https://archive.org/details/koreaherneighbor00bird/page/436/mode/2up?view=theater
まだまだ藁ぶきが残っていますね
クイズです
この通りの藁ぶきを撤去してあげたのは誰でしょう?
第1章は、開化派の都市観を対象とした。まず、イサベラ・バード・ビショブやハルバートなど19世紀末に韓国を訪れた外国人の印象記から、この時期にソウルで行われた都市改造事業の様子を確認し、その都市改造事業の理論的源流として金玉均の「治道略論」及び「治道規則」を取り上げた。「治道略論」及び「治道規則」の内容は、道路の糞を片づけることが国家の経営まで繋がっているものであり、治道には、公用便所、巡検、人力車、仮家、戸口、燃料などの問題が含まれていた。続いて「治道略論」及び「治道規則」がもたらした影響としては、朴泳孝の道路整備作業、大韓帝国時代での治道局の設置と首道改造事業、『独立新聞』で見られている公衆湯・公衆便所の設置主張、人力車の補給のきっかけなどの4つのことが考えられるが、朴泳孝の道路整備作業が一番、直接な連結関係をもっていた。それで、1883年の漢城府判事としての活動、1888年の「朝鮮国内政改革に関する朴泳孝建白書」、1895年の「内務衙門訓示」、1922年の談話を中心として、朴泳孝の都市観・建築観を考察した。朴泳孝のそれは、1880年代初の「治道略論」及び「治道略則」から影響を受け、1920年代まで持続されていたといえるし、その間、朴泳孝は、権力のポストに出る機会があれば、その都市観を積極的に実践しようとしていたと見られる。開化派の都市観が、実学派、特に北学派のそれとどのような関連を持っているかについては人脈的な連結と内容的な連結という観点から考察した。それで、北学派と開化派の連結が朴珪寿によって行われたことと、北学派の理論書の糞、道路、橋梁、車、仮家などの項目から、北学派の都市観が開化派の都市観と類似性を持っていることを確認した。そこで、19世紀末のソウルで行われた一連の都市改造事業の様子と、開化派の都市観と、そして実学派の都市観とは、連結関係にあることが明らかになった。
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아직도 짚나무가 남아 있군요
퀴즈입니다
이 대로의 짚나무를 철거 해 준 것은 누구지요?
제1장은, 개화파의 도시관을 대상으로 했다.우선, 이사베라·버드·비쇼브나 헐 바트 등 19 세기말에 한국을 방문한 외국인의 인상기로부터, 이 시기에 서울에서 행해진 도시 개조 사업의 님 아이를 확인해, 그 도시 개조 사업의 이론적 원류로서김옥균의 「치도략론」및 「치도 규칙」을 채택했다.「치도략론」및 「치도 규칙」의 내용은,