전통문화


日本の甲冑の変遷・その2(当世具足編:戦国末から江戸初期にかけて)

このスレは、
日本の甲冑の変遷・その1(古代−室町)[日本版韓国版の続編になります。
今回は「当世具足」についてまとめた物を投稿しますので、どうぞご覧下さい。




応仁の乱(1467〜1477)以後、室町幕府の権威は完全に失墜し、各地の大名は地方に割拠して世に言う「戦国時代」に突入していく。豊臣秀吉により天下が統一されるまでのおよそ100年にわたった未曾¥有の戦乱の時代である。この時代の戦闘は、長柄の槍などを使用した集団徒歩戦が徹底され、これに順応して従来の甲冑とは全く面目を一新したいわゆる当世具足が誕生していったのである。また、鉄砲の伝来が戦法に一大革命をもたらし、甲冑も必然的に防弾を意識して作られるものも出てくる。当世とは「現代風」との意味に当たる。
当世具足は、それを構¥成する札や威しの手法、胴の構¥造や細部の装置などに様々な種類と名称があり複雑多岐にわたる。また戦乱の世にあって、自己の武勇を顕揚せんとする心意気から、それまでの様式や因習にとらわれない自由で奇抜な仕立てが盛行した。
以下に胴の構¥造に着目しながら名品の幾つかを紹介していくが、「丸胴」「二枚胴」「五枚胴」などと胴の枚数によって区分される場合と、「桶側胴」「本縫延胴」「南蛮胴」などと胴の構¥造によって区分される場合があり、しかもこれらが組み合わされて当世具足は成り立っている。私の分類の仕方が分かりづらい点もあるとは思いますが、その点はご容赦いただきたく思います。


◆板札の具足
当世具足が登場する以前の日本の甲冑は、基本的に鉄や革の小札を絲や韋で一枚一枚綴じ合わせて作られてきた。しかし室町末期になると小札や伊予¥札を何枚も綴じ合わせて、漆で塗り固めていた横一段の部材を、一枚の鉄板や煉革で作る「板札(いたざね)」と呼ばれる物が生み出されたのである。製作工程が大幅に簡略化されるとともに、槍や鉄砲に対してもより強い防御力が発揮される画期的なものであった。


●黒漆塗竪矧胴具足(岡山 林原美術館蔵)
江戸初期の三名君として名高い備前岡山藩初代藩主・池田光政の所用と伝えられる物で、黒漆の重厚な輝きが印象的な甲冑である。
板札の継目が桶の側面のように見えることから「桶側胴」と呼ばれる具足である。桶側胴には竪矧と横矧があるが、これは竪矧胴である。左脇の蝶番で前後を繋ぎ、右脇で引き合わせる「二枚胴」であり、袖も黒漆塗の額袖で、漆黒の面頬と合わせて統一感のある引き締まった具足である。



何よりも目を引くのが「鯖尾」と称される立物を配した兜で、見る角度により大胆に印象を変える迫力の兜である。



●黒糸威横矧二枚胴具足(東京 永青文庫蔵)
利休七哲の一人、細川三斎忠興の所用と伝わる具足である。畦目綴とした「横矧桶側胴」の一種であるが、細川家ではこの形式の具足を「御家流」と呼び、他家からは「三斎流」「越中流」と呼ばれた。いわゆる「越中具足」の祖型となったものである。
忠興は、利休から伝えられた「侘び茶」の精神を、刀装や甲冑などの武装具でも具現化しようとし、渋味を身上とした実用重視の具足を完成させた。身動きがしやすいように最小限の防御を基本とし、胴は馬革包み、兜には吹き返しがなく、袖も用いていない。さらには、臑当てには立挙や家地(下地の布など)も用いないという独特の形式である。
非常に実用的で堅固な造りであるが、兜の立物には山鳥の尾を用いて熊毛の引廻しをあしらい、草摺の裾板二段は緋のビロードで包むなど、風流人・忠興らしい遊び心も垣間見える。




