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孤盲猫を撫でる4 入母屋のお話 3 推定復元

孤盲猫を撫でる4 入母屋のお話 3

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 臼っていいますのはね、一定の低速でがっちり回すといいんだそうですよ。高速で回すと粉が熱で駄目になって風味が損なわれるんだそうです。一定速でないと粉の大小がでてしまうんだそうです。 
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 どうにかこうにか飛鳥浄御原までたどり着きました。内部の構築については影響があったかもしれませんが、外形に大きな変化がなかったであろう、と言うのが王宮の状況です。ただし、建築に渡来人が噛んでいたことは証明出来ます。

 どんな尺で建てたかというのはそのままどこの技術を使ったか、と言う傍証になります。なので礎石しか残って無くても、規模が違っても「同じ尺度」でそれが並んでいればそれは同じ技術でつくられたとしていいのです。日本で言うと、ヤードを採用した2×4か鯨尺か、と言ったことですね。

 これはわりと詳細な研究があります。(単位は1尺=ncm)

秦の始皇帝 23.1
三国時代  24.1
唐の小尺  24
唐の大尺  29-31
大宝律令大尺35.6(高麗尺由来:百済系)
大宝律令小尺29.6(唐尺由来:平安以降固定)

百済の都扶余では高麗尺が、新羅では7Cには唐尺が使われます。

 6Cの日本では高麗尺で宮殿を建設しています。7C初めは高麗尺が建築の中心を担いますが、唐尺(新羅由来もしくは唐由来)も難波宮・山田寺に使用されています。設計レベルで複数の技術者集団がいたことが判明しているんですね。また、唐尺は官大寺・宮殿中枢での使用から始まったこともわかっています。余談ですが、瓦でもこうした複数の技術者集団が全く異なった場面で作業(なんでもこなす派VS重要建築だけ集中派)していたこともわかっています。
 7Cの唐尺は30.4と29.4の二つがあり、高麗尺も実長の偏差が激しい、唐・高麗尺が併用されている例もあり、まだ混乱していたことも検証されています。工務店ごとに違うメジャーを持っていて、下手をすると複数の工務店が共同で作業をした、と思ってください。木下研究によれば唐尺は政治的な導入、高麗尺はどっちかというとそれ以前に個別に導入されていた、と言うことです。

 これが天智天武期(661-686)には29.5程度の唐大尺(常用尺)と35.4程度の高麗尺(度地尺)の二つに統一されます。土地の計測とそれ以外の計測の二つの尺が、先ずは統一を果たすわけです。

 ここは非常に難しいのですが、こんな感じではないでしょうか。

1 飛鳥宮の段階では既に高麗尺の技術者集団が活躍していた。
2 公的には唐尺が推進され次第に唐尺中心に変化していく。

 慎重であるべきはこれらの尺を使う集団が一概に高麗(高句麗)・唐(中国)ではなく、百済系VS新羅もしくは唐、であると言うことです。天武持統朝は親新羅政策をとっていますし、9Cに入っても新羅からの渡来人を関東に入植させてますので、この部分について「なんでも中国風であった」とするのは難しいです。
まぁ、中央ではないんですけどね。貞観12(870)あたりだと武藏や陸奥に送ってます。

 浄御原宮以後、日本の王宮は以下の通りの変遷をします。(なお難波宮は7C後半から長く副都として機能します)

藤原京 694-710 日本最初の本格的都城 唐風(但し伝聞でつくっちゃう)
平城京 710-784 いわゆる天平時代を花咲かす都
恭仁・紫香楽・難波京 740-745 聖武天皇の思いつき遷都
長岡京 784-794 桓武天皇の第一都城
平安京 794-1868 明治維新まで原則的に天皇御座所
諸里内裏 984- 平安京被災時などの仮内裏。その時の天皇により各所
福原京 1180  平清盛が強制遷都した安徳天皇御座所
土御門東洞院殿(後の京都御所) 1331- 里内裏の固定
緒行宮 1336-1373 南朝天皇の御座所
東京  1868-  現在の首都

 この長い時間の中で上物が残っているのは慶長年間以降、現在の仁和寺金堂であり、創建当初は檜皮葺であったといいます。ようは里内裏である土御門東洞院内裏の、しかも戦国も終わる時期の物です。

