生活/文化



この投稿は、過去に行った様々な投稿に新たな内容を追加した物です。

以下の投稿も、参照して下さい。

両親の結婚前の修羅場(日本語)→
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両親の結婚前の修羅場(韓国語)→
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東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地にある、我が家の近所の、私の実家は、元々、私の母方の祖父母の家で(ちなみに母は、一人っ子です)、現在は、両親が引き継いで暮らしています。既に、母方の祖父母共に、亡くなっています。

私には、兄弟姉妹は、2歳年下の弟が一人います。私の弟は、会社員で、既に、結婚をし、(まだ、二人共、幼いですが)子供が2人いて(男の子(上)が1人と、女の子(下)が1人。女の子は、一昨年、生まれたばかり)、弟の家族(妻・子供)と共に、東京の西部郊外の、静かで落ち着いた住宅地に買った、一戸建て住宅に、暮らしています。


私は、高校時代(私の高校生活は)、爽やかな面も、あった事はあったのですが、素朴で、爽やかな青春と言うよりは、どちらかと言えば、(当時、当時の私と同じ位、程度の低かったw、友達達と共に)、club(nightclub)等で、よく、夜遊びしたり、(私は、普通の、男女共学の高校に通っていて、学校内の、女の子達とも、仲良くしていたのですが)、よく、他の高校に通う、女の子達等と、合コン(友人や知り合い等の紹介による、男女が、知り合う為の、居酒屋等での、飲み会や食事会。日本では、大学生等の学生位の年齢(18歳位)から20代位の年齢の若者の間で、盛んに行われている)したりして、また、ここでは書けないような事をしたりして(人を傷つけるような事ではありません)、どちらかと言えば、都会の、荒くれた(率直に言ってしまえば、爽やかと言うよりも、どちらかと言えば、猥雑で、堕落して、馬鹿っぽい(馬鹿のような))高校生活を送っていましたが(まあ、それは、それで、楽しかった)、私の弟は、私に比べれば、かなり真面目であったものの、若い頃、サーフィン(surfing)や、スケートボード(skateboarding)、スノーボード(snowboarding)を、よく、やっていて、そう言う面(運動と言った面)に関しては、私よりも活発でしたし、弟は、小学生の頃から大学生の頃にかけて、私の街の、空手(karate)(柔道(Judo)等と共に、日本を代表する、格闘技(martial art)の一つ)教室に通っていて(特に、中学生から高校生の頃、熱心に通っていました)、私の弟は、初段だか、二段だか、三段だか、弟に確認してみないと分かりませんが、何れにしても、私の弟は、空手(karate)は、黒帯(black belt)ですが、実は、子供の頃(小学生の頃)までは、弟よりも、私の方が、運動と言った面に関して、活発で、やんちゃでしたw



私の母は痩せの大食い(大食いと言っても標準よりも少し多く食べる程度ですが)の体質(比較的たくさん食べても痩せている体質)で(近所の実家の母は、年を取っても、よく食べるのに相変わらず痩せています)、私も私の母からの遺伝で、痩せの大食い(やはり大食いと言っても標準よりも少し多く食べる程度ですが)の体質(比較的たくさん食べても痩せている体質)なのですが、それに加えて、私の母は、痩せてはいるが筋肉質の体質で(まあ、母は、よく父と共通の趣味のゴルフに(父と)二人で行っているようですし、フィットネスクラブにも通っていて、割とよく運動はしているようなのですが、それでも、年齢の割に食べる量を考えたら、痩せの大食い体質と言わざるを得ませんw)、私も、母の痩せているが、筋肉質の体質と言うか、(運動をしなくても)筋肉がつき易い体質(ちなみに、私は、普段、運動は、ほとんどしていませんw)を、受け継いでいて、(まあ、私の場合、肉を、たくさん食べていると言うのもあるのかもしれませんがw)、私は、細マッチョ系の体型です(フィットネスやジムで体を鍛えているという訳では全くないので(と言うか、普段、運動不足気味)、細マッチョの体型ではなく、あくまで、細マッチョ系の体型ですがw)。

ただし、私は、体を動かす事(運動)は、基本的には、それ程、好きではなく、子供の頃から、現在まで続けているスポーツは、スキー位しかありません。ちなみに、両親がスキーが好きと言う事もあり(その影響で私はスキーは子供の頃からやっており得意です)、北海道は、子供の頃、親にニセコにスキーに連れて行って貰ったりして、地元(東京)から離れた場所の割には、子供の頃から割と馴染みのある土地なのですが(ニセコ・富良野は馴染みがある)、最近は、訪れていません。


もっとも、前述の通り、子供の頃(小学生の頃)までは、弟よりも、私の方が、運動と言った面に関して、活発で、やんちゃでしたw




私は、自分の事を、不器用で(ただし、エッチの時は、指は器用に動きますw)、運動神経はないと思っているのですが、瞬発力や、キック力、パンチ力と言った基礎的な運動能力はある様で、私は、子供の頃(小学生の頃)までは、体育の授業や運動会で、大活躍していましたw

中学生の頃、男友達達と、学校で、スーパーマリオごっこをしていて、学校の天井に穴を開けてしまった事もありますw 学校の先生達には秘密にし、周りで目撃した子達にも、言わないでと口止めをしておいたので、穴が開いた事は発見されましたが、私が犯人だとは、バレませんでしたw

私は高校の頃は学校で自分の身の回りにイジメはありませんでしたが、小学校・中学校の頃は、クラスでいじめられている子を、まあ時には暴力に訴えてしまう事もありましたが、いじめっ子から助ける(解放してあげる)事は、得意でしたし、自分の身の回りに、イジメを受けている子がいたら見逃せずにそうして来ました。

また、私は、若い頃、それなりに危ない事はしましたが、幸いな事に路上等で、人に攻撃されそうになった事はなく、私は喧嘩に関する、武勇伝等は全くありませんがw、小学校・中学・高校の頃は、クラスに、クラスの男どもをしめようとする、いけ好かない男がいた場合は、私が、殴ったり、張り手をかましたりしたら、以後、私には干渉しなくなったものですw

運動に関しては、私は、前述の通り、瞬発力や、キック力、パンチ力と言った基礎的な運動能力はある様で、私は、子供の頃(小学生の頃)までは、体育の授業や運動会で、大活躍していましたが、私は、前述の通り、体を動かす事(運動)は、基本的には、それ程、好きではなく、また、前述の通り、私は、中学・高校と帰宅部であったので(上の投稿、「両親の結婚前の修羅場」を、参照)、中学・高校の頃は、体育の授業や、運動会・体育祭で、普段バリバリに筋トレをしている体育会系の部活に所属する男子達には、敵わなくなりました。

ただし、運動の中でも、水泳は、中学以降も、比較的、得意を、保っていました。高校の体育の水泳の時間の気まずいエピソードとして、プール際で、すれ違った女の子が、私を見て、むっちゃ恥ずかしそうに目をそらしたのですが、原因は、泳ぐ時、勢い込んで飛び込んだのはいいものの、その勢いで、競泳用のパンツ(水着)が下にずれてしまって、それに気付かず、(幸いな事に身は見えなかったもののw)、お毛毛の上部が丸見えのまま、泳いでプールから上がり、少し歩いた事だったと言うのがありますw




私は、学生時代、私の街(東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地。ちなみに、私の実家は、我が家の近所です)の、合気道(aikido)(日本の格闘技(martial art)の一つ)教室に通っていたのですが、私の元来の(元々の)、飽きっぽい性格により、高校の時、とても短期間、大学の初期の頃、短期間、習っていただけで(通っていただけで)、長続きしませんでした。

私は、高校生の時、とても短期間、私の街の、合気道(aikido)教室で、合気道(aikido)を習っていました。どうして、とても短期間でやめてしまったのかと言うと、私の元来の(元々の)、飽きっぽい性格と、高校時代、案外、忙しく、他の事(まあ、主に遊びではあるのですがw)に時間を使いたかったからです。

私は、高校生の時は、放課後は女の子・女の子達や私と同じチャラチャラした男友達達と遊ぶのに忙しく(渋谷でよく遊んでいました)、クラブ等での夜遊びや合コンもたくさんしていました。

私の親は、自由放任主義的な面があり、私の母は、私が、中学生・高校生時代、夜遊びをする際に、友達の家に泊まって来る等と言えば、深く詮索しませんでしたし、私の母自体が、チャラチャラしている面があり、男の子は、ある程度、遊んだ方が良い・やんちゃした方が良い位に、思っていた節がありw、そう言う意味では、ある意味、やり易かったですw(私は、遊び易かったですw)。



前述の通り、私の弟は、高校の頃、サーフィン(surfing)や、スケートボード(skateboarding)、スノーボード(snowboarding)を、よく、やっていて、アウトドア派でしたが、私は、基本、インドア派でした。私の場合、インドア派と言っても、人と過ごすインドアで、交際している女の子・親密な女の子との放課後のカラオケボックスでのカラオケ(渋谷のカラオケボックスをよく利用していました)、交際している女の子・親密な女の子との放課後のラブホテルのご休憩(エッチ)(渋谷周辺のラブホテルをよく利用していました)、放課後に交際している女の子と家(実家)の自分の部屋でテレビゲームをして遊ぶ事、放課後に交際している女の子の家(実家)に遊びに行き交際している女の子の部屋で過ごす事、合コン、クラブでの夜遊び等と言った物です。

私は、高校生の頃、渋谷(shibuya)(東京最大級の繁華街の一つ。東京都心部の西部に位置する)で、最も、よく、遊んでいました。

まあ、渋谷(shibuya)は、私が通っていた高校(住宅地にあり周囲の環境は良いです)の、最寄り駅から、電車で、3分位の場所で、また、渋谷(shibuya)は、私が暮らす(ちなみに、(高校生の頃、当然、実家暮らしでしたが)、実家は、我が家の近所です)、渋谷(shibuya)区(東京都心部の西部に位置する区)で、最大の繁華街なので、当然の事と言えば、当然の事と言えますが。。。




私は、大学に入学すると同時に、高校の時、とても短期間でやめてしまった、私の街の、合気道(aikido)教室に、再び、通い始めました。

この時は、高校の時よりかは、長続きしましたが、やはり、私の飽きっぽい性格から、絶対的には、長続きせず(短期間しか続かず)、初段(黒帯(black belt))の1歩手前の、1級でやめてしまうと言う、微妙な終わり方をしましたw

私が、合気道(aikido)を、初段(黒帯(black belt))の1歩手前の、1級でやめてしまうと言う、微妙な終わり方をしたのは、初段(黒帯(black belt))と1級の壁が厚かったと言う事もありますw 私は、合気道(aikido)の、初段(黒帯(black belt))のテストを初めて受けた時、(ルールは、ほとんど忘れてしまっていて、間違っていたら申し訳ありませんが)、3回、戦って、2回、勝たなければ、駄目だったのですが、2回連続、負けてしまって、初段(黒帯(black belt))のテストを落ちて、それで、厭になって、すぐにやめてしまいました。前述の通り、私は、瞬発力や、キック力、パンチ力と言った基礎的な運動能力はある様ですが、合気道(aikido)のルールの前では役立たずでしたw また、私の方は、街の道場(教室)で、チャラチャラと、お遊びで、合気道(aikido)を習っていただけですが、初段(黒帯(black belt))のテストで戦った相手は、何れも、大学のバリバリの体育会系の合気道(aikido)部の学生で、周りの応援を含めて、圧倒されてしまったと言うのもありますw

ちなみに、私が、合気道(aikido)を習っていた、私の街の、合気道(aikido)教室(道場)は、当時、習っている人の、半数位が、外国人で(当時、その、合気道(aikido)教室(道場)で、合気道(aikido)を習っていた、外国人は、ほとんど全て、白人系の男性でした。白人系の女性も習っていましたが、体験入学と言った感じで、習っても、とても短期でやめて行ってしまうと言った感じでした)、私が、主に、その、合気道(aikido)教室(道場)で習っていた先生は、その合気道(aikido)教室(道場)出身の、がっしりとした体形の、中年の(当時)、いかにも、武道家と言った風貌の、白人系のデンマーク人の先生で、私が、初段(黒帯(black belt))のテストを受ける、直前の時期には、その先生に、マンツーマンで(一対一で)、親切に、教えて貰ったりしたのですが、その先生の、(私を含み)生徒の技が決まった時の、「良し!」ではなく、「ヨチ!」と言う、掛け声が印象に残っていますw ちなみに、私は、その、合気道(aikido)教室で、チャラチャラと、お遊びで、合気道(aikido)を習っていたと言う感じであったのですが、その、合気道(aikido)教室の先生達は、そのデンマーク人の先生を含み、当時、10代の私の事を、とても可愛がってくれました。

