基本的に、2019年の4月の下旬に行った、「現代日本様式後編」と言う投稿の再掲です。
以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)の続きです。
現代日本様式(建築・インテリア史)前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3758720?&sfl=membername&stx=nnemon2
「現代日本様式(建築・インテリア史)前編」(すぐ上でリンクを付けた投稿)では、横浜(東京areaの海の玄関口(gateway)となっている大きな港町)の、日本郵船(Nippon
Yusen)歴史博物館で行われていた、日本の客船の、インテリア(内装)の歴史に関する展覧会(exhibition)から、現代日本様式について紹介しましたが、この展覧会(exhibition)は、私が、当時、交際していた、私の元カノ(以下、彼女と書きます)と、デート(date)で、見に行きました。
私は、女性に、結構合わせているようでいて、その一方において、実は、女性に結構、自分の趣味に付き合って貰って来てもいます。
写真以下9枚。前の投稿から抜粋して来た、その時の、デート(date)の夕食等です。この日の夕食は、横浜都心部の海沿いに建つ、横浜マリンタワー(marine tower)のレストランで食べました。
横浜の都心部の海沿いに建つ、横浜マリンタワー(marine
tower)。1961年に完成した、高さ106mの塔です。横浜を象徴する建物の一つとなっています。神戸(kobe)のポートタワー(port
tower)と共に、1950年代から1960年代初めにかけての、日本の大都市における、高層タワー(tower)建設ブーム(boom)の末期に建てられたタワー(tower)です。かつては、灯台としての機能を持っていて、ギネスブック(Guiness
book)に、世界一の高さの灯台として記載されていました。
横浜マリンタワー(marine tower)には、展望台の他、レストラン、cafe、bar等が入っています。
写真右側は、横浜マリンタワー(marine tower)のcafe。横浜マリンタワー(marine tower)のcafeは、1階にあります。
写真以下7枚。この日の夕食は、横浜マリンタワー(marine tower)のレストランで食べました。横浜マリンタワー(marine tower)の4階がレストランになっています。このレストランは、この時、初めて利用しました。
このレストランの内装。
写真以下6枚。このレストランで食べた、この日の夕食。これに、パンが付きます。写真以下4枚は、全て、一人一皿ずつです。
一皿目の前菜。兎肉。
二皿目の前菜。秋刀魚を使った前菜。金美(kinbi)人参(日本の沖縄(okinawa)原産の人参の一つ)と葡萄のサラダ(salad)と共に。。。
茸とブイヨン(bouillon)のスープ(soup)。
メイン(main)料理。ローストビーフ(roast beef)。
写真以下2枚。デザート(dessert)。
私が食べた、サツマイモ(sweet potato)のアイスクリーム(ice cream)等。
彼女が食べた、ガレット(galette)を使ったデザート(dessert)。
以上、前に行った投稿から抜粋して来た物でした。
参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「私は休日を外で過ごす事は好きで、美味しい物を食べる事、自然の中を散歩する事、温泉に入浴する・温泉旅館等の温泉宿泊施設に宿泊する事、芸術や花を愛でる(鑑賞する)事等は、好きなのですが、本格的な登山やキャンプ等のアウトドアは好みません。
私は、交際する女性との趣味が合うか合わないかと言う事は、若い頃は気にしなかったのですが、成熟した大人になってからは、私と趣味が合う女性を好きになるプラス交際相手の女性が、私色に染まってw、私と趣味が合って来ると言う事を合わせて、私と趣味が合う女性と交際するようになりました。」
以下、「」内。前に行った投稿から抜粋して来た物です。
「前述の通り、実は、私の気が多い性格から、私の今までの、恋愛の結末のほとんどが、交際相手の女性にとっては、GO
