教えてあげた」「伝えてあげた」
まず、日本との関係が最初に登場するのは、高句麗、新羅、百済のいわゆる三国時代の章においてであるが、そこに記述されているのは、なんとも恩着せがましい記述である。中学教科書はこう記述する。
百済は、「近肖古王のとき、阿直岐と王仁は日本へわたり、漢文・論語・千字文を伝えてあげ、武寧王の時に段陽爾と高安茂などが、漢学と儒教を教えてあげ、日本に政治思想を忠孝思想を普及させてあげた。つづいて、聖王の時には仏教を教えてあげ、そのほか天文・地理・暦法などの科学技術を伝えてあげた。」
高句麗も「たくさんの文化を日本に伝えてあげた」という。例えば「高句麗の僧侶慧慈は聖徳太子の師であり、曇徴は紙、墨、硯をつくる技術を教えてあげ、法隆寺の金堂壁画も彼の作品として知られている」。さらに、「新羅は船をつくる技術、ならびに堤防と城郭を築く技術を、伽耶は土器をつくる技術を日本に伝えてあげた」と記述している。
ここでいう「教えてあげた」「伝えてあげた」という韓国語の言い方は決して翻訳のニュアンスではない。これは「親が子供に、先生が生徒にといった目上の人が目下の人に使う表現」であり、実は「文化的優越感を堅持する」ため使われているのだという(小学校教科書の訳者「あとがき」)。同様の記述は高校教科書や小学校教科書にもある。その意味で、韓国では小中高一貫して古代日本文化はみんな朝鮮から伝えられたものだ、と言わんばかりの記述をまず教えられていることになるわけである。
むろん、ここで書かれていることがすべて実証された歴史的事実というわけではなく、例えば曇徴が法隆寺金堂壁画を書いたというのは明らかに事実誤認である。
◆朝鮮は文化的「優越者」
こうした「優越感」の誇示は、単に古代の文物伝搬という話に止まらない。中世・近世でも同様である。十五世紀頃に盛んだった富山浦など三港を通じての対日貿易は「日本の封建領主たちは……交易を懇請してきた。朝鮮は……朝貢貿易を許し……(李朝)朝鮮初期の交易によって、朝鮮の先進的な文物は、日本……に多くの影響を与えた」と書いている。
また、徳川幕府と李朝朝鮮との間で「朝鮮通信使」による交流があったことは知られているが、その通信使についても「……日本は朝鮮を文化の先進国と考え、使節を派遣するよう要請してきた。これに対し、朝鮮では通信使を派遣したが、……日本は通信使の一行をとおして先進学問と技術を学ぼうと懸命であった」(中学)、「徳川幕府は、先進文物を受け入れるために、……交渉を許可するよう懇請した」(高校)と書かれている。つまり、中世や近世でも、朝鮮は「先進学問と技術」をもつ先進国として描かれ、日本はその先進文物を「懇請」し、朝鮮はそれを「許可」する立場の国だったというわけである。要するに、ここに共通するのは朝鮮を「文化的優越者」と位置づけ、日本は「劣等」であるとの姿勢である。
しかし、ここでいう朝鮮の「先進学問」とは要は漢文・漢詩であり、通信使の書画をもとめた、いわばミーハー的な日本人がいたという話に過ぎない。念のために事実を記せば、中世の交易は朝鮮の綿布と日本の銅(のちには銀)との交易であり、室町前期から朝鮮側は日本の水車や和紙(彼らは倭紙と書く)の製造技術の導入をはかろうとしているが、結局は成功しなかった(下條正男氏)。「先進学問と技術を学ぼうと懸命であった」のは、むしろ朝鮮側だったというのもまた事実なのである。さらに江戸期に入ると、通信使の通訳が、江戸市街をみて「かつて見た北京にも劣らないと驚嘆した」と記していることもあげておきたい。
◆「日本征伐」
こうした優越感の誇示は外交・軍事でも貫かれていて、中世の「元寇」の記述にも表れている。
「元は日本を征伐するために軍艦の建造、兵糧の供給、兵士の動員を高麗に強要した。こうして二次にわたる高麗・元連合軍の日本遠征が断行されたが、すべて失敗した」
ここでは「征伐」という言葉が歴史用語ではなく、教科書の説明記述として使われている。むろん、「征伐」とは悪い者を懲らしめるという意味を含む。しかも、高麗は「日本征伐」に無理矢理加担させられたかのような書き方になっているが、事実はまったく違う。高麗軍は元軍に加わった(とりわけ文永の役では元寇の主体は高麗水軍だった)だけでなく、二度とも元の世祖に日本への遠征を要請したのは高麗自身(忠烈王)であることは明白な事実である。
