전통문화

 

 

창씨개명령의 내용

 1939년(쇼와 14년) 11월 10일 아침선총독부 제령 제 19호로,

조선 민사령 11조의 제3차 개정이 발포되어

다음 해 2월에 시행되었다.그 내용은,

(1)          씨에 관한 규정

(2)          재판상의 이혼

(3)          데릴사위 결연의 무효·취소

(4)          이성양자를 인정한다

(중앙 대졸판부간 「한국법의 현재」에 의한다)

(이)라는 것으로, 창신개명이라고 하는 것은 이 중의(1)이다.

그것은 모든 한국인에 일본식의 「씨」를 만들게 한다고 하는 것이지만,

이것을 좀 더 자세하게 설명하고 싶다.

 

 

 한국인의 성은, 주지하는 바와 같이 결혼하든지 어떻게 하든지 바뀌는 것이 없는,

그렇다고 하는 것이 고래의 관습이다.

그것은 조선의 「성」이 부계의 혈연 관계를 나타내는 것으로,

「성」이 어긋난다고 하는 것은 그 관계가 없는 것을 의미해,

「성」을 바꾼다고 하는 것은 그것을 부정하는 것을 의미하고 있다.

그러니까 한국인의 가정에서는, 결혼한 여성은 시집가 앞과는 혈연이 없고,

또 자신의 출자의 부계 일족과의 그것을 부정할 수 없기 때문에,

「성」을 바꿀 것은 없다.

 

 

따라서 예를 들면 김씨라고 하는 집이 있었다고 하면,

조모는 박씨, 어머니는 이씨, 형수는 정씨,

아내는 장씨, 장남의 신부는 오씨, 차남의 신부는 최씨‥‥

그렇다고 하는 상태로 이름이 달라진다.

 

 

 거기서, 하나의 집안에서 법률상의 이름이 다른 사람이 존재한다는 것을,

일본풍에 가족명으로서 「씨」를 인기가 있어

그리고 그 「씨」는 그 집에서 결정해 신고해서,

그렇다고 하는 것이 창씨개명령의 취지이다.

 

2종류의 창씨

 

 신고하는 것은,

예를 들면 있는 김씨의 집에서는 「카네카와」라고 창씨를 신고하고,

가족 전원(남성이나 아이는 물론 신부에게 온 여성도)이 「카네카와씨」가 되었다.

이 경우를 「설정창씨」라고 한다.

씨아래의 「이름」의 변경은 임의였던 것 같고, 많은 경우 개명하고 있지 않다.

저작가의 김찬정(김·장 존)씨의 창씨개명 후의 이름은

카네카와찬정(돈강·산정)씨이다.

 

 

 그런데 신고하지 않았던 사람들이 있다.

「조선을 아는 사전」(헤본사 1986)에 의하면

신고한 것은 322 만호( 약 80%) 어떤의 것으로,

창씨를 신고하지 않았던 것은 전한국인의 약 20%라는 것이 된다.

 

 

그러나 창씨는 법률로 정해져 있는 것이므로,

모든 한국인은 창씨를하지 않으면 안 된다.

이 경우는, 그 집의 호주의 성이 예를 들면 김씨라면,

그 가족 전원을 「돈」이라고 창씨 시켰던 것이다.

이것을 「법정창씨」라고 하지만,

이것에 의해서 김씨의 집에서는 신부에게 온 여성도 모두

「김씨」가 되었다고 하는 것이 된다.

 

 

 즉 1940년의 창씨개명령의 시행시에 창씨를 신고하지 않았던 사람은,

호주의 선조 전래의 남자계의 성인 돈이라든지 이라든지의 조선명을 그대로,

권력에 의해서 강제적으로 「씨」라고 하게 했다는 것이다.

 

 

 또 먼저 예시했다(2)의 문헌에 있어서의 6인중의 1명,

(3)의 49인중의 9명이 조선명이었다고 하는 비율은,

창씨를 신고하지 않았던 약 20%라고 하는 비율에 근사 있어,

조선명을 유지한 사람은

창씨를 신고하지 않았던 사람인 것의 증명이 된다.

 

창씨개명은 일본명을 강제하는 것은 아니다

 

 

 창씨는 가족명으로서의 「씨」를 새롭게 마련하는 것이어,

선조 전래의 「성」에게는 변경은 없었다.

조선 호적에는 창신개명이 추가 기입만으로,

「성」은 말소되지 않고 본관란에 남았다.

본관란은 일본 호적에는 없고, 조선 호적 독특한 것이다.

