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慰安婦は性奴隷ではないと理詰めで語る米論文の中身

『反日種族主義』の共同執筆者がラムザイヤー論文を徹底解説

2021.2.17(水)

李 宇衍

韓国・北朝鮮 政治 時事・社会

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64113




韓国・ソウルの日本大使館前に設置された慰安婦像。慰安婦は性奴隷ではないという主張が増えている(写真:YONHAP NEWS/アフロ)



(李宇衍:『反日種族主義』共同執筆者)


※「性奴隷説を否定した米論文にぐうの音も出ない韓国」から読む

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64066




 どの社会においても売春婦の性労働は大変であり、自己に対する社会的評価を大きく傷つけるものである。だからこそ、彼女たちは高い収入を得る。アジア太平洋戦争以前に日本の遊廓で働いていた売春婦も、戦時中の日本軍慰安婦も同じであった。


 このような事情は、遊廓や慰安所の業者と結んだ契約にも表れている。ラムザイヤー教授の論文を見れば一目瞭然である。事業主と売春婦または慰安婦の契約を年季奉公として把握し、その契約の構造を説明している。


 論文によると契約書の中身は、(1)就職前に売春婦ㆍ軍慰安婦に渡される前借金、(2)女性たちが労働する年数を規定した契約期間(年季)、(3)売上高を業者と売春婦・慰安婦たちが分割する割合である。これについては前出の拙稿「性奴隷説を否定した米論文にぐうの音も出ない韓国」を参考にしてほしい。




 もっとも、このような特徴はラムザイヤー教授が初めて述べたわけではなく、研究者の間でよく知られている。この論文のポイントは、戦前の売春婦よりも戦時下の軍慰安婦に対する待遇の方が良かったことである。働く所が戦場だったからだ。


 海外に随行した軍慰安婦の場合、日本内地や朝鮮とは違って、前方であれ後方であれ、常に生命の危険が付きまとう。また事業主が契約違反をした場合、対処できる選択肢があまりない。東京や京城(現在のソウル市)にいれば、知人や警察、法廷に頼ることができる。それが無理なら大衆の中に逃げることもできるが、海外の戦場となるとそうもいかない。


 高リスクに対する補償は高い収入であった。これは1939年9月より行われた労務動員(徴用を含む)を連想させる。1920~30年代、日本で働く朝鮮.人の賃金は、日本人の半分を少し上回る程度だった。


 しかし戦時動員以降、作業能力による違いはあったものの、民族差別など非経済的な理由での賃金差別はほとんどなくなった。人手不足により日本政府や企業が差別をなくしたからである。皮肉なことに、戦争が始まったことで朝鮮.人労働者への処遇が改善された。





売春婦の前借金は女工の日給の何倍だったか?


 ラムザイヤー教授によると、1920年代半ば、日本の遊廓にいた売春婦の前借金は1000~1200円という高額だった。女工の日給が1円50銭以下の時代である。そのうえ女工と違い、売春婦は住み込みだ。


 経済発展の水準が低く、エンゲル係数が高い状況における食事と住居の提供は、売春婦と他の職種間の賃金格差をさらに拡大させる。このような点を考慮すると、売春婦の前借金は女工の日給の千倍を上回ったことになる。


 戦時下でも前借金の額に大きな変化はなかったという。その代わり契約期間(年季)が短くなった。遊廓で働く売春婦の場合、日本では6年、朝鮮では3年が普通だったが、慰安所は2年だった。またビルマの日本軍慰安所のように6カ月から1年間の契約を結ぶケースもあった。


 軍慰安婦は売春婦と同様、契約期間が終了すれば前借金を全額返済したかどうかに関係なく、慰安所から出ることができる。したがって、契約期間が短縮されたことで慰安婦の帰郷は容易になったのだ。


