전통문화소개 Relationship



この投稿の動画は、全て、you tubeから借りて来た物です。

以下、「」内。私の前の投稿文より。。。

「東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地にある、我が家の近所の、私の実家は、元々、私の母方の祖父母の家で(ちなみに母は、一人っ子です)、現在は、両親が引き継いで暮らしています。既に、母方の祖父母共に、亡くなっています。

我が家の近所の私の実家の、私の父は、会社員で(父は、既に、半分定年退職状態になってから久しいですが)、私の母は、父と結婚してから、アルバイトを含めて、仕事を、一切した事がない専業主婦です。


私には、兄弟姉妹は、2歳年下の弟が一人います。私の弟は、外資系の会社員で、既に、結婚をし、(まだ、二人共、幼いですが)子供が2人いて(男の子(上)が1人と、女の子(下)が1人)、弟の家族(妻・子供)と共に、東京の西部郊外の、静かで落ち着いた住宅地に買った、一戸建て住宅に、暮らしています。

弟の、奥さん(妻)(ちなみに、弟の、奥さん(妻)は、弟よりもかなり年下です)は、結婚する前は、四年制の大学を卒業した後、服(ファッション)関係の、会社で、会社員として働いていましたが、結婚してからは、主婦となりました。


私は、会社員と比べて、相対的に、安定的ではなく、相対的に、ビジネスにおいて危険性が高いが、相対的に、自分で自分の時間を自由に管理する事が出来、又、自分の才能・仕事の能力・仕事の効率性・努力が、自分の収入に直結する(直接繋がる)、個人事業の道を選びました。

私は、普通の中流層・庶民層なのですが、私は、基本的には、自分が、与えられた環境の中で、自分の能力の範囲内で、出来得る限り生き(ここで言う、出来得る限り生きとは、自分の能力の限界を知り、自分の幸福の為に、自分の努力の落とし所を知ると言う意味も含まれます)、自分が稼いだお金で、出来得る限りの、幸せな生活をしている(幸せな人生を生きている)と言う、自信があります。」


以下、母とバルドー前編からの続きです。

母とバルドー前編は以下です。
母とバルドー前編→
/jp/board/exc_board_11/view/id/2794664?&sfl=membername&stx=jlemon



以下の投稿文は、基本的に、前に行った投稿から抜粋して来た物を中心に構成されています。

私は、学生の頃(高校生・大学生の頃)、おそらくチャラチャラしていた事もあってw、芸能人・モデル事務所の人からスカウトの声がかけられていたのですが、母も女子大生の時、一応、芸能人・モデル事務所の人からスカウトの声がかかっていたそうですw(母方の祖父は穏やかで温和な性格であったのですが、当時、母にそれだけはやめてくれと言っていたそうでw、母は、母方の祖父に従って、断っていたそうです)。

以下、参考の投稿。
清潔感等について →
/jp/board/exc_board_8/view/id/2747216/page/7?&sfl=membername&stx=jlemon



若い頃の、Brigitte Bardot。Brigitte Bardotは、私の母よりも、遥かに(ずっと)上の世代ですが、私の母が、思春期の頃・若い頃、自分の憧れ・目標としていたのが、若かりし頃の、Brigitte Bardotだったそうですw ちなみに、私の母は、若い頃、ミニスカ・ブーツの、派手な女性だったようです(私が、子供の頃も、その名残があり、まだ、ミニスカ・ブーツで、おまけに、ファッションアイテムとしての、ウイッグまで使っていましたw)。










少し古い動画ですが、2009年頃。出演している、女性は、YOUです。ちなみに、私の母は、YOUよりも、遥かに(ずっと)、年上の世代ですが、特に、今よりも、若い頃は、年齢よりも、かなり若く見えた事もあって、今よりも、若い頃、外貌が、(老けてからのw)YOUに似ていると言われていた事がありますw(上の動画は、老けてからの、YOUで(YOUは、当時、44歳から45歳)、上の動画の時期は、私の母が、YOUに似ていると言われていた時期に該当しますw)。 ちなみに、私は、顔は、母よりも、父に似ており、私の弟は、父と母、両方に似ているとも言えるし、父と母、どちらにも似ていないとも言える顔です。ちなみに、今は、もう母は、絶対的に年であるので(もう、おばあさんなので)、現時点での、YOUに似ているというのも無理があります。











前に行った投稿でアップした動画。ちなみに、私は、中野信子さんの話の動画は、この投稿でアップしている動画を含んで、今まで、kjで紹介している19個の動画以外見ていません。

以下、上の動画の話の前半部分の話について。。。

私は、自分の事を、自由人であると思っています。私の母は、自由人であると思いますが、私が自由人になったのは、ミラーニューロンにより、無意識的に、自由人である、私の母の影響を受けて育ったという事があると思います。

以下、上の動画の後半部分に関して。。。

私はB型のマイペースで、昔から女性は好きだが女性に拘束されるのは嫌いなタイプと言う事もあり(自分で言うのも何ですが、性格は完全に猫と言った感じですw)、私の、今の彼女は、東京の私が暮らす区の隣りの区のマンションに一人暮らししていますが、1週間に、1日から3日位、我が家に泊まると言う交際形態になっていますが、その事が、四六時中(ずっと)二人で暮らしている・過ごしている事と違って、二人の関係の新鮮さを保つ事に寄与しているという面はあると思います。

私と彼女は、仲がとても良いので、滅多に、喧嘩する事はありません。

今の彼女とは話と笑いの波長がとても合うし話していて楽しいので、彼女がうちに泊まらない日は、電話で、くだらない話題や日常的な話だけで1時間位話す事も少なくありません。

その様な電話の際に、大袈裟ではなく、本当に、彼女の方から、電話を切る意思を示した事が、一度もありません。いつも、私の方から、適当に時間を見て、彼女に電話を終える事を伝えるのですが(その時、その後、すぐ寝ても、寝なくても、じゃあ、そろそろ寝るねと言う、私の言葉が、合図となっています)、その際に、もう少し、私と話していたい、もう少し、私の声を聴いていたいと、私に、おねだりする、彼女が可愛いです(そうした際には、たわいもない話で、10分程、延長して、お話すると彼女は、納得(満足)します)。ちなみに、彼女は、私の声と話し方も好きと言ってくれますが、彼女の、私の声が好き、私の話し方が好きと言う事に関して、私の父も私も、(意識して出来るような物でもないのかもしれませんが)、話し声は、低音で、ゆっくりと話す方なんですが、そうした話し方は、女性に好かれるようですw(自分で言うのも何なんですがw)。



最近、you tube動画を見てkjの投稿でアップするのがマイブームになっているのですが、今まで生きて来た中における、自分の女性関係における、何気ない(本能的な)行動・経験が、心理学や女性への恋愛等に関するインタビュー等によって裏付けされる事を、楽しんじゃってる感じですw



実は女子が好きな男子にしかしない事。前にkjでアップした動画。ちなみに、この動画作成者の動画は、今までに、kjで、アップしている物しか見ていません。


以下、「」内。上の動画の一番目にインタビューを受けた女性に関連付けられる事として、前の他の方の投稿の私のレスより。。。

「姐さん、面食いの母が父に一目惚れし、母から父に猛烈にアプローチし交際して結婚して生まれて来た私の立場はw 前に私の投稿「両親の結婚前の修羅場」で書いた通り、私の母なんて只者ではないですからねw 既に獲物として狙った女性をゲットしていた父を獲物として狙ってゲットして、父から父が既に獲物として狙ってゲットしていた女性を弾き出したのですからw

まあ、その話は置いといてw、以下、マリコさんは何もしなくても男性にチヤホヤされるタイプの女性である事を前提として話しますが、マリコさんが、相応の無意識的・意識的な手練手管を持った女性であるとしたのならば、「狙った獲物は放したくない」発言の「狙う」には、当然、引きのテクも含んでいると思います。引きのテクとは、Dartagnanさんの言う、「天性の正しい獲物の振る舞い」の事を言います。でも、イケメンを狙うのならばライバルも少なくありません。引いてばかりでは、意中の男性に振り向いて貰えないかもしれないし、意中の男性を押しが強い他の女性に取られてしまうかもしれない。そこで、押しのテクも必要となって来るのですが、何もしなくても男性にチヤホヤされるタイプの女性が、笑顔で、さらりと「狙った獲物は放したくない」と言うからには、自分には、相応の押しのテクがある(自分は、ある程度は、男性に対する押しがきく)と言う無意識的・意識的な自信の表れである可能性も高いです。

ただ、そもそもマリコさんはイケメンを狙うべきかと言う話になりますが、マリコさんが結果として不幸にならない為には、イケメンには慎重になった方が良いと思います。そりゃ、良いイケメンと悪いイケメン、どっちが多いと言ったら、悪いイケメンの方が多いですから。」

上の動画の2番目にインタビューを受けた、女性の話に関連付けられる話として、私の今の彼女もそうなのですが、女性は交際している男性と一緒に、他の女性が混ざる、食事会・飲み会等に参加した場合において、無意識的・意識的に、この男は、私の物アピールするのかw、普段、二人だけで、外食で、二人並んで飲食している時よりも、(交際している男性に対して)密着度が高まり・ボディタッチが多くなると言う事は、有り勝ちです(あくまで、私の個人的な経験による物なのですが)。


私は、中学2年生から女性と交際していましたが、私が、交際している女の子・女性又は親密な女の子・女性と、泊りがけの旅行に、本格的に、よく行くようになったのは、私が大学生になってからの事で(私が大学生以降の事で)、それまでは(高校生までは)、基本的には(例外もありましたが(ちなみに例外は、年上の女性との二人きりの泊りがけの旅行ですw)、例外を、ここで書いてしまうと、それがメインとなってしまう位の、刺激的な内容ではあるので、ここでは書きませんw また気が向いたら別のスレで書こうと思います)、泊りがけの旅行と言えば、両親に連れられた家族旅行でした。

