoko)夫妻等、世界的な著名人も訪れています。



ちなみに、私は、富士屋(fujiya)ホテルは、今まで、6回、宿泊しています(数年前、(我が家の近所の私の実家の)両親を連れて、箱根(hakone)の、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊して来た時の、1回を除き、(残りの5回は)、全て、couple(女性と2人)での宿泊)。



ちなみに、富士屋(fujiya)ホテルは、去年の(2018年の)4月から、2020年の7月まで、建物の耐震補強工事の為、基本的に閉館となっています。

列車の、ロマンスカー(romance car)に関しては、以下の投稿を参照して下さい。

特急列車の思い出→
/jp/board/exc_board_1/view/id/3398328?&sfl=membername&stx=nnemon2


私は、箱根(hakone)に、遊びに訪れる時は、通常、自動車で訪れます。

以下、参考の投稿(去年の10月に、私の今の彼女と、自動車で、日帰りで、箱根(hakone)に遊びに行って来た時の物です)。

箱根drive&食べ物→
/jp/board/exc_board_24/view/id/2734158/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon



以下、「」内。前の私の投稿の他の方のレスに対する私のレスより。。。(以下、「」内は、この投稿の時の事を言っています)。

「私は、箱根を訪れる時は、通常は、昔から自動車で訪れているのですが、かなり前の事ですが、非常に久しぶりにロマンスカーに乗って(ロマンスカーに乗って箱根に遊びに行くのは、その時、子供の時以来でした。ちなみに、その時は、VSEを利用しました)、一泊二日で箱根に遊びに行き、箱根登山電車(その時、丁度、紫陽花の時期でした)、ケーブルカー、ロープウェイ、海賊船と言う、箱根の楽しみ方をしましたが、そう言う箱根の楽しみ方も良いですね^^

その時、もちろん自分達も楽しかったけど、ロマンスカーの車内で、(たぶん箱根の温泉宿に一泊二日で泊りがけの旅行である)おそらく大学生同士の、楽しそうにしているカップルを見て、私は昔から(大学生の頃から)、交際している女の子又仲が良い女の子との二人での、箱根の温泉宿の宿泊旅行又は日帰り旅行と言えば、もっぱら車であったので、大学生の頃、交際している女の子とのロマンスカーでの箱根の温泉宿のお泊り旅行もしておけば、それはそれで良い思い出になったのかなと思いましたw」




ちなみに、投稿文の中に、「部屋の鍵。さすがに、これだけ大きくて重ければ、私でもなくさないと思いましたがw、やはり、(もうこうなったら、ギャグと言えるかもしれませんが)、部屋の中で、一瞬なくして、ちょっと探しましたw」と言うエピソードが出て来ますが、私の、性格の、大雑把な面があり、細かい事は気にしない(悪く言えば、だらしない面もあるw)と言う面は、私の両親(私の両親共、その様な面がありますw)、及び、私の母方の祖母から受け継ぎました(ちなみに、私も、私の両親も、私の母方の祖母も、あくまで、性格に、だらしない面もあると言う話であり、性格が、全般的に、だらしないと言う訳では全くありません)。また、それに関連して、私の両親も、私の母方の祖母も、それぞれ、性格は違えど、天然の面があるのですが、天然の面があると言う事に関しても、私は、私の両親と、私の母方の祖母から、受け継ぎましたw




以下、過去に行った投稿から抜粋して来た物です。。。




7月の初めに、彼女と、箱根(hakone)に、1泊2日の小旅行に行って来た時の物です。


今まで、箱根(hakone)に、遊びに行く時は、もっぱら自動車を使って来ましたが、今回電車を使って行ってみました。箱根(hakone)までは、ロマンスカー(romancecar)を使いました。ロマンスカーを使って、箱根(hakone)に、遊びに行くなんて、子供の時以来です。ちなみに、我が家の最寄り駅は、東京都心部から箱根(hakone)に向かう路線にありますが、ロマンスカーは、停車しないので、5分程ですが、1度逆方向に電車に乗って、新宿駅に行き、そこからロマンスカーに乗車する事になります。




ロマンスカー(romancecar)の車内(VSE車両を利用しました)。ずっと彼女を窓側の席に座らせてあげていたのですが、最後の方だけ、ちょっと席を交替して貰いました。





写真以下4枚。箱根(hakone)登山電車。1919年からの歴史を有する山岳鉄道です。箱根(hakone)登山電車は、紫陽花の花の時期に、線路沿いの長い距離に渡って咲く、紫陽花の花が、名物となっていて、東京エリア(area)では、よく知られています。私は、紫陽花の花の時期に、箱根(hakone)登山電車に乗るのは、今回が初めてでしたが、期待が、大き過ぎたのか、期待していた程、素晴らしい物ではありませんでした(少しがっかり)。








