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シン・ユンジェ記者 shishis111@mk.co.kr

入力 :  2023-03-25 06:01:00 修正 :  2023-03-26 11:36:43

[インタビュー7-1]ソウル大学歴史学部パクフン教授

「日本は歴史的にずっと朝鮮半島から先進文明を伝授されてきた。 そんな未開の島国が明治維新で幸運にも変身に成功し、急浮上して豊かになった。この時、日本に遅れをとった朝鮮は近代化の敷居を越えられず、その後、国権まで奪われる恥辱を味わった」。

私たちがよく知っている歴史です。しかし、当時、朝鮮は本当に惜しくも日本に遅れただけで、日本の成功はただたまたま手に入れた幸運に過ぎなかったのでしょうか?

ソウル大学校歴史学部のパク・フン教授は、日本の実体を正しく知ることで、日本の歴史、特に明治維新を見る必要があると強調します。韓国がいくつかの国力指標で日本を圧倒するほど成長した以上、今はもっと冷静で客観的に過去を見なければならないということです。

実際、日本による被害と敵意が韓国以上の中国でさえ、歴史教科書に日本の犯罪よりもはるかに大きな比重を置いて明治維新を扱っています。明治維新の前夜と呼ばれる江戸時代前後、日本と朝鮮はどのような状況で、またどのようなことがあったのでしょうか。パク・フン教授に聞きました。以下、一問一答。

Q.明治維新前の日本の経済、軍事力のレベルはどうでしたか?

A: 江戸時代の日本で経済的に大きな変動が起こります。戦国時代以降、17世紀を貫いてものすごい成長をしますね。 朝鮮もある程度の成長をしますが、この時、日本の成長率があまりにも高いので格差が広がります。当時はGDPの概念がなかったので正確には分かりませんが、経済規模で少なくとも2~3倍程度の格差があったと思われます。

軍事力の場合は言うまでもなく日本が優位でした。ご存知のように日本は武士、侍の国だったのに対し、朝鮮は文人、両班の国でした。 つまり、当時日本は全国的に50万人に達する武士が支配する国だったので、軍事力が朝鮮より強かったのです。

また、朝鮮の場合、丙子胡乱で清国に敗北した後、隣に対抗できない強国ができた状況だったので、事実上武装する意味がない側面もありました。 そのため、当時の朝鮮はほとんど国防力を使わなかった非武装に近い国だったと言えます。

Q.それ以前はどうだったのですか? 壬辰わ乱がきっかけになったのでは? 朝鮮から持ってきた性理学、陶磁器などの影響もあるようですが。

A: では、朝鮮時代以前、高麗時代や室町幕府時代はどうだったのか? これを学問的に証明するには様々な資料が必要ですが、不足しているし、研究もしっかりしていないので、今は分かりません。 今分かっているのは、16世紀末の壬辰わ乱が起きる前、16世紀前半から中頃から日本が急激に成長し、先ほど述べたように、江戸時代には日本がはるかに進んでいたということくらいです。

朝鮮が壊滅的な打撃を受けて回復にかなり長い時間がかかり、両国間の格差拡大に影響を与えたと言えます。しかし、日本が最終的に朝鮮の領土を奪うことに失敗したので、大きな助けになったとは言えません。

朝鮮から渡来した性理学が江戸時代に思想的に大きな役割を果たすようになり、朝鮮の陶工たちも渡来し、日本の陶磁器産業に大きな影響を与えたのも事実です。ただ、これも日本経済全体の成長において陶磁器産業は一部ですから、これが日本経済成長全体を推進したとは言えず、一つの部分だったと言えます。

Q.江戸時代の商業と貨幣経済が発達し、出版、観光産業も成長したと聞きましたが、どの程度でしたか?

