生活/文化



以下、前回の投稿。
スナフキンVS/女性には様々な考えがある→
/jp/board/exc_board_8/view/id/2777843?&sfl=membername&stx=jlemon


Firefox以外で、この投稿の写真が見られない場合は、Firefoxで、ご覧下さい。



以下、「」内。私の前の投稿文より。。。



「東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地にある、我が家の近所の、私の実家は、元々、私の母方の祖父母の家で(ちなみに母は、一人っ子です)、現在は、両親が引き継いで暮らしています。既に、母方の祖父母共に、亡くなっています。

我が家の近所の私の実家の、私の父は、会社員で(父は、既に、半分定年退職状態になってから久しいですが)、私の母は、父と結婚してから、アルバイトを含めて、仕事を、一切した事がない専業主婦です。


私には、兄弟姉妹は、2歳年下の弟が一人います。私の弟は、外資系の会社員で、既に、結婚をし、(まだ、二人共、幼いですが)子供が2人いて(男の子(上)が1人と、女の子(下)が1人)、弟の家族(妻・子供)と共に、東京の西部郊外の、静かで落ち着いた住宅地に買った、一戸建て住宅に、暮らしています。

弟の、奥さん(妻)(ちなみに、弟の、奥さん(妻)は、弟よりもかなり年下です)は、結婚する前は、四年制の大学を卒業した後、服(ファッション)関係の、会社で、会社員として働いていましたが、結婚してからは、主婦となりました。




私は、会社員と比べて、相対的に、安定的ではなく、相対的に、ビジネスにおいて危険性が高いが、相対的に、自分で自分の時間を自由に管理する事が出来、又、自分の才能・仕事の能力・仕事の効率性・努力が、自分の収入に直結する(直接繋がる)、個人事業の道を選びました。

私は、普通の中流層・庶民層なのですが、私は、基本的には、自分が、与えられた環境の中で、自分の能力の範囲内で、出来得る限り生き(ここで言う、出来得る限り生きとは、自分の能力の限界を知り、自分の幸福の為に、自分の努力の落とし所を知ると言う意味も含まれます)、自分が稼いだお金で、出来得る限りの、幸せな生活をしている(幸せな人生を生きている)と言う、自信があります。」



昨日は、朝寝坊をし(まあ、私は途中、起きてしまって、ついでにkjの投稿をして遊んだ後、2度寝しましたがw)、昼頃起きて、遅い朝食兼昼食を、のんびりと、我が家で食べた後、彼女と、私の街の周辺の(私の街の隣街の)、仏教の寺に、初詣 (hatsumoude)をしに行きました。初詣 (hatsumoude)とは、新年に、神社(shrine)や寺に、お参りして、その年の願い事などをする、日本の風習です。




行きは、ウォーキングがてら(運動を兼ねた散歩で)、歩いて行きました。


写真以下6枚。私の街(渋谷(shibuya)区(東京都心部の西部に位置する区)の中北部。静かで落ち着いた住宅地となっています)の風景例。


写真以下5枚。住宅地の中の道路は、狭いですが(不特定多数の、たくさんの自動車が走るための道路は別にあります)、基本的に、住民しか利用しないので(配達の自動車や、植木屋さん(一戸建て住宅や邸宅等の、庭等の、木々や植物を整える仕事をする人)の自動車等を除けば、基本的に、住民の自動車しか通らないので)、静かです。電柱は、景観(美観)上、良くないですが、私が知る限り、日本では、住宅地においては、静かで落ち着いた住宅地であっても、あまり、電線の、地中化は、されていません。



































私の街の、不特定多数の、たくさんの自動車が走るための道路の、風景例。








私の街(渋谷区(shibuya)区(東京中心部(東京23区)の西部に位置する区)の中北部area)の、西の隣街の(西に隣接する)、世田谷(setagaya)区(東京中心部(東京23区)の西端に位置する区)の中北東部(中北東端部)areaの、私の街に近い辺りの、住宅地の風景。





写真以下4枚。(我が家から、歩いて)下北沢(shimokitazawa)に到着。下北沢(shimokitazawa)は、私の街(渋谷区(shibuya)区(東京中心部(東京23区)の西部に位置する区)の中北部area)の、西の隣街の(西に隣接する)、世田谷(setagaya)区(東京中心部(東京23区)の西端に位置する区)の中北東部(中北東端部)areaに有る、学生等の、若者に人気が高い繁華街です。まだ、1月3日で、店も、閉まっており、閑散としていました、と思いきや、後述しますが、下北沢(shimokitazawa)駅周辺の、下北沢(shimokitazawa)の繁華街の中心地は、店がたくさん開いていて、人も、たくさんいて賑わっていました。



下北沢(shimokitazawa)自体、雑然とした繁華街ですが、下北沢(shimokitazawa)の、古い、雑然とした建物。





下北沢(shimokitazawa)の、裏路地。






マニアックなCD・レコードの品揃えが充実している、ディスクユニオン(disk union)。






お気に入りの、ピザ(pizza)レストラン(Da Oggiと言う店です)。昨日は、やっていませんでしたが、美味しいですよ。近くに来る機会がありましたら、どうぞ→
http://daoggi.com/





写真以下18枚。私の街(渋谷区(shibuya)区(東京中心部(東京23区)の西部に位置する区)の中北部area)の、西の隣街の(西に隣接する)、世田谷(setagaya)区(東京中心部(東京23区)の西端に位置する区)の中北東部(中北東端部)areaに有る、仏教の寺の一つ、森巌(shingan)寺で、(私も彼女も)、今年、最初の、初詣 (hatsumoude)をしました。森巌(shingan)寺は、1608年に創建された、仏教の寺です。














前を歩いている人達は、森巌(shingan)寺を、素通りして、森巌(shingan)寺の近くにある、神道の神社(shrine)、北澤(kitazawa)八幡(hachiman)神社(shrine)(後述します)に、初詣 (hatsumoude)に行く人達ですw











