写真は、古い車両。箱根(hakone)登山電車では、1950年代(若しくは、それ以前?)からの、古い車両が、現役で走っています。














写真以下5枚。強羅(goura)地区にある強羅(goura)公園。現在は、ただの公園と言った感じですが、第2次世界大戦前は、避暑等で、箱根(hakone)で過ごす、(貴族、資本家、実業家等の)上流階級の人々の社交の場でした(元々は、避暑等で、箱根(hakone)で、別荘等で過ごす上流階級の為の社交の場として、1914年に整備された公園)。






















写真以下2枚。富士屋(fujiya)ホテルがある宮ノ下(miyanoshita)地区にある渡邉(watanabe)ベーカリー(bakery)。建物こそ、時代に合わせて建て替えられていると思いますが、1891年に、リゾート(resort)地のパン屋さんとして開業した、歴史のある、小さなパン屋さんです。






渡邉(watanabe)ベーカリー(bakery)で食べた、この時の初日(以下、この日と書きます)の昼食。温泉シチュー(stew)パン(ちなみに、箱根(hakone)は、日本有数の温泉地です)。一人一個ずつ。春頃のsunkujiraさんの投稿を拝見して、食べたくなった物です。パンの器に入っているシチュー(stew)は、パン屋のシチュー(stew)だからと言って、手が抜かれていると言う事は、全くなく、ちゃんと、しっかりとしたシチュー(stew)で、美味しかったです。




写真以下37枚。箱根では、今回、私達は、宮ノ下(miyanoshita)地区にある、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊しました。



本館。1891年に建てられた建物で、主に、ロビー(Lobby)と客室として使われています。富士屋(fujiya)ホテルの玄関の役割を果たしている建物であると共に、現存する宿泊可能な富士屋(fujiya)ホテル建物の中では、最も古い物です。





旅先の出会いと言うのでしょうか、富士屋(fujiya)ホテルの本館の建物は、富士屋(fujiya)ホテルの中心的な建物として、富士屋(fujiya)ホテルの広い敷地内の様々な建物に分散して宿泊している、富士屋(fujiya)ホテルの宿泊客達が、出会い、交流する場としての役割も、果たしています(ちなみに、私は、根本的にはshyな性格なので、そう言うのは、基本的には苦手w)。




写真以下2枚。この時、富士屋(fujiya)ホテルの本館のティーラウンジ(tea lounge)で、飲み物と共に食べた物。



彼女が食べた、茶入り・茶プリン(少なくても、NHKのアナウンサーのギャグよりもセンスがあると思いますw)。チャーリー・チャップリン(Charlie Chaplin)は、1932年に1回、1936年に2回、第2次世界大戦後の、1961年に1回と、合計4回、来日していますが、1932年の初来日時に、チャーリー・チャップリン(Charlie Chaplin)が、富士屋(fujiya)ホテルを訪れた事に因んだメニュー(menu)です。チャーリー・チャップリン(Charlie Chaplin)が、イギリス出身である事に因み、アールグレイ(Earl Gray tea)の紅茶プリン(pudding)と、アールグレイ(Earl Gray tea)のシフォンケーキ(chiffon cake)です。



私が食べた、マーブルケーキ(marble cake)寄木細工風。味は、1940年代後半の、マーブルケーキ(marble cake)の味を再現した物です。寄木細工は、色や木目の異なる木材の小片を、主に幾何学的に組み合わせて、様々な形や模様を作る細工です。寄木細工(の品物)は、箱根(hakone)の工芸(品)として有名ですが、その歴史は、以外と浅く、19世紀前半頃からです。




写真以下17枚。この時、私達が宿泊した、富士屋(fujiya)ホテルの花御殿(1936年に建てられた物です)。現存する、宿泊可能な、第2次世界大戦前に建てられた、富士屋(fujiya)ホテルの建物の中では、最大規模であり、現在の富士屋(fujiya)ホテルの象徴的な建物として、富士屋(fujiya)ホテルのイメージ写真に、よく使われる建物です。























写真以下12枚。花御殿の客室。私達が、今回宿泊した客室で、花御殿の客室の中で、最も宿泊費が安いclassの客室です。花御殿は、43の客室全てに、それぞれ異なる花の名前が付けられています。私達は、この時、蓮(Lotus)の部屋に宿泊しました。昔に建てられた、ホテル建築の建物であるからか、天井も高く、部屋の造りが、全般的に、ゆったりとしています。部屋のクローゼットも、大き目で、無理すれば、大人十人位が、中に隠れる事が出来そうですw。



部屋のドア(door)。





部屋の鍵。さすがに、これだけ大きくて重ければ、私でもなくさないと思いましたがw、やはり、(もうこうなったら、ギャグと言えるかもしれませんが)、部屋の中で、一瞬なくして、ちょっと探しましたw。





















机は、彼女と二人並んで、旅行記でもつけたい気分(つけないけどw)。

















客室のバスルーム(bathroom)の中のトイレのドア(door)。如何にも年を重ねていそうな、木製のドア(door)です。ちなみに、富士屋(fujiya)ホテルでは、全ての客室の風呂に源泉かけ流しの温泉が引かれています。





