【만그릇】호국의 영웅, 페크·손요프 장군을 매도하는 한국 좌파
미군의 대표적인 보병 훈련 기지, 조지아주 포트·베닝의 국립 보병 박물관에 가면, 한국의 노병의 소리를 들을 수 있다.6·25 전쟁(한국 전쟁)의 영웅, 페크·손요프 예비역 육군 대장의 육성이다.미군은 2009년, 박물관 오픈을 앞두고 페크·손요프 장군을 포트·베닝에 불러, 6·25 전쟁에 관한 리얼한 증언을 록취 했다.보병 박물관 재단의 회장 스스로 장문의 서간을 보내 「역사적인 전투 경험을 공유해 주었으면 한다」라고 요청해, 실현되었다.박물관은, 이 녹음을 영구 보존 한다고 한다.
미군은, 페크·손요프 장군을 「살리는 전설」한편 「한미 동맹의 상징」으로서도라고 이루었다.6·25 전쟁 당시 , 미군과 함께 마지막 전선을 지켜 뽑은 페크·손요프 장군을, 미군은「유일 신뢰할 수 있는 한국군 장교」
한국의 금일을 폭풍째 문어의 영웅은, 중요한 한국에서는, 짬만 있으면 중상과 매도의 대상이 되어 있다.좌파 세력은, 페크·손요프 장군이 일본 통치 시대에 만주군관학교를 졸업해, 마지마 특설대로 복무한 것만을 채택해 「독립군 토벌의 친일파」라는이 안다.페크·손요프 장군은 회고록으로 「당시는 중공 팔로군과 싸워, 독립군은 모습도 안보였다」라고 적고 있지만, 좌파는 이러한 해명을 무시하고 있다.
현정권이 되고, 육군 사관 학교가, 6·25 전쟁 당시의 페크·손요프 장군의 활약을 그린 웹 만화를 홈 페이지로부터 삭제한다고 하는 사건이 있었다.그렇게 해서 최근, 야당 대표가 페크·손요프 장군을 방문한 것을 계기로, 장군을 얕보는 움직임이 본격화했다.요르린·장점당(노무현〈노·무홀〉정권 시대의 여당.전출의 민주 통합당을 거쳐 현재는 「 모두 민주당」) 시대에 「북한의 미사일은 미군 기지 공격용에 지나지 않는다」라고 변호하고 있던 광복회장은, 연일 「페크·손요프는 철저한 토착원구」라고 소란피워 여당 의원은 「(샹하이에서 일본의 요인을 암살한) 윤봉길(윤·본길)이 통분 할 일」이라고 말참견했다.김일성 훈장이 수여된 자본주봉(김·원 본)을 「국군의 루트」일까와 같이 들어 올리는 대통령의 연설을 또 (듣)묻고 있는 기분이다.
한국의 진정한 영웅은 테러리스트 어째서는 아니고 이 사람이라고 생각한다
다부동으로, 후퇴해 오는 한국 부대를 보고 「머리에 확 피」는, 그것을 말리려고 방울져 떨어진 한명의 남자가 흰색 장군이었다.
미군 장병이 지켜보는 가운데,그 전의를 의심되고 있던 한국군의 신용이 회복했다.그 밤, 이번은 미군이, 한국군의 눈아래의 골짜기의 밑바닥에서
만약, 흰색 장군이 말라리아로 드러누워 있으면 다부동은 뽑아지고 있었을 것이다.있다는, 그 일순간에 부대의 패닉을 멈추어지지 않았으면, 있다 있어는, 「사단장의 돌격」을 감행 하지 않았으면, 북한군은 다부동을 뽑아 부산에 밀려 들고 있었을 것이다.북한군의 보급선은 늘어나 자르고 있었다.괴로운 일은 양군 모두 같았다.그리고, 승패는, 흰색 장군의 돌격으로 결정되었다.