以下の投稿は、当時の、その、合気道(aikido)教室の、私の、女性関連のエピソード(思い出)です(女性は、何れも、日本の女性です)。

叶わぬ恋(日本語)→
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叶わぬ恋(韓国語)→
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私は、18歳の自動車の免許取得と同時に、親に、自動車を買って貰ったのですが(私の弟もそうです)、前述の通り、私は、元々、自分は、運動神経はないと思っている事から(ただし、運が良いのか、自動車の免許は、とても短期間に、とてもスムーズに取れました。私の弟も、そうです(私の弟も、自動車の免許は、とても短期間に、とてもスムーズに取れました))、学生の頃から、自動車は、無謀な運転はしない派なのですが(ちなみに、私の弟も、昔から、無謀な運転はしない、安全運転派です)、例外的に、学生の頃でも、10代の頃の私は、まだ、実地での運転技術が未熟にも関わらず、根拠なき、運転の自信だけあって(自動車の免許が、とても短期間に、とてもスムーズに取れてしまったと言う事もあると思います)、伊豆で、カーブで、スピードを出し過ぎて、曲がり切れなくなりそうになって、ヒヤッとした事があります。



ちなみに、私は、大人の男性の、たしなみ(作法)として、女性を助手席に乗せて自動車を運転する場合、俺の自動車は偉いんだぞ的な傲慢な運転や俺の自動車は速いんだぞ的な運転テクニック自慢の運転をするよりも、隣りに乗っている女性を大切に思い、乗り心地の良い運転・安全運転を心掛ける方が、はるかに格好良いと思い、実際に、女性を助手席に乗せて自動車を運転する場合、その様な自動車の運転(隣りに乗っている女性を大切に思い、乗り心地の良い運転・安全運転)を心掛けています。それで、助手席の女性が寝てしまっても、御愛嬌と言った感じで暖かい目で見守っていますw(基本的に、誰でも、楽しく目一杯遊んだ後は疲れて眠くなるものです)。BGMにしても、例えば、彼女とドライブする際には、BGMなしで、彼女と話をしている方が楽しいです(彼女が、遊び疲れて寝てしまったら、(彼女を起こさない程度のボリューム(音量)で)BGMに切り替えますw)。

以下、参考の投稿。

自動車のBGMとして聴く曲(まとめ編)(日本語)→
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自動車のBGMとして聴く曲(まとめ編)(韓国語)→
/kr/board/exc_board_8/view/id/2622217?&sfl=membername&stx=jlemon



私の父方の祖母は、もう100歳近い年齢ですが(私は性格に大雑把な面があり、父方の祖母の正確な今の年齢を把握していませんw)、元気に長生きしていますが、昔から頭の回転が速く、ユーモアがあり話がとても面白いです。私の父方の伯母も昔から頭の回転が速く私が子供の頃から、とてもユーモアがあり話がとても面白いです(ちなみに私の父はそうでもありません)。私も、実際に話が面白いかどうかは置いておいて、実生活において面白い話をして人を笑わせるのが好きなのですが、私の性格のそのような面は私の父方の祖母の性格を受け継いでいると思います。

実は、私が、人生の内で、人を笑わせる才能が、最もあったのは、私が小学生の頃で、当時、私が、実際、どの様な事を言って、クラスの女子達を笑わせていたのか忘れましたが、子供相手の子供のギャグなのですが、私は小学生の頃、クラスの女子達を、本当によく笑わせていて、当時、クラスの女子達は、皆、休み時間等に、私を取り囲んで、こぞって、私と話したがりましたw

私は、中学生以降になるとクールを気取りたい年頃になって、クラスの女子達を全員相手する(笑わせようとする)ような事はしなくなりましたが、自分の友人達や自分の交際している女の子・自分の親密な女の子を、引き続き、面白い事を言って笑わせていました(面白い事を言って笑わせるのが好きでした)。

私は話し(会話)が、決して上手な方ではないと思いますが、私は、昔から実際に話が面白いかどうかは置いておいて、実生活において、面白い話をして、人を笑わせるのが好きで、(これは、相手が男女関係ない事ですが)、私は、笑いの波長の合う相手だと、相手を笑わすのが楽しいので饒舌になりますw

ちなみに、私は、小学生の頃、本能的に?、クラス等の特定の女の子と親しくすると、人間関係がギクシャクするかもしれないと分かっていた感じで、基本、全ての女の子に、出来るだけ平等に接するようにしていたのですが、そんな中でも、特に親しい子は、いた事はいて、その様な女の子は(特に親しくする女の子は)、本能的に(自然に)、親しくしても、他の女子達との人間関係がギクシャクしないような女の子を選んでいました。

小学生の頃、特に親しかった同級生の少しマセた女の子の友達が、教室で、本田美奈子の歌と踊りの真似をして「マリリン~♪」なんてやっていた頃に(ちなみに、その女の子は(その女の子は、美人さんでした)、地元の同じ公立の中学に進学したのですが、中学では、校内女子トップクラスの不良になりましたw)、私は、ボン・ジョヴィのCDをかけながら、鏡に自分を映して、ジョン・ボン・ジョヴィの歌真似をする、一人ボン・ジョヴィごっこを編み出し、家でやっていました(さすがに、学校では恥ずかしいのでやらなかったw)。ボン・ジョヴィごっこは中2くらいまで続けていました(今となっては、赤面の思い出ですw)。

以下、参考の投稿。

初めて買ったCD(日本語)→
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初めて買ったCD(日本語)→
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私は、若い頃、それなりに危ない事はしましたが、幸いな事に、路上等で、人に攻撃されそうになった事はなく、私は、喧嘩に関する、武勇伝等は、全くありませんw 私は、人生において、蜂に刺された事もなければ、骨折した事もない軟弱者ですw 私は大学の時、アメリカに1年間留学した時に、アメリカで、バイク(motorcycle)で(留学生活が始まってすぐに、バイク屋で、$500程で、日本製の、中古のバイク(motorcycle)を購入しました。記憶が曖昧だが、kawasakiの300ccから400cc位の、バイク(motorcycle)だったかな?)、スピードを出し過ぎてカーブ曲がり切れなくて畑にバイク(motorcycle)ごと突っ込んだ時も擦り傷だけでしたw(ちなみに、その時、バイク(motorcycle)も、(簡単な修理に出す必要があったものの)、無事でした。ちなみに、その事故は、私の人生を通じて、自分が運転する、自動車・バイク(motorcycle)での、唯一の事故です。ちなみに、自動車に関しては、前述の通り、20代以降は、無謀な運転はしなくなったのですが、バイク(motorcycle)に関しては、20代初めのアメリカ留学当時、まだ、根拠なき自信から来る無謀運転の名残がありましたw)。ちなみに、バイク(motorcycle)は、私は、自動車に比べれば全く関心はなく、20代の半ば以降は、ほとんど乗らなくなり、20代の後期以降は、全く乗っていません(ちなみに、私が、日本で乗っていたバイク(motorcycle)は、友人から、中古の物を、ただ同然で、譲って貰った物です(尾崎豊(ozaki yuktaka)の、歌の歌詞ではありませんが、盗んだバイクではありませんw)。ちなみに、バイク(motorcycle)の免許は、自動車の免許同様、とても、スムーズに、とても短期間で取れました。ちなみに、私の弟は、バイク(motorcycle)の免許は、持っていません)。ちなみに、そもそも、私は、バイク(motorcycle)は、日本では、自動車に比べれば、ほとんど乗っていないと言った感じであったのですが(ただし、前述の通り、20代初め頃までは、根拠なき運転の自信だけはありました)、万が一、バイク(motorcycle)で事故って(バイク(motorcycle)は、自動車よりも、遥かに危険である事は、分かっていました)、自分が死んでも、自業自得だが、自分の大切な女の子は、そんな危険に晒す訳にはいかないと、私は、自分のバイク(motorcycle)に女性は乗せない主義で、今まで、女性を後ろに乗せて、バイク(motorcycle)で走った事は、一度もありません。


私はB型のマイペースで、女性に拘束されるのは嫌いなタイプなのですが、その一方で、寂しがり屋の面もあってか(自分で言うのも何ですが、性格は完全に猫と言った感じですw)、中学校2年生の後半(14歳の時)に、初めて、女性と交際して以来、今まで、途中、大学生の時、1年間、アメリカに留学していた時を除いて、二か月以上、女性と交際しない期間が空いた事がありません(大学生の時、1年間、アメリカに留学していた時は、交際している女性はいませんでした。。。それは、それで、楽しかった)。

私は、大学時代、1年間、アメリカの大学に留学していました(ちなみに、私の弟も、大学時代、アメリカに1年間留学していましたが、その事に関して、弟は、私の影響を受けました)。私は、会社員の父の仕事の関係で、小学校低学年の時の約2年間(当時、日本のアニメ等は母方の祖母が私の為にマメにビデオに録画してくれましたw)、中学1年と2年の間の約1年間、アメリカに暮らしていて、小学生の頃はL.A.、中学の頃は、サンフランシスコに暮らしていたのですが(休みの日に、現地で親に色々遊びに連れて行って貰ったり、良い(楽しい)思い出として残っています)、大学時代、1年間、アメリカの大学に留学した際の留学先は、大都市よりも田舎に興味があったので、あえて、アメリカの田舎の大学を選びました。

私は、大学時代、1年間、アメリカの田舎の大学に留学した際、現地では、日本人留学生を含めた留学生とはほとんど絡まず、ほとんど現地の白人系の男女の学生ばかりとつるんで遊んでいました。

ちなみに欧米の人々は、日本文化に興味がある人は、日本の特定の分野について、妙に詳しかったりするけど、(まあ、日本の田舎の人々の外国に対する認識も似たような物だと思いますが)、一般的な人々は、(日本に仕事や観光で訪れた事や暮らしていた事がある人を除いて)、普段、日本製品を使っていたり、子供の頃、日本製のアニメ等を見ていたり、日本映画の、一、二本は、見た事があったりしても、日本に対する認識は、何となく、自分達の国から遠い国位の認識しかありませんw そして、個人的には、その方が、人付き合いにおいて楽な部分も多いです(日本人と言うよりも、1人の個人(私は私)として見て貰えるので)。

大学時代、1年間、アメリカの田舎の大学に留学した際の、ある時、現地で(アメリカの留学先の大学で)知り合った、現地の白人系のアメリカ人の男子大学生の友人4人と(私を含めて5人で)、遊んでいた(と言うか、大学の寮の1室に集まって話をしていた)際に、会話が何となく、それぞれのルーツの話となり、その際に、私は、皆に、「俺は、何人に見える?」と聞いたら、4人の内の3人が、私が何人に見えるかどうか発言したのですが、その内の1人は、「お前は、東ヨーロッパ人(東欧人)に見える」と発言し、1人は、「お前は、何となく、南ヨーロッパ人(南欧人)に見えると発言し」、1人は、「お前は、やっぱり、日本人に見えるよ」と発言し、3人とも、発言が、バラバラでしたw そもそも、アメリカ人は、地理だとか国際感覚だとかアバウト(いい加減)だからなぁwと言うのがあるのですが、もしかしたら、私は、私の父に似て(ちなみに、私の父は、顔は、ソース顔です)、顔が、ソース顔であると言うのもあるのかもしれません。

ちなみに、大学時代、1年間、アメリカの田舎の大学に留学した際の寮のルームメイト(白人系の18歳から19歳。地毛が茶色の、可愛い系のイケメンと言った感じで、背は、私とほぼ同じか、私よりも若干高い位で、178cmから180cm位だったかな?)は、一緒に暮らすようになって、しばらくしたら髪を黒く染めて来て、「どうしたんだ?」と聞いたら「お前の真似をしたんだ」と言ってましたw そのルームメイトが交際していた白人系の女性は、30代の(当時34才くらいだったかな?)金髪の、女優系の顔の美人さんで既婚者(要するに不倫)(二人(ルームメイトとその女性)が知りあったきっかけはアル中のカウンセリング)。そのルームメイトの交際相手の女性(私とも割と仲が良く、私のルームメイト、その女性、私の3人で、その女性の旦那不在時に、その女性の家で、一緒に夕食を食べた事もあります)は、旦那との仲が冷え切っており、旦那からの誕生日プレゼントが、自動車のタイヤでしたw(ちなみに、その女性が乗っていた車は、ボルボでした)。

