전통문화

각지에서 진행되는 죠몽계와 도래계의 융합과 타협해 가는 길
  동일본의 죠몽계의 토기가, 서일본의 유적에서 출토한 사실



도래계의 사람들이, 대륙으로부터도 늘어뜨린 논벼농사라고 하는 새로운 생산기술은,
죠몽계의 사람들을 강하게 끌어당겨 교류라고 하는 새로운 움직임을 재촉했다.

이것은 아무것도 동일본과 서일본이라고 하는 지역간의 교류 만이 아니다.

같은 지역안에서도, 원으로부터 있던 죠몽계의 사람들과 새롭게 온 도래계의 사람들이
공존해 나가는 모습은 각지로 보여졌다.
전쟁이라고 하는 불행한 사건의 한편, 교류라고 하는 미래 지향의 움직임도 확실히 싹트고 있었던 것이다.




동일본의 죠몽계의 토기가, 서일본의 유적에서 출토한 사실.

예의 얼음식 토기이다
본래, 나가노현을 중심으로 분포하는 토기가, 왜,
직선 거리로 해 500킬로 가깝게 떨어진 킨키 지방의 효고현에서 발견되었는가?

먼저 생각나는 것은, 교역이나 무엇인가로 동일본으로부터 서일본으로 옮겨졌다고 하는 생각.

그러나, 그것은 있을 수 없다.
효고현에서 출토한 얼음식 토기에는 현지의 흙이 사용되고 있었다.
즉, 이 토기는, 어딘가로부터 옮겨진 것이 아니고, 현지 효고현에서 만들어진 일을 의미한다.
「동일본의 죠몽계의 사람들이 서쪽에 움직였던 시기라고 하는 것은,
정확히, 논벼농사가 대륙으로부터 전해지고 서일본에 퍼지기 시작한 찬`조


縄文人と渡来人の交流

各地で進む縄文系と渡来系の融合と折り合っていく道
  東日本の縄文系の土器が、西日本の遺跡で出土した事実

渡来系の人々が、大陸からもたらした水田稲作という新しい生産技術は、
縄文系の人々を強く引きつけ、交流という新たな動きを促した。

これは何も東日本と西日本という地域間の交流だけではない。

同じ地域の中でも、元からいた縄文系の人々と新たにやってきた渡来系の人々が
共存していく様子は各地に見られた。
戦争という不幸な出来事の一方で、交流という未来志向の動きも確かに芽生えていたのである。




東日本の縄文系の土器が、西日本の遺跡で出土した事実。

例の氷式土器である
本来、長野県を中心に分布する土器が、何故、
直線距離にして500キロ近く離れた近畿地方の兵庫県で見つかったのか?

先ず思いつくのは、交易か何かで東日本から西日本に運ばれたという考え方。

しかし、それはあり得ない。
兵庫県で出土した氷式土器には地元の土が使われていた。
つまり、この土器は、どこかから運ばれたものではなく、地元兵庫県で作られた事を意味する。
「東日本の縄文系の人々が西へ動いた時期というのは、
ちょうど、水田稲作が大陸から伝わって西日本に広がりはじめた時期にあたります。
東の縄文系の人々は、その情報を聞きつけ、
こぞって視察のために西日本に人を送り込んだのだと思います。」

そして、こうも続けた。

「西日本で見つかる東日本の縄文系の土器というのは、決して数が多いわけではありません。
遺跡の土器の中でも、ほんの一部、一かけらや二かけらしか見つからない場合も少なくありません。
いわば、大勢の見知らぬ人々の中に単身で乗り込んでいったような状況なのです。
私は縄文系の人々の勇気、というか行動力には感心させられます。
その根源にあったのは、新しいものに対する飽くなき好奇心と先取の精神、
そして新たな人々と、うまくやれるかどうかを見極めたいという強い気持ちだったのでしょう。」



  神奈川県小田原市にある「中里遺跡」


いまから、2100年前の弥生時代の半ば、
濃尾平野で足踏みしていた渡来系の人々は、突然、再び東へと拡大を開始し、関東平野に進出する。
その時に築かれた集落の一つが、神奈川県小田原市にある中里遺跡である。