写真以下4枚。もう、梅の花が咲き始めていました。



















森巌(shingan)寺は、空き空きだったのですが、森巌(shingan)寺の近くにある、神道の神社(shrine)、北澤(kitazawa)八幡(hachiman)神社(shrine)(15世紀後半頃に創建)は、さすがに、まだ、1月3日と言う事で、初詣 (hatsumoude)をする人達の、少し長い行列が出来ていたので、北澤(kitazawa)八幡(hachiman)神社(shrine)で、初詣 (hatsumoude)をするのはやめましたw その点、私と彼女は、とても現実的・合理的ですw(まあ、彼女は、私の影響を受けたという事もあると思いますが)。



前を歩く人達は、北澤(kitazawa)八幡(hachiman)神社(shrine)で、初詣 (hatsumoude)をして来た人達。






帰りは、電車で帰って来ました。下北沢(shimokitazawa)駅周辺の、下北沢(shimokitazawa)の繁華街の中心地は、店がたくさん開いていて、人も、たくさんいて賑わっていました。今回は、軽く、何軒かの店を覗いただけで、物の買い物はなし(前日(1月2日に)買い物に出て、彼女に物を買ってあげましたし、切りがないですからねw 彼女も、特に欲しい物がなかったみたいですし)。




写真以下2枚。下北沢(shimokitazawa)駅。








下北沢(shimokitazawa)から、我が家の最寄りの、通勤電車・地下鉄駅までは、通勤電車で、2分から3分程です。





私の街に、戻って来ました。



我が家の最寄りの、通勤電車・地下鉄駅。






写真以下5枚。私の街。












私の街もそうですが、第2次世界大戦後の、(貧富の格差を無くす為の)不動産等を相続する際に支払う税金の税率の大幅な引き上げ等により、1960年代頃から、現在に至るまで、東京areaや関西(kansai)大都市圏の、高級住宅街や静かで落ち着いた住宅地の、ゆったりとした敷地を持つ邸宅は、低層の高級アパート、企業や公務員の社宅、老人ホーム(高齢者が入居する施設。公営の物と私営の物が有る)等の公共・福祉施設等へと、次々と建て替えられて来ました(所有者が、相続税を払い切れずに、(日本では、第2次世界大戦後、貧富の格差を縮小させる為に、相続税率が、大幅に上がった)、邸宅を土地と供に売り払い、邸宅の建物が取り壊された後、低層の高級アパート(マンション)が建つ場合が多いです)。

 
私の街に関しても、私の子供の頃から比べても、明かに、ゆったりとした敷地を持つ邸宅は減りましたし(減り続けて来ましたし)、ゆったりとした敷地を持つ邸宅の、低層の高級アパート(マンション)等への建て替えは、現在進行形で、徐々に、進んでいます(これは、ずっと実感し続けて来ましたし、今でも実感しています)。ただし、この様な現象の進む速度については、街によって差がある様です。例えば、東京中心部(東京23区)の閑静な(静かで落ち着いた)住宅地の中でも、比較的、外れに(都心から離れた場所)に位置する住宅地は、地価(土地の価格)が、相対的に低い為か、この様な現象の進む速度は、遅く、昔ながらの、ゆったりとした敷地を持つ邸宅や一戸建て住宅の、低層の高級アパート等への建替えが、それ程進んでいない感じです。一方、私の街は、この様な現象の進む速度が、かなり早い方に属する感じです(かなり早いとは言っても、何も、一夜にして、街の景色が変わると言う訳ではなく、割と、長い期間をかけて、この様な現象が、徐々に進んで来たのではありますが。。。)。この様な現象において、草木が生い茂る邸宅の庭が潰され、かつての邸宅の敷地、ほとんど目一杯に、共同住宅等が建てられて来た事は、東京areaや関西(kansai)大都市圏の、高級住宅街や、静かで落ち着いた住宅地の緑の減少と景観破壊に繋がって来ましたが、一方において、この様な現象は、第2次世界大戦後、日本で、貧富の格差が解消して来た事の証の一つとも言えるでしょう。



私の街の、お金持ちの、邸宅の例。この様な、広い敷地を持つ、邸宅らしい邸宅は、毎年、一つ、二つと、低層の高級アパート(マンション)等へ建て替えられる事によって、消え続けており、その事は、本当によく、実感してます。



ちなみに、我が家の近所の私の実家は、普通の中流の家庭なのですが、私は、中学や高校の頃、何故だか、女子達に、玄関から家の建物が見えないような邸宅に暮らすような、金持ちの、お坊ちゃんに、勝手に、勘違いされる事が、よくありましたw

以下、「」内。前に行った、以下の投稿から抜粋して来た文。
「女子校・共学違い」等→
/jp/board/exc_board_50/view/id/2689592/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon


「幸いな事に、私のような駄目人間でも、何故だか不思議と優しい女性達は、昔から(幼稚園児位の頃から)、私の事を、よく構ってくれましたw

(まあ、小学生の頃から、その様な事はあったのですが)、中学・高校に入学した時、また、中学や高校のクラス替えの時等に、よく、クラスの女子達のグループが、はにかみながら、私の席、又は、廊下で、私を囲んで、私に、「誕生日は、いつですか?」とか「好きな食べ物は、何ですか?」とか、英語の授業の時の私の発音から、「帰国子女なのですか?」と言った感じのインタビューをしましたw また、私は、自分の事を、普通の、ソース顔の日本人だと思っているのですが、「ハーフなんですか?」とか「外国人の血が混じっているのですか?」とか聞かれる事もありました。すぐ打ち解けて、タメ語になるのですが、同い年・同学年なのに、何故か、いつも、最初は、敬語で質問されましたw(ちなみに、私は、20代の初めまでは、実年齢よりも上に見られ、20代の後半頃からは、実年齢よりも下に見られるようになったのですが、それが、関係しているのかもしれませんw)。

