やられるのか?
三菱リコール隠し事件(みつびしリコールかくしじけん)とは、2000年(平成12年)7月6日に運輸省(現:国土交通省)の監査で発覚した三菱自動車工業(以下、三菱自工)の乗用車部門およびトラック・バス部門(通称:三菱ふそう)による、大規模なリコール隠し事件をいう。
その後、2004年(平成16年)にはトラック・バス部門のさらなるリコール隠しが発覚して乗用車部門も再調査され、国土交通省によると2000年(平成12年)時点の調査が不十分だったことが判明した。
これが決定打となり、三菱自工・三菱ふそうはユーザーの信頼を失って販売台数が激減、2000年のリコール隠し以上となる従業員の退職者を続出させ、当時の筆頭株主であったダイムラー・クライスラー(現:ダイムラーAGならびFCA)から資本提携を打ち切られ、深刻な経営不振に陥ったが、
三菱グループ(三菱重工業・三菱商事・三菱東京UFJ銀行〈現:三菱UFJ銀行〉)によるさまざまな救済を受け、倒産の危機を脱した。
また、本事件を基にした池井戸潤の経済小説『空飛ぶタイヤ』も出版され、2018年には映画も上映された。
2004年のリコール隠し事件
2003年(平成15年)、三菱自工はトラック・バス部門を子会社の三菱ふそうトラック・バスとして分社化するも、
2004年(平成16年)には、2000年(平成12年)のリコール隠しを更に上回る74万台ものリコール隠しが発覚、
2004年(平成16年)4月22日、三菱自工の筆頭株主であったダイムラー・クライスラーが財政支援の打ち切りを発表。
三菱自工の社長に就任していたエクロートが任期を待たずして、4月26日限りで社長を辞任した。
同年5月6日、大型トレーラーのタイヤ脱落事故(後述)で、三菱ふそう前会長の宇佐美や元常務ら7人が神奈川県警察に逮捕され、
同月27日に横浜区検察庁・横浜地方検察庁は宇佐美ら5人と法人としての三菱自工を起訴した。
さらに、6月10日には別の事故で三菱自工の河添元社長や宇佐美ら元役員6人が、神奈川県警察・山口県警察などに逮捕された。
一連のリコール隠しにより、2002年に2件の死亡事故が発生した。
横浜母子3人死傷事故(恐らくこれが池井戸潤の「空飛ぶタイヤの元ネタ」)
2002年(平成14年)1月10日、神奈川県横浜市瀬谷区下瀬谷2丁目交差点付近の県道45号(中原街道)で発生した事故。
綾瀬市内の運送会社が所有する、重機を積載して片側2車線の走行車線(事故当時、付近にガードレールはなかった)を走行中の大型トレーラートラックトラクター(ザ・グレート、1993年製)の左前輪(直径約1m、幅約30cm、重量はホイールを含めて140kg近く)が外れて、下り坂を約50メートル転がり、
ベビーカーを押して歩道を歩いていた大和市在住の母子3人を直撃。
母親(当時29歳)が死亡し、長男(当時4歳)と次男(当時1歳)も手足に軽傷を負った。
三菱自工製の大型車ハブ破損事故は、1992年(平成4年)6月21日に、東京都内で冷凍車の左前輪脱落事故が確認されて以降計57件発生し、うち51件で車輪が脱落していた(うち事故車両と同じ1993年製「D型ハブ」が7割を占めていた)。
三菱自工側は、一貫して『ユーザー側の整備不良が原因だ』と主張したが、事故を起こした車両と同じ1993年(平成5年)に製造された三菱自工製のトラックに装着されている「D型ハブ」の厚みが、その前後の型や他社製よりも薄い構造であった。
ねじ締付け管理方法を怠り、六角ボルトの締付トルクを強く掛けすぎた場合やカーブや旋回時に掛かる荷重により金属疲労が生じ、ハブが破断しやすいことも判明した。
これを受け、三菱ふそうは2004年(平成16年)3月24日、製造者責任を認めて国土交通省にリコールを届け出た。
さらに同年5月6日、宇佐美ら5名が道路運送車両法違反(虚偽報告)容疑で、品質保証部門の元担当部長ら2名が業務上過失致死傷容疑で逮捕され(5月27日に起訴)、法人としての三菱自工も道路運送車両法(虚偽報告)容疑で刑事告発された。
