岡田△

朝鮮総督府統計年報には対になる年報が存在しています。『朝鮮総督府施政年報』という年報です。これは統監府時代から発行されており、S16年度版(S18発行)まで存在しています。発行についてもおおむね毎年発行されています。
こちらは総督府の行った政策の報告書であり、必要に応じ統計的な数字や写真も掲載するという体裁の報告書です。統計年報の場合巻頭に確聞毎のその年の概略がついていますが、施政年報は総督府以前の状況なども含めて施政の流れを述べています。

わりと純粋に統計書である統計年報に対し、法令の施行や当時の社会状況などにもふれている読み物的な物ですね。

この施政年報にははじめから最後まで「衛生」の項目が一章もうけられています。しかし面白いことにT7-9年度※1以前と以降では体裁が全く異なります。また、このT7-9年度版以降は大体記述・章立てが固体化し、前の年の記述をなぞった上でその年の変化をほんの少し足す、というものになっています。特に大きな動きがあった場合(シナ事変など)新章が加わるなどしますが、わりとお役所仕事。中でも衛生部門は大正末年にはほとんど変化がなくなり、法令変更による管理体制の変化やライ病関係の記述、伝染病患者の数を除くと、毎年同じ記述を繰り返している状態になります。

※1　3.1運動の影響とそれに伴う総督府の政策転換などのため、この期間は毎年発行できなかったものと思われます。

とはいえ、半島における衛生行政について大枠を見るには便利な資料でしたので、今回のお話のサブテキストとして結構参考にしていました。総督府の政策については、私なんぞよりずっと造詣の深い方が多いと思いますので、いちいちこうでこうでとお話しすることは恥ずかしい限りですので、割愛させて下さい。

今回は最後のお話の前段のようなものなのですが、この施政年報に書かれている記述を拾いながら、総督府(統監府時代も含み)の衛生行政についてちょっと気になった記事を羅列してみます。

１期　統監府時代（M39-42）　
・大韓医院の設立
記述の多くを割いています。この段階では基本的に内地人に対する衛生行政を記述。
・M40　皇太子渡御とコレラ
皇太子渡御に対しコレラ大発生。伊藤統監はこの撲滅を急務として防疫事務を長谷川駐剳軍司令官に一任。第13師団長陸軍中将男爵岡崎生三を防疫総長、軍医監藤田嗣章・韓国政府警務局長松井茂両名を副総長とします。軍司令本部に防疫本部を置き、防疫開始。不良井水の停止、飲料水供給、自力で非衛生な生活を改善できそうもないものには衣食を給付。群衆密居もしくは不潔な生活が改善できそうもないところは公費で一時移転。こうした動きの結果コレラは撃退できたが、衛生状態の向上のため衛生施設が必要とされ、漢城衛生会設立につながった、とあります。
住居移転などは朝鮮人にまで摘要されたのか不明ですが、おそらく行われていたと思われます。軍警の共同作戦であり、この後長くこの体制が維持されます。
・M41　初の伝染病に関するまとまった記述。
コレラ・パラチフス・赤痢・天然痘・ジフテリア・猩紅熱の人数。
この段階では「防疫上の措置については日本伝染病予防法の規定に準拠して臨機応変に」とあります。
・M41　漢城衛生会設立
要は汲み取りゴミ回収組合。道路清掃なども行っています。
内地人月８銭　朝鮮人月２銭を徴収。M42でこの収入が93800円。屎尿及び塵芥払い下げ料金(雑収入)が3844円。
・M41　水道
水道関係の初の記事。この後水道は項目からは消えていきますが最後まで記述があります。
・M42　韓国衛生行政
韓国衛生行政は内部及び地方官制で成立しているが、現状は機能不全。伝染病の類は憲兵及び軍隊の援助があるのを待っているという状態である、としています。