前述の通り、私は、高校生までは、基本的には、泊りがけの旅行と言えば、両親に連れられた家族旅行でした(まあ、高校生の時は、子供の頃・中学生の頃に比べると、両親に連れられた泊りがけの家族旅行の頻度は、かなり減りましたが)。ちなみに、私は、高校時代、日本から自分のマウンテンバイクとテント(ちなみに普段アウトドア派では全くなくテントはその為に買ったw)をニュージーランドに持って行って2週間から3週間程度かけて、ニュージーランド南島、自転車縦断一人旅をしましたが(日程に、とてもゆとりを持って(観光に充分時間をかけれるようにして)、一日あたりの移動距離は、全く無理しませんでした)、それは、また別の話として置いておきます。


貸切り(kashikiri)温泉風呂は、共同風呂では無く、夫婦やcouple、家族だけで入る事が出来る温泉風呂で、通常は、小規模で(普通の家の家庭用風呂よりかは、大きいが、富裕層の家庭用風呂位)、入る時は、内側から鍵をかけたり、入浴中の表示を出したりして、他の人が、入って来ないようにします(鍵が、かかっていたり、入浴中の表示が、出ていると、利用中だと判断して、他の人が、入って来ない)。

私が、高校3年生、弟が高校1年生の時に、両親に連れられた国内旅行で、温泉宿に宿泊した際に、母が、主導で、家族で(父、母、私、弟)で、貸切り(kashikiri)温泉露天(野外)風呂に入る事になりました。後にも先にも、私が、中学生以降で、家族で、貸切り(kashikiri)風呂に入ったのは、その時、1回だけです(私の弟もそうです(ただし、私の弟が自分の(弟の)家族とは除く))。とにかく、母が、ノリノリと言った感じで、父も、私も、弟も、母に押されてと言った感じであったのですが、その時、父、母、私、弟で、貸切り(kashikiri)温泉風呂に入る事に関して、父も、私も、弟も、特に、違和感は感じませんでしたw その事を、後に、交際している女性に話すと、引かれる事もありましたw


その時、私の母は、貸切り(kashikiri)温泉露天(野外)風呂で、タオルで体を、一切、隠さずに、素っ裸で、はしゃぎまくっていたのですが、その、貸切り(kashikiri)温泉露天(野外)風呂に入浴している最中に、何の話であったのかは忘れましたが、何かの話題において、母が、本人が、「団塊の世代」と言うつもりで、間違えて、思い切り、「男根の世代」と言いましたw 父と私と弟は、それを言うなら、「団塊の世代でしょ」と突っ込みを入れて、皆で、爆笑になったのですが、母以外は(父と私と弟は)、若干、顔が、引きつり気味の、爆笑でしたw


前述の通り、私は、大学生以降は、交際している女の子・女性又は親密な女の子・女性と、二人きりで泊りがけの旅行に、本格的に、よく行くようになりました。

ちなみに、若い頃は、交際している女性・親密な女性と温泉に行く際に、率直に言って、貸切り(kashikiri)温泉風呂があるか否かが、泊まる温泉宿泊施設を選ぶ際の、かなり大きな要素となっていましたがw(若い頃は、交際している女性・親密な女性と温泉に行く事が、重要な目的であったw 済みません、若い頃は、遊んでいました)、成熟した大人の男性である今は(年を取って、趣味に関しては、若い頃よりも枯れたと言うのもありますがw)、彼女と温泉に行く際に、貸切り(kashikiri)温泉風呂があるか否かは、温泉旅館を選ぶ際に、あまり重要な要素となっていません(今は、温泉に行って、リラックスする事が、温泉に行く重要な目的なので)。

私は休日を外で過ごす事は好きで、美味しい物を食べる事、自然の中を散歩する事、温泉に入浴する・温泉旅館等の温泉宿泊施設に宿泊する事、芸術や花を愛でる(鑑賞する)事等は、好きなのですが、本格的な登山やキャンプ等のアウトドアは好みません。

私は、交際する女性との趣味が合うか合わないかと言う事は、若い頃は気にしなかったのですが、成熟した大人になってからは、私と趣味が合う女性を好きになるプラス交際相手の女性が、私色に染まってw、私と趣味が合って来ると言う事を合わせて、私と趣味が合う女性と交際するようになりました。


前述の通り、私が、高校生の時に、家族で(父、母、私、弟)で、貸切り(kashikiri)温泉露天(野外)風呂に入った事に関し(前述の通り、後にも先にも、私が、中学生以降で、家族で、貸切り(kashikiri)風呂に入ったのは、その時、1回だけです(私の弟もそうです(ただし、私の弟が自分の(弟の)家族とは除く))、その事を、後に、交際している女性に話すと、引かれる事もありましたが、その事を、私の今の彼女に話した際も、引かれましたw

ただし、彼女(私の今の彼女)は、その事に関して、少し引きながらも、面白がっており、私を、たまに、「高校生にもなって、お母さんと一緒に、お風呂に入ったんでしょ」と、からかうネタとして使っていますw


私の叔父(父の弟)(身長は、180cmの長身)は、私の父と違って(私の父は、叔父と同様、外貌は、どちらかと言えば、ガリ勉タイプの人(勉強を非常に熱心にする人)とは、正反対の外貌と言った感じなのですが、中学校時代・高校時代に、(勉強ばかりしていたと言う訳ではなかった様ですが)、とても真面目に、熱心に勉強した様です)、勉強は、ほとんどせず、私の父と違って勉強は、全く、出来なかったようですが、運動が、とても得意で(ちなみに、高校の頃、学校のバスケットボール(basketball)clubに所属していたそうです)、私の父方の祖母や私の父の話によると、高校の時、数々の、地元の伝説を作るくらいw、学校内、及び、学校外の、女子高生達に、モテていた(人気があった)そうですw

前述の通り、父はルックスはどちらかと言えばガリ勉タイプとは正反対と言った感じなのですが、まあ、中学校・高校時代、チャラチャラしていた私と違ってw、よく勉強していた様ですが、それでも、高校時代から女性と交際し、基本的に、高校時代、大学時代と交際する女性が途切れた事はなく、母と知り合うまで、交際する女性は、途切れる事はなかったようです。

また、父は、ちゃっかりしたとこは、ちゃっかりしていて、例えば、父方の祖母に聞いた話ですが、父が高校生の頃、いきなり見知らぬ女の子3人が父の実家に訪ねて来て、何事かと私の父方の祖母が思ったら、ちゃっかり、父が、修学旅行先で仲良くなった他校の女子高生達が、はるばる遠方から訪ねて来たと言う落ちでしたw また、これは、私の父から直接聞いた話ではなく、私の母が、私の父と結婚前に、私の父から聞き出した話を私の母から聞いた話なのですが、父は、大学時代、同年代の女性と交際する一方で、年上の美人の、お金持ちの人妻(その人妻は、とても年齢の離れた年上の金持ちの男性と結婚していた様です)に、食事代等を全て奢って貰って、高級ホテルのレストランで、二人きりで食事をする等、(父は、その人妻と肉体関係を持っていたのかどうか分かりませんが)、その人妻と、援助交際のような付き合いをしていたそうです(ちなみに、父は、その人妻に対して、何の恋心も持っていなかった様です)。うーん、私は、その様な、年上の女性に、高級ホテルのレストランの食事を奢って貰う事等を目当てとした、年上の女性と、援助交際のような付き合いをすると言う事は、若い頃から(中学生・高校生の頃から)、発想も湧きませんし、した事もありません。

ちなみに、私は、高校生の時、二股以上かけて女性と交際したりしていましたが(ごめんなさい)、当時20代の後半であった人妻とも交際していました(二重にごめんなさい。済みません。昔の(若い頃の)私は、本当にワルでした。叩けば叩くほど、埃が出て来る感じ)。その人妻(とても美人でスタイルが良い人で、当時、夫との間に、まだ子供はいませんでした)の夫は、その人妻よりも年上ですがわずかに年上で、お金持ち(私は、直接会った事はありませんが、イケメンではなく(写真でみる限り)、仕事一筋と言った感じの人で、ゆとりがない感じの人であったようです)。私は、高校の放課後、その人妻の夫の留守中に、都心部の一等地にある、その人妻の高級マンションに訪れてその人妻とエッチをする等していました。当時、デート代等は、全て、その人妻が出してくれて、二人だけの秘密で泊りがけの旅行にも行っていますが、その旅行代金も、全て、その人妻が出してくれました。当時、その人妻は私の事が好きで、私もその人妻の事が好きで、お互いに恋愛感情はあったのですが、それも、傍から見たら援助交際に見えてしまうのかな。。。



私の母は、昔から、「母親である前に女」であるような女性で、自分の恋愛話でも何でも、自分の事は、何でも、バンバン私に話して来ていますw 私と母の関係性については、前回の投稿(「母とバルドー前編」)を参照して下さい。


私の母は、チャラチャラした所があり、現代に若者時代を過ごしていたら、ギャルになったような気もしますw。

私の母が、自由奔放にやりたい放題に育ったのは、誰に対しても、めったに怒らない穏やかな紳士であった、私の母方の祖父と、(大学から東京に出てきたものの)、生涯、世間知らずの田舎の裕福な家の箱入りのお嬢さん的な要素があった私の母方の祖母の間に、当時としては、割と年を取ってから生まれた、一人っ子(一人娘)であり、甘やかされて育てられたと言うのもあるかもしれません。

私の母は、大学は英米文学科を出ているのですが、それはあまり関係がなく、洋画がとても好きだったと言うのがあるのか、英語がとても好きで、女版、小林 克也?と言った感じで(もちろん外貌は、小林 克也と、全く、違います。 私の母は、特に今よりも若い頃は、年齢よりもかなり若く見えた事もあって、今よりも若い頃、外貌が老けてからのYOU(タレント。元FAIRCHILD)に似ていると言われていましたw)、留学経験はなくても、独学で、英語は、昔から発音も良く流暢に話せましたし(今でも大丈夫でしょう(それ程英語は忘れていないでしょう))、父も、留学経験はないですが、仕事で使う関係で、昔から英語は話せます(発音は、あまり上手くありませんがw)。