●朱漆塗燻韋威縫延腰取二枚胴具足(滋賀 彦根城博物館蔵)
彦根藩二代藩主・井伊直孝の所用と伝えられる一領である。兜は鉄板を張り合わせた頭形で、長大な金色の天衝が脇に立てられており、以後の彦根藩主所用の大天衝兜の手本となった。ちなみに、藩主以外が天衝を用いる場合は前立となる。胴は切付板札をコクソ¥(漆に繊維くずや木粉を練り混ぜたパテのようなもの)で盛り上げ、伊予¥札で綴じ合わせたように見せる「縫延胴」と呼ばれる物を素懸に威してあり、長側部分は縄目に威し分けた腰取となっている。総体を朱漆塗とした伝統の「井伊の赤備」であり、衆目に一際映える一領である。




●黒糸威胴丸具足(個人蔵・重要文化財)
徳川四天王の一人で、数々の戦陣に臨みながら生涯無傷を全うし、三河の飛将、日本の張飛、花実兼備の勇士と称えられた天下無双の豪傑・本多忠勝所用の具足である。鹿角の脇立と獅噛の前立の兜に、肩から提げた木製金箔押しの数珠があまりにも有名な一領である。鹿角の脇立は、何枚もの和紙を貼¥り合わせて黒漆で塗り固めた「張懸」と呼ばれる物で非常に軽い。鉄製板札を用いた「縫延胴」であり、黒漆塗の切付板札を黒糸で素懸に威してある。袖は用いず、草摺は皮製黒漆塗の切付板札を七間五段下がりとし、籠手等の金具部分は青漆塗とされている。
忠勝は戦陣での動き易さを重視して軽量の具足を用いており、同じく徳川四天王の一人で、重武装の具足に身を包みながら、数多の傷を負った井伊直政には批判的であったという。



●朱漆塗矢筈札紺糸素懸威具足(東京 サントリー美術館蔵)
豊臣秀吉の養子となり、関白の位を継ぎながら、切腹に追い込まれた悲劇の武将・豊臣秀次所用の具足である。
兜は低い烏帽子形で、兜鉢には五弁花形が三段に飾られている。鹿角の脇立と獅噛の前立を備え力強い印象を与える。胴は朱漆塗矢筈頭の切付札を紺糸で素懸に威した「縫延胴」であり、「二枚胴」に仕立てられている。大胆な色彩の対比が美しく、桃山期を代表¥する華麗な具足である。





●色々威二枚胴具足(愛知 名古屋市秀吉清正記念館蔵)
狩野随川の筆になる「豊臣秀吉像」(TOP画像)に描かれている具足である。一見すると伝統的な色々威の胴丸に見えるが、本小札に似せて板札に切り込みを入れた「切付小札胴」と呼ばれるものであり、秀吉が好んで用いた形式である。堅牢な二枚胴を手間を惜しまず紫・朱・縹の絲で縄目に威し分けた華やかな具足である。袖には桐紋、草摺には沢瀉紋が銀板で大きく表¥されている。兜は僧侶が被る帽子形(もうすなり)に白いヤクの毛で作った払子の立物を配している。




●茶色威桶側五枚胴具足(大阪 大阪城天守閣蔵)
豊臣秀吉の五奉行筆頭を務めた浅野長政の所用である。彼の子孫は広島藩42万6000石の大名として存続し、また傍系には「忠臣蔵」で有名な浅野内匠頭がいる。
巨大な水牛の脇立の兜と、明るい茶色の威が目を引く甲冑である。重厚な板札を用いた、横矧桶側五枚胴である。横矧桶側五枚胴は、当世具足の基本形とも言える形式である。
水牛の脇立は桐材で作られており非常に軽い。また、胴と兜には鉄砲で試し撃ちをした痕が残っており、非常に堅牢な仕立てであることが分かる。




●黒糸威胴丸具足・銀箔押一ノ谷形兜付(福岡市博物館蔵・重要文化財)
豊臣秀吉の軍師として名高い黒田如水官兵衛の嫡男であり、関ヶ原の合戦で軍功第一とされた黒田長政所用の甲冑である。板札を各段に皺革包みとしたうえで菱綴にした五枚胴具足であり「桶側胴」の一種である。籠手・佩盾・臑当が小篠で統一された、当世流行の一領である。