アメリカ留学生活中は、アメリカ人や留学生の彼女は、出来ずに(と言うか、意図的に作らなかったと言う面もあるのですが。ちなみに、そのアメリカ留学中、交際はしていなかったのですが、何人かの、現地の、アメリカ人の女性とエッチ(sex)はしましたw 済みません。昔は(若い頃は)、ワルでした)、そのおかげで、逆に自由に、週末は、気の向くままに、好きな所に遊びに行く事が出来ました。週末は、バイク(motorcycle)やレンタカー(rent-a-car)で、一人で(レンタカー(rent-a-car)の場合、たまに、男女の友人・友人達、女の子を乗せて出掛ける事もあったけど)、よく、気ままに、小旅行に出かけました。大学生の時、1年間、アメリカに留学していた時の終わりに、当時$1,000程で中古のBuickを購入し(途中、故障関連で何度かヒヤヒヤしたが無事旅を終えたw)、一人でアメリカ横断旅行したのですが、そのBuick、今だから言ってしまうと、何と、運転席のシートベルトが引きちぎれていましたw そのまま、一見、シートベルトをしているように見えるようにし誤魔化しながら、旅行しました(若かったから出来た事。今なら、とても出来ませんw)。

ちなみに、私の弟の、大学時代の、1年間の、アメリカ留学は、私なんかよりも、遥かに(ずっと)、真面目で、堅実な物であった様ですw

話を戻しますと、私は、若い頃、それなりに危ない事はしましたが、幸いな事に、路上等で、人に攻撃されそうになった事はなく、私は、喧嘩に関する、武勇伝等は、全くありませんw 

私は、中学1年生の時に、地元の同じ中学校に通う、当時、中学3年生の、スケバン(不良の女性)の、番長に、告白された(その番長と、その番長の、子分又は友人の、同じ中学校に通う不良の中学校3年生の女子中学生の、二人で、中学校の通学路で、待ち伏せされ、その番長に告白された)のに始まって、私は、若い頃、所謂、典型的な不良とは、むしろ、女性との絡みが多かったですw

私は、中学1年生の時、その、当時、中学3年生のスケバン(女性の不良)の番長(美人で、背が高い、女優・モデル系の外貌の女性でした)に告白された際に、私は、その様な年上の女性に、告白される、心の準備が出来ておらず、又、まだ、あまり物事を、よく考えられない年頃であったと言うのもあり、咄嗟に、どうして良いか、全く、分からず、「今は、ちょっと付き合う事が出来ません」と断りました。その、スケバン(女性の不良)の番長とは、それ以来、何もありませんでした。

ちなみに、私が、初めて女性と交際したのは、中学2年生の後半(14歳の時)で、相手は地元の同じ中学校に通っていた同学年(同い年)の女の子で、それまで、「目と目で通じあう」(工藤静香の歌とは全く関係ないですw まあ、私が初めて女性と交際し始めた時期と似たような年のヒット曲ではありますがw)と言った感じで、お互いに両想いであるのは分かっていて、私が誘った初めてのデートの際に、私が、「付き合っちゃおうか!」と言い、相手が、それに対して快諾した事で、交際がスタートしました。

ちなみに、私の弟は、私に比べれば、女性に対して、奥手で、中学の頃、何人かの、女の子に、アプローチされたり・告白された事があったようですが、何れも、弟のタイプの女の子ではなかったらしく、弟が初めて、女性と交際したのは、高校1年生の時で、弟は童貞も、おそらく、高校1年生の時、失っていると思います。

前述のように、私は、若い頃、所謂、典型的な不良とは、むしろ、女性との絡みが多かったのですが、別な意味での、悪い友人(悪い友人達)との付き合いは、中学生の頃からあり、既に、中学生の頃から、渋谷での、ディスコ・クラブでの夜遊びの、デビューを果たしていました(本格的に、club(nightclub)等で、よく、夜遊びするのは高校生になってからでしたが。。。)。



以下、ようやく、投稿の、本文に入り、「万引きの思い出/先生のエコ贔屓」の話です。

私は、小学校の中学年の頃、当時、同じクラスであったのですが、クラスと言うか、学年の、ガキ大将的な男の子と友達でした。と言うか、そのガキ大将の男の子が、やたらと私と友達になりたかったらしく、私に、友達になってくれオーラ全開で、せっついて来て、強制的に、友達にされてしまったと言った感じでしたw ちなみに、前述の通り、私は高校の頃は学校で自分の身の回りにイジメはありませんでしたが、小学校・中学校の頃は、クラスでいじめられている子を、まあ時には暴力に訴えてしまう事もありましたが、いじめっ子から助ける(解放してあげる)事は、得意でしたし、自分の身の回りに、イジメを受けている子がいたら見逃せずにそうして来ましたし、小学校・中学・高校の頃は、クラスに、クラスの男どもをしめようとする、いけ好かない男がいた場合は、私が、殴ったり、張り手をかましたりしたら、以後、私には干渉しなくなったものですが、その男の子は、一応、弱い者イジメのような事はしませんでしたし、クラス等の、男子、全員を、しめようとするようなタイプの、ガキ大将でもありませんでした。

私の街の、我が家から離れた場所に、子供向けの、様々な雑多な物・お菓子を含む、色々、雑多な物を売っていた文具店があったのですが、ある放課後、私と、そのガキ大将の男の子と、そのガキ大将の取り巻きの子分の男子達で遊んでいた所、そのガキ大将の男の子に命じられて、そのガキ大将の取り巻きの子分の男子達が、その文具店の店頭に置いてあった、お菓子を、白昼、堂々と、それぞれ、箱ごとと言った感じで、大量に、万引きして来ましたw そのガキ大将の男の子は、万引きをして来た、そのガキ大将の取り巻きの子分の男子達に、ご褒美で、万引きして来た、お菓子の中から、少しずつあげて、残りを(全体の大半を)、私と二人で、山分けしました。私は、まだ、小学校の中学年で、善悪の判断が、それ程、厳格にはついておらず、後ろめたい気持ち・悪い事をしている気持ちはあったけれども、まあ、いいかなと言った感じで、分けて貰った、お菓子を、一度に、家に持ち帰れなかったので、何回かに分けて、家に持ち帰り、それを、私の2歳年下の弟と、(お母さんと、お父さんには、秘密ねと言った感じに弟に言って)、山分けし、私と弟は、家(実家)の、それぞれの部屋に、お菓子を隠し、少しずつ食べていましたw

しかしながら、そんな白昼堂々とした、大量の、万引きがバレないはずがなくw、目撃者がいて、すぐにバレて、おそらく学校に通報され、学校中の、問題とされ、おそらくPTAでも、取り上げられました。

記憶が曖昧ですが、おそらく、私は、母に聞かれて、これは、正直に言わざるを得ないと思ったのでしょう。私は母に正直に、話しました。この私の自首により、当然、私は、この大量万引きの犯人の一人として確定しました。また、私以外の、その大量万引き関係者の男子全員も、自首・その他により、それぞれの、親に、その事がバレてしまいました。

それで、その大量万引き関係者である、そのガキ大将の男の子、そのガキ大将の取り巻きの子分の男子達、私と、それぞれの母親(もちろん、私の母を含む)が、全員で、万引きの被害相当額のお金かお詫びの品かどちらかを持って(どちらか記憶が曖昧です)、その文具店に、お詫びをしに行った事で、その万引き事件は、解決しました。

そして、母と共に、その文具店に、謝罪に行って、家に帰って来た後、当然、私は、母に、お説教されました。

私の父も、私の母も、昔から、子供を叱る・お説教する時は、感情に任せて、怒鳴ったりするのではなく、理詰めで教え諭すような叱り方をする主義です。私も私の弟も、父親にも、母親にも、一度も、大きな声で、叱られたような事はありません。

私の母は、記憶が曖昧ですが、おそらく、文具店の家族は、品物を販売する事によって生活をしているのだから、その品物を盗むような事は、その文具店の家族の生活の手段を奪う事であり、その文具店の家族を悲しませる悪い事であると言った内容の事を、私に言って聞かせました。私も、母の言う通りだと思い納得したのですが。。。

私の母は、私の母方の祖母(既に亡くなっています)と共に、私の母方の祖父(既に亡くなっています)の、真面目な点・誠実な点・正直な点・誰に対しても、めったに怒らない性格が穏やかな紳士である点等を賞賛していましたが、私の母は、その様な、母方の祖父の下に育った、一人っ子(一人娘)です。

私の母は、大量万引きに関係したと言う、私の事について、その文具店に、私と共に、謝りに行ったと言う事が、相当、悔しかった、相当、プライドが傷ついたのでしょう。

私の母は、その事(その時、私が、大量万引きに関係したと言う事について)、一通り、私に説教をした後、最後に、目に涙を一杯溜めて、私の目を、じっと見つめて、私に、「お母さんの事、好き?」と聞きました。私が、「うん」と言うと、母は、「お母さんは、この事で、一杯、傷ついたの。お母さんの事、好きなら、お母さんの事を、もう傷つけないで」と言うと、ポロリと、大粒の涙を落とすと言うか頬に流しました。私は、それを見て、泣きはしませんでしたが、思わず泣きそうになり、「うん、もうしないよ」と言う事が精一杯でした。

私は、その時、母の、理詰めの、お説教も、その通りだと思ったのですが、それよりも、何よりも、その時の、最後の、母の涙とセリフが、子供心にも、強いインパクトを残しました。私が、人生の内で、万引きをしたのは、後にも、先にも、この時、一度だけです(まあ、この時も、私が、直接、万引きを指示したり、直接、万引きした訳ではありませんがw)。ちなみに、私の弟は、生まれてから一度も、万引きをした事がないと思います。



まあ、私の弟の場合、実際にそうであった(大人しく優しい良い子であった)と言う面もあるのですが、私も、私の弟も、親の前、学校の先生の前を含む、大人の前では、大人しい良い子を演じるのが、とても、ズル賢く上手でした。

私も、私の弟も、基本、小学校・中学校・高校を通じて、老若男女を問わず、全ての、学校の先生から、エコ贔屓されていましたw(私の弟については、推測が入ってしまうのですが、私の弟も、おそらく、私と同じであったと思います)。

ちなみに、私は、高校の時、物理のテストで赤点をとって母と共に学校に呼びだされた事があるのですが、それは、私の物理のテストの点数が低かったので、仕方がない事です(ちなみに、その、呼び出した先生(中年の男の先生でした)は、勉強の指導は厳しい先生でしたが、温和で、穏やかな先生でした)。

私が小学校の中学年の頃の、クラスの担任の先生は、当時の私から見たら、正に、おばあさんに見えたと言った感じの、年配の女性の先生であったのですが、その先生は、偏屈で、気難しく、悪ガキに対しては、非常に厳しいと評判の先生でしたが、その先生は、確かに、悪ガキに対しては、非常に厳しかった一方で、私の事は、まるで、目に入れても痛くないような孫のような存在として可愛がってくれましたw 父母会等で、その先生が、私の母と会話する際にも、その先生は、よく母に対して、私の事を、上品で、大人しくて、良い子等と言っていた様です。その万引き事件に関しても、その先生は、そのガキ大将は、こっぴどく叱る一方で、私の事は、まるで、悪い事に巻き込まれてしまった、被害者で、気の毒のように扱ってくれました。私が、クラスの、悪ガキ・悪ガキ達と、一緒に、悪さ(いたずら)をした際にも、その先生は、私が、悪さ(いたずら)をする事が信じられない・信じたくないと言った感じで、私は犯人にはされずに、一緒に、悪さ(いたずら)をした、悪ガキ・悪ガキ達だけ、その先生に叱られていました。私は、いじめっ子・いじめっ子達から、いじめられっ子と助けると言った正義感は、子供の頃から持っていましたが、私は、聖人君子(完璧な人間)ではないので、その様な、先生のエコ贔屓に関しては、ズル賢く、エコ贔屓されるがままに任せていましたw(私の弟も、おそらく、そうであったと思いますw)。