また、私の実家は、普通の中流の家庭なのですが、私は、中学や高校の頃、何故だか、女子達に、玄関から家の建物が見えないような邸宅に暮らすような、金持ちの、お坊ちゃんに、勝手に、勘違いされる事が、よくありましたw

東京都庁を見学した際、都議会議事堂を見て、女の子に、「○○君の家って、こんな感じ?」と言われた事もあります。ちなみに、都議会議事堂は、こんな感じです→
http://www.yokoso.metro.tokyo.jp/kengaku/img/img_gijyou2.jpg


勝手に、妄想を膨らまして貰っては困る。普通の中流の家だって!と言った感じですw」















我が家に帰って来て食べた、おやつ。下北沢(shimokitazawa)で、適当に目に付いて、買った、お菓子。パンケーキ(pancake)パイ(pie)。この店の、このお菓子は、初めて買いましたが、味は、まあまあ、美味しいと言った感じでした。左、ホワイト(white)ストロベリー(strawberry)味。右、レモン(lemon)クリームチーズ(cream cheese)味。何れも、二人で分けて食べました。何れも、べつに、皿に載せる必要はなく、手で食べる物でしたw


今日は、私は、仕事ですが(夜、仕事を終えた後、私の親しい飲み友達の女性の一人と、二人で飲む予定が入っていますw)、彼女は、彼女の実家で彼女の家族と過ごす予定等が入っているので、昨日の夕食時は、お酒を飲まずに、昨日、我が家で、彼女と2人で、夕食を食べた後、彼女を、隣の区の、彼女の一人暮らしのマンションに車で送りました。ちなみに、昨日の夕食は、軽目の量の、黒毛和牛(日本原産の高級牛肉)の、すき焼き(sukiyaki)にしました(彼女の実家にスマホで確認して貰って、彼女が、今日、彼女の実家で食べる食事と被らないようにしましたw)。




以下、おまけ。



写真以下4枚。我が家の、最寄り駅は、小田急(odakyu)電鉄(dentetsu)(下の補足説明参照)の路線の駅なのですが(その他、地下鉄も、通っている)、小田急(odakyu)電鉄(dentetsu)の沿線の住民の為の、無料の、情報誌(基本的に、毎月1回発行(一か月に1回発行))の、2019年1月号のから。。。
小田急(odakyu)電鉄(dentetsu):1920年代後期に路線を開業。主に、東京都心部と、東京の、南西部郊外・近郊を結ぶ、通勤電車・観光電車路線を運営している、私営鉄道会社。運営している、電車路線の、総距離は、120.7km。東京圏の9つの、大手(大規模)私営鉄道会社(ちなみに、これには、JR東日本(元、日本国有鉄道)は、含まれていません)の一つ。

今回の号(2019年1月号)の、特集記事は、小田急(odakyu)電鉄(dentetsu)の沿線の、肉料理が自慢の食堂・バー(bar)の特集となっています。ちなみに、私は、肉が好きです。
















小田急(odakyu)電鉄(dentetsu)の沿線の住民の為の、無料の、情報誌の臨時号。




ロマンスカー(romance car)のチラシ。ロマンスカー(romance car)は、東京の都心部と、箱根(hakone)(東京圏(東京圏の南部を占める県である、神奈川(kanagawa)県)の、南西端部に位置する。日光(nikko)(栃木(tochigi)県(東京圏の北端に位置する県)に位置する)と並ぶ、東京近郊を代表するリゾート(resort)地・保養地・観光地・避暑地)・江ノ島(enoshima)(湘南(syonan)(東京areaに暮らす人々にとって、 最も身近な、東京近郊のビーチリゾート(beach resort)地。神奈川 (kanagawa)県の南部に位置する)等を結ぶ、小田急(odakyu)電鉄(dentetsu)の、特急列車(express)です。


ちなみに、私は、箱根(hakone)を訪れる時は、通常は、自動車で訪れるので、ロマンスカー(romance car)は、あまり使いません。
箱根(hakone)に関しては、以下の投稿を、参照して下さい。
箱根(hakone)drive&食べ物→
/jp/board/exc_board_24/view/id/2734158?&sfl=membername&stx=jlemon


ロマンスカー(romance car)と言えば、子供の頃、夏に、父が、よく、ロマンスカー(romance car)に乗せて、江ノ島(enoshima)のビーチ(beach)に、海水浴に連れて行ってくれた事が、印象に残っています(母は、混雑したビーチ (beach)での海水浴が、あまり好きではなかったのか、あまり江ノ島(enoshima)に海水浴に行きませんでした)。ちなみに、私の実家は、我が家(東京都心部の西部の、静かで、落ち着いた住宅地にあります)の近所にあります。





東京圏には、非常に緻密な、通勤電車網が整備されていますが、それに加えて、東京中心部(東京23区)においては、非常に緻密な地下鉄(主に地下を走る電車)網が整備されています。東京中心部(東京23区)の緻密な地下鉄(主に地下を走る電車)網は、主に、東京メトロ(東京Metro)(下の補足説明参照)と東京都(下の補足説明参照)の、二つの組織・自治体によって運営されています。
東京メトロ(東京Metro):1927年に、最初の路線を開業。(基本的に)東京中心部(東京23区内)において、9つの、地下鉄路線を運営している、公営の性格が強い(主要な株主は、日本の政府と東京都)、鉄道会社(前は、帝都高速度交通営団と言う名前でした)。運営している、地下鉄路線の、総距離は、約195km。東京メトロ(東京Metro)が運営している地下鉄路線は、多くの、東京都心部と、東京郊外を結ぶ、私営鉄道会社等の、通勤電車の、乗り入れを受け入れています。
東京都:東京都(主として、東京中心部(東京23区)と東京の西部郊外によって構成される地方自治体。日本の47の県(prefecture)の内の一つ)は、(基本的に)東京中心部(東京23区内)において、4つの地下鉄路線を運営しています(1960年に、最初の地下鉄路線を開業。運営する地下鉄路線の、総距離は、109km)。東京都が運営する、地下鉄路線は、多くの、東京都心部と、東京郊外を結ぶ、私営鉄道会社の、通勤電車の、乗り入れを受け入れています。
 