私の母は、大学を卒業した後、私の父と結婚をするまでOLをしていました。私の父と母が知り合ったきっかけは、二人共、まだ社会人になってから間もない頃、英検の準備学校で(母は英検1級持ってます。父は英検1級は挫折しましたw)、母が教室に通う初日に、教室に入った時に、既に着席していた(その時初対面の)父の顔を見て、一目惚れした私の母が、咄嗟の判断で、(さり気なくか強引か分かりませんがw)父の隣りの席に座り、教科書を忘れたふりをして、父に見せて貰った事なのですが、私の母は、私の父と知り合った当時、大学時代から交際していた、私の父と同じく、私の母と同年代の、イケメンの会社員と交際していたそうですが、勤めていた会社の上司である、仕事が出来て、イケメンで、金のゆとりがある大人の男性の中年の部長とも不倫の関係にありました(所謂、二股交際をしていたw)。

ちなみに、私の母は、そもそも、(私の父の経歴等分からないうちに)私の父の顔に惚れたのですがw、当時、私の母が大学生の頃から交際していた男性よりも、私の父の方が、(当時、同じ、私の母と同年代の会社員でも)、収入が高かったですし、仕事が出来ると思ったし、将来の仕事や収入面での成功の可能性が、その男性よりも、ずっと高いと感じたそうです。私の母は、私の父と知り合ってから、間もなく、大学時代から交際していた男性を、他に好きな人が出来たからと振り、私の母は、将来、この人(私の父)と結婚するかもと思い(この人(私の父)は、自分の、運命の人かもと思い)、私の母の猛烈なアプローチにより、私の母と私の父は、交際するようになり、私の父と正式に交際をするようになった事をきっかけに、上司の部長との不倫の関係も切ったそうです。母の上司の部長は、母に振られた事により、私の母に、復讐で、今でいうモラハラをしたり、職場で不利な待遇を与える等と言った事は全くなかったそうですが、落ち込んだ事は落ち込んで、今で言うテンションは下がってしまい、私の母は、私の母で、職場で、ある程度、気まずい気分になったそうです。

以上のような経緯を経て、私の父と、私の母は、知り合い、交際するようになり、結婚し、私と、私の2歳年下の弟(私の弟は、会社員で、既に、結婚をし((まだ、二人共、幼いですが)子供が2人います(男の子(上)が1人と、女の子(下)が1人))、弟の家族(妻・子供)と共に、東京の西部郊外の、静かで落ち着いた住宅地に買った、一戸建て住宅に、暮らしています)が生まれたのですが、そこまで、順風満帆に事が、運んだ訳ではなく、私の父と、私の母が、交際中、結婚前に、大きな修羅場がありました。


以下の、結婚前の私の両親の修羅場に関する話は、かつて、私の母から聞いた話です。

私の父と、私の母が知り合った当時、実は、父は、大学時代の終わり頃から交際していた、父がデパートに客として訪れた際に、父が、その外貌に惚れて、(どのようにしたのか分かりませんが)、後日、父が口説いて(私の知らない父の凄い積極性w)、交際するようになった、(私の母と同様)私の父と同年代の、新潟(niigata)県(ちなみに、新潟(niigata)県は、日本で、美人の産地の地域の一つとして知られています)出身で、東京で一人暮らしをし、東京都心のデパートに勤めていた、デパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)と交際していました(その、デパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)の女性は、スラリとして(痩せて)、色白で(まあ、私の父も、私の母も、色白なのですが)、背の高い、女優・モデル系の外貌の美人あったそうです)。

前述の通り、私の父は、私の母の猛烈なアプローチに押されて、私の母と交際するようになったのですが、しばらくの間、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)と交際している事を、母に秘密にし(また、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)にも、母と交際している事を秘密にし)、私の父は、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)と、私の母と、所謂、二股交際していました。私の母は、実家暮らしで(我が家の近所の私の実家は、元々、私の母方の祖父母の家で(ちなみに、母は一人っ子です)、母は、生まれてから、現在まで、ずっと実家暮らしです)、父と外で会う時以外(デートする以外)で、父と過ごす時は、父の、東京中心部(東京23区)内の、父の一人暮らしのアパートを訪れて(ちなみに、父は、大学から、田舎から東京に出て来ました)、そこで父と過ごすか、父が、母の実家(前述の通り、私の実家でもある)に遊びに訪れていたようですが、父は、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)と、外で会う時以外(デートする以外)で過ごす時は、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)の、東京中心部(東京23区)内の、一人暮らしのアパートを訪れて、そこで過ごしていた事と(ちなみに、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)の、新潟(niigata)県の実家は、裕福で、おそらく実家の家賃の援助もあり、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)の、当時、一人暮らしていたアパートは、私の父が、当時、一人暮らしていたアパートよりも、広くて、快適であったようです)、又、これは、私の推測なのですが、父は、仕事人間・会社人間であった事から、どちらか一方と会う時に、休日出勤等を嘘の口実として使えた事から、二股交際が、しばらく、バレなかったのだと思います。ちなみに、父は、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)と、私の母と、二股交際していた時、私の母と、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)同じ位、好きであった様です。

しかし、ある時、父の、二股交際が、私の母と、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)、両方に、同時に、バレる時が来ました。母が、女の勘が働いたのかどうか、分かりませんが、母が、気まぐれに、不意打ちで、父の、一人暮らしのアパートを訪れた際に、偶然、非常に珍しく、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)が、父の、一人暮らしのアパートを訪れていて、父は、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)と二人で、自分のアパートで過ごしていました。当然、父、私の母、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)が、鉢合わせとなり修羅場に発展しました。

私の母は、相手が女性となると、性格が、きつい部分があり、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)の女性も、相手が女性となると、性格が、きつい部分があったようで、私の母と、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)は、激しい口論から、お互い、髪の引っ張り合い、ひっぱたき合い、殴り合いの喧嘩にまで発展し(父は、一生懸命、止めに入ろうとしたが、私の母と、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)の、喧嘩の勢いの凄さに圧倒されてしまい無理であった様です)、結局、喧嘩は、母が勝ち、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)は、もう、こんなの散々だと言った感じで、父のアパートから飛び出して行ったそうです。

ちなみに、私の母は、子供の頃から、運動神経が良く(私の母は、小学校・中学校・高校と体育の成績は常に良かった様です)、また、私の母は、痩せの大食い(大食いと言っても、標準よりも少し多く食べる程度ですが)の体質(比較的、たくさん食べても痩せている体質)なのですが(私も、私の母からの遺伝で、痩せの大食い(やはり、大食いと言っても、標準よりも少し多く食べる程度ですが)の体質(比較的、たくさん食べても痩せている体質)です)、私の母は、痩せてはいるが筋肉質の体質で(ちなみに、私も、母の、痩せているが、筋肉質の体質と言うか、(運動をしなくても)筋肉がつき易い体質を受け継いでいます)、私の母は、おそらく、痩せていながら、若い頃ならば、女性相手の、肉体的な喧嘩は、とても強かったと思いますw 私の母は、中学生・高校生の頃、典型的なスケバン(不良)の道には、走らなかったようですが、もし、私の母が、中学生・高校生の頃、典型的なスケバン(不良)の道に走っていたのならば、もしかしたら、スケバン(女性の不良)の番長になっていたかもしれませんw

その後、私の母は、父に、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)と、きっぱりと別れると言う事を、約束させ、父の、母と、デパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)の二股交際していた事に関して、父の事を、一切、責めなかったそうです。私は、この修羅場の話を母から聞いた時、母に、何故、父の、母と、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)の二股交際していた事に関して、父の事を、一切、責めなかったのか聞いたのですが、母は、父の事が、好き過ぎて、父が、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)ではなく、自分の方に残ってくれた(自分の事を選んでくれた)事に、ほっとして(安心して)、逆に爽やかくらいの気持ちになってw、父の過去の事(父の二股交際)について、父を責めるのは、面倒臭くなってしまったと言った感じの事を言っていました。その辺、母の、さっぱりとした(まあ、何も考えていないとも言えますがw)、性格が表れていると思います。ちなみに、この件における、一番の、被害者であり、一番、傷ついたのは、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)の女性であり、今思うと、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)の女性に、私の両親の事ながら、大変、申し訳ないと思いますし、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)の女性が、父から身を引いてくれなければ、私が生まれなかった可能性もあり、感謝もしています。

まあ、そのような母の性格から、父は、母の事を、前よりも、より一層好きになったのかどうかは分かりませんがw、かくして、その後、父は、(おそらく)、母に一途となり、父と母は、結婚しました。


私は、実は、かつて、私の母が、夫(私の父)がいるのにも関わらず、他の男性とデートしていた事に、その当時、気付いていました。しかも、デートの相手の男性は、特定の一人の男性と言う訳ではなかった様です(ちなみに、私の母は面食いであるので(ハンサムな男性が好きであるので)、おそらく、デートの相手の男性は、顔を基準に選んでいたと思いますw)。私の母は、かつて夫(私の父)がいるのにも関わらず、夫(私の父)以外の複数の男性とデートすると言う行為をしていましたが、(その事は、私は、当時、気付いていましたが)、過去に一度、私に、誰にも(特に、お父さんには)絶対に言わないで(絶対に秘密)と言う事で、(当時)、その事(夫(私の父)以外の男性とのデートしている事)を話している等(ちなみに、母の、夫(私の父)以外の男性とのデートは、おそらく、気分転換・暇つぶし・軽い遊び(娯楽)程度の物で、そうしたデート相手の男性達と肉体関係はなかったと思います)、相手が、女の子ではなく男の子であると言うのもあるのか、私の母は、自分の事を、割と、何でも、ベラベラと私に話してしまう方でした。

私の母は、(私の父以外の)複数の男性との「デート」をすると言う行為は、少なくとも40代いっぱいまで、続けていた事は確信出来ますし、50代のいつ頃まで続けていたのか分かりませんが、50代においても続けていた可能性は高いです(少なくとも50代の初め頃までは続けていたと思います。さすがに60代以降はないと思いますが。。。)。私の家族・親戚の中で私に最も身近な女性の小悪魔テクの使い手は、実は(特に若い頃・比較的若い頃の)私の母であると思いますが、私の母は40代から50代頃までその様な行動を行っていた事を考えると、私の母の小悪魔テク使いは、若い頃・比較的若い頃以降もしばらく続いていたとも考えられますw  今、思い返してみたら、私の母の夫(私の父)以外の男性とデートをする行為は、おそらく気分転換・暇つぶし・軽い遊び(娯楽)程度の物であったと共に、(家庭を壊さない範囲内で)、結婚して子供が出来た後も、自分の女子力と言うか女性としての魅力が、どこまで通用し続けるかと言う事を、試すと言うか確認する意味も持つ行為であったのかもしれません。

