전통문화




基本的に(参考の投稿を入れ替える等しています)、一昨年の12月に行った投稿の再掲です。


以下、最近の投稿・参考の投稿。

Mambo Italiano他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_5/view/id/3705330/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2
アニメキャラ実写化色々他&曲→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3644406/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2
GACKT/アニメのテーマ曲他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_5/view/id/3603441/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2




https://youtu.be/-cwWR-kP64E


動画は、借り物。O Christmas Tree。「The Christmas Chronicles 2」より。一昨日の夜、彼女と、我が家で、Netflixで、「The Christmas Chronicles 2」(2020年のアメリカ映画)を見ました。ちなみに、我が家も、Netflixに加入していますが、私は、Netflixは、基本的に、彼女と我が家で過ごしている時に、彼女と見る位で、私が一人の時は、ほぼほぼ見ませんw ちなみに、私は見ていませんが、彼女は、「The Christmas Chronicles」は、既に、我が家の隣の区の彼女の一人暮らしのマンションで、Netflixで見ていました。「The Christmas Chronicles 2」を見た感想は、私も彼女も、概ね同じで、ストーリーは弱いが、映像が綺麗で、まあまあ、楽しめた映画と言った感じでした。

「The Christmas Chronicles 2」は、日本語吹き替え版で見ました。正確なセリフではないかもしれませんが(厳密には違っていると思います)、映画の中で、「家族だけは、いつでも、味方になってくれる」と言った感じのセリフがあったのですが、彼女と、このセリフについて、アメリカだって、家族の関係・親子の関係が上手くいっていない家庭が、たくさんあると思うのに、そうした人達が、映画の中の、このセリフを聞いたら、切ない気持ちになるんじゃないかなと話していました。

ちなみに、彼女と彼女の母の仲は、彼女が、子供の頃から、決して上手く行っている訳ではありません。

以下(すぐ下でリンクを付けた投稿)、その事に関する参考の投稿。

Strong/A Whole New World他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_5/view/id/3657579/page/23?&sfl=membername&stx=nnemon2






写真は、借り物(写真の作者:Kakidai)。三越(Mitsukoshi)は、1673年に、東京で創業したデパートです。写真は、1927年に建てられた、現在の、三越(Mitsukoshi)、日本橋(nihonbashi)店の、本館(honkan)の建物です。後述する、私の母方の祖母の姉が、かつて務めていたデパートです。



以下、以下の投稿から抜粋して来た物です。後述する、亡くなった、私の母方の祖母が、最も、好きであった、イラストレーター、蕗谷虹児(fukiyakoji)に関する投稿です。蕗谷 虹児(fukiya koji)に関する説明は、展覧会(exhibition)のカタログ(catalogue)(すぐ下でリンクを付けた投稿を参照)等を参考にしました。

蕗谷虹児(fukiyakoji)1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3646085/page/10?&sfl=membername&stx=nnemon2


蕗谷 虹児(fukiya koji)は、竹久 夢二(takehisa yumeji)、高畠 華宵(takabatake kasyo)等と共に、日本の少女漫画(少女向けの漫画)の画風の原型を作った作家です。現代の、日本の、少女漫画家(少女向けの漫画の、漫画家)にも、蕗谷 虹児(fukiya koji)のファン(fan)は多く、「蕗谷 虹児(fukiya koji)を参考にした」と明言している、竹宮 恵子(takemiya keiko)(上の説明参照)は、これまた、次世代の、日本の、少女漫画家(少女向けの漫画の、漫画家)に、大きな影響を及ぼし続けている漫画家の一人となっています(この展覧会(exhibition)のカタログ(catalogue)より。。。)。


以上、前に行った投稿から抜粋して来た物でした。



私は、竹宮 恵子(takemiya keiko)さんは、全く詳しくないのですが、後から知ったのですが(後述する、ビョルン・アンドレセン (Björn Andrésen)の記事を読んでから知ったのですが)、BL漫画の、最初の、著名な作品である、「風と木の詩」(私は、この漫画について知りません)の、主人公の、モデルは、後述する、Björn Andrésenだったんですね。




以下、基本的に(参考の投稿を足しています)、11月の上旬に行った投稿から抜粋して来た物です。


以下2つの動画(動画は、借り物)は、you tubeで、お勧めの動画として出て来た動画及び、その関連動画で、先日、彼女と、我が家で、見てみた、面白動画です。ちなみに、以下2つの動画作成者の動画は、以下2つの動画を含めて、今までに、kjで紹介している物しか見ていません。




女性アナウンサーさん、「団塊」を「だんこん」と読み間違い気まずい放送事故を起こしてしまうww 2週間程前にアップされた動画の様です。前から、彼女に話している、前述した、私の母の、言い間違えのエピソードもあり、私も彼女も、面白く見ましたw


すぐ上の動画に関して、以下の投稿を参照して下さい。

ユニコーン-「ヒゲとボイン」/Sensual Sax JAZZ他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_5/view/id/3705325/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2





腐女子が作った「BLあるある川柳」、BLを知らなくても面白いww 9日程前にアップされた動画の様です。私も彼女も、BLは、全く興味がなく、全く詳しくありませんが、この動画は、面白く見ましたw 彼女が、最近、我が家の隣の区の彼女の一人暮らしのマンションで、Netflixで、楽しんで見ているアニメに、ユーリ!!! on ICE(Yuri on Ice)があるのですが(ちなみに、彼女は、ユーリ!!! on ICE(Yuri on Ice)は、リアルタイムでは見ていなかったそうです)、彼女は、「ユーリ!!! on ICE(Yuri on Ice)」は、純粋に、スポーツを通じた成長物語として楽しんで見ていて、ユーリ!!! on ICE(Yuri on Ice)の、BL的な要素は、全く、意識しないで(気づかないで)見ていたそうですが、この動画を見て、そう言えば、思い返してみたら、「ユーリ!!! on ICE(Yuri on Ice)」は、BLを感じさせる要素・場面がたくさんあったかもと言っていました(ちなみに、私も、彼女も、天然で、細かい事を気にしない、大雑把な面があります)。ちなみに、私は、「ユーリ!!! on ICE(Yuri on Ice)」は、興味がなく見ていません(彼女に聞くまで、このアニメ作品の存在も知りませんでした)。また、私は、フィギュアスケートに興味がないので、全く、詳しくないのですが、彼女も、フィギュアスケート自体には、興味がありません。

以下、参考の投稿。

パタリロのテーマ曲他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3644405/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2



以下、前に行った投稿から抜粋して来た物です。


以下の(すぐ下でリンクを付けた)、ELLEの記事は、もう、だいぶ前の事ですが、適当に目に付いて、彼女と見てみた記事です。ちなみに、私も、彼女も、映画、「ベニスに死す(Death in Venice)」(1971年)も、「世界で一番美しい少年(The Most Beautiful Boy in the World)」(2021年)も、見ておらず、詳しくありません。

大人たちに性的に食い物にされた“世界一美しい少年”~『ベニスに死す』ビョルン・アンドレセン 【毒家族に生まれて】。
50年前、「ルーヴルに飾るべき」とまで評された美少年の人生は、名声と引き換えに汚された→
https://www.elle.com/jp/culture/celebgossip/g35475943/born-into-a-whutering-family-bjorn-andresen-210216/



ベニスに死す(Death in Venice)で主要な役を演じた、Björn Andrésen(私は、詳しくありません)は、大変な人生を歩んで来た様ですね。ちなみに、後述する、私が中学3年生の夏休みの(私が14歳の時の)事件は、私にトラウマとなる程の記憶にはなりませんでしたが、引っかかりのある(違和感のある)、記憶として、強く、印象には残っています。




動画は、借り物。映画『ベニスに死す』予告編。今、適当に、you tubeで、「ベニスに死す」で検索して出て来た動画の中から。。。





写真以下2枚。写真は、借り物。今、適当に、「ビョルン・アンドレセン (Björn Andrésen)」で検索して出て来た写真の中から。。。













前述の通り、後述する、私が中学3年生の夏休みの(私が14歳の時の)事件は、私にトラウマとなる程の記憶にはなりませんでしたが、引っかかりのある(違和感のある)、記憶として、強く、印象には残っています。



以上、前に行った投稿から抜粋して来た物でした。


私が中学3年生の夏休みの(私が14歳の時の)事件に関しては、以下の(すぐ下でリンクを付けた)投稿を参照して下さい。

1987年の日本のコカ・コーラのCM曲他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_5/view/id/3598602?&sfl=membername&stx=nnemon2




以下、基本的に、前に行った投稿から抜粋して来た物です。





2011年の7月から9月にかけて、弥生(yayoi)美術館(東京都心部)で行われていた、高畠 華宵(takabatake kasyo)(主として、1910年代から1930年代に活躍した、日本の、画家(挿絵画家、グラフィックデザイナー(graphic designer))の展覧会(exhibition)のパンフレット(leaflet)。