창신개명 후는 이 란에 본관과 함께

「성」이 기재되게 되었던 것이다.

일본이 조선의 「성」을 말살했다고 하는 설은 분명하게 잘못이다.

 

 

 나는 이상과 같은 창신개명의 실상을 알고,

눈으로부터 비늘이 떨어진 것 같은 생각이 들었다.

이것으로 창신개명 후의 그 전시중에서도,

한국인의 많이가 조선명을 유지해 온 것을 이해할 수 있었기 때문에이다.

그리고 그 비율이 20%과 구체적인 숫자까지 분명히 할 수 있었다.

또 창씨개명을 신고해 「일본식」의 이름이 되었다고 하지만,

왜 이것이 「일본명」인가,

이것으로는 한국인인 것이 환분 빌려다,

(이)라고 생각하는 것이 매우 많은 일도 이해할 수 있었고,

혹은 창씨개명을 체험한 재일 일세의 노인들로부터 이야기를 들어도,

이것에 대해 거의 걱정하고 계시지 않고,

하물며 굴욕이라고는 전혀 느끼고 계시지 않았던 것도 이해할 수 있었다.

 

 

 창씨개명이 「한국인의 고유의 성을 빼앗아,

일본명을 강제했다」라고 하는 것은,

근거가 없는 속설인 것은 분명하다.

 

많은 구미제국에서는,

결혼하면 남녀의 어느 쪽인지가 씨(패밀리·네임)를 바꾸어

부부로 씨를 통일한다.

 

일본도 메이지 유신 후에 구미에 모방했다.

현재 상태로서는 여성이 바꾸고 있는 케이스가 많다.

남성이 바꾸는 경우는, 일본에서는 대부분이 「데릴사위」를 의미한다.

 

즉, 일본은 메이지 유신 후,

구미제국의 성명의 수법을 도입한 결과이며,

한국인을 탄압하려고 생각

창씨개명을 한 것은 아니다.

그것은, 비유한다면,

일본 고래의 「척관법」을,

「미터법」으로 이상하다 갱 해,

국제사회의 룰에 따르려고 한 것 것과 같다.

 

 

있다 사례로부터

 최근 나온 책으로

「HARUKO 어머니야!찢어진 재일 가족」

(카네모토 하루코/금성 학저후지텔레비 출판)의

25 페이지에 다음과 같은 일문이 있습니다.

 

 

 「1939년에는 장녀가 태어나 다음 해에는 창씨개명으로 카네모토 하루코가 되었다」

 

 

 저자는

1917년, 출생.이름은 「정병춘」.

1929년, 일본 방문.

1934년, 「금치선」이라고 중매 결혼.

1938년, 삼남 탄생(쵸 츠구오는 병사).

1939년, 장녀 탄생.

1940년, 창씨개명으로 「카네모토 하루코」가 된다.

 그렇다고 하는 경력이 되고 있습니다.

 

 

그러면 그녀는 창씨개명 시에 어떠한 수속을 행해

「카네모토 하루코」가 되었는지, 라고 하는 것입니다.

또한 동서를 채택하는 것은,

우연히 창씨개명을 설명하는데 적당한 재료였기 때문으로,

비판하는 것이 아닙니다.

 

 

 

「창씨」의 수속

 일본풍의 이름으로 창씨 하려면 ,

호주가 본적지의 동사무소(당시는 「면사무소」라고 했습니다)에게

수속하지 않으면 되지 않습니다.

 

 

하루코의 호주는 아마 남편의 아버지(

하루코의 의붓 아버지, 이름이 기록되지 않기 때문에 「금모」라고 한다)지요.

이 경우는, 금모가 현지의 동사무소에

「씨 설정계」를 보냅니다.

수리되면, 호적의 이름란에 있던 「금」 「정」이 「카네모토」라고 정정됩니다.

그리고 일본에 있는 아들 부부에게,

우리 일족은 「카네모토」라고 창씨 했기 때문에 너희는

「카네모토치선」 「카네모토병춘」이 된다, 라고 알리게 됩니다.

 

 

 그 밖에 호주가 의부는 아니고 남편 금치선일 가능성을 생각할 수 있습니다.

이 경우라면, 남편이 동사무소에 가서,

「카네모토」라고 창씨 한다고 하는 「씨 설정계」를 보냅니다.

이것에 의해서 이 가족은 카네모토가가 되고,

부부의 호적명은 「카네모토치선」 「카네모토병춘」이 됩니다.