山口トラック運転手死亡事故
2002年10月19日の深夜、山口県熊毛郡熊毛町(現・周南市)の山陽自動車道熊毛インターチェンジ付近で発生した事故。
鹿児島県内の運送会社に勤めていた、同県国分市在住の運転手の男性(当時39歳)が運転する、野菜を積んで大阪・名古屋方面へ向かっていた9トン冷蔵貨物車(ザ・グレート)が料金所を減速なしで通過、
インター先で合流する山口県道8号徳山光線の中央分離帯も乗り越え、道路脇に設置された歩行者用地下道の入口構造物に激突した。冷蔵車は大破して男性は死亡した。
関係者や当時の記録によると、プロペラシャフトの一部が脱落した後、車体側に残されたシャフトが振り子のような異常振動を始めた。
料金所へ向かう急な下り坂のS字カーブに入ったとき、振動はさらに激しくなり、シャフトに並行して設置されているブレーキ配管が破壊され、制動不能に陥った。
山口県警察は「この事故」に関して、通常、関西方面に向かう自動車が熊毛ICで降りることは無いから、運転手が何らかの異常を感じ、点検のため高速道路を降りようとしたのではないかとみて、この事故に関し現場検証を行った。
その結果インターの手前約3.4kmの地点に、事故を起こしたトラックから脱落したプロペラシャフトの一部が発見され、路面には脱落時にできたとみられる窪みも確認された。
同県警では整備不良と車両欠陥の両面から捜査を行っていたが原因は不明のままに終わり、死亡した男性が道路交通法違反(安全運転義務違反)容疑で被疑者死亡のまま送検された。
しかし後の2004年になり、山口地方検察庁は「事故は構造的な欠陥を抱えていたプロペラシャフトが破断し、それがブレーキ系統を破壊したことによって引き起こされた」と最終的に判断し、男性を改めて不起訴処分とした。
影響
2004年のリコール隠しにより、三菱ふそう川崎硬式野球部や三菱自動車岡崎硬式野球部が一時活動を休止した。
三菱自動車が出資しているサッカーJ1・浦和レッズは2004年6月12日、章男の本社所在地・愛知県豊田市にある豊田スタジアムで開催された第1ステージ第12節・名古屋グランパス(スポンサーは章男)戦に臨んだが、
その試合前に名古屋サポーターが浦和サポーターに対し三菱自動車の不祥事を揶揄する形で
「大きな紙に1文字ずつ『ようこそ世界のトヨタへ』や、(隠している不祥事やリコールが)『まだあるだろ!』と書かれた横断幕」
「ひび割れた赤いスリーダイヤ(三菱グループの商標)が描かれた垂れ幕」
を掲げるなどして浦和側を挑発した。
この行為に対しては名古屋サポーターからもクラブ側に「恥ずかしい」などの苦情が届いたため、これを受けた名古屋は同年6月16日の大分トリニータ戦で場内放送にて「社会常識の欠落した情けない行動だ。相当の処置を行う」と表明した上で 2004年7月7日までに横断幕を掲げたグループの責任者3人に対し「2人は本年度中、残り1人は2カ月、いずれも名古屋の出場する試合会場および諸施設の入場・イベント参加を禁止する」処分を行うことを決めた。
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持ち物の日野がやらかしたんだからやられるだろうよ。(わら
しかも相手はフーリガンの巣窟の旧三菱自動車フットボールクラブだぞっと。
(だ い そ う げ ん
「パワハラ体質」日野自の弊害
遅れ「お立ち台」で追及、助け合いせず犯人捜し 特別調査委報告書
- 2022/8/3付
- 日本経済新聞 朝刊
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日野自動車のエンジン試験不正を調査していた特別調査委員会は2日、報告書を公表した。
新たな不正を明らかにするとともに、不正が起きた原因を分析した。
エンジンの性能試験を担う部署という局所的な問題とすると本質を見誤ると指摘。