元への侵略要請は書かず、未だに「征伐」というのは、日本蔑視史観といっても過言ではない。
十五世紀の朝鮮が日本を「島夷(引用者注・日本のこと)は……人類に歯うるに足らず」(成宗実録)と認識し、また江戸期でも通信使は日本を「倭」と呼んでいた。しかし、この教科書では当時の認識がそうであると書いているのではなく、現代の執筆者がそう書いている。だとすれば、これは単に優越感の誇示としてより日本蔑視と言っても過言ではなかろう
◆隠蔽されるシナへの「服属」
日本に対して自国の「優越」を誇示するこの教科書は、では中国との関係をどう記述しているのだろうか。というのも古代から十九世紀末まで、どの朝鮮王朝もシナの王朝から冊封をうけ(シナの皇帝によって朝鮮王に認知されること)、臣従していた。つまりシナに服属していたことは誰もが知るところだからである。
実際、年号もシナのものを一貫して使っていた。さらには、新たな国王の即位、立后、立太子がある毎にシナの承認をもとめ、外交関係も問題が起こればシナの意見を求めていた。むろん、朝貢は欠かすことなく行われ、シナからの使節を迎える際は、朝鮮王は使節をソウル城外に出て迎えなければならなかった。
ところが、中高の教科書では、驚くべきことにその点はまったく隠されてしまっている。例えば明と李朝との関係について「明との親善関係を維持して王権を固め、国の政治を安定させようとした」と記述されている。他のケースでも「冊封」という歴史用語は見あたらない。
では、明への朝貢はどう書かれているのか。「朝鮮は朝貢を通して明の名分を立ててやり、使臣の往来を通して経済的・文化的実利を得た」と書かれていて、一応「朝貢」という用語は使われているが、明の顔をたてるために貢ぎ物をしただけで、要は朝鮮は実利を得たのだというのである。高校教科書では朝貢という用語自体がなく、「朝鮮からは明に対して一年に数次の定期的な使節を派遣し、その他にも随時、使節を派遣した」と、単なる外交使節のような記述になっている。
では、事実はどうなのか。「朝貢」は決して儀礼にとどまらず、「金百両、銀千両、白米一万包、絹二千匹」をはじめとする大量の貢ぎ物の献納を義務づけられていた。これに対して明からの見返りもあったが、逆に何かと理由を付けて停止されたりもしたという。「朝貢国としての李朝は、毎年、莫大な出費を必要とした」(呉善花『「日帝」だけでは歴史は語れない』)。つまり、朝貢は「明の名分を立てて」やったり、単なる使節を送ったということではないのである。
その意味では、朝貢に関する教科書記述は事実の歪曲と言わざるを得ないが、これに関連して明らかに虚偽だという記述もある。教科書は「朝鮮」という国号についてこう書いている。
「新王朝は、国号を朝鮮と定めた。『朝鮮』は、すなわち古朝鮮の伝統を受けつぐという意味で、檀君に民族の独自性を求めるという意味が含まれている」
確かに「朝鮮」という言葉にそうした民族意識の側面がないわけではないのだが、ここには決定的な嘘がある。
『朝鮮王朝実録』(朴永圭著)によれば、「李成桂は、中枢院使・趙琳を明に派遣して、新政権の樹立をしらせる一方、国号を改定するという意思を伝えた。これに対して、明の太祖・朱元璋は新政権の樹立を承認し、国号改定に対して迅速に報告するように要請した。李成桂は元老たちと百官を集めて、国号を論議するようにし、その結果、『朝鮮』と『和寧』という二つの名称が決まった。(中略)このように『朝鮮』と『和寧』という二つの国号が決まると、李成桂は一三九二年十一月、芸文館学士・韓尚質を再び明に派遣し、朝鮮と和寧の二つのなかから一つを国号として採択することを請うた。(中略)翌九三年二月彼は『朝鮮』という国号を決めてもらい、戻ってきた」