２期　総督府時代１期（M43-T6)
・M43ペストの防疫　
ハルピンでペスト発生を受け防疫体制。鴨緑江上からの清人流入を警戒するために駐剳軍憲兵隊50名、軍医正等を北部に派遣。義州憲兵隊、平安北道警務部と全力で監視。でも河が凍っていたので、臨時監視員を1000名雇用し、憲兵巡査の監督下におく。また鼠買い取りも実行。185000匹買い取り。結果、朝鮮においては患者発生はないまま終息させた、とあります。
この記事は半島における数少ないペストに関係した記述です。
・M43警察医の増加　
内地人警察医の配置は警務顧問時代に、各道警務顧問支部と分遣所に顧問医を派遣したのが最初。当時外人宣教師の医者と、ごくわずかな内地人医師以外地方には医者（西洋医）がいなかった。このため顧問医は警察医務の合間を縫っての医院開業が認可され、朝鮮人に対し最低限の実費で診療に従事させた。M41顧問医制度を廃して、内地人医師48名に警察医務を嘱託。従来と同じく一般患者を診療。沿海地方では所管の警察医を警備船に乗せ、島を巡回し島民患者救療させた。M43警察権委任に伴って警察医を68名に増加。併合後はさらに定員外に駐在の軍医、慈恵医院職員に警察医事務を嘱託。それでも警察医も足りないということでM44は105名に増加することとした、とあります。
・M43市街除穢施設
京城以外では外国人居留地や道庁・民団・日本人会・学校組合がある地方にはそれぞれ衛生組合が組織されていたが、それ以外ではほとんど無かったので、特に必要とされるところは警察や憲兵隊が衛生組合の設立を励行させ実施させていった、とあります。
・衛生試験
衛生試験に関する初の記事。この後衛生試験関係も大項目から消えますが、記述は残ります。
・T1地方病の予防
現地病(風土病)に関しての初の記事。肺ジストマと寄生虫等の記述。後々一章にまで格上げされていきます。
・T1巡回診療
この年8月から巡回診療を開始。各地点の巡回は年1もしくは2回、数郡毎に一診療所を設置。地域状況に応じ診療日数は1-3週間。当初僻地に新医院または巡回診療所ができたときは蒙昧なる一部人民に本事業に対し一種の疑惑を抱くものがあったが、実効が上がるにつれ争うように診療希望者が来るようになった、とあります。
・T1屠獣（屠畜）
初の屠畜関連記事。家畜関連は最終的に一章を設けるようになります。
・T2　公医制度
・T2　医師医生の取り締まり
当時の西洋医と漢方医の区別や取締規制に関する記事。警察医から公医（普通の医者でしょう）への移行、従来の漢方医の制限などがこの頃から始まります。
・T3　漢城衛生会の廃止
地方行政整理のため業務事務を京城府に移管し廃止。業務が公益法人のようなものから清掃局に移った、と考えるといいのでしょうか。
・T4　伝染病予防令の発布
旧来韓国政府の伝染病に関する法規は内鮮人の区別で適用が異なっていたので、この年6月に制令を以て伝染病予防令発布、8月から実施。
内地と同じく9種を伝染病とする、とあります。
これで必要があれば交通遮断や強制的な検疫などが行えるようになります。
・T4　癩救療機関の設置
公的癩救療機関に関する記事。ここは項目立てからは消えますがその後も比較的詳細な記述がなされています。恩賜などのためでしょうか。
・T4　衛生組合
半島全体の衛生組合の状況記事。
T1段階での衛生組合648　T4で986
事業は
1）汚物の掃除　2）上下水道の改善　3）便所の改良　4）共同井戸・伝染病隔離病舎・火葬場などの設置　5）伝染病・獣疫の予防救治　6）種痘普及　7）伝染病発生時の警務官憲に対する援助　8）衛生法規及び官の方針周知　とあります。
・T5精神病者救済事業
朝鮮では早発性痴呆が最も多く、麻痺性痴呆・躁憂症・癇癪症などがこれに次ぐ、とあります。麻痺性痴呆は脳卒中でしょうか。この時代も癇癪は基本だったようです。

３期　総督府時代２期（T7-)
T6段階で大体項目立ては固まっていますが、T10以降は完全にフォーマット化していきます。

T7-9　の項目
・衛生施設要綱
往時の状態・医療施設・衛生施設・衛生行政・最近の施設の小項目で簡単に概説。他の項目もこうした形式です。
一　医療機関の拡張　
二　中央衛生会の設置　
三　衛生試験及び細菌検査　
四　阿片取締の励行