 이것이 일본풍의 이름으로 창씨 하는 「설정창씨」의 수속으로,

어느 경우에서도 호주가 동사무소에

「씨 설정계」를 제출하는 것으로 되어 있었습니다.

 

 

 

「개명」의 수속은 2단계


創氏改名と相互主義、名前とは。

 

 

創氏改名令の内容

 1939年(昭和14年)11月10日朝鮮総督府制令第19号で、

朝鮮民事令11条の第三次改正が発布され、

翌年2月に施行された。その内容は、

(1)         氏に関する規定

(2)         裁判上の離婚

(3)         婿養子縁組みの無効・取り消し

(4)         異姓養子を認める

(中央大学出版部刊『韓国法の現在』による)

というもので、創氏改名というのはこのうちの(1)のことである。

それはすべての朝鮮人に日本式の「氏」を創らせるというものであるが、

これをもう少し詳しく説明したい。

 

 

 朝鮮人の姓は、周知のように結婚しようが何しようが変わることがない、

というのが古来の慣習である。

それは朝鮮の「姓」が父系の血縁関係を示すもので、

「姓」が違うということはその関係がないことを意味し、

「姓」を変えるということはそれを否定することを意味している。

だから朝鮮人の家庭では、結婚した女性は嫁ぎ先とは血縁がなく、

また自分の出自の父系一族とのそれを否定できないから、

「姓」を変えることはない。

 

 

従って例えば金さんという家があったとしたら

祖母は朴さん、母は李さん、兄嫁は鄭さん、

妻は張さん、長男の嫁は呉さん、次男の嫁は崔さん‥‥

というような具合に名前が違ってくる。

 

 

 そこで、一つの家の中で法律上の名前の違う人が存在するというのを、

日本風に家族名として「氏」を持て、

そしてその「氏」はその家で決めて届け出よ、

というのが創氏改名令の趣旨である。

 

二種類の創氏

 

 届け出るということは、

例えばある金さんの家では「金川」と創氏を届け出て、

家族全員(男性や子供はもちろん嫁に来た女性も)が「金川氏」となった。

この場合を「設定創氏」と言う。

氏の下の「名」の変更は任意だったようで、多くの場合改名していない。

著作家の金賛汀(キム・チャンジョン)さんの創氏改名後の名前は

金川賛汀(かねかわ・さんてい)さんである。

 

 

 ところが届け出なかった人たちがいる。

『朝鮮を知る辞典』(平凡社 1986)によれば

届け出たのは322万戸(約80%)とあるので、

創氏を届け出なかったのは全朝鮮人の約20%ということになる。

 

 

しかし創氏は法律で定められていることなので、

すべての朝鮮人は創氏をせねばならない。

この場合は、その家の戸主の姓が例えば金さんなら、

その家族全員を「金」と創氏させたのである。

これを「法定創氏」と言うが、

これによって金さんの家では嫁に来た女性もすべて

「金氏」になったということになる。

 

 

 つまり1940年の創氏改名令の施行時に創氏を届け出なかった人は、

戸主の先祖伝来の男系の姓である金とか李とかの朝鮮名をそのまま、

権力によって強制的に「氏」とさせられた、ということである。

 

 

 また先に例示した(2)の文献における6人中の1人、

(3)の49人中の9人が朝鮮名であったという割合は、

創氏を届け出なかった約20%という割合に近似しており、

朝鮮名を維持した者は

創氏を届け出なかった者であるということの裏付けとなる。

 

創氏改名は日本名を強制するものではない

 

 

 創氏は家族名としての「氏」を新たに設けることであり、

先祖伝来の「姓」には変更はなかった。

朝鮮戸籍には創氏改名が書き加えられたのみで、

「姓」は抹消されずに本貫欄に残った。

本貫欄は日本戸籍にはなく、朝鮮戸籍独特のものである。

創氏改名後はこの欄に本貫とともに

「姓」が記載されることになったのである。

日本が朝鮮の「姓」を抹殺したという説は明らかに誤りである

 

 

 私は以上のような創氏改名の実像を知って、

目からうろこが落ちたような気がした。

これで創氏改名後のあの戦時中でも、

朝鮮人の少なからずが朝鮮名を維持してきたことを理解できたからである。

そしてその割合が20%と具体的な数字まで明らかにすることができた。

また創氏改名を届け出て「日本式」の名前になったと言うが、

なぜこれが「日本名」なのか、

これでは朝鮮人であることが丸分かりだ、

と思うものが非常に多いことも理解できたし、

あるいは創氏改名を体験した在日一世のお年寄りたちから話を聞いても、

このことについてほとんど気にかけておられず、

ましてや屈辱とは全く感じておられなかったことも理解できた。

 