客室の大きな窓から眺めた、夕暮れ時の風景。





メインダイニングルーム(main dining room)の建物。1930年に建てられた建物で、富士屋(fujiya)ホテルの広い敷地内にある、8つの主な建物の内の一つです。富士屋(fujiya)ホテルの他のほとんどの主な建物と同様、文化財に指定されています。




写真以下15枚。富士屋(fujiya)ホテルの主食堂(main dining room)、「The Fujiya」。




















写真以下6枚。この時、私達が、富士屋(fujiya)ホテルのメインダイニングルーム(main dining room)、「The Fujiya」で食べた夕食等。



この夕食時に、私が飲んだ、飲み物の一つ(最初の一杯)。紫陽花をイメージした、ウォッカ(vodka)ベース(base)のカクテル(cocktail)です。この時、富士屋(fujiya)ホテルに宿泊した時は、丁度、箱根で、紫陽花の花が、満開の頃でした。この夕食時は、飲み物は、お酒は、この他、ワイン(wine)を飲みました。





写真以下6枚。富士屋(fujiya)ホテルのメインダイニングルーム(main dining room)で食べた、この日の夕食。これに、パンが付きます。




前菜。蟹とアーティチョーク(artichoke)のババロワ(bavarois)、蟹味噌(蟹の中の、粘度色のドロドロとした部分。美味しい。)ソース(sauce)。一人一皿ずつ(写真は、一人分)。



写真以下2枚。スープ(soup)。



私が飲んだ、コンソメ(consomme)スープ(soup)、ジュンサイ(純菜)入り。




彼女が飲んだ、トマト(tomato)のポタージュ(potage)。




魚のメイン(main)料理。真鯛(鯛)のポワレ(poele)、ふっくらトマト(tomato)ソース(sauce)添え。ソース(sauce)は、フランボワーズ(framboise、木苺)で色が付けられていて、その風味が効いていて美味しかったです。一人一皿ずつ(写真は、一人分)。





肉のメイン(main)料理。牛肉、ヒレ(fillet)肉のステーキ(steak)。一人一皿ずつ(写真は、一人分)。





デザート(dessert)。白桃(桃)のコンポート(compote)赤いフルーツ(fruit)風味。ココナッツ(coconut)のシャーベット(sorbet)とヒアルロン酸入りジュレ(jelly)を添えて。クランベリー(cranberry)、ブルーベリー(blueberry)、スグリ(gooseberry)が、添えられています。一人一皿ずつ(写真は、一人分)。



写真以下4枚。富士屋(fujiya)ホテルのメインダイニングルーム(main dining room)で食べた、翌日(以下、この日と書きます)の朝食。基本的なメニュー(食事)でも、質が、高く美味しいです。



写真以下2枚。私が食べた物。



パンケーキ(pancake)、富士屋(fujiya)風。クレープ(crepe)の様に、薄く焼いたパンケーキ(pancake)です。これに、お好みで、蜂蜜、メープルシロップ(maple syrup)等を、かけて食べます。




ベーコン(bacon)は、柔らか目に焼いてもらいました。



写真以下2枚。彼女が食べた物。


チーズオムレツ(cheese omelette)。




パン。




箱根(hakone)登山鉄道。1919年からの歴史を有する山岳鉄道です。




写真以下6枚。pola美術館。箱根にある、私営美術館の内の一つで、収蔵品(collection)は、日本の大手(大規模)化粧品会社の内の一つである「pola」のオーナー(owner)の個人コレクション(collection)が、基になっています。「pola」美術館は、西洋の有名な画家達の作品を中心として、幅の広い、非常に充実した収蔵品(collection)を有しており(西洋の超一流画家達の作品の非常に充実したコレクション(collection)に加え、日本の一流画家達の作品や東洋磁器等についても充実したコレクション(collection)を有する)、とても見応えのある美術館です。pola美術館は、充実したコレクション(collection)に加え、美術館自体の雰囲気も良く、私のお気に入りの美術館の一つとなっています。










この時、pola美術館を訪れた時は、pola美術館では、ルノワール(Renoir)、モディリアーニ(Modigliani)、ピカソ(Picasso)の手による肖像画等、19世紀から20世紀の肖像画を中心とした、「肖像の100年」と言う展覧会(exhibition)が行われていました。pola美術館は、収蔵品(collection)が、とても充実している為、展覧会(exhibition)も、他の美術館から、それ程、美術品を借りて来なくても、ほとんど収蔵品(collection)で、賄ってしまっていると言う感じです。この展覧会(exhibition)も、そんな感じでした。



パンフレット(leaflet)より。。。この展覧会(exhibition)の展示作品例。写真左、花束を持つピエロに扮したパウロ/ピカソ (Picasso) 1929年。写真右、レースの帽子の少女/ルノワール(Renoir) 1891年。何れも、pola美術館の収蔵作品(collection)です。