写真以下3枚。絵葉書の写真で済みませんが、高畠 華宵(takabatake kasyo)の作品例。




「少女の国」(1920年代に出版されていた少女雑誌)表紙。1927年10月号。




「光」。





「春の丘」(「少女画報」1929年4月号)。1920年代から1930年代の、日本の女学校(第二次世界大戦以前の階級社会の日本において、主として、比較的裕福な、中流階級以上の家庭の娘が通った、女子向けの中等教育機関。ほぼ、現在の小学校と大学の間、即ち、中学と高校に当たる)では、「S」(sisterの略)と言う行為が流行していました。以下、当時の日本の女学校の生徒達の間で流行していた、「S」に関しては、美術館の展示説明を参考にしました。「S」は、女学校の上級生と下級生の間の、擬似恋愛的な行為で、一方(上級生(お姉さん役))は、絶えず守る立場で(守る役割を演じ)、もう一方(下級生(妹役))は、絶えず、守られる立場でした(守られる役割を演じました)。交際の内容は、手紙を交換したり、お揃いの髪型にしたり等、他愛無い(幼稚な)物でしたが、少女時代(や思春期)のロマンティシズム(romanticism)が、生んだ、(当時の)乙女文化(少女・思春期文化)の一つと言えるでしょう。高畠 華宵(takabatake kasyo)は、「S」に関する(又は、「S」を思い起こさせる)、少女や若い女性の作品を、たくさん描いています。


以上、前に行った投稿から抜粋して来た物でした。



ちなみに、後述する、私の母方の祖母と、私の母方の祖母の姉は、実際の姉妹ですが(既に、二人共亡くなっている)、実際の姉妹であり、擬似的な恋愛的な関係でもありませんが、私の母方の祖母の姉が、絶えず、私の母方の祖母を守る立場で、私の母方の祖母は、私の母方の祖母の姉に、絶えず、守られる立場であったと言う点においては、おそらく、「S」の関係に類似していたと思います。



以下、基本的に(参考の投稿を足しています)、前に行った投稿から抜粋して来た物です。


東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地にある、我が家の近所の、私の実家は、元々、私の母方の祖父母の家で(ちなみに母は、一人っ子です)、現在は、両親が引き継いで暮らしています。既に、母方の祖父母共に、亡くなっています。

私の母方の祖母は、若い頃の写真を見ると、中々、綺麗で、(自分の親族に対して言うのもなんなのですが)美人なのですが、私は、太ってしまって、若い頃と、大分、変わってしまってからの、母方の祖母の姿しか知りませんw

私の母は、痩せの大食い(大食いと言っても、標準よりも少し多く食べる程度ですが)の体質(比較的、たくさん食べても痩せている体質)で、私も、私の母からの遺伝で、痩せの大食い(やはり、大食いと言っても、標準よりも少し多く食べる程度ですが)の体質(比較的、たくさん食べても痩せている体質)なのですが、私の母の、痩せの大食いの体質(比較的、たくさん食べても痩せている体質)は、私の母方の祖父、又は、私の母方の祖母の姉(やはり、生涯、痩せている体質であった)に似たのだと思います。ちなみに、私の母は、身長は、163cm位と、私の母の世代の女性にしては、比較的、高い方ですが、それは、母方の祖母(私の、母方の祖母は、身長は、160cm位と、祖母の世代の女性としては、比較的、高い方であった)からの遺伝であると思います(私の母方の祖父は、身長は、165cm位と小柄であった)。ちなみに、私の父の家系は、長身の家系です。

諏訪 根自子(suwa nejiko)(1920年生まれ。2012年に亡くなる)は、1930年代の初め頃から1950年代頃にかけて活躍していた、日本の、女性、violinistです。諏訪 根自子は、1930年代の初めから1930年代の中期にかけて(諏訪 根自子が、10代の初めから10代の中頃にかけて)、(年齢の割に、とても高い実力があった事から)天才と呼ばれ、また、美人(美少女)であった事から、日本の、大衆の間で、現在で言う、女性、アイドル歌手的な、人気を博しました(おそらく。。。)。


写真は、借り物。少女の頃の諏訪 根自子(suwa nejiko)。若い頃の、私の母方の祖母は、若い頃の写真を見る限り、目が大きく、鼻筋が通った(鼻が高い)美人で、若い頃の、私の母方の祖母は、そっくり(完全に似ている)と言う程ではありませんが、少女の頃の諏訪  根自子(suwa nejiko)に似ています。しかしながら、私は、太ってしまって、若い頃と、大分、変わってしまってからの、母方の祖母の姿しか知りませんw 


私の母方の祖母(既に亡くなっています)は、(大学から東京に出てきたものの)、生涯、世間知らずの田舎の裕福な家の箱入りのお嬢さん的な要素があった女性です。私の母方の祖母は、大人しくて、上品な性格でした。

母方の祖母は、(幼い頃・子供の頃は、それでも、ある程度、外で遊んでいたようですが)、子供の頃から、病弱で、基本的に、外に出る事を好まず、ほとんど家で過ごしていた女性であり、生涯、窓際で、白馬の王子様が、自分を迎えに来るのを、待ち続ける、夢見る少女の様な面を持った女性でした。





私の、母方の祖母は、大人しくて、上品な性格であったのですが、私の母の活発な性格は、私の母方の祖母の姉(私の母の、私の母と同年代の、女性の、いとこの母。既に亡くなっています)に似ています。私の母は、幼い頃から、よく、近所の、私の母の、女性の、いとこの家に遊びに行っていました。ちなみに、逆に、私の母の、女性の、いとこは、性格は、上品で、おっとりとしていて、大人しい性格で、性格は、私の母方の祖母に似ています(ちなみに、私の母の、女性の、いとこも、幼い頃・子供の頃、私の母の家(我が家の近所の私の実家)に、よく、遊びに来ていた様です)。



私の母方の祖母は、(大学から東京に出てきたものの)、生涯、世間知らずの田舎の裕福な家の箱入りのお嬢さん的な要素があった女性です。

私の母方の祖母は、東京での学生時代・独身時代、私の母方の祖母の父が、東京の麻布(東京都心部の高級住宅地の一つ)に保有していた東京の別宅に暮らしていたそうです。私の母方の祖母の父は、当時、東京及びその郊外(現在の東京23区内)に、いくつかの、土地と家を保有し、人に貸したり、また、用事が有って、東京に出てくる際の、滞在先等として使ったりしていましたが、その内の一つが、(私の母方の祖母が、見合いによって、私の母方の祖父と結婚した際に)私の母方の祖父母に、与えられました。これが、先に説明した、私が、生まれ育った我が家の近所の実家です(前述の通り、家の建物は、私が生まれる前に建て替えられています)。麻布の家の方は、これよりも、はるかに大きくて、立派だったそうですが、第2次世界大戦後、他人の手に渡ってしまったそうです(私の母方の祖母の実家は、戦後、徐々に、没落して行った様です。現在も、一応、少しは、立派な家に暮らしているらしいですが。。。)。

私の母方の祖母は、見合い(私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)の知り合いの紹介)により、私の母方の祖父と知り合い、結婚しました。私の母方の祖母は、私の母方の祖父と結婚してから、ずっと主婦をしていました。もっとも、私の母方の祖母は、第二次世界大戦が終わるまでは、東京での、学生時代・独身時代を含めて、ずっと、メイド(maid)がいる(メイド(maid)に身の回りの世話をして貰う)生活であったので、主婦とは言っても、私の母方の祖母が、生まれて初めて、本格的に家事をする様になったのは、第二次世界大戦後からであった様です。

私の母方の祖母は、東京のA学院大学と言う、キリスト教系の大学(私の母方の祖母が、卒業した時は、その前身の高等教育機関でしたが)を卒業した後、東京のキリスト教の教会に就職したものの、間もなく、私の母方の祖父と結婚、祖父と結婚した後は、アルバイトを含めて、一切、仕事した事がない、専業主婦であり、人生において、ほとんど社会人と言うものを経験した事がないまま亡くなりました。私の母方の祖母は、生涯、窓際で、白馬の王子様が、自分を迎えに来るのを、待ち続ける、夢見る少女の様な面を持った女性でした。私の母方の祖母は、見合い(私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)の知り合いの紹介)により、私の母方の祖父と知り合い、結婚しました。母方の祖父は、良き(良い)夫でしたが、母方の祖母にとって、母方の祖父は、白馬の王子様としては、物足りない男性であった様ですw

私の母方の祖母の姉は、子供の頃から、ずっと、大人しかった、私の母方の祖母を、リードし、守る存在であった様です。この、私の母方の祖母の姉と、私の母方の祖母の関係は、丁度、私の母と、私の母方の祖母の姉の、一人だけの子供である、私の母と同年代の、私の母の、女性の、いとこの関係に重なります。私の母と、私の母の、女性の、いとこは、お互いに、同年代で、一人っ子(一人娘)同士で、また、子供の頃から、ずっと家が、近所同士である事から、幼い頃から、二人共、高齢者の年齢になる、現在に至るまで、ずっと、親友同志と言った感じで、現在に至るまで、よく、二人で、一緒に、遊びに出掛けていますが、私の母と、私の母の、女性の、いとこが、一緒に、遊ぶ時は、いつも、私の母がリードして、私の母が、お姉さん的な役割を担っている様です。