写真以下。東京都交通局(東京都の地下鉄・バス(bus)運営部門)が、定期的に(基本的に一か月に1回)発行している、無料の情報誌の、2019年1月号より。。。我が家の最寄りの、通勤電車・地下鉄駅に通っている地下鉄は、東京都が運営する地下鉄ではなく、東京メトロ(東京Metro)が運営している地下鉄なのですが、我が家の最寄りの、通勤電車・地下鉄駅には、この情報誌(東京都交通局(東京都の地下鉄・バス(bus)運営部門)が、定期的に(基本的に一か月に1回)発行している、無料の情報誌)が、置いてあります。


写真以下。この号(2019年1月号)の特集は、浅草(asakusa)(下の補足説明参照)の特集となっています。
浅草(asakusa):東京の下町(旧市街)(東京都心部の東部)の中心的な繁華街。第二次世界大戦前は、銀座(ginza。東京都心部の中でも、中心的な地域に位置する)と共に、東京の二大繁華街でした(第二次世界大戦前は、銀座(ginza)が、中流層及び上流層の為の中心的繁華街、浅草(asakusa)が、庶民の為の中心的繁華街と言った感じでした。ちなみに、銀座(ginza)は、今でも、東京を代表する繁華街の座を維持していると共に、東京を代表する高級繁華街となっています)。浅草(asakusa)は、第二次世界大戦末期の空襲で、壊滅的な被害を受けました。また、第二次世界大戦後、浅草(asakusa)が、衰退して行く一方で、東京都心部の西部(1920年代から1930年代に、本格的な開発が始まった、東京の新市街・新興住宅地)の、新宿(shinjyuku)や渋谷(shibuya)等が、東京の新たな主要な繁華街として、成長し、台頭して来ました。これにより、浅草(asakusa)は、東京最大級の繁華街の座は、新宿(shinjyuku)や渋谷(shibuya)等、他の繁華街に譲りました(ちなみに銀座(ginza)は、第二次世界大戦前と後を通じて、現在に至るまで、東京を代表する繁華街で有ると共に、東京最大級の繁華街の座を維持)。
















左上の食べ物は、もんじゃ焼き(monjyayaki)。もんじゃ焼き(monjyayaki)は、東京で最も汚く見える食べ物です。そして、それだけでなく、日本で、最も汚く見える食べ物かもしれませんw

もんじゃ焼き(monjyayaki)は、東京の下町(旧市街。東京中心部(東京23区)の東部)で、古くから食べられている、庶民の食べ物です。もんじゃ焼き(monjyayaki)は、「小麦粉を溶かす水の量が、お好み焼き(okonomiyaki)に比べて、はるかに多く、汁に、ソース(sauce)などの調味料を、一緒に混ぜ込んでしまうのが特徴」です(「」内、wikiより抜粋)。もんじゃ焼き(monjyayaki)は、日本全国で、広く一般的に食べられている食べ物では無く、日本の、極一部の限られた地域で、よく食べられてきた食べ物で、東京の下町(旧市街。東京中心部(東京23区)の東部)等で、よく食べられて来た食べ物ですが(かつては、同じ東京でも、山の手(yamanote。新市街。東京中心部(東京23区)の西部)や郊外では、もんじゃ焼き(monjyayaki)は、基本的に、一般的では有りませんでした)、現在は、東京の下町(旧市街。東京中心部(東京23区)の東部)以外にも、広まりつつあります。もんじゃ焼き(monjyayaki)は、特に、第2次世界大戦後、間も無くから、1960年代半ば頃までの間(戦後の、日本が、貧しかった時代から経済復興期の間)、駄菓子(dagashi)店(下の説明参照)で提供される、おやつとして、東京の下町(旧市街。東京中心部(東京23区)の東部)の庶民の子供達の間で、とても、よく食べられていました。
駄菓子(dagashi)店:庶民の子供達でも、気軽に買えるようにと、cheapな材料で作られ、cheapな値段で販売され、第2次世界大戦前から1970年代において、日本の庶民の子供達の間で、よく食べられていた、子供向けの菓子(駄菓子・dagashi)を売る店。1950年代から1960年代半ば位の時期には、日本には、駄菓子(dagashi)店が、無数に(非常に多く)、存在していた様ですが、日本の庶民の購買力が上昇した事、アメリカ式のマートが急速に普及した事等から、そうしたマートで販売される、大規模な菓子会社の、種類豊富な、より質の高い菓子に、駄菓子(dagashi)は、圧倒され、駄菓子(dagashi)及び、駄菓子(dagashi)を販売する駄菓子(dagashi)店は、徐々に衰退して行きました。駄菓子(dagashi)店の衰退と供に、子供達の、おやつとしての、もんじゃ焼き(monjyayaki)は、衰退しましたが、もんじゃ焼き(monjyayaki)は、東京の下町(旧市街。東京中心部(東京23区)の東部)では、現在でも、根強い人気の大衆食として(お酒(アルコール(alcoholic)飲料)の、おつまみとして、人気が高い)、飲食店(お好み焼き(okonomiyaki)食堂・もんじゃ焼き(monjyayaki)食堂)で、よく食べられていますし、現在は、もんじゃ焼き(monjyayaki)は、東京の下町(旧市街。東京中心部(東京23区)の東部)以外にも、広まりつつあります。


 


昨日のお出掛け(私の街の周辺で初詣)