BANG‘Sの曲の、「BYE-BYE-BYE」の歌詞のような結末で終わらせてしまったのですが(本当に、ごめんなさい)、私が当時、交際していた女性(私の元カノ)と別れた原因も、私が当時、交際していた女性(私の元カノ)には、本当に、申し訳なかったのですが、私が、私の今の彼女の事を、とても好きになってしまった事です(ちなみに、その時、私の今の彼女は、とても若かったのですが、その時、私は、別に、私の今の彼女の、その点に、惚れた訳では全くありませんw)。
私は、私の元カノと、親しい友人として、現在まで、ずっと交流が続いています。ちなみに、私の元カノは、私と別れた後、今、夫となっている男性(結婚した男性)とは違う男性達との交際やデートの経験を経て(ちなみに、私は、その事に関して、よく、その元カノの相談に乗る等していました)、比較的、最近の話なのですが、優しく頼りがいのある素敵な男性(彼女の事を、十分に幸せにしてくれるであろう男性。ちなみに、その男性は、長身でイケメンですw)を見つけて結婚をし、今は、主婦として幸せに暮らしています。
また、私の今の彼女と、私の元カノは、元々、面識はあり、知り合い同士であったのですが、今は、親しい友人同士となっていて、私の今の彼女と、私が当時、交際していた女性(私の元カノ)は、二人きりで遊びに出掛けたりもしています。二人とも、趣味や価値観があって、とても仲が良いようです。それは、もしかしたら、前述の通り、私は、交際する女性との趣味が合うか合わないかと言う事は、若い頃は気にしなかったのですが、成熟した大人になってからは、私と趣味が合う女性を好きになるプラス交際相手の女性が、私色に染まってw、私と趣味が合って来ると言う事を合わせて、私と趣味が合う女性と交際するようになったのですが、その事も、関係しているのかもしれませんw」
以下、前に行った投稿から抜粋して来た物です。私の今の彼女(以下、彼女と書きます)との、デート(date)の時の物です(ちなみに、この時、私の今の彼女は、まだ20代初めの、女子大生でしたが、私は、当時から、特に遠慮はしないで(自然体で)、彼女に、大人の世界を見せて来ました)。2015年に行った投稿で、投稿文は、2015年の投稿を前提としています。
この日は、ホテルokura(東京を代表する高級ホテルの一つ)の、1962年の開業時からの建物が、建て替えの為、もうすぐ(今年の8月末に)閉館となる事から、(私は、個人的に、建物に興味がある事から)、ホテルokuraを訪れて、ホテルokuraのレストランで昼食を食べ、もうすぐ失われてしまう、ホテルokuraの、開業時からの建物(1960年代の、(日本の伝統的なデザイン(design)を取り入れた)日本の現代建築の、代表的な建築と言える物です)の、外観・ロビー(lobby)等の写真を撮影して来ました。
ホテルokuraは、帝国ホテル(1890年に開業。東京を代表する歴史のある高級ホテル)と比べると、やや交通が、不便な場所にあり、やや、立地的に不利な場所にあります。それ故、ホテルokuraに宿泊する、日本国内外の、金持ち・executive・富裕層は、東京に滞在するならば、(個人的な好みにより)、帝国ホテルではなく、ホテルokuraでないと駄目だと言う人々も多い様です(個人的な好みにより、あえて、帝国ホテルではなく、ホテルokuraを選んでいると言う人々も多い様です)。ちなみに、ホテルokuraは、我が家から、近くて、基本的に、宿泊する意味がありませんが(また、そもそも、私の様な者が、日常的な感覚で、宿泊出来る様なclassのホテルでは、全くありませんが)、帝国ホテル同様、個人的に、今よりも、羽振りが良かった時に(今よりも、お金を稼いでいた時に)、クリスマス(Christmas)時期、バレンタイン(Valentine‘s
Day)時期等の、カップル(couple)にとって、ちょっと、特別な時期の宿泊として、一度だけ、宿泊した事があります(ちなみに、個人的には、ホテルokura(Hotel
Okura)は、とても良いホテルであると思うものの、帝国ホテルを、あらゆる面において、超える事は、出来ていないと思います)。
ホテルokuraの、外観、及び、内装のデザイン(design)は、1960年代において、「現代日本様式」を表現した物であり、ある意味、「現代日本様式」の、一つの到達点かもしれません。
