원래고구마는 남미에서 잡히는 것으로, 일본에 들어간 것은 1604년야국총관(명에의 진공선의 사무직장)에 의해서 일단 류큐국(현오키나와)에 들어갔습니다.그 자취로 류큐국에서는 「컬러 고구마」라고 불리고 있던 것 같습니다.그 후, 류큐국으로부터 사츠마(현재의 카고시마현)에 들어오게 되어, 또 사츠마로부터 혼슈에 들어갑니다.혼슈(에도)에서는, 고구마가 사츠마로부터 들어온 것에 의해, 고구마의 이름이 정착했다고 말합니다.이 고구마는 점차 혼슈에 퍼집니다만, 1732년에 일어난 향보의 대기근때에는 구황 요우사쿠물로서 대활약을 없음니다.
한국에서는 에도시대 이전부터 일본과 외교 무역과 함께 외교 사절단인 통신사를 파견하고 있었습니다만,1764년에 일본 방문한 통신사의 리더조엄(17191777:조선시대의 관료)에 의해, 고구마가 들어가게 됩니다
☆ 이순신을 쏘아 죽였던 것도 사츠마(* ′초`) 킥킥
そもそも薩摩芋は南米で取れるもので、日本に入ったのは1604年野國総管(明への進貢船の事務職長)によってひとまず琉球国(現沖縄)に入りました。その名残で琉球国では「カライモ」と呼ばれていたようです。その後、琉球国から薩摩(現在の鹿児島県)へ入ることになり、また薩摩から本州に入ります。本州(江戸)では、サツマイモが薩摩から入ったことにより、サツマイモの名が定着したと言います。このサツマイモは次第に本州に広まりますが、1732年に起きた享保の大飢饉の時には救荒用作物として大活躍をなします。
韓国では江戸時代以前から日本と外交貿易とともに外交使節団である通信使を派遣していたのですが、1764年に来日した通信使のリーダ趙嚴(1719~1777:朝鮮時代の官僚)により、薩摩芋が入っていくようになります。彼は韓国の釜山で行政長官を歴任していたこともあり、常に飢饉などで苦しんでいた百姓のため、飢饉対策を考えていたところ、来日する前から対馬側から聞いていたサツマイモに注目します。日本で日本の文人だちと交流を深めると共にサツマイモの種子と栽培法を得て帰国します。その後、済州道などに試してみますが、対馬の土地と似ている済州道で栽培が成功し、日本と同じく救荒用作物として用いられ、次第に全域に広まっていきます。ちなみに「고구마」の名は、今も対馬では「コグンマ」と呼んでいるようです。言葉って面白いですね^.~
☆ 李舜臣を撃ち殺したのも薩摩(* ´艸`)クスクス