 これ以前は文献資料によるしかありません。日本にはものすごい量の情報が内裏に関して残っています。ただ、これも平安を遡ることはほとんど無い上、実は屋根に関しては記述が非常に乏しいのです。内裏で何をしたであるとか、内裏の調度がどうだったかとか、誰が参加した、というのはものすごいんですが、失火で焼けようが地震で倒壊しようが台風で被災しようが、「なんの建物が燃えた」「御物の内何々が残せた」といった記述はありますが、どんな屋根か、ということはほとんどありません。せいぜい屋根が飛んだとか、屋根が潰れたという物です。当時の人にとっては屋根の形状ではなく被災規模の方が重要ですから、当然といえば当然ですが。
 特に朝堂に類する情報は、朝堂そのものが平安中期以降機能低下し院政期には意味を失い、安元大火(1177)で焼失以降再建されなかった事から情報は多くありません。

 逆に屋根形状を変えた(葺きを変えることも含め)場合はそのことに言及されると思います。たとえば数少ない記述として江戸時代、承応2(1653)の火災の後主要殿舎を「銅瓦葺」にした、と言う物があります。万治4(1661)に燃えちゃうんですが。

 絵巻物もこれがまた厳しいところで、屋根はほとんど描かれてません。(伝統的に屋根がない状態で内部まで描く都合)庇部分や角部分が描かれていれば御の字なのです。一般住宅は掘立平屋のためかなり分かるのですが、公家の邸宅は高床のため上がわからないのです。ただ、稀に屋根が描かれることもあるので、概ね入母屋であろうとことは判断出来ます。

 日本の建築史が仏教寺院の建築に偏る傾向を持つのは仏教寺院のみ「残っている」からです。これも多くが後世破損・焼失していますが、その都度古例に則り修繕・再建されるのが通例であり、それが文献や部材にきっちり書かれているため創建当時の物を再現出来る事が多いのです。ただ、特にこうした修繕・再建も江戸期に多く、その時の最高の技術・建築思想で行われるため原型が変更された例はいくつもあります。たとえば唐招提寺金堂。これは江戸の修理の時に屋根の高さがかなり高くなっていることがわかっています。東大寺は明治に鉄骨を入れて補強しています。最近の例だと浅草寺宝蔵門にチタン瓦が使われています。


 話をものすごくはしょって申し訳ないのですが小結として

1) 御所を始め日本の公家建築(武家建築・一般建築もそうですが)のほとんどは江戸より遡った現存建造物がほとんど無く、現物から状況を確認出来ない
2) 寺院建築は例外的に多く遺っている。但し江戸以降に大規模な改造が行われたものが多い
3) 公家・武家・一般住宅は洛中洛外絵巻や信貴山縁起、伴大納言絵巻といった絵巻物に屋根まで描かれているので、そこそこどんな屋根であったかがはっきりしている。但しこれも平安を遡れない。
4) 都城の門は上述の絵巻などで、重層構造であったことまで判明しているが、屋根は不明。
5) 内裏上部の構造はほぼ不明。朝堂の情報は非常に乏しい。


 と申し上げておきます。

 さて、しかしながらあちこちの都は発掘結果を基にこうした朝堂や大極殿といった構造物を模型復元しています。もちろん全て推定復元です。これはわりと仕方のないことだと思います。ちょっと博物館を訪問した方々に報告書や膨大な論文を読んでイメージしなさい、というのは無理とか無茶というレベルではありません。そして研究結果を「視覚的に」見てもらうのが一番理解が早い、ということも博物館学の基本です。もっといい方法に体験というのがあり、最近飛鳥宮ではMR(複合現実感)技術で、現地にCG再現する試みが行われています。

 かくして研究者の皆さんは首を捻りつつ、もしかしたら全然間違っているかもしれないという恐怖と闘いつつも、模型をつくっています。もちろんエイやで全く駄目駄目な再現をしているところもあり、たまに話題になります。

 最近最もがっかりした例はこれ。


 某城跡に建っている歴史資料館

 城ではありません資料館です、と強弁して完全に観光スポットを作っちゃった例。よろしくないのは中でちゃんと研究成果も復元しているところ。

 
 これはもうどうしようもない駄目な例です。ですが、この一個だけでこうした復元模型に対する信頼度というのは非常に低くなるので、本当に勘弁してもらいたいのです。このあたりは韓国を笑えないんです。韓国のこうした復元建造や復元模型・復元図が宇宙の斜め上を行っていることは事実ですが。