つまり、「朝鮮」という国号を決めたのは宗主国である明なのであって、「新王朝は、国号を朝鮮と定めた」というのは、明らかに嘘ということになる。シナの王朝を宗主国とする体制を「華夷秩序」というが、韓国の教科書は事実をねじ曲げてでもその華夷秩序に組み込まれていたことを隠していると言わざるをえない。
この教科書には「自主」「主体性」という形容詞が登場する。むろん、「自主」も「主体性」も国家民族にとって重要であるが、だからといって歴史的事実を隠蔽して、中国との対等を装ったり、日本をおとしめたりするのは、夜郎自大といわざるを得ないのではあるまいか。
◆記述されない日本の貢献
近代に入ると、文化的「劣等」であるはずの日本が、明治維新を経て朝鮮の近代化に深くかかわるようになる。しかし、日本の貢献を評価する記述は何もない。むろん、近代化を「教えてもらった」とは書かない。
教科書は中高ともに、金玉均など開化党によって起こされた甲申政変(明治十七年)、さらに日清戦争開戦にともなう甲午改革(明治二十七年)などが近代化に向けた重要な改革だったと評価している。とはいえ、甲申政変も甲午改革も、日本の支援なしにはあり得なかったことも事実である。その点は教科書も認めてはいるが、それは「強要」だと言ってのける。「甲午……改革は概して日本帝国主義の勢力によって強要された面もあったが、封建的な伝統秩序を打破する近代的改革だったことは間違いない」(高校)と。
また、これらの改革は、王室経済の問題などの内政改革とともに清からの独立が大きなテーマだった。清からの自立ということは教科書も一応は触れているのだが、最終的に清との服属関係が終わったのは日清戦争によってであるという事実は教科書では触れられない。というのも日清戦争の講和条約である下関条約の記述そのものが教科書にないからである。ちなみに、下関条約第一条は、「清国は朝鮮国の完全無欠なる独立自主の国たることを確認す。よって右独立自主を損害すべき朝鮮国より清国に対する貢献典礼等は将来全く之を廃止すべし」と規定している。
日本は善意だけで朝鮮の独立を推進したとは言わないが、千数百年にわたる朝鮮とシナ王朝との服属関係を終わらせたことは、朝鮮の歴史にとって非常に重要な画期だと思うのだが、教科書は中高ともにまったくの無視をきめ込む。
また、近代化の端緒を開いたのも、福沢諭吉など日本人の支援によるものが多いのだが、その点も触れられない。例えば、福沢が支援し日本人が創刊した新聞『漢城旬報』は「わが国最初の新聞」として記述されるが、どういうわけか、日本人の手によることはもちろん、この新聞の最大の功績である漢文ハングル混淆文を最初に使いその普及をめざしたという事実は無視し、その功績は後続の皇城新聞など日本批判の新聞の功績として描かれている。
清からの最終的な独立達成にしても漢文ハングル混淆文を使った最初の新聞発行にしても、それらに教科書が触れないのは、それ以前は文化的「劣等」者として記述し、その後は「日帝」と非難することになる日本によってなされたからだと見るのは穿ちすぎだろうか。
◆まず「日帝支配」ありき
さて、日本との関係の教科書記述は、日露戦争を経て保護条約が結ばれ、一九一〇年(明治四十三年)の韓国併合を経て日本統治の時代になると、これでもかというくらい、日本の統治(教科書では「日帝支配」)に対する徹底した非難の記述で埋め尽くされる。
例えば、教科書では「土地の略奪」「産業の侵奪」「食糧の収奪」などがあげられている。
「日帝の支配で、わが民族はとくに経済的な収奪によってひどい苦痛を受けるようになった。この中でもっとも大きな被害を被ったのが土地の侵奪だった。
日帝は国権を奪った直後から、いわゆる土地調査事業という名をつけて農民の土地を申告させた。これは土地所有関係を近代的に整理するという口実で進められた。しかし、申告の手続きが複雑でややこしく、日帝に協力しないという反日感情があって、多くの農民たちは申告しなかった。
その結果、申告されなかった土地は持ち主のいない土地として見なされ、総督府の所有となった」