付属する銀箔押しの兜は、「一ノ谷兜」と呼ばれる変わり兜の本家とも言える物であるが、もともとは福島正則の所用であった。朝鮮出兵で苦労を共にした二人は、友情の証としてお互いの兜を交換したのである。長政正則に贈ったのが下に示す「鉄黒漆塗桃形大水牛脇立兜」であり、変わり兜の傑作として名高い物である。





●月輪文皺革包最上胴具足(福岡 御花史料館蔵)
出羽の最上で盛んに作られた形式であることから「最上胴」と呼ばれる五枚胴の具足である。板札が素懸で繋がれており、堅牢で簡便な構¥成が特徴である。
秀吉に“鎮西一”と言われ、徳川四天王の本多忠勝と並び称された立花宗茂所用と伝えられる物であり、地金を厚くした入念な仕立で、大変に重量のある甲冑である。戦場で鉄砲から身を守るためであったことが想像でき、一見素朴ながらも質実剛健な印象を与える。兜は頭上に大きな輪(わぬき)と呼ばれる立物を配し、その後ろに鳥毛の立物が添えられている。





●熊毛植黒糸威具足(愛知 徳川美術館蔵)
言わずと知れた江戸幕府の創始者・徳川家康の所用と伝わる具足である。三河時代以来、数十¥回に亘って着用したという常用の具足で、胴・小手・草摺など総体に熊の毛を植え付けたもので、下地は「桶側五枚胴」である。兜にも熊毛が植えられ、大きな水牛の脇立で威容を示し、全身黒ずくめの中に真紅の面頬がいかにも獰猛な印象を与える。当世具足にありがちな奇をてらった仕立てと思いがちであるが、実は雨露を凌ぐには合理的な装置といえ、すこぶる実戦仕様の具足である。
尾張徳川家に伝えられ、名古屋城小天守閣内に特別な場所を設けて安置された。




◆伊予¥札・本小札の具足
合理的で簡便・強固な板札が普及する一方で、伝統的な小札や伊予¥札を威した具足も作られている。製作に非常に手間が掛かることから、この時代では上級武士が用いる高級品となっていった。


●金小札白糸素懸威胴丸具足(石川 前田育徳会蔵・重要文化財)
豊臣秀吉の盟友で、加賀百万石の基礎を築いた前田利家所用の具足である。
天正12年(1589)の末森城の戦いで利家が着用していたもので、守城に功のあった奥村永福に与えられ、のち五代加賀藩主・前田綱紀の時に再び前田家に献納された。
胴は本伊予¥札を素懸威とした典型的な胴丸仕立てであるが、漆を塗って金箔を押した目も眩むような華やかな具足である。胸板・脇板の形状や緩絲が短いことなどに、初期の当世具足の特徴が良く顕れている。兜は熨斗烏帽子形の変わり兜で、全体を金箔で押している。錣(しころ)の上には、白いヤクの毛でできた引廻しが付いている。



●伊予¥札黒糸威胴丸具足:歯朶具足(静岡 久能¥山東照宮博物館蔵・重要文化財)
徳川家康が大黒天を霊夢に見て、奈良の甲冑師・岩井与左衛門に命じて作らせたことから御夢想形・御霊夢形と称されたが、兜に歯朶の前立が添うことから歯朶具足とも呼ばれる。ただし、この前立を取り付ける金具が兜に付いていないのが謎である。家康が関ヶ原合戦(1600)で着用し、大阪の陣(1615)でも身近に置いて勝利を得たことから吉祥の鎧として尊ばれた。徳川将軍家の什宝の筆頭に位置づけられる。
伊予¥札を横に重ねて韋で綴じ、漆で塗り固めて札板(さねいた)を構¥成した「本縫延胴」と呼ばれるものであり、「丸胴」に仕立てられている。兜は総黒漆塗大黒巾形で、眉庇と腰巻は朱漆塗りである。





四代将軍・家綱の頃からこの具足を模して「御写形」と称し、毎年正月の具足祝いの日に江戸城黒書院に床飾りされるようになった。以後代々の将軍もこれに倣ったことから全部で十¥九領の「御写形」が作られたという。
ちなみにこちらが「御写形」で、ともに久能¥山東照宮博物館蔵である。四代将軍・家綱は二領の「御写形」を製作し、うち一領を久能¥山東照宮に奉納している。左側の具足が久能¥山東照宮に奉納されたものだが、吉祥の文字として「貫衆(しだ)」の字が当てられ、江戸城西ノ丸の紅葉山神庫に安置されている家康の「御汗付」と区別されたが、同格の扱いを受け神体同様に尊重されたという。また右側の「御写形」は、十¥二代将軍・家慶所用の「御写形御召御具足」である。