 一般の人々は慰安婦というと、終戦になってようやく帰還できたと考えるが、これは「強制連行説」と「性奴隷説」の影響である。慰安所の開設は少なくとも1937年には本格化し、1945年までの8年間存続したため、終戦前に帰ってきた軍慰安婦は多かったはずだ。慰安所で終戦を迎えた人の方がむしろ少ないだろう。


 売上高を事業主と分割する割合も軍慰安婦側に有利になり、7:3から6:4になった。4:6という割合を採用したケースもある。その結果、数カ月で前借金を返済して帰ってきた軍慰安婦も多かった。これは元東京大学教授の秦郁彦も述べている(「慰安婦と戦場の性」)。日本軍慰安婦が相手をする軍人の数は売春婦が取った一般客よりもはるかに多く、所得が大幅に増加したことをここに追加したい。


 1925年当時、東京の遊廓で売春婦が相手をした客の数は1日平均2.5人にすぎなかった。一方、戦場では常に慰安婦が不足していた。日本軍は性病予防のための徹底した衛生管理などを慰安所に義務付け、一般人の出入りを禁止し、兵士たちには慰安所以外の店の利用を禁止した。


 ちなみに、終戦後に帰国した慰安婦が取り分を軍から回収できなかったという主張があるが、終戦前に帰還した慰安婦がはるかに多かったことを考えると、むしろ例外的なケースだろう。


 ラムザイヤー教授は「軍慰安婦は売春婦に比べて高リスク、高収入だった」という結論を出した。私もこれに同意する。これに対し韓国のメディアは、メッセンジャー(発話者)であるラムザイヤー教授への人身攻撃に専念してきた。


 米国にいる一部の韓日歴史研究者の見解を伝え、論文に対する批判を表明した。その第一は、ラムザイヤー教授が「朝鮮.人募集業者の責任の方が日本の国家の責任よりも大きいと主張した」というのだ。論文の該当部分は次の通りである。





ベトナム戦争時の「ディズニーランド」の実態

 It was not that the government – either the Korean or the Japanese government – forced women into prostitution. It was not that the Japanese army worked with fraudulent recruiters. It was not even that recruiters focused on the army’s comfort stations. Instead, the problem involved domestic Korean recruiters who has been tricking young women into working at brothels for decades.


「朝鮮や日本の政府が女性たちに売春するよう強要したのではない。日本軍が詐欺業者と示し合わせて動いたわけでもない。募集業者が軍隊の慰安所に焦点を合わせたわけでもない。問題は数十年間、若い女性たちをだまして売春宿で働かせてきた朝鮮.人の募集業者に関連がある」


 直接の責任はもちろん朝鮮.人募集業者にある。就職詐欺や人身売買による慰安婦募集を行えば軍の威信が失墜するため日本軍は警戒していて、総督府はそのような募集業者を取り締まった。しかし、日本政府と軍は慰安所の設置と運営に関与した。これが日本の過ちだろうか。過ちだ。すべての人間が過ちを犯す。このような時は歴史上の比較が有益だ。


 ピューリタニズム(清教主義)の伝統を持つ米国が、「戦場における性」に対して取った二面的な態度は有名だ。1941年に「兵士と売春婦との接触はいかなる場合でも禁止」という原則を規定した。ところが、原則に反して売春宿へ行った兵士たちの間で性病が問題になると、軍医総監はコンドーム15万箱と消毒薬31万箱を空輸や船便で戦線に送った。1942年の秋のことだ。


 第二次世界大戦以降、最大の戦争であるベトナム戦争で、米国はさらに現実主義的な態度を取った。米軍ライケ基地の中には2棟の「レクリエーションセンター」があり、そこには60人のベトナム人女性がいて、それぞれの部屋で寝泊まりしていた。売り上げは事業主と女性が6:4で分け合い、軍医が女性たちを毎週検診し、安全な女性の部屋には札を立てた。


