話が行ったり来たりするのは最も忌むべきことなのですが、あんまりにも面白かったので大正９年のコレラ蔓延に関する報告書『大正九年コレラ病防疫志』(朝鮮半島総督府T10:アジ歴；以下T9防疫志)について一回を設けます。

伝染病のお話４コレラ３　総督府の屈辱

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で述べましたとおりT8(1919)には何とか撃退したコレラだったのですが、T9(1920)はむしろ被害を拡大させてしまっています。これについてはこの年の報告書T9防疫志でも「激甚を極め」と述べています。実はこの年の春の段階で四川省での発生や台湾での流行を受け、また前年の大流行の教訓もあって総督府は防疫体制を敷いていました。特に安東から新義州ルートや、ウラジオストック経由のルート、青島から仁川へのルートなどでどうも待ちかまえていたようなのですが、なんと内地(兵庫県６／７)で発生し、それが山口県などを経由しあっという暇もなく６／２７には平安南道へ、６／２９には慶尚南道へ伝染してしまったのです。まさに後ろから撃たれた状態。まさか南側から伝染が広がることを考えていなかったためか、初動に失敗したため蔓延を招いています。特に前年は押さえ込みに成功した京城の都市部・またその周辺部での蔓延がこの年の大被害の原因です。

　具体的な数字についてはすでにお話ししたとおりなのですが、T9防疫志はT8のそれと違い「朝鮮の特殊事情」と言う一項目が設けられています。おそらくT8を含めて当該地での特殊性に着目したからでしょう。これと患者発見方法などあちこちにななめうえな話題が散見していました。やっと半島の通常運転を見つけた気がします。

　まず総督府のターン。

　おそらく前年も啓蒙活動は行っており、また一定の衛生思想啓蒙活動としての宣伝というのはもっと前から行われていたらしいのですが、T9はとにかくコレラに対する啓蒙活動が主軸だったようです。特に活動写真(映画)・幻燈会(おそらくスライド映写）による衛生博覧会・講話会・劇場での演劇ビラの配布などが行われています。

　ところが咸鏡南道やその他地方では幻燈会でもよかったのですが

…幻燈会ハ各道共之ヲ実施シタルモ都会地ニアリテハ活動写真ノ興行アリテ幻燈程度ノモノヲ喜バズ… 　

と、なにやら傲慢な状態。もちろん内鮮両人のことですのでなんとも言えませんが。

　この他、唱歌を作成したり新聞雑誌に記事掲載をしたりしていますが、前者は良いものができず失敗、後者はハングル雑誌などが少なく一般朝鮮人には効果がなかったとしています。

　T8とT9の最大の違いは、T9に自衛団を組織したことにあります。官憲の措置の徹底に非常に寄与したとあり、消毒・沿岸監視など警察官不足を補い予防注射などにも非常に役に立った、とあります。実際後述の投書による発見より非常に患者発見に貢献しており、自衛団が患者発見の2割を占める重要な役割を担っていました。

　発見方法にもやや独特のものがあります。特に注目に値するのは

…（三）投書ト密告　由来朝鮮人ハ投書又ハ密告ヲ好ムノ習癖アルヲ利用シ、投書函ヲ設ケテ発見ノ一助トシ又疑ハシキ患者アルヲ知リ之ヲ密告スルハ公衆衛生上尊重スヘキ行為ナルコトヲ宣伝シタリシニコノ方法ハ前者（注:投書のことと思われる）ニ比シ良果アリシト認メタリ…

と言う方法でした。実際はT8と比較して投書密告の割合は低く総数も少ないのですが、現地人の習癖を利用して発見に努めていたことが分かります。（もちろん賞金附）

T8-9コレラ防疫志からコレラ患者発見方法（％）

グラフの一つもないと今回のシリーズっぽくないのでT8とT9でのコレラの発見方法の％比較。戸口調査はT8（58.3）・T9（61.0）とどちらも6割程度で最も多い発見方法です。検疫での数が非常に少ないのですがこれは主として水際対策であり、いったん伝染が拡がり出すとどうしようもなくなることがよく分かります。

　そしてあとはずっと朝鮮のターン。

　発見方法にも「これはどうでしょう」というのがあります。

…（四）迷信利用　朝鮮人カ種種ノ迷信ニヨリ官憲ノ措置ニ従ハサルハ事実ナルモ彼等モ亦虎疫ヲ恐ルヘキモノトシテ之ヲ防止セムトスル迷信行為ニ注意シ発見シタル事例尠カラス特ニ南鮮地方ニ於テ此ノ例多キヲ見タリ …由来朝鮮人ハ「コレラ」ヲ虎疫ト称シ彼等ノ最モ恐怖スル猛虎ト同字ナルヨリ猛虎ハ驢馬ノ嘶声ヲ厭ヒ之ヲ避クルノ性癖アリトシ茲ニ迷信ヲ生ジ瓠ト瓠トヲ摩擦スルトキハ驢馬ノ嘶声ニ似タルヨリ隣家ニ発病者アリトスレハ必ス之ヲ使用シ虎疫神ノ自家ニ侵入スルヲ防止スト云フニアリテ亀浦其ノ他ニ於テ之カ軋音ニ注意シ早期ニ患者ヲ発見シタル事例尠カラス

お巡りさんが村を巡回していると民家から「コキュコキュ」といった音が聞こえてくる。そこでまずその家に乗り込み「近所にコレラが出ていないか？」と尋問。それから周辺の民家も戸口調査。という手段で患者発見につなげた、ということですな。