●伊予¥札縫延栗色革包仏丸胴具足(福岡 御花史料館蔵)
こちらも立花宗茂の所用と伝えられる一領である。先の「最上胴具足」と同じく、兜には大きな輪(わぬき)と呼ばれる立物と鳥毛の立物が添えられており、この「大輪貫鳥毛頭形兜」が宗茂の象徴である。
胴は鉄製の伊予¥札を用いた「本縫延胴」であるが、表¥面を革で包んだ上で漆塗りをし、継ぎ目のない「仏胴」に見えるようにしたもので「包仏胴」「塗込仏胴」と呼ばれる手の込んだ仕立てである。草摺は朱漆塗りの板札を素懸に威しており、佩盾は銀箔押しであらわされ、どっしりとした重厚さの中にも洒落た雰囲気を漂わせている。
立花家に伝来する他の甲冑と比較すると、胴回りや脛当が大きく作られており、先の「最上胴具足」と合わせて、着用者である宗茂が偉丈夫であったことが偲ばれる一領である。




●啄木糸素懸威伊予¥札胴具足(長野 上田市立博物館蔵)
戦国きっての謀将であり、家康をして震え上がらせた知謀の将・真田昌幸の所用である。昌幸はしばしば寡兵で敵を破り、上田合戦で2度にわたって徳川軍を撃退している名将である。
胴は矢筈頭の黒漆塗伊予¥札を素懸に威した「二枚胴」であるが、草摺は緩絲でなく、金襴で取り付けられている。兜は鉄地突盔形。草摺りは毛引で縄目に威されており、佩楯には金で真田家の家紋・六文銭を大きく描いている。当世具足の中にあっては、全体の色調や形姿が控え目で軽快な印象を与えるものである。




●金小札浅葱威二枚胴具足(山形 上杉神社蔵)
天下人目前の家康に対して「直江状」を送りつけた硬骨の武人で、戦国一の義の人と評される直江兼継所用の具足である。上杉家の陪臣の身でありながら秀吉に寵愛され、豊臣姓に「山城守」の官位と知行地・米沢を授けられてもいる。
立挙部分を金の小札で縄目に威した胸取とし、胴周りを伊予¥札で素懸に威した「段替胴」と呼ばれる物である。何よりも目を引くのが、二段錣に「愛」の前立てが立てられた兜であろう。この前立は「愛染明王」又は「愛宕権現」に由来すると言われているが、はっきりしたことは分かっていない。ただし、前立には瑞雲が設えられているので、仏教からの由来であることには間違いないだろう。






●黒糸威三葵紋具足(長野 上田市立博物館蔵)
織田信長が永禄¥11年(1568)に六角氏を攻めた際に、家康の代理として援軍にはせ参じた松平信一が、出陣に当たって家康から拝領した具足である。
鉄と革の小札を黒糸で縄目に威し、金箔を貼¥った小札と茶色の威毛で徳川家の家紋・三葵紋が表¥されている。佩楯にも金箔押しで大きく三葵紋が表¥され、籠手や胴の縁金具にも三葵紋が散りばめられており、家康の名代として近江に出陣する松平信一に贈るに相応しい一領と言えよう。胴は本小札の「二枚胴」であり、兜は木菟(ミミズク)を象った変わり兜である。




●黒漆塗紺糸威二枚胴具足(長野 上田市立博物館蔵)
織田信長豊臣秀吉に仕え、小諸城主となった仙石氏初代・仙石秀久の所用である。豪傑大名と言われ、某漫画によると「戦国で最も失敗し、最も挽回した男」らしい。
胴と草摺、喉輪は黒漆塗の小札を紺糸で縄目に威した物であり、「二枚胴」に仕立てられている。兜は、上端を折り曲げて縄で束ねた藁の編み笠を象り、左右には歯朶の脇立を立てた変わり兜である。