写真以下3枚。この日の昼食は、pola美術館のレストランで食べました。






私が食べた、沼津(numazu)港(箱根(hakone)の最寄り漁港の内の一つ)直送の魚介類(seafood)と、鶏肉団子に野菜を添えた、辛口シーフード(seafood)カレー(curry)。このカレー(curry)を食べるのは、今回で2回目ですが、美味しいです。ただ、辛口とは言うものの、辛さは、大分控え目なので、辛いカレー(curry)が好きな人には、物足りないかも。。。



彼女が食べた、魚介類(seafood)のライス(rice)ヌードル(noodle)、ベトナム(Vietnam)風。





箱根ロープウェイ(aerial lift)(1959年に営業を開始)。





地表から、温泉の蒸気が吹き出しています。箱根は、日本有数の温泉地です。



写真以下2枚。芦ノ湖(ashino湖)。箱根にある大きな湖です。







芦ノ湖(ashino湖)の、西洋の古い海賊船をイメージした形の遊覧船




写真以下2枚。この日の夕食は、適当に目に付いた、箱根湯本(hakoneyumoto)駅の近くの便利な立地の、庶民的、且つ、観光客慣れしていそうなw、蕎麦食堂で食べました(この蕎麦食堂は、この時、初めて利用しました)。箱根湯本(hakoneyumoto)エリア(area)は、箱根(hakone)の玄関となっているエリア(area)です。蕎麦は、手打ちでは無く、味は、如何にも観光客に甘えている店の蕎麦と言った感じで、並(個人的に50%が普通の味だとしたら40%弱位)と言った感じでした。蕎麦の、つなぎに、自然薯(山芋)を使用しているらしいですが、これとて、さして、この店の蕎麦に、個性を与えている訳ではありませんでした。



私が食べた、冷たい天麩羅蕎麦。




彼女が食べた、冷たい茸蕎麦。






하코네 후지야 호텔꽃저택외




이하, 기본적으로(참고의 투고를 바꿔 넣는 등 하고 있습니다), 재작년의 2월에 간 투고의 재게입니다.


이하, 「이하, 과거에 간 투고로부터 발췌해 온 것입니다...」라고 하는 문장에서는, 전에 kj로, 간 투고로부터 발췌해 온 것으로, 당시 , 교제하고 있던 여성과 하코네(hakone)에, 일박 2일의 짧은 여행에 갔다 왔을 때의 물건입니다.



하코네(hakone)(동경권(동경권의 남부를 차지하는 현인, 카나가와(kanagawa) 현)의, 남서 단부에 위치합니다)는, 닛코(nikko)(토치기(tochigi) 현(동경권의 북단에 위치하는 현)에 위치한다)과 대등한, 도쿄 근교를 대표하는 리조트(resort) 지·보양지·관광지·피서지입니다(하코네(hakone)는, 일본 유수한 온천지가 되고 있습니다).



후지야(fujiya) 호텔은, 하코네(hakone)를 대표하는, 고급 리조트(resort) 호텔의 하나입니다.후지야(fujiya) 호텔은, 전신의 온천 여관 시대도 포함하면(16 세기 후반에는, 한국에서는 악명이 높은(나쁜 의미로 유명한), 토요토미 히데요시(toyotomihideyoshi)도 숙박했습니다), 14 세기말로부터의(600년 이상의) 역사를 가지는(근대적인 리조트(resort) 호텔로 바뀌고 나서의 역사는, 1878년부터), 하코네(hakone)를 대표하는 고급 리조트(resort) 호텔입니다.



후지야(fujiya) 호텔은, 제2차 세계대전전에는, 일본내 뿐만 아니라, (일본 이외의) 동쪽·동남아시아 거주의 구미인 부유층의 사이에서도, 동양 유수한 리조트(resort) 호텔로서 알려져 있었습니다.후지야(fujiya) 호텔에는, 지금까지, 손문(Sun Yat-sen)(일본에 2도, 망명해, 망명중은, 일본의, 실업가등으로부터 지원을 받고, 유복한 생활을 하고 있던), 찰리·채플린(Charlie Chaplin), 프랭크·로이드·라이트(Frank Lloyd Wright), 헬렌·켈러(Helen Keller), 존·레넌(John Lennon)·오노 요코(onoyoko) 부부등 , 세계적인 저명인도 방문하고 있습니다.



덧붙여서, 나는, 후지야(fujiya) 호텔은, 지금까지, 6회, 숙박하고 있는(몇년전, (우리 집의 부근의 나의 친가의) 부모님을 동반하고, 하코네(hakone)의, 후지야(fujiya) 호텔에 숙박해 왔을 때의, 1회를 제외해, (나머지의 5회는), 모두, couple(여성과 2명)로의 숙박).