A:18世紀の日本は世界で最も都市化率が高かった社会でした。 当時、ヨーロッパが人口10万人以上の都市に全人口の2%が居住していたのに対し、日本は5~6%が住んでいました。 都市人口の割合が高いので、専業作家や専門出版社ができるような消費人口があったのです。 消費人口が多いからこそ、商業と貨幣経済が一気に発達したのです。 これが当時の朝鮮と最も違う点です。

だからこの時、純粋に商業の論理だけで出版し、自生できる市場が広く広がるようになりました。ベストセラー作家、専門小説家が出てきて、本の大量生産のための木版印刷術も発展します。

また、経済成長で村落が豊かになったため、農民がレジャー活動に取り組むようになりました。 農閑期を利用して数十、数百万人単位で伊勢神宮まで旅行に出かけることが流行のように広がり、旅行ガイドブックも大量に出版されます。 このように観光業が活発になるのも、都市が発展して所得が増えたおかげです。

Q.朝鮮が商業、貨幣経済が発達しなかったのは性理学が原因ですか? これによって滅びたと言えるのでしょうか?

A: そう見るしかないと思います。朝鮮の両班層の支配イデオロギーであった性理学は基本的に富国強兵を排斥しましたから。 一度富国をするには商売をしなければならないのですが、商売というのは貧富の格差を発生させます。朝鮮の為政者たちが最も懸念していたのは、富が蓄積され、商品や貨幣経済が発達すると、その恩恵を均等に受けるのではなく、必ず貧富の差が生じるということでした。

だから、下方平準化されても商業を抑制しようとしたのです。 みんなで適度に生産して適度に分け合うのが良いという哲学の中で、商業は必要最低限に制限するのが良いと考えたからです。 商業が抑制されると、当然貨幣経済は出てくることができませんでした。

実は性理学は非常に幅広い思想体系です。その中に実学もあります。 性理学のこのような特定の部分、利用厚生という経済政策と実用主義を強調する面を非常に強調した人々が実学者です。実学を遠ざけ、道徳的修養のようなものだけを強調する側面も性理学にあります。

ただ、朝鮮の場合、実学的側面が弱く、高談峻論、道学的側面だけに集中していたら、富国強兵に適切に対処できなかった側面が確かにありました。 そして、このような点が亡国の大きな原因の一つであることは確かです。

Q.性理学が朝鮮から日本に伝播されましたが、日本にはどんな影響を与えましたか?

A:性理学が日本で果たした歴史的役割は、朝鮮とはかなり異なります。日本で性理学が普及し始めたのは江戸時代に入ってからですが、日本は朝鮮よりもはるかに徹底した世襲的で血統的な身分社会でした。

しかし、性理学は修養を重視し、君子になるためには誰でも本を熱心に読んで勉強しなければなりませんでした。高貴な身分であっても過去をつけなければ政治家になって上に上がることができませんでした。 ある意味、能力主義的な側面があったのです。 江戸時代までは日本で官僚は世襲制でしたが、明治時代になって試験で官僚を選抜するようになりました。能力主義を重視する性理学的な影響といえるでしょう。

また、性理学によれば、天皇が王になるべきで、幕府の将軍というのは武力で政権を握った人なので、王になってはいけないということでした。 ですから、明治維新で将軍から天皇に王政が復活したのは、性理学的に歓迎すべきことでした。

このような背景から、性理学が当時の尊王思想の根源として、日本の幕府体制を終わらせ、王政復古に役割を果たしたのです。 封建制だった日本を変えるのにも一役買いました。 一人の王の下で万民が統一された社会が性理学的な理念に合致したからです。 だから日本の場合、性理学が明治維新にかなりポジティブな影響を与えたと言えるのです。

Q.アジアでなぜ日本だけが近代化に成功したのか?

A:先ほど述べたように、江戸時代の高い都市化率と急速な経済成長が要因として挙げられます。幕府があった江戸は人口が100万人だったのですが、漢陽が25万人くらいでしたから、4倍くらいだったんですね。 大阪、京都は全部で30万人を超え、周辺には人口5万~10万人くらいの城下町(城下町-藩主の城を中心に形成された都市)もたくさんありました。