私の母方の祖母の姉は、(私の母方の祖母と同様)東京のA学院大学を卒業した後、結婚するまで、東京で事務員として働いていました(おそらく、OLの先駆けの様な存在であったと思います)。私の母方の祖母は、前述の通り、見合い(私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)の知り合いの紹介)により、私の母方の祖父と知り合い、結婚しましたが、その際に、私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)の、「この人が、真面目で、性格が優しそうで、お前に良さそうだから、お前は、この人と結婚しなさい」と言った感じの事に、そのまま、素直に従って、私の母方の祖父と結婚した感じですが、私の母方の祖母の姉は、ミーハーな性格であり(私の母方の祖母の姉の、ミーハーな性格は、私の母が、よく受け継いでいますw)、(おそらく)多かった、見合い候補の相手から、自ら、相手を選び、京都大学(当時は、京都帝国大学)を卒業した、エリート銀行員と結婚しました。結婚した際には、私の母方の祖母と同様、私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)から、東京の私の街にある、敷地面積100坪程(約330平方m)の、一戸建て住宅を与えられました。もっとも、私の母方の祖母の姉夫妻は、東京郊外(当時)の別の家に暮らし、私の街の家の方は、別宅の様な感じで使っていた様です。しかし、私の母方の祖母の姉の夫は、現在で言うDVの傾向があった等、性格上、問題があった男性で、その事が原因により(その事に耐え切れなくなった、私の母方の祖母の姉が、その事を、私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)に相談した結果)、私の母方の祖母の姉は、私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)の仲介により離婚、幼い一人娘(私の母と、同年代の、私の女性の、いとこ)と共に、元々、結婚した際に、私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)から与えられた、私の街の、一戸建て住宅に暮らす様になりました(私の母方の祖母の姉は、既に亡くなり、現在、その一戸建て住宅は、私の母の、女性の、いとこ夫妻が、引き継いで暮らしています)。私の母方の祖母の姉は、離婚が成立すると共に、私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)のコネにより、デパートに就職。東京都心のN本橋のM越と言うデパートで働きながら、シングルマザーとして(女手一つで)、私の母の、女性の、いとこを育て上げました。ちなみに、色々とあって(その事に関しては、また機会があれば書きます)、私の母方の祖母の実家が、最後まで、東京に保有していた不動産である、東京中心部(東京23区内)にある、小さな土地は、私の母方の祖母の姉が貰い、私の母方の祖母の姉は、その土地にアパートを建て、アパート経営も行っていた為(現在、そのアパート経営も、私の母の、女性の、いとこ夫妻が、引き継いでいます)、その家賃収入もあり、私の母方の祖母の姉は、収入的には、ゆとりがあった様です。

ちなみに、私の祖母の姉の性格は、私の母が、よく受け継いでいます。ちなみに、私の母は、私の母から私の父にアプローチしての、バリバリの恋愛結婚ですw



 

私の母方の祖母と、私の母方の祖母の姉は、自分の親族に対して、こう言う事も、何なんですが、美人姉妹でした。参考の写真。写真は、借り物。内田 有紀(uchida yuki)の(1975年生まれの、日本の女優)。私の母方の祖母の姉の顔は、丁度、この写真の内田 有紀(uchida yuki)の顔を、顔の輪郭、そのままで、老けて、おばあさんのようにした顔でした。ただし、内田 有紀は、肌の色は、色黒の(たぶん。。。)、女性ですが、私の母方の祖母の姉は、私の母方の祖母と同様、肌の色は、色白(白)でした。




私の、母方の祖母は、身長は、160cm位と、祖母の世代の女性としては、比較的、高い方でしたが、私の母方の祖母の姉は、さらに背が高く、身長は、162cm位ありました。私の母方の祖母は、私は、太ってしまって、若い頃と、大分、変わってしまってからの、母方の祖母の姿しか知りませんが、体質の違いや、母方の祖母は、(幼い頃・子供の頃は、それでも、ある程度、外で遊んでいたようですが)、子供の頃から、病弱で、基本的に、外に出る事を好まず、ほとんど家で過ごしていた事と、実に対照的で、私の母方の祖母の姉は、絶えず動いていないと気が済まない性格と言った違いもあったのだと思いますが、(私の母方の祖母も、私の母方の祖母の姉も、食べ物を食べる量は、おそらく、ほとんど変わらなかったのにもかかわらず)、私の母方の祖母の姉は、生涯、痩せ型の体質でした(生涯、痩せていました)。

私の母方の祖母は、率直に言って、性格に、怠け者で、ものぐさで、ぐうたらな面があった女性でw、私が記憶を遡れる限りから(私が、幼い頃・子供の頃から)、姿勢は、猫背気味で、歩く速度も、のんびりとして(よく言えば、ゆったりとして)、遅かったのですが、私の母方の祖母の姉は、生涯、姿勢の良さや、歩く姿の美しさ等に気をつけて、生涯、背筋が伸び(年齢の割に、非常に姿勢が良く)、歩く速度も速く、矍鑠とした、凛々しい人でした。私の母方の祖母の姉は、(私の母方の祖母と同じく)80歳代の前半(普通に女性が健康に生きたら生きる寿命より短い)で、突然に心筋梗塞で亡くなる直前まで、至って(とても)元気で、普通に生活をしていました。

私は、私の母方の祖母には、私が記憶に残る限り、一度も、叱られた事がなかったのですが、子供の頃、我が家及び我が家の近所の私の実家の近所の、私の母方の祖母の姉の家(私の母方の祖母の姉の、娘(私の母の、私の母と同年代の、私の母の、女性の、いとこ)の家族の家)に遊びに行った際に、挨拶の仕方等で、私の母方の祖母の姉には叱られた事がありますw 私の母方の祖母の姉は、自分の孫(私の母と同年代の、私の母の、女性の、いとこの子供)にも、他人の孫(まあ、他人の孫と言っても、私は、私の母方の祖母の姉の、妹の孫なのですが。。。)にも、分け隔てなく、叱るべき時は、叱ると言う、ポリシー(方針)を持った人であった様です。とは言っても、基本的には、(私の母方の祖母と同様に)性格は優しく、厳しさの中に優しさがあると言うよりも、優しさの中にも厳しさがあると言った人でした。また叱る際にも、感情的に叱るのではなく、理詰めで教え諭すような叱り方をする人で、愛情を持って叱る人でした。

私は両親に甘やかされて自由奔放に育ちましたし、私の母も両親(私の母方の祖父母)に甘やかされて自由奔放に育ちましたが、(さすがに、私の母は、大人になってからは、私の母方の祖母の姉に叱られるような事はなくなったようですし、私の母方の祖母の姉は、年を取ってからは性格が丸くなったようですが(ちなみに、私が知っている、私の母方の祖母の姉は、性格が丸くなってからの、私の母方の祖母の姉です))、私の母は、相対的に、私の母方の祖母(私の母にとっては母)よりも、私の母方の祖母の姉(私の母にとっては伯母)に、はるかに(ずっと)、多く叱られたようでw、母は、(もう、母方の祖母の姉が亡くなってから、長い年月が経っているので、今は、あまり言いませんが)、かつては、常々、伯母(私の母方の祖母の姉)は、(本質的には)優しい人であるが、厳しい人であったと言っていましたw 私の母方の祖母の姉は、やはり、自分の子供(私の母と同年代の、私の母の、女性の、いとこ)も、他人の子供(私の母。まあ、他人の子供と言っても、私の母方の祖母の姉にとっては、妹の子供なのですが)も、分け隔てなく、叱るべき時は、叱ると言う、ポリシー(方針)を持った人であった様です。と言うか、大人しくて、お行儀が良い(性格は、私の母方の祖母に似た)、私の母方の祖母の姉の娘(私の母と同年代の、私の母の、女性の、いとこ)よりも、活発でチャラチャラした私の母の方が、私の母方の祖母の姉に、相対的に、はるかに(ずっと)、多く叱られていたようですw


前述の通り、私の母の、女性の、いとこは、私の母と同様、一人っ子です(一人娘です)。私の母の、女性の、いとこは見合いで、会社員の男性と知り合い結婚しました。また、私の母同様、実質的には、婿養子の様な感じで、自分の実家に夫を受け入れ、子供の頃から、今まで、ずっと実家暮らしです(私の母と、子供の頃から、ずっと近所同士)。 

私の母と同年代の、私の母の、女性の、いとこの見合いによる結婚は、私の母方の祖母の姉(私の母と同年代の、私の母の、女性の、いとこの母)の影響であった事は、確かであると思います。その背景には、私の母方の祖母の姉が、見合いによる結婚とは言え、(おそらく)多かった、見合い候補の相手から、ミーハーな基準により、自ら、相手を選び、結婚相手選び(男選び)を失敗した経験から、自分の、一人だけの子供であり一人きりの娘には、同じ失敗・同じ思いをさせたくないと言う強い気持ち(母心)があった事は明らかであると思います。

前述の通り、私の母方の祖父も、私の父も、結婚したからには、ずっと(一生)、妻の事を大切にし、守らなければならないと言った、昔ながらの(保守的な)、紳士の美学・ポリシー(方針)と言った物を持った男性ですが、私の母の、女性の、いとこの夫(私とは、近所に暮らす、血の繋がっていない親戚の、おじさんと言う関係)も、やはり、結婚したからには、ずっと(一生)、妻の事を大切にし、守らなければならないと言った、昔ながらの(保守的な)、紳士の美学・ポリシー(方針)と言った物を持った男性です。また、私の母の、女性の、いとこの夫は、性格が穏やかで、温和な紳士であると言う点においても、私の母方の祖父と、私の父と共通しています。