私が、小学校の頃は、まだ、子供に対して体罰をする先生が残っていました。私が、小学校高学年の頃の、クラスの担任の、年齢の高い中年の男の先生は、児童(生徒)に対して、体罰を、よくする先生として評判であり、実際に、そうでした(児童(生徒)に対して、よく体罰をしていました)。ちなみに、私が、人生の内で、学校で、体罰をする先生に教わったのは、その先生だけです(ちなみに、私の弟は、人生の内で、学校で、体罰をする先生に教わった事はないと思います)。その先生も、例に漏れず、私に対して、エコ贔屓をし、他の児童(生徒)達に対しては、男女を問わず、細かい事で、よく、体罰をしていたのにも拘わらず、私に対しては、一回しか、体罰をしませんでした。その一回の、体罰なのですが、私と、クラスの悪ガキが(ちなみに、その悪ガキとは、友達でも何でもありませんでしたし、悪さ(いたずら)も、同じ、悪さ(いたずら)でしたが、一緒にした訳ではありません)、同じ、悪さ(いたずら)をして、明らかに、私も、犯人である事が分かり、その先生が、クラスの児童(生徒)達に示しをつける為に、どうしても、私と、その悪ガキに対して、クラスの児童(生徒)達の前で、同じ、体罰を与えなければならない状況に追い込まれた時でした。そして、その時、その先生は、その先生が、児童(生徒)達に対して、よくしていた体罰の一つで、教室の黒板に向かって児童(生徒)を立たせて、細い竹?で出来た棒で、尻を叩くと言う体罰を、その悪ガキと私に対してしたのですが、最初、その悪ガキを、その先生が、いつもしているように強めに叩いて、その悪ガキは、痛そうな表情をしていたのですが、その後、私の番になったのですが、私を叩く時は、誰に対しても、バレバレと言った感じの、明らかに、叩く強さに差をつけて、まるで、私の尻を優しく撫でると言った感じの叩き方で、優しく叩き、私は、痛くも痒くもありませんでしたw ちなみに、その先生も、私の母とは、仲が良く、父母会等では、母と、親しく話していた様です。

前述の通り、私も、私の弟も、親の前、学校の先生の前を含む、大人の前では、大人しい良い子を演じるのが、とても、ズル賢く上手でしたが、私も、私の弟も、小学生から中学生の頃、基本、マセたガキであった事は確かで、特定の大人に対しては、生意気に牙を向く事もありました(私も、私の弟も、高校から大学にかけて、だんだんと穏やかになって行きましたが。。。)。

私の弟は、中学生の時、担任であった、男の先生に、制服の着方が、だらしないと注意されて、弟は、その着方が、格好良いと思い、故意にその様な制服の着方をしていたのですが、それに対して、弟は、キレて、先生に対して、「誰にも、迷惑をかけていないじゃないですか!」と強い口調で反発をし、その制服の着方を、直さなかったそうです。まあ、私も弟も、先生の家庭訪問の時は、いつも、お宅のお子さんは何の問題もありませんよと言った感じの、先生と母の、短い談笑で終わっていた感じなのですが、その時の事も、その様な家庭訪問の際に、その弟の担任の先生と母との談笑の中での、「お宅のお子さんは、はっきりと物を言う時は言いますね」と言った感じの話題の取り上げられ方だけで終わったようですがw

ちなみに、私は、中学生・高校生の頃、学校の女性の先生と交際したり、仲良くなったり(エッチ(sex)したり)した事はありませんでしたが、中学生の頃、クラスの担任の先生ではなかったのですが(ちなみに、中学の頃のクラスの担任の先生は、個人的に、何れも男の先生でした)、当時、20代の半ば位であった、女性の先生に、妙に(非常に)、男として意識されてしまった事はありますw そして、中学・高校時代、それ以外にも、女性の先生に、多かれ少なかれ、異性として意識されていると感じた事がありますw

私は、(まあ、中学の頃も、その様な事がありましたが)、高校の時は、どの教科の先生であっても、厳しいと評判の先生であっても、私に対しては、一目置いていたり、甘いと言った節がありました。

私の高校の時の、クラスの担任であった先生の一人で、とても厳しいと評判の、中年の女性の英語の先生がいたのですが(その先生は、宿題を、たくさん出す先生でした)、その先生は、英語の授業の時の、私の英語の発音の良さや、私の学校の英語の成績等から、私に、一目置いている感じで、他の生徒達には、宿題をやって来なかった場合は、厳しく叱っていたのに対し、私に対しては、少しくらい、私が宿題をやって来なくても、何も言いませんでした(ちなみに、私は、中学生・高校生の頃、夏休み等の宿題は、休みが終わった後、各教科の、最初の授業までに仕上げるタイプでしたw)。ちなみに、その先生は、中年の女性でしたが、私は、その先生にも、少し異性として意識されてしまっていたような感じがありましたw その先生も、私の母とは、仲が良く、父母会等では、母と、友達のように親しく話していた様です。ちなみに、当時、英語力と言う点に関して、その高校の女性の英語の先生よりも、父と結婚してからアルバイトを含めて仕事は一切した事がない専業主婦の私の母の方が上であったと思います。

以下、参考の投稿。

ボブの絵画教室(日本語)→
/jp/board/exc_board_8/view/id/2610488/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon
ボブの絵画教室(韓国語)→
/kr/board/exc_board_8/view/id/2610488/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon
母方の祖父の男の意地(日本語)→
/jp/board/exc_board_8/view/id/2612459/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon
母方の祖父の男の意地(韓国語)→
/kr/board/exc_board_8/view/id/2612459/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon



도둑의 추억/선생님의 에코비희



이 투고는, 과거에 간 님 들인 투고에 새로운 내용을 추가한 것입니다.

이하의 투고도, 참조해 주세요.

부모님의 결혼전의 아수라장(일본어)→
/jp/board/exc_board_8/view/id/2625195?&sfl=membername&stx=jlemon
부모님의 결혼전의 아수라장(한국어)→
/kr/board/exc_board_8/view/id/2625195?&sfl=membername&stx=jlemon



도쿄도심부의 서부의 조용하고 침착한 주택지에 있는, 우리 집의 부근의, 나의 친가는, 원래, 나의 외가의 조부모의 집에서(덧붙여서 어머니는, 독자입니다), 현재는, 부모님이 계승하며 살고 있습니다.이미, 외가의 조부모 모두, 죽습니다.

나에게는, 형제 자매는, 2세 연하의 남동생이 한 명 있습니다.나의 남동생은, 회사원으로, 이미, 결혼을 해, ( 아직, 두 명모두, 어립니다만) 아이가 2명 있어(사내 아이(위)가 1명으로 여자 아이(아래)가 1명.여자 아이는, 재작년, 태어났던 바로 직후), 남동생의 가족(아내·아이)과 함께, 도쿄의 서부 교외의, 조용하고 침착한 주택지에 산, 독립주택에, 살고 있습니다.


나는, 고교시절( 나의 고교생활은), 상쾌한 면도, 어느A 일은 있었습니다만, 소박하고, 상쾌한 청춘이라고 말하는 것보다는, 어느 쪽일까하고 말하면, (당시 , 당시의 나와 같은 정도, 정도가 낮았던 w, 친구들과 함께), club(nightclub) 등으로, 자주(잘), 밤놀이하거나( 나는, 보통, 남녀공학의 고교에 다니고 있고, 학교내의, 여자 아이들과도, 사이좋게 지내고 있었습니다만), 자주(잘), 다른 고교에 다니는, 여자 아이들등과 미팅(친구나 알게 되어 등의 소개에 의한, 남녀가, 알게 되기 때문에(위해)의, 선술집등으로의, 회식이나 식사회.일본에서는, 대학생등의 학생위의 연령(18세 정도)으로부터 20 대위의 연령의 젊은이의 사이로, 활발히 행해지고 있다) 하거나 하고, 또, 여기에서는 쓸 수 없는 듯한 것을 하거나 하고(사람을 상처 입히는 일이 아닙니다), 어느 쪽일까하고 말하면, 도시의, 난폭한(솔직하게 말해 버리면, 상쾌라고 말하는 것보다도, 어느 쪽일까하고 말하면, 추잡하고, 타락 하고, 바보 같다(바보와 같은)) 고교생활을 보내고 있었습니다만(뭐, 그것은, 그래서, 즐거웠다), 나의 남동생은, 나에 비하면, 꽤 성실했지만 , 젊은 무렵, 서핑(surfing)이나, 스케이트보드(skateboarding), 스노보드(snowboarding)를, 자주(잘), 하고 있고, 그렇게 말하는 면(운동이라고 한 면)에 관해서는, 나보다 활발했고, 남동생은, 초등 학생의 무렵부터 대학생의 경에 걸치고, 나의 거리의, 가라테(karate)(유도(Judo) 등과 함께, 일본을 대표하는, 격투기(martial art)의 하나) 교실에 다니고 있고(특히, 중학생으로부터 고교생의 무렵, 열심히 다니고 있었습니다), 나의 남동생은, 초단일까, 2단일까, 삼단일까, 남동생에게 확인해 보지 않다고 모릅니다만, 어느 쪽으로 해도, 나의 남동생은, 가라테(karate)는, 흑대(black belt)입니다만, 실은, 어릴 적(초등 학생의 무렵)까지는, 남동생보다, 제 쪽이, 운동이라고 한 면에 관해서, 활발하고, 응석이었습니다 w



나의 어머니는 마름의 대식(대식이라고 해도 표준보다 조금 많이 먹는 정도입니다만)의 체질(비교적 많이 먹어도 야위고 있는 체질)로(근처의 친가의 어머니는, 나이를 먹어도, 잘 먹는데 변함 없이 야위고 있습니다), 나도 나의 어머니로부터의 유전으로, 마름의 대식(역시 대식이라고 해도 표준보다 조금 많이 먹는 정도입니다만)의 체질(비교적 많이 먹어도 야위고 있는 체질)입니다만, 거기에 더하고, 나의 어머니는, 야위고는 있지만 근육질의 체질로(뭐, 어머니는, 자주(잘) 아버지와 공통의 취미의 골프에(아버지와) 둘이서 가고 있는 것 같고, 피트니스 클럽에도 다니고 있고, 생각보다는 자주(잘) 운동은 하고 있는 것입니다만, 그런데도, 연령에 비해 먹는 양을 생각하면, 마름의 대식 체질이라고 말하지 않을 수 없습니다 w), 나도, 어머니가 야위고 있지만, 근육질의 체질이라고 말하는지, (운동을 하지 않아도) 근육이 다해 쉬운 체질(덧붙여서, 나는, 평상시, 운동은, 거의 하고 있지 않습니다 w)을, 계승하고 있고, (뭐, 나의 경우, 고기를, 많이 먹고 있다고 하는 것도 있다 의 것인지도 알려지지 않습니다만 w), 나는, 세사내다움계의 체형입니다(피트니스나 짐에서 몸을 단련하고 있다고 하는 것에서는 전혀 없기 때문에(라고 말하는지, 평상시, 운동부족 기색), 세사내다움의 체형이 아니고, 어디까지나, 세사내다움계의 체형입니다만 w).

다만, 나는, 몸을 움직이는 일(운동)은, 기본적으로는, 그렇게, 좋아하지 않고, 어릴 적부터, 현재까지 계속하고 있는 스포츠는, 스키위 밖에 없습니다.덧붙여서, 부모님이 스키가 좋아라고 하는 것도 있어(그 영향으로 나는 스키는 어릴 적부터 하고 있어 자신있습니다), 홋카이도는, 어릴 적, 부모에게 니세코에 스키에 데려서 가서 받거나 하고, 현지(도쿄)로부터 멀어진 장소에 비해서는, 어릴 적부터 생각보다는 익숙한 것이 있는 토지입니다만(니세코·후라노는 익숙한 것이 있다), 최근에는, 방문하고 있지 않습니다.


무엇보다, 상술한 대로, 어릴 적(초등 학생의 무렵)까지는, 남동생보다, 제 쪽이, 운동이라고 한 면에 관해서, 활발하고, 응석이었습니다 w




나는, 자신의 일을, 서투르고(다만, 에이치때는, 손가락은 손재주가 있게 움직이는 w), 운동신경은 없다고 생각합니다만, 순발력이나, 킥력, 펀치력이라고 말한 기초적인 운동 능력은 있다 님으로, 나는, 어릴 적(초등 학생의 무렵)까지 (은)는, 체육의 수업이나 운동회에서, 대활약하고 있었던 w

중학생의 무렵, 남자 친구들과 학교에서, 슈퍼 마리오 놀이를 하고 있고, 학교의 천정에 구멍을 뚫어 버린 일도 있습니다 w 학교의 선생님들에게는 비밀로 해, 주위에서 목격한 아이들에게도, 말하지 말고와 입막음을 해 두었으므로, 구멍이 열린 일은 발견되었습니다만, 내가 범인이라고는, 들키지 않았습니다 w

나는 고등학교의 무렵은 학교에서 자신의 신변에 이지메는 없었습니다만, 초등학교·중학교의 무렵은, 클래스에서 괴롭힘을 당하고 있는 아이를, 뭐시에는 폭력에 호소해 버리는 일도 있었습니다만, 집단 괴롭힘자로부터 돕는(해방 해 준다) 일은, 자신있었고, 자신의 신변에, 이지메를 받고 있는 아이가 있으면 놓치지 못하고에 따르고라고 왔습니다.