「ディズニーランド」と呼ばれるこの場所は旅団長が監督し、ペンタゴンも黙認していた。どこかでよく見た光景だ。日本軍慰安所である。第二次世界大戦中、ドイツも日本軍慰安所とよく似た慰安所を設置していた。それは1942年当時、なんと500か所に及ぶ。


 論文批判の第二は「朝鮮.人軍慰安婦と慰安所業者の間に契約はなかった」である。「強制連行だったから契約はなかった」という主張に対しては「強制連行」の証拠がないこと、「10代前半の少女に契約のことなど分からない」という主張に対しては「慰安婦は普通20代、平均して20代半ばだった」という事実を指摘するにとどめておく。もっと歴史的な事実に合致する問題に焦点を当てよう。




慰安婦の親は仕事の内容を知っていたか?


 いい仕事を紹介すると言い、朝鮮.人斡旋業者が女性を連れていって売り飛ばすことがあった(就業詐欺)。この時女性は慰安婦として働くという事実を知らないまま、慰安所に連れていかれたのだ。この場合は契約の必要がなく、多額の前借金も支払われなかったであろう。しかし、これには危険が伴う。まず、朝鮮において就職詐欺を含む誘拐は、戦前から警察の取り締まり対象だった。


 次に、女性が現地に着いてからも問題になりうる。慰安所を管理している部隊は、慰安婦になる本人がどんな仕事をするか知っているかを確認した。したがって、誘拐して慰安婦を連れていくケースは、親による事実上の人身売買よりは少なかったはずである。


 後者の場合、募集業者が慰安所経営者の代わりに親に払うお金は、親にとっては娘を売った対価であるが、募集業者や慰安所経営者にとっては前借金になる。李栄薫元ソウル大学教授の『反日種族主義』によると、募集業者と親の間のこのような取り引きは、人身売買という違法と、戸籍制度下における正当な権利行使と職業斡旋という合法との境界線にあった。戦前からすでに人身売買が横行していて、時には社会的問題にもなったが、その容疑で調査を受けた人の大半が無罪に処される状況だった。


 当時の状況を考えると、募集業者と取り引きする親は、娘がどこへ行って何をするかを知っていたと見るべきである前借金を受け取るという明示的な契約ではなかったとしても、両親がそれを知っていたとしたら、これはラムザイヤー教授の言う契約にほかならない。



 米国の批判者たちはこのような事実を知らない。ラムザイヤー教授は「慰安婦として大金を稼いだ人物」として論文の中で紹介している元慰安婦の文玉珠(ムン・オクジュ)氏が「業者よりも自分を売った親の方が憎い」と言ったのも、このような状況から理解することができる。



 業者との間できちんとした契約が行われた代表的なケースは、戦前から朝鮮や外地で売春業を営んできた女性であろう。これは韓国と日本の研究者が疎かにしている内容だが、最も蓋然性が高いといえる。


 1940年頃の朝鮮半島には、総督府が把握している売春婦だけで1万人もいた。また、アジア太平洋戦争の戦場とほぼ重なっていた中国、満州など、朝鮮.人が進出していた地域の朝鮮.人売春婦は8000人に達した。これらは政府機関が把握した数字にすぎない。売春婦を転職させて軍慰安婦にする際に必要なのは、現在の雇用と比較した場合、「高リスク、高収入」であることを知らせることであろう。




斡旋業者が慰安所に連れて行った女性とは

 募集業者の立場では、売春婦であれば誘拐や人身売買に伴う危険がない。売春婦の立場からしたら、慰安婦になるからといって社会的評価がさらに損なわれることもないし、むしろ兵士を慰安するという自負心を持てることも多かった。日本軍の上層部や兵士たちが慰安婦自身について追及する立場にもなかったし、実際に追及することもなかった。以上を考えると、斡旋業者が接近する最初の対象は、朝鮮内外の売春婦であったと考えられる。