덧붙여서, 후지야(fujiya) 호텔은, 작년의(2018년의) 4월부터, 2020년의 7월까지, 건물의 내진 보강 공사 (위해)때문에, 기본적으로 폐관이 되고 있습니다.

열차의, 로망스카(romance car)에 관해서는, 이하의 투고를 참조해 주세요.

특급 열차의 추억→
/jp/board/exc_board_1/view/id/3398328?&sfl=membername&stx=nnemon2


나는, 하코네(hakone)에, 놀이에 방문할 때는, 통상, 자동차로 방문합니다.

이하, 참고의 투고(작년의 10월에, 나의 지금의 그녀와 자동차로, 당일치기로, 하코네(hakone)에 놀러 갔다 왔을 때의 물건입니다).

하코네 drive&음식→
/jp/board/exc_board_24/view/id/2734158/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon



이하, 「」 안.전의 나의 투고의 다른 분의 레스에 대한 나의 레스보다...(이하, 「」 안은, 이 투고때의 일을 말합니다).

「 나는, 하코네를 방문할 때는, 통상은, 옛부터 자동차로 방문하고 있습니다만, 꽤 전의 일입니다만, 매우 오랫만에 로망스카를 타(로망스카를 타고 하코네에 놀러 가는 것은, 그 때, 아이때 이래였습니다.덧붙여서, 그 때는, VSE를 이용했습니다), 일박 이틀에 하코네에 놀러 가, 하코네 등산 전철(그 때, 꼭, 자양화의 시기였습니다), 케이블카, 로프 웨이, 해적선이라고 말하는, 하코네의 즐기는 방법을 했습니다만, 그렇게 말하는 하코네의 즐기는 방법도 좋네요^^

그 때, 물론 자신들도 즐거웠지만, 로망스카의 차내에서, (아마 하코네의 온천숙소에 일박 이틀에 숙박의 여행이다) 아마 대학생끼리의, 즐거운 듯이 하고 있는 커플을 보고, 나는 옛부터(대학생의 무렵부터), 교제하고 있는 여자 아이 또 사이가 좋은 여자 아이와의 둘이서의, 하코네의 온천숙소의 숙박 여행 또는 당일치기 여행이라고 말하면, 오로지 차였으므로, 대학생의 무렵, 교제하고 있는 여자 아이와 의 로망스카로의 하코네의 온천숙소의 숙박 여행도 해 두면, 그것은 그래서 좋은 추억이 되었는지라고 생각했던 w」




덧붙여서, 투고문안에, 「방의 열쇠.과연, 이만큼 크고 무거우면, 나도 아니고 없다고 생각했습니다만 w, 역시, (이렇게 되면, 개그라고 말할 수 있을지도 모릅니다만), 방안에서, 일순간 없애고, 조금 찾았던 w」라고 하는 에피소드가 나옵니다만, 나의, 성격의, 대략적인 면이 있어, 세세한 일은 신경쓰지 않는(나쁘게 말하면, 야무지지 못한 면도 있는 w)라고 하는 면은, 나의 부모님( 나의 부모님모두, 그 님면이 있어요 w), 및, 나의 외가의 조모로부터 계승했습니다(덧붙여서, 나도, 나의 부모님도, 나의 외가의 조모도, 어디까지나, 성격에, 야무지지 못한 면도 있다고 하는 이야기이며, 성격이, 전반적으로, 야무지지 못하다고 하는 것이 전혀 없습니다).또, 거기에 관련하고, 나의 부모님도, 나의 외가의 조모도, 각각, 성격위, 천연의 면이 있다의입니다만, 천연의 면이 있다라고 하는 것에 관해서도, 나는, 나의 부모님과 나의 외가의 조모로부터, 계승했던 w




이하, 과거에 간 투고로부터 발췌해 온 것입니다...




7 월초에, 그녀와 하코네(hakone)에, 1박 2일의 짧은 여행에 갔다 왔을 때의 물건입니다.


지금까지, 하코네(hakone)에, 놀러 갈 때는, 오로지 자동차를 사용해 왔습니다만, 이번 전철을 사용해 가 보았습니다.하코네(hakone)까지는, 로망스카(romancecar)를 사용했습니다.로망스카를 사용하고, 하코네(hakone)에, 놀러 가다니 아이때 이래입니다.덧붙여서, 우리 집의 근처역은, 도쿄도심부에서 하코네(hakone)로 향하는 노선에 있습니다만, 로망스카는, 정차하지 않기 때문에, 5분 정도입니다만, 1도역방향으로 전철을 타고, 신쥬쿠역에 가, 거기로부터 로망스카에 승차하는 일이 됩니다.




로망스카(romancecar)의 차내(VSE 차량을 이용했습니다).쭉 그녀를 창가의 자리에 앉게 해 주고 있었습니다만, 마지막 분만, 조금 석을 교체해 받았습니다.





