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孤盲猫を撫でる4 入母屋のお話 4 格式のこととか、入母屋のこととか

孤盲猫を撫でる4 入母屋のお話 4 格式のこととか、入母屋のこととか

 今回のことは「日本人であれば」もしくは「日本文化を多少なりとも理解しているならば」、どんな思考方法をとっても行き着く先は同じなんです。で、あっさり先を越されてしまったのでした。

 3のおまけでは

日本の建築は屋根でも基礎でもその表面形状から格式(と目されているもの)の有無を語ることは無理

と書きましたが、感覚的なものはどうかという所まで拡げた時は「母屋」と「ヒサシの間」で構成される建築が高級上等、もしくは権威ある建築であるという認識を持つ集団がいた可能性は否定しません。いわゆる都市住民達です。中世なら天子やお公家さん、江戸なら大名さん(下級武士は長屋住まいですので)、あとはいつでも坊主ども、と言う高位の権力者は寝殿・書院・数寄屋といった上述の屋敷に住み、工民・商家も下位の者は長屋なりせいぜい両下石葺(蛎殻葺)か茅葺。商家も大商いをする者(つまり金持ちですな)は土蔵造り入母屋瓦葺きでうだつをあげる、ちょいとお洒落に海鼠壁なんていうのがあります。高位(公家)や支配者(武家)、金持ち(大商人)やインテリ(僧侶)の住まう家と自身(町人下位層)の住まう家の違いを意識して、こうした屋根は偉い人用のもの、と言う誤認をした可能性です。

 これはおそらく下級公家や下級武士にも言えることで(下級武士は都市部では長屋住まいで切り妻、下手をすると門壁を長屋にして住んでいた)、こうした意識が近代以降「入母屋を格式高い」と考える意識へと変質したのではないかと思います。商人の入母屋も「お武家さんの真似」であるかもしれません。
 また、百姓家については中世以降ずっと「母屋」+「ヒサシの間」が存在していたことは現物で確認出来ます。少なくとも中世からこっち、入母屋形式の屋根は格式が高いまたは格式の高い建築には入母屋を使う、という認識も法令も日本にはなく、単に自然環境の問題や古例、公家武家趣味といったものによって入母屋は営まれ、近代を迎えたのです。


百姓屋の例 14Cからこのスタイルを維持している、恐るべき民家


商家の例 18C

 近代になるとこうした日本の伝統建築そのものが因循姑息と目され、とにかく何でもかんでも西欧風に、最新の技術を投入したものが偉い、という認識がしばらく続き、昭和になると融合的な建築へと思想が転換します。
 このあたりの建築に対する認識は東京国立博物館の建築物をなぞると非常によくわかります。


M14 コンドル設計 西洋建築(旧本館)煉瓦造 (震災時の被災状況)

以下二つは有名なので写真割愛。
M41 片山東熊設計 古代ギリシャ風(現表慶館)花崗岩主体
S12 渡辺仁設計  帝冠様式(現本館) コンクリ

戦後(東洋館・法隆寺宝物館・平成館)は割愛。表慶館の方が古式なのは諸事情のため。最初は設計も外人に任せ煉瓦で、次に設計は日本だけど、建材まで西欧風。昭和になって最新のコンクリで、瓦屋根(切妻)。本館が入母屋でない理由は「切り妻でも十分風雨に耐えられるからより伝統的・古式になる屋根」として採用されたのではないでしょうか。帝冠には寄棟(宝形含む)も入母屋もありますが、この辺のデザインはそれこそお好みでしたので。

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 調べていて非常に気になっていたことは

 「日本人は入母屋という認識を持っていなかったのではないか」

 というところです。1のおまけで少なくとも近代以前に「入母屋」という語句がないことはお話ししました。同様に「切妻」「寄棟」という表現もありませんでした。近代に入り明治時代の言海で初めて「切妻」という言葉が出てきます。
 近世までは切妻は両下(まや)、寄棟は四阿(あづまや)、という表現で認識されていましたが、入母屋はないのです。しかしながら、よく調べてみると寝殿造りは既に「母屋」「ヒサシの間」という表現があり、入母屋形式があったこともわかっています。

 形式はあるけど、言葉はない。

 つまり近代以前の一般的日本人は「入母屋」という形式はあったけどそれを言葉にするほど区別した物として意識していなかった可能性があります。アジアで見れば宋の「曹殿」、清の「歇山」といった表現があるので、日本にそうした呼称がないとは思えないのですが(最悪漢語のまま使用)、見あたらないのです。

 認識外の物に格式などありようもないのです。

 入母屋、と言う語彙そのものはおそらく伊東忠夫あたりの提唱ではないかと睨んでいます。1942以降の著述ですが、彼ははっきりと「入母屋」という表現を使い、これが高位であるという意識を持っているようです。また、書籍では1919に「実用日本家屋構造」石川勝志(大日本工業会) のP75第6節破風及び入母屋造と言うのがあり、おそらくこの頃に入母屋という言葉が使われ始めたと考えられます。丁度このとき伊藤は帝大教授だったので、年代は合致しています。切妻のみは明治にありますが、どの表現も実に技術用語的な表現であり、近代に確立した物です。辰野や岡倉、和辻や柳の著作まで見ればもう少し詳しくこの頃のことが見えてくると思いますが、それはちょっとめんどくさいのでやめます。でも多分こいつらの提唱だと思う。

 
今回の結論

1 入母屋を高位の物とする認識は日本人には希薄だったと思う。但し、高位お金持ちがそういう屋根を掛けていたので、都市部住民はそれが「偉い人用」と認識していた可能性がある
2 近代以前都市の入母屋と百姓家の入母屋を同一の物と認識していた可能性は低い
3 こうした漠然としていた物を統合して入母屋は「高位である」と提唱したのは伊東あたりではないか。
4 その結果現在あちこちのHPや書籍に於いて「入母屋は高位の建築に供される物」という誤認ができあがったと考える。



付随的なこと。信長秀吉家康の建築、というのはちょっとわかりづらいのですが、代表的な物を。


信長 安土に建ってる塔


秀吉 聚楽第の移築


家康 家康勧進の日蓮宗のお寺。 屋根に葵の御紋付

こうしてみると秀吉が一番無茶苦茶だったようにも見えますが、秀吉は信長の政策をトレースしているだけなので、多分信長もこんな感じだったんではないかと思います。そういう点で家康は保守的ですな。孫はそういうのを色々見て、俺かっこいいが爆発してますが。



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