私の母の、女性の、いとこの夫は、大学から、田舎から東京に出て来た、K大学(東京の私立の大学)を卒業した会社員で(今は既に定年退職したか半分定年退職状態にあるのか、ちょっと分かりません)、昔から、穏やかで、お洒落な(ファッションにとても気を遣っている)紳士です。

ちなみに、私の母方の祖母の姉は、私の母の、女性の、いとこ(私の母方の祖母の姉の一人娘)が大学を卒業し(私の母と同様、通常の(4年制の)大学を卒業しています)・見合いにより結婚し・また自身が(私の母方の祖母の姉が)仕事を退職し、ゆとりが出来た後は、元々、趣味としていた、ガーデニング(gardening)に、益々、精を出すようになり、私の母方の祖母の姉の生前は、我が家及び我が家の近所の私の実家の近所の、私の母方の祖母の姉の家(現在は、私の母方の祖母の姉の娘(私の母の、女性の、いとこ)夫妻が引き継いで暮らしています)の庭は、私の街の住人の間で、花々が美しい庭の家として、ちょっとした評判でした(ちょっと有名でした)。母方の祖母の姉が亡くなってからは、母方の祖母の姉の家(現在は、私の母方の祖母の姉の娘(私の母の、女性の、いとこ)夫妻が引き継いで暮らしています)の庭の手入れは、主に、私の母の、女性の、いとこの夫(私とは、近所に暮らす、血の繋がっていない親戚の、おじさんと言う関係)が、引き継いで行っていますが、見栄えという点に関して、私の母方の祖母の姉の生前の頃とは、比べ物になりません。

ちなみに、我が家の近所の、私の実家の庭は、一部、私の母方の祖母が花や植物を植えたり・鉢植えの花を置いたりしていた場所がありましたが(母方の祖母が亡くなった後は、その部分の手入れは、私の母が引き継いでいます)、基本的には、日本庭園で(日本伝統式の庭園で)、昔から、手入れは、定期的に、植木屋さんに入って貰って(基本的に植木屋さん任せで)やっています。







動画は、借り物。「晩春(Late Spring)」(1949年)。私は、個人的に、小津  安二郎(ozu yasujiro)の映画が好きなのですが、個人的に、小津 安二郎の映画の中でも、一番、好きな映画は、地味な映画ですが(と言うか、そもそも、小津  安二郎は、黒澤 明(kurosawa akira。1910年生まれ。1998年に亡くなる。日本の世界的に有名な映画監督の一人)等と異なり、人々の日常を舞台とした、地味な映画を特徴とする、映画監督です)、「晩春(Late Spring)」(1949年)です。その理由の一つに、「晩春(Late Spring)」の登場人物達が、私の、身近な人々に重なると言うのがあります。笠 智衆(ryu chishu)と言う、日本の俳優が演じる、保守的で、つましい(質素な)、大学の教授は、誰に対しても、めったに怒らない穏やかな紳士であった、亡くなった、私の母方の祖父に重なります。原 節子(harasetsuko)と言う日本の女優が演じる、大学教授の娘は、亡くなった、私の母方の祖母に重なります。原 節子(harasetsuko)が演じる、大学教授の娘の、元々、女学校(第二次世界大戦以前の日本における、女子(女性)向けの中等教育機関。ほぼ、現在の小学校と大学の間、即ち、中学校と高校に当たる)の同級生(同学年・同じクラス)である、親友の女性(月丘 夢路(tsukioka yumeji)と言う、日本の女優が演じています)は、我が家、及び、我が家の近所の実家の近所に暮らしていた、亡くなった、私の母方の祖母の姉の若い頃のイメージに重なります。



以上、前に行った投稿から抜粋して来た物でした。

以下、参考の投稿。

芸者(geisha)・祖父の話他 (私の母方の祖父に関する話を含む参考の投稿)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658686/page/12?&sfl=membername&stx=nnemon2
母方の祖母の話(私の母方の祖母に関する参考の投稿)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658687/page/12?&sfl=membername&stx=nnemon2



以下、前に行った投稿から抜粋して来た物で、彼女のリクエストで、彼女と映画館で見た、映画、「アナの雪の女王2(Frozen II)」の感想です。


ストーリーは弱いですが、純粋に、エンターテイメントとして、面白く、楽しめました。

彼女も、同様の感想で、ストーリーは弱いが、面白く、楽しかったと言っていました。

最後の、エルサの立ち位置・立場(アナに王国の女王を譲った後、どの様に暮らして行くのかという描写)が微妙ですが。

映画が、終わった後、彼女と、「エルサって、男っ気ないよね。次回は、エルサの、ボーイフレンド絡みの話で来るのかな」と言った話をしましたw また、「アナは、(誰かさんみたいに)、ちょっとしたお出掛けでも、「どこに行って来たんだ」等と、いちいち詮索が細かく、また、出掛ける際に「本当に、そのお出掛けが必要なのか?」と言って来たりして妻・彼女の自由を出来るだけ制限しようとしたり、妻・彼女が出掛けている最中にうるさく連絡して来たり連絡を要求して来たりして、妻・彼女の、束縛が激しいような男とは、絶対交際・結婚出来ないよね。クリストフと結婚して、良かったね」と言った内容の話を笑いながらしていました。

上の、誰かさんとは、後述する、彼女の母方の義理の伯父(彼女の母方の伯母の夫)の事です。ちなみに、彼女は、彼女の母方の義理の伯父(彼女の母方の伯母の夫)を嫌っています。


以下、「」内。私の前の投稿文より。。。

「今年(2018年)の、4月1日のぎりぎり、夜11時頃から、今の彼女にエイプリルフールの嘘しかけられて、彼女の母方の義理の伯父(彼女の母方の伯母の夫)が福岡に単身赴任中に現地の愛人と作った隠し子(隠し子が生まれて間もない頃か幼い頃に示談が成立し?彼女の母方の義理の伯父(彼女の母方の伯母)の家族とは没交渉となっている)(以上まで事実)が、福岡でご当地アイドルグループのメンバーとなっている事が発覚したと言う嘘に、まんまとすっかり騙されてしまいましたw(彼女は、その嘘の為に、わざわざ、あらかじめ適当な福岡のご当地アイドルグループを検索し、実際に存在する福岡のご当地アイドルグループを出して来ましたw)。」


上の「」内の、彼女の母方の義理の伯父(彼女の母方の伯母の夫)は、私は、以前から、彼女から、彼女の母方の義理の伯父(彼女の母方の伯母の夫)に関する話を聞いていますが、彼女の母方の義理の伯父(彼女の母方の伯母の夫)は、正に、妻(彼女の母方の伯母)に対して、ちょっとしたお出掛けでも、「どこに行って来たんだ」等と、いちいち詮索が細かく、また、出掛ける際に「本当に、そのお出掛けが必要なのか?」と言って来たりして妻の自由を出来るだけ制限しようとしたり、妻が出掛けている最中にうるさく連絡して来たり連絡を要求して来たりして、妻の、束縛が激しいタイプの男性です。


また、彼女の母方の義理の伯父(彼女の母方の伯母の夫)は、大学は、K大学(東京の私立の大学)を出ており、会社員で、出世をし、仕事は出来、お金は、会社員としては相当稼いでいるようですが(私は、会った事がありませんが、外面(そとづら)は、とても良いそうです)、女性と交際するまで又は結婚するまでは、調子が良く、口が上手く、女性に、いい顔をし、女性に優しくするが、女性と交際した又は結婚したとたんに、釣った魚には、餌をあげなくなるタイプの男性のようです。


ちなみに、私の親戚にも、K大学を卒業した者が、何人かいます。

以下、参考の投稿

大國魂神社(1900年以上の歴史を有する神社)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658684/page/12?&sfl=membername&stx=nnemon2
前の投稿より(私の母方の祖母の姉の話他)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3584064/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2


彼女の母方の伯母は、彼女の母方の義理の伯父と恋愛結婚で結婚しましたが(交際してから結婚するまでの期間は、短かった様です)、そんな夫である、彼女の母方の義理の伯父には、愛想を尽かし、夫(彼女の母方の義理の伯父)に対しては、全く、無感情な状態で接しており、彼女の母方の伯母は、料理教室の先生という仕事を持っているのですが、そこに集中をし、そこに人生の生きがいと楽しみを見出しているそうです。また、彼女の母方の伯母と彼女の母方の義理の伯父の間には、子供が2人(女性(姉)、男性(弟))いるのですが、2人の子供共、父の事(彼女の母方の義理の伯父)を、昔から、とても嫌悪しているそうです。


 