縦割りで上層部からの意向を絶対視する企業体質や、部門間での連携が不足しあら探しをする風土が真因だと言及した。
(総合2面参照)
記者会見で説明する特別委の榊原委員長(2日)
画像の拡大
記者会見で説明する特別委の榊原委員長(2日)
「局所的な問題に矮小(わいしょう)化することは問題の本質を見誤る」
一連のエンジン不正は少なくとも2003年ごろからエンジンの性能試験などを担う「パワートレーン実験部」で発生したと認定。
エンジンの開発時に実施する排ガス性能や燃費の試験に加え、国土交通省からの認証業務の双方を担っていた。
報告書では「エンジン開発エリート主義」などと指摘した。
従業員のアンケートでは「エンジン関係者は偉いから従えという印象を受けるし、横柄な態度でろくに話も聞かない」との回答もあった。
ただ報告書はパワートレーン実験部の責任は重いとしながら、組織全体に問題があると批判。企業体質そのものの変革を促す。
「開発スケジュールの逼迫、絶対視」
排ガス性能を評価する「劣化耐久試験」が導入されると、法律が定める時間数の試験を実施するよう迫られるようになった。
上司や他部署からのプレッシャーが強い風土があり、開発の遅れが許されず、スケジュールが窮屈となった。法律が定める測定を実施しなかったり、結果を書き換えたりするといった不正が始まった。
「担当が明確な業務以外は積極的に引き受けにいかない雰囲気が醸成」
日野自内では部署間の連携がうまくいかず組織内で見落とされがちな業務を「三遊間」と表現。頻繁な組織変更で三遊間の業務を増やし、結果的に担当が曖昧な業務が増えたことを課題として指摘している。
今回の問題でも不正を認識していたのはパワートレーン実験部のみで他部署との人事交流やコミュニケーションは希薄だった。
「日野の開発に関わる部署の役員や社員は試験内容をほとんど理解していなかった」
「開発遅れで『お立ち台』、担当者レベルで責任追及」
従業員へのアンケートでは「お立ち台」と呼ばれる行為の指摘も散見された。
「問題を起こした担当部署や担当者が、他の部署も参加する会議の場で衆目にさらされながら説明を求められる」とされ、問題が生じて開発が遅れれば担当者レベルで責任をとらされる。
「助け合いではなく犯人捜し」、「言ったもの負け」という言葉でも表現されており、結果的に不正行為などの問題を隠蔽する体質醸成につながった可能性がある。
「上意下達の気風が強すぎる組織、パワーハラスメント体質」
燃費不正では05年11月、副社長を退任して技監となっていた元役員の指示がきっかけとなり、06年から導入される自動車取得税の軽減措置への対応として、大型エンジン「E13C」などで15年度目標の達成を目指す決定がなされた。
元役員の指示は「必達」と捉えられた。エンジン燃費の実力値が軽減措置の目標を達成できない見込みにもかかわらず、役員らから達成を強く求められ、開発担当者は専務や副社長に目標達成が可能だと報告した。
「最後の砦(とりで)としての役割が期待され、次第に追い込まれていった」
16年に発覚した三菱自動車の燃費不正問題を受けて、国土交通省は国内の車メーカーに不適切な事案がないかの報告を命じた。
日野自は回答書の資料作成をパワートレーン実験部が担当、不適切なデータを提出するなどの手口で虚偽報告した。
特別調査委によると、エンジン7種類で燃費値や排出ガス値など5項目のデータが必要だが、データ全体のうち「適切」だったのは6%弱しかなかった。
すでに不正行為を担ったパワートレーン実験部が自ら問題を明らかにする自浄作用は働かなかった。
「『トヨタグループだから大丈夫』というおごりの意識」
トヨタ自動車の子会社となり、「トヨタと同じやり方でやっていれば問題ない」との考えが広がった。
日野自の事業戦略について「身の丈に合わない」、「選択と集中ができていない」と問題点を指摘する声が社員からは多くあがった。
報告書でも経営陣が経営資源の不足を巡る状況について正しく理解できていないと指摘した。
やられるのか?
