【コラム】非難・批判だけでは日本変えられず…平和な日本になるよう救いの手を(1)
2014年02月07日16時37分
[ⓒ 中央日報/中央日報日本語版]
人類共同体全体が世界戦争に陥って、地球上の生命を最悪の苦痛に追い詰めたのは第2次世界大戦だった。主導国はドイツと日本だった。人間共同体の最初の世界戦争が終わった時、惨状は皆を戦慄させた。人間は一生懸命に頭を悩ませた。このような大悲劇をどうしたら防げるだろうか。要諦は過去の清算と反省だった。しかしドイツと日本の徹底した清算および反省はなかった。世界冷戦の襲撃は、戦争犯罪に対する最小範囲の責任追及だけで過去の清算を終息させるよう要求した。ドイツ問題と日本問題が、完全な国際政治問題であり世界良心問題である理由であった。また、ただ世界問題としてアプローチする時だけが解決可能な理由でもあった。
軍隊・法曹・官僚・企業・学術・文化・芸術…ほとんどすべての領域で西ドイツのナチス清算は徹底されなかった。戦後活動した各分野のナチス関与をした著名人のリストは衝撃的だ。少数の核心責任者のほかは処罰を受けなかったか要式行為で終わった。さらにホロコーストの直接的な連座者でさえ処罰を免れた。彼らの堂々とした弁解の前に、世界の良心は再び路頭に迷った。
しかし3つの要因がドイツの根本的な転換を招いた。1つはフランスの5月革命と国の民主化であった。5月革命の熱風と社会民主党の執権以後、ナチス清算と自己反省はドイツ政治と社会の前面に浮上した。
2つ目、国際連帯と圧力だった。フランス・ポーランド・ロシアの徹底したナチス清算とユダヤ人の国際連帯は決定的なものだった。ナチスの蛮行は本格的に復元されて記憶され、教育されて共有され始めた。周辺国の過去の克服とナチス清算の国際圧力の前に、「戦前ドイツ」の遺産を維持しては「戦後ドイツ」の国益追求どころか孤立も避けられなかった。ドイツの多くの場所でナチ反省施設が建設・復元された。アウシュビッツからエルサレムまで、ベルリンからワシントンまで記憶施設が入って「戦後ドイツ」はついに「戦前ドイツ」と分離して世界と共に歩み始めた。ナチス清算に対するドイツの支援もやはり「戦前ドイツ」と「戦後ドイツ」を切り離し、後者に対する世界の認識を変えた契機であった。
3つ目、ドイツ統一と欧州化の必要性のためだった。ナチス清算なしに分断を克服して統合欧州の一員になることは不可能だった。欧州と世界の誰も同意しないつもりだったからだった。世紀を超えて繰り返される日本の首相や政府の言明と行動の前に、アジアは再び言葉を失う。徹底した過去の清算はさておき、第1級戦犯が再び首相をつとめた「戦後日本」だ。日本自らの事実の直視と犯罪の意識、過去の清算と周辺の尊重を期待するのはもう不可能だ。批判と非難では決して日本を変化させることはできない。それなら残る方法はないのか。いやある。日本の変化を助ける国際連帯だ。
軍隊・法曹・官僚・企業・学術・文化・芸術…ほとんどすべての領域で西ドイツのナチス清算は徹底されなかった。戦後活動した各分野のナチス関与をした著名人のリストは衝撃的だ。少数の核心責任者のほかは処罰を受けなかったか要式行為で終わった。さらにホロコーストの直接的な連座者でさえ処罰を免れた。彼らの堂々とした弁解の前に、世界の良心は再び路頭に迷った。
しかし3つの要因がドイツの根本的な転換を招いた。1つはフランスの5月革命と国の民主化であった。5月革命の熱風と社会民主党の執権以後、ナチス清算と自己反省はドイツ政治と社会の前面に浮上した。
2つ目、国際連帯と圧力だった。フランス・ポーランド・ロシアの徹底したナチス清算とユダヤ人の国際連帯は決定的なものだった。ナチスの蛮行は本格的に復元されて記憶され、教育されて共有され始めた。周辺国の過去の克服とナチス清算の国際圧力の前に、「戦前ドイツ」の遺産を維持しては「戦後ドイツ」の国益追求どころか孤立も避けられなかった。ドイツの多くの場所でナチ反省施設が建設・復元された。アウシュビッツからエルサレムまで、ベルリンからワシントンまで記憶施設が入って「戦後ドイツ」はついに「戦前ドイツ」と分離して世界と共に歩み始めた。ナチス清算に対するドイツの支援もやはり「戦前ドイツ」と「戦後ドイツ」を切り離し、後者に対する世界の認識を変えた契機であった。