約350年の歴史のデパート・私の母方の祖母の姉の話他




基本的に(参考の投稿を入れ替える等しています)、一昨年の12月に行った投稿の再掲です。


以下、最近の投稿・参考の投稿。

Mambo Italiano他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_5/view/id/3705330/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2
アニメキャラ実写化色々他&曲→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3644406/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2
GACKT/アニメのテーマ曲他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_5/view/id/3603441/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2




https://youtu.be/-cwWR-kP64E

<iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube-nocookie.com/embed/-cwWR-kP64E" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe>
動画は、借り物。O Christmas Tree。「The Christmas Chronicles 2」より。一昨日の夜、彼女と、我が家で、Netflixで、「The Christmas Chronicles 2」(2020年のアメリカ映画)を見ました。ちなみに、我が家も、Netflixに加入していますが、私は、Netflixは、基本的に、彼女と我が家で過ごしている時に、彼女と見る位で、私が一人の時は、ほぼほぼ見ませんw ちなみに、私は見ていませんが、彼女は、「The Christmas Chronicles」は、既に、我が家の隣の区の彼女の一人暮らしのマンションで、Netflixで見ていました。「The Christmas Chronicles 2」を見た感想は、私も彼女も、概ね同じで、ストーリーは弱いが、映像が綺麗で、まあまあ、楽しめた映画と言った感じでした。

「The Christmas Chronicles 2」は、日本語吹き替え版で見ました。正確なセリフではないかもしれませんが(厳密には違っていると思います)、映画の中で、「家族だけは、いつでも、味方になってくれる」と言った感じのセリフがあったのですが、彼女と、このセリフについて、アメリカだって、家族の関係・親子の関係が上手くいっていない家庭が、たくさんあると思うのに、そうした人達が、映画の中の、このセリフを聞いたら、切ない気持ちになるんじゃないかなと話していました。

ちなみに、彼女と彼女の母の仲は、彼女が、子供の頃から、決して上手く行っている訳ではありません。

以下(すぐ下でリンクを付けた投稿)、その事に関する参考の投稿。

Strong/A Whole New World他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_5/view/id/3657579/page/23?&sfl=membername&stx=nnemon2






写真は、借り物(写真の作者:Kakidai)。三越(Mitsukoshi)は、1673年に、東京で創業したデパートです。写真は、1927年に建てられた、現在の、三越(Mitsukoshi)、日本橋(nihonbashi)店の、本館(honkan)の建物です。後述する、私の母方の祖母の姉が、かつて務めていたデパートです。



以下、以下の投稿から抜粋して来た物です。後述する、亡くなった、私の母方の祖母が、最も、好きであった、イラストレーター、蕗谷虹児(fukiyakoji)に関する投稿です。蕗谷 虹児(fukiya koji)に関する説明は、展覧会(exhibition)のカタログ(catalogue)(すぐ下でリンクを付けた投稿を参照)等を参考にしました。

蕗谷虹児(fukiyakoji)1→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3646085/page/10?&sfl=membername&stx=nnemon2


蕗谷 虹児(fukiya koji)は、竹久 夢二(takehisa yumeji)、高畠 華宵(takabatake kasyo)等と共に、日本の少女漫画(少女向けの漫画)の画風の原型を作った作家です。現代の、日本の、少女漫画家(少女向けの漫画の、漫画家)にも、蕗谷 虹児(fukiya koji)のファン(fan)は多く、「蕗谷 虹児(fukiya koji)を参考にした」と明言している、竹宮 恵子(takemiya keiko)(上の説明参照)は、これまた、次世代の、日本の、少女漫画家(少女向けの漫画の、漫画家)に、大きな影響を及ぼし続けている漫画家の一人となっています(この展覧会(exhibition)のカタログ(catalogue)より。。。)。


以上、前に行った投稿から抜粋して来た物でした。



私は、竹宮 恵子(takemiya keiko)さんは、全く詳しくないのですが、後から知ったのですが(後述する、ビョルン・アンドレセン (Björn Andrésen)の記事を読んでから知ったのですが)、BL漫画の、最初の、著名な作品である、「風と木の詩」(私は、この漫画について知りません)の、主人公の、モデルは、後述する、Björn Andrésenだったんですね。




以下、基本的に(参考の投稿を足しています)、11月の上旬に行った投稿から抜粋して来た物です。


以下2つの動画(動画は、借り物)は、you tubeで、お勧めの動画として出て来た動画及び、その関連動画で、先日、彼女と、我が家で、見てみた、面白動画です。ちなみに、以下2つの動画作成者の動画は、以下2つの動画を含めて、今までに、kjで紹介している物しか見ていません。



<iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube-nocookie.com/embed/MFw_2UqXJy8" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe>
女性アナウンサーさん、「団塊」を「だんこん」と読み間違い気まずい放送事故を起こしてしまうww 2週間程前にアップされた動画の様です。前から、彼女に話している、前述した、私の母の、言い間違えのエピソードもあり、私も彼女も、面白く見ましたw


すぐ上の動画に関して、以下の投稿を参照して下さい。

ユニコーン-「ヒゲとボイン」/Sensual Sax JAZZ他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_5/view/id/3705325/page/3?&sfl=membername&stx=nnemon2




<iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube-nocookie.com/embed/cpp94SIVMWQ" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe>
腐女子が作った「BLあるある川柳」、BLを知らなくても面白いww 9日程前にアップされた動画の様です。私も彼女も、BLは、全く興味がなく、全く詳しくありませんが、この動画は、面白く見ましたw 彼女が、最近、我が家の隣の区の彼女の一人暮らしのマンションで、Netflixで、楽しんで見ているアニメに、ユーリ!!! on ICE(Yuri on Ice)があるのですが(ちなみに、彼女は、ユーリ!!! on ICE(Yuri on Ice)は、リアルタイムでは見ていなかったそうです)、彼女は、「ユーリ!!! on ICE(Yuri on Ice)」は、純粋に、スポーツを通じた成長物語として楽しんで見ていて、ユーリ!!! on ICE(Yuri on Ice)の、BL的な要素は、全く、意識しないで(気づかないで)見ていたそうですが、この動画を見て、そう言えば、思い返してみたら、「ユーリ!!! on ICE(Yuri on Ice)」は、BLを感じさせる要素・場面がたくさんあったかもと言っていました(ちなみに、私も、彼女も、天然で、細かい事を気にしない、大雑把な面があります)。ちなみに、私は、「ユーリ!!! on ICE(Yuri on Ice)」は、興味がなく見ていません(彼女に聞くまで、このアニメ作品の存在も知りませんでした)。また、私は、フィギュアスケートに興味がないので、全く、詳しくないのですが、彼女も、フィギュアスケート自体には、興味がありません。

以下、参考の投稿。

パタリロのテーマ曲他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3644405/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2



以下、前に行った投稿から抜粋して来た物です。


以下の(すぐ下でリンクを付けた)、ELLEの記事は、もう、だいぶ前の事ですが、適当に目に付いて、彼女と見てみた記事です。ちなみに、私も、彼女も、映画、「ベニスに死す(Death in Venice)」(1971年)も、「世界で一番美しい少年(The Most Beautiful Boy in the World)」(2021年)も、見ておらず、詳しくありません。

大人たちに性的に食い物にされた“世界一美しい少年”~『ベニスに死す』ビョルン・アンドレセン 【毒家族に生まれて】。
50年前、「ルーヴルに飾るべき」とまで評された美少年の人生は、名声と引き換えに汚された→
https://www.elle.com/jp/culture/celebgossip/g35475943/born-into-a-whutering-family-bjorn-andresen-210216/



ベニスに死す(Death in Venice)で主要な役を演じた、Björn Andrésen(私は、詳しくありません)は、大変な人生を歩んで来た様ですね。ちなみに、後述する、私が中学3年生の夏休みの(私が14歳の時の)事件は、私にトラウマとなる程の記憶にはなりませんでしたが、引っかかりのある(違和感のある)、記憶として、強く、印象には残っています。



<iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube-nocookie.com/embed/P8snvOmA0Rc" title="YouTube video player" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; clipboard-write; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe>
動画は、借り物。映画『ベニスに死す』予告編。今、適当に、you tubeで、「ベニスに死す」で検索して出て来た動画の中から。。。





写真以下2枚。写真は、借り物。今、適当に、「ビョルン・アンドレセン (Björn Andrésen)」で検索して出て来た写真の中から。。。













前述の通り、後述する、私が中学3年生の夏休みの(私が14歳の時の)事件は、私にトラウマとなる程の記憶にはなりませんでしたが、引っかかりのある(違和感のある)、記憶として、強く、印象には残っています。



以上、前に行った投稿から抜粋して来た物でした。


私が中学3年生の夏休みの(私が14歳の時の)事件に関しては、以下の(すぐ下でリンクを付けた)投稿を参照して下さい。

1987年の日本のコカ・コーラのCM曲他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_5/view/id/3598602?&sfl=membername&stx=nnemon2




以下、基本的に、前に行った投稿から抜粋して来た物です。





2011年の7月から9月にかけて、弥生(yayoi)美術館(東京都心部)で行われていた、高畠 華宵(takabatake kasyo)(主として、1910年代から1930年代に活躍した、日本の、画家(挿絵画家、グラフィックデザイナー(graphic designer))の展覧会(exhibition)のパンフレット(leaflet)。