以下、前回の投稿。
スナフキンVS/女性には様々な考えがある→
/jp/board/exc_board_8/view/id/2777843?&sfl=membername&stx=jlemon


Firefox以外で、この投稿の写真が見られない場合は、Firefoxで、ご覧下さい。



以下、「」内。私の前の投稿文より。。。



「東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地にある、我が家の近所の、私の実家は、元々、私の母方の祖父母の家で(ちなみに母は、一人っ子です)、現在は、両親が引き継いで暮らしています。既に、母方の祖父母共に、亡くなっています。

我が家の近所の私の実家の、私の父は、会社員で(父は、既に、半分定年退職状態になってから久しいですが)、私の母は、父と結婚してから、アルバイトを含めて、仕事を、一切した事がない専業主婦です。


私には、兄弟姉妹は、2歳年下の弟が一人います。私の弟は、外資系の会社員で、既に、結婚をし、(まだ、二人共、幼いですが)子供が2人いて(男の子(上)が1人と、女の子(下)が1人)、弟の家族(妻・子供)と共に、東京の西部郊外の、静かで落ち着いた住宅地に買った、一戸建て住宅に、暮らしています。

弟の、奥さん(妻)(ちなみに、弟の、奥さん(妻)は、弟よりもかなり年下です)は、結婚する前は、四年制の大学を卒業した後、服(ファッション)関係の、会社で、会社員として働いていましたが、結婚してからは、主婦となりました。




私は、会社員と比べて、相対的に、安定的ではなく、相対的に、ビジネスにおいて危険性が高いが、相対的に、自分で自分の時間を自由に管理する事が出来、又、自分の才能・仕事の能力・仕事の効率性・努力が、自分の収入に直結する(直接繋がる)、個人事業の道を選びました。

私は、普通の中流層・庶民層なのですが、私は、基本的には、自分が、与えられた環境の中で、自分の能力の範囲内で、出来得る限り生き(ここで言う、出来得る限り生きとは、自分の能力の限界を知り、自分の幸福の為に、自分の努力の落とし所を知ると言う意味も含まれます)、自分が稼いだお金で、出来得る限りの、幸せな生活をしている(幸せな人生を生きている)と言う、自信があります。」



昨日は、朝寝坊をし(まあ、私は途中、起きてしまって、ついでにkjの投稿をして遊んだ後、2度寝しましたがw)、昼頃起きて、遅い朝食兼昼食を、のんびりと、我が家で食べた後、彼女と、私の街の周辺の(私の街の隣街の)、仏教の寺に、初詣 (hatsumoude)をしに行きました。初詣 (hatsumoude)とは、新年に、神社(shrine)や寺に、お参りして、その年の願い事などをする、日本の風習です。




行きは、ウォーキングがてら(運動を兼ねた散歩で)、歩いて行きました。


写真以下6枚。私の街(渋谷(shibuya)区(東京都心部の西部に位置する区)の中北部。静かで落ち着いた住宅地となっています)の風景例。


写真以下5枚。住宅地の中の道路は、狭いですが(不特定多数の、たくさんの自動車が走るための道路は別にあります)、基本的に、住民しか利用しないので(配達の自動車や、植木屋さん(一戸建て住宅や邸宅等の、庭等の、木々や植物を整える仕事をする人)の自動車等を除けば、基本的に、住民の自動車しか通らないので)、静かです。電柱は、景観(美観)上、良くないですが、私が知る限り、日本では、住宅地においては、静かで落ち着いた住宅地であっても、あまり、電線の、地中化は、されていません。



































私の街の、不特定多数の、たくさんの自動車が走るための道路の、風景例。








私の街(渋谷区(shibuya)区(東京中心部(東京23区)の西部に位置する区)の中北部area)の、西の隣街の(西に隣接する)、世田谷(setagaya)区(東京中心部(東京23区)の西端に位置する区)の中北東部(中北東端部)areaの、私の街に近い辺りの、住宅地の風景。





写真以下4枚。(我が家から、歩いて)下北沢(shimokitazawa)に到着。下北沢(shimokitazawa)は、私の街(渋谷区(shibuya)区(東京中心部(東京23区)の西部に位置する区)の中北部area)の、西の隣街の(西に隣接する)、世田谷(setagaya)区(東京中心部(東京23区)の西端に位置する区)の中北東部(中北東端部)areaに有る、学生等の、若者に人気が高い繁華街です。まだ、1月3日で、店も、閉まっており、閑散としていました、と思いきや、後述しますが、下北沢(shimokitazawa)駅周辺の、下北沢(shimokitazawa)の繁華街の中心地は、店がたくさん開いていて、人も、たくさんいて賑わっていました。



下北沢(shimokitazawa)自体、雑然とした繁華街ですが、下北沢(shimokitazawa)の、古い、雑然とした建物。





下北沢(shimokitazawa)の、裏路地。






マニアックなCD・レコードの品揃えが充実している、ディスクユニオン(disk union)。






お気に入りの、ピザ(pizza)レストラン(Da Oggiと言う店です)。昨日は、やっていませんでしたが、美味しいですよ。近くに来る機会がありましたら、どうぞ→
http://daoggi.com/





写真以下18枚。私の街(渋谷区(shibuya)区(東京中心部(東京23区)の西部に位置する区)の中北部area)の、西の隣街の(西に隣接する)、世田谷(setagaya)区(東京中心部(東京23区)の西端に位置する区)の中北東部(中北東端部)areaに有る、仏教の寺の一つ、森巌(shingan)寺で、(私も彼女も)、今年、最初の、初詣 (hatsumoude)をしました。森巌(shingan)寺は、1608年に創建された、仏教の寺です。














前を歩いている人達は、森巌(shingan)寺を、素通りして、森巌(shingan)寺の近くにある、神道の神社(shrine)、北澤(kitazawa)八幡(hachiman)神社(shrine)(後述します)に、初詣 (hatsumoude)に行く人達ですw











