 韓国で最も左翼的であり反日的である「ハンギョレ新聞」を設立し、社長を歴任した宋建鎬(ソン・ゴンホ)氏は、慰安婦問題が政治化される前の1984年に出した自著「日帝支配下の韓国現代史」で次のように述べている。氏は1927年生まれであり、植民地時代を経験している。


「日本当局は1937年末の南京攻略後、徐州作戦が開始される頃に、朝鮮内の御用女衒(ぜげん)たちに指示して、貧乏で売春生活をしていた朝鮮.女性たちを多数中国大陸へ連れて行き、「慰安所」「簡易慰安所」「陸軍娯楽所」などの名称を持った日本軍の施設に配置し、日本軍兵士の慰みものにした」


 こんな例もある。朴致根氏(仮名)の愛人の弟(義弟)は、ビルマの首都ラングーンで日本軍の慰安所を経営していた。朴氏は客案内や会計などを担当する帳場で働いていて、その生活を「慰安所管理人の日記」(イスプ出版)として残している。


 この朴致根氏の愛人は、韓国の大邱(テグ)で旅館を営んでいた。当時、旅館業は売春業を兼ねることが多かった。よって、朴氏と義弟が慰安婦を募集するにあたり、農村へ行って女性を誘惑したり非情な親を探して娘を買ったりするよりは、夫人とつきあいのある売春婦にまず交渉するのではなかろうか。


 前回の拙稿で述べたように、元慰安婦たちは最初、「付いていった」とか「人身売買された」などと慰安婦になった経緯を語っていた。もともと売春業に従事していたという証言はない。売春に携わっていた人がそれを明かしたら、韓国では「社会的死(social death)」を招くことになる。日本において自分が軍慰安婦だったことを実名で明らかにする人がいないのも、似たような理由だ。


 やはり軍慰安婦は、自分自身あるいは自分の代わりに両親が、業者と経済的契約を結んだと見るべきだ。ラムザイヤー教授の論文は、そのような点で論議の出発点として申し分ない。


 韓国の学界が慰安婦問題をめぐり、反日民族主義を展開したり論者を人身攻撃したりする旧態を脱し、学問的な討論を始められる絶好のチャンスである。韓国の慰安婦研究者たちには、以上の点について答えてほしいものだ。(翻訳:金光英実)





이·우욘람자이야 논문을 철저 해설





위안부는 성 노예는 아니다고 이치따지기로 말하는 미 논문의 내용

「반일 종족 주의」의 공동 집필자가 램더 이어 논문을 철저 해설

2021.2.17(수)

리우연

한국·북한 정치 시사·사회

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64113




한국·서울의 일본 대사관앞에 설치된 위안부상.위안부는 성 노예는 아니라고 하는 주장이 증가하고 있다(사진:YONHAP NEWS/아후로)



(리우연:「반일 종족 주의」공동 집필자)


※「성 노예설을 부정한 미 논문에 끽소리도 못한 한국」에서 읽는

https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/64066




 어느 사회에 있어도 매춘부의 성 노동은 큰 일이고, 자기에 대한 사회적 평가를 크게 손상시키는 것이다.그러니까, 그녀들은 비싼 수입을 얻는다.아시아 태평양 전쟁 이전에 일본의 유곽으로 일하고 있던 매춘부도, 전시중의 일본군위안부도 같았다.


 이러한 사정은, 유곽이나 위안소의 업자와 묶은 계약에도 나타나고 있다.램더 이어 교수의 논문을 보면 일목 요연하다.사업주와 매춘부 또는 위안부의 계약을 고용살이로서 파악해, 그 계약의 구조를 설명하고 있다.


 논문에 의하면 계약서의 내용은, (1) 취직전에 매춘부?군위안부에게 건네지는 전차금, (2) 여성들이 노동하는 연수를 규정한 계약기간(연한), (3) 매상고를 업자와 매춘부·위안부들이 분할하는 비율이다.이것에 대해서는 전출의 졸고 「성 노예설을 부정한 미 논문에 끽소리도 못한 한국」을 참고로 하면 좋겠다.