ここで批判のやり玉にあげられている土地調査は、近代的な所有関係を決定する上で必須条件であり、それを八年がかりで日本は自らの資金で実施した。李朝末期は、教科書自らが書いているように田制混乱の極にあり、そこに近代的土地所有制度が持ち込まれたのだから、混乱がなかったとは言わない。しかし、この土地調査によって国有地となったのは全農地のわずか四%であり、その大半が以前から問題となっていた公共用地の耕作権を失ったケースだった。
また、「とくに、日帝は彼らの食糧不足を解決するために、韓国から米を略奪することに力を注いだ。このため韓国の農民は彼らが生産した多くの米を日本に奪われ、飢えを免れられなかった」という記述もある。「略奪」というと、日本が米を強盗でもしたかのようである。しかし、これは朝鮮の農家が朝鮮より売り渡し価格の高い日本に米を売って現金収入を得たという経済行為に過ぎない。日本が食糧不足というのも事実は逆で、日本は朝鮮の米を必要としていなかった。むしろ米価の暴落防止のために内地の農家は、朝鮮からの移入制限を要望していたのが事実である。
また、「林業分野でもぼう大な山林が朝鮮総督府と日本人の所有となってしまい、鉱業部門でも韓国人の鉱山経営はきびしくおさえられ、日本人がほとんど独占する状態となった。日帝は金、銀、鉛、タングステン、石炭など産業に必要な地下資源を略奪した」とも書かれている。
林業について言えば、李朝時代の山林はすべて「無主公山」で、いわば国有だった、という前提となる事実が隠蔽されている。従って、私有されていた山林を朝鮮総督府が奪ったわけではない。むしろ、総督府はそうした山林を「管理」し、「造林事業をする朝鮮人に総督府は資金を貸し付け、造林成功とともにそれを譲与していった。禿山を立派な林にしてから『私有』にしてあげた」(中川八洋氏)のが事実である。
この他、昭和期に入ると、こうした経済的「略奪」に加えて、「人的」「文化的」略奪が加わったと教科書はいう。
「日帝はこうした物的な略奪ばかりか、韓国人を強制徴用によって鉱山や工場で苦痛に満ちた労働を強要したり、強制徴兵制と学徒志願兵制度を実施した。これにより多くの韓国の青壮年が各地の戦線で犠牲となった。このとき、女性までも挺身隊という名目で引き立てられ、日本軍の慰安婦として犠牲になったりした」
「彼らは……韓国人を日本人にして韓民族をなくしてしまおうとした。そこで韓国語の使用を禁じ、日本語を使用するよう強要し、学校で韓国の歴史についての教育を禁止した。日帝は韓国人の姓名を変え、日本式の姓と名を使うように強要した」
逐一事実をあげて詳細に反論をするスペースはないが、まず、いわゆる慰安婦で強制連行されたケースはないし、挺身隊とは戦時の勤労奉仕のことであり、そこに動員された女性が慰安婦にされたなどということは、制度としてもあり得ないし、また証言としても一件もない。
また、朝鮮総督府が朝鮮語の使用を禁じたこともない。終戦まで「韓国語」の新聞が二紙発行されていたし、そもそもわずか人口の三%にすぎない日本人が圧倒的多数の朝鮮人に「韓国語の使用を禁じ」るなど荒唐無稽という他ない。むろん、「韓国人の姓名を変え」たこともない。創姓改名は強制ではないし、朝鮮にはなかった姓(名字)を新たに設けたのが事実である。
こうして見ると、韓国の歴史教科書は何かの根拠をもって日本批判を記述しているのではないことがよくわかる。まず最初に「日帝支配=悪」という大前提となる歴史認識があり、それに基づいてすべてが描かれているとさえいえる。
むろん、鉄道・道路・ダムや田畑の土地改良などのインフラ、さらには学校の設立など、日本が朝鮮に残した事業は数多い。逐一紹介しないが、そうしたものもすべて否定の対象でしかない。教科書はこう述べる。
「日帝の植民地支配は韓国の自主的近代化と発展に莫大な支障をきたした。あらゆる政策が日帝の植民地統治のための手段として計画され執行され、設備の設備投資もやはり同じ目的で行われたために、わが民族には何の役にも立たなかった」
日本では、朝鮮統治には良いところもあったが反省すべき点もあったなどと言う向きもあるが、韓国教科書はそんなことはない。一〇〇%の否定だということを知るべきである。