ちなみに、私の母は、若い頃から男性に奢られ慣れており、男性が自分と食事する際には、男性が食事代を全て支払うのが当たり前と考えている女性である事から、母が、夫(私の父)以外の男性とデートする際には、おそらく、デートの費用は、全て、相手の男性が支払っていたと思います(母が、支払っていたのは、おそらく、基本的に、デート相手の男性との待ち合わせ場所に行く際の、地下鉄・通勤電車の交通費くらいであったと思います。ちなみに、我が家、及び、我が家の近所の実家からは、東京都心部の、どの主要な繁華街に出るにも、概ね200円(約2,000won)前後以内の、地下鉄・通勤電車の交通費で行く事が出来ます)。

ちなみに、私の母は、昔から(若い頃から)、自分の脚線美に自信があるらしく(今は、さすがに、母は、もう、おばあさんなので、それはない(自分の脚線美に自信があるという事はない)と思いますが。。。ちなみに、母は、身長は、163cm位と、私の母の世代の女性にしては、割と高く、また、痩せの大食い体質で(ちなみに、私は母の痩せの大食い体質を受け継いでいますw)、年を取っても相変わらず痩せています)、私の母は、今はさすがにそれはしませんが、60代の初め頃までは、(もちろん、カジュアルな服装として)、ショートパンツに、生足で、お出掛けする事もありましたw

私の母は、かつて夫(父)に内緒で複数の男性とデートしていて、その事を私は知っていましたが、私は、私の母が夫(私の父)がいるのにも関わらず、他の男性とデートしていると言う事に関して、その当時、不思議とそれ程不安を感じたり、大きく戸惑ったりはしませんでした。それは、おそらく、母が父以外の男性とデートをしていても、一線は越えていない(一線を越える事はない)と思っていましたし、何よりも母が夫(私の父)の事が大好きで(ちなみに父と母は、母が父に一目惚れしての、母から父へのバリバリのアプローチによる恋愛結婚ですw)、(私の両親は)、お互いにとても仲が良いと言う事が子供(私)によく伝わっていたからであると思います。



私の父と母は、昔から、とても仲が良いです。

私の母方の祖父は、見合いで、私の母方の祖母と結婚したのですが、私の母方の祖父は、結婚したからには、ずっと(一生)、妻の事を大切にし、守らなければならないと言った、昔ながらの(保守的な)、紳士の美学・ポリシー(方針)と言った物を持った男性でした。ちなみに、私の父も、同様の、紳士の美学・ポリシー(方針)を持った男性ですが、性格が穏やかで、温和な紳士であると言う点においても、私の母方の祖父に共通していて、元々、面食いの私の母が、私の父に、一目惚れして、私の母から、私の父に、バリバリにアプローチして、私の母と私の父は、交際する事になったのですが(バリバリの恋愛結婚w)、私の母が、私の父に、自分の父(私の母方の祖父)の性格と共通する面を見出したのも、私の母が、私の父と結婚するまでに至った、大きな理由の一つなのかもしれません。


私の両親は、子供(私と私の2歳年下の弟)が親離れしてからは(それぞれの楽しみを見つけて週末や休日を基本的に別々に楽しむようになってからは)、週末や休日にしょっちゅう夫婦二人で遊びに出掛けるようになり、それが父・母とも既に高齢者である現在まで続いています。

我が家の近所の私の実家の両親は、二人共、高齢者になった、今でも、夫婦、とても仲が良く、頻繁に、二人で遊びに出掛けています。私の父は、会社員ですが、現在、半分、定年退職状態で、私の両親は、年齢的には高齢者の中で若い年齢ではありますが、夫婦で、よく二人共通の趣味のゴルフに行きますし(両親は、未だに、夫婦で、スキーにも行きます)、夫婦で、海外を含めた、長期旅行も、よくしており、私の父は、仕事と遊びを、とても、元気に楽しみ続けています。私は、両親の(まあ、私の母は、私の父と結婚してから、ずっと主婦ですが。。。)、元気と、パワーが(力が)、羨ましい位ですw


ちなみに、私の父は、結婚してから、一度も浮気をした事がないか、又は、浮気をしていたとしても、少なくとも、子供(私と私の弟)には、一度も、気付かれていませんw  まあ、主婦である母と違って、父は会社員なので、子供と接している時間が、母と比べて、圧倒的に短く、たとえ浮気をしていたとしても、子供には、気付かれにくかったと言うのもあるかもしれませんw



何だか微妙な設定が気になるCMですw 我が家の近所の実家の、私の父(会社員)は、既に、半分定年退職状態になって久しいですが、バリバリ働いていた時に、綺麗な秘書さんがついていましたが、帰るのが遅い日が多かったけど、こんな事してなかったよな?  w  ちなみに、どうでも良い事ですが、私の父も私も、(意識して出来るような物でもないのかもしれませんが)、話し声は、低音で、ゆっくりと話す方なんですが、そうした話し方は、女性に好かれるようですw(自分で言うのも何なんですがw ちなみに、私の今の彼女も、私の声と話し方も好きだと言ってくれてますw)。ちなみに、母も父も、それぞれ、同性の友人・友人達がいて、両親は二人きりで、昔から、よく遊びに出掛けている一方で、それぞれの、同性の友人・友人達とも、遊びに出掛けているのですが(父に関しては、基本的に、同性の友人・友人達とも、遊びに出掛けるようになったのは、半分定年退職状態となってから)、父は、既に、半分定年退職状態になってから、久しいのですが、父は、母と共に親戚同士でグループで遊びに出掛けたり、同性の友人・友人達と遊びに出掛ける際に、秘書さんがついてバリバリに働いていた頃のクセで、つい、遊びに出掛ける始めに、遊びに出掛ける相手の人達に、「今日の、予定は?」と口癖のように言ってしまい、からかわれている様ですw(父は、母と二人きりで、遊びに出掛ける際は、結婚前に母と交際していた時から変わらずに、母の事を紳士的にリードしている様ですが)。

以下、参考の投稿。
声が低い男性の特徴→
/jp/board/exc_board_8/view/id/2789956?&sfl=membername&stx=jlemon


私の父(会社員)は、既に、半分定年退職状態になって久しいですが、バリバリ働いていた時に、会社の接待で、銀座(ginza)のクラブ(ここで言うクラブとは、いつも、私が投稿・レスで使用しているクラブとは違う意味で、キャバクラ(kyabakura)と同様と考えて下さい。私は、そうした世界は詳しくないので、おそらく)を利用していて、今でも、銀座のクラブのママ等と、メールの、やり取りくらいは、続いているようです。

父は、半分定年退職状態になってから、一度、銀座のクラブのママとゴルフに行った事があるようです。その際に、母は、どの様に父をゴルフに送り出したのか分からないですが、私が推測するに、父は、とことん母の事を大切にして来たと言う実績があるが故に、母は、おそらく、(内心、心地よく送り出したかどうか分かりませんが)、表面的には、明るい笑顔で、行ってらっしゃいと言って送り出したと思います。

ちなみに、私の父(会社員)は、(既に、半分定年退職状態になって久しいですが)、バリバリ働いていた時には、父専用の、会社の運転手付きの自動車が用意されていたのですが、私の母、実家暮らしの学生の頃の私と弟は、空港から家まで等、父専用の、会社の、運転手付きの自動車を私用で使わせて貰っていて、母も、私も、弟も、運転手さんと親しくなっていましたが、今の日本の社会では、そう言う事は減って来ているのかもしれませんね。

以下、参考の投稿。
学校でモテる男子の行動5選/もしもこんな仕事帰りの接待があるとしたら→
/jp/board/exc_board_8/view/id/2753826/page/6?&sfl=membername&stx=jlemon
自動車関連エピソード集→
/jp/board/exc_board_50/view/id/2781572?&sfl=membername&stx=jlemon


以下、「」内。前に行った、以下の投稿から抜粋して来た物です。
未だにナンパされる私の母w →
/jp/board/exc_board_8/view/id/2683067/page/13?&sfl=membername&stx=jlemon

「以下、比較的、最近(今年(2018年)に入ってから)、私の母と私の彼女が、二人で、銀座(ginza)(東京最大級の繁華街の一つであると共に、東京を代表する繁華街。東京都心部の中でも、中心的な地域に位置する)で昼食を食べて、日比谷(hibiya)で映画を見て、銀座(ginza)で、お茶した時の話で、彼女から聞いた話です。

銀座(ginza)で横断歩道で、信号待ちしている間、彼女が、別に意識していた訳ではなく、私の母から、少し離れて立っていた時の事です。母に、長身で、お洒落なスーツに身を固めた、年配の、イケメンな男性が、すっと母に近づき、母に話しかけて来たそうです。私の母は、昔から、基本的に、好奇心が旺盛な社交的な女性であるのですが、母が、その男性と、談笑していた所、彼女が、私の母に近づいたら、その男性は、母が一人ではなく、連れ(私の彼女)がいる事が分かったからか、母との会話を終わりにし、すっと母から離れて行ったそうです。彼女は、母に、その男性と、何の話をしていたのかと聞いたら、母は、その男性から、これから、何処何処のレストランに行くのですと話かけられ、その(その男性が行くという)レストランについての話をその男性としていたそうです。彼女の推測によれば、あれはナンパだったのではないかと言う事ですw」


私の母に関しては、以下の3つの投稿も参照して下さい。

意識高い系女子(アメリカVS日本)→
/jp/board/exc_board_8/view/id/2788137?&sfl=membername&stx=jlemon
やっぱり肉が好き→
/jp/board/exc_board_8/view/id/2766519/page/3?&sfl=membername&stx=jlemon
母自慢(母バカ)w(男の生きる意味)→
/jp/board/exc_board_8/view/id/2786626?&sfl=membername&stx=jlemon