또, 나는, 젊은 무렵, 그 나름대로 위험한 것은 했습니다만, 다행스럽게 노상등에서, 사람에게 공격받을 것 같게 된 일은 없고, 나는 싸움에 관한, 무용전등은 전혀 없습니다만 w, 초등학교·중학·고등학교의 무렵은, 클래스에, 클래스의 남자들을 닫으려고 하는, 불쾌한 남자가 있었을 경우는, 내가, 때리거나 의욕손을 물리거나 하면, 이후, 나에게는 간섭하지 않게 된 것입니다 w

운동에 관해서는, 나는, 상술한 대로, 순발력이나, 킥력, 펀치력이라고 말한 기초적인 운동 능력은 있다 님으로, 나는, 어릴 적(초등 학생의 무렵)까지는, 체육의 수업이나 운동회에서, 대활약하고 있었습니다만, 나는, 상술한 대로, 몸을 움직이는 일(운동)은, 기본적으로는, 그렇게, 좋아하지 않고, 또, 상술한 대로, 나는, 중학·고등학교와 귀가부에서 만났으므로(위의 투고, 「 부모님의 결혼전의 아수라장」을, 참조), 중학·고등학교의 무렵은, 체육의 수업이나, 운동회·체육제로, 평상시 열심히에 근련 트레이닝을 하고 있는 체육회계의 동아리에 소속하는 남자들에게는, 이길 수 없게 되었습니다.

다만, 운동 중(안)에서도, 수영은, 중학 이후도, 비교적, 이익을, 유지하고 있었습니다.고등학교의 체육의 수영의 시간이 거북한 에피소드로서 풀때로, 엇갈린 여자 아이가, 나를 보고, 진짜 부끄러운 듯이 눈을 떼었습니다만, 원인은, 헤엄칠 때, 분발해 뛰어든 것은 좋기는 하지만, 그 기세로, 수영 경기용의 팬츠(수영복)가 아래에 어긋나 버리고, 거기에 깨닫지 않고, (다행스럽게 몸은 안보이기는 했지만 w), 모모의 상부가 죄다 보임인 채, 헤엄치고 풀로부터 올라, 조금 걸은 일이었다고 말하는 것이 있어요 w




나는, 학생시절, 나의 거리(도쿄도심부의 서부의 정인가로 침착한 주택지.덧붙여서, 나의 친가는, 우리 집의 부근입니다)의, 합기도(aikido)(일본의 격투기(martial art)의 하나) 교실에 다니고 있었습니다만, 나의 원래의(원래의), 싫증을 잘 내는 성격에 의해, 고등학교때, 매우 단기간, 대학의 초기의 무렵, 단기간, 배워 받을 수 있어로(다니며 받을 수 있어로), 지속되지 않았습니다.

나는, 고교생때, 매우 단기간, 나의 거리의, 합기도(aikido) 교실에서, 합기도(aikido)를 배우고 있었습니다.어째서, 매우 단기간으로 그만두어 버렸는지라고 말하면, 나의 원래의(원래의), 싫증을 잘 내는 성격과 고교시절, 의외로, 바쁘고, 다른 일(뭐, 주로 놀이입니다만 w)에 시간을 사용하고 싶었기 때문입니다.

나는, 고교생때는, 방과후는 여자 아이·여자 아이들이나 나와 같은 체라체라 한 남자 친구들과 노는데 바쁘고(시부야에서 잘 놀고 있었습니다), 클럽등으로의 밤놀이나 미팅도 많이 하고 있었습니다.

나의 부모는, 자유방임 주의적인 면이 있어, 나의 어머니는, 내가, 중학생·고교생 시대, 밤놀이를 할 때에, 친구의 집에 묵어 오는 등이라고 말하면, 깊게 잔소리해 , 나의 어머니 자체가, 체라체라 하고 있는 면이 있어, 사내 아이는, 있다 정도, 노는 것이 좋은·응석 하는 것이 좋은 정도에, 생각한 마디가 있어 w, 그렇게 말하는 의미에서는, 있다 의미, 하기 쉬웠습니다 w( 나는, 놀기 쉬웠습니다 w).



상술한 대로, 나의 남동생은, 고등학교의 무렵, 서핑(surfing)이나, 스케이트보드(skateboarding), 스노보드(snowboarding)를, 자주(잘), 하고 있고, 아웃도어파였지만, 나는, 기본, 인도어파였습니다.나의 경우, 인도어파라고 말해도, 사람과 보내는 인도어로, 교제하고 있는 여자 아이·친밀한 여자 아이와의 방과후의 가라오케 박스로의 가라오케(시부야의 가라오케 박스를 자주(잘) 이용하고 있었습니다), 교제하고 있는 여자 아이·친밀한 여자 아이와의 방과후의 러브호텔의 휴식(에이치)(시부야 주변의 러브호텔을 자주(잘) 이용하고 있었습니다), 방과후에 교제하고 있는 여자 아이와 집(친가)의 자신의 방에서 텔레비젼 게임을 해 노는 일, 방과후에 교제하고 있는 여자 아이의 집(친가)에 놀러 가 교제하고 있는 여자 아이의 방에서 보내는 일, 미팅, 클럽으로의 밤놀이등이라고 한 것입니다.

나는, 고교생의 무렵, 시부야(shibuya)(도쿄 최대급의 번화가의 하나.도쿄도심부의 서부에 위치한다)로, 가장, 자주(잘), 놀고 있었습니다.

뭐, 시부야(shibuya)는, 내가 다니고 있던 고등학교(주택지에 있어 주위의 환경은 좋습니다)의, 근처역으로부터, 전철로, 3분 정도의 장소에서, 또 , 시부야(shibuya)는, 내가 사는(덧붙여서, (고교생의 무렵, 당연, 친가 생활이었지만), 친가는, 우리 집의 부근입니다), 시부야(shibuya) 구(도쿄도심부의 서부에 위치하는 구)로, 최대의 번화가이므로, 당연한일이라고 말하면, 당연한일이라고 말할 수 있습니다만...




나는, 대학에 입학하는 것과 동시에, 고등학교때, 매우 단기간으로 그만두어 버린, 나의 거리의, 합기도(aikido) 교실에, 다시, 다니기 시작했습니다.

이 때는, 고등학교때부터인가는, 지속되었습니다만, 역시, 나의 싫증을 잘 내는 성격으로부터, 절대적으로는, 지속되지 않고(단기간 밖에 계속 되지 않고), 초단(흑대(black belt))의 1보앞의, 1급으로 그만두어 버린다고 하는, 미묘한 끝나는 방법을 했던 w

내가, 합기도(aikido)를, 초단(흑대(black belt))의 1보앞의, 1급으로 그만두어 버린다고 하는, 미묘한 끝나는 방법을 한 것은, 초단(흑대(black belt))와 1급의 벽이 두꺼웠다고 말하는 일도 있습니다 w 나는, 합기도(aikido)의, 초단(흑대(black belt))의 테스트를 처음으로 받았을 때, (룰은, 거의 잊어 버리고 있고, 잘못되어 있으면 죄송합니다만), 3회, 싸우고, 2회, 이기지 않으면, 타목이었습니다만, 2회 연속, 져 버리고, 초단(흑대(black belt))의 테스트를 떨어지고, 그래서, 싫게 되고, 곧바로 그만두어 버렸습니다.상술한 대로, 나는, 순발력이나, 킥력, 펀치력이라고 말한 기초적인 운동 능력은 있다 님입니다만, 합기도(aikido)의 룰의 전에서는 도움이 되지 않는 사람이었습니다 w 또, 제 쪽은, 거리의 도장(교실)에서, 체라체라라고 놀이로, 합기도(aikido)를 배워 받을 수 있어입니다만, 초단(흑대(black belt))의 테스트로 싸운 상대는, 어느 쪽도, 대학의 열심인 체육회계의 합기도(aikido) 부의 학생으로, 주위의 응원을 포함하고, 압도 되어 버렸다고 하는 것도 있어요 w

덧붙여서, 내가, 합기도(aikido)를 배우고 있던, 나의 거리의, 합기도(aikido) 교실(도장)은, 당시 , 배우고 있는 사람의, 반수위가, 외국인에서(당시 , 그, 합기도(aikido) 교실(도장)에서, 합기도(aikido)를 배우고 있던, 외국인은, 거의 모두, 백인계의 남성이었습니다.백인계의 여성도 배우고 있었습니다만, 체험 입학이라고 한 느낌으로, 배워도, 매우 단기에 그만두어서 가 버린다고 한 느낌이었습니다), 내가, 주로, 그, 합기도(aikido) 교실(도장)에서 배우고 있던 선생님은, 그 합기도(aikido) 교실(도장) 출신의, 탄탄한 체형의, 중년의(당시 ), 그야말로, 무도가라고 한 풍모의, 백인계의 덴마크인의 선생님으로, 내가, 초단(흑대(black belt))의 테스트를 받는, 직전의 시기에는, 그 선생님에게, 맨투맨으로(일대일로), 친절하게, 가르쳐 받거나 했습니다만, 그 선생님의, ( 나를 포함해) 학생의 기술이 정해졌을 때의, 「좋다!」(이)가 아니고, 「요치!」라고 하는, 구령이 인상에 남아 있습니다 w 덧붙여서, 나는, 그, 합기도(aikido) 교실에서, 체라체라라고 놀이로, 합기도(aikido)를 배우고 있었다고 하는 느낌이었습니다만, 그, 합기도(aikido) 교실의 선생님들은, 그 덴마크인의 선생님을 포함해, 당시 , 10대의 나의 일을, 매우 귀여워해 주었습니다.

이하의 투고는, 당시의, 그, 합기도(aikido) 교실의, 나의, 여성 관련의 에피소드(추억)입니다(여성은, 어느 쪽도, 일본의 여성입니다).

실현되지 않는 사랑(일본어)→
/jp/board/exc_board_8/view/id/2622214?&sfl=membername&stx=jlemon
실현되지 않는 사랑(한국어)→
/kr/board/exc_board_8/view/id/2622214?&sfl=membername&stx=jlemon




나는, 18세의 자동차의 면허 취득과 동시에, 부모에게, 자동차를 사 받았습니다만( 나의 남동생도 그렇습니다), 상술한 대로, 나는, 원래, 자신은, 운동신경은 없다고 생각하는 일로부터(다만, 운이 좋은 것인지, 자동차의 면허는, 매우 단기간에, 매우 부드럽게 잡혔습니다.나의 남동생도, 그렇습니다( 나의 남동생도, 자동차의 면허는, 매우 단기간에, 매우 부드럽게 잡혔습니다)), 학생의 무렵부터, 자동차는, 무모한 운전은 하지 않는 파입니다만(덧붙여서, 나의 남동생도, 옛부터, 무모한 운전은 하지 않는, 안전 운전파입니다), 예외적으로, 학생의 무렵이라도, 10대의 무렵의 나는, 아직, 현장에서의 운전 기술이 미숙하게도 관련되지 않고, 근거없는, 운전의 자신답게(자동차의 면허가, 매우 단기간에, 매우 부드럽게 잡혀 버렸다고 하는 일도 있다고 생각합니다), 이즈에서, 커브로, 스피드를 너무 내서 , 다 구부러질 수 없어질 것 같게 되고, 히약으로 한 일이 있어요.



덧붙여서, 나는, 어른의 남성의, 즐겨(작법)로서 여성을 조수석에 싣고 자동차를 운전하는 경우, 나의 자동차는 훌륭하야 목표 오만한 운전이나 나의 자동차는 빠르야적인 운전 테크닉 자랑의 운전을 하는 것보다도, 이웃을 타고 있는 여성을 소중히 생각해, 승차감이 좋은 운전·안전 운전을 유의하는 것이, 훨씬 근사하다고 생각해, 실제로, 여성을 조수석에 싣고 자동차를 운전하는 경우, 그 님자동차의 운전(이웃을 타고 있는 여성을 소중히 생각해, 승차감이 좋은 운전·안전 운전)을 유의하고 있습니다.그래서, 조수석의 여성이 자 버려도, 애교라고 한 느낌으로 따뜻한 눈으로 지켜보고 있습니다 w(기본적으로, 누구라도, 즐겁게 힘껏 논 다음은 지쳐 졸려지는 것입니다).BGM로 해도, 예를 들면, 그녀와 드라이브 할 때 , BGM 없이, 그녀와 이야기를 하고 있는 것이 즐겁습니다(그녀가, 놀아 지쳐 자 버리면, (그녀를 일으키지 않는 정도의 볼륨(음량)으로) BGM로 전환하는 w).