3つ目、ドイツ統一と欧州化の必要性のためだった。ナチス清算なしに分断を克服して統合欧州の一員になることは不可能だった。欧州と世界の誰も同意しないつもりだったからだった。世紀を超えて繰り返される日本の首相や政府の言明と行動の前に、アジアは再び言葉を失う。徹底した過去の清算はさておき、第1級戦犯が再び首相をつとめた「戦後日本」だ。日本自らの事実の直視と犯罪の意識、過去の清算と周辺の尊重を期待するのはもう不可能だ。批判と非難では決して日本を変化させることはできない。それなら残る方法はないのか。いやある。日本の変化を助ける国際連帯だ。
【コラム】非難・批判だけでは日本変えられず…平和な日本になるよう救いの手を(2)
アジアの被害諸国と世界が、ドイツのように日本が「戦前」軍国日本・国粋日本・侵略日本・ファッショ日本と断絶して、民主日本・平和日本・世界日本・良心日本に進むことができるように積極的に助けることだ。最も重要なのは世界の人々が「戦前日本」の蛮行を見聞きしながら知り、記憶することだ。北京・ソウル・ホーチミン・タイペイ・ハワイはもちろん、ワシントンのホロコーストメモリアル博物館のそばに(日本)残虐(atrocity)メモリアル博物館またはジェノサイド博物館を建設して、帝国主義とアジア太平洋戦争時期の日本のぎゃくさつ・慰安婦・人権蹂躪(じゅうりん)・強制徴用・強制労働・植民地侵略…に対するすべての記録と映像と証言を収集・展示することだ。ここには韓国・中国・台湾・ベトナム・フィリピン・東南アジア諸国…の民間と政府が参加する。もちろん日本は「真の戦後」のために核心参加国にならなければならない。日本の不参加は、日本の国際孤立と損害を引き起こすだろう。国連や米国、ドイツも参加する。ベルリンのように東京にもぎゃくさつ記憶の単独記念物が建設されて日本国民や世界の人々を教育する。
アジアの4大国際戦争である東アジア7年戦争(1592~1598)、日清戦争、露日戦争、アジア太平洋戦争で日本は常に侵略者または中心国家であった。さらに中国・韓国・ベトナムでの戦後の戦争でさえ日本軍の武装解除のための(一般命令第一号を通した)分断のためだった。すなわち日本帝国主義の産物だった。日本はアジアの「すべての」主な戦争の当事者・責任者・連座者の1つであった。
世界とアジアは、日本と共に平和を作っていかなくてはいけない。アジアの過去克服世界連帯運動で、アジア人権と民主主義、平和の先導国家である韓国が先頭に立とう。先に犠牲になろう。内部の過去克服の努力と募金運動、討論会から始めよう。そして2019年、安重根の偉業110周年-3・1独立運動100周年に北京・東京・ソウル・ワシントン各地で「残虐博物館」の竣工式、起工式を持とう。
パク・ミョンニム延世(ヨンセ)大学教授、ベルリン自由大学招へい教授
アジアの4大国際戦争である東アジア7年戦争(1592~1598)、日清戦争、露日戦争、アジア太平洋戦争で日本は常に侵略者または中心国家であった。さらに中国・韓国・ベトナムでの戦後の戦争でさえ日本軍の武装解除のための(一般命令第一号を通した)分断のためだった。すなわち日本帝国主義の産物だった。日本はアジアの「すべての」主な戦争の当事者・責任者・連座者の1つであった。
世界とアジアは、日本と共に平和を作っていかなくてはいけない。アジアの過去克服世界連帯運動で、アジア人権と民主主義、平和の先導国家である韓国が先頭に立とう。先に犠牲になろう。内部の過去克服の努力と募金運動、討論会から始めよう。そして2019年、安重根の偉業110周年-3・1独立運動100周年に北京・東京・ソウル・ワシントン各地で「残虐博物館」の竣工式、起工式を持とう。
パク・ミョンニム延世(ヨンセ)大学教授、ベルリン自由大学招へい教授
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火病の進行具合で色を段々赤くしてみました(笑)。
おいこら!。タイトルと随分内容が違うコラムだぞ!(笑)。どこが【救いの手を】だよ?。
書いてて段々興奮してきたんだろうなwww。 恥ずかしくなるくらい典型的な火病のスタイルだ。
右でも左でも良いから、意見としてまともな文章を載せてくれ。反発より笑ってしまうぞ。頼むぞ中央日報ww。
아무래도 화병이 멈추지 않게 된 같다 www.
【칼럼】비난·비판만으로는 일본 바꿀 수 있는 두 평화로운 일본이 되도록(듯이) 도움의 손길을(1)
2014년 02월 07일 16시 37분
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