母とバルドー後編



この投稿の動画は、全て、you tubeから借りて来た物です。

以下、「」内。私の前の投稿文より。。。

「東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地にある、我が家の近所の、私の実家は、元々、私の母方の祖父母の家で(ちなみに母は、一人っ子です)、現在は、両親が引き継いで暮らしています。既に、母方の祖父母共に、亡くなっています。

我が家の近所の私の実家の、私の父は、会社員で(父は、既に、半分定年退職状態になってから久しいですが)、私の母は、父と結婚してから、アルバイトを含めて、仕事を、一切した事がない専業主婦です。


私には、兄弟姉妹は、2歳年下の弟が一人います。私の弟は、外資系の会社員で、既に、結婚をし、(まだ、二人共、幼いですが)子供が2人いて(男の子(上)が1人と、女の子(下)が1人)、弟の家族(妻・子供)と共に、東京の西部郊外の、静かで落ち着いた住宅地に買った、一戸建て住宅に、暮らしています。

弟の、奥さん(妻)(ちなみに、弟の、奥さん(妻)は、弟よりもかなり年下です)は、結婚する前は、四年制の大学を卒業した後、服(ファッション)関係の、会社で、会社員として働いていましたが、結婚してからは、主婦となりました。


私は、会社員と比べて、相対的に、安定的ではなく、相対的に、ビジネスにおいて危険性が高いが、相対的に、自分で自分の時間を自由に管理する事が出来、又、自分の才能・仕事の能力・仕事の効率性・努力が、自分の収入に直結する(直接繋がる)、個人事業の道を選びました。

私は、普通の中流層・庶民層なのですが、私は、基本的には、自分が、与えられた環境の中で、自分の能力の範囲内で、出来得る限り生き(ここで言う、出来得る限り生きとは、自分の能力の限界を知り、自分の幸福の為に、自分の努力の落とし所を知ると言う意味も含まれます)、自分が稼いだお金で、出来得る限りの、幸せな生活をしている(幸せな人生を生きている)と言う、自信があります。」


以下、母とバルドー前編からの続きです。

母とバルドー前編は以下です。
母とバルドー前編→
/jp/board/exc_board_11/view/id/2794664?&sfl=membername&stx=jlemon



以下の投稿文は、基本的に、前に行った投稿から抜粋して来た物を中心に構成されています。

私は、学生の頃(高校生・大学生の頃)、おそらくチャラチャラしていた事もあってw、芸能人・モデル事務所の人からスカウトの声がかけられていたのですが、母も女子大生の時、一応、芸能人・モデル事務所の人からスカウトの声がかかっていたそうですw(母方の祖父は穏やかで温和な性格であったのですが、当時、母にそれだけはやめてくれと言っていたそうでw、母は、母方の祖父に従って、断っていたそうです)。

以下、参考の投稿。
清潔感等について →
/jp/board/exc_board_8/view/id/2747216/page/7?&sfl=membername&stx=jlemon


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若い頃の、Brigitte Bardot。Brigitte Bardotは、私の母よりも、遥かに(ずっと)上の世代ですが、私の母が、思春期の頃・若い頃、自分の憧れ・目標としていたのが、若かりし頃の、Brigitte Bardotだったそうですw ちなみに、私の母は、若い頃、ミニスカ・ブーツの、派手な女性だったようです(私が、子供の頃も、その名残があり、まだ、ミニスカ・ブーツで、おまけに、ファッションアイテムとしての、ウイッグまで使っていましたw)。









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少し古い動画ですが、2009年頃。出演している、女性は、YOUです。ちなみに、私の母は、YOUよりも、遥かに(ずっと)、年上の世代ですが、特に、今よりも、若い頃は、年齢よりも、かなり若く見えた事もあって、今よりも、若い頃、外貌が、(老けてからのw)YOUに似ていると言われていた事がありますw(上の動画は、老けてからの、YOUで(YOUは、当時、44歳から45歳)、上の動画の時期は、私の母が、YOUに似ていると言われていた時期に該当しますw)。 ちなみに、私は、顔は、母よりも、父に似ており、私の弟は、父と母、両方に似ているとも言えるし、父と母、どちらにも似ていないとも言える顔です。ちなみに、今は、もう母は、絶対的に年であるので(もう、おばあさんなので)、現時点での、YOUに似ているというのも無理があります。










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前に行った投稿でアップした動画。ちなみに、私は、中野信子さんの話の動画は、この投稿でアップしている動画を含んで、今まで、kjで紹介している19個の動画以外見ていません。

以下、上の動画の話の前半部分の話について。。。

私は、自分の事を、自由人であると思っています。私の母は、自由人であると思いますが、私が自由人になったのは、ミラーニューロンにより、無意識的に、自由人である、私の母の影響を受けて育ったという事があると思います。

以下、上の動画の後半部分に関して。。。

私はB型のマイペースで、昔から女性は好きだが女性に拘束されるのは嫌いなタイプと言う事もあり(自分で言うのも何ですが、性格は完全に猫と言った感じですw)、私の、今の彼女は、東京の私が暮らす区の隣りの区のマンションに一人暮らししていますが、1週間に、1日から3日位、我が家に泊まると言う交際形態になっていますが、その事が、四六時中(ずっと)二人で暮らしている・過ごしている事と違って、二人の関係の新鮮さを保つ事に寄与しているという面はあると思います。

私と彼女は、仲がとても良いので、滅多に、喧嘩する事はありません。

今の彼女とは話と笑いの波長がとても合うし話していて楽しいので、彼女がうちに泊まらない日は、電話で、くだらない話題や日常的な話だけで1時間位話す事も少なくありません。

その様な電話の際に、大袈裟ではなく、本当に、彼女の方から、電話を切る意思を示した事が、一度もありません。いつも、私の方から、適当に時間を見て、彼女に電話を終える事を伝えるのですが(その時、その後、すぐ寝ても、寝なくても、じゃあ、そろそろ寝るねと言う、私の言葉が、合図となっています)、その際に、もう少し、私と話していたい、もう少し、私の声を聴いていたいと、私に、おねだりする、彼女が可愛いです(そうした際には、たわいもない話で、10分程、延長して、お話すると彼女は、納得(満足)します)。ちなみに、彼女は、私の声と話し方も好きと言ってくれますが、彼女の、私の声が好き、私の話し方が好きと言う事に関して、私の父も私も、(意識して出来るような物でもないのかもしれませんが)、話し声は、低音で、ゆっくりと話す方なんですが、そうした話し方は、女性に好かれるようですw(自分で言うのも何なんですがw)。



最近、you tube動画を見てkjの投稿でアップするのがマイブームになっているのですが、今まで生きて来た中における、自分の女性関係における、何気ない(本能的な)行動・経験が、心理学や女性への恋愛等に関するインタビュー等によって裏付けされる事を、楽しんじゃってる感じですw


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実は女子が好きな男子にしかしない事。前にkjでアップした動画。ちなみに、この動画作成者の動画は、今までに、kjで、アップしている物しか見ていません。


以下、「」内。上の動画の一番目にインタビューを受けた女性に関連付けられる事として、前の他の方の投稿の私のレスより。。。

「姐さん、面食いの母が父に一目惚れし、母から父に猛烈にアプローチし交際して結婚して生まれて来た私の立場はw 前に私の投稿「両親の結婚前の修羅場」で書いた通り、私の母なんて只者ではないですからねw 既に獲物として狙った女性をゲットしていた父を獲物として狙ってゲットして、父から父が既に獲物として狙ってゲットしていた女性を弾き出したのですからw

まあ、その話は置いといてw、以下、マリコさんは何もしなくても男性にチヤホヤされるタイプの女性である事を前提として話しますが、マリコさんが、相応の無意識的・意識的な手練手管を持った女性であるとしたのならば、「狙った獲物は放したくない」発言の「狙う」には、当然、引きのテクも含んでいると思います。引きのテクとは、Dartagnanさんの言う、「天性の正しい獲物の振る舞い」の事を言います。でも、イケメンを狙うのならばライバルも少なくありません。引いてばかりでは、意中の男性に振り向いて貰えないかもしれないし、意中の男性を押しが強い他の女性に取られてしまうかもしれない。そこで、押しのテクも必要となって来るのですが、何もしなくても男性にチヤホヤされるタイプの女性が、笑顔で、さらりと「狙った獲物は放したくない」と言うからには、自分には、相応の押しのテクがある(自分は、ある程度は、男性に対する押しがきく)と言う無意識的・意識的な自信の表れである可能性も高いです。

ただ、そもそもマリコさんはイケメンを狙うべきかと言う話になりますが、マリコさんが結果として不幸にならない為には、イケメンには慎重になった方が良いと思います。そりゃ、良いイケメンと悪いイケメン、どっちが多いと言ったら、悪いイケメンの方が多いですから。」

上の動画の2番目にインタビューを受けた、女性の話に関連付けられる話として、私の今の彼女もそうなのですが、女性は交際している男性と一緒に、他の女性が混ざる、食事会・飲み会等に参加した場合において、無意識的・意識的に、この男は、私の物アピールするのかw、普段、二人だけで、外食で、二人並んで飲食している時よりも、(交際している男性に対して)密着度が高まり・ボディタッチが多くなると言う事は、有り勝ちです(あくまで、私の個人的な経験による物なのですが)。


私は、中学2年生から女性と交際していましたが、私が、交際している女の子・女性又は親密な女の子・女性と、泊りがけの旅行に、本格的に、よく行くようになったのは、私が大学生になってからの事で(私が大学生以降の事で)、それまでは(高校生までは)、基本的には(例外もありましたが(ちなみに例外は、年上の女性との二人きりの泊りがけの旅行ですw)、例外を、ここで書いてしまうと、それがメインとなってしまう位の、刺激的な内容ではあるので、ここでは書きませんw また気が向いたら別のスレで書こうと思います)、泊りがけの旅行と言えば、両親に連れられた家族旅行でした。