写真以下4枚。もう、梅の花が咲き始めていました。



















森巌(shingan)寺は、空き空きだったのですが、森巌(shingan)寺の近くにある、神道の神社(shrine)、北澤(kitazawa)八幡(hachiman)神社(shrine)(15世紀後半頃に創建)は、さすがに、まだ、1月3日と言う事で、初詣 (hatsumoude)をする人達の、少し長い行列が出来ていたので、北澤(kitazawa)八幡(hachiman)神社(shrine)で、初詣 (hatsumoude)をするのはやめましたw その点、私と彼女は、とても現実的・合理的ですw(まあ、彼女は、私の影響を受けたという事もあると思いますが)。



前を歩く人達は、北澤(kitazawa)八幡(hachiman)神社(shrine)で、初詣 (hatsumoude)をして来た人達。






帰りは、電車で帰って来ました。下北沢(shimokitazawa)駅周辺の、下北沢(shimokitazawa)の繁華街の中心地は、店がたくさん開いていて、人も、たくさんいて賑わっていました。今回は、軽く、何軒かの店を覗いただけで、物の買い物はなし(前日(1月2日に)買い物に出て、彼女に物を買ってあげましたし、切りがないですからねw 彼女も、特に欲しい物がなかったみたいですし)。




写真以下2枚。下北沢(shimokitazawa)駅。








下北沢(shimokitazawa)から、我が家の最寄りの、通勤電車・地下鉄駅までは、通勤電車で、2分から3分程です。





私の街に、戻って来ました。



我が家の最寄りの、通勤電車・地下鉄駅。






写真以下5枚。私の街。












私の街もそうですが、第2次世界大戦後の、(貧富の格差を無くす為の)不動産等を相続する際に支払う税金の税率の大幅な引き上げ等により、1960年代頃から、現在に至るまで、東京areaや関西(kansai)大都市圏の、高級住宅街や静かで落ち着いた住宅地の、ゆったりとした敷地を持つ邸宅は、低層の高級アパート、企業や公務員の社宅、老人ホーム(高齢者が入居する施設。公営の物と私営の物が有る)等の公共・福祉施設等へと、次々と建て替えられて来ました(所有者が、相続税を払い切れずに、(日本では、第2次世界大戦後、貧富の格差を縮小させる為に、相続税率が、大幅に上がった)、邸宅を土地と供に売り払い、邸宅の建物が取り壊された後、低層の高級アパート(マンション)が建つ場合が多いです)。

 
私の街に関しても、私の子供の頃から比べても、明かに、ゆったりとした敷地を持つ邸宅は減りましたし(減り続けて来ましたし)、ゆったりとした敷地を持つ邸宅の、低層の高級アパート(マンション)等への建て替えは、現在進行形で、徐々に、進んでいます(これは、ずっと実感し続けて来ましたし、今でも実感しています)。ただし、この様な現象の進む速度については、街によって差がある様です。例えば、東京中心部(東京23区)の閑静な(静かで落ち着いた)住宅地の中でも、比較的、外れに(都心から離れた場所)に位置する住宅地は、地価(土地の価格)が、相対的に低い為か、この様な現象の進む速度は、遅く、昔ながらの、ゆったりとした敷地を持つ邸宅や一戸建て住宅の、低層の高級アパート等への建替えが、それ程進んでいない感じです。一方、私の街は、この様な現象の進む速度が、かなり早い方に属する感じです(かなり早いとは言っても、何も、一夜にして、街の景色が変わると言う訳ではなく、割と、長い期間をかけて、この様な現象が、徐々に進んで来たのではありますが。。。)。この様な現象において、草木が生い茂る邸宅の庭が潰され、かつての邸宅の敷地、ほとんど目一杯に、共同住宅等が建てられて来た事は、東京areaや関西(kansai)大都市圏の、高級住宅街や、静かで落ち着いた住宅地の緑の減少と景観破壊に繋がって来ましたが、一方において、この様な現象は、第2次世界大戦後、日本で、貧富の格差が解消して来た事の証の一つとも言えるでしょう。



私の街の、お金持ちの、邸宅の例。この様な、広い敷地を持つ、邸宅らしい邸宅は、毎年、一つ、二つと、低層の高級アパート(マンション)等へ建て替えられる事によって、消え続けており、その事は、本当によく、実感してます。



ちなみに、我が家の近所の私の実家は、普通の中流の家庭なのですが、私は、中学や高校の頃、何故だか、女子達に、玄関から家の建物が見えないような邸宅に暮らすような、金持ちの、お坊ちゃんに、勝手に、勘違いされる事が、よくありましたw

以下、「」内。前に行った、以下の投稿から抜粋して来た文。
「女子校・共学違い」等→
/jp/board/exc_board_50/view/id/2689592/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon


「幸いな事に、私のような駄目人間でも、何故だか不思議と優しい女性達は、昔から(幼稚園児位の頃から)、私の事を、よく構ってくれましたw

(まあ、小学生の頃から、その様な事はあったのですが)、中学・高校に入学した時、また、中学や高校のクラス替えの時等に、よく、クラスの女子達のグループが、はにかみながら、私の席、又は、廊下で、私を囲んで、私に、「誕生日は、いつですか?」とか「好きな食べ物は、何ですか?」とか、英語の授業の時の私の発音から、「帰国子女なのですか?」と言った感じのインタビューをしましたw また、私は、自分の事を、普通の、ソース顔の日本人だと思っているのですが、「ハーフなんですか?」とか「外国人の血が混じっているのですか?」とか聞かれる事もありました。すぐ打ち解けて、タメ語になるのですが、同い年・同学年なのに、何故か、いつも、最初は、敬語で質問されましたw(ちなみに、私は、20代の初めまでは、実年齢よりも上に見られ、20代の後半頃からは、実年齢よりも下に見られるようになったのですが、それが、関係しているのかもしれませんw)。