こうして朝鮮統治を一〇〇%否定する一方で、「独立反日運動」は徹底して紹介される。教科書は、朝鮮民族は「挙族的な抗日民族運動を展開」し、「教育、宗教、文化、産業など各界で日帝と直接、間接に」戦い、上海に大韓民国臨時政府をつくり、「抗日独立運動は本格化」し、満州などの「抗日武装部隊は本格的独立戦争をくり広げた」と書く。
そして、「このような抗日独立運動は一九四五年まで展開され、その結果、日帝から光復を勝ち取ることができた」というのである。
独立抗日運動を韓国の教科書がどう評価しようと勝手ではある。しかし、その結果として「光復」がもたらされたと記述するのは、明らかに歴史的事実に反する。朝鮮統治が終了したのは、日本の対米戦争での敗北によるものであって、決して独立運動によってではない。だからこそ、対日講和に参加することもできなかったというのが歴史の冷厳な事実である。
いずれにしても、事実は横において、まず徹底して、近代までは日本を「劣等」国として描き、近代の日本統治はすべて「悪」という前提で歴史を語るのは到底「正しい歴史認識」とは言えない。ましてや、そういう教科書を国定して恥じない韓国が、日本の教科書に「正しい歴史認識」を要求する資格がないのは明らかであろう。(『明日への選択』編集長 岡田邦宏)
가르쳐 주었다」 「전해 주었다」
우선, 일본과의 관계가 최초로 등장하는 것은, 고구려, 신라, 쿠타라의 이른바 삼국시대의 장에 대해이지만, 거기에 기술되고 있는 것은, 정말 생색내는 것같은 기술이다.중학 교과서는 이렇게 기술한다.
(쿠다라)백제는, 「근초고왕 때, 아직기와 왕인은 일본에 건너, 한문·논어·천자문을 전해 주어 무령왕때에 단양이와 타카야스 시게루등이, 한학과 유교를 가르쳐 주어 일본에 정치사상을 충효 사상을 보급시켜 주었다.계속되고, 성왕때에는 불교를 가르쳐 주어 그 외 천문·지리·역법등의 과학기술을 전해 주었다.」
고구려도 「많은 문화를 일본에게 전해 주었다」라고 한다.예를 들면 「고구려의 승려 혜자는 쇼오토쿠 타이시의 스승이며, 무대막은 지, 먹, 벼루를 만드는 기술을 가르쳐 주어 호류사의 금당 벽화도 그의 작품으로서 알려져 있다」.게다가 「신라는 배를 만드는 기술, 및 제방과 성곽을 쌓는 기술을, 가야는 토기를 만드는 기술을 일본에게 전해 주었다」라고 기술하고 있다.
물론, 여기서 쓰여져 있는 것이 모두 실증된 역사적 사실이라고 하는 것은 아니고, 예를 들면 무대막이 호류사 금당 벽화를 썼다는 것은 분명하게 사실 오인이다.
◆조선은 문화적 「우월자」
◆「일본 정벌」
이러한 우월감의 과시는 외교·군사에서도 관철해지고 있고, 중세의 「원구」의 기술에도 나타나고 있다.
「원래는 일본을 정벌 하기 위해서 군함의 건조, 자금의 공급, 병사의 동원을 고려에 강요했다.이렇게 해 2차에 걸치는 코마·겐 연합군의 일본 원정이 단행되었지만, 모두 실패했다」
원래로의 침략 요청은 쓰지 않고, 아직도 「정벌」이라고 하는 것은, 일본 멸시 사관이라고 해도 과언은 아니다.
15 세기의 조선이 일본을 「도이(인용자주·일본)는 인류에게 이빨 파는에 충분하지 않고」(성소우지츠록)이라고 인식해, 또 에도기라도 통신사는 일본을 「야마토」라고 부르고 있었다.그러나, 이 교과서에서는 당시의 인식이 그렇다라고 쓰고 있는 것이 아니라, 현대의 집필자가 그렇게 쓰고 있다.(이)라고 하면, 이것은 단지 우월감의 과시로서 보다 일본 멸시라고 해도 과언은 아닐 것이다
◆은폐 되는 세멘시나에의 「복속」
실제, 연호도 세멘시나의 것을 일관해서 사용하고 있었다.또, 새로운 국왕의 즉위, 입후, 입태자가 있다 마다 세멘시나의 승인을 구해 외교 관계도 문제가 일어나면 세멘시나의 의견을 요구하고 있었다.물론, 조공은 빠뜨리는 일 없이 행해져 세멘시나로부터의 사절을 맞이할 때는, 조선왕은 사절을 서울 성밖에 나와 맞이하지 않으면 안 되었다.