三菱リコール隠し事件(みつびしリコールかくしじけん)とは、2000年(平成12年)7月6日に運輸省(現:国土交通省)の監査で発覚した三菱自動車工業(以下、三菱自工)の乗用車部門およびトラック・バス部門(通称:三菱ふそう)による、大規模なリコール隠し事件をいう。
その後、2004年(平成16年)にはトラック・バス部門のさらなるリコール隠しが発覚して乗用車部門も再調査され、国土交通省によると2000年(平成12年)時点の調査が不十分だったことが判明した。
これが決定打となり、三菱自工・三菱ふそうはユーザーの信頼を失って販売台数が激減、2000年のリコール隠し以上となる従業員の退職者を続出させ、当時の筆頭株主であったダイムラー・クライスラー(現:ダイムラーAGならびFCA)から資本提携を打ち切られ、深刻な経営不振に陥ったが、
三菱グループ(三菱重工業・三菱商事・三菱東京UFJ銀行〈現:三菱UFJ銀行〉)によるさまざまな救済を受け、倒産の危機を脱した。
また、本事件を基にした池井戸潤の経済小説『空飛ぶタイヤ』も出版され、2018年には映画も上映された。
2004年のリコール隠し事件
2003年(平成15年)、三菱自工はトラック・バス部門を子会社の三菱ふそうトラック・バスとして分社化するも、
2004年(平成16年)には、2000年(平成12年)のリコール隠しを更に上回る74万台ものリコール隠しが発覚、
2004年(平成16年)4月22日、三菱自工の筆頭株主であったダイムラー・クライスラーが財政支援の打ち切りを発表。
三菱自工の社長に就任していたエクロートが任期を待たずして、4月26日限りで社長を辞任した。
同年5月6日、大型トレーラーのタイヤ脱落事故(後述)で、三菱ふそう前会長の宇佐美や元常務ら7人が神奈川県警察に逮捕され、
同月27日に横浜区検察庁・横浜地方検察庁は宇佐美ら5人と法人としての三菱自工を起訴した。
さらに、6月10日には別の事故で三菱自工の河添元社長や宇佐美ら元役員6人が、神奈川県警察・山口県警察などに逮捕された。
一連のリコール隠しにより、2002年に2件の死亡事故が発生した。
横浜母子3人死傷事故(恐らくこれが池井戸潤の「空飛ぶタイヤの元ネタ」)
2002年(平成14年)1月10日、神奈川県横浜市瀬谷区下瀬谷2丁目交差点付近の県道45号(中原街道)で発生した事故。
綾瀬市内の運送会社が所有する、重機を積載して片側2車線の走行車線(事故当時、付近にガードレールはなかった)を走行中の大型トレーラートラックトラクター(ザ・グレート、1993年製)の左前輪(直径約1m、幅約30cm、重量はホイールを含めて140kg近く)が外れて、下り坂を約50メートル転がり、
ベビーカーを押して歩道を歩いていた大和市在住の母子3人を直撃。
母親(当時29歳)が死亡し、長男(当時4歳)と次男(当時1歳)も手足に軽傷を負った。
三菱自工製の大型車ハブ破損事故は、1992年(平成4年)6月21日に、東京都内で冷凍車の左前輪脱落事故が確認されて以降計57件発生し、うち51件で車輪が脱落していた(うち事故車両と同じ1993年製「D型ハブ」が7割を占めていた)。
三菱自工側は、一貫して『ユーザー側の整備不良が原因だ』と主張したが、事故を起こした車両と同じ1993年(平成5年)に製造された三菱自工製のトラックに装着されている「D型ハブ」の厚みが、その前後の型や他社製よりも薄い構造であった。
ねじ締付け管理方法を怠り、六角ボルトの締付トルクを強く掛けすぎた場合やカーブや旋回時に掛かる荷重により金属疲労が生じ、ハブが破断しやすいことも判明した。
これを受け、三菱ふそうは2004年(平成16年)3月24日、製造者責任を認めて国土交通省にリコールを届け出た。
さらに同年5月6日、宇佐美ら5名が道路運送車両法違反(虚偽報告)容疑で、品質保証部門の元担当部長ら2名が業務上過失致死傷容疑で逮捕され(5月27日に起訴)、法人としての三菱自工も道路運送車両法(虚偽報告)容疑で刑事告発された。
山口トラック運転手死亡事故