前述の通り、私は、高校生までは、基本的には、泊りがけの旅行と言えば、両親に連れられた家族旅行でした(まあ、高校生の時は、子供の頃・中学生の頃に比べると、両親に連れられた泊りがけの家族旅行の頻度は、かなり減りましたが)。ちなみに、私は、高校時代、日本から自分のマウンテンバイクとテント(ちなみに普段アウトドア派では全くなくテントはその為に買ったw)をニュージーランドに持って行って2週間から3週間程度かけて、ニュージーランド南島、自転車縦断一人旅をしましたが(日程に、とてもゆとりを持って(観光に充分時間をかけれるようにして)、一日あたりの移動距離は、全く無理しませんでした)、それは、また別の話として置いておきます。


貸切り(kashikiri)温泉風呂は、共同風呂では無く、夫婦やcouple、家族だけで入る事が出来る温泉風呂で、通常は、小規模で(普通の家の家庭用風呂よりかは、大きいが、富裕層の家庭用風呂位)、入る時は、内側から鍵をかけたり、入浴中の表示を出したりして、他の人が、入って来ないようにします(鍵が、かかっていたり、入浴中の表示が、出ていると、利用中だと判断して、他の人が、入って来ない)。

私が、高校3年生、弟が高校1年生の時に、両親に連れられた国内旅行で、温泉宿に宿泊した際に、母が、主導で、家族で(父、母、私、弟)で、貸切り(kashikiri)温泉露天(野外)風呂に入る事になりました。後にも先にも、私が、中学生以降で、家族で、貸切り(kashikiri)風呂に入ったのは、その時、1回だけです(私の弟もそうです(ただし、私の弟が自分の(弟の)家族とは除く))。とにかく、母が、ノリノリと言った感じで、父も、私も、弟も、母に押されてと言った感じであったのですが、その時、父、母、私、弟で、貸切り(kashikiri)温泉風呂に入る事に関して、父も、私も、弟も、特に、違和感は感じませんでしたw その事を、後に、交際している女性に話すと、引かれる事もありましたw


その時、私の母は、貸切り(kashikiri)温泉露天(野外)風呂で、タオルで体を、一切、隠さずに、素っ裸で、はしゃぎまくっていたのですが、その、貸切り(kashikiri)温泉露天(野外)風呂に入浴している最中に、何の話であったのかは忘れましたが、何かの話題において、母が、本人が、「団塊の世代」と言うつもりで、間違えて、思い切り、「男根の世代」と言いましたw 父と私と弟は、それを言うなら、「団塊の世代でしょ」と突っ込みを入れて、皆で、爆笑になったのですが、母以外は(父と私と弟は)、若干、顔が、引きつり気味の、爆笑でしたw


前述の通り、私は、大学生以降は、交際している女の子・女性又は親密な女の子・女性と、二人きりで泊りがけの旅行に、本格的に、よく行くようになりました。

ちなみに、若い頃は、交際している女性・親密な女性と温泉に行く際に、率直に言って、貸切り(kashikiri)温泉風呂があるか否かが、泊まる温泉宿泊施設を選ぶ際の、かなり大きな要素となっていましたがw(若い頃は、交際している女性・親密な女性と温泉に行く事が、重要な目的であったw 済みません、若い頃は、遊んでいました)、成熟した大人の男性である今は(年を取って、趣味に関しては、若い頃よりも枯れたと言うのもありますがw)、彼女と温泉に行く際に、貸切り(kashikiri)温泉風呂があるか否かは、温泉旅館を選ぶ際に、あまり重要な要素となっていません(今は、温泉に行って、リラックスする事が、温泉に行く重要な目的なので)。

私は休日を外で過ごす事は好きで、美味しい物を食べる事、自然の中を散歩する事、温泉に入浴する・温泉旅館等の温泉宿泊施設に宿泊する事、芸術や花を愛でる(鑑賞する)事等は、好きなのですが、本格的な登山やキャンプ等のアウトドアは好みません。

私は、交際する女性との趣味が合うか合わないかと言う事は、若い頃は気にしなかったのですが、成熟した大人になってからは、私と趣味が合う女性を好きになるプラス交際相手の女性が、私色に染まってw、私と趣味が合って来ると言う事を合わせて、私と趣味が合う女性と交際するようになりました。


前述の通り、私が、高校生の時に、家族で(父、母、私、弟)で、貸切り(kashikiri)温泉露天(野外)風呂に入った事に関し(前述の通り、後にも先にも、私が、中学生以降で、家族で、貸切り(kashikiri)風呂に入ったのは、その時、1回だけです(私の弟もそうです(ただし、私の弟が自分の(弟の)家族とは除く))、その事を、後に、交際している女性に話すと、引かれる事もありましたが、その事を、私の今の彼女に話した際も、引かれましたw

ただし、彼女(私の今の彼女)は、その事に関して、少し引きながらも、面白がっており、私を、たまに、「高校生にもなって、お母さんと一緒に、お風呂に入ったんでしょ」と、からかうネタとして使っていますw


私の叔父(父の弟)(身長は、180cmの長身)は、私の父と違って(私の父は、叔父と同様、外貌は、どちらかと言えば、ガリ勉タイプの人(勉強を非常に熱心にする人)とは、正反対の外貌と言った感じなのですが、中学校時代・高校時代に、(勉強ばかりしていたと言う訳ではなかった様ですが)、とても真面目に、熱心に勉強した様です)、勉強は、ほとんどせず、私の父と違って勉強は、全く、出来なかったようですが、運動が、とても得意で(ちなみに、高校の頃、学校のバスケットボール(basketball)clubに所属していたそうです)、私の父方の祖母や私の父の話によると、高校の時、数々の、地元の伝説を作るくらいw、学校内、及び、学校外の、女子高生達に、モテていた(人気があった)そうですw

前述の通り、父はルックスはどちらかと言えばガリ勉タイプとは正反対と言った感じなのですが、まあ、中学校・高校時代、チャラチャラしていた私と違ってw、よく勉強していた様ですが、それでも、高校時代から女性と交際し、基本的に、高校時代、大学時代と交際する女性が途切れた事はなく、母と知り合うまで、交際する女性は、途切れる事はなかったようです。

また、父は、ちゃっかりしたとこは、ちゃっかりしていて、例えば、父方の祖母に聞いた話ですが、父が高校生の頃、いきなり見知らぬ女の子3人が父の実家に訪ねて来て、何事かと私の父方の祖母が思ったら、ちゃっかり、父が、修学旅行先で仲良くなった他校の女子高生達が、はるばる遠方から訪ねて来たと言う落ちでしたw また、これは、私の父から直接聞いた話ではなく、私の母が、私の父と結婚前に、私の父から聞き出した話を私の母から聞いた話なのですが、父は、大学時代、同年代の女性と交際する一方で、年上の美人の、お金持ちの人妻(その人妻は、とても年齢の離れた年上の金持ちの男性と結婚していた様です)に、食事代等を全て奢って貰って、高級ホテルのレストランで、二人きりで食事をする等、(父は、その人妻と肉体関係を持っていたのかどうか分かりませんが)、その人妻と、援助交際のような付き合いをしていたそうです(ちなみに、父は、その人妻に対して、何の恋心も持っていなかった様です)。うーん、私は、その様な、年上の女性に、高級ホテルのレストランの食事を奢って貰う事等を目当てとした、年上の女性と、援助交際のような付き合いをすると言う事は、若い頃から(中学生・高校生の頃から)、発想も湧きませんし、した事もありません。

ちなみに、私は、高校生の時、二股以上かけて女性と交際したりしていましたが(ごめんなさい)、当時20代の後半であった人妻とも交際していました(二重にごめんなさい。済みません。昔の(若い頃の)私は、本当にワルでした。叩けば叩くほど、埃が出て来る感じ)。その人妻(とても美人でスタイルが良い人で、当時、夫との間に、まだ子供はいませんでした)の夫は、その人妻よりも年上ですがわずかに年上で、お金持ち(私は、直接会った事はありませんが、イケメンではなく(写真でみる限り)、仕事一筋と言った感じの人で、ゆとりがない感じの人であったようです)。私は、高校の放課後、その人妻の夫の留守中に、都心部の一等地にある、その人妻の高級マンションに訪れてその人妻とエッチをする等していました。当時、デート代等は、全て、その人妻が出してくれて、二人だけの秘密で泊りがけの旅行にも行っていますが、その旅行代金も、全て、その人妻が出してくれました。当時、その人妻は私の事が好きで、私もその人妻の事が好きで、お互いに恋愛感情はあったのですが、それも、傍から見たら援助交際に見えてしまうのかな。。。



私の母は、昔から、「母親である前に女」であるような女性で、自分の恋愛話でも何でも、自分の事は、何でも、バンバン私に話して来ていますw 私と母の関係性については、前回の投稿(「母とバルドー前編」)を参照して下さい。


私の母は、チャラチャラした所があり、現代に若者時代を過ごしていたら、ギャルになったような気もしますw。

私の母が、自由奔放にやりたい放題に育ったのは、誰に対しても、めったに怒らない穏やかな紳士であった、私の母方の祖父と、(大学から東京に出てきたものの)、生涯、世間知らずの田舎の裕福な家の箱入りのお嬢さん的な要素があった私の母方の祖母の間に、当時としては、割と年を取ってから生まれた、一人っ子(一人娘)であり、甘やかされて育てられたと言うのもあるかもしれません。

私の母は、大学は英米文学科を出ているのですが、それはあまり関係がなく、洋画がとても好きだったと言うのがあるのか、英語がとても好きで、女版、小林 克也?と言った感じで(もちろん外貌は、小林 克也と、全く、違います。 私の母は、特に今よりも若い頃は、年齢よりもかなり若く見えた事もあって、今よりも若い頃、外貌が老けてからのYOU(タレント。元FAIRCHILD)に似ていると言われていましたw)、留学経験はなくても、独学で、英語は、昔から発音も良く流暢に話せましたし(今でも大丈夫でしょう(それ程英語は忘れていないでしょう))、父も、留学経験はないですが、仕事で使う関係で、昔から英語は話せます(発音は、あまり上手くありませんがw)。

