王彬彬氏の論文【現代中国語の中の日本語「外来語」問題】から引用
【本来、洋務運動は西方から学び、西方を理解し、西方の著作を翻訳することが当然必要であった。しかし、日本を師とするように方向転換があり、西洋文化を学ぶ人たちはたちまち減っていった。日本に学ぶことは、単に日本を通じて間接的に西方を学びたいという希望であった。そのとき朝野ともに、このようにすることで努力は少なく効果を上げることができると考えていた。
王国維は、日中両国の西洋専門用語を翻訳する方法が同じではないことを指摘している。日本人は二文字または二文字以上の言葉を組み合わせて西洋語を訳してきたが、中国人は単漢字を用いるのが習慣であった。「精密・不精密の違いは、すべてここにある」という。これは、実際には厳復への批評であった。単漢字を用いて西洋専門用語を訳すのは、まさに厳復の習慣であった。例えば「玄学」「理学」「計学」「群学」などはみなこのたぐいである。
日本にはすでに訳語があって、それは思いつきで作られた言葉ではなく、「専門家数十人の考究・数十年の改正を経て」最終的に確定したものである。それは実情に合っており、同時に中国人が日本語訳を借用すべき有力な理由だ、と彼は述べている。また、西洋専門語を翻訳するとき、日本人は二文字以上の言葉を組み合わせるのが習慣であり、このために中国人が単漢字を用いるのと比べて正確に原意を伝達できると指摘している。
しかし、このような日本に学ぶ風潮に対して、中国近代の第一の翻訳家・厳復は堅固たる反対の態度を示していた。はじめのころは、 日本の訳語と厳復らがつくった訳語が共存した。 例をあげてみよう。 「Economics」 という英語は日本語で 「経済学」 と訳されているが、 それにはとても抵抗を感じたようである。 なぜなら 「経済」 ということばはもともと中国の古語であり、 「経世済民」 の意である。 「経世済民」 とは世の中を治め、 人民の苦しみを救うことである。 現代語におきかえるならば大体 「政治」 という語に相当するからである。
そのほか 「哲学」 (Philosophy) は 「理学」 「智学」 と共存し、 「社会学」 (Sociologie) (仏語) は 「群学」 と共存した。そのほか挙げてみよう。
物理学-格致学 地質学-地学 砿物学-金石学
雑誌-叢報 社会-人群 論理学-名学
原料-天産之物 功利主義-楽利主義
ところが、 厳復らの自作新語の大部分は、 日本の訳語ほど良くなかった。 というのは、 かれらの訳語は古典から来たものが多くてわかりにくかったため、 流行しなかったからである。 今からふりかえってみれば、 厳復らのやりかたには、 そもそも無理があった。 ことばは社会実生活の反映である。 中国語に入った西洋の新語はもともと中国社会になかった事物である。 古い中国語からそれ相応の語をさがし出すのは、 なんといっても無理な話である。 ない袖が振れぬとはこの事だろう。 したがって日本の訳語と厳復らの訳語が一時期共存はしたが、 結局のところは日本訳語の勝ちとなり、 厳復らの訳語は、 姿を消してしまった】
王彬彬氏の論文【現代中国語の中の日本語「外来語」問題】から引用
【本来、洋務運動は西方から学び、西方を理解し、西方の著作を翻訳することが当然必要であった。しかし、日本を師とするように方向転換があり、西洋文化を学ぶ人たちはたちまち減っていった。日本に学ぶことは、単に日本を通じて間接的に西方を学びたいという希望であった。そのとき朝野ともに、このようにすることで努力は少なく効果を上げることができると考えていた。
王国維は、日中両国の西洋専門用語を翻訳する方法が同じではないことを指摘している。日本人は二文字または二文字以上の言葉を組み合わせて西洋語を訳してきたが、中国人は単漢字を用いるのが習慣であった。「精密・不精密の違いは、すべてここにある」という。これは、実際には厳復への批評であった。単漢字を用いて西洋専門用語を訳すのは、まさに厳復の習慣であった。例えば「玄学」「理学」「計学」「群学」などはみなこのたぐいである。
日本にはすでに訳語があって、それは思いつきで作られた言葉ではなく、「専門家数十人の考究・数十年の改正を経て」最終的に確定したものである。それは実情に合っており、同時に中国人が日本語訳を借用すべき有力な理由だ、と彼は述べている。また、西洋専門語を翻訳するとき、日本人は二文字以上の言葉を組み合わせるのが習慣であり、このために中国人が単漢字を用いるのと比べて正確に原意を伝達できると指摘している。
しかし、このような日本に学ぶ風潮に対して、中国近代の第一の翻訳家・厳復は堅固たる反対の態度を示していた。はじめのころは、 日本の訳語と厳復らがつくった訳語が共存した。 例をあげてみよう。 「Economics」 という英語は日本語で 「経済学」 と訳されているが、 それにはとても抵抗を感じたようである。 なぜなら 「経済」 ということばはもともと中国の古語であり、 「経世済民」 の意である。 「経世済民」 とは世の中を治め、 人民の苦しみを救うことである。 現代語におきかえるならば大体 「政治」 という語に相当するからである。
そのほか 「哲学」 (Philosophy) は 「理学」 「智学」 と共存し、 「社会学」 (Sociologie) (仏語) は 「群学」 と共存した。そのほか挙げてみよう。
物理学-格致学 地質学-地学 砿物学-金石学
雑誌-叢報 社会-人群 論理学-名学
原料-天産之物 功利主義-楽利主義
ところが、 厳復らの自作新語の大部分は、 日本の訳語ほど良くなかった。 というのは、 かれらの訳語は古典から来たものが多くてわかりにくかったため、 流行しなかったからである。 今からふりかえってみれば、 厳復らのやりかたには、 そもそも無理があった。 ことばは社会実生活の反映である。 中国語に入った西洋の新語はもともと中国社会になかった事物である。 古い中国語からそれ相応の語をさがし出すのは、 なんといっても無理な話である。 ない袖が振れぬとはこの事だろう。 したがって日本の訳語と厳復らの訳語が一時期共存はしたが、 結局のところは日本訳語の勝ちとなり、 厳復らの訳語は、 姿を消してしまった】