●紫糸威伊予¥札五枚胴具足(山形 上杉神社蔵)
毘沙門天の化身と言われ、戦国最強の武将とも評される上杉謙信所用の具足である。
黒漆塗の伊予¥札を、紫糸で細かく花緘とした「五枚胴」である。兜には瑞雲と日輪の大きな前立が設えられ、紫の威糸が映える漆黒の胴と合わせて、武神を彷彿とさせる一領である。
緩絲が短く、初期の当世具足の特徴がよく顕れている。




◆鉄板製の具足
板札や本縫延などの札板(さねいた)を用いずに、鉄板を打延べて制作した具足も数多く作られている。後述する南蛮胴に類似した「二枚胴」の他、「五枚胴」や「六枚胴」のものがあり、胴の表¥面に様々な加工が施されているものも多い。


●金小札色々威片肌脱胴具足(東京国立博物館蔵)
加藤清正用の具足と伝わる物で、当世具足のなかにあっても一際目立つ異形の仕立てである。
下地の胴の前面は鉄地に乳首と肋骨が打ち出され、背面には背骨が表¥された、いわゆる「肋骨(あばら)胴」である。兜は頭形鉢に熊毛が植えられ、面頬とともに肉色に仕上げられている。胴には金箔押しの小札を色々に威しているが、左肩から袈裟懸けのようになっており、あたかも片肌脱ぎのように仕立てられた奇抜な具足である。


下に示すのは、「肋骨胴」を黒漆塗本小札で片肌脱ぎに仕立てた類似の具足であるが、それに伴うのは「肉色塗入道形兜」(個人蔵)である。首周りを護る錣がなく、いっそう写実的で鬼気迫る迫力を感じさせる具足である。






●魚鱗札二枚胴具足(岡山 林原美術館蔵)
秀吉の麾下にあって、黒田如水官兵衛と並び称された知謀の将・竹中半兵衛重治着用の伝がある。
兜は冠を象った変わり兜で、胴は薄鉄の二枚胴に、煉革の魚鱗札を綴じ付けている。籠手のほか、面頬・喉輪などの小具足も皆具した優品である。大変に珍しい形式の甲冑で、根来具足・天狗具足とも言われる。見る物を圧倒する迫力がある。




●朱漆塗仏二枚胴具足(滋賀 彦根城博物館蔵)
徳川四天王の一人で彦根藩初代藩主となった井伊直政の所用である。
鉄板を打延べて制作した二枚胴の表¥面に朱漆を塗ったもので、仏像の胸のように滑らかなことから「仏胴」と呼ばれるものである。井伊家では主君から足軽に至るまで軍装を赤で統一し、以後代々踏襲されて「井伊の赤備」として彦根藩の伝統となった。
なお、この具足には戦場傷が見あたらないことから、関ヶ原で着用したものではなく、替具足だったと推定されている。また、胴の引き合わせは通常右側にあるが、この具足は左側になっている。直政は左利きだったのだろうか?




●金陀美具足(静岡 久能¥山東照宮博物館蔵・重要文化財)
永禄¥3年(1560)5月、今川義元の勢力下にあった大高城が織田信長に兵糧攻めを受けていた際に、未だ今川家の属将の身分であった19歳の松平元康(徳川家康)は、重囲を冒して兵糧を運び込むことに成功した。本具足はこの時に元康が着用していた物と伝えられ、「大高城兵糧入れ具足」と称され、吉祥の具足として歯朶具足とともに紅葉山神庫に安置された徳川将軍家の什宝である。
兜は金泥三枚張りの頭形で立物はなく、日根野形の錣は黒糸で素懸に威されている。胴は鉄板打延段替の二枚胴で、金具周りを捻り返しにし、前立挙二段と後立挙一段を碁石頭の板札で揺るぎに組み、黒糸で毛引に威されている。草摺は六間四段。籠手は毘沙門籠手で、臑当は四本筒で古風な大立挙となっている。佩盾は金泥革地骨牌札の板佩盾である。鉄板打延の「仏胴」としては、最も著名な物であろう。
総体を金泥溜塗とした煌びやかな具足であるが、兜も鎧も一般武者用の実用本位の造りで決して上等の物ではない。苦しい人質生活の中にあって、若き主君の晴れ舞台のためにと、家臣が苦心して調達した物であろう。