2002年10月19日の深夜、山口県熊毛郡熊毛町(現・周南市)の山陽自動車道熊毛インターチェンジ付近で発生した事故。
鹿児島県内の運送会社に勤めていた、同県国分市在住の運転手の男性(当時39歳)が運転する、野菜を積んで大阪・名古屋方面へ向かっていた9トン冷蔵貨物車(ザ・グレート)が料金所を減速なしで通過、
インター先で合流する山口県道8号徳山光線の中央分離帯も乗り越え、道路脇に設置された歩行者用地下道の入口構造物に激突した。冷蔵車は大破して男性は死亡した。
関係者や当時の記録によると、プロペラシャフトの一部が脱落した後、車体側に残されたシャフトが振り子のような異常振動を始めた。
料金所へ向かう急な下り坂のS字カーブに入ったとき、振動はさらに激しくなり、シャフトに並行して設置されているブレーキ配管が破壊され、制動不能に陥った。
山口県警察は「この事故」に関して、通常、関西方面に向かう自動車が熊毛ICで降りることは無いから、運転手が何らかの異常を感じ、点検のため高速道路を降りようとしたのではないかとみて、この事故に関し現場検証を行った。
その結果インターの手前約3.4kmの地点に、事故を起こしたトラックから脱落したプロペラシャフトの一部が発見され、路面には脱落時にできたとみられる窪みも確認された。
同県警では整備不良と車両欠陥の両面から捜査を行っていたが原因は不明のままに終わり、死亡した男性が道路交通法違反(安全運転義務違反)容疑で被疑者死亡のまま送検された。
しかし後の2004年になり、山口地方検察庁は「事故は構造的な欠陥を抱えていたプロペラシャフトが破断し、それがブレーキ系統を破壊したことによって引き起こされた」と最終的に判断し、男性を改めて不起訴処分とした。
影響
2004年のリコール隠しにより、三菱ふそう川崎硬式野球部や三菱自動車岡崎硬式野球部が一時活動を休止した。
三菱自動車が出資しているサッカーJ1・浦和レッズは2004年6月12日、章男の本社所在地・愛知県豊田市にある豊田スタジアムで開催された第1ステージ第12節・名古屋グランパス(スポンサーは章男)戦に臨んだが、
その試合前に名古屋サポーターが浦和サポーターに対し三菱自動車の不祥事を揶揄する形で
「大きな紙に1文字ずつ『ようこそ世界のトヨタへ』や、(隠している不祥事やリコールが)『まだあるだろ!』と書かれた横断幕」
「ひび割れた赤いスリーダイヤ(三菱グループの商標)が描かれた垂れ幕」
を掲げるなどして浦和側を挑発した。
この行為に対しては名古屋サポーターからもクラブ側に「恥ずかしい」などの苦情が届いたため、これを受けた名古屋は同年6月16日の大分トリニータ戦で場内放送にて「社会常識の欠落した情けない行動だ。相当の処置を行う」と表明した上で 2004年7月7日までに横断幕を掲げたグループの責任者3人に対し「2人は本年度中、残り1人は2カ月、いずれも名古屋の出場する試合会場および諸施設の入場・イベント参加を禁止する」処分を行うことを決めた。
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持ち物の日野がやらかしたんだからやられるだろうよ。(わら
しかも相手はフーリガンの巣窟の旧三菱自動車フットボールクラブだぞっと。
(だ い そ う げ ん
「パワハラ体質」日野自の弊害
遅れ「お立ち台」で追及、助け合いせず犯人捜し 特別調査委報告書
- 2022/8/3付
- 日本経済新聞 朝刊
日野自動車のエンジン試験不正を調査していた特別調査委員会は2日、報告書を公表した。
新たな不正を明らかにするとともに、不正が起きた原因を分析した。
エンジンの性能試験を担う部署という局所的な問題とすると本質を見誤ると指摘。
縦割りで上層部からの意向を絶対視する企業体質や、部門間での連携が不足しあら探しをする風土が真因だと言及した。
(総合2面参照)
記者会見で説明する特別委の榊原委員長(2日)
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記者会見で説明する特別委の榊原委員長(2日)
