前略
いま「ビットコイン」が話題となっている。それは日本名の中本哲史を名乗る匿名の技術者が考案した電子マネーであり、流通を管理する中央銀行をもたないという特徴を持つ。現在、流通量10億ドルにまで成長し、昨年1年間で価格も数十倍に高騰したことで、多くのメディアが取り上げるようになった。
私はビットコインそれ自体には、貨幣論的には何の新しさもないと思っている。実際、デジマネーという電子貨幣が1990年代に大いに話題になり、そしていつのまにか消えている。
ただ、なぜ新しくないかを説明するためには、そもそも「貨幣とはなにか」という問いを考えてみなければならない。貨幣とは「貨幣として受け取られるもの」のことである。この禅の公案みたいな定義が意味するのは、人びとが貨幣を貨幣として受け取るのは、モノとして使うためではなく、それを他の人も貨幣として受け取ってくれると思っているからに過ぎないということである。まさにこのような事故循環論法の産物だからこそ、それ自体なんの価値もない金属片や紙切れが五百円や一万円として流通するのである。
もちろん、ビットコインの場合、記号を貨幣として流通させるので、技術的にいくつかのハードルを乗り越えさせなければならない。一つはニセ金を防ぐことだが、それは暗号技術によって解決可能だ。もう一つは、貨幣が金属や紙というモノの形をしているときには、一つの貨幣は一人の人間しか所有できないが、記号である場合には、記号を相手に渡しても、渡した人も記号は覚えているので、二人が同時に所有してしまうという問題がある。その問題を解決するためには、決済のたびに記号自体を入れ替えねばならない。
この問題も、じつは私自身を含めて、既に解決されていたのだが、ビットコインを考案した中本氏の方法は数学的に実に美しい形で処理されている。その美しさが、コンピュータ科学をやっている人の心を捉えたのだと思う。
ではビットコインは貨幣なのだろうか?私は、そう思っていない。なぜならば、貨幣が貨幣であるためには、それが多くの人に貨幣として受け入れられなければならないが、まだその段階に至っていないからだ。ビットコインを買う人の多くは、数学的に美しいおもちゃとしてか、投機の対象としてか、資金洗浄が目的である。そうであるうちは、ビットコインは貨幣ではない。ただ、現在の目新しさから知名度が上がり、「ビットコインが貨幣である」と思う人が臨界点を超えると、自己循環論法が働き、貨幣になる可能性がないわけではない。
中略
貨幣が貨幣として価値を持つ根拠は、たんに「他の人がそれを貨幣として受け取ってくれる」とい予想だけだ。その予想が揺らぎ、他の人がそれを貨幣として受け取ってくれないのではないかという不安を人びとが抱くと、人びとは貨幣をできるだけ早く手放すようになり、貨幣価値は暴落し、その不安は自己実現してしまう。貨幣が貨幣でなくなってしまうのである。
中略
ただ、ビットコインが一時的に成功し、それが破綻すれば世界経済に甚大な被害を及ぼすほど流通してしまうと、「大きすぎてつぶせない」ということから、各国が寄り集まって、それを管理する世界中央銀行をやむをえず設立するという逆説的な可能性も、夢物語としてはありうる。第二次世界大戦末期に、ケインズは「世界中央銀行」の創設と「バンコール」という基軸通貨を提唱した。その構想はアメリカの反対によってつぶされ、結局はドルを基軸通貨とするプレトンウッズ体制が戦後の世界経済を支配した。確率は1%もないが、万が一そうなったとき、ケインズの夢がやっと実現することになる。
後略
月刊誌「Voice] 2014年3月号
『アメリカがアベノニクスに味方する理由』より
岩井克人(国際基督教大学客員教授)
なるほど・・・
つまり・・・
こういうのとか、
こういうので・・・
買い物するのが不便な理由と
似ている事情があるようです(嗤)。
あひゃひゃひゃ!
전략
지금「비트 코인」가 화제가 되고 있다.그것은 일본명의 나카모토 테츠후미를 자칭하는 익명의 기술자가 고안 한 전자화폐이며, 유통을 관리하는 중앙은행을 갖지 않다고 하는 특징을 가진다.현재, 유통량 10억 달러에까지 성장해, 작년 1년간에 가격도 수십배에 상승한 것으로, 많은 미디어가 채택하게 되었다.
나는 비트 코인 그 자체에는, 화폐론적으로는 무슨 새로움도 없다고 생각한다.실제, 데지마네이라고 하는 전자 화페가 1990년대에 많이 화제가 되어, 그리고 어느새 사라지고 있다.
단지, 왜 새롭지 않을까를 설명하기 위해서는, 원래「화폐란 무엇인가」라고 하는 물음을 생각해 보지 않으면 안 된다.화폐와는「화폐로 해서 수취되는 것」이다.이 선의 공안같은 정의가 의미하는 것은, 사람들이 화폐를 화폐로 해서 받는 것은, 물건으로서 사용하기 위해서가 아니고, 그것을 다른 사람도 화폐로 해서 받아 준다고 생각하는 것에 지나지 않는다고 하는 것이다.확실히 이러한 사고 순환론법의 산물이기 때문에 더욱, 그 자체 아무 가치도 없는 금속편이나 종이조각이 5백엔이나 1만엔으로서 유통하므로?`