写真は、借り物。谷口
吉郎(taniguchi
yoshiro)。1904年生まれ。1979年に亡くなる。日本の有名な建築家。息子は、日本の世界的に有名な建築家、谷口 吉生(taniguchi
yoshio)(1937年生まれ)。ホテルokuraの建物の設計は、複数の、当時の、日本の、著名な建築家達が行いましたが、谷口
吉郎(taniguchi yoshiro)は、その中でも、中心的な役割を果たした建築家です。
写真以下3枚。ホテルokuraの、本館の建物の外観。地形の関係で、写真に写っているのは、建物の、極一部であり、実際は、写真で見えるよりも、かなり、大きな建物です。
写真以下13枚。ホテルokuraの、本館の建物の内装例。
写真以下11枚。ホテルokuraの、本館の、ロビー(lobby)。ホテルokuraの、本館の、ロビー(lobby)の設計は、谷口 吉郎(taniguchi yoshiro)が行いました。
写真以下7枚。この日の昼食は、ホテルokuraの、フランス料理レストラン(ホテルokuraの別館にあります)で食べました。このレストランは、この時、初めて利用しました。前述の通り、ホテルokuraの本館の建物の建替え工事期間中、ホテルokuraは、別館のみで営業を行う事になるのですが、その準備の改装の為、ホテルokuraの別館にある、この、ホテルokuraの、フランス料理レストランは、7月1日から9月14日まで、営業を休止します。したがって、この、フランス料理レストランが、現在の姿(現在の内装。おそらく、1973年の開業時から、ほとんど変わっていない)で、営業を行うのは、6月末までとなります。
写真以下6枚。このレストラン(ホテルokuraの、フランス料理レストラン)で食べた、この日の昼食。このレストランで、一番、安い昼食メニュー(menu)を食べました。これに、小さな前菜と、パンが付きます。ちなみに、この時(この昼食時)、飲み物は、私は、主に、ワイン(wine)を飲みました。
魚料理。アイナメ。一人、一皿ずつ(二人共、同じ物を選びました)。
小さな、コンソメスープ(consomme)。一人、一皿ずつ。コンソメスープ(consomme)は、ホテルokuraの、有名な料理の一つとなっています。ホテルokuraの、西洋料理系のレストランの、コンソメスープ(consomme)は、三日間かけて、とても丁寧に作られています。ホテルokuraの、コンソメスープ(consomme)は、とても、美味しいのですが、非常に濃厚であるので(平凡なレストランの、コンソメスープ(consomme)とは、別次元の、味と濃厚さです)、(通常の量の物も、飲んだ事がありますが)、むしろ、これ位の量を飲むのが、丁度、良いのかもしれません。ちなみに、ホテルokuraの、有名な料理は、コンソメスープ(consomme)以外に、フレンチトースト(french
toast)等があります。
彼女が食べた、肉料理。鴨肉。
私が食べた、肉料理。羊肉。
デザート(dessert)。一人、一皿ずつ。
お茶菓子(私が、食べた物)。お茶菓子は、ワゴン(cart)に、色々な、豊富な種類の物が載せられて運ばれて来て、各自、好きな物を、選んで食べる形式となっていました。
以上、前に行った投稿から抜粋して来た物でした。
以下、前に行った投稿から抜粋して来た物で、私の今の彼女(以下、彼女と書きます)と、箱根(hakone)の、一泊2日の小旅行で、箱根(hakone)湯の花(yunohana)温泉ホテル(2015年から、湯の花(yunohana)princeホテルに改名)に、宿泊して来た時の物です(ちなみに、この時、私の今の彼女は、20歳の、女子大生でしたが、私は、当時から、特に遠慮はしないで(自然体で)、彼女に、大人の世界を見せて来ました)。
この時は、箱根(hakone)にある、中級classの、リゾート(resort)ホテル、箱根(hakone)湯の花(yunohana)温泉ホテルに宿泊しました。箱根(hakone)湯の花(yunohana)温泉ホテルは、princeホテル(おそらく、日本最大の、中級classから高級classのホテルのchain(中級classから準高級classが主体))系列のホテルです。