これだけ多くの人口が密集して住んでいたからこそ、衛生のための上下水道とか、秩序、規律といった近代的な要素が容易に培われたのです。

また、近代というのは戦争の中で生まれるという側面もあり、これを「ミリタリー・レボリューション」と言いますが、ヨーロッパも数々の戦争を経て財政国家が作られ、富国強兵策が作られ、重商主義が採用され、近代化を成し遂げたのです。 日本は江戸時代、長期間の戦争はありませんでしたが、武家支配体制が続いていたので、軍隊文化特有の効率性、競争といった近代的な美徳が浸透しやすい環境でした。

こうした客観的な条件に加え、最終的には政治主体の問題があります。明治維新を主導した中心勢力である下級武士たちが、ヨーロッパの近代国家をモデルにした社会改造を行うという非常に明確な目的を持って団結しました。 そしてそれを集中的に推し進めていきました。

例えば、明治維新といえば必ず言及される坂本龍馬という人物がいます。 彼の主張の要点は、海軍と貿易を育成すべきだということでした。 1860年代の朝鮮では大院君が鎖国政策をとっていましたが、この時、20代の青年龍馬は日本の生きる道は海軍と貿易にあることを正確に知り、実現しようとしたのです。

Q.朝鮮にはチャンスがなかった?

A: 甲申政変と甲午改革を主導していた人たちは、いわば「朝鮮版明治維新」をしようとした人たちです。 特に金玉均グループを中心に、朝鮮でもかなり有能な開化派が1880年代に入ってからたくさん育っていました。

しかし、甲申政変が急ぎすぎた面があり、結局、守旧派に一網打尽にされてしまいます。 清朝の元帥がやってきて政変を鎮圧し、以後10年近くも朝鮮で統監のように君臨します。 この時、開化派の人物が全て疎外されるなど、開化勢力が大きな打撃を受けます。

朝鮮が元帥と結託していた閔氏政権を倒し、再び甲申政変のような革命を成功させれば一番良いシナリオだったでしょう。 残念ながらそうはならず、清と日本軍が朝鮮半島で対峙して戦争が起こります。

1880年頃から1894年の清日戦争発生までの約15年間が朝鮮にとってチャンスの時期でした。1876年に朝鮮と江華島条約を締結した時の日本はまだ朝鮮を侵略するだけの国力がありませんでした。 日本がそのような意思と能力を持ったのは1890年代に入ってからですから。

清日戦争で日本が勝利し、閔氏政権が崩壊し、10年間も疎外されていた開化派人物が再び登用され、甲午改革を実施します。しかし、この時の政治的基盤は日本軍でした。 そのため、民心を得るのにかなりの障害要因となり、開化派自体も非常に分裂した状態でした。

Q.なぜ今、私たちが明治維新を見る必要があるのか?

A: 最近、一線の学校では国史だけを教え、以前よりも世界史を教えなくなりましたね。 世界史の中でも特に日本史は、日本が嫌いなので教えません。

しかし、私たちが憎めば憎むほど、また競争心を感じれば感じるほど、相手をもっと知る必要があります。明治維新は現在の日本を作った出発点であり、彼らが最も大きな革新を成し遂げた時期です。 ですから、当時、彼らにとってそれがどのように可能だったのか、また、なぜ私たちはそうできなかったのかということです。 大きな変化や危機が訪れた時にどのように反応し、克服するのか、その知恵を参考にするという点でもそうです。

私は韓国人だけでなく、最近の日本人も明治維新を勉強すべきだと思います。 今の日本人と明治維新時代の日本人は全く違う種族のように見えますから。

これまで韓国は頑張ってきましたが、今は世界的に非常に厳しい時期で、私たちも大きな岐路に立っています。 これをうまく突破できる道は、結局、自分の実力を磨くしかありません。 ですから、私たちが今、明治維新を含め、振り返るべき世界史的事実を一度真剣に勉強する必要があるということです。 これが、私たちがこれまで成し遂げたことをよく保存し、さらに発展させる原動力になると思います。

次回は「日本がここ数十年、衰退の沼に陥っている理由」についてパク・フン教授の意見を聞きます。下部の記者ページ”+購読”をクリックすると、簡単かつ迅速に受け取ることができます。インタビュー映像と詳細は、Maeil Business Wall Street JournalのYouTubeチャンネルでご確認いただけます。