写真以下3枚。絵葉書の写真で済みませんが、高畠 華宵(takabatake kasyo)の作品例。




「少女の国」(1920年代に出版されていた少女雑誌)表紙。1927年10月号。




「光」。





「春の丘」(「少女画報」1929年4月号)。1920年代から1930年代の、日本の女学校(第二次世界大戦以前の階級社会の日本において、主として、比較的裕福な、中流階級以上の家庭の娘が通った、女子向けの中等教育機関。ほぼ、現在の小学校と大学の間、即ち、中学と高校に当たる)では、「S」(sisterの略)と言う行為が流行していました。以下、当時の日本の女学校の生徒達の間で流行していた、「S」に関しては、美術館の展示説明を参考にしました。「S」は、女学校の上級生と下級生の間の、擬似恋愛的な行為で、一方(上級生(お姉さん役))は、絶えず守る立場で(守る役割を演じ)、もう一方(下級生(妹役))は、絶えず、守られる立場でした(守られる役割を演じました)。交際の内容は、手紙を交換したり、お揃いの髪型にしたり等、他愛無い(幼稚な)物でしたが、少女時代(や思春期)のロマンティシズム(romanticism)が、生んだ、(当時の)乙女文化(少女・思春期文化)の一つと言えるでしょう。高畠 華宵(takabatake kasyo)は、「S」に関する(又は、「S」を思い起こさせる)、少女や若い女性の作品を、たくさん描いています。


以上、前に行った投稿から抜粋して来た物でした。



ちなみに、後述する、私の母方の祖母と、私の母方の祖母の姉は、実際の姉妹ですが(既に、二人共亡くなっている)、実際の姉妹であり、擬似的な恋愛的な関係でもありませんが、私の母方の祖母の姉が、絶えず、私の母方の祖母を守る立場で、私の母方の祖母は、私の母方の祖母の姉に、絶えず、守られる立場であったと言う点においては、おそらく、「S」の関係に類似していたと思います。



以下、基本的に(参考の投稿を足しています)、前に行った投稿から抜粋して来た物です。


東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地にある、我が家の近所の、私の実家は、元々、私の母方の祖父母の家で(ちなみに母は、一人っ子です)、現在は、両親が引き継いで暮らしています。既に、母方の祖父母共に、亡くなっています。

私の母方の祖母は、若い頃の写真を見ると、中々、綺麗で、(自分の親族に対して言うのもなんなのですが)美人なのですが、私は、太ってしまって、若い頃と、大分、変わってしまってからの、母方の祖母の姿しか知りませんw

私の母は、痩せの大食い(大食いと言っても、標準よりも少し多く食べる程度ですが)の体質(比較的、たくさん食べても痩せている体質)で、私も、私の母からの遺伝で、痩せの大食い(やはり、大食いと言っても、標準よりも少し多く食べる程度ですが)の体質(比較的、たくさん食べても痩せている体質)なのですが、私の母の、痩せの大食いの体質(比較的、たくさん食べても痩せている体質)は、私の母方の祖父、又は、私の母方の祖母の姉(やはり、生涯、痩せている体質であった)に似たのだと思います。ちなみに、私の母は、身長は、163cm位と、私の母の世代の女性にしては、比較的、高い方ですが、それは、母方の祖母(私の、母方の祖母は、身長は、160cm位と、祖母の世代の女性としては、比較的、高い方であった)からの遺伝であると思います(私の母方の祖父は、身長は、165cm位と小柄であった)。ちなみに、私の父の家系は、長身の家系です。

諏訪 根自子(suwa nejiko)(1920年生まれ。2012年に亡くなる)は、1930年代の初め頃から1950年代頃にかけて活躍していた、日本の、女性、violinistです。諏訪 根自子は、1930年代の初めから1930年代の中期にかけて(諏訪 根自子が、10代の初めから10代の中頃にかけて)、(年齢の割に、とても高い実力があった事から)天才と呼ばれ、また、美人(美少女)であった事から、日本の、大衆の間で、現在で言う、女性、アイドル歌手的な、人気を博しました(おそらく。。。)。


写真は、借り物。少女の頃の諏訪 根自子(suwa nejiko)。若い頃の、私の母方の祖母は、若い頃の写真を見る限り、目が大きく、鼻筋が通った(鼻が高い)美人で、若い頃の、私の母方の祖母は、そっくり(完全に似ている)と言う程ではありませんが、少女の頃の諏訪  根自子(suwa nejiko)に似ています。しかしながら、私は、太ってしまって、若い頃と、大分、変わってしまってからの、母方の祖母の姿しか知りませんw 


私の母方の祖母(既に亡くなっています)は、(大学から東京に出てきたものの)、生涯、世間知らずの田舎の裕福な家の箱入りのお嬢さん的な要素があった女性です。私の母方の祖母は、大人しくて、上品な性格でした。

母方の祖母は、(幼い頃・子供の頃は、それでも、ある程度、外で遊んでいたようですが)、子供の頃から、病弱で、基本的に、外に出る事を好まず、ほとんど家で過ごしていた女性であり、生涯、窓際で、白馬の王子様が、自分を迎えに来るのを、待ち続ける、夢見る少女の様な面を持った女性でした。





私の、母方の祖母は、大人しくて、上品な性格であったのですが、私の母の活発な性格は、私の母方の祖母の姉(私の母の、私の母と同年代の、女性の、いとこの母。既に亡くなっています)に似ています。私の母は、幼い頃から、よく、近所の、私の母の、女性の、いとこの家に遊びに行っていました。ちなみに、逆に、私の母の、女性の、いとこは、性格は、上品で、おっとりとしていて、大人しい性格で、性格は、私の母方の祖母に似ています(ちなみに、私の母の、女性の、いとこも、幼い頃・子供の頃、私の母の家(我が家の近所の私の実家)に、よく、遊びに来ていた様です)。



私の母方の祖母は、(大学から東京に出てきたものの)、生涯、世間知らずの田舎の裕福な家の箱入りのお嬢さん的な要素があった女性です。

私の母方の祖母は、東京での学生時代・独身時代、私の母方の祖母の父が、東京の麻布(東京都心部の高級住宅地の一つ)に保有していた東京の別宅に暮らしていたそうです。私の母方の祖母の父は、当時、東京及びその郊外(現在の東京23区内)に、いくつかの、土地と家を保有し、人に貸したり、また、用事が有って、東京に出てくる際の、滞在先等として使ったりしていましたが、その内の一つが、(私の母方の祖母が、見合いによって、私の母方の祖父と結婚した際に)私の母方の祖父母に、与えられました。これが、先に説明した、私が、生まれ育った我が家の近所の実家です(前述の通り、家の建物は、私が生まれる前に建て替えられています)。麻布の家の方は、これよりも、はるかに大きくて、立派だったそうですが、第2次世界大戦後、他人の手に渡ってしまったそうです(私の母方の祖母の実家は、戦後、徐々に、没落して行った様です。現在も、一応、少しは、立派な家に暮らしているらしいですが。。。)。

私の母方の祖母は、見合い(私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)の知り合いの紹介)により、私の母方の祖父と知り合い、結婚しました。私の母方の祖母は、私の母方の祖父と結婚してから、ずっと主婦をしていました。もっとも、私の母方の祖母は、第二次世界大戦が終わるまでは、東京での、学生時代・独身時代を含めて、ずっと、メイド(maid)がいる(メイド(maid)に身の回りの世話をして貰う)生活であったので、主婦とは言っても、私の母方の祖母が、生まれて初めて、本格的に家事をする様になったのは、第二次世界大戦後からであった様です。

私の母方の祖母は、東京のA学院大学と言う、キリスト教系の大学(私の母方の祖母が、卒業した時は、その前身の高等教育機関でしたが)を卒業した後、東京のキリスト教の教会に就職したものの、間もなく、私の母方の祖父と結婚、祖父と結婚した後は、アルバイトを含めて、一切、仕事した事がない、専業主婦であり、人生において、ほとんど社会人と言うものを経験した事がないまま亡くなりました。私の母方の祖母は、生涯、窓際で、白馬の王子様が、自分を迎えに来るのを、待ち続ける、夢見る少女の様な面を持った女性でした。私の母方の祖母は、見合い(私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)の知り合いの紹介)により、私の母方の祖父と知り合い、結婚しました。母方の祖父は、良き(良い)夫でしたが、母方の祖母にとって、母方の祖父は、白馬の王子様としては、物足りない男性であった様ですw

私の母方の祖母の姉は、子供の頃から、ずっと、大人しかった、私の母方の祖母を、リードし、守る存在であった様です。この、私の母方の祖母の姉と、私の母方の祖母の関係は、丁度、私の母と、私の母方の祖母の姉の、一人だけの子供である、私の母と同年代の、私の母の、女性の、いとこの関係に重なります。私の母と、私の母の、女性の、いとこは、お互いに、同年代で、一人っ子(一人娘)同士で、また、子供の頃から、ずっと家が、近所同士である事から、幼い頃から、二人共、高齢者の年齢になる、現在に至るまで、ずっと、親友同志と言った感じで、現在に至るまで、よく、二人で、一緒に、遊びに出掛けていますが、私の母と、私の母の、女性の、いとこが、一緒に、遊ぶ時は、いつも、私の母がリードして、私の母が、お姉さん的な役割を担っている様です。