그런데 , 중고의 교과서에서는, 놀랄 만한 일로 그 점은 완전히 숨겨져 버려 있다.예를 들면 명과 이조와의 관계에 대해 「명과의 친선 관계를 유지하고 왕권을 굳혀 나라의 정치를 안정 시키려고 했다」라고 기술되고 있다.다른 케이스에서도 「책봉」이라고 하는 역사 용어는 눈에 띄지 않는다.
그럼, 사실은 어떤가.「조공」은 결코 의례에 머무르지 않고, 「금백량, 은천냥, 백미1만포, 비단2천 마리」를 시작으로 하는 대량의 공물의 헌납이 의무 지워지고 있었다.이것에 대해서 명으로부터의 담보도 있었지만, 반대로 무엇인가 이유를 붙여 정지되기도 했다고 한다.「조공국으로서의 이조는, 매년, 막대한 지출을 필요로 했다」(오선화 「 「일제」만으로는 역사는 말할 수 없다」).즉, 조공은 「명의 명분을 세워」주거나 단순한 사절을 보냈다고 하는 것은 아니기 때문에 있다.
「 신왕조는, 국호를 조선이라고 정했다.「조선」은, 즉 고조선의 전통을 받아 따른다고 하는 의미로, 단군에 민족의 독자성을 요구한다고 하는 의미가 포함되어 있다」
확실히 「조선」이라고 하는 말에 그러한 민족 의식의 측면이 없는 것은 아니지만, 여기에는 결정적인 거짓말이 있다.
즉, 「조선」이라고 하는 국호를 결정한 것은 종주국인 명인 것에서 만나며, 「 신왕조는, 국호를 조선이라고 정했다」라고 하는 것은, 분명하게 거짓말이라는 것이 된다.세멘시나의 왕조를 종주국으로 하는 체제를 「화이질서」라고 하지만, 한국의 교과서는 사실을 나사 굽혀서라도 그 화이질서에 짜넣어지고 있던 것을 숨기고 있다고 하지 않을 수 없다.
◆기술되지 않는 일본의 공헌
근대에 들어가면, 문화적 「열등」이어야할 일본이, 메이지 유신을 거쳐 조선의 근대화에 깊게 관계되게 된다.그러나, 일본의 공헌을 평가하는 기술은 아무것도 없다.물론, 근대화를 「배웠다」라고는 쓰지 않는다.
일본은 선의만으로 조선의 독립을 추진했다고는 말하지 않지만, 천 수백년에 걸치는 조선과 세멘시나 왕조와의 복속 관계를 끝낸 것은, 조선의 역사에 있어서 매우 중요한 획기라고 생각하지만, 교과서는 중고 모두 완전한 무시를 결정한다.
청으로부터의 최종적인 독립 달성으로 해도 한문 한글혼효문을 사용한 최초의 신문 발행으로 해도, 그것들에 교과서가 접하지 않는 것은, 그 이전은 문화적 「열등」자로서 기술해, 그 다음은 「일제」라고 비난 하게 되는 일본에 의해서 되었기 때문이라고 보는 것은 너무 뚫을 것일까.
◆우선 「일제 지배」있어 나무
예를 들면, 교과서에서는 「토지의 약탈」 「산업의 침탈」 「식량의 수탈」등이 들어지고 있다.
「일제의 지배로, 우리 민족은 특히 경제적인 수탈에 의해서 심한 고통을 받게 되었다.이 안에서 가장 큰 피해를 입은 것이 토지의 침탈이었다.
일제는 국권을 빼앗은 직후부터, 이른바 토지 조사 사업이라고 하는 이름을 적어 농민의 토지를 신고시켰다.이것은 토지 소유 관계를 근대적으로 정리한다고 할 구실로 진행되었다.그러나, 신고의 수속이 복잡하고 까다롭고, 일제에 협력하지 않는다고 하는 반일 감정이 있고, 많은 농민들은 신고하지 않았다.