私の母は、大学を卒業した後、私の父と結婚をするまでOLをしていました。私の父と母が知り合ったきっかけは、二人共、まだ社会人になってから間もない頃、英検の準備学校で(母は英検1級持ってます。父は英検1級は挫折しましたw)、母が教室に通う初日に、教室に入った時に、既に着席していた(その時初対面の)父の顔を見て、一目惚れした私の母が、咄嗟の判断で、(さり気なくか強引か分かりませんがw)父の隣りの席に座り、教科書を忘れたふりをして、父に見せて貰った事なのですが、私の母は、私の父と知り合った当時、大学時代から交際していた、私の父と同じく、私の母と同年代の、イケメンの会社員と交際していたそうですが、勤めていた会社の上司である、仕事が出来て、イケメンで、金のゆとりがある大人の男性の中年の部長とも不倫の関係にありました(所謂、二股交際をしていたw)。

ちなみに、私の母は、そもそも、(私の父の経歴等分からないうちに)私の父の顔に惚れたのですがw、当時、私の母が大学生の頃から交際していた男性よりも、私の父の方が、(当時、同じ、私の母と同年代の会社員でも)、収入が高かったですし、仕事が出来ると思ったし、将来の仕事や収入面での成功の可能性が、その男性よりも、ずっと高いと感じたそうです。私の母は、私の父と知り合ってから、間もなく、大学時代から交際していた男性を、他に好きな人が出来たからと振り、私の母は、将来、この人(私の父)と結婚するかもと思い(この人(私の父)は、自分の、運命の人かもと思い)、私の母の猛烈なアプローチにより、私の母と私の父は、交際するようになり、私の父と正式に交際をするようになった事をきっかけに、上司の部長との不倫の関係も切ったそうです。母の上司の部長は、母に振られた事により、私の母に、復讐で、今でいうモラハラをしたり、職場で不利な待遇を与える等と言った事は全くなかったそうですが、落ち込んだ事は落ち込んで、今で言うテンションは下がってしまい、私の母は、私の母で、職場で、ある程度、気まずい気分になったそうです。

以上のような経緯を経て、私の父と、私の母は、知り合い、交際するようになり、結婚し、私と、私の2歳年下の弟(私の弟は、会社員で、既に、結婚をし((まだ、二人共、幼いですが)子供が2人います(男の子(上)が1人と、女の子(下)が1人))、弟の家族(妻・子供)と共に、東京の西部郊外の、静かで落ち着いた住宅地に買った、一戸建て住宅に、暮らしています)が生まれたのですが、そこまで、順風満帆に事が、運んだ訳ではなく、私の父と、私の母が、交際中、結婚前に、大きな修羅場がありました。


以下の、結婚前の私の両親の修羅場に関する話は、かつて、私の母から聞いた話です。

私の父と、私の母が知り合った当時、実は、父は、大学時代の終わり頃から交際していた、父がデパートに客として訪れた際に、父が、その外貌に惚れて、(どのようにしたのか分かりませんが)、後日、父が口説いて(私の知らない父の凄い積極性w)、交際するようになった、(私の母と同様)私の父と同年代の、新潟(niigata)県(ちなみに、新潟(niigata)県は、日本で、美人の産地の地域の一つとして知られています)出身で、東京で一人暮らしをし、東京都心のデパートに勤めていた、デパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)と交際していました(その、デパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)の女性は、スラリとして(痩せて)、色白で(まあ、私の父も、私の母も、色白なのですが)、背の高い、女優・モデル系の外貌の美人あったそうです)。

前述の通り、私の父は、私の母の猛烈なアプローチに押されて、私の母と交際するようになったのですが、しばらくの間、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)と交際している事を、母に秘密にし(また、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)にも、母と交際している事を秘密にし)、私の父は、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)と、私の母と、所謂、二股交際していました。私の母は、実家暮らしで(我が家の近所の私の実家は、元々、私の母方の祖父母の家で(ちなみに、母は一人っ子です)、母は、生まれてから、現在まで、ずっと実家暮らしです)、父と外で会う時以外(デートする以外)で、父と過ごす時は、父の、東京中心部(東京23区)内の、父の一人暮らしのアパートを訪れて(ちなみに、父は、大学から、田舎から東京に出て来ました)、そこで父と過ごすか、父が、母の実家(前述の通り、私の実家でもある)に遊びに訪れていたようですが、父は、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)と、外で会う時以外(デートする以外)で過ごす時は、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)の、東京中心部(東京23区)内の、一人暮らしのアパートを訪れて、そこで過ごしていた事と(ちなみに、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)の、新潟(niigata)県の実家は、裕福で、おそらく実家の家賃の援助もあり、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)の、当時、一人暮らしていたアパートは、私の父が、当時、一人暮らしていたアパートよりも、広くて、快適であったようです)、又、これは、私の推測なのですが、父は、仕事人間・会社人間であった事から、どちらか一方と会う時に、休日出勤等を嘘の口実として使えた事から、二股交際が、しばらく、バレなかったのだと思います。ちなみに、父は、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)と、私の母と、二股交際していた時、私の母と、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)同じ位、好きであった様です。

しかし、ある時、父の、二股交際が、私の母と、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)、両方に、同時に、バレる時が来ました。母が、女の勘が働いたのかどうか、分かりませんが、母が、気まぐれに、不意打ちで、父の、一人暮らしのアパートを訪れた際に、偶然、非常に珍しく、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)が、父の、一人暮らしのアパートを訪れていて、父は、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)と二人で、自分のアパートで過ごしていました。当然、父、私の母、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)が、鉢合わせとなり修羅場に発展しました。

私の母は、相手が女性となると、性格が、きつい部分があり、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)の女性も、相手が女性となると、性格が、きつい部分があったようで、私の母と、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)は、激しい口論から、お互い、髪の引っ張り合い、ひっぱたき合い、殴り合いの喧嘩にまで発展し(父は、一生懸命、止めに入ろうとしたが、私の母と、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)の、喧嘩の勢いの凄さに圧倒されてしまい無理であった様です)、結局、喧嘩は、母が勝ち、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)は、もう、こんなの散々だと言った感じで、父のアパートから飛び出して行ったそうです。

ちなみに、私の母は、子供の頃から、運動神経が良く(私の母は、小学校・中学校・高校と体育の成績は常に良かった様です)、また、私の母は、痩せの大食い(大食いと言っても、標準よりも少し多く食べる程度ですが)の体質(比較的、たくさん食べても痩せている体質)なのですが(私も、私の母からの遺伝で、痩せの大食い(やはり、大食いと言っても、標準よりも少し多く食べる程度ですが)の体質(比較的、たくさん食べても痩せている体質)です)、私の母は、痩せてはいるが筋肉質の体質で(ちなみに、私も、母の、痩せているが、筋肉質の体質と言うか、(運動をしなくても)筋肉がつき易い体質を受け継いでいます)、私の母は、おそらく、痩せていながら、若い頃ならば、女性相手の、肉体的な喧嘩は、とても強かったと思いますw 私の母は、中学生・高校生の頃、典型的なスケバン(不良)の道には、走らなかったようですが、もし、私の母が、中学生・高校生の頃、典型的なスケバン(不良)の道に走っていたのならば、もしかしたら、スケバン(女性の不良)の番長になっていたかもしれませんw

その後、私の母は、父に、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)と、きっぱりと別れると言う事を、約束させ、父の、母と、デパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)の二股交際していた事に関して、父の事を、一切、責めなかったそうです。私は、この修羅場の話を母から聞いた時、母に、何故、父の、母と、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)の二股交際していた事に関して、父の事を、一切、責めなかったのか聞いたのですが、母は、父の事が、好き過ぎて、父が、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)ではなく、自分の方に残ってくれた(自分の事を選んでくれた)事に、ほっとして(安心して)、逆に爽やかくらいの気持ちになってw、父の過去の事(父の二股交際)について、父を責めるのは、面倒臭くなってしまったと言った感じの事を言っていました。その辺、母の、さっぱりとした(まあ、何も考えていないとも言えますがw)、性格が表れていると思います。ちなみに、この件における、一番の、被害者であり、一番、傷ついたのは、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)の女性であり、今思うと、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)の女性に、私の両親の事ながら、大変、申し訳ないと思いますし、そのデパガ(デパートの宝飾品売り場の店員)の女性が、父から身を引いてくれなければ、私が生まれなかった可能性もあり、感謝もしています。

まあ、そのような母の性格から、父は、母の事を、前よりも、より一層好きになったのかどうかは分かりませんがw、かくして、その後、父は、(おそらく)、母に一途となり、父と母は、結婚しました。


私は、実は、かつて、私の母が、夫(私の父)がいるのにも関わらず、他の男性とデートしていた事に、その当時、気付いていました。しかも、デートの相手の男性は、特定の一人の男性と言う訳ではなかった様です(ちなみに、私の母は面食いであるので(ハンサムな男性が好きであるので)、おそらく、デートの相手の男性は、顔を基準に選んでいたと思いますw)。私の母は、かつて夫(私の父)がいるのにも関わらず、夫(私の父)以外の複数の男性とデートすると言う行為をしていましたが、(その事は、私は、当時、気付いていましたが)、過去に一度、私に、誰にも(特に、お父さんには)絶対に言わないで(絶対に秘密)と言う事で、(当時)、その事(夫(私の父)以外の男性とのデートしている事)を話している等(ちなみに、母の、夫(私の父)以外の男性とのデートは、おそらく、気分転換・暇つぶし・軽い遊び(娯楽)程度の物で、そうしたデート相手の男性達と肉体関係はなかったと思います)、相手が、女の子ではなく男の子であると言うのもあるのか、私の母は、自分の事を、割と、何でも、ベラベラと私に話してしまう方でした。

私の母は、(私の父以外の)複数の男性との「デート」をすると言う行為は、少なくとも40代いっぱいまで、続けていた事は確信出来ますし、50代のいつ頃まで続けていたのか分かりませんが、50代においても続けていた可能性は高いです(少なくとも50代の初め頃までは続けていたと思います。さすがに60代以降はないと思いますが。。。)。私の家族・親戚の中で私に最も身近な女性の小悪魔テクの使い手は、実は(特に若い頃・比較的若い頃の)私の母であると思いますが、私の母は40代から50代頃までその様な行動を行っていた事を考えると、私の母の小悪魔テク使いは、若い頃・比較的若い頃以降もしばらく続いていたとも考えられますw  今、思い返してみたら、私の母の夫(私の父)以外の男性とデートをする行為は、おそらく気分転換・暇つぶし・軽い遊び(娯楽)程度の物であったと共に、(家庭を壊さない範囲内で)、結婚して子供が出来た後も、自分の女子力と言うか女性としての魅力が、どこまで通用し続けるかと言う事を、試すと言うか確認する意味も持つ行為であったのかもしれません。