●黒漆五枚胴具足:雪下具足(宮城 仙台市博物館蔵・重要文化財)
奥州の“独眼竜”こと伊達政宗の所用としてあまりにも有名な甲冑である。黒漆地に、雄大な金の弦月形前立が一際目を引く。
鉄板五枚で構¥成される五枚胴具足で、「仏胴」の一種と見なされる。草摺りも鉄製なので大変重量のある甲冑である。仙台藩はこれに倣って具足を統一したことから「仙台胴」とも呼ばれる。また鎌倉・雪の下の甲冑師を招いて作らしめた事から「雪下具足」とも称される。




●朱皺漆六枚胴具足・三宝荒神形兜付(宮城 仙台市博物館蔵)
上杉謙信の所用と伝わる一領である。特異な変わり兜として知られる三宝荒神形兜を伴う具足で、三宝とは仏・法・僧を指し、三宝荒神はこれらを護る神といわれる。忿怒の相をした赤・緑・黒の3つの顔が「張懸」で表¥現されており、仏教に深く帰依していた謙信らしい兜で、その形相は敵兵を大いに威圧したことであろう。
胴は鉄板製の六枚胴で、固めの漆で凹凸を出す皺漆(しぼうるし)塗りであり、紫糸で素懸風に綴ってある。胸板や草摺・佩盾には「桐紋」と「丸に大字紋」があしらわれている。
記録によると、もと上杉家家臣の登坂家から伊達家に献上されたものであり、上杉家から伊達家に伝来した経緯が明らかな、貴重な一領である。



◆南蛮胴具足
安土桃山時代は、南蛮貿易が盛んに行われた時代でもあり、西洋人が使用していた甲冑も輸入されている。これが南蛮胴具足と呼ばれるものである。鉄板を打ち出して鎬を立てた「二枚胴」の、堅牢無比な具足である。鎬を立てるのは、銃弾や槍など正面からの攻撃を逸らせる効果を狙った物である。
また後には、日本人の体格と具足の仕立てに合わせて、和製南蛮胴が作られるようになった。


●南蛮胴具足(和歌山 紀州東照宮蔵・重要文化財)
西欧から輸入された甲冑を改装して用いた南蛮胴具足であり、徳川家康の所用と伝わる。
兜は鉄製瓜形で漆塗を施してあり、草摺は九段下がりで格段を蝶番で繋いだ板札である。胴の発手(下端)がV字になっていることと、正面に鳩胸状の鎬があることなどに、典型的なヨーロッパの甲冑の仕様が顕れている。なお、胴の前面に10数発の弾痕が残っており、家康が強度を試した物と思われる。
南蛮胴は非常に高価で大振りであり、ために重量も相当なものであった。




●南蛮胴具足(東京国立博物館蔵)
こちらは和製南蛮胴であり、胴の発手が平らになっている。明智光秀の従兄弟であり女婿であった明智光春所用と伝えられる具足である。
堅牢な鉄二枚胴で、高度な打ち出しの技術で前面に「天」の字と髑髏が描かれ、背面には雪を頂いた富士山が表¥されている。兜は一枚の鉄板を打ち出して椎の実形に造り、前中央に鎬を立てて左右に兎耳を配している。西洋の甲冑に日本の美意識を融合させた、和製南蛮胴の傑作である。





●金魚鱗小札二枚胴具足(東京国立博物館蔵)
喉輪の「立ち葵紋」で明らかなように、本多家に伝来した具足である。こちらも和製南蛮胴の二枚胴であるが、栄螺に立波を添えた形の兜が一際目を引く。栄螺の意匠は「張懸」で非常に軽い。佩楯と袖は金箔押しの魚鱗札であり、その存在感は、奇抜な仕立てが多い当世具足の中にあっても一二を競うものであろう。







さて、当世具足についてまとめてみましたが、前代までの鎧とは趣を一新し、非常にバリエーションに富んだ物となっております。そして長らく続いた戦乱の世によって兵器産業も発達し、実用品としても高度な進化を遂げました。
この後、徳川家康によって天下が統一されるわけですが、鎧はどのような変遷を辿っていくのでしょうか?次回は「江戸時代編」として、甲冑の終焉までをご紹介します。


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