この中里遺跡は、研究者達の常識を覆すものだった。

なぜなら、西日本では渡来系の人々は、
まず小さな集落を築き、そこを拠点に周囲に広がっていくのが通例だった。
しかし、関東地方では何の前触れもなく、いきなり大規模な集落が誕生するからである。

中里遺跡には、その謎を解く手掛かりも残されていた。

実は渡来系の土器は全体で5%を占めるに過ぎない。
のこりの95%は地元関東の「須和田式」という縄文系の土器なのである。
渡来系の人々が、こちらへ来て関東の土器を使った事も考えられるから、
土器の比率が、そのまま人口比を示すわけではないだろうが、
それにしても95対5というのは圧倒的な差である。
中里遺跡の主体は、むしろ縄文系の人々だったのだ。


発掘を担当した玉川文化財研究所の戸田哲也さんは、
こうした発掘調査から、中里集落の成立について、次のようなシナリオを考えている。

「少数の渡来系の人々が西からやってきたのを聞きつけて、
地元の縄文系の人々が、この地にわっと集まり、
渡来系の人々と協力しながら集落を築いていったのだと思います。

その証拠に、この遺跡からは、鏃(やじり)や武器など戦いの証拠を示す遺物は、殆ど出土していません。
地元の縄文系の人々が渡来系の人々の到着を、今か今かと待ちわびていたかのように見えます。」



西日本では、圧倒的多数の渡来系の人々が、
時には縄文系の人々を蹴散らしながら、勢力を広げる場面も見られた。
しかし、東日本では逆に、多数派の縄文系の人々が、少数派の渡来系の人々を平和的に迎え入れた。

こう考えるのは、縄文系の人々の肩を持ちすぎだろうか?



いずれにせよ、縄文系の人々と渡来系の人々が協力しながら、
新たな生活を築いていく光景は、日本列島の各地で見られた。
こうして「弥生」という新たな文化が生まれた。

事実は、縄文文化+渡来文化=弥生文化、である。

縄文文化が渡来文化に塗り替えられなかったからこそ、
言葉を換えれば、縄文文化が、その後の文化の中に脈々と生き続けたからこそ、
日本列島の文化は、中国や朝鮮半島とは異なる独自の道を歩む事が出来たのだ。




  古代人は、異質な人々を受け入れる寛容さと、多様な人々が纏まる知恵があった?

日本列島に暮らしてきた私たち日本人は、
その内部の多様性の一方で、大陸の人々とは明らかに違う共通点も備えているようだ。


弥生時代、それまでにない規模で起こった新たな人々の渡来。

顔も文化も異なる人々が流れ込んだ事をきっかけに起きた対立は、やがて収まり交流へと向かった。
弥生時代の日本列島では、
何故か、一方がもう一方を徹底的に滅ぼすような事は起こらなかった。

こうした経験を経て、人々はお互いに無いものを補い合い、
協力しながら暮らしていく知恵を身につけていったことだろう。


その後、西日本に成立した古代国家も、ある意味で極めて「日本的」である。
そのことは「魏志倭人伝」に記されている。

古代国家の誕生直前の弥生時代後期(二世紀頃)、
西日本で「倭国大乱」と呼ばれる小さな国々同士の戦争が繰り広げられた。
大規模で広い地域を巻き込むものだった。

しかし、その結末はあっけなかった。
「魏志倭人伝」によれば、いつまで戦っても決着がつかないので、
一人の女王を「共立」して戦いを収めた、、、とある。

良く言えば、落としどころを見つけて争いごとを、上手く丸め込む知恵。
悪く言えば、馴れ合いや妥協。
いずれにせよ、極めて日本的な物事の解決の仕方であろう。
これは、敵を滅ぼすまで徹底的に戦い、
大帝国が次々と興亡を繰り返した中国大陸とでは、大きく事情が異なるように思える。


もちろん、その後の日本の歴史の中では、
大和朝廷による蝦夷・熊襲への攻撃をはじめ、日本人が必ずしも平和的であるとは言えない面もある。
しかし、少なくとも、その出発点に於いては、
日本は異質な人々を受け入れる寛容さと、多様な人々が緩やかに纏まる知恵を身につけていたのではないか?




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