전통문화소개 Relationship

요괴 좋아하는 검은 고양이입니다.
최근 전통판인것 같은 재료를 투하하지 않았기 때문에, 여름에 현지를 방문하고 있던 「옛 싸움터의 불(kosennjyou-no-hi)」에 임해서...
이렇게 말해도, 그 이야기를 기본으로 한 관광 수기같은 것입니다만 w

 

초견은, 「숙직풀」(1677년)에 있는 「전장의 뒤, 화연일」입니까?
그 후, 토리야마 고생대에서 중생대에 번영한 절린


【妖怪・怪異】 古戦場の火

妖怪好きの黒猫です。
最近伝統版らしいネタを投下していなかったので、夏に現地を訪ねていた「古戦場の火(kosennjyou-no-hi)」についてでも。。。
と言っても、その話を基にした観光手記みたいなものですがw

 

初見は、「宿直草」(1677年)にある「戦場の後、火燃ゆる事」でしょうか?
その後、鳥山石燕が「今昔図画続百鬼」(1779年)で取り上げています。
「宿直草」は、「富山大学学術情報リポジトリ」にpdfの形で収められていますので、原文を確認してみたい方は一度ご覧になってみてください。
巻五に「戦場の後、火燃ゆる事」として記されています。
「今昔図画続百鬼」はwikiに該当箇所の画像が収められています。


以下、wikiより抜粋


『宿直草』にある怪談「戦場の後、火燃ゆる事」によれば、大坂夏の陣で豊臣家が徳川家に敗れ、無念の思いで殺された豊臣側の武士が成仏できずに古戦場火となり、戦場となった河内国若江を漂うようになったという。
若江で人々が夕涼みをしていると、田の上に1.5メートルほどの大きさの怪火が数個固まり、現れたり消えたりを繰り返しつつあちこちへ移動しており、まるで何かを探してうろつき回っているようだったという。
『宿直草』には「古戦場火」の名は見られず、この怪火のことは単に「火」とのみ表記されている。
「古戦場火」の名は石燕が『今昔画図続百鬼』において、合戦のあった場所に現れる怪火の総称として命名したものとされている。
 

 

 

大阪夏の陣、若江での豊臣家が徳川家に敗れる戦いとなれば、間違いなく1615年に行われた「八尾・若江の戦い」と呼ばれる合戦でしょう。
この伝統版には、この戦いについてより詳しい方々が数多くいらっしゃるかと思いますが、余り知らない方、韓国の方向けに概略をば。
と言っても、wikiや手元にある資料を基に書きなぐったものなので、間違いがある箇所はご指摘下さい。

 

すでに豊臣家は、前年1614年に行われた大阪冬の陣の結果、大阪城の堀は全て埋まられてしまったため、再び攻めてきた徳川家の軍勢を城をでて戦わざるを得ない状態になっていました。
徳川軍を迎え撃つために、豊臣軍の木村重成が率いる6,000の兵力は今福近辺を視察。
地形から今福方面への進軍の可能性が低いと見た木村重成は、主力が道明寺方面へ進軍中との情報があった徳川方の側面をつくべく、部隊を若江・八尾方面転進させました。
若江に向かう際、兵の終結に手間取ったり、道を間違えて沼地で立ち往生するなど、トラブルがあったものの午前5時頃なんとか若江に着陣します。
合戦自体は、着陣に先立つ午前4時頃、若江に向かう豊臣軍を発見した徳川軍先鋒 藤堂高虎の判断で開始されていたようです。
最も、この時点では藤堂勢は1,000名程しかいないためもあり、まだ小競り合い程度の物だったのでしょう。
加えて、この時点では兵力に大きな差があり豊臣軍が徳川軍 藤堂勢を圧倒する形で戦いは経過していきます。

 

戦いの様相が一変するのは、午前7時頃。

徳川軍 井伊直孝が当初道明寺方面進軍する予定でしたが、若江・八尾方面での豊臣軍の動きに対応する形で、急遽転進します。
その兵力5,600名程。井伊直孝はこれを本隊に3,600名、先鋒を2部隊に分けそれぞれ1,000名を配して若江方面の豊臣軍に向かいました。

 

木村重成も玉串川堤でこれを迎撃。
戦いは玉串川西堤を木村勢が、東堤を井伊勢が抑え、当初は豊臣軍の先鋒2部隊を退けるなど木村勢が奮戦していましたが、井伊勢本隊3,600名の投入、そして早朝から常に戦闘状態にあった木村勢は息切れなどがあり、時間が経つに従い井伊勢が押し気味となって行きます。
堤上にいた木村勢も西に後退し、堤は井伊勢が占拠することになります。
木村重成自身も槍を取って勇戦したが戦死、若江方面に展開していた豊臣軍は壊滅していく事になります。

 

さて、基礎調査はこれぐらいにして400年ほど前にそのような戦いが繰り広げられた現地に行ってまいりました。

 

 


まずは、若江の戦いにて、豊臣軍を率いた木村重成像(大阪府東大阪市若江南町2丁目1近辺)を。
このあたりが大坂夏の陣の若江の戦いで木村重成が本陣を置いた場所と伝えられているようです。

ただ、その周囲は写真のように柵がめぐらせてあり、近づく事ができないようになっています。入り口もありません。
石碑も設置してあるようなのですが、中に入らない限り見ることができません。

 

この柵も、写真のもう少し右手で一部壊されていて、そこから入ろうと思えば入る事ができるようなのですが、やはり止めておくことにしました。
最近読み進めている本に「汝の意志するところを行え。それが法の全てとならん」と書かれていますが、黒猫は日本の法に従って行動するようにしていますw
恐らく過去にトラブルがあり、その結果設置された柵だとは思うのですが、せめて石碑等を読めるようにしておいて頂きたかったなと思います。

 

 

  

木村重成陣跡に程近い蓮城寺(大阪府東大阪市若江南町2丁目3-7)にある、木村重成位牌堂。
木村重成は美男子であり、大阪城の人気者であったとと伝えられていますが、木村重成位牌堂にある肖像画を見てもかなりの色男ですね。

 

若江の戦いにて序盤に争っていた玉串川。現在は町名に名前を残していますが、地図を見ても既に名前が載っていない程度の小川です。
400年前は堤があり豊臣軍、徳川軍がその堤を巡って攻防を繰り広げていた川も、現在はご覧のとおり小さな流れになってしまっています。
堤のあった片鱗はもう残っていませんでした。

 

豊臣軍壊滅の舞台は、西は木村重成像や蓮城寺の近辺、東は玉串川、そして南側は現在の第二寝屋川のあたりだったと思われます。

 第二寝屋川

 

 

 

第二寝屋川(当時はなかった)の南側は、現在八尾市となっていますが、そこに木村重成が討ち死にしたと伝えられる場所があり、現在も墓が残されています。

木村重成の墓がある八尾市幸公園。

公園の北側に墓が残されています。

 

碑文を見れば、もともとあったのは東に50メートルほど離れた場所であったと書かれてありますのでこの道路のあたりかな?

 

若江の合戦があった当時、この近辺は湿地帯だったと伝えられます。
また玉串川近辺は開墾され田圃が広がっていたようです。
火の怪異が伝えられる場所は、湿地帯である事が多いようですが、ここもその例に漏れないようです。

 

 

このあたり一帯は既に住宅地となっているのですが、昔近辺にそのような怪異があった事を知る人すら少ないのでしょうね…

今日はこんなところで。

 



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