箱根(hakone)湯の花(yunohana)温泉ホテルは、如何にも体に効きそうな、濁り湯の温泉風呂が、良さそうな事と、建築的な興味から、前から、ちょっと気になっていた宿泊施設なのですが、この時、初めて宿泊しました。
箱根(hakone)湯の花(yunohana)温泉ホテルの建物は、近代(1920年代から1930年代)に生まれた、現代的な、日本様式である、「現代日本様式」を、現代(第二次世界大戦後)において、表現した建物と言った感じのホテルです。
写真以下。この時、私達が、箱根(hakone)で宿泊した、中級classの、リゾート(resort)ホテル、箱根(hakone)湯の花(yunohana)温泉ホテル(1988年開業)。ホテルの建物(1988年完成)の、設計は、池原
義郎(ikehara
yoshiro。1928年生まれ。日本の有名な建築家。早稲田(waseda)大学の、建築学の名誉教授。世界的に有名と言う程ではない)が、行いました(このホテルは、池原
義郎(ikehara
yoshiro)の、代表的な作品の一つと言えると思います)。このホテルは、現代的なデザイン(design)の中に、日本の伝統的な要素を取り入れていて、温泉リゾート(resort)ホテルと、温泉旅館の、中間と言った感じの宿泊施設です(現代版の、日本式の温泉旅館と言った感じです)。
写真以下3枚。このホテルの建物。設計は、池原 義郎(ikehara yoshiro。1928年生まれ。日本の有名な建築家)。1988年完成。
写真以下8枚。このホテルの客室例。この時、私達が、宿泊した、このホテルで、標準的な客室の、西洋式の客室です。
ホテルの客室の窓からの景色。。。ホテルの前は、このホテルが有する、ゴルフ場(golf course)となっています。
客室の冷蔵庫に入れてある、おまけの(無料の)、甘夏(amanatsu。日本の蜜柑の品種の一つ)のゼリー(jelly)。美味しかったです。
写真以下2枚。ホテルの夕食の一部より。。。
左上の皿、帆立(scallop)サラダ(salad)、サーモントラウト(salmon trout)柚子庵焼き、箱根(hakone)寿司。写真下、胡麻豆腐。写真右上、刺身(鮪、鯛、カンパチ(間八・kanpachi))。
写真以下2枚。ホテルの朝食の一部より。。。
基本的に、2019年の4月の下旬に行った、「現代日本様式後編」と言う投稿の再掲です。
以下の投稿(すぐ下でリンクを付けた投稿)の続きです。
現代日本様式(建築・インテリア史)前編→
https://www.kjclub.com/jp/board/exc_board_14/view/id/3758720?&sfl=membername&stx=nnemon2
「現代日本様式(建築・インテリア史)前編」(すぐ上でリンクを付けた投稿)では、横浜(東京areaの海の玄関口(gateway)となっている大きな港町)の、日本郵船(Nippon
Yusen)歴史博物館で行われていた、日本の客船の、インテリア(内装)の歴史に関する展覧会(exhibition)から、現代日本様式について紹介しましたが、この展覧会(exhibition)は、私が、当時、交際していた、私の元カノ(以下、彼女と書きます)と、デート(date)で、見に行きました。
私は、女性に、結構合わせているようでいて、その一方において、実は、女性に結構、自分の趣味に付き合って貰って来てもいます。
写真以下9枚。前の投稿から抜粋して来た、その時の、デート(date)の夕食等です。この日の夕食は、横浜都心部の海沿いに建つ、横浜マリンタワー(marine tower)のレストランで食べました。
横浜の都心部の海沿いに建つ、横浜マリンタワー(marine
tower)。1961年に完成した、高さ106mの塔です。横浜を象徴する建物の一つとなっています。神戸(kobe)のポートタワー(port
tower)と共に、1950年代から1960年代初めにかけての、日本の大都市における、高層タワー(tower)建設ブーム(boom)の末期に建てられたタワー(tower)です。かつては、灯台としての機能を持っていて、ギネスブック(Guiness
book)に、世界一の高さの灯台として記載されていました。
横浜マリンタワー(marine tower)には、展望台の他、レストラン、cafe、bar等が入っています。