사진 이하 4매.하코네(hakone) 등산 전철.1919년부터의 역사를 가지는 산악 철도입니다.하코네(hakone) 등산 전철은, 자양화의 꽃의 시기에, 선로 가의 긴 거리에 건너 피는, 자양화의 꽃이, 명물이 되고 있고, 도쿄 에리어(area)에서는, 잘 알려져 있습니다.나는, 자양화의 꽃의 시기에, 하코네(hakone) 등산 전철을 타는 것은, 이번이 처음이었지만, 기대가, 너무 컸는지, 기대하고 있었을 정도, 훌륭한 것이 아니었습니다(조금 실망).








사진은, 낡은 차량.하코네(hakone) 등산 전철에서는, 1950년대(혹은, 그 이전?)(으)로부터의, 낡은 차량이, 현역으로 달리고 있습니다.














사진 이하 5매.고우라(goura) 지구에 있는 고우라(goura) 공원.현재는, 단순한 공원이라고 한 느낌입니다만, 제2차 세계대전전은, 피서등으로, 하코네(hakone)에서 보내는, (귀족, 자본가, 실업가등의) 상류계급의 사람들의 사교의 장소였습니다(원래는, 피서등으로, 하코네(hakone)에서, 별장등에서 보내는 상류계급을 위한 사교의 장소로서 1914년에 정비된 공원).






















사진 이하 2매.후지야(fujiya) 호텔이 있다 미야노시타(miyanoshita) 지구에 있는 와타나베(watanabe) 베이커리(bakery).건물이야말로, 시대에 맞추어 다시 세워지고 있다고 생각합니다만, 1891년에, 리조트(resort) 지의 빵집으로서 개업한, 역사가 있는, 작은 빵집입니다.






와타나베(watanabe) 베이커리(bakery)에서 먹은, 이 때의 첫날(이하, 이 날이라고 씁니다)의 점심 식사.온천 스튜(stew) 빵(덧붙여서, 하코네(hakone)는, 일본 유수한 온천지입니다).한 명 한 개씩.춘경의 sunkujira씨의 투고를 보고, 먹고 싶어진 것입니다.빵의 그릇에 들어가 있는 스튜(stew)는, 빵가게의 스튜(stew) 그렇다고 해서 손이 뽑아지고 있다고 하는 일은, 전혀 없고, 제대로, 제대로 한 스튜(stew)로, 맛있었습니다.




사진 이하 37매.하코네에서는, 이번, 저희들은, 미야노시타(miyanoshita) 지구에 있는, 후지야(fujiya) 호텔에 숙박했습니다.



본관.1891년에 지어진 건물에서, 주로, 로비(Lobby)와 객실로서 사용되고 있습니다.후지야(fujiya) 호텔의 현관의 역할을 이루어 있는 건물임과 동시에, 현존 하는 숙박 가능한 후지야(fujiya) 호텔 건물 중(안)에서는, 가장 낡은 것입니다.





여행지의 만남이라고 말하는 것입니까, 후지야(fujiya) 호텔의 본관의 건물은, 후지야(fujiya) 호텔의 중심적인 건물로서 후지야(fujiya) 호텔의 넓은 부지내의 님 들인 건물에 분산해 숙박하고 있는, 후지야(fujiya) 호텔의 숙박객들이, 만나, 교류하는 장소로서의 역할도, 과연 있습니다(덧붙여서, 나는, 근본적으로는 shy인 성격이므로, 그렇게 말하는 것은, 기본적으로는 서투른 w).




사진 이하 2매.이 때, 후지야(fujiya) 호텔의 본관의 티라운지(tea lounge)로, 음료와 함께 먹은 것.



그녀가 먹은, 차넣은·차푸딩(적어도, NHK의 아나운서의 개그보다 센스가 있다라고 생각하는 w).찰리·채플린(Charlie Chaplin)은, 1932년에 1회, 1936년에 2회, 제2차 세계대전 후의, 1961년에 1회와 합계 4회, 일본 방문하고 있습니다만, 1932년의 첫일본 방문시에, 찰리·채플린(Charlie Chaplin)이, 후지야(fujiya) 호텔을 방문한 일에 연관된 메뉴(menu)입니다.찰리·채플린(Charlie Chaplin)이, 영국 출신인 일에 연관되어, 아르 그레이(Earl Gray tea) 홍차 푸딩(pudding)과 아르 그레이(Earl Gray tea) 시폰 케이크(chiffon cake)입니다.



내가 먹은, 대리석 케이크(marble cake) 나무쪽 세공풍.맛은, 1940년대 후반의, 대리석 케이크(marble cake)의 맛을 재현한 것입니다.나무쪽 세공은, 색이나 나뭇결이 다른 목재의 소편을, 주로 기하학적으로 조합하고, 님 들인 형태나 모양을 만드는 세공입니다.나무쪽 세공(의 물건)은, 하코네(hakone)의 공예(물건)로서 유명합니다만, 그 역사는, 의외로 얕고, 19 세기 전반무렵부터입니다.




