2017.7.25 12:00
103系は死なず 支線、ローカル線でまだまだ現役
播但線の103系。車体はラインカラーのワインレッドをまとっている=寺前駅
日本人なら一度は乗ったことがある電車だろう。高度成長期から平成の時代まで、関西や首都圏などの通勤、通学輸送を担った103系。昭和38年から59年にかけて約3500両が製造されたが、寄る年波には勝てず、現在は約200両にまで減った。主要路線からの撤退も続いており、リタイアの日は確実に近づいているが、短い距離の支線や最盛期には乗り入れなど考えられなかったローカル線でまだまだ元気だ。
気動車と接続
姫路(兵庫県姫路市)と和田山(同県朝来市)を結ぶ播但線。このローカル線の電化区間と非電化区間の境目が寺前(同県神河町)だ。単線をたどって和田山方面から1両編成のディーゼルカーが到着すると、乗客はとなりのホームで接続する姫路行きの電車に乗り込む。かつては都会の路線で大量輸送を担っていた103系の3500番台だ。のどかな田園風景にも、すっかり溶け込んでいる。
現在はJR西日本と九州にしか在籍しない。約180両が所属するJR西では大阪環状線、阪和線で運用されている103系について、環状線は323系への置き換えで平成30年度、阪和線は225系5100番台の投入を進めて29年度に、それぞれ姿を消すことを明らかにしている。
ただ、103系が完全になくなるわけではない。奈良線や関西線のほか、播但線や加古川線といったローカル線、山陽線の兵庫(神戸市兵庫区)と和田岬(同)を2.7キロで結ぶ和田岬線、阪和線の鳳(堺市西区)と東羽衣(大阪府高石市)を1.7キロでつなぐ羽衣線といった支線ではまだまだ健在。編成は短く、同じ区間を行ったり来たりしているかたちだが、大事な通勤、通学客の足として役目を果たしている。
東日本、東海は全滅
前回の東京五輪が開かれた昭和39年、101系の後継車として山手線に投入されたのが103系の始まりだ。大勢が乗り降りしやすいように4扉を備え、座席はレールと平行のロングシート。前面は平面ガラス3枚というシンプルなデザイン。まさに通勤、通学客を乗せるために生まれてきた電車といえる。
その後、首都圏では京浜東北線や中央線、関西では東海道・山陽線、大阪環状線、阪和線などにも登場し、勢力を広げていった。製造は50年代終盤まで続き、車両の延べ在籍数は約3500両。62年の国鉄民営分割化のときも、ほぼすべてがJR(東日本、東海、西日本、九州)に引き継がれた。しかし、老朽化や省エネ意識の高まりで東海、東日本は新型車両に置き換えられて全滅。2千両以上を所有していたJR東日本は新型の増備が加速度的に進み、山手線からは早くも63年に撤退。そして平成21年、宮城県を走る仙石線を最後に全廃となってしまった。
紅い雄姿を見たか
同じ顔の電車で誤乗車を防ぐため、路線ごとに色分けされたのも103系の特徴。スカイブルーは関西では東海道・山陽線(和田岬線を含む)、阪和線(羽衣線を含む)で、かつての京浜東北線も同色だった。うぐいす色が関西線、奈良線など。山手線もこの色だった。オレンジ色が大阪環状線などで、首都圏の中央線と同じ。カナリア色も存在し、関西では福知山線、首都圏では総武線。加古川線はエメラルドグリーンだ。
異彩を放っているのが播但線のワインレッド。10年に姫路-寺前間の電化で投入されたが、過去に例がなかったため、ファンの間では衝撃が走った。
さまざまな色を塗られ、最短で2両編成で走ることもある103系。仲間は次々と減っていくが、しばらくはそれぞれの地元で、黙々と働く姿を見せてくれそうだ。
和田岬線の103系。兵庫と和田岬の間を行き来している=和田岬駅付近
加古川線の103系。前面に貫通扉がつき、印象が異なる=加古川駅
大阪環状線の103系。大阪パワーループのラッピング車だ=森ノ宮電車区
http://www.sankei.com/west/news/170725/wst1707250008-n1.html
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103系は赤い彗星となってまだ走り続けますか。
いつまで使い続けるんだろ。
( ´-д-)
2017.7.25 12:00