写真右側は、横浜マリンタワー(marine tower)のcafe。横浜マリンタワー(marine tower)のcafeは、1階にあります。
写真以下7枚。この日の夕食は、横浜マリンタワー(marine tower)のレストランで食べました。横浜マリンタワー(marine tower)の4階がレストランになっています。このレストランは、この時、初めて利用しました。
このレストランの内装。
写真以下6枚。このレストランで食べた、この日の夕食。これに、パンが付きます。写真以下4枚は、全て、一人一皿ずつです。
一皿目の前菜。兎肉。
二皿目の前菜。秋刀魚を使った前菜。金美(kinbi)人参(日本の沖縄(okinawa)原産の人参の一つ)と葡萄のサラダ(salad)と共に。。。
茸とブイヨン(bouillon)のスープ(soup)。
メイン(main)料理。ローストビーフ(roast beef)。
写真以下2枚。デザート(dessert)。
私が食べた、サツマイモ(sweet potato)のアイスクリーム(ice cream)等。
彼女が食べた、ガレット(galette)を使ったデザート(dessert)。
以上、前に行った投稿から抜粋して来た物でした。
参考に、以下、「」内。私の前の投稿文より。。。
「私は休日を外で過ごす事は好きで、美味しい物を食べる事、自然の中を散歩する事、温泉に入浴する・温泉旅館等の温泉宿泊施設に宿泊する事、芸術や花を愛でる(鑑賞する)事等は、好きなのですが、本格的な登山やキャンプ等のアウトドアは好みません。
私は、交際する女性との趣味が合うか合わないかと言う事は、若い頃は気にしなかったのですが、成熟した大人になってからは、私と趣味が合う女性を好きになるプラス交際相手の女性が、私色に染まってw、私と趣味が合って来ると言う事を合わせて、私と趣味が合う女性と交際するようになりました。」
以下、「」内。前に行った投稿から抜粋して来た物です。
「前述の通り、実は、私の気が多い性格から、私の今までの、恋愛の結末のほとんどが、交際相手の女性にとっては、GO
BANG‘Sの曲の、「BYE-BYE-BYE」の歌詞のような結末で終わらせてしまったのですが(本当に、ごめんなさい)、私が当時、交際していた女性(私の元カノ)と別れた原因も、私が当時、交際していた女性(私の元カノ)には、本当に、申し訳なかったのですが、私が、私の今の彼女の事を、とても好きになってしまった事です(ちなみに、その時、私の今の彼女は、とても若かったのですが、その時、私は、別に、私の今の彼女の、その点に、惚れた訳では全くありませんw)。
私は、私の元カノと、親しい友人として、現在まで、ずっと交流が続いています。ちなみに、私の元カノは、私と別れた後、今、夫となっている男性(結婚した男性)とは違う男性達との交際やデートの経験を経て(ちなみに、私は、その事に関して、よく、その元カノの相談に乗る等していました)、比較的、最近の話なのですが、優しく頼りがいのある素敵な男性(彼女の事を、十分に幸せにしてくれるであろう男性。ちなみに、その男性は、長身でイケメンですw)を見つけて結婚をし、今は、主婦として幸せに暮らしています。
また、私の今の彼女と、私の元カノは、元々、面識はあり、知り合い同士であったのですが、今は、親しい友人同士となっていて、私の今の彼女と、私が当時、交際していた女性(私の元カノ)は、二人きりで遊びに出掛けたりもしています。二人とも、趣味や価値観があって、とても仲が良いようです。それは、もしかしたら、前述の通り、私は、交際する女性との趣味が合うか合わないかと言う事は、若い頃は気にしなかったのですが、成熟した大人になってからは、私と趣味が合う女性を好きになるプラス交際相手の女性が、私色に染まってw、私と趣味が合って来ると言う事を合わせて、私と趣味が合う女性と交際するようになったのですが、その事も、関係しているのかもしれませんw」
以下、前に行った投稿から抜粋して来た物です。私の今の彼女(以下、彼女と書きます)との、デート(date)の時の物です(ちなみに、この時、私の今の彼女は、まだ20代初めの、女子大生でしたが、私は、当時から、特に遠慮はしないで(自然体で)、彼女に、大人の世界を見せて来ました)。2015年に行った投稿で、投稿文は、2015年の投稿を前提としています。