사진 이하 17매.이 때, 저희들이 숙박한, 후지야(fujiya) 호텔의 꽃저택(1936년에 지어진 것입니다).현존 하는, 숙박 가능한, 제2차 세계대전전에 지어진, 후지야(fujiya) 호텔의 건물 중(안)에서는, 최대 규모이며, 현재의 후지야(fujiya) 호텔의 상징적인 건물로서 후지야(fujiya) 호텔의 이미지 사진에, 잘 사용되는 건물입니다.























사진 이하 12매.꽃저택의 객실.저희들이, 이번 숙박한 객실에서, 꽃저택의 객실안에서, 가장 숙박비가 싼 class의 객실입니다.꽃저택은, 43의 객실 모두에, 각각 다른 꽃의 이름을 붙일 수 있고 있습니다.저희들은, 이 때, 연꽃(Lotus)의 방에 숙박했습니다.옛날에 지어진, 호텔 건축의 건물이기 때문인가, 천정도 높고, 방의 구조가, 전반적으로, 느긋하고 있습니다.방의 크로젯트도, 대나무눈으로, 무리하면, 어른 열 명위가, 안에 숨을 수가 있을 것 같습니다 w.



방의 도어(door).





방의 열쇠.과연, 이만큼 크고 무거우면, 나도 아니고 없다고 생각했습니다만 w, 역시, (이렇게 되면, 개그라고 말할 수 있을지도 모릅니다만), 방안에서, 일순간 없애고, 조금 찾았던 w.





















책상은, 그녀와 두 명 줄서, 여행기에서도 적고 싶은 기분(붙이지 않지만 w).

















객실의 욕실(bathroom) 안의 화장실의 도어(door).과연 해를 거듭하고 있을 것 같은, 목제의 도어(door)입니다.덧붙여서, 후지야(fujiya) 호텔에서는, 모든 객실의 목욕탕에 원천 내기 흘려 보내기의 온천이 끌리고 있습니다.





객실의 큰 창으로부터 바라본, 황혼시의 풍경.





메인 식당(main dining room)의 건물.1930년에 지어진 건물에서, 후지야(fujiya) 호텔의 넓은 부지내에 있는, 8의 주된 건물 중의 하나입니다.후지야(fujiya) 호텔의 다른 대부분의 주된 건물과 같이, 문화재로 지정되어 있습니다.




사진 이하 15매.후지야(fujiya) 호텔의 주식당(main dining room), 「The Fujiya」.




















사진 이하 6매.이 때, 저희들이, 후지야(fujiya) 호텔의 메인 식당(main dining room), 「The Fujiya」로 먹은 저녁 식사등.



이 저녁 식사시에, 내가 마신, 음료의 하나(최초의 한 잔).자양화를 이미지 한, 보드카(vodka) 베이스(base)의 칵테일(cocktail)입니다.이 때, 후지야(fujiya) 호텔에 숙박했을 때는, 꼭, 하코네에서, 자양화의 꽃이, 만개의 무렵이었습니다.이 저녁 식사시는, 음료는, 술은, 이 외, 와인(wine)을 마셨습니다.





사진 이하 6매.후지야(fujiya) 호텔의 메인 식당(main dining room)에서 먹은, 이 날의 저녁 식사.이것에, 팬이 뒤따릅니다.




전채.게와 아티 초크(artichoke)의 바바 로와(bavarois), 게된장(게안의, 점도색 드로드로로 한 부분.맛있다.) 소스(sauce).일인일명씩(사진은, 일인분).



사진 이하 2매.스프(soup).



내가 마신, 콩소메(consomme) 스프(soup), 쥰 사이(순나물)들이.




그녀가 마신, 토마토(tomato)의 포타주(potage).




어의 메인(main) 요리.참돔(도미)의 포와레(poele), 포동포동 토마토(tomato) 소스(sauce) 더해져라.소스(sauce)는, 후란보워즈(framboise, 나무딸기)로 색을 붙일 수 있고 있고, 그 풍미가 효과가 있고 있어 맛있었습니다.일인일명씩(사진은, 일인분).





고기의 메인(main) 요리.쇠고기, 필레(fillet) 육의 스테이크(steak).일인일명씩(사진은, 일인분).





디저트(dessert).백도(복숭아)의 콤포트(compote) 붉은 프루츠(fruit) 풍미.코코넛(coconut)의 샤벳(sorbet)과 히알론산넣은 쥬레(jelly)를 딸리게 해.크랜베리(cranberry), 블루베리(blueberry), 스그리(gooseberry)가, 더해지고 있습니다.일인일명씩(사진은, 일인분).



사진 이하 4매.후지야(fujiya) 호텔의 메인 식당(main dining room)에서 먹은, 다음날(이하, 이 날이라고 씁니다)의 아침 식사.기본적인 메뉴(식사)에서도, 질이, 높고 맛있습니다.