103系は死なず 支線、ローカル線でまだまだ現役
播但線の103系。車体はラインカラーのワインレッドをまとっている=寺前駅
日本人なら一度は乗ったことがある電車だろう。高度成長期から平成の時代まで、関西や首都圏などの通勤、通学輸送を担った103系。昭和38年から59年にかけて約3500両が製造されたが、寄る年波には勝てず、現在は約200両にまで減った。主要路線からの撤退も続いており、リタイアの日は確実に近づいているが、短い距離の支線や最盛期には乗り入れなど考えられなかったローカル線でまだまだ元気だ。
気動車と接続
姫路(兵庫県姫路市)と和田山(同県朝来市)を結ぶ播但線。このローカル線の電化区間と非電化区間の境目が寺前(同県神河町)だ。単線をたどって和田山方面から1両編成のディーゼルカーが到着すると、乗客はとなりのホームで接続する姫路行きの電車に乗り込む。かつては都会の路線で大量輸送を担っていた103系の3500番台だ。のどかな田園風景にも、すっかり溶け込んでいる。
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現在はJR西日本と九州にしか在籍しない。約180両が所属するJR西では大阪環状線、阪和線で運用されている103系について、環状線は323系への置き換えで平成30年度、阪和線は225系5100番台の投入を進めて29年度に、それぞれ姿を消すことを明らかにしている。
ただ、103系が完全になくなるわけではない。奈良線や関西線のほか、播但線や加古川線といったローカル線、山陽線の兵庫(神戸市兵庫区)と和田岬(同)を2.7キロで結ぶ和田岬線、阪和線の鳳(堺市西区)と東羽衣(大阪府高石市)を1.7キロでつなぐ羽衣線といった支線ではまだまだ健在。編成は短く、同じ区間を行ったり来たりしているかたちだが、大事な通勤、通学客の足として役目を果たしている。
東日本、東海は全滅
前回の東京五輪が開かれた昭和39年、101系の後継車として山手線に投入されたのが103系の始まりだ。大勢が乗り降りしやすいように4扉を備え、座席はレールと平行のロングシート。前面は平面ガラス3枚というシンプルなデザイン。まさに通勤、通学客を乗せるために生まれてきた電車といえる。
その後、首都圏では京浜東北線や中央線、関西では東海道・山陽線、大阪環状線、阪和線などにも登場し、勢力を広げていった。製造は50年代終盤まで続き、車両の延べ在籍数は約3500両。62年の国鉄民営分割化のときも、ほぼすべてがJR(東日本、東海、西日本、九州)に引き継がれた。しかし、老朽化や省エネ意識の高まりで東海、東日本は新型車両に置き換えられて全滅。2千両以上を所有していたJR東日本は新型の増備が加速度的に進み、山手線からは早くも63年に撤退。そして平成21年、宮城県を走る仙石線を最後に全廃となってしまった。
紅い雄姿を見たか
同じ顔の電車で誤乗車を防ぐため、路線ごとに色分けされたのも103系の特徴。スカイブルーは関西では東海道・山陽線(和田岬線を含む)、阪和線(羽衣線を含む)で、かつての京浜東北線も同色だった。うぐいす色が関西線、奈良線など。山手線もこの色だった。オレンジ色が大阪環状線などで、首都圏の中央線と同じ。カナリア色も存在し、関西では福知山線、首都圏では総武線。加古川線はエメラルドグリーンだ。
異彩を放っているのが播但線のワインレッド。10年に姫路-寺前間の電化で投入されたが、過去に例がなかったため、ファンの間では衝撃が走った。
さまざまな色を塗られ、最短で2両編成で走ることもある103系。仲間は次々と減っていくが、しばらくはそれぞれの地元で、黙々と働く姿を見せてくれそうだ。
和田岬線の103系。兵庫と和田岬の間を行き来している=和田岬駅付近
加古川線の103系。前面に貫通扉がつき、印象が異なる=加古川駅
大阪環状線の103系。大阪パワーループのラッピング車だ=森ノ宮電車区
http://www.sankei.com/west/news/170725/wst1707250008-n1.html
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103系は赤い彗星となってまだ走り続けますか。
いつまで使い続けるんだろ。
( ´-д-)