전통문화소개 Relationship

미닫이 문화가 있다고 하는 것은 무슨 일인가

 

“서울 키타무라의 한옥 등은 조선과 일본의 절충 양식”이 아닌지, 라고 하는 지적으로부터 시작된 교환은, 지금 시대를 거슬러 올라가고, “조선시대의 반도에 미닫이 창호의 문화가 있었는가”라고 하는 것이 문제가 되어 있다.

 

다만, 조금, 사소한 일로 시종 하고 있게 되었다고 생각된다.

현재 상태로서는, 한국측으로부터“여기에(낡다) 미닫이가 비치고 있다”라고 제시된 화상을 확대경으로, 점검 하는것 같은 일이 되어 있다.

물론, 세부가 중요한 경우도 많지만, 더 부감적이고 본질적인 시점이 필요하다고 생각한다.

 

미닫이 창호의 문화가 있었는지 않았던 것일까라고 하는 문제는, 단지 미닫이가 있었는지 않았던 것일까라고 하는 문제와는 일선을 선을 긋는 것이라고 생각한다.

 

예를 들면,

① 선물물로 일본에서 미닫이를 사 왔다.

② 반도의 야마토관에 체재하고 있던 일본인이 미닫이를 두고 갔다.

③ 폭풍우로 해안에 표류한 미닫이를 사용해 보려고 했다.

 

④ 또, 이상의 것을 샘플로서 카피를 만들려고 했지만 시작 단계에서 끝났다.

 

이러한 케이스에서는, 물건으로서의 미닫이는 존재하지만, 미닫이 창호의 문화가 있었다고 말할 수 있을 것이다인가?

 

미닫이 창호의 문화가 있다고는 무슨 일인가?

 

1 미닫이를 필요로 하는 조건이 있어

2 미닫이를 만드는 인간이 있어

3 미닫이를 사용하는 사람들이 있어

4 그것들이 계속하는 환경이 있다

 

이것들이 채워져 있을 필요가 있는 것은 아닐까.

 

이러한 점을 염두에 두면서 광각적인 관점도 더해 재차 생각해 보고 싶다.

 

 

일본의 인식과 세계의 인식

 

2009년 3월 16일의 일본 경제 신문에 다음과 같은 기사가 실렸다.

 

「일본은 가장 자동문이 사용되고 있는 나라의 하나이지만 95퍼센트 이상은 슬라이딩 도어이다.해외는 반대로 회전 도어가 많다.

그러나, 해외에서도 호텔이나 별택에 슬라이딩 도어가 사용되어이고라고 있다.07년 개업의 외자계 고급 호텔더·페닌슈라 도쿄의 전316실에는 높이 2.6미터의 천정까지 닿는 트치노키제의 거대한 미닫이를 갖추었다」

「미닫이는 일본에서 탄생, 발전한 창호로 사용되기 시작한 것은 헤이안 시대 중기경, 현재에도, 근처의 한국이나 중국을 포함해 넓게 사용하고 있는 나라는 없는 것 같다」(쇼와여자 오오히라정성특임교수)

 

이바라키 히로미치관첩복도

 

 

또, 영문판의 Wikipedia로 「sliding glass door」를 조사하면 이하와 같은 기술이 있다.

 

The sliding glass door was introduced as a significant element of pre-war International style architecture in Europe and North America. Their precedent is the sliding Shōji and Fusuma panel door in traditional Japanese architecture. The post-war building boom in modernist and Mid-century modern styles, and on to suburban ranch-style tract houses, multi-unit housing, and hotel-motel chains has made them a standard element in residential and hospitality building construction in many regions and countries.

 

요약하면,“전쟁 전의 세계의 건축계에서 주목받아 전후 많은 나라에서 표준의 하나가 된, 넓은 지면 유리의 슬라이딩 도어(파티오 도어)는 일본의 전통 창호인 미닫이나 후스마의 후계이다.”

 

슬라이딩 유리 도어

 

 

이상이 일본의 통설이며, 세계의 통설이다.

 

다만, 일본의 미닫이가 사람의 출입에 사용된, 세계에서 제일 낡은 미닫이이다고 하는 것을 말하는 것은 아니다.

도어 사이즈의 판 모양의 물건이 있어, 지면에 한 개의 도랑을 당기면, 가장 원시적인 미닫이가 될 것이다.먼 옛날에는 온 세상에 있었다고 생각된다.

그러나 그러한 형태의 도어는 다른 타입의 도어, 예를 들면 열어 도어(hinged door)에 구축되어 버렸다.

 

여기서 중요한 (일)것은, 발상을 바꾸고, “과거 수백년, 세계의 도어의 압도적 주류는 열어 도어로 일본의 미닫이와 그 문화는 예외적 소수파인” (사실-A)라고 하는 것을 확인하는 것일 것이다.

