これまで南朝鮮には5回行きました。
いずれも会社の慰安旅行です。
【内訳】
1997年 ソウル
1997年 釜山
2003年 ソウル
2005年 ソウル
2007年 ソウル
2007年に行った時には少し足を伸ばして水原にも行きました。
なぜなら民俗村に立ち寄るためです。
水原在住の友人(日本人)ご夫妻に案内していただきました。
そこで拙い私の南朝鮮旅行での印象を、ここに述べさせてきただきます。
まず、驚いたのは欧米系の観光客が非常に少ないことです。
また最初に行った時は、中国系(大陸)の観光客はあまりいなかったのに、
訪問回数を追う毎に、その数が増えて来ました。
最後に行った時には免税店とカジノは完全に中国系の占拠されたような状態でした。
では欧米系の観光客はどこで見られたかというと、主に仁寺洞周辺に限られていた
記憶があります。
それも観光客というよりも留学生らしき人達が多かったような記憶があります。
何故層思ったかというと、彼(彼女)らの多くは南超人の同じ年頃の青少年らと
ともに行動しており、片言のハングルと英語で会話を行っていたからです。
いずれにしても、本当に欧米系の観光客を見る機会が殆どなかったし
いたとしても極小人数であったことが今でも不思議でなりません。
それでは
あひゃひゃひゃ!
これまで南朝鮮には5回行きました。
いずれも会社の慰安旅行です。
【内訳】
1997年 ソウル
1997年 釜山
2003年 ソウル
2005年 ソウル
2007年 ソウル
2007年に行った時には少し足を伸ばして水原にも行きました。
なぜなら民俗村に立ち寄るためです。
水原在住の友人(日本人)ご夫妻に案内していただきました。
そこで拙い私の南朝鮮旅行での印象を、ここに述べさせてきただきます。
まず、驚いたのは欧米系の観光客が非常に少ないことです。
また最初に行った時は、中国系(大陸)の観光客はあまりいなかったのに、
訪問回数を追う毎に、その数が増えて来ました。
最後に行った時には免税店とカジノは完全に中国系の占拠されたような状態でした。
では欧米系の観光客はどこで見られたかというと、主に仁寺洞周辺に限られていた
記憶があります。
それも観光客というよりも留学生らしき人達が多かったような記憶があります。
何故層思ったかというと、彼(彼女)らの多くは南超人の同じ年頃の青少年らと
ともに行動しており、片言のハングルと英語で会話を行っていたからです。
いずれにしても、本当に欧米系の観光客を見る機会が殆どなかったし
いたとしても極小人数であったことが今でも不思議でなりません。
それでは
あひゃひゃひゃ!
-->