이하, 참고의 투고.

자동차의 BGM로서 듣는 곡(정리편)(일본어)→
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자동차의 BGM로서 듣는 곡(정리편)(한국어)→
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나의 아버지 쪽의 조모는, 이제(벌써) 100세 가까운 연령입니다만( 나는 성격에 대략적인 면이 있어, 아버지 쪽의 조모의 정확한 지금의 연령을 파악하고 있지 않습니다 w), 건강하게 장수 하고 있습니다만, 옛부터 머리의 회전이 빠르고, 유머가 있어 이야기가 매우 재미있습니다.나의 아버지 쪽의 백모도 옛부터 머리의 회전이 빠르게 내가 어릴 적부터, 매우 유머가 있어 이야기가 매우 재미있습니다(덧붙여서 나의 아버지는 그렇지도 않습니다).나도, 실제로 이야기가 재미있는지 어떤지는 놓아두고, 실생활에 대해 재미있는 이야기를 하고 사람을 웃기는 것을 좋아합니다만, 나의 성격의 그러한 면은 나의 아버지 쪽의 조모의 성격을 계승하고 있다고 생각합니다.

실은, 내가, 인생중에서, 사람을 웃기는 재능이, 가장 있던 것은, 내가 초등 학생의 무렵으로, 당시 , 내가, 실제, 어떤 일을 말하고, 클래스의 여자들을 웃기고 있었는지 잊었습니다만, 아이 상대의 아이의 개그입니다만, 나는 초등 학생의 무렵, 클래스의 여자들을, 정말로 잘 웃기고 있고, 당시 , 클래스의 여자들은, 모두, 쉬는 시간등에, 나를 둘러싸고, 빠짐없이, 나라고 이야기 하고 싶어했던 w

나는, 중학생 이후가 되면 쿨을 뽐내?`스 있어 년경이 되고, 클래스의 여자들을 전원 상대 하는 것(웃기려고 하는 것) 일은 하지 않게 되었습니다만, 자신의 친구들이나 자신의 교제하고 있는 여자 아이·자신의 친밀한 여자 아이를, 계속해, 재미있는 일을 말해 웃기고 있었습니다(재미있는 일을 말해 웃기는 것을 좋아했습니다).

나는 이야기해(회화)가, 결코 능숙한 분은 아니라고 생각합니다만, 나는, 옛부터 실제로 이야기가 재미있는지 어떤지는 놓아두고, 실생활에 대하고, 재미있는 이야기를 하고, 사람을 웃기는 것을 좋아하고, (이것은, 상대가 남녀를 불문한 것입니다만), 나는, 웃음의 파장이 맞는 상대라고, 상대를 웃기는 것이 즐겁기 때문에 요설이 됩니다 w

덧붙여서, 나는, 초등 학생의 무렵, 본능적으로?, 클래스등의 특정의 여자 아이와 친하게 지내면, 인간 관계가 삐걱거릴지도 모른다고 알고 있던 느낌으로, 기본, 모든 여자 아이에게, 가능한 한 평등하게 접하도록(듯이) 하고 있었습니다만, 그런 중에도, 특히 친한 아이는, 있던 일은 있고, 그 님여자 아이는(특별히 친하게 지내는 여자 아이는), 본능적으로(자연스럽게), 친하게 지내도, 다른 여자들과의 인간 관계가 삐걱거리지 않는 듯한 여자 아이를 선택하고 있었습니다.

초등 학생의 무렵, 특히 친했던 동급생의 조금 마세여자 아이의 친구가, 교실에서, 혼다 미나코의 노래와 춤의 흉내를 내 「마릴린~♪」은 하고 있었을 무렵에(덧붙여서, 그 여자 아이는(그 여자 아이는, 미인씨였습니다), 현지의 같은 공립의 중학에 진학했습니다만, 중학에서는, 교내 여자 톱 클래스의 불량이 되었던 w), 나는, 본·죠비의 CD를 걸치면서, 거울에 자신을 비추고, 존·본·죠비의 노래 흉내를 내는, 한 명 본·죠비 놀이를 짜내, 집에서 하고 있었습니다(과연, 학교에서는 부끄럽기 때문에 하지 않았던 w).본·죠비 놀이는 중 2 정도까지 계속하고 있었습니다(이제 와서는, 빨간 얼굴의 추억입니다 w).

이하, 참고의 투고.

처음으로 산 CD(일본어)→
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처음으로 산 CD(일본어)→
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나는, 젊은 무렵, 그 나름대로 위험한 것은 했습니다만, 다행스럽게, 노상등에서, 사람에게 공격받을 것 같게 된 일은 없고, 나는, 싸움에 관한, 무용전등은, 전혀 없습니다 w 나는, 인생에 대하고, 벌에 물린 일도 없으면, 골절한 일도 없는 연약자입니다 w 나는 대학때, 미국에 1년간 유학했을 때에, 미국에서, 오토바이(motorcycle)로(유학생활이 시작되자마자 , 오토바이가게에서,$500정도로, 일본제의, 중고의 오토바이(motorcycle)를 구입했습니다.기억이 애매하지만, kawasaki의 300 cc에서 400 cc위의, 오토바이(motorcycle)였는지?), 스피드를 너무 내서 커브 다 구부러질 수 없어서 밭에 오토바이(motorcycle) 마다 돌진했을 때도 생채기만이었습니다 w(덧붙여서, 그 때, 오토바이(motorcycle)도, (간단한 수리에 맡길 필요가 있었지만), 무사했습니다.덧붙여서, 그 사고는, 나의 인생을 통해서, 자신이 운전하는, 자동차·오토바이(motorcycle)로의, 유일한 사고입니다.덧붙여서, 자동차에 관해서는, 상술한 대로, 20대 이후는, 무모한 운전은 하지 않게 되었습니다만, 오토바이(motorcycle)에 관계되어?`트는, 20대 처음의 미국 유학 당시 , 아직, 근거없는 자신으로부터 오는 무모 운전의 자취가 있었던 w).덧붙여서, 오토바이(motorcycle)는, 나는, 자동차에 비하면 전혀 관심은 없고, 20대의 반 이후는, 거의 타지 않게 되어, 20대의 후기 이후는, 전혀 타고 있지 않습니다(덧붙여서, 내가, 일본에서 타고 있던 오토바이(motorcycle)는, 친구로부터, 중고의 물건을, 단지와 다름없고, 양보해 받은 것입니다(오자키 유타카(ozakiyuktaka)의, 노래의 가사가 아닙니다만, 훔친 오토바이가 아닙니다 w).덧붙여서, 오토바이(motorcycle)의 면허는, 자동차의 면허 같이, 매우, 부드럽게, 매우 단기간으로 잡혔습니다.덧붙여서, 나의 남동생은, 오토바이(motorcycle)의 면허는, 가지고 있지 않습니다).덧붙여서, 원래, 나는, 오토바이(motorcycle)는, 일본에서는, 자동차에 비하면, 거의 타지 않다고 한 느낌이었습니다만(다만, 상술한 대로, 20대 처음무렵까지는, 근거없는 운전의 자신만은 있었습니다), 만일, 오토바이(motorcycle)로 사고는(오토바이(motorcycle)는, 자동차보다, 훨씬 더 위험한 일은, 알고 있었습니다), 자신이 죽어도, 자업자득이지만, 자신의 중요한 여자 아이는, 그렇게 위험에 쬐는 것 가지 않으면 나는, 자신의 오토바이(motorcycle)에 여성은 싣지 않는 주의로, 지금까지, 여성을 뒤로 싣고, 오토바이(motorcycle)로 달린 일은, 한번도 없습니다.


나는 B형의 마이 페이스로, 여성에게 구속되는 것은 싫은 타입입니다만, 그 한편, 외로움을 잘타는 사람의 면도 있어인가(스스로 말하는 것도 무엇입니다가, 성격은 완전하게 고양이라고 한 느낌입니다 w), 중학교 2 학년의 후반(14세 때 )에, 처음으로, 여성과 교제한 이래, 지금까지, 도중 , 대학생때, 1년간, 미국에 유학하고 있었을 때를 제외하고, 2개월 이상, 여성과 교제하지 않는 기간이 빈 일이 없습니다(대학생때, 1년간, 미국에 유학하고 있었을 때는, 교제하고 있는 여성은 없었습니다...그것은, 그래서, 즐거웠다).

나는, 대학시절, 1년간, 미국의 대학에 유학하고 있었습니다(덧붙여서, 나의 남동생도, 대학시절, 미국에 1년간 유학하고 있었습니다만, 그 일에 관해서, 남동생은, 나의 영향을 받았습니다).나는, 회사원의 아버지의 일의 관계로, 초등학교 저학년때의 약 2년간(당시 , 일본의 애니메이션등은 외가의 조모가 나를 위해 콩(물집)에 비디오에 녹화해 주었던 w), 중학 1년과 2년간의 약 1년간, 미국에 살고 있고, 초등 학생의 무렵은 L.A., 중학의 무렵은, 샌프란시스코에 살고 있었습니다만(휴일에, 현지에서 부모에게 여러가지 놀이에 데려서 가서 받거나 좋은(즐겁다) 추억으로서 남아 있습니다), 대학시절, 1년간, 미국의 대학에 유학했을 때의 유학처는, 대도시보다 시골에 흥미가 있었으므로, 굳이, 미국의 시골의 대학을 선택했습니다.

나는, 대학시절, 1년간, 미국의 시골의 대학에 유학했을 때, 현지에서는, 일본인 유학생을 포함한 유학생과는 거의 관련되지 않고, 거의 현지의 백인계의 남녀의 학생(뿐)만과 교미해 놀고 있었습니다.

덧붙여서 구미의 사람들은, 일본 문화에 흥미가 있다 사람은, 일본의 특정의 분야에 도착하고, 묘하게 자세하거나 하지만, (뭐, 일본의 시골의 사람들의 외국에 대한 인식도 비슷한 물건이라고 생각합니다만), 일반적인 사람들은, (일본에 일이나 관광으로 방문한 일이나 살고 있던 일이 있다 사람을 제외하고), 평상시, 일본 제품을 사용해 있거나, 어릴 적, 일본제의 애니메이션등을 봐 있거나, 일본 영화의, 1, 2 개는, 본 일이 있기도 해도, 일본에 대한 인식은, 웬지 모르게, 자신들의 나라에서 먼 국 정도의 인식 밖에 없습니다 w 그리고, 개인적으로는, 그 쪽이, 교제에 대해 편한 부분도 많습니다(일본인?`니 말하는 것보다도, 1명의 개인( 나는 나)으로서 보고 받을 수 있으므로).

대학시절, 1년간, 미국의 시골의 대학에 유학했을 때의, 있다 때, 현지에서(미국의 유학처의 대학에서) 알게 된, 현지의 백인계의 미국인의 남자 대학생의 친구 4명과( 나를 포함해 5명으로), 놀고 있던(라고 말하는지, 대학의 기숙사의 1실에 모이고 이야기를 하고 있던) 때에, 회화가 웬지 모르게, 각각의 루트의 이야기가 되어, 그 때에, 나는, 모두에게, 「나는, 몇 사람으로 보여?」라고 (들)물으면, 4명 중의 3명이, 내가 몇 사람으로 보일지 발언했습니다만, 그 안의 1명은, 「너는, 동유럽인(동구인)으로 보인다」라고 발언해, 1명은, 「너는, 웬지 모르게, 남유럽인(남 유럽인)으로 보인다고 발언해」, 1명은, 「너는, 역시, 일본인으로 보여」라고 발언해, 3명 모두, 발언이, 뿔뿔이 흩어졌습니다 w 원래, 미국인은, 지리라고 국제 감각이라고 어바웃(적당)이니까w라고 말하는 것이 있다의입니다만, 혹시, 나는, 나의 아버지를 닮고(덧붙여서, 나의 아버지는, 얼굴은, 소스얼굴입니다), 얼굴이, 소스얼굴이다고 하는 것도 있다 의 것인지도 알려지지 않습니다.