 

 創氏改名が「朝鮮人の固有の姓を奪い、

日本名を強制した」というのは、

根拠のない俗説であることは明らかである。

 

多くの欧米諸国では、

結婚すると男女のどちらかが氏(ファミリー・ネーム)を変えて

夫婦で氏を統一する。

 

日本も明治維新後に欧米に倣った。

現状では女性が変えているケースが多い。

男性が変える場合は、日本では殆どが「婿養子」を意味する。

 

すなわち、日本は明治維新後、

欧米諸国の姓名の手法を導入した結果であり、

朝鮮人を弾圧しようと思い

創氏改名をしたわけでは無い。

それは、例えるなら、

日本古来の「尺貫法」を、

「メートル法」に変更し、

国際社会のルールに従おうとしたことと同じである。

 

 

ある事例から

 最近出た本で

『HARUKO 母よ!引き裂かれた在日家族』

(金本春子/金性鶴著 フジテレビ出版)の

25頁に次のような一文があります。

 

 

 「1939年には長女が生まれ、翌年には創氏改名で金本春子となった」

 

 

 著者は

1917年、出生。名前は「鄭秉春」。

1929年、来日。

1934年、「金致善」と見合い結婚。

1938年、三男誕生(長次男は病死)。

1939年、長女誕生。

1940年、創氏改名で「金本春子」となる。

 という経歴となっています。

 

 

それでは彼女は創氏改名の際にどのような手続きを行なって

「金本春子」となったか、ということです。

なお同書を取り上げるのは、

たまたま創氏改名を説明するのに適当な材料であったからで、

批判するものではありません。

 

 

 

「創氏」の手続き

 日本風の名前で創氏するには、

戸主が本籍地の役場(当時は「面事務所」と言いました)あてに

手続きせねばなりません。

 

 

春子の戸主はおそらく夫の父(

春子の義父、名前が記されていないので「金某」とする)でしょう。

この場合は、金某が地元の役場に

「氏設定届」を出します。

受理されますと、戸籍の氏名欄にあった「金」「鄭」が「金本」と訂正されます。

そして日本にいる息子夫婦に、

わが一族は「金本」と創氏したからお前たちは

「金本致善」「金本秉春」となる、と知らせることになります。

 

 

 他に戸主が義父ではなく夫の金致善である可能性が考えられます。

この場合でしたら、夫が役場に行って、

「金本」と創氏するという「氏設定届」を出します。

これによってこの家族は金本家となって、

夫婦の戸籍名は「金本致善」「金本秉春」となります。

 これが日本風の名前で創氏する「設定創氏」の手続きで、

いずれの場合でも戸主が役場に

「氏設定届」を提出するものとされていました。

 

 

 

「改名」の手続きは二段階

① 次に下の名前を変える手続きとなります。

本籍地もしくは住所地の裁判所

(当時の朝鮮では「地方法院」と言いました)に行って、

「春子」という名前に変えたいとする「名変更許可申請」を提出します。

この手続きは個人でできますが、

嫁だけが改名することは当時の朝鮮ではおそらくあり得ず、

家族みんなの改名手続きをしたと思われます。

この時は世帯主である夫が手続きすることになります。

裁判所の変更申請は手数料として1人50銭、

子供含めて家族4人ですと全部で2円が必要となります。

そして裁判所から許可の判決をもらいます。

 

 

② この判決謄本をもって再度役場に行き、「名変更届」を出します。

これが受理されますと、

戸籍の氏名欄の「秉春」が「春子」と訂正されます。

こうしてようやく「金本春子」となりました。

 

 

 

日本風の名前に変える手続きは複雑

 著者は「1940年に創氏改名で金本春子となった」と書いていますから、

上述のように役場に2回、裁判所に1回行って、

1人あたり50銭の手数料を支払うという複雑な手続きをしたはずです

ところが同書には、このような手続きをしたようなことが片鱗もありません。

夫や義父が手続きをしたことを著者は知らなかったのか、

あるいは忘れてしまったのでしょうか。

 

 

 

「創氏」は無料、「改名」は有料

 創氏はすべての朝鮮人に家族名としての

「氏」を新たに創ることを強制するものです。

日本風の名前を氏として届けることを「設定創氏」、

届けずに戸主の朝鮮名をそのまま創氏することを「法定創氏」といいます。

どちらを選ぶかは任意ですが、どちらかを必ず選ばねばなりません。

強制ですから手数料は不要でした。

 