 

 

여닫이 문과 미닫이의 대조

 

처의 사실


朝鮮に引き戸建具の文化はあったのか--(1/4)

引き戸文化があるということはどういうことか

 

“ソウル北村の韓屋などは朝鮮と日本の折衷様式”ではないか、という指摘から始まったやりとりは、いまや時代を遡って、“朝鮮時代の半島に引き戸建具の文化があったのか”ということが問題になっている。

 

ただし、少し、瑣末なことに終始しているようになったと思える。

現状では、韓国側から“ここに(古い)引き戸が写っている”と提示された画像を虫眼鏡で、点検するようなことになっている。

もちろん、細部が重要な場合も多いが、もっと俯瞰的で本質的な視点が必要だと思う。

 

引き戸建具の文化があったのかなかったのかという問題は、単に引き戸があったのかなかったのかという問題とは一線を画することだと思う。

 

例えば、

① おみやげ物で日本から障子を買ってきた。

② 半島の倭館に滞在していた日本人が引き戸を置いていった。

③ 嵐で海岸に流れ着いた引き戸を使ってみようとした。

 

④ また、以上のものをサンプルとしてコピーを作ろうとしたが試作段階で終わった。

 

これらのケースでは、物としての引き戸は存在するが、引き戸建具の文化があったと言えるであろうか?

 

引き戸建具の文化があるとはどういうことか?

 

1 引き戸を必要とする条件があり

2 引き戸を作る人間がいて

3 引き戸を使う人々がいて

4 それらが継続する環境がある

 

これらが満たされている必要があるのではないだろうか。

 

これらの点を念頭に置きつつ広角的な観点も加えて改めて考えてみたい。

 

 

日本の認識と世界の認識

 

2009年3月16日の日本経済新聞に次のような記事が載った。

 

「日本は最も自動ドアが使われている国のひとつだが95パーセント以上はスライディングドアである。海外は逆に回転ドアが多い。

しかし、海外でもホテルや別宅にスライディングドアが使われだしている。07年開業の外資系高級ホテル ザ・ペニンシュラ東京の全316室には高さ2.6メートルの天井まで届く トチノキ製の巨大な引き戸を備えた」

「引き戸は日本で誕生、発展した建具で使われ始めたのは平安時代中期ごろ、現在でも、隣の韓国や中国を含めて広く使っている国は無いようだ」(昭和女子大平井聖 特任教授)

 

茨城 弘道館 畳廊下

 

 

また、英語版のWikipediaで「sliding glass door」を調べると以下のような記述がある。

 

The sliding glass door was introduced as a significant element of pre-war International style architecture in Europe and North America. Their precedent is the sliding Shōji and Fusuma panel door in traditional Japanese architecture. The post-war building boom in modernist and Mid-century modern styles, and on to suburban ranch-style tract houses, multi-unit housing, and hotel-motel chains has made them a standard element in residential and hospitality building construction in many regions and countries.

 

要約すると“戦前の世界の建築界で注目され、戦後多くの国で標準のひとつとなった、大判ガラスのスライディングドア(パティオドア)は日本の伝統建具である障子やフスマの後継である。”

 

スライディングガラスドア

 

 

以上が日本の通説であり、世界の通説である。

 

ただし、日本の引き戸が人の出入りに使われた、世界で一番古い引き戸であるということを言っているのではない。

ドアサイズの板状のモノがあり、地面に一本の溝を引けば、最も原始的な引き戸になるであろう。大昔には世界中にあったと思われる。

しかしそのような形態のドアは他のタイプのドア、例えば開きドア(hinged door)に駆逐されてしまった。

 

ここで重要なことは、発想を変えて、“過去数百年、世界のドアの圧倒的主流は開きドアで日本の引き戸とその文化は例外的少数派であった” (事実―A)ということを確認することであろう。

 

 

開き戸と引き戸の対照

 

先の事実-Aから、次のような疑問が発生する。

1 なぜ、引き戸は世界の主流にならなかったのか?

2 なぜ、日本では引き戸が多く用いられたのか、その条件はなにか?

3 朝鮮半島でも引き戸は使われていたのか?