 무엇보다, 이러한 특징은 램더 이어 교수가 처음으로 말한 것이 아니고, 연구자의 사이에 잘 알려져 있다.이 논문의 포인트는, 전쟁 전의 매춘부보다 전시하의 군위안부에 대한 대우가 좋았던 것이다.일하는 곳이 전장이었기 때문이다.


 해외에 수행한 군위안부의 경우, 일본 내지나 조선과는 다르고, 전방이든 후방이든, 항상 생명의 위험이 항상 따라다닌다.또 사업주가 계약 위반을 했을 경우, 대처할 수 있는 선택사항이 별로 없다.도쿄나 경성(현재의 서울시)에 있으면, 지인이나 경찰, 법정에 의지할 수 있다.그것이 무리이면 대중중에 도망칠 수도 있지만, 해외의 전장이 되면 그렇게도 가지 않는다.


 고리스크에 대한 보상은 비싼 수입이었다.이것은 1939년 9월부터 행해진 노무 동원(징용을 포함한다)을 연상시킨다.1920~30넨다이, 일본에서 일하는 조선.사람의 임금은, 일본인의 반을 조금 웃도는 정도였다.


 그러나 전시 동원 이후, 작업 능력에 의한 차이는 있었지만, 민족 차별 등 비경제적인 이유로의 임금 차별은 거의 없어졌다.일손부족에 의해 일본 정부나 기업이 차별을 없앴기 때문에이다.짓궂은 일로, 전쟁이 시작된 것으로 조선.사람 노동자에게의 처우가 개선되었다.





매춘부의 전차금은 여공의 일급의 몇배였는지?


 램더 이어 교수에 의하면, 1920년대 중반, 일본의 유곽에 있던 매춘부의 전차금은1000~1200엔이라고 하는 고액이었다.여공의 일급이 1엔 50전 이하의 시대이다.게다가 여공과 달라, 매춘부는 더부살이다.


 경제발전의 수준이 낮고, 엥겔 계수가 높은 상황에 있어서의 식사와 주거의 제공은, 매춘부와 다른 직종간의 임금 격차를 한층 더 확대시킨다.이러한 점을 고려하면, 매춘부의 전차금은 여공의 일급의 천배를 웃돈 것이 된다.


 전시하에서도 전차금의 액수에 큰 변화는 없었다고 한다.그 대신 계약기간(연한)이 짧아졌다.유곽으로 일하는 매춘부의 경우, 일본에서는 6년, 조선에서는 3년이 보통이었지만, 위안소는 2년이었다.또 버마의 일본군위안소와 같이 6개월부터 1년간의 계약을 맺는 케이스도 있었다.


 군위안부는 매춘부와 같이, 계약기간이 종료하면 전차금을 전액 반제했는지에 관계없이, 위안소로부터 나올 수 있다.따라서, 계약기간이 단축된 것으로 위안부의 귀향은 용이하게 되었던 것이다.


 일반의 사람들은 위안부라고 하면, 종전이 되어 간신히 귀환할 수 있었다고 생각하지만, 이것은 「강제 연행설」과「성 노예설」의 영향이다.위안소의 개설은 적어도 1937년에는 본격화해, 1945년까지의 8년간 존속했기 때문에,종전전에 돌아온 군위안부는 많았을 것이다.위안소에서 종전을 맞이한 사람이 오히려 적을 것이다.


 매상고를 사업주와 분할하는 비율도 군위안부 측에 유리하게 되어,7:3로부터6:4가 되었다.4:6그렇다고 하는 비율을 채용한 케이스도 있다.그 결과, 수개월에 전차금을 반제해 돌아온 군위안부도 많았다.이것은 전직 동경 대학교수의 진쿠니히코도 말하고 있다( 「위안부와 전장의 성」).일본군위안부가 상대를 하는 군인의 수는 매춘부가 취한 일반객보다 훨씬 많아, 소득이 큰폭으로 증가한 것을 여기에 추가하고 싶다.