「未開の島国」日本、運良く「成り上が」って朝鮮より先んじたか? [韓中日を見る]

シン・ユンジェ記者 shishis111@mk.co.kr

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[インタビュー7-1]ソウル大学歴史学部パクフン教授

「日本は歴史的にずっと朝鮮半島から先進文明を伝授されてきた。 そんな未開の島国が明治維新で幸運にも変身に成功し、急浮上して豊かになった。この時、日本に遅れをとった朝鮮は近代化の敷居を越えられず、その後、国権まで奪われる恥辱を味わった」。

私たちがよく知っている歴史です。しかし、当時、朝鮮は本当に惜しくも日本に遅れただけで、日本の成功はただたまたま手に入れた幸運に過ぎなかったのでしょうか?

ソウル大学校歴史学部のパク・フン教授は、日本の実体を正しく知ることで、日本の歴史、特に明治維新を見る必要があると強調します。韓国がいくつかの国力指標で日本を圧倒するほど成長した以上、今はもっと冷静で客観的に過去を見なければならないということです。

実際、日本による被害と敵意が韓国以上の中国でさえ、歴史教科書に日本の犯罪よりもはるかに大きな比重を置いて明治維新を扱っています。明治維新の前夜と呼ばれる江戸時代前後、日本と朝鮮はどのような状況で、またどのようなことがあったのでしょうか。パク・フン教授に聞きました。以下、一問一答。

Q.明治維新前の日本の経済、軍事力のレベルはどうでしたか?

A: 江戸時代の日本で経済的に大きな変動が起こります。戦国時代以降、17世紀を貫いてものすごい成長をしますね。 朝鮮もある程度の成長をしますが、この時、日本の成長率があまりにも高いので格差が広がります。当時はGDPの概念がなかったので正確には分かりませんが、経済規模で少なくとも2~3倍程度の格差があったと思われます。

軍事力の場合は言うまでもなく日本が優位でした。ご存知のように日本は武士、侍の国だったのに対し、朝鮮は文人、両班の国でした。 つまり、当時日本は全国的に50万人に達する武士が支配する国だったので、軍事力が朝鮮より強かったのです。

また、朝鮮の場合、丙子胡乱で清国に敗北した後、隣に対抗できない強国ができた状況だったので、事実上武装する意味がない側面もありました。 そのため、当時の朝鮮はほとんど国防力を使わなかった非武装に近い国だったと言えます。

Q.それ以前はどうだったのですか? 壬辰わ乱がきっかけになったのでは? 朝鮮から持ってきた性理学、陶磁器などの影響もあるようですが。

A: では、朝鮮時代以前、高麗時代や室町幕府時代はどうだったのか? これを学問的に証明するには様々な資料が必要ですが、不足しているし、研究もしっかりしていないので、今は分かりません。 今分かっているのは、16世紀末の壬辰わ乱が起きる前、16世紀前半から中頃から日本が急激に成長し、先ほど述べたように、江戸時代には日本がはるかに進んでいたということくらいです。

朝鮮が壊滅的な打撃を受けて回復にかなり長い時間がかかり、両国間の格差拡大に影響を与えたと言えます。しかし、日本が最終的に朝鮮の領土を奪うことに失敗したので、大きな助けになったとは言えません。

朝鮮から渡来した性理学が江戸時代に思想的に大きな役割を果たすようになり、朝鮮の陶工たちも渡来し、日本の陶磁器産業に大きな影響を与えたのも事実です。ただ、これも日本経済全体の成長において陶磁器産業は一部ですから、これが日本経済成長全体を推進したとは言えず、一つの部分だったと言えます。

Q.江戸時代の商業と貨幣経済が発達し、出版、観光産業も成長したと聞きましたが、どの程度でしたか?