「局所的な問題に矮小(わいしょう)化することは問題の本質を見誤る」
一連のエンジン不正は少なくとも2003年ごろからエンジンの性能試験などを担う「パワートレーン実験部」で発生したと認定。
エンジンの開発時に実施する排ガス性能や燃費の試験に加え、国土交通省からの認証業務の双方を担っていた。
報告書では「エンジン開発エリート主義」などと指摘した。
従業員のアンケートでは「エンジン関係者は偉いから従えという印象を受けるし、横柄な態度でろくに話も聞かない」との回答もあった。
ただ報告書はパワートレーン実験部の責任は重いとしながら、組織全体に問題があると批判。企業体質そのものの変革を促す。
「開発スケジュールの逼迫、絶対視」
排ガス性能を評価する「劣化耐久試験」が導入されると、法律が定める時間数の試験を実施するよう迫られるようになった。
上司や他部署からのプレッシャーが強い風土があり、開発の遅れが許されず、スケジュールが窮屈となった。法律が定める測定を実施しなかったり、結果を書き換えたりするといった不正が始まった。
「担当が明確な業務以外は積極的に引き受けにいかない雰囲気が醸成」
日野自内では部署間の連携がうまくいかず組織内で見落とされがちな業務を「三遊間」と表現。頻繁な組織変更で三遊間の業務を増やし、結果的に担当が曖昧な業務が増えたことを課題として指摘している。
今回の問題でも不正を認識していたのはパワートレーン実験部のみで他部署との人事交流やコミュニケーションは希薄だった。
「日野の開発に関わる部署の役員や社員は試験内容をほとんど理解していなかった」
「開発遅れで『お立ち台』、担当者レベルで責任追及」
従業員へのアンケートでは「お立ち台」と呼ばれる行為の指摘も散見された。
「問題を起こした担当部署や担当者が、他の部署も参加する会議の場で衆目にさらされながら説明を求められる」とされ、問題が生じて開発が遅れれば担当者レベルで責任をとらされる。
「助け合いではなく犯人捜し」、「言ったもの負け」という言葉でも表現されており、結果的に不正行為などの問題を隠蔽する体質醸成につながった可能性がある。
「上意下達の気風が強すぎる組織、パワーハラスメント体質」
燃費不正では05年11月、副社長を退任して技監となっていた元役員の指示がきっかけとなり、06年から導入される自動車取得税の軽減措置への対応として、大型エンジン「E13C」などで15年度目標の達成を目指す決定がなされた。
元役員の指示は「必達」と捉えられた。エンジン燃費の実力値が軽減措置の目標を達成できない見込みにもかかわらず、役員らから達成を強く求められ、開発担当者は専務や副社長に目標達成が可能だと報告した。
「最後の砦(とりで)としての役割が期待され、次第に追い込まれていった」
16年に発覚した三菱自動車の燃費不正問題を受けて、国土交通省は国内の車メーカーに不適切な事案がないかの報告を命じた。
日野自は回答書の資料作成をパワートレーン実験部が担当、不適切なデータを提出するなどの手口で虚偽報告した。
特別調査委によると、エンジン7種類で燃費値や排出ガス値など5項目のデータが必要だが、データ全体のうち「適切」だったのは6%弱しかなかった。
すでに不正行為を担ったパワートレーン実験部が自ら問題を明らかにする自浄作用は働かなかった。
「『トヨタグループだから大丈夫』というおごりの意識」
トヨタ自動車の子会社となり、「トヨタと同じやり方でやっていれば問題ない」との考えが広がった。
日野自の事業戦略について「身の丈に合わない」、「選択と集中ができていない」と問題点を指摘する声が社員からは多くあがった。
報告書でも経営陣が経営資源の不足を巡る状況について正しく理解できていないと指摘した。
https://www.nikkei.com/nkd/industry/article/?DisplayType=2&n_m_code=044&ng=DGKKZO63136950S2A800C2TB2000