 1925년 당시 , 도쿄의 유곽으로 매춘부가 상대를 한 손님의 수는 1일평균 2.5사람에 지나지 않았다.한편, 전장에서는 항상 위안부가 부족했다.일본군은 성병 예방을 위한 철저한 위생 관리등을 위안소에 의무화 해 일반인의 출입을 금지해, 병사들에게는 위안소 이외의 가게의 이용을 금지했다.


 덧붙여서, 종전 후에 귀국한 위안부가 몫을 군으로부터 회수할 수 없었다고 하는 주장이 있다가, 종전전에 귀환한 위안부가 훨씬 많았던 일을 생각하면, 오히려 예외적인 케이스일 것이다.


 램더 이어 교수는 「군위안부는 매춘부에 비해 고리스크, 고수입이었다」라고 하는 결론을 냈다.나도 이것에 동의 한다.이것에 대해 한국의 미디어는, 메신저(발화자)인 램더 이어 교수에의 인신 공격에 전념해 왔다.


 미국에 있는 일부의 한일 역사 연구자의 견해를 전해 논문에 대한 비판을 표명했다.그 제일은, 램더 이어 교수가 「조선.사람 모집 업자의 책임이 일본의 국가의 책임보다 크다고 주장했다」라고 한다.논문의 해당 부분은 다음과 같다.





베트남 전쟁시의 「디즈니랜드」의 실태

 It was not that the government – either the Korean or the Japanese government – forced women into prostitution. It was not that the Japanese army worked with fraudulent recruiters. It was not even that recruiters focused on the army’s comfort stations. Instead, the problem involved domestic Korean recruiters who has been tricking young women into working at brothels for decades.


「조선이나 일본의 정부가 여성들에게 매춘하도록 강요한 것은 아니다.일본군이 사기 업자와 미리 짜놓아 움직인 것도 아니다.모집 업자가 군대의 위안소에 초점을 맞춘 것도 아니다.문제는 수십 년간, 젊은 여성들을 속이고 매춘숙에서 일하게 해 온 조선.사람의 모집 업자에게 관련이 있다」


 직접적인 책임은 물론 조선.사람 모집 업자에게 있다.취직 사기나 인신매매에 의한 위안부 모집을 실시하면 군의 위신이 실추하기 위해(때문에) 일본군은 경계하고 있고, 총독부는 그러한 모집 업자를 단속했다.그러나, 일본 정부와 군은 위안소의 설치와 운영에 관여했다.이것이 일본의 잘못일까.잘못이다.모든 인간이 잘못을 범한다.이러한 때는 역사상의 비교가 유익하다.


 청교주의(청교 주의)의 전통을 가지는 미국이, 「전장에 있어서의 성」에 대해서 취한 이면적인 태도는 유명하다.1941년에 「병사와 매춘부와의 접촉은 어떠한 경우에서도 금지」라고 하는 원칙을 규정했다.그런데 , 원칙에 반하고 매춘숙에 간 병사들의 사이에 성병이 문제가 되면, 군의관 총감은 콘돔 15만 상자와 소독약 31만 상자를 공수나 배편으로 전선에 보냈다.1942년의 가을의 일이다.


 제이차 세계대전 이후, 최대의 전쟁인 베트남 전쟁으로, 미국은 한층 더 현실주의적인 태도를 취했다.미군 라이케 기지안에는 2동의 「레크리에이션 센터」가 있어, 거기에는 60명의 베트남인 여성이 있고, 각각의 방에서 숙박 하고 있었다.매상은 사업주와 여성이6:4로 서로 나누어 , 군의관이 여성들을 매주 검진 해, 안전한 여성의 방에는 지폐를 세웠다.