【萬物相】護国の英雄、ペク・ソンヨプ将軍を罵倒する韓国左派
米軍の代表的な歩兵訓練基地、ジョージア州フォート・ベニングの国立歩兵博物館に行くと、韓国の老兵の声を聞くことができる。6・25戦争(朝鮮戦争)の英雄、ペク・ソンヨプ予備役陸軍大将の肉声だ。米軍は2009年、博物館オープンを前にペク・ソンヨプ将軍をフォート・ベニングに招き、6・25戦争に関するリアルな証言を録取した。歩兵博物館財団の会長自ら長文の書簡を送って「歴史的な戦闘経験を共有してほしい」と要請し、実現した。博物館は、この録音を永久保存するという。
米軍は、ペク・ソンヨプ将軍を「生ける伝説」かつ「韓米同盟の象徴」としてもてなした。6・25戦争当時、米軍と共に最後の戦線を守り抜いたペク・ソンヨプ将軍を、米軍は「唯一信頼できる韓国軍将校」「最良の野戦指揮官」と評した。在韓米軍は昨年、白寿を迎えたペク・ソンヨプ将軍のためのパーティーを開いた。その席で軍人出身のハリー・ハリス駐韓米国大使は、膝を突いて老兵の両手を取った。将軍に対する米軍の敬意を象徴的に示す場面だった。
韓国のこんにちをあらしめたこの英雄は、肝心の韓国では、暇さえあれば中傷と罵倒の対象になっている。左派勢力は、ペク・ソンヨプ将軍が日本統治時代に満州軍官学校を卒業し、間島特設隊で服務したことだけを取り上げ、「独立軍討伐の親日派」とののしる。ペク・ソンヨプ将軍は回顧録で「当時は中共八路軍と戦い、独立軍は姿も見えなかった」と記しているが、左派はこうした釈明を無視している。親日真相調査委はペク・ソンヨプ将軍の名前を親日リストに載せ、2012年に民主統合党(現在の『共に民主党』)青年比例代表は、ペク将軍を「民族の反逆者」と呼んだ。
現政権になって、陸軍士官学校が、6・25戦争当時のペク・ソンヨプ将軍の活躍を描いたウェブ漫画をホームページから削除するという事件があった。そうして最近、野党代表がペク・ソンヨプ将軍を訪ねたことをきっかけに、将軍をおとしめる動きが本格化した。ヨルリン・ウリ党(盧武鉉〈ノ・ムヒョン〉政権時代の与党。前出の民主統合党を経て現在は『共に民主党』)時代に「北朝鮮のミサイルは米軍基地攻撃用にすぎない」と弁護していた光復会長は、連日「ペク・ソンヨプは徹底した土着わ寇」だと騒ぎ立て、与党議員は「(上海で日本の要人を暗殺した)尹奉吉(ユン・ボンギル)が痛憤するであろうこと」と口を挟んだ。金日成勲章を授与された金元鳳(キム・ウォンボン)を「国軍のルーツ」であるかのごとく持ち上げる大統領の演説をまた聞いているような気分だ。
今から数年前、在郷軍人会の会長は「日本統治時代に生まれて教育を受け、日本の体制で勤務したことを理由にするのであれば、将軍に向かって石を投げる資格のある人間は何人いるだろうか」と語った。6・25で韓国に銃口を向けた人間を称賛し、「私が退いたら私を撃て」と言って先鋒(せんぽう)に立った護国の英雄は非難する。逆さまになった意識が嘆かわしい。
韓国の真の英雄はテロリストなんぞではなくこの人だと思う
多富洞で、後退してくる韓国部隊を見て「頭にかっと血がのぼ」って、それを押しとどめようとしたたったひとりの男が白将軍だった。
将軍は「今から逆襲する、突撃支援射撃を頼む」と米軍の連隊長に言い置いて山に駆け登った。そして、散り散りの部隊を山のふもとに集め座らせた。パニックに襲われた人間を落ち着かせるにはまず座らせることだ。そしてこう演説した。「よく今まで頑張ってくれた。感謝の言葉もない。だがもうわれわれが後退する場所は残されていない。多富洞が破られれば、この国は滅び、われわれには死がまっている。この大韓民国を滅ぼしてはならない気持ちは、みな同じである。見ろ、われわれを助けに地球の裏側からやってきたアメリカ軍が、われわれを信じ、あんな谷底で戦っているではないか。彼らを見捨て、自分だけ助かろうなどとは、大韓の男子ならとてもはずかしくてできないことだ」すると、兵士のなかには小銃に着剣するものや、「そうだ!」と声をあげるものがでてきた。将軍は続けた。「よし、四八八高地の陣地を奪回するぞ。おれが先頭だ。もし、おれが気後れしたら、後ろから撃て。すぐ米軍の突撃支援射撃が始まる。支援射撃の最終弾とともに突撃する」そして、後ろを振り返る余裕もなく駆け出した。喚声をあげながら兵士が続いた。マラリアの熱でふらふらする将軍は高地を駆けあがり、この1時間で、韓国軍は四八八高地の陣地を奪回し、プサン円陣は戦線破綻はまぬがれたのである。危ういところであった。ときに将軍29歳、一万人の第1師団を統率する師団長であった。このひどい戦闘で、第1師団は8月だけで四千人もの死傷者をだしたのであるが。
アメリカ軍将兵が見守る中で、その戦意を疑われていた韓国軍の信用が回復した。その夜、今度はアメリカ軍が、韓国軍の眼下の谷底で5時間にわたる激闘を演じた。この夜だけで北朝鮮軍は千三百もの戦死傷者を出した。こうして、米軍と韓国軍は朝鮮戦争で初めて全面的な協力がなされたのである。一方が破られれば、それは他方の死を意味したのだ。自分の国は自分で守るしかない。自分の国を自分で守ろうとする者に、米軍は援助の手を差し伸べたのである。
もし、白将軍がマラリアで寝込んでいたら多富洞は抜かれていただろう。あるは、あの一瞬に部隊のパニックをとめられなかったら、あるいは、「師団長の突撃」を敢行しなかったら、北朝鮮軍は多富洞を抜きプサンに押し寄せていただろう。北朝鮮軍の補給線は延びきっていた。苦しい事は両軍とも同じであった。そして、勝敗は、白将軍の突撃で決した。