この日は、ホテルokura(東京を代表する高級ホテルの一つ)の、1962年の開業時からの建物が、建て替えの為、もうすぐ(今年の8月末に)閉館となる事から、(私は、個人的に、建物に興味がある事から)、ホテルokuraを訪れて、ホテルokuraのレストランで昼食を食べ、もうすぐ失われてしまう、ホテルokuraの、開業時からの建物(1960年代の、(日本の伝統的なデザイン(design)を取り入れた)日本の現代建築の、代表的な建築と言える物です)の、外観・ロビー(lobby)等の写真を撮影して来ました。
ホテルokuraは、帝国ホテル(1890年に開業。東京を代表する歴史のある高級ホテル)と比べると、やや交通が、不便な場所にあり、やや、立地的に不利な場所にあります。それ故、ホテルokuraに宿泊する、日本国内外の、金持ち・executive・富裕層は、東京に滞在するならば、(個人的な好みにより)、帝国ホテルではなく、ホテルokuraでないと駄目だと言う人々も多い様です(個人的な好みにより、あえて、帝国ホテルではなく、ホテルokuraを選んでいると言う人々も多い様です)。ちなみに、ホテルokuraは、我が家から、近くて、基本的に、宿泊する意味がありませんが(また、そもそも、私の様な者が、日常的な感覚で、宿泊出来る様なclassのホテルでは、全くありませんが)、帝国ホテル同様、個人的に、今よりも、羽振りが良かった時に(今よりも、お金を稼いでいた時に)、クリスマス(Christmas)時期、バレンタイン(Valentine‘s
Day)時期等の、カップル(couple)にとって、ちょっと、特別な時期の宿泊として、一度だけ、宿泊した事があります(ちなみに、個人的には、ホテルokura(Hotel
Okura)は、とても良いホテルであると思うものの、帝国ホテルを、あらゆる面において、超える事は、出来ていないと思います)。
ホテルokuraの、外観、及び、内装のデザイン(design)は、1960年代において、「現代日本様式」を表現した物であり、ある意味、「現代日本様式」の、一つの到達点かもしれません。
写真は、借り物。谷口
吉郎(taniguchi
yoshiro)。1904年生まれ。1979年に亡くなる。日本の有名な建築家。息子は、日本の世界的に有名な建築家、谷口 吉生(taniguchi
yoshio)(1937年生まれ)。ホテルokuraの建物の設計は、複数の、当時の、日本の、著名な建築家達が行いましたが、谷口
吉郎(taniguchi yoshiro)は、その中でも、中心的な役割を果たした建築家です。
写真以下3枚。ホテルokuraの、本館の建物の外観。地形の関係で、写真に写っているのは、建物の、極一部であり、実際は、写真で見えるよりも、かなり、大きな建物です。
写真以下13枚。ホテルokuraの、本館の建物の内装例。
写真以下11枚。ホテルokuraの、本館の、ロビー(lobby)。ホテルokuraの、本館の、ロビー(lobby)の設計は、谷口 吉郎(taniguchi yoshiro)が行いました。
写真以下7枚。この日の昼食は、ホテルokuraの、フランス料理レストラン(ホテルokuraの別館にあります)で食べました。このレストランは、この時、初めて利用しました。前述の通り、ホテルokuraの本館の建物の建替え工事期間中、ホテルokuraは、別館のみで営業を行う事になるのですが、その準備の改装の為、ホテルokuraの別館にある、この、ホテルokuraの、フランス料理レストランは、7月1日から9月14日まで、営業を休止します。したがって、この、フランス料理レストランが、現在の姿(現在の内装。おそらく、1973年の開業時から、ほとんど変わっていない)で、営業を行うのは、6月末までとなります。
写真以下6枚。このレストラン(ホテルokuraの、フランス料理レストラン)で食べた、この日の昼食。このレストランで、一番、安い昼食メニュー(menu)を食べました。これに、小さな前菜と、パンが付きます。ちなみに、この時(この昼食時)、飲み物は、私は、主に、ワイン(wine)を飲みました。
魚料理。アイナメ。一人、一皿ずつ(二人共、同じ物を選びました)。