「디즈니랜드」라고 불리는 이 장소는 여단장이 감독해, 펜타곤도 묵인하고 있었다.어디선가 잘 본 광경이다.일본군위안소이다.제이차 세계대전중, 독일도 일본군위안소와 잘 닮은 위안소를 설치하고 있었다.그것은 1942년 당시 , 무려 500이나 곳에 이른다.


 논문 비판의 제2는 「조선.인 군위안부와 위안소 업자의 사이에 계약은 없었다」이다.「강제 연행이었기 때문에 계약은 없었다」라고 하는 주장에 대해서는 「강제 연행」의 증거가 없는 것, 「10대 전반의 소녀에게 계약등 모른다」라고 하는 주장에 대해서는 「위안부는 보통 20대, 평균해 20대 반이었다」라고 하는 사실을 지적하는에 그쳐 둔다.더 역사적인 사실에 합치하는 문제에 초점을 맞히자.




위안부의 부모는 일의 내용을 알고 있었어?


 좋은 일을 소개한다고 말해, 조선.사람 알선 업자가 여성을 데려가 팔아 치우는 일이 있었다(취업 사기).이 때 여성은 위안부로서 일한다고 하는 사실을 모르는 채, 위안소에 데려가졌던 것이다.이 경우는 계약의 필요가 없고, 고액의 전차금도 지불되지 않았다일 것이다.그러나, 이것에는 위험이 수반한다.우선, 조선에 있어 취직 사기를 포함한 유괴는, 전쟁 전부터 경찰의 단속 대상이었다.


 다음에, 여성이 현지에 도착하고 나서도 문제가 될 수 있다.위안소를 관리하고 있는 부대는, 위안부가 되는 본인이 어떤 일을 할까 알고 있는지를 확인했다.따라서,유괴하고 위안부를 데려 가는 케이스는, 부모에 의한 사실상의 인신매매보다는 적었을 것이다.


 후자의 경우,모집 업자가 위안소 경영자 대신에 부모에게 지불하는 돈은, 부모에게 있어서는 딸(아가씨)를 판 대가이지만, 모집 업자나 위안소 경영자에게 있어서는 전차금이 된다.이 사카에훈원서울 대학교수의 「반일 종족 주의」에 의하면,모집 업자와 친의 사이의 이러한 거래는,인신매매라고 하는 위법과 호적 제도하에 있어서의 정당한 권리행사와 직업 알선이라고 하는 합법과의 경계선에 있었다.전쟁 전부터 벌써 인신매매가 횡행하고 있고, 가끔 사회적 문제로도 되었지만, 그 용의로 조사를 받은 사람의 대부분이 무죄에 곳 되는 상황이었다.


 당시의 상황을 생각하면,모집 업자와 거래하는부모는, 딸(아가씨)가 어디에 가서 무엇을 할까를 알고 있었다라고 봐야 하는 것이다.전차금을 받는다고 하는 명시적인 계약은 아니었다고 해도, 부모님이 그것을 알고 있었다고 하면, 이것은 램더 이어 교수가 말하는 계약과 다름없다.



 미국의 비판자들은 이러한 사실을 모른다.램더 이어 교수는 「위안부로서 큰 돈을 번 인물」로서 논문 중(안)에서 소개하고 있는 원위안부 문옥주(문·오크쥬) 씨가 「업자보다 자신을 판 부모가 밉다」라고 했던 것도, 이러한 상황으로부터 이해할 수 있다.



 업자와의 사이에 제대로 한 계약을 한 대표적인 케이스는, 전쟁 전부터 조선이나 외지에서 매춘업을 영위해 온 여성일 것이다.이것은 한국과 일본의 연구자가 소홀히 하고 있는 내용이지만, 가장 개연성이 높다고 말할 수 있다.