덧붙여서, 대학시절, 1년간, 미국의 시골의 대학에 유학해?`스때의 기숙사의 룸메이트(백인계의 18세부터 19세.제머리가 갈색의, 귀여운 계의 이케멘이라고 한 느낌으로, 키는, 나와 거의 같은가, 나보다 약간 높은 정도로, 178 cm에서 180 cm위였는지?)(은)는, 함께 살게 되고, 당분간 하면 머리카락을 검게 물들여 오고, 「어떻게 했다?」라고 (들)물으면 「너의 흉내를 냈다」라고 하고 있었습니다 w 그 룸메이트가 교제하고 있던 백인계의 여성은, 30대의(당시 34세 정도였는지?) 금발의, 여배우계의 얼굴의 미인씨로 기혼자(요컨데 불륜)(두 명(룸메이트와 그 여성)이 서로 안 계기는 알콜 중독의 카운셀링).그 룸메이트의 교제 상대의 여성( 나와도 생각보다는사이가 좋고, 나의 룸메이트, 그 여성, 나의 3명으로, 그 여성의 남편 부재시에, 그 여성의 집에서, 함께 저녁 식사를 먹은 일도 있습니다)은, 남편과의 사이가 차가워지고 있어 남편으로부터의 생일 선물이, 자동차의 타이어였습니다 w(덧붙여서, 그 여성이 타고 있던 차는, 볼보였습니다).

미국 유학생활중은, 미국인이나 유학생인 그녀는, 하지 못하고 (라고 말하는지, 의도적으로 만들지 않았다고 말하는 면도 있습니다만.덧붙여서, 그 미국 유학중, 교제는하지 않았던 것?`나가, 몇명의, 현지의, 미국인의 여성과 에이치(sex)는 했던 w 끝나지 않습니다.옛날은(젊은 무렵은), 왈이었습니다), 그 덕분에, 반대로 자유롭게, 주말은, 기분이 향하는 대로, 좋아하는 곳에 놀러 갈 수가 있었습니다.주말은, 오토바이(motorcycle)나 렌트카(rent-a-car)로, 혼자서(렌트카(rent-a-car)의 경우, 이따금, 남녀의 친구·친구들, 여자 아이를 태워 나가는 일도 있었지만), 자주(잘), 멋대로, 짧은 여행에 나갔습니다.대학생때, 1년간, 미국에 유학하고 있었을 때의 마지막에, 당시$1,000정도로 중고의 Buick를 구입해(도중 , 고장 관련으로 몇 번이나 히야히야 했지만 무사히 여행을 끝낸 w), 혼자서 미국 횡단 여행했습니다만, 그 Buick, 지금이니까 말해 버리면, 뭐라고, 운전석의 시트 벨트가 당겨 뜯어지고 있었던 w 그대로, 일견, 시트 벨트를 하고 있는 것처럼 보이도록(듯이) 해 속이면서, 여행했습니다(젊었으니까 할 수 있던 일.지금이라면, 도저히 할 수 없습니다 w).

덧붙여서, 나의 남동생의, 대학시절의, 1년간의, 미국 유학은, 나 같은 것보다, 훨씬 더(쭉), 성실하고, 견실한 것인 님입니다 w

이야기를 되돌리면, 나는, 젊은 무렵, 그 나름대로 위험한 것은 했습니다만, 다행스럽게, 노상등에서, 사람에게 공격받을 것 같게 된 일은 없고, 나는, 싸움에 관한, 무용전등은, 전혀 없습니다 w 

나는, 중학 1 학년때에, 현지의 같은 중학교에 다니는, 당시 , 중학 3 학년의, 스케반(불량의 여성)의, 두목에게, 고백되었다(그 두목과 그 두목의, 부하 또는 친구의, 같은 중학교에 다니는 불량의 중학교 3 학년의 여자 중학생의, 둘이서, 중학교의 통학로에서, 매복해 되어 그 두목에게 고백되었다)가에 시작하고, 나는, 젊은 무렵, 소위, 전형적인 불량이란, 오히려, 여성과의 관련이 많았습니다 w

나는, 중학 1 학년때, 그, 당시 , 중학 3 학년의 스케반(여성의 불량)의 두목(미인으로, 키가 큰, 여배우·모델계의 외모의 여성이었습니다)에게 고백되었을 때에, 나는, 그 님연상의 여성에게, 고백되어?`교A심의 준비가 되어있지 않고, 또, 아직, 너무 사물을, 잘 생각할 수 없는 년경이었다고 하는 것도 있어, 순간에, 어째서 좋은지, 완전히, 알지 못하고, 「지금은, 조금 교제할 수가 없습니다」라고 거절했습니다.그, 스케반(여성의 불량)의 두목이란, 그 이후로, 아무것도 없었습니다.

덧붙여서, 내가, 처음으로 여성과 교제한 것은, 중학 2 학년의 후반(14세 때)으로, 상대는 현지의 같은 중학교에 다니고 있던 동학년(동갑)의 여자 아이로, 그것까지, 「눈과 눈으로 서로 통한다 」(쿠도 시즈카의 노래와는 완전히 관계없습니다 w뭐, 내가 처음으로 여성과 교제하기 시작했던 시기와 닮은 것 같은 해의 히트곡입니다만 w)라고 한 느낌으로, 서로 양구상인 것은 알고 있고, 내가 부른 첫 데이트 시에, 내가, 「교제해 버리자인가!」라고 해, 상대가, 그에 대한 쾌락한 일로, 교제가 스타트했습니다.

덧붙여서, 나의 남동생은, 나에 비하면, 여성에 대해서, 늦됨으로, 중학의 무렵, 몇명의, 여자 아이에게, 어프로치 되거나·고백된 일이 있던 것 같습니다만, 어느 쪽도, 남동생의 타입의 여자 아이는 아니었던 것 같아서, 남동생이 처음으로, 여성과 교제한 것은, 고교 1 학년때로, 남동생은 동정도, 아마, 고교 1 학년때, 잃고 있다고 생각합니다.

전술과 같이, 나는, 젊은 무렵, 소위, 전형적인 불량이란, 오히려, 여성과의 관련이 많았습니다만, 별도인 의미로의, 나쁜 친구(나쁜 친구들)와의 교제는, 중학생의 무렵부터 있어, 이미, 중학생의 무렵부터, 시부야에서의, 디스코·클럽으로의 밤놀이의, 데뷔를 이루어 있었던(본격적으로, club(nightclub) 등으로, 자주(잘), 밤놀이하는 것은 고교생이 되고 나서였지만...).



이하, 간신히, 투고의, 본문에 들어가, 「도둑의 추억/선생님의 타 `G코비희」의 이야기입니다.

나는, 초등학교의 중학년의 무렵, 당시 , 같은 클래스에서 만났습니다만, 클래스라고 말하는지, 학년의, 녀석 대장적인 사내 아이와 친구였습니다.이렇게 말하는지, 그 녀석 대장인 사내 아이가, 함부로 나와 친구가 되고 싶었던 것 같아서, 나에게, 친구가 되어 줘아우라 전개로, 재촉해 오고, 강제적으로, 친구로 되어 버렸다고 한 느낌이었습니다 w 덧붙여서, 상술한 대로, 나는 고등학교의 무렵은 학교에서 자신의 신변에 이지메는 없었습니다만, 초등학교·중학교의 무렵은, 클래스에서 괴롭힘을 당하고 있는 아이를, 뭐시에는 폭력에 호소해 버리는 일도 있었습니다만, 집단 괴롭힘자로부터 돕는(해방 해 준다) 일은, 자신있었고, 자신의 신변에, 이지메를 받고 있는 아이가 있으면 놓치지 못하고에 따르고라고 왔고, 초등학교·중학·고등학교의 무렵은, 클래스에, 클래스의 남자들을 닫으려고 하는, 불쾌한 남자가 있었을 경우는, 내가, 때리거나 의욕손을 물리거나 하면, 이후, 나에게는 간섭하지 않게 된 것입니다만, 그 사내 아이는, 일단, 약한 사람 이지메와 같은 일은 해 , 클래스등의, 남자, 전원을, 닫으려고 하는 타입의, 녀석 대장이기도 하지 않았습니다.

나의 거리의, 우리 집으로부터 멀어진 장융`추노, 어린이용의, 님 들인 잡다한 것·과자를 포함한, 여러가지, 잡다한 것을 팔고 있던 문구점이 있었습니다만, 있다 방과후, 나와 그 녀석 대장인 사내 아이와 그 녀석 대장의 둘러쌈의 부하의 남자들로 놀고 있던 곳, 그 녀석 대장인 사내 아이에게 명할 수 있고, 그 녀석 대장의 둘러쌈의 부하의 남자들이, 그 문구점의 매장에 놓여져 있던, 과자를, 대낮, 당당히, 각각, 상자마다라고 한 느낌으로, 대량으로, 도둑해 왔던 w 그 녀석 대장인 사내 아이는, 도둑을 하고 온, 그 녀석 대장의 둘러쌈의 부하의 남자들에게, 포상으로, 도둑해 온, 과자중에서, 조금씩 주고, 나머지를(전체의 대부분을), 나와 둘이서, 절반 했습니다.나는, 아직, 초등학교의 중학년으로, 선악의 판단이, 그렇게, 엄격하게는 붙지 않고, 꺼림칙한 기분·나쁜 일을 하고 있는 기분은 있었지만, 뭐, 좋을까라고 한 느낌으로, 나누어 받은, 과자를, 한 번에, 집에 가지고 돌아갈 수 없었기 때문에, 몇회인가로 나누고, 집에 가지고 돌아가, 그것을, 나의 2세 연하의 남동생과(엄마와 아버지에게는, 비밀이군요라고 한 느낌에 남동생에게 말하고), 절반 해, 나와 남동생은, 집(친가)의, 각각의 방에, 과자를 숨겨, 조금씩 먹어 지금?`오w

그렇지만, 그런 대낮 당당한, 대량의, 도둑이 들키지 않을 리가 없고 w, 목격자가 있고, 곧바로 들키고, 아마 학교에 통보되어 학교안의, 문제로 여겨져 아마 PTA에서도, 다루어졌습니다.

기억이 애매합니다만, 아마, 나는, 어머니가 (듣)묻고, 이것은, 정직하게 말하지 않을 수 없다고 생각했겠지요.나는 어머니에게 정직하게, 이야기했습니다.이 나의 자수에 의해, 당연, 나는, 이 대량 도둑의 범인의 한 명으로서 확정했습니다.또, 나 이외의, 그 대량 도둑 관계자의 남자 전원도, 자수·그 외에 의해, 각각의, 부모에게, 그 일이 들켜 버렸습니다.

그래서, 그 대량 도둑 관계자인, 그 녀석 대장인 사내 아이, 그 녀석 대장의 둘러쌈의 부하의 남자들, 나와 각각의 모친(물론, 나의 어머니를 포함한다)이, 전원이, 도둑의 피해 상당액의 돈이나 사과의 물건인가 어느 쪽인지를 가지고(어느 쪽인지 기억이 애매합니다), 그 문구점에, 사과를 하러 간 일로, 그 도둑 사건은, 해결했습니다.

그리고, 어머니와 함께, 그 문구점에, 사죄하러 가서, 집에 돌아온 후, 당연, 나는, 어머니에게, 설교하셨습니다.

나의 아버지도, 나의 어머니도, 옛부터, 아이를 꾸짖는·설 교 할 때는, 감정에 맡기고, 고함치거나 하는 것이 아니라, 이치따지기로 가르쳐 설득하는 꾸짖는 방법을 하는 주의입니다.나도 나의 남동생도, 부친에게도, 모친에게도, 한번도, 큰 소리로, 꾸중들은 것 같은 일은 없습니다.

나의 어머니는, 기억이 애매합니다만, 아마, 문구점의 가족은, 물건을 판매하는 일에 의해서 생활을 하고 있으니까, 그 물건을 훔치는 일은, 그 문구점의 가족의 생활의 수단을 빼앗는 일이며, 그 문구점의 가족을 슬퍼하게 하는 나쁜 일이다고 한 내용의 일을, 나에게 말을 들려 주었습니다.나도, 어머니가 말하는 대로라고 생각해 납득했습니다만...

나의 어머니는, 나의 외가의 조모(이미 죽습니다)와 함께, 나의 외가의 조부(이미 죽습니다)의, 성실한 점·성실한 점·정직한 점·수에 대해서도, 좀처럼 화내지 않는 성격이 온화한 신사인 점등을 칭찬하고 있었습니다만, 나의 어머니는, 그 님, 외가의 조부아래로 자란, 독자(외동딸)입니다.