A:18世紀の日本は世界で最も都市化率が高かった社会でした。 当時、ヨーロッパが人口10万人以上の都市に全人口の2%が居住していたのに対し、日本は5~6%が住んでいました。 都市人口の割合が高いので、専業作家や専門出版社ができるような消費人口があったのです。 消費人口が多いからこそ、商業と貨幣経済が一気に発達したのです。 これが当時の朝鮮と最も違う点です。

だからこの時、純粋に商業の論理だけで出版し、自生できる市場が広く広がるようになりました。ベストセラー作家、専門小説家が出てきて、本の大量生産のための木版印刷術も発展します。

また、経済成長で村落が豊かになったため、農民がレジャー活動に取り組むようになりました。 農閑期を利用して数十、数百万人単位で伊勢神宮まで旅行に出かけることが流行のように広がり、旅行ガイドブックも大量に出版されます。 このように観光業が活発になるのも、都市が発展して所得が増えたおかげです。

Q.朝鮮が商業、貨幣経済が発達しなかったのは性理学が原因ですか? これによって滅びたと言えるのでしょうか?

A: そう見るしかないと思います。朝鮮の両班層の支配イデオロギーであった性理学は基本的に富国強兵を排斥しましたから。 一度富国をするには商売をしなければならないのですが、商売というのは貧富の格差を発生させます。朝鮮の為政者たちが最も懸念していたのは、富が蓄積され、商品や貨幣経済が発達すると、その恩恵を均等に受けるのではなく、必ず貧富の差が生じるということでした。

だから、下方平準化されても商業を抑制しようとしたのです。 みんなで適度に生産して適度に分け合うのが良いという哲学の中で、商業は必要最低限に制限するのが良いと考えたからです。 商業が抑制されると、当然貨幣経済は出てくることができませんでした。

実は性理学は非常に幅広い思想体系です。その中に実学もあります。 性理学のこのような特定の部分、利用厚生という経済政策と実用主義を強調する面を非常に強調した人々が実学者です。実学を遠ざけ、道徳的修養のようなものだけを強調する側面も性理学にあります。

ただ、朝鮮の場合、実学的側面が弱く、高談峻論、道学的側面だけに集中していたら、富国強兵に適切に対処できなかった側面が確かにありました。 そして、このような点が亡国の大きな原因の一つであることは確かです。

Q.性理学が朝鮮から日本に伝播されましたが、日本にはどんな影響を与えましたか?

A:性理学が日本で果たした歴史的役割は、朝鮮とはかなり異なります。日本で性理学が普及し始めたのは江戸時代に入ってからですが、日本は朝鮮よりもはるかに徹底した世襲的で血統的な身分社会でした。

しかし、性理学は修養を重視し、君子になるためには誰でも本を熱心に読んで勉強しなければなりませんでした。高貴な身分であっても過去をつけなければ政治家になって上に上がることができませんでした。 ある意味、能力主義的な側面があったのです。 江戸時代までは日本で官僚は世襲制でしたが、明治時代になって試験で官僚を選抜するようになりました。能力主義を重視する性理学的な影響といえるでしょう。

また、性理学によれば、天皇が王になるべきで、幕府の将軍というのは武力で政権を握った人なので、王になってはいけないということでした。 ですから、明治維新で将軍から天皇に王政が復活したのは、性理学的に歓迎すべきことでした。

このような背景から、性理学が当時の尊王思想の根源として、日本の幕府体制を終わらせ、王政復古に役割を果たしたのです。 封建制だった日本を変えるのにも一役買いました。 一人の王の下で万民が統一された社会が性理学的な理念に合致したからです。 だから日本の場合、性理学が明治維新にかなりポジティブな影響を与えたと言えるのです。

Q.アジアでなぜ日本だけが近代化に成功したのか?

A:先ほど述べたように、江戸時代の高い都市化率と急速な経済成長が要因として挙げられます。幕府があった江戸は人口が100万人だったのですが、漢陽が25万人くらいでしたから、4倍くらいだったんですね。 大阪、京都は全部で30万人を超え、周辺には人口5万~10万人くらいの城下町(城下町-藩主の城を中心に形成された都市)もたくさんありました。