그 결과, 신고되지 않았던 토지는 소유자의 없는 토지로서 보여져 총독부의 소유가 되었다」
또, 「특히, 일제는 그들의 식량부족을 해결하기 위해서, 한국으로부터 미를 약탈하는 것에 힘을 쏟았다.이 때문에 한국의 농민은 그들이 생산한 많은 미를 일본에 빼앗기고 굶주림을 면할 수 없었다」라고 하는 기술도 있다.「약탈」이라고 하면, 일본이 미를 강도라도 했는지의 같다.그러나, 이것은 조선의 농가가 조선보다 매도해 가격의 비싼 일본에 쌀을 팔고 현금 수입을 얻었다고 하는 경제 행위에 지나지 않는다.일본이 식량부족이라고 하는 것도 사실은 역으로, 일본은 조선의 미를 필요로 하지 않았었다.오히려 쌀값의 폭락 방지를 위해서 내지의 농가는, 조선으로부터의 이입 제한을 요망하고 있던 것이 사실이다.
임업에 대해 말하면, 이조 시대의 산림은 모두 「무주공산」에서, 말하자면 국유였다, 라고 하는 전제되는 사실이 은폐 되고 있다.따라서, 사유 되고 있던 산림을 조선 총독부가 빼앗은 것은 아니다.오히려, 총독부는 그러한 산림을 「관리」해, 「조림 사업을 하는 한국인에 총독부는 자금을 대출해 조림 성공과 함께 그것을 양도하며 갔다.하게야마를 훌륭한 숲으로 하고 나서 「사유」로 해 주었다」(나카가와 하치요씨)의가 사실이다.
이 외, 쇼와기에 들어가면, 이러한 경제적 「약탈」에 가세하고, 「인적」 「문화적」약탈이 더해졌다고 교과서는 말한다.
「그들은 한국인을 일본인으로 하고 한민족을 없애 버리려고 했다.거기서 한국어의 사용을 금지해 일본어를 사용하도록 강요해, 학교에서 한국의 역사에 대한 교육을 금지했다.일제는 한국인의 성명을 바꾸어 일본식의 성과 이름을 사용하도록(듯이) 강요했다」
일일이 상세하게 사실을 주어 상세하게 반론을 하는 스페이스는 없지만, 우선, 이른바 위안부로 강제 연행된 케이스는 없고, 정신대와는 전시의 근로 봉사여, 거기에 동원된 여성이 위안부로 되었다는 등이라고 하는 것은, 제도라고 해도 있을 수 없고, 또 증언이라고 해도 한 건도 없다.
이렇게 해 보면, 한국의 역사 교과서는 무엇인가의 근거를 가지고 일본 비판을 기술하고 있는 것은 아닌 것이 잘 안다.우선 최초로 「일제 지배=악」이라고 하는 대전제가 되는 역사 인식이 있어, 거기에 기초를 두어 모든 것이 그려져 있으면 조차 말할 수 있다.
물론, 철도·도로·댐이나 전답의 토지 개량등의 인프라, 또 학교의 설립 등, 일본이 조선에 남긴 사업은 많다.일일이 상세하게 소개하지 않지만, 그러한 것도 모두 부정의 대상에 지나지 않는다.교과서는 이렇게 말한다.
일본에서는, 조선 통치에는 좋은 곳도 있었지만 반성해야 할 점도 있었다는 등이라고 하는 방향도 있지만, 한국 교과서는 그렇지 않다.100%의 부정이라고 하는 것을 알아야 하는 것이다.
이렇게 해 조선 통치를 100%부정하는 한편으로, 「독립 반일 운동」은 철저히 해서 소개된다.교과서는, 조선 민족은 「거족적인 항일 민족 운동을 전개」해, 「교육, 종교, 문화, 산업 등 각계에서 일제와 직접, 간접에」싸워, 샹하이에 대한민국 임시 정부를 만들어, 「항일 독립 운동은 본격화」해, 만주등의 「항일 무장 부대는 본격적 독립전쟁을 밤 넓혔다」라고 쓴다.
그리고, 「이러한 항일 독립 운동은 1945년까지 전개되어 그 결과, 일제로부터 광복을 차지할 수 있었다」라고 하는 것이다.
어쨌든, 사실은 옆에 있고, 우선 철저히 하고, 근대까지는 일본을 「열등」국으로서 그려, 근대의 일본 통치는 모두 「악」이라고 하는 전제로 역사를 말하는 것은 도저히 「올바른 역사 인식」이란 말할 수 없다.하물며, 그러한 교과서를 국정 해 부끄러워하지 않는 한국이, 일본의 교과서에 「올바른 역사 인식」을 요구하는 자격이 없는 것은 분명하겠지.( 「내일에의 선택」편집장 오카다 쿠니히로시)