まぁ、去年あれほど云われていたのに死体に縋りつく、死体を勝手に土葬する、警察に捕まりたくないから山中に逃げ込んでそのまま死んで水源を汚染しかける、家族に迷惑にならないように入水しようとする、と、啓蒙活動も去年の教訓も一つも生きていないコレラ博覧会。

以下、朝鮮の特殊事情の実情例をいくつか現代文にしますがもうね、何がなにやら。

実例１　教育の不行き届き

忠清北道鎮川郡万升面で患者が発生したとき、汚染された川から流れを取った溝で蔬菜を洗っていた朝鮮婦人二人を発見したので、付近の男女十数名も集めて危険性を説明した。 分かったという風の一人が溝から1.5mほど下に溝底から流れが水たまりを作っているところをさして、ここで洗えば良いんだよねと聞いてきた。

実例２ 　教育効果の低さ

消毒用の石灰を運搬しているところを見かけると住民が集まってきて容器の中からわずかでも石灰を窃取して紙に包んで腰からぶら下げて予防にしたり、家の回りに、とにかく自分がすぐ見ることができるところに形式的に壁にも屋根にも点々と石灰を播いて予防としている。平安南道では石灰を水に溶いて外壁に手形を押して魔よけにしているところもあった。

実例３　巫女

巫女や盲人の祈祷を重んじて、患者の家近辺の豚小屋又は便所に放火。病魔が驚いて逃げるという 。

実例４　巫女

同様で夜間に鐘太鼓を多数でならして回り病魔を追う。

実例５　だじゃれ

部落の入り口に粟搗き用の踏み棒を逆さに立てていた。予防が朝鮮語でエバン、踏み棒は逆さに読むと同じくエバン。

実例６　迷信

コレラを鼠病と称して猫型の餅を予防に食べる 。

実例７　迷信

門戸入口に綿花の実（毒の代わり）と犬の糞（不潔物）を蒸し焼きにして鬼神の侵入を防ぐ。

実例８　迷信

（惜しいなぁ、酢なら完璧なのに） 食塩と唐辛子を食べる。

実例９　医生の実態

人手が足りないので医生にも仕事をさせてたんだけどとにかく働かない、金銭情実に左右される。 とにかく色々云って責任を取らない。誤診とか無学を恥じようともしない。京城では急性胃腸炎と診断したり回虫と診断した診断書も出していたので発見を遅らせる原因となり、京城の大流行の要因になった。

実例１０　唯一の良い例　いかに儒学のせいで教育が阻害されているかという例として提示されていた

朝鮮軍司令部附陸軍歩兵中佐権泰翰氏は違和感を感じてすぐに順化院に行き検便を依頼、保菌者と分かると直ちに家族全員を伴って検便を行う。結果保菌者がいたため家族全員順化院に隔離を申し出た。

等々。かなりお寒い状態。このT9防疫志は最後に「将来における防疫意見」という項目もあり、以下のような提案をしています。

A　宣伝ビラ

1　本府配布の予防注射の宣伝ポスターの注射器が大きかったため注射器で朝鮮人を殺すというデマが飛んだ

2　元山配布のポスターに蚊帳を吊った絵を入れたけど急に蚊帳を吊ることは無理と思う

3　京畿配布のポスターで「コレラ予防　生ものを口に入れるな」と言うシンプルなのは効果が高かった

B　医療機関

1　医者不足が深刻であり、医師増強は急務

2　医生はまず責任感を持たせること

C　予防

1　予防注射は最も主軸であり、あとは枝葉のようなものであるので、ここの充実は重要

2　でも大きな注射器の使用は朝鮮人に恐怖を植え付けるのでやめましょう

3　自衛団の効果は非常に高いので、これをうまく組織して衛生思想の向上にも役立てるべき

さて。ではなんで当時の半島人は病気を発見されるのをいやがったりしていたのでしょう？

個人的にはお巡りさんが患者捜しの戸口調査から、自衛団の組織、医師への連絡などを行っていたからなんだと思います。 犯罪者として捕まることに近いものがあったのではないでしょうか。 当時、半島どころか日本内地にも保健所（S12:1937）や厚生省（S13:1938）と言ったものはありませんでした。こういった衛生関係の業務は基本警察所管だったんですね。 この辺は想像なんですが、こうした病気の場合も「オイこらちょっと」感覚の人が多かったからなのかもしれません。もちろん警察医という制度もあり、ちゃんとしたお医者さんも内部に抱えていましたが、現場で患者探ししているのはあくまで巡査とかだったんですね。日本でも増田敬太郎の逸話がありますが、伝染病退治も警察のお仕事だったんです。ちなみに、統計年報でも衛生の項目は警察の次に出てきます。統計順は土木－警察－衛生－裁判－監獄。

　もしかしたら子供が生まれたとか、老人が死んだとか、今年の実りの状態とか、管轄区域のあらゆる情報の最前線にいたのが警察だったのかもしれません。

本日の一枚

T9コレラ防疫志の写真。報告中にも両親が死んでしまい、伝染を恐れて村人は何もしなかったため死体にすがりついて泣いていたため、官憲が措置をした、とあります。この時期、乾板からフィルムへの移行であるとか、写真はかなり手軽なものになっていく時期なんですが、どうもこの写真にはプロパガンダめいたものを感じます。