 

 本稿の目的は、1,2の論点を掘り下げてみることであり、さらに、「一般的に朝鮮半島に引き戸は使われていたか?」を吟味し、続いて、「朝鮮半島では一般的ではなかったものの、少数ながら引き戸は使われていたか?」ということの成否について検討することである。

 

先の日本経済新聞の記事の中で、「家と人」編集長、加藤大志朗は次のように説明した。

「日本は柱で家屋を支え、間に壁となる柱や戸、窓などの建具でふさぐ工法が一般的で、横に開く引き戸が普及した。

欧米では石を積み上げる工法から始まり、その一部を抜くことで開口部を作るので、開き戸の窓や扉が多かった」

 

基本的にはその通りとは思うが、やや簡単すぎると思う。

 森資源に恵まれた国は亜寒帯、温帯、熱帯、亜熱帯に多くあり、柱で家屋を支える形の建築も珍しくない。しかし、それらの国は日本のような引き戸文化を持つに到っていない。

 

引き戸というのはドアとして弱点があったという考え方が必要だと思われる。

以前私は次のように発言した。

「引き戸の大きな弱点は摩擦である。戸が重ければ摩擦のため実用にならない。だから軽く、薄く作るのだが、それでは防寒や防音、防犯の点で限界を生ずる。開閉の音も問題になる。 製作も精度が必要になる。 だから日本以外でほとんど利用されていなかった。」

 

近代以前を想定し、開き戸と引き戸を対比しながら、それぞれの比較的長所・短所を挙げてみる。

 

(実は開き戸と引き戸の 他に蔀戸(しとみど)という別の種類のドアがあり、日本でも朝鮮でも一定程度使用されていたし、欧州では上下にスライドする窓ドアもあるのだが、今回は基本的に取り上げない)

 

開き戸

  長所 戸を頑丈に作ることができる

      摩擦がほとんどない

      戸口の幅が狭くても使用できる

  短所 開閉のクリアランス(稼動のための必要空間)が大きい

      取り外しが困難

      金具(蝶番)が用意で、十分な強度の柱を必要とする

 

引き戸

  長所 クリアランスが小さい

      取り外すことが出来る

      大きな開口部を設けることができる

  短所 開閉時に摩擦抵抗がある

      重たい扉を設けることが出来ない

      上下に、フレームが必要で、溝などの工作が必要になる

      下側の溝周辺は清浄をこころがける必要がある

 

このように比べてみると、開き戸が多数を占めた理由が朧に見えてくる。

特に、摩擦の問題が大きい。もし、引き戸に摩擦という問題がなければ、ドアを大きく頑丈なものにすることもできたわけだ。

  現代のような、強度があり、摩擦を格段に低減した新素材など無かったのであるから、ドアとフレームは主として木材で作った。

  引き戸の場合、摩擦を抑えようと思ったら、接触面は最低限小さく、精密につくらなければならないが、わずかの余裕がないと、溝の間をドアはスムーズにはうごかない。ところが、木材は水に濡れると膨らむし乾燥すると縮む。縮み方が一様でなく全体として反ってくる。結局、大きな摩擦抵抗を発生させることになる。

木材の加工に当たっては十分な乾燥工程を経る必要がある。しかし反りを完全に除去することはできないし、あまりに乾燥が進むとひび割れを起こしたり、硬くなって、加工が困難になる。

開き戸の場合、このような木材の性質は深刻な問題にならない。やはり、総合的にはこちらがドアの主流になったことが納得できる。

 

日本の気候と家の文化

 

ではなぜ、日本では開き戸が主流にならなかったのか? 加藤大志朗氏も述べているが、開きドアは、当たり前のことながら、建物内部の“壁”の存在を前提にしている。それも頑丈で恒久的な壁を。

日本の伝統住宅でも内部に部分的な“壁”はあるが、木製が主体の、薄くて軽い壁だ。それは、日本の家が高床式だったからである。

高床式住居は東南アジアや日本などアジアモンスーン気候の地域に見られる、水害や湿気をさける住宅様式だ。地面から高くあげた床は、東南アジアでは竹を編んだものが多いが、日本は木の床である。

夏場の湿気をさけるため、通気性を低下させる壁はあってはこまる。

しかし一方、日本は 高床式住居文化の国の中で最も北に位置している。 冬場の寒さをしのぐためには、通気性が低いほうが望ましい。

 

このような需要があったために、可搬の(仮設的な)仕切り壁が利用され、引き戸に発展していった、というのが通説になっている。つまり、日本の引き戸の始まりは部屋と部屋を仕切るフスマ戸である。

 

 大まかにこのような推移を箇条書きにしてみると、

 

1 もともとの気候条件と鉄器の利用による木材加工が高床式の住居というかたちになった。

 

   2 大屋根の建物が建ち、広さのある、平坦な床面が出現した

 

   3 通気性を制御するために、可搬性の壁として間仕切りの建具が出現

 

   4 可搬性の壁としての建具の進化形として溝の上を移動するフスマ、障子戸が出現

 

   5 障子戸が窓にも適用される

 

付言するならば、日本に蝶番や開きドアの技術がなかったわけではない。城門や土蔵などの重たい扉は基本的に蝶番付だ。

また、通気性が問題にならない、小さな無人のお堂、社には観音ドアというタイプの開きドアが設けられることもある。

 

摩擦という大きな問題があり、種々の不便さがあっても使い続けようとする、条件と環境が日本にあったのである。

 

 

 

 

 

 



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