また、私の実家は、普通の中流の家庭なのですが、私は、中学や高校の頃、何故だか、女子達に、玄関から家の建物が見えないような邸宅に暮らすような、金持ちの、お坊ちゃんに、勝手に、勘違いされる事が、よくありましたw

東京都庁を見学した際、都議会議事堂を見て、女の子に、「○○君の家って、こんな感じ?」と言われた事もあります。ちなみに、都議会議事堂は、こんな感じです→
http://www.yokoso.metro.tokyo.jp/kengaku/img/img_gijyou2.jpg


勝手に、妄想を膨らまして貰っては困る。普通の中流の家だって!と言った感じですw」















我が家に帰って来て食べた、おやつ。下北沢(shimokitazawa)で、適当に目に付いて、買った、お菓子。パンケーキ(pancake)パイ(pie)。この店の、このお菓子は、初めて買いましたが、味は、まあまあ、美味しいと言った感じでした。左、ホワイト(white)ストロベリー(strawberry)味。右、レモン(lemon)クリームチーズ(cream cheese)味。何れも、二人で分けて食べました。何れも、べつに、皿に載せる必要はなく、手で食べる物でしたw


今日は、私は、仕事ですが(夜、仕事を終えた後、私の親しい飲み友達の女性の一人と、二人で飲む予定が入っていますw)、彼女は、彼女の実家で彼女の家族と過ごす予定等が入っているので、昨日の夕食時は、お酒を飲まずに、昨日、我が家で、彼女と2人で、夕食を食べた後、彼女を、隣の区の、彼女の一人暮らしのマンションに車で送りました。ちなみに、昨日の夕食は、軽目の量の、黒毛和牛(日本原産の高級牛肉)の、すき焼き(sukiyaki)にしました(彼女の実家にスマホで確認して貰って、彼女が、今日、彼女の実家で食べる食事と被らないようにしましたw)。




以下、おまけ。



写真以下4枚。我が家の、最寄り駅は、小田急(odakyu)電鉄(dentetsu)(下の補足説明参照)の路線の駅なのですが(その他、地下鉄も、通っている)、小田急(odakyu)電鉄(dentetsu)の沿線の住民の為の、無料の、情報誌(基本的に、毎月1回発行(一か月に1回発行))の、2019年1月号のから。。。
小田急(odakyu)電鉄(dentetsu):1920年代後期に路線を開業。主に、東京都心部と、東京の、南西部郊外・近郊を結ぶ、通勤電車・観光電車路線を運営している、私営鉄道会社。運営している、電車路線の、総距離は、120.7km。東京圏の9つの、大手(大規模)私営鉄道会社(ちなみに、これには、JR東日本(元、日本国有鉄道)は、含まれていません)の一つ。

今回の号(2019年1月号)の、特集記事は、小田急(odakyu)電鉄(dentetsu)の沿線の、肉料理が自慢の食堂・バー(bar)の特集となっています。ちなみに、私は、肉が好きです。
















小田急(odakyu)電鉄(dentetsu)の沿線の住民の為の、無料の、情報誌の臨時号。




ロマンスカー(romance car)のチラシ。ロマンスカー(romance car)は、東京の都心部と、箱根(hakone)(東京圏(東京圏の南部を占める県である、神奈川(kanagawa)県)の、南西端部に位置する。日光(nikko)(栃木(tochigi)県(東京圏の北端に位置する県)に位置する)と並ぶ、東京近郊を代表するリゾート(resort)地・保養地・観光地・避暑地)・江ノ島(enoshima)(湘南(syonan)(東京areaに暮らす人々にとって、 最も身近な、東京近郊のビーチリゾート(beach resort)地。神奈川 (kanagawa)県の南部に位置する)等を結ぶ、小田急(odakyu)電鉄(dentetsu)の、特急列車(express)です。


ちなみに、私は、箱根(hakone)を訪れる時は、通常は、自動車で訪れるので、ロマンスカー(romance car)は、あまり使いません。
箱根(hakone)に関しては、以下の投稿を、参照して下さい。
箱根(hakone)drive&食べ物→
/jp/board/exc_board_24/view/id/2734158?&sfl=membername&stx=jlemon


ロマンスカー(romance car)と言えば、子供の頃、夏に、父が、よく、ロマンスカー(romance car)に乗せて、江ノ島(enoshima)のビーチ(beach)に、海水浴に連れて行ってくれた事が、印象に残っています(母は、混雑したビーチ (beach)での海水浴が、あまり好きではなかったのか、あまり江ノ島(enoshima)に海水浴に行きませんでした)。ちなみに、私の実家は、我が家(東京都心部の西部の、静かで、落ち着いた住宅地にあります)の近所にあります。





東京圏には、非常に緻密な、通勤電車網が整備されていますが、それに加えて、東京中心部(東京23区)においては、非常に緻密な地下鉄(主に地下を走る電車)網が整備されています。東京中心部(東京23区)の緻密な地下鉄(主に地下を走る電車)網は、主に、東京メトロ(東京Metro)(下の補足説明参照)と東京都(下の補足説明参照)の、二つの組織・自治体によって運営されています。
東京メトロ(東京Metro):1927年に、最初の路線を開業。(基本的に)東京中心部(東京23区内)において、9つの、地下鉄路線を運営している、公営の性格が強い(主要な株主は、日本の政府と東京都)、鉄道会社(前は、帝都高速度交通営団と言う名前でした)。運営している、地下鉄路線の、総距離は、約195km。東京メトロ(東京Metro)が運営している地下鉄路線は、多くの、東京都心部と、東京郊外を結ぶ、私営鉄道会社等の、通勤電車の、乗り入れを受け入れています。
東京都:東京都(主として、東京中心部(東京23区)と東京の西部郊外によって構成される地方自治体。日本の47の県(prefecture)の内の一つ)は、(基本的に)東京中心部(東京23区内)において、4つの地下鉄路線を運営しています(1960年に、最初の地下鉄路線を開業。運営する地下鉄路線の、総距離は、109km)。東京都が運営する、地下鉄路線は、多くの、東京都心部と、東京郊外を結ぶ、私営鉄道会社の、通勤電車の、乗り入れを受け入れています。
 