小さな、コンソメスープ(consomme)。一人、一皿ずつ。コンソメスープ(consomme)は、ホテルokuraの、有名な料理の一つとなっています。ホテルokuraの、西洋料理系のレストランの、コンソメスープ(consomme)は、三日間かけて、とても丁寧に作られています。ホテルokuraの、コンソメスープ(consomme)は、とても、美味しいのですが、非常に濃厚であるので(平凡なレストランの、コンソメスープ(consomme)とは、別次元の、味と濃厚さです)、(通常の量の物も、飲んだ事がありますが)、むしろ、これ位の量を飲むのが、丁度、良いのかもしれません。ちなみに、ホテルokuraの、有名な料理は、コンソメスープ(consomme)以外に、フレンチトースト(french
toast)等があります。
彼女が食べた、肉料理。鴨肉。
私が食べた、肉料理。羊肉。
デザート(dessert)。一人、一皿ずつ。
お茶菓子(私が、食べた物)。お茶菓子は、ワゴン(cart)に、色々な、豊富な種類の物が載せられて運ばれて来て、各自、好きな物を、選んで食べる形式となっていました。
以上、前に行った投稿から抜粋して来た物でした。
以下、前に行った投稿から抜粋して来た物で、私の今の彼女(以下、彼女と書きます)と、箱根(hakone)の、一泊2日の小旅行で、箱根(hakone)湯の花(yunohana)温泉ホテル(2015年から、湯の花(yunohana)princeホテルに改名)に、宿泊して来た時の物です(ちなみに、この時、私の今の彼女は、20歳の、女子大生でしたが、私は、当時から、特に遠慮はしないで(自然体で)、彼女に、大人の世界を見せて来ました)。
この時は、箱根(hakone)にある、中級classの、リゾート(resort)ホテル、箱根(hakone)湯の花(yunohana)温泉ホテルに宿泊しました。箱根(hakone)湯の花(yunohana)温泉ホテルは、princeホテル(おそらく、日本最大の、中級classから高級classのホテルのchain(中級classから準高級classが主体))系列のホテルです。
箱根(hakone)湯の花(yunohana)温泉ホテルは、如何にも体に効きそうな、濁り湯の温泉風呂が、良さそうな事と、建築的な興味から、前から、ちょっと気になっていた宿泊施設なのですが、この時、初めて宿泊しました。
箱根(hakone)湯の花(yunohana)温泉ホテルの建物は、近代(1920年代から1930年代)に生まれた、現代的な、日本様式である、「現代日本様式」を、現代(第二次世界大戦後)において、表現した建物と言った感じのホテルです。
写真以下。この時、私達が、箱根(hakone)で宿泊した、中級classの、リゾート(resort)ホテル、箱根(hakone)湯の花(yunohana)温泉ホテル(1988年開業)。ホテルの建物(1988年完成)の、設計は、池原
義郎(ikehara
yoshiro。1928年生まれ。日本の有名な建築家。早稲田(waseda)大学の、建築学の名誉教授。世界的に有名と言う程ではない)が、行いました(このホテルは、池原
義郎(ikehara
yoshiro)の、代表的な作品の一つと言えると思います)。このホテルは、現代的なデザイン(design)の中に、日本の伝統的な要素を取り入れていて、温泉リゾート(resort)ホテルと、温泉旅館の、中間と言った感じの宿泊施設です(現代版の、日本式の温泉旅館と言った感じです)。
写真以下3枚。このホテルの建物。設計は、池原 義郎(ikehara yoshiro。1928年生まれ。日本の有名な建築家)。1988年完成。
写真以下8枚。このホテルの客室例。この時、私達が、宿泊した、このホテルで、標準的な客室の、西洋式の客室です。
ホテルの客室の窓からの景色。。。ホテルの前は、このホテルが有する、ゴルフ場(golf course)となっています。
客室の冷蔵庫に入れてある、おまけの(無料の)、甘夏(amanatsu。日本の蜜柑の品種の一つ)のゼリー(jelly)。美味しかったです。
写真以下2枚。ホテルの夕食の一部より。。。
左上の皿、帆立(scallop)サラダ(salad)、サーモントラウト(salmon trout)柚子庵焼き、箱根(hakone)寿司。写真下、胡麻豆腐。写真右上、刺身(鮪、鯛、カンパチ(間八・kanpachi))。
写真以下2枚。ホテルの朝食の一部より。。。