・伝染病及び地方病

**T7-9のみ項目が少ないのは行政機構の変更等の影響と思われます。

T10-S16
・衛生施設要綱（衛生施設）
・伝染病及び地方病（S以降伝染病・地方病及慢性伝染病に分割）
・獣疫予防（家畜伝染病予防）
以後はこの際大項目の中で小項目を作りそれぞれの記述がなされていますが、記述自体あまり変化がありません。

**昭和期の記述としては衛生の項目ではないのですが、制度の項目に
S11朝鮮汚物掃除令
S13未成年者喫煙禁止法未成年者飲酒禁止法
S15船員保険制度
S16朝鮮簡易保険制度の改正で小児保険制度実施
S16内務局と警察局に分かれていた業務を統合して厚生局設置

といったものがありました。多少遅れつつも、内地と大体同じような法律を出していることが分かります。

もちろんフォーマット化されたとはいえ、当該年の記述はそれ以前の全ての記述が下敷きになりますので、結構なボリュームになります。ただ目立った項目はほとんどありませんし、章立てをするほどの新しい施策はありません。何か細かい変更がありそれを小項目に加える、という程度でした。もしくはこの年はこうだった、ということがはさみこまれる位。事変とそれに伴う政策の大きな変更などは新たな章が立てられ詳細に報告されていますので、大正後半には衛生業務自体は安定したルーチンワークになっていたのではないかと思われます。
仮定でしかありませんが、昭和20年代以降までこの年報が続いていたとしたら、厚生局の報告になるため大きく変更されたかもしれませんが、その時間はなかったようです。

非常に気になったのは健康保険制度(保険組合)と保健所です。
　健康保険制度はT11(1922)に内地で制定され、S2(1927)に施行されています。これを受け、朝鮮でも工場労働者・公務員(当時ですから郵政や鉄道も)等には保険制度があったようです。S15(1940)に朝鮮にも船員保険ができていますので、こうした職業にも保健が広がっていたことも判明しています。また、T5(1916)から始まった簡易保険制度は半島でも行われており、S16(1941)にその適用範囲を児童まで広げていますので、こうしたタイプの傷病に対する保険制度があったことも分かっています。ところが、国民健康保険(S13(1938))に相当する保健については見つけられませんでした。どうも当時最も人口が多かった農民層にはこうした保健がなかったと思われます。(もちろん内地でも1961まで国民皆保険というのは実現していませんが)
　保健所についても同様に朝鮮半島にあったかどうかが確認できていません。こちらは内地ではS12(1937)に制定されて地域衛生・予防接種などの業務を警察から引き継いでいきますが、どうもこちらも外地では事情が違っていたようです。
　台湾総督府情報部発刊の部報145号(S170515)に台北保健館訪問記にS16にこの保健館が開館したこと、台湾初で唯一の施設であり、内地の保健所に相当すること、主に母子関係の記事が多いのですが、小児科・内科・産婦人科・皮膚泌尿科があり無料であると述べています。
　推測でしかありませんが、釜山や京城にはこうした施設があったかもしれません。ただ台湾の場合本島人の利用が１％程度でしかなく現地人の利用は非常に少なかったので、もし半島にあっても状況は余り変わらなかったと思われます。

この回の結論めいたもの
1　総督府の衛生行政は統監府時代から、基本的に警察業務(衛生警察)の一環であった。ただし、これは半島に限らず内地も同じである。
2　T7-9の組織変更に伴い衛生行政もいくつかの面で変更されたと思われる
3　総督府の衛生行政はS16(1941)まで警察と内務局の二元的なものであった。厚生局に一本化されるがほとんど何もできず終戦を迎える。これも内地に同じ。
4　健康保険、中でも国民健康保険医相当するものは見つけられなかった。
5　保健所に相当するものも見つけられなかったが、都市部に存在していた可能性は否めない。

おまけ
これでパラグアイ戦はばっちりでは。



大体これで、お話は終わり。次はまとめ。とはいえどうも腑に落ちない部分が多く、やはり資料が整備されてないのだなぁと。特に軍と警察、そして行政の立ち位置が分かりづらく、勉強不足を嘆息しております。