 1940년경의 한반도에는, 총독부가 파악하고 있는 매춘부만으로 1만명이나 있었다.또, 아시아 태평양 전쟁의 전장과 거의 겹치고 있던 중국, 만주 등, 조선.사람이 진출하고 있던 지역의 조선.사람 매춘부는 8000명에 이르렀다.이것들은 정부 기관이 파악한 숫자에 지나지 않는다.매춘부를 전직시켜 군위안부로 할 때에 필요한 것은, 현재의 고용과 비교했을 경우, 「고리스크, 고수입」인 것을 알리는 것 있을것이다.




알선 업자가 위안소에 데려서 간 여성이란

 모집 업자의 입장에서는, 매춘부이면 유괴나 인신매매에 수반하는 위험이 없다.매춘부의 입장으로부터 하면, 위안부가 된다고 사회적 평가가 한층 더 손상될 것도 없고, 오히려 병사를 위안 한다고 하는 자부심을 가질 수 있는 것도 많았다.일본군의 상층부나 병사들이 위안부 자신에 대해 추궁하는 입장에도 없었고, 실제로 추궁할 것도 없었다.이상을 생각하면, 알선 업자가 접근하는 최초의 대상은, 조선 내외의 매춘부였다고 생각할 수 있다.


 한국에서 가장 좌익적이고 반일적이다 「한겨레」를 설립해, 사장을 역임한 송건호(손·곤호) 씨는, 위안부 문제가 정치화 되기 전의 1984년에 낸 자기 저서 「일제 지배하의 한국 현대사」로 다음과 같이 말하고 있다.씨는 1927 년생이며, 식민지 시대를 경험하고 있다.


「일본 당국은 1937년말의 난징 공략 후, 죠슈 작전이 개시되는 무렵에, 조선내의 용무 뚜장이(조짐) 서에 지시하고, 가난하고 매춘 생활을 하고 있던 조선.여성들을 다수 중국 대륙에 데리고 가, 「위안소」 「간이 위안소」 「육군 오락소」등의 명칭을 가진 일본군의 시설에 배치해, 일본 군병사의 위로의 것으로 했다」


 이런 예도 있다.박치근씨(가명)의 애인의 남동생(의제)은, 버마의 수도 랭군에서 일본군의 위안소를 경영하고 있었다.박씨는 손님 안내나 회계등을 담당하는 카운터에서 일하고 있고, 그 생활을 「위안소 관리인의 일기」(이스프 출판)로서 남기고 있다.


 이 박치근씨의 애인은, 한국의 대구(대구)에서 여관을 영위하고 있었다.당시 , 여관업은 매춘업을 겸하는 것이 많았다.따라서, 박씨와 의제가 위안부를 모집하는 것에 즈음해, 농촌에 가서 여성을 유혹하거나 비정한 부모를 찾고 딸(아가씨)를 사거나 하는 것보다는, 부인과 교제가 있는 매춘부에 우선 교섭하는 것은 아닌가.


 전회의 졸고로 말한 것처럼, 원위안부들은 최초, 「붙어 갔다」라고인가 「인신매매되었다」 등이라고 위안부가 된 경위를 말하고 있었다.원래 매춘업에 종사하고 있었다고 하는 증언은 없다.매춘에 종사하고 있던 사람이 그것을 밝히면, 한국에서는 「사회적사(social death)」를 부르게 된다.일본에 있어 자신이 군위안부였던 일을 실명으로 분명히 하는 사람이 없는 것도, 비슷한 이유다.


 역시 군위안부는, 자기 자신 있다 있어는 자신 대신에 부모님이, 업자와 경제적 계약을 맺었다고 봐야 한다.램더 이어 교수의 논문은, 그러한 점으로 논의의 출발점으로서 더할 나위 없다.


 한국의 학계가 위안부 문제를 둘러싸고, 반일 민족주의를 전개하거나 논자를 인신 공격하거나 하는 구태를 벗어나, 학문적인 토론을 시작할 수 있는 절호의 찬스이다.한국의 위안부 연구자들에게는, 이상의 점에 대해 대답하면 좋은 것이다.(번역:카네미츠영실)






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