 

 もう一方の改名は全くの任意です。

改名しようとしたら裁判所に行って許可をもらわねばならず、

その際に手数料が必要でした。

1人50銭ですから、当時としては安くないお金です。

従って多くの朝鮮人は改名をしませんでした。

 

 

 以上で、創氏改名についての話は、

終了します。

 

 

では、「相互主義」です。

昭和何年頃まででしょうか、

日本では、韓国人の名前も、中国人の名前も、

日本語読みをしていました。

 

例えば、

「金大中Gim Dae-jung」は、Kin Dai Chuと読んで発音していました。

しかし、韓国政府が、

韓国も、日本人の名前を、日本語の読み方で発音するから、

韓国人の名前を、日本式に読み発音せず、

韓国読みの発音で報道しろと要求しました。

その時に用いたのが「相互主義」

 

2009年の今でも、

日本と中国や台湾では、

それぞれの国の読み方発音で報道しています。

毛沢東は Mou Takutouですし、

李登輝くは Ri Toukiです。

それに対して、中国も台湾も抗議しません。

 

 

欧米の例を見てみましょう。

 

ローマ法王の「ヨハネ・パウロ 二世」は、

ラテン語:Ioannes Paulus II、

英語:John Paul II (the Second) 、

イタリア語:Giovanni Paolo II

ドイツ語:Johannes Paul II.  

スペイン語:Juan Pablo II 

フランス語:Jean-Paul II

デンマーク語:Pave Johannes Paul 2.

と、それぞれの国の表記法で読んでいます。

 

基本的に欧米諸国の名前は、

ラテン語の聖書に書かれている名前を基に、

それぞれの国の読み方に変換して命名しているのです。

 

最近では、F-1ドライバーの名前。

ドイツ人のMichael Schumacher(ミハエル・シューマッハ)は、

アメリカでは、マイケル(マイコーの方が原音に近いが)

シューマックと呼ばれている。

 

 

オーストリア人のGerhard Berger(ゲルハルト・ベルガー)は、

アメリカでは、ゲーハード・バーガーと呼ばれている。

 

 

そもそも、欧米諸国は、簡単の改名する。

例えば、ナポレオンは、

出生時の名前はナブリオーネ・ブオナパルテ

(コルシカ語: Nabulione Buonaparte)といい、

ナブリオーネが姓をブオナパルテ(Buonaparte)から

フランス風のボナパルト(Bonaparte)へと、

名をナポレオンへと改名している。

これは、フランスで出世する為にである。

 

オーストリア人俳優のアドルフ・ヴォールブリュックは、

ハリウッドに移ってからアントン・ウォルブルックと改名している。

 

 

韓国人なんか、アメリカに移民すると、

すぐに、ジョン・パクとか、ポール・リーとか、

英語風に改名するではないか。

 

韓国人は、日本に対してのみ意地を張る。

 

李は、韓国では、i と発音する場合が多いのに、

ローマ字表記する時は、Leeと綴っている。

Leeは、中国発音ではないか。

李小龍、英語名 Bruce Lee (ブルース・リー)

韓国人の李さんは、中国人なのか?

 

 

欧米で、John(ジョン英語)は、

フランスでは、Jean(ジャン)

スペインでは、Juan(フアン)

ポルトガルでは、Joan(ジョアン)

イタリアでは、Giovanni(ジョヴァンニ)

ドイツでは、Johaann(ヨハン)

オランダでは、jan(ヤン)

ロシアでは、Ivan(イワン)

となる。

 

これは地名だが、グルジアは、

英語圏では、ジョージアと読み発音する。

 

THE BEATLESの曲、

「Back in the USSR」では、

グルジアをジョージアとひっかけて、

「ジョージア・オン・マイ・マインド」と歌っている。

(詞の内容は、

モスクワの女の子達は歌い叫んでいる、

我が心のジョージアと)

レイ・チャールズのヒット曲

「ジョージア・オン・マイ・マインド」の

パロディにしているのだ。

 

 

 

とにかく、韓国人の日本に対する、

異常な被害意識、対抗心は、おかしい。

ヨーロッパ言語圏は、

実に、あっさりしているのに、

同じ漢字言語圏に属していた韓国が、

異常なこだわりを見せるのは、

劣等感の裏返しだと正直に思う。

 

そもそも曲名にしても、

Beach Boysの

「Back in the USA」のパロディである。

 

 

 

 

 

 



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