写真以下。東京都交通局(東京都の地下鉄・バス(bus)運営部門)が、定期的に(基本的に一か月に1回)発行している、無料の情報誌の、2019年1月号より。。。我が家の最寄りの、通勤電車・地下鉄駅に通っている地下鉄は、東京都が運営する地下鉄ではなく、東京メトロ(東京Metro)が運営している地下鉄なのですが、我が家の最寄りの、通勤電車・地下鉄駅には、この情報誌(東京都交通局(東京都の地下鉄・バス(bus)運営部門)が、定期的に(基本的に一か月に1回)発行している、無料の情報誌)が、置いてあります。


写真以下。この号(2019年1月号)の特集は、浅草(asakusa)(下の補足説明参照)の特集となっています。
浅草(asakusa):東京の下町(旧市街)(東京都心部の東部)の中心的な繁華街。第二次世界大戦前は、銀座(ginza。東京都心部の中でも、中心的な地域に位置する)と共に、東京の二大繁華街でした(第二次世界大戦前は、銀座(ginza)が、中流層及び上流層の為の中心的繁華街、浅草(asakusa)が、庶民の為の中心的繁華街と言った感じでした。ちなみに、銀座(ginza)は、今でも、東京を代表する繁華街の座を維持していると共に、東京を代表する高級繁華街となっています)。浅草(asakusa)は、第二次世界大戦末期の空襲で、壊滅的な被害を受けました。また、第二次世界大戦後、浅草(asakusa)が、衰退して行く一方で、東京都心部の西部(1920年代から1930年代に、本格的な開発が始まった、東京の新市街・新興住宅地)の、新宿(shinjyuku)や渋谷(shibuya)等が、東京の新たな主要な繁華街として、成長し、台頭して来ました。これにより、浅草(asakusa)は、東京最大級の繁華街の座は、新宿(shinjyuku)や渋谷(shibuya)等、他の繁華街に譲りました(ちなみに銀座(ginza)は、第二次世界大戦前と後を通じて、現在に至るまで、東京を代表する繁華街で有ると共に、東京最大級の繁華街の座を維持)。
















左上の食べ物は、もんじゃ焼き(monjyayaki)。もんじゃ焼き(monjyayaki)は、東京で最も汚く見える食べ物です。そして、それだけでなく、日本で、最も汚く見える食べ物かもしれませんw

もんじゃ焼き(monjyayaki)は、東京の下町(旧市街。東京中心部(東京23区)の東部)で、古くから食べられている、庶民の食べ物です。もんじゃ焼き(monjyayaki)は、「小麦粉を溶かす水の量が、お好み焼き(okonomiyaki)に比べて、はるかに多く、汁に、ソース(sauce)などの調味料を、一緒に混ぜ込んでしまうのが特徴」です(「」内、wikiより抜粋)。もんじゃ焼き(monjyayaki)は、日本全国で、広く一般的に食べられている食べ物では無く、日本の、極一部の限られた地域で、よく食べられてきた食べ物で、東京の下町(旧市街。東京中心部(東京23区)の東部)等で、よく食べられて来た食べ物ですが(かつては、同じ東京でも、山の手(yamanote。新市街。東京中心部(東京23区)の西部)や郊外では、もんじゃ焼き(monjyayaki)は、基本的に、一般的では有りませんでした)、現在は、東京の下町(旧市街。東京中心部(東京23区)の東部)以外にも、広まりつつあります。もんじゃ焼き(monjyayaki)は、特に、第2次世界大戦後、間も無くから、1960年代半ば頃までの間(戦後の、日本が、貧しかった時代から経済復興期の間)、駄菓子(dagashi)店(下の説明参照)で提供される、おやつとして、東京の下町(旧市街。東京中心部(東京23区)の東部)の庶民の子供達の間で、とても、よく食べられていました。
駄菓子(dagashi)店:庶民の子供達でも、気軽に買えるようにと、cheapな材料で作られ、cheapな値段で販売され、第2次世界大戦前から1970年代において、日本の庶民の子供達の間で、よく食べられていた、子供向けの菓子(駄菓子・dagashi)を売る店。1950年代から1960年代半ば位の時期には、日本には、駄菓子(dagashi)店が、無数に(非常に多く)、存在していた様ですが、日本の庶民の購買力が上昇した事、アメリカ式のマートが急速に普及した事等から、そうしたマートで販売される、大規模な菓子会社の、種類豊富な、より質の高い菓子に、駄菓子(dagashi)は、圧倒され、駄菓子(dagashi)及び、駄菓子(dagashi)を販売する駄菓子(dagashi)店は、徐々に衰退して行きました。駄菓子(dagashi)店の衰退と供に、子供達の、おやつとしての、もんじゃ焼き(monjyayaki)は、衰退しましたが、もんじゃ焼き(monjyayaki)は、東京の下町(旧市街。東京中心部(東京23区)の東部)では、現在でも、根強い人気の大衆食として(お酒(アルコール(alcoholic)飲料)の、おつまみとして、人気が高い)、飲食店(お好み焼き(okonomiyaki)食堂・もんじゃ焼き(monjyayaki)食堂)で、よく食べられていますし、現在は、もんじゃ焼き(monjyayaki)は、東京の下町(旧市街。東京中心部(東京23区)の東部)以外にも、広まりつつあります。




TOTAL: 601

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