私の母方の祖母の姉は、(私の母方の祖母と同様)東京のA学院大学を卒業した後、結婚するまで、東京で事務員として働いていました(おそらく、OLの先駆けの様な存在であったと思います)。私の母方の祖母は、前述の通り、見合い(私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)の知り合いの紹介)により、私の母方の祖父と知り合い、結婚しましたが、その際に、私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)の、「この人が、真面目で、性格が優しそうで、お前に良さそうだから、お前は、この人と結婚しなさい」と言った感じの事に、そのまま、素直に従って、私の母方の祖父と結婚した感じですが、私の母方の祖母の姉は、ミーハーな性格であり(私の母方の祖母の姉の、ミーハーな性格は、私の母が、よく受け継いでいますw)、(おそらく)多かった、見合い候補の相手から、自ら、相手を選び、京都大学(当時は、京都帝国大学)を卒業した、エリート銀行員と結婚しました。結婚した際には、私の母方の祖母と同様、私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)から、東京の私の街にある、敷地面積100坪程(約330平方m)の、一戸建て住宅を与えられました。もっとも、私の母方の祖母の姉夫妻は、東京郊外(当時)の別の家に暮らし、私の街の家の方は、別宅の様な感じで使っていた様です。しかし、私の母方の祖母の姉の夫は、現在で言うDVの傾向があった等、性格上、問題があった男性で、その事が原因により(その事に耐え切れなくなった、私の母方の祖母の姉が、その事を、私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)に相談した結果)、私の母方の祖母の姉は、私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)の仲介により離婚、幼い一人娘(私の母と、同年代の、私の女性の、いとこ)と共に、元々、結婚した際に、私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)から与えられた、私の街の、一戸建て住宅に暮らす様になりました(私の母方の祖母の姉は、既に亡くなり、現在、その一戸建て住宅は、私の母の、女性の、いとこ夫妻が、引き継いで暮らしています)。私の母方の祖母の姉は、離婚が成立すると共に、私の母方の祖母の父(私の母方の曽祖父)のコネにより、デパートに就職。東京都心のN本橋のM越と言うデパートで働きながら、シングルマザーとして(女手一つで)、私の母の、女性の、いとこを育て上げました。ちなみに、色々とあって(その事に関しては、また機会があれば書きます)、私の母方の祖母の実家が、最後まで、東京に保有していた不動産である、東京中心部(東京23区内)にある、小さな土地は、私の母方の祖母の姉が貰い、私の母方の祖母の姉は、その土地にアパートを建て、アパート経営も行っていた為(現在、そのアパート経営も、私の母の、女性の、いとこ夫妻が、引き継いでいます)、その家賃収入もあり、私の母方の祖母の姉は、収入的には、ゆとりがあった様です。

ちなみに、私の祖母の姉の性格は、私の母が、よく受け継いでいます。ちなみに、私の母は、私の母から私の父にアプローチしての、バリバリの恋愛結婚ですw



私の母方の祖母と、私の母方の祖母の姉は、自分の親族に対して、こう言う事も、何なんですが、美人姉妹でした。参考の写真。写真は、借り物。内田 有紀(uchida yuki)の(1975年生まれの、日本の女優)。私の母方の祖母の姉の顔は、丁度、この写真の内田 有紀(uchida yuki)の顔を、顔の輪郭、そのままで、老けて、おばあさんのようにした顔でした。ただし、内田 有紀は、肌の色は、色黒の(たぶん。。。)、女性ですが、私の母方の祖母の姉は、私の母方の祖母と同様、肌の色は、色白(白)でした。




私の、母方の祖母は、身長は、160cm位と、祖母の世代の女性としては、比較的、高い方でしたが、私の母方の祖母の姉は、さらに背が高く、身長は、162cm位ありました。私の母方の祖母は、私は、太ってしまって、若い頃と、大分、変わってしまってからの、母方の祖母の姿しか知りませんが、体質の違いや、母方の祖母は、(幼い頃・子供の頃は、それでも、ある程度、外で遊んでいたようですが)、子供の頃から、病弱で、基本的に、外に出る事を好まず、ほとんど家で過ごしていた事と、実に対照的で、私の母方の祖母の姉は、絶えず動いていないと気が済まない性格と言った違いもあったのだと思いますが、(私の母方の祖母も、私の母方の祖母の姉も、食べ物を食べる量は、おそらく、ほとんど変わらなかったのにもかかわらず)、私の母方の祖母の姉は、生涯、痩せ型の体質でした(生涯、痩せていました)。

私の母方の祖母は、率直に言って、性格に、怠け者で、ものぐさで、ぐうたらな面があった女性でw、私が記憶を遡れる限りから(私が、幼い頃・子供の頃から)、姿勢は、猫背気味で、歩く速度も、のんびりとして(よく言えば、ゆったりとして)、遅かったのですが、私の母方の祖母の姉は、生涯、姿勢の良さや、歩く姿の美しさ等に気をつけて、生涯、背筋が伸び(年齢の割に、非常に姿勢が良く)、歩く速度も速く、矍鑠とした、凛々しい人でした。私の母方の祖母の姉は、(私の母方の祖母と同じく)80歳代の前半(普通に女性が健康に生きたら生きる寿命より短い)で、突然に心筋梗塞で亡くなる直前まで、至って(とても)元気で、普通に生活をしていました。

私は、私の母方の祖母には、私が記憶に残る限り、一度も、叱られた事がなかったのですが、子供の頃、我が家及び我が家の近所の私の実家の近所の、私の母方の祖母の姉の家(私の母方の祖母の姉の、娘(私の母の、私の母と同年代の、私の母の、女性の、いとこ)の家族の家)に遊びに行った際に、挨拶の仕方等で、私の母方の祖母の姉には叱られた事がありますw 私の母方の祖母の姉は、自分の孫(私の母と同年代の、私の母の、女性の、いとこの子供)にも、他人の孫(まあ、他人の孫と言っても、私は、私の母方の祖母の姉の、妹の孫なのですが。。。)にも、分け隔てなく、叱るべき時は、叱ると言う、ポリシー(方針)を持った人であった様です。とは言っても、基本的には、(私の母方の祖母と同様に)性格は優しく、厳しさの中に優しさがあると言うよりも、優しさの中にも厳しさがあると言った人でした。また叱る際にも、感情的に叱るのではなく、理詰めで教え諭すような叱り方をする人で、愛情を持って叱る人でした。

私は両親に甘やかされて自由奔放に育ちましたし、私の母も両親(私の母方の祖父母)に甘やかされて自由奔放に育ちましたが、(さすがに、私の母は、大人になってからは、私の母方の祖母の姉に叱られるような事はなくなったようですし、私の母方の祖母の姉は、年を取ってからは性格が丸くなったようですが(ちなみに、私が知っている、私の母方の祖母の姉は、性格が丸くなってからの、私の母方の祖母の姉です))、私の母は、相対的に、私の母方の祖母(私の母にとっては母)よりも、私の母方の祖母の姉(私の母にとっては伯母)に、はるかに(ずっと)、多く叱られたようでw、母は、(もう、母方の祖母の姉が亡くなってから、長い年月が経っているので、今は、あまり言いませんが)、かつては、常々、伯母(私の母方の祖母の姉)は、(本質的には)優しい人であるが、厳しい人であったと言っていましたw 私の母方の祖母の姉は、やはり、自分の子供(私の母と同年代の、私の母の、女性の、いとこ)も、他人の子供(私の母。まあ、他人の子供と言っても、私の母方の祖母の姉にとっては、妹の子供なのですが)も、分け隔てなく、叱るべき時は、叱ると言う、ポリシー(方針)を持った人であった様です。と言うか、大人しくて、お行儀が良い(性格は、私の母方の祖母に似た)、私の母方の祖母の姉の娘(私の母と同年代の、私の母の、女性の、いとこ)よりも、活発でチャラチャラした私の母の方が、私の母方の祖母の姉に、相対的に、はるかに(ずっと)、多く叱られていたようですw


前述の通り、私の母の、女性の、いとこは、私の母と同様、一人っ子です(一人娘です)。私の母の、女性の、いとこは見合いで、会社員の男性と知り合い結婚しました。また、私の母同様、実質的には、婿養子の様な感じで、自分の実家に夫を受け入れ、子供の頃から、今まで、ずっと実家暮らしです(私の母と、子供の頃から、ずっと近所同士)。 

私の母と同年代の、私の母の、女性の、いとこの見合いによる結婚は、私の母方の祖母の姉(私の母と同年代の、私の母の、女性の、いとこの母)の影響であった事は、確かであると思います。その背景には、私の母方の祖母の姉が、見合いによる結婚とは言え、(おそらく)多かった、見合い候補の相手から、ミーハーな基準により、自ら、相手を選び、結婚相手選び(男選び)を失敗した経験から、自分の、一人だけの子供であり一人きりの娘には、同じ失敗・同じ思いをさせたくないと言う強い気持ち(母心)があった事は明らかであると思います。