 さて、復元時には大体以下のプロセスが発生します。

1 発掘によって、礎石や掘立柱跡から規模の確認。合わせて周辺の回廊前庭などの状況の確認。
2 同じく遺物によって瓦の有無、瓦形状、分散状態などからできる限り上屋を判断。
3 漆喰・ベンガラ・木部・塼などの検出の有無から基壇・壁材や柱の塗装を検討。
4 文献・絵巻などにより内部構造や外見をできる限り検討。
5 同時代の建造物や後世伝承されたがあれば参考にする。
6 同時代の建造物の発掘・復元考証論文を参考にする。
7 研究者を複数交えて検討。
8 復元図の制作
9 復元模型制作

 たとえば川原寺(7C前半?)は当時の寺の復元としては珍しく重層寄棟で金堂を復元していますが、これはその地に遺っている弘福寺が寄棟であり、古例に従って建造されているのではないか、という推測から遡った結果だと思われます。

 内裏の場合5が出来ないので、同時代の寺院建築を参考にせざるを得ません。また、平安末の年中行事絵巻や、その後の絵巻物の公家住居も援用されます。
 平安京内裏については次の文献も一つの参考にされます。

『口遊』 雲太、和二、京三【謂大屋誦】。今案、雲太謂出雲国城築明神神殿【在出雲郡】。和二謂大和国東大寺大仏殿【在添上郡】。京三謂大極殿、八省

口遊は平安時代の文献ですので、当時 雲太(出雲大社が一番) 和二(東大寺が二番) 京三(平安京大極殿が三番)の順に(大きくて)高かった、ということになります。

 平安京大極殿の復元はこれを元にし、平城京の場合も平安京に準じた規模であるとして復元しています。こうした古代建築復元の第一人者の方はこの復元について「そもそも復元に反対。復元の可能性も平屋入母屋(ご本人は当初平屋寄棟裳階から検討を開始し、最終的にここに至ったと語っておられます)であったろう」と主張されています。しかし、おそらくはとてもごにょごにょな理由で、重層入母屋であろうという結論から一歩も動かなかったようです。
 
 それでも特殊な例を除き日本の朝堂や内裏は「入母屋」で復元されています。周辺の官舎が切妻の場合はありますが、大極殿どころか正殿だろうが清涼殿だろうが、ほぼ全ての建築が入母屋なのです。これは、平安以降の絵や江戸以降の公家町が入母屋以外無かったことに起因するのでしょう。平面プラン自体は屋根を支えるだけなのか、そこに居室部分があるのか何とも言えません。ただ、プランによって切妻・入母屋を分けてみています。

 いくつか例示してみましょう。


飛鳥京 単層掘立柱板葺?入母屋


藤原京 重層基壇瓦葺入母屋


難波京 重層基壇瓦葺入母屋 大極殿以外は単層掘立柱板葺?入母屋


平城京 重層基壇瓦葺入母屋


長岡京 単層基壇瓦葺寄棟 正殿は単層掘立柱檜皮葺入母屋風


平安京 単層基壇瓦葺入母屋


平安京別バージョン 重層基壇瓦葺入母屋

平安京に二案あるのは門などと同じく荘厳であったはず派(重層)と、平安神宮や京都御所などから考えて荘厳さは別に考えただろう派(単層)がいるからですね。ちなみに第一人者さんはおそらくこうした建造物はずっと単層であった、というお考えなのでしょう。

 何れにせよ、宮殿を含めた公家建築の中心が寄棟や切妻であった時期はなかったと考えて良いと思います(寺院建築ではない。また居宅にも例外はある)。まず高位の屋敷は平安時代にはおしなべて檜皮葺であったのです。ちなみに檜皮の最古の例は7Cまで遡れるそうです。


今回の結論

 1 日本では6C-7Cあたりは高麗尺(百済系)による建築が行われる
 2 7Cになると唐(新羅・唐系)尺が公的機関を中心に展開し始め、律令体制下ではこれが公尺になる
 3 日本の宮殿建築で最も古くから残る仁和寺金堂(江戸初)は入母屋(当初檜皮葺)
 4 屋根形状についてはこれ以前は文献巻物である程度確認出来るが、それも平安まで
 5 よって、飛鳥-平安の里内裏までは全て『推定復元』である
 6 平城京大極殿(第一次)の再現は色々ごにょごにょがあり、信頼性は低い
 7 しかしながら周礼の影響等、中国の影響を除いて日本の宮殿は持続的に入母屋であったと考えられる




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