나의 어머니는, 대량 도둑에 관계했다고 말하는, 나의 일에 대해서, 그 문구점에, 나와 함께, 사과하러 갔다고 하는 것이, 상당, 분했다, 상당, 프라이드가 다쳤겠지요.

나의 어머니는, 그 일(그 때, 내가, 대량 도둑에 관계해 라고 하는 것에 대해서), 대충, 나에게 설교를 한 후, 마지막으로, 눈에 눈물을 한 잔 모으고, 나의 눈을, 가만히 응시하고, 나에게, 「엄마의 일, 좋아?」라고 (들)물었습니다.내가, 「응」이라고 하면, 어머니는, 「엄마는, 이 일로, 한 잔, 다쳤어.엄마의 일, 좋아하면, 엄마의 일을, 더이상 손상시키지 않고」라고 하면, 포로리와 굵은 눈물을 떨어뜨린다고 할까 뺨에 흘렸습니다.나는, 그것을 보고, 울음은 하지 않았습니다만, 무심코 울 것 같게 되어, 「응, 더이상 하지 않아」라고 하는 것이 힘껏이었습니다.

나는, 그 때, 어머니의, 이치따지기의, 설교도, 그 대로라고 생각했습니다만, 그것보다, 무엇보다도, 그 때의, 마지막, 어머니의 눈물과 대사가, 어린 생각에도, 강한 임펙트를 남겼습니다.내가, 인생중에서, 도둑을 한 것은, 후에도, 먼저도, 이 때, 한 번 뿐입니다(뭐, 이 때도, 내가, 직접, 도둑을 지시하거나 직접, 도둑한 것은 아닙니다만 w).덧붙여서, 나의 남동생은, 태어나고 나서 한번도, 도둑을 한 일이 없다고 생각합니다.



뭐, 나의 남동생의 경우, 실제로 그랬다 (얌전하고 상냥한 좋은 아이였다)라고 하는 면도 있습니다만, 나도, 나의 남동생도, 부모의 앞, 학교의 선생님의 앞(을)를 포함한, 어른의 앞에서는, 얌전한 좋은 아이를 연기하는 것이, 매우, 즐 영리하고 능숙했습니다.

나도, 나의 남동생도, 기본, 초등학교·중학교·고등학교를 통해서, 남녀노소를 불문하고, 모든, 학교의 선생님으로부터, 에코비희 되고 있었던 w( 나의 남동생에 대해서는, 추측이 들어가 버립니다만, 나의 남동생도, 아마, 나와 같았다고 생각합니다).

덧붙여서, 나는, 고등학교때, 물리의 테스트로 낙제점을 얻어 어머니와 함께 학교에 불러내진 일이 있다의입니다만, 그것은, 나의 물리의 테스트의 점수가 낮았기 때문에, 어쩔 수 없는 것입니다(덧붙여서, 그, 호출한 선생님(중년의 남자의 선생님이었습니다)은, 공부의 지도는 엄격한 선생님이었지만, 온화하고, 온화한 선생님이었습니다).

내가 초등학교의 중학년의 무렵의, 클래스의 담임의 선생님은, 당시의 내가 보면, 정말로, 할머니로 보였다고 한 느낌의, 연배의 여성의 선생님이었습니다만, 그 선생님은, 편벽하고, 까다롭고, 악녀석에 대해서는, 매우 어렵다고 평판의 선생님이었지만, 그 선생님은, 확실히, 악녀석에 대해서는, 매우 어려웠던 한편, 나의 일은, 마치, 눈에 들어올 수 있어도 아프지 않은 듯한 손자와 같은 존재로서 귀여워해 주었던 w 부모회등에서, 그 선생님이, 나의 어머니라고 회화할 때에도, 그 선생님은, 자주(잘) 어머니에 대해서, 나의 일을, 품위있고, 얌전하고, 좋은 아이등이라고 말한 님입니다.그 도둑 사건에 관해서도, 그 선생님은, 그 녀석 대장은, 지독하게 꾸짖는 한편으로, 나의 일은, 마치, 나쁜 일에 말려 들어가 버린, 피해자로, 불쌍함과 같이 취급해 주었습니다.내가, 클래스의, 악녀석·악녀석들과 함께, 나쁨(장난)를 했을 때에도, 그 선생님은, 내가, 나쁨(장난)를 하는 것이 믿을 수 없는·믿고 싶지 않다고 한 느낌으로, 나는 범인에게는 되지 않고 , 함께, 나쁨(장난)를 한, 악녀석·악녀석들만, 그 선생님에게 야단 맞고 있었습니다.나는, 집단 괴롭힘자·집단 괴롭힘아이들로부터, 괴롭힘을 당해 자와 돕는다고 한 정의감은, 어릴 적부터 가지고 있었습니다만, 나는, 성인 군자(완벽한 인간)는 아니기 때문에, 그 님, 선생님의 에코비희에 관해서는, 즐 영리하고, 에코비희 되는 대로 맡기고 있었던 w( 나의 남동생도, 아마, 그랬다고 생각하는 w).

내가, 초등학교의 무렵은, 아직, 아이에 대해서 체벌을 하는 선생님이 남아 있었습니다.내가, 초등학교 고학년의 무렵의, 클래스의 담임의, 연령의 높은 중년의 남자의 선생님은, 아동(학생)에 대해서, 체벌을, 자주(잘) 하는 선생님으로서 유명하고, 실제로, 그랬습니다(아동(학생)에 대해서, 자주(잘) 체벌을 하고 있었습니다).덧붙여서, 내가, 인생중에서, 학교에서, 체벌을 하는 선생님에게 배운 것은, 그 선생님 뿐입니다(덧붙여서, 나의 남동생은, 인생중에서, 학교에서, 체벌을 하는 선생님에게 배운 일은 없다고 생각합니다).그 선생님도, 예외 없이, 나에 대해서, 에코비희를 해, 다른 아동(학생) 들에 대해서는, 남녀를 불문하고, 세세한 일로, 자주(잘), 체벌을 하고 있었는데도 관계없이, 나에 대해서는, 1회 밖에, 체벌을 하지 않았습니다.그 1회의, 체벌입니다만, 나와 클래스의 악녀석이(덧붙여서, 그 악녀석과는, 친구라도 아무것도 아니어 , 나쁨(장난)도, 같을, 나쁨(장난)였지만, 함께 한 것은 아닙니다), 같을, 나쁨(장난)를 하고, 분명하게, 나도, 범인인 것이 알아, 그 선생님이, 클래스의 아동(학생) 들에게 계시를 붙이기 위해, 아무래도, 나와 그 악녀석에 대해서, 클래스의 아동(학생) 들의 앞에서, 같을, 체벌을 주지 않으면 안 되는 상황에 몰렸을 때였습니다.그리고, 그 때, 그 선생님은, 그 선생님이, 아동(학생) 들에 대해서, 잘 하고 있던 체벌의 하나로, 교실의 흑판에 향사고 아동(학생)을 세우고, 가는 대나무?(으)로 만든 봉으로, 격려 한다고 말하는 체벌을, 그 악녀석과 나에 대해서 했습니다만, 최초, 그 악녀석을, 그 선생님이, 언제나 하고 있듯이 강하게 두드리고, 그 악녀석은, 아픈 것 같은 표정을 하고 있었습니다만, 그 후, 나의 차례가 되었습니다만, 나를 두드릴 때는, 누구에 대해서도, 들켜 들켜라고 한 느낌의, 분명하게, 두드리는 힘에 차이를 내고, 마치, 나의 엉덩이를 상냥하게 어루만진다고 한 느낌의 두드리는 방법으로, 상냥하게 두드려, 나는, 아프지도 가렵지도 않습니다였습니다 w 덧붙여서, 그 선생님도, 나의 어머니란, 사이가 좋고, 부모회등에서는, 어머니와 친하게 이야기하고 있던 님입니다.

상술한 대로, 나도, 나의 남동생도, 부모의 앞, 학교의 선생님의 앞을 포함한, 어른의 앞에서는, 얌전한 좋은 아이를 연기하는 것이, 매우, 즐 영리하고 능숙했습니다만, 나도, 나의 남동생도, 초등 학생으로부터 중학생의 무렵, 기본, 마세녀석인 일은 확실하고, 특정의 어른에 대해서는, 건방지게 송곳니를 향하는 일도 있었습니다( 나도, 나의 남동생도, 고등학교에서 대학으로 걸치고, 점점 온화하게 되어서 갔습니다만...).

나의 남동생은, 중학생때, 담임인, 남자의 선생님에게, 제복의 입는 방법이, 야무지지 못하면 주의받고, 남동생은, 그 입는 방법이, 근사하면 생각해, 고의로 그 님제복의 입는 방법을 하고 있었습니다만, 그에 대하고, 남동생은, 이성을 잃고, 선생님에 대해서, 「누구에게도, 폐를 끼치지 않지 않습니까!」라고 강한 어조로 반발을 해, 그 제복의 입는 방법을, 고치지 않았다고 합니다.뭐, 나나 남동생도, 선생님의 가정 방문때는, 언제나, 댁의 자녀분은 무슨 문제도 없어요라고 한 느낌의, 선생님과 어머니의, 짧은 담소로 끝나 있던 느낌입니다만, 그 때의 일도, 그 님가정 방문 시에, 그 남동생의 담임의 선생님과 어머니와의 담소 중(안)에서의, 「댁의 자녀분은, 분명히 말을 할 때는 말하는군요」라고 한 느낌의 화제의 다루어지는 방법만으로 끝난 것 같습니다만 w

덧붙여서, 나는, 중학생·고교생의 무렵, 학교의 여성의 선생님과 교제하거나 사이가 좋아지거나(에이치(sex) 하거나) 한 일은 없었습니다만, 중학생의 무렵, 클래스의 담임의 선생님은 아니었습니다만(덧붙여서, 중학의 무렵의 클래스의 담임의 선생님은, 개인적으로, 어느 쪽도 남자의 선생님이었습니다), 당시 , 20대의 반위인, 여성의 선생님에게, 묘하게(매우), 남자로서 의식되어 버린 일은 있어요 w 그리고, 중학·고교시절, 그 이외에도, 여성의 선생님에게, 많든 적든, 이성으로서 의식되어?`「라고 느낀 일이 있어요 w

나는, (뭐, 중학의 무렵도, 그 님일이 있었습니다만), 고등학교때는, 어느 교과의 선생님이어도, 어렵다고 평판의 선생님이어도, 나에 대해서는, 경의를 표해 있거나, 달다고 한 마디가 있었습니다.

나의 고등학교때의, 클래스의 담임인 선생님의 한 사람으로, 매우 어렵다고 평판의, 중년의 여성의 영어의 선생님이 있었습니다만(그 선생님은, 숙제를, 많이 내는 선생님이었습니다), 그 선생님은, 영어의 수업때의, 나의 영어의 발음의 좋은 점이나, 나의 학교의 영어의 성적등으로부터, 나에게, 경의를 표하고 있는 느낌으로, 다른 학생들에게는, 숙제를 오지 않았던 경우는, 어렵게 꾸짖고 있던 것에 대해, 나에 대해서는, 조금 정도, 내가 숙제를 오지 않아도, 아무것도 말하지 않았습니다(덧붙여서, 나는, 중학생·고교생의 무렵, 여름휴가(방학)등의 숙제는, 휴일이 끝난 후, 각 교과의, 최초의 수업까지 완성하는 타입이었습니다 w).덧붙여서, 그 선생님은, 중년의 여성이었지만, 나는, 그 선생님에게도, 조금 이성으로서 의식되어 버리고 있던 것 같은 느낌이 있었던 w 그 선생님도, 나의 어머니란, 사이가 좋고, 부모회등에서는, 어머니와 친구와 같이 친하게 이야기하고 있던 님입니다.덧붙여서, 당시 , 영어력과 형태 `세점에 관해서, 그 고등학교의 여성의 영어의 선생님보다, 아버지와 결혼하고 나서 아르바이트를 포함해 일은 일절 한 일이 없는 전업 주부인 나의 어머니가 위에서 만났다고 생각합니다.

이하, 참고의 투고.

보브의 회화 교실(일본어)→
/jp/board/exc_board_8/view/id/2610488/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon
보브의 회화 교실(한국어)→
/kr/board/exc_board_8/view/id/2610488/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon
외가의 조부의 남자의 고집(일본어)→
/jp/board/exc_board_8/view/id/2612459/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon
외가의 조부의 남자의 고집(한국어)→
/kr/board/exc_board_8/view/id/2612459/page/2?&sfl=membername&stx=jlemon




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