前述の通り、私の母方の祖父も、私の父も、結婚したからには、ずっと(一生)、妻の事を大切にし、守らなければならないと言った、昔ながらの(保守的な)、紳士の美学・ポリシー(方針)と言った物を持った男性ですが、私の母の、女性の、いとこの夫(私とは、近所に暮らす、血の繋がっていない親戚の、おじさんと言う関係)も、やはり、結婚したからには、ずっと(一生)、妻の事を大切にし、守らなければならないと言った、昔ながらの(保守的な)、紳士の美学・ポリシー(方針)と言った物を持った男性です。また、私の母の、女性の、いとこの夫は、性格が穏やかで、温和な紳士であると言う点においても、私の母方の祖父と、私の父と共通しています。

私の母の、女性の、いとこの夫は、大学から、田舎から東京に出て来た、K大学(東京の私立の大学)を卒業した会社員で(今は既に定年退職したか半分定年退職状態にあるのか、ちょっと分かりません)、昔から、穏やかで、お洒落な(ファッションにとても気を遣っている)紳士です。

ちなみに、私の母方の祖母の姉は、私の母の、女性の、いとこ(私の母方の祖母の姉の一人娘)が大学を卒業し(私の母と同様、通常の(4年制の)大学を卒業しています)・見合いにより結婚し・また自身が(私の母方の祖母の姉が)仕事を退職し、ゆとりが出来た後は、元々、趣味としていた、ガーデニング(gardening)に、益々、精を出すようになり、私の母方の祖母の姉の生前は、我が家及び我が家の近所の私の実家の近所の、私の母方の祖母の姉の家(現在は、私の母方の祖母の姉の娘(私の母の、女性の、いとこ)夫妻が引き継いで暮らしています)の庭は、私の街の住人の間で、花々が美しい庭の家として、ちょっとした評判でした(ちょっと有名でした)。母方の祖母の姉が亡くなってからは、母方の祖母の姉の家(現在は、私の母方の祖母の姉の娘(私の母の、女性の、いとこ)夫妻が引き継いで暮らしています)の庭の手入れは、主に、私の母の、女性の、いとこの夫(私とは、近所に暮らす、血の繋がっていない親戚の、おじさんと言う関係)が、引き継いで行っていますが、見栄えという点に関して、私の母方の祖母の姉の生前の頃とは、比べ物になりません。

ちなみに、我が家の近所の、私の実家の庭は、一部、私の母方の祖母が花や植物を植えたり・鉢植えの花を置いたりしていた場所がありましたが(母方の祖母が亡くなった後は、その部分の手入れは、私の母が引き継いでいます)、基本的には、日本庭園で(日本伝統式の庭園で)、昔から、手入れは、定期的に、植木屋さんに入って貰って(基本的に植木屋さん任せで)やっています。






<iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube-nocookie.com/embed/g_Czx6qdKJo" frameborder="0" allow="accelerometer; autoplay; encrypted-media; gyroscope; picture-in-picture" allowfullscreen></iframe>
動画は、借り物。「晩春(Late Spring)」(1949年)。私は、個人的に、小津  安二郎(ozu yasujiro)の映画が好きなのですが、個人的に、小津 安二郎の映画の中でも、一番、好きな映画は、地味な映画ですが(と言うか、そもそも、小津  安二郎は、黒澤 明(kurosawa akira。1910年生まれ。1998年に亡くなる。日本の世界的に有名な映画監督の一人)等と異なり、人々の日常を舞台とした、地味な映画を特徴とする、映画監督です)、「晩春(Late Spring)」(1949年)です。その理由の一つに、「晩春(Late Spring)」の登場人物達が、私の、身近な人々に重なると言うのがあります。笠 智衆(ryu chishu)と言う、日本の俳優が演じる、保守的で、つましい(質素な)、大学の教授は、誰に対しても、めったに怒らない穏やかな紳士であった、亡くなった、私の母方の祖父に重なります。原 節子(harasetsuko)と言う日本の女優が演じる、大学教授の娘は、亡くなった、私の母方の祖母に重なります。原 節子(harasetsuko)が演じる、大学教授の娘の、元々、女学校(第二次世界大戦以前の日本における、女子(女性)向けの中等教育機関。ほぼ、現在の小学校と大学の間、即ち、中学校と高校に当たる)の同級生(同学年・同じクラス)である、親友の女性(月丘 夢路(tsukioka yumeji)と言う、日本の女優が演じています)は、我が家、及び、我が家の近所の実家の近所に暮らしていた、亡くなった、私の母方の祖母の姉の若い頃のイメージに重なります。



以上、前に行った投稿から抜粋して来た物でした。

以下、参考の投稿。

芸者(geisha)・祖父の話他 (私の母方の祖父に関する話を含む参考の投稿)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658686/page/12?&sfl=membername&stx=nnemon2
母方の祖母の話(私の母方の祖母に関する参考の投稿)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658687/page/12?&sfl=membername&stx=nnemon2



以下、前に行った投稿から抜粋して来た物で、彼女のリクエストで、彼女と映画館で見た、映画、「アナの雪の女王2(Frozen II)」の感想です。


ストーリーは弱いですが、純粋に、エンターテイメントとして、面白く、楽しめました。

彼女も、同様の感想で、ストーリーは弱いが、面白く、楽しかったと言っていました。

最後の、エルサの立ち位置・立場(アナに王国の女王を譲った後、どの様に暮らして行くのかという描写)が微妙ですが。

映画が、終わった後、彼女と、「エルサって、男っ気ないよね。次回は、エルサの、ボーイフレンド絡みの話で来るのかな」と言った話をしましたw また、「アナは、(誰かさんみたいに)、ちょっとしたお出掛けでも、「どこに行って来たんだ」等と、いちいち詮索が細かく、また、出掛ける際に「本当に、そのお出掛けが必要なのか?」と言って来たりして妻・彼女の自由を出来るだけ制限しようとしたり、妻・彼女が出掛けている最中にうるさく連絡して来たり連絡を要求して来たりして、妻・彼女の、束縛が激しいような男とは、絶対交際・結婚出来ないよね。クリストフと結婚して、良かったね」と言った内容の話を笑いながらしていました。

上の、誰かさんとは、後述する、彼女の母方の義理の伯父(彼女の母方の伯母の夫)の事です。ちなみに、彼女は、彼女の母方の義理の伯父(彼女の母方の伯母の夫)を嫌っています。


以下、「」内。私の前の投稿文より。。。

「今年(2018年)の、4月1日のぎりぎり、夜11時頃から、今の彼女にエイプリルフールの嘘しかけられて、彼女の母方の義理の伯父(彼女の母方の伯母の夫)が福岡に単身赴任中に現地の愛人と作った隠し子(隠し子が生まれて間もない頃か幼い頃に示談が成立し?彼女の母方の義理の伯父(彼女の母方の伯母)の家族とは没交渉となっている)(以上まで事実)が、福岡でご当地アイドルグループのメンバーとなっている事が発覚したと言う嘘に、まんまとすっかり騙されてしまいましたw(彼女は、その嘘の為に、わざわざ、あらかじめ適当な福岡のご当地アイドルグループを検索し、実際に存在する福岡のご当地アイドルグループを出して来ましたw)。」


上の「」内の、彼女の母方の義理の伯父(彼女の母方の伯母の夫)は、私は、以前から、彼女から、彼女の母方の義理の伯父(彼女の母方の伯母の夫)に関する話を聞いていますが、彼女の母方の義理の伯父(彼女の母方の伯母の夫)は、正に、妻(彼女の母方の伯母)に対して、ちょっとしたお出掛けでも、「どこに行って来たんだ」等と、いちいち詮索が細かく、また、出掛ける際に「本当に、そのお出掛けが必要なのか?」と言って来たりして妻の自由を出来るだけ制限しようとしたり、妻が出掛けている最中にうるさく連絡して来たり連絡を要求して来たりして、妻の、束縛が激しいタイプの男性です。


また、彼女の母方の義理の伯父(彼女の母方の伯母の夫)は、大学は、K大学(東京の私立の大学)を出ており、会社員で、出世をし、仕事は出来、お金は、会社員としては相当稼いでいるようですが(私は、会った事がありませんが、外面(そとづら)は、とても良いそうです)、女性と交際するまで又は結婚するまでは、調子が良く、口が上手く、女性に、いい顔をし、女性に優しくするが、女性と交際した又は結婚したとたんに、釣った魚には、餌をあげなくなるタイプの男性のようです。


ちなみに、私の親戚にも、K大学を卒業した者が、何人かいます。

以下、参考の投稿

大國魂神社(1900年以上の歴史を有する神社)他→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3658684/page/12?&sfl=membername&stx=nnemon2
前の投稿より(私の母方の祖母の姉の話他)→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_26/view/id/3584064/page/2?&sfl=membername&stx=nnemon2


彼女の母方の伯母は、彼女の母方の義理の伯父と恋愛結婚で結婚しましたが(交際してから結婚するまでの期間は、短かった様です)、そんな夫である、彼女の母方の義理の伯父には、愛想を尽かし、夫(彼女の母方の義理の伯父)に対しては、全く、無感情な状態で接しており、彼女の母方の伯母は、料理教室の先生という仕事を持っているのですが、そこに集中をし、そこに人生の生きがいと楽しみを見出しているそうです。また、彼女の母方の伯母と彼女の母方の義理の伯父の間には、子供が2人(女性(姉)、男性(弟))いるのですが、2人の子供共、父の事(彼女の母方の義理の伯父)を、昔から、とても嫌悪しているそうです。




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