ちなみに、私の母は、若い頃から男性に奢られ慣れており、男性が自分と食事する際には、男性が食事代を全て支払うのが当たり前と考えている女性である事から、母が、夫(私の父)以外の男性とデートする際には、おそらく、デートの費用は、全て、相手の男性が支払っていたと思います(母が、支払っていたのは、おそらく、基本的に、デート相手の男性との待ち合わせ場所に行く際の、地下鉄・通勤電車の交通費くらいであったと思います。ちなみに、我が家、及び、我が家の近所の実家からは、東京都心部の、どの主要な繁華街に出るにも、概ね200円(約2,000won)前後以内の、地下鉄・通勤電車の交通費で行く事が出来ます)。

ちなみに、私の母は、昔から(若い頃から)、自分の脚線美に自信があるらしく(今は、さすがに、母は、もう、おばあさんなので、それはない(自分の脚線美に自信があるという事はない)と思いますが。。。ちなみに、母は、身長は、163cm位と、私の母の世代の女性にしては、割と高く、また、痩せの大食い体質で(ちなみに、私は母の痩せの大食い体質を受け継いでいますw)、年を取っても相変わらず痩せています)、私の母は、今はさすがにそれはしませんが、60代の初め頃までは、(もちろん、カジュアルな服装として)、ショートパンツに、生足で、お出掛けする事もありましたw

私の母は、かつて夫(父)に内緒で複数の男性とデートしていて、その事を私は知っていましたが、私は、私の母が夫(私の父)がいるのにも関わらず、他の男性とデートしていると言う事に関して、その当時、不思議とそれ程不安を感じたり、大きく戸惑ったりはしませんでした。それは、おそらく、母が父以外の男性とデートをしていても、一線は越えていない(一線を越える事はない)と思っていましたし、何よりも母が夫(私の父)の事が大好きで(ちなみに父と母は、母が父に一目惚れしての、母から父へのバリバリのアプローチによる恋愛結婚ですw)、(私の両親は)、お互いにとても仲が良いと言う事が子供(私)によく伝わっていたからであると思います。



私の父と母は、昔から、とても仲が良いです。

私の母方の祖父は、見合いで、私の母方の祖母と結婚したのですが、私の母方の祖父は、結婚したからには、ずっと(一生)、妻の事を大切にし、守らなければならないと言った、昔ながらの(保守的な)、紳士の美学・ポリシー(方針)と言った物を持った男性でした。ちなみに、私の父も、同様の、紳士の美学・ポリシー(方針)を持った男性ですが、性格が穏やかで、温和な紳士であると言う点においても、私の母方の祖父に共通していて、元々、面食いの私の母が、私の父に、一目惚れして、私の母から、私の父に、バリバリにアプローチして、私の母と私の父は、交際する事になったのですが(バリバリの恋愛結婚w)、私の母が、私の父に、自分の父(私の母方の祖父)の性格と共通する面を見出したのも、私の母が、私の父と結婚するまでに至った、大きな理由の一つなのかもしれません。


私の両親は、子供(私と私の2歳年下の弟)が親離れしてからは(それぞれの楽しみを見つけて週末や休日を基本的に別々に楽しむようになってからは)、週末や休日にしょっちゅう夫婦二人で遊びに出掛けるようになり、それが父・母とも既に高齢者である現在まで続いています。

我が家の近所の私の実家の両親は、二人共、高齢者になった、今でも、夫婦、とても仲が良く、頻繁に、二人で遊びに出掛けています。私の父は、会社員ですが、現在、半分、定年退職状態で、私の両親は、年齢的には高齢者の中で若い年齢ではありますが、夫婦で、よく二人共通の趣味のゴルフに行きますし(両親は、未だに、夫婦で、スキーにも行きます)、夫婦で、海外を含めた、長期旅行も、よくしており、私の父は、仕事と遊びを、とても、元気に楽しみ続けています。私は、両親の(まあ、私の母は、私の父と結婚してから、ずっと主婦ですが。。。)、元気と、パワーが(力が)、羨ましい位ですw


ちなみに、私の父は、結婚してから、一度も浮気をした事がないか、又は、浮気をしていたとしても、少なくとも、子供(私と私の弟)には、一度も、気付かれていませんw  まあ、主婦である母と違って、父は会社員なので、子供と接している時間が、母と比べて、圧倒的に短く、たとえ浮気をしていたとしても、子供には、気付かれにくかったと言うのもあるかもしれませんw


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何だか微妙な設定が気になるCMですw 我が家の近所の実家の、私の父(会社員)は、既に、半分定年退職状態になって久しいですが、バリバリ働いていた時に、綺麗な秘書さんがついていましたが、帰るのが遅い日が多かったけど、こんな事してなかったよな?  w  ちなみに、どうでも良い事ですが、私の父も私も、(意識して出来るような物でもないのかもしれませんが)、話し声は、低音で、ゆっくりと話す方なんですが、そうした話し方は、女性に好かれるようですw(自分で言うのも何なんですがw ちなみに、私の今の彼女も、私の声と話し方も好きだと言ってくれてますw)。ちなみに、母も父も、それぞれ、同性の友人・友人達がいて、両親は二人きりで、昔から、よく遊びに出掛けている一方で、それぞれの、同性の友人・友人達とも、遊びに出掛けているのですが(父に関しては、基本的に、同性の友人・友人達とも、遊びに出掛けるようになったのは、半分定年退職状態となってから)、父は、既に、半分定年退職状態になってから、久しいのですが、父は、母と共に親戚同士でグループで遊びに出掛けたり、同性の友人・友人達と遊びに出掛ける際に、秘書さんがついてバリバリに働いていた頃のクセで、つい、遊びに出掛ける始めに、遊びに出掛ける相手の人達に、「今日の、予定は?」と口癖のように言ってしまい、からかわれている様ですw(父は、母と二人きりで、遊びに出掛ける際は、結婚前に母と交際していた時から変わらずに、母の事を紳士的にリードしている様ですが)。

以下、参考の投稿。
声が低い男性の特徴→
/jp/board/exc_board_8/view/id/2789956?&sfl=membername&stx=jlemon


私の父(会社員)は、既に、半分定年退職状態になって久しいですが、バリバリ働いていた時に、会社の接待で、銀座(ginza)のクラブ(ここで言うクラブとは、いつも、私が投稿・レスで使用しているクラブとは違う意味で、キャバクラ(kyabakura)と同様と考えて下さい。私は、そうした世界は詳しくないので、おそらく)を利用していて、今でも、銀座のクラブのママ等と、メールの、やり取りくらいは、続いているようです。

父は、半分定年退職状態になってから、一度、銀座のクラブのママとゴルフに行った事があるようです。その際に、母は、どの様に父をゴルフに送り出したのか分からないですが、私が推測するに、父は、とことん母の事を大切にして来たと言う実績があるが故に、母は、おそらく、(内心、心地よく送り出したかどうか分かりませんが)、表面的には、明るい笑顔で、行ってらっしゃいと言って送り出したと思います。

ちなみに、私の父(会社員)は、(既に、半分定年退職状態になって久しいですが)、バリバリ働いていた時には、父専用の、会社の運転手付きの自動車が用意されていたのですが、私の母、実家暮らしの学生の頃の私と弟は、空港から家まで等、父専用の、会社の、運転手付きの自動車を私用で使わせて貰っていて、母も、私も、弟も、運転手さんと親しくなっていましたが、今の日本の社会では、そう言う事は減って来ているのかもしれませんね。

以下、参考の投稿。
学校でモテる男子の行動5選/もしもこんな仕事帰りの接待があるとしたら→
/jp/board/exc_board_8/view/id/2753826/page/6?&sfl=membername&stx=jlemon
自動車関連エピソード集→
/jp/board/exc_board_50/view/id/2781572?&sfl=membername&stx=jlemon


以下、「」内。前に行った、以下の投稿から抜粋して来た物です。
未だにナンパされる私の母w →
/jp/board/exc_board_8/view/id/2683067/page/13?&sfl=membername&stx=jlemon

「以下、比較的、最近(今年(2018年)に入ってから)、私の母と私の彼女が、二人で、銀座(ginza)(東京最大級の繁華街の一つであると共に、東京を代表する繁華街。東京都心部の中でも、中心的な地域に位置する)で昼食を食べて、日比谷(hibiya)で映画を見て、銀座(ginza)で、お茶した時の話で、彼女から聞いた話です。

銀座(ginza)で横断歩道で、信号待ちしている間、彼女が、別に意識していた訳ではなく、私の母から、少し離れて立っていた時の事です。母に、長身で、お洒落なスーツに身を固めた、年配の、イケメンな男性が、すっと母に近づき、母に話しかけて来たそうです。私の母は、昔から、基本的に、好奇心が旺盛な社交的な女性であるのですが、母が、その男性と、談笑していた所、彼女が、私の母に近づいたら、その男性は、母が一人ではなく、連れ(私の彼女)がいる事が分かったからか、母との会話を終わりにし、すっと母から離れて行ったそうです。彼女は、母に、その男性と、何の話をしていたのかと聞いたら、母は、その男性から、これから、何処何処のレストランに行くのですと話かけられ、その(その男性が行くという)レストランについての話をその男性としていたそうです。彼女の推測によれば、あれはナンパだったのではないかと言う事ですw」


私の母に関しては、以下の3つの投稿も参照して下さい。

意識高い系女子(アメリカVS日本)→
/jp/board/exc_board_8/view/id/2788137?&sfl=membername&stx=jlemon
やっぱり肉が好き→
/jp/board/exc_board_8/view/id/2766519/page/3?&sfl=membername&stx=jlemon
母自慢(母バカ)w(男の生きる意味)→
/jp/board/exc_board_8/view/id/2786626?&sfl=membername&stx=jlemon



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