これだけ多くの人口が密集して住んでいたからこそ、衛生のための上下水道とか、秩序、規律といった近代的な要素が容易に培われたのです。

また、近代というのは戦争の中で生まれるという側面もあり、これを「ミリタリー・レボリューション」と言いますが、ヨーロッパも数々の戦争を経て財政国家が作られ、富国強兵策が作られ、重商主義が採用され、近代化を成し遂げたのです。 日本は江戸時代、長期間の戦争はありませんでしたが、武家支配体制が続いていたので、軍隊文化特有の効率性、競争といった近代的な美徳が浸透しやすい環境でした。

こうした客観的な条件に加え、最終的には政治主体の問題があります。明治維新を主導した中心勢力である下級武士たちが、ヨーロッパの近代国家をモデルにした社会改造を行うという非常に明確な目的を持って団結しました。 そしてそれを集中的に推し進めていきました。

例えば、明治維新といえば必ず言及される坂本龍馬という人物がいます。 彼の主張の要点は、海軍と貿易を育成すべきだということでした。 1860年代の朝鮮では大院君が鎖国政策をとっていましたが、この時、20代の青年龍馬は日本の生きる道は海軍と貿易にあることを正確に知り、実現しようとしたのです。

Q.朝鮮にはチャンスがなかった?

A: 甲申政変と甲午改革を主導していた人たちは、いわば「朝鮮版明治維新」をしようとした人たちです。 特に金玉均グループを中心に、朝鮮でもかなり有能な開化派が1880年代に入ってからたくさん育っていました。

しかし、甲申政変が急ぎすぎた面があり、結局、守旧派に一網打尽にされてしまいます。 清朝の元帥がやってきて政変を鎮圧し、以後10年近くも朝鮮で統監のように君臨します。 この時、開化派の人物が全て疎外されるなど、開化勢力が大きな打撃を受けます。

朝鮮が元帥と結託していた閔氏政権を倒し、再び甲申政変のような革命を成功させれば一番良いシナリオだったでしょう。 残念ながらそうはならず、清と日本軍が朝鮮半島で対峙して戦争が起こります。

1880年頃から1894年の清日戦争発生までの約15年間が朝鮮にとってチャンスの時期でした。1876年に朝鮮と江華島条約を締結した時の日本はまだ朝鮮を侵略するだけの国力がありませんでした。 日本がそのような意思と能力を持ったのは1890年代に入ってからですから。

清日戦争で日本が勝利し、閔氏政権が崩壊し、10年間も疎外されていた開化派人物が再び登用され、甲午改革を実施します。しかし、この時の政治的基盤は日本軍でした。 そのため、民心を得るのにかなりの障害要因となり、開化派自体も非常に分裂した状態でした。

Q.なぜ今、私たちが明治維新を見る必要があるのか?

A: 最近、一線の学校では国史だけを教え、以前よりも世界史を教えなくなりましたね。 世界史の中でも特に日本史は、日本が嫌いなので教えません。

しかし、私たちが憎めば憎むほど、また競争心を感じれば感じるほど、相手をもっと知る必要があります。明治維新は現在の日本を作った出発点であり、彼らが最も大きな革新を成し遂げた時期です。 ですから、当時、彼らにとってそれがどのように可能だったのか、また、なぜ私たちはそうできなかったのかということです。 大きな変化や危機が訪れた時にどのように反応し、克服するのか、その知恵を参考にするという点でもそうです。

私は韓国人だけでなく、最近の日本人も明治維新を勉強すべきだと思います。 今の日本人と明治維新時代の日本人は全く違う種族のように見えますから。

これまで韓国は頑張ってきましたが、今は世界的に非常に厳しい時期で、私たちも大きな岐路に立っています。 これをうまく突破できる道は、結局、自分の実力を磨くしかありません。 ですから、私たちが今、明治維新を含め、振り返るべき世界史的事実を一度真剣に勉強する必要があるということです。 これが、私たちがこれまで成し遂げたことをよく保存し、さらに発展させる原動力になると思います。

次回は「日本がここ数十年、衰退の沼に陥っている理由」についてパク・フン教授の意見を聞きます。下部の記者ページ"+購読"をクリックすると、簡単かつ迅速に受け取ることができます。インタビュー映像と詳細は、Maeil Business Wall Street JournalのYouTubeチャンネルでご確認いただけます。




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