사진 이하 2매.내가 먹은 것.



팬케이크(pancake), 후지야(fujiya) 풍.크레페(crepe)와 같이, 얇게 구운 팬케이크(pancake)입니다.이것에, 기호로, 벌꿀, 메이플 시럽(maple syrup) 등을, 들여 먹습니다.




베이컨(bacon)은, 유등이나 눈에 구워 주었습니다.



사진 이하 2매.그녀가 먹은 것.


치즈 오믈렛(cheese omelette).




빵.




하코네(hakone) 등산철도.1919년부터의 역사를 가지는 산악 철도입니다.




사진 이하 6매.pola 미술관.하코네에 있는, 사영 미술관 중의 하나로, 수장품(collection)은, 일본의 대기업(대규모) 화장품 회사 중의 하나인 「pola」의 오너(owner)의 개인 콜렉션(collection)이, 기본으로 되어 있습니다.「pola」미술관은, 서양의 유명한 화가들의 작품을 중심으로서 폭의 넓은, 매우 충실한 수장품(collection)을 가지고 있어(서양의 초일류 화가들의 작품의 매우 충실한 콜렉션(collection)에 가세해 일본의 일류 화가들의 작품이나 동양 자기등에 대해서도 충실한 콜렉션(collection)을 가진다), 매우 볼 만한 가치가 있는 미술관입니다.pola 미술관은, 충실한 콜렉션(collection)에 가세해 미술관 자체의 분위기도 좋고, 나의 마음에 드는 미술관의 하나가 되고 있습니다.










이 때, pola 미술관을 방문했을 때는, pola 미술관에서는, 르노워르(Renoir), 모디리아니(Modigliani), 피카소(Picasso)의 손에 의한 초상화등 , 19 세기부터 20 세기의 초상화를 중심으로 한, 「초상의 100년」이라고 하는 전람회(exhibition)가 거행되고 있었습니다.pola 미술관은, 수장품(collection)이, 매우 충실하기 때문에(위해), 전람회(exhibition)도, 다른 미술관으로부터, 그렇게, 미술품을 빌려 오지 않아도, 거의 수장품(collection)으로, 조달해 버리고 있다고 하는 느낌입니다.이 전람회(exhibition)도, 그런 느낌이었습니다.



팜플렛(leaflet)보다...이 전람회(exhibition)의 전시 작품예.사진왼쪽, 꽃다발을 가지는 피에로에 분장한 파울로/피카소 (Picasso) 1929년.사진 오른쪽, 레이스의 모자의 소녀/르노워르(Renoir) 1891년.어느 쪽도, pola 미술관의 수장 작품(collection)입니다.




사진 이하 3매.이 날의 점심 식사는, pola 미술관의 레스토랑에서 먹었습니다.






내가 먹은, 누마즈(numazu) 항(하코네(hakone)의 근처 어항 중의 하나) 직송의 어패류(seafood)와 닭고기 경단에 야채를 곁들인, 매운 맛 씨푸드(seafood) 카레(curry).이 카레(curry)를 먹는 것은, 이번에 2번째입니다만, 맛있습니다.단지, 매운 맛이라고는 말하지만, 괴로움은, 상당히 조심스러워서, 괴로운 카레(curry)를 좋아하는 사람에게는, 어딘지 부족할지도...



그녀가 먹은, 어패류(seafood)의 라이스(rice) 누들(noodle), 베트남(Vietnam) 풍.





하코네 로프 웨이(aerial lift)(1959년에 영업을 개시).





지표로부터, 온천의 증기가 불기 시작하고 있습니다.하코네는, 일본 유수한 온천지입니다.



사진 이하 2매.아시노코(ashino호수).하코네에 있는 큰 호수입니다.







아시노코(ashino호수)의, 서양의 낡은 해적선을 이미지 한 형태의 유람선




사진 이하 2매.이 날의 저녁 식사는, 적당하게 눈에 띈, 하코네 유모토(hakoneyumoto) 역의 가까이의 편리한 입지의, 서민적, 한편, 관광객 익숙해져 하고 있을 것 같은 w, 소바 식당에서 먹었습니다(이 소바 식당은, 이 때, 처음으로 이용했습니다).하코네 유모토(hakoneyumoto) 에리어(area)는, 하코네(hakone)의 현관이 되고 있는 에리어(area)입니다.소바는, 수타는 아니고, 맛은, 과연 관광객에게 응석부리고 있는 가게의 소바라고 한 느낌으로, 보통(개인적으로50%가 보통 맛이라고 하면40%미만정도)이라고 한 느낌이었습니다.소바의, 연결에, 마(참마)를 사용하고 있는 것 같습니다만, 이것과라고, 별로, 이 가게의 소바에, 개성을 주고 있는 것이 아니었습니다.



내가 먹은, 차가운 튀김국수.




그녀가 먹은, 차가운 버섯 소바.







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