生活/文化



                                                                 

東京都心部の西部の静かで落ち着いた住宅地にある我が家の近所の私の実家は、元々、私の母方の祖父母の家です(ちなみに、私の母は、一人っ子です。既に、母方の祖父母とも亡くなり、現在は、(我が家の近所の私の実家は)両親が引き継いで暮らしています)。

私の母方の祖父は、見合いで、私の母方の祖母と結婚したのですが、私の母方の祖父は、結婚したからには、ずっと(一生)、妻の事を大切にし、守らなければならないと言った、昔ながらの(保守的な)、紳士の美学・ポリシー(方針)と言った物を持った男性でした。ちなみに、私の父も、同様の、紳士の美学・ポリシー(方針)を持った男性ですが、性格が穏やかで、温和な紳士であると言う点においても、私の母方の祖父に共通していて、元々、面食いの私の母が、私の父に、一目惚れして、私の母から、私の父に、バリバリにアプローチして、私の母と私の父は、交際する事になったのですが(バリバリの恋愛結婚w)、私の母が、私の父に、自分の父(私の母方の祖父)の性格と共通する面を見出したのも、私の母が、私の父と結婚するまでに至った、大きな理由の一つなのかもしれません。

私の、根本的には、shyな性格であり、穏やかで、温和な性格、(まあ、自分で言うのもなんなんですが)紳士的な性格は、私の母方の祖父と、私の父の性格を受け継いでいると思います。また、知的好奇心が旺盛と言う面も、(まあ、私の場合は、実際に知的か、知識が豊富かと言う事は関係なく、知的好奇心だけ旺盛と言った感じですがw)、私は、私の母方の祖父と、私の父の性格を受け継いでいると思います。

一方、私の、お酒を飲む事、食べる事、エッチ(sex)に関しての、享楽主義(epicurean)的な傾向は、私の父方の祖父の血を受け継いでいると思います(まあ、エッチ(sex)に関しては、私の父方の祖父は、どうであったのか分かりませんが。。。ちなみに、私の父は、そうでもないと思うので、隔世で受け継いでいると言った感じであると思います)。

私の父方の家系については、以下の投稿を、参照して下さい。

J-pop:高峰 秀子-「銀座(ginza)カンカン娘」(日本語)→
/jp/board/exc_board_5/view/id/2615756?&sfl=membername&stx=jlemon
J-pop:高峰 秀子-「銀座(ginza)カンカン娘」(韓国語)→
/kr/board/exc_board_5/view/id/2615756?&sfl=membername&stx=jlemon



現代は、昔と違って、情報化社会であり、私は、私よりも前の世代の人達(私の祖父や、私の父)と違って、子供の頃から、大量の情報に囲まれて育って来たと言うのもあると思いますが、私の母方の祖父(私の父方の祖父もそうですが)、私の父、私を比較すると、私が、一番、無趣味(趣味がない)と言った感じです。

幸福の形は、仕事のやりがいであったり、趣味であったり、旅行や温泉巡りであったり、遊びであったり、家族と過ごす楽しい時間であったり、仲間や友人達と過ごす楽しい時間であったり、人助けであったり、何事もほどほどに穏やかな人生を生きる事であったり、それこそ人それぞれ、千差万別であり、その人が思う、その人にとっての幸福が、その人にとっての幸福であり、人の幸福について、他人がとやかく言ったり評価する物では全くないと思います。

私ほど、趣味がない人間も珍しいかもしれませんが、私が馬鹿で程度が低い人間だからか、綺麗な景色と美味しい酒と美味しい食事と良い女がいれば、他に何が必要かと思ってしまいますw。幸い、日本は、綺麗な景色と美味しい酒と美味しい食事と良い女には恵まれた国であり、私も、綺麗な景色と美味しい酒と美味しい食事と良い女に恵まれており、趣味がなくても、十分に、幸せです。

私の母方の祖父は、保守的で、堅実、真面目で、生活は、つましく、派手な生活をする事は、好みませんでしたが、無趣味と言った訳ではなく、墨絵(ink wash painting)、俳句(haiku)(日本の、伝統的な詩)、短歌(tanka)(日本の、伝統的な詩)、漢詩(中国の、伝統的な詩)、魚釣り等を趣味として、風流人的な、一面も持っていました。現在は、昔と違って、我が家の近所の、私の実家(元々、私の母方の祖父母の家。現在は、両親が、引き継いで暮らしている)の、庭の池には、錦鯉(nishikigoi)(下の補足説明参照)しか泳いでいませんが、かつて、私の実家の庭の池には、鯉、金魚の他に、私に母方の祖父が釣って来た、鮒や草魚(grass carp)等がいました。私の母は、子供の頃は、休日に、私の母方の祖父に連れられて、電車に乗って、よく、東京の西部郊外の、多摩(tama)川に釣りに行ったそうです(私の母は、全く、退屈で、つまらなかったそうですw)。
錦鯉(nishikigoi):観賞用に、養殖・品種改良された、日本の鯉の、総称。錦鯉(nishikigoi)は、日本及び日本の美意識を象徴する魚として、日本の国魚(国の魚)となっている。日本では、色鮮やかな、錦鯉(nishikigoi)は、庭園の池等で、多く見られる。

私の母方の祖父は、元々、技師(技術者)で、完全に理系(理数系)の人でしたが、勉強熱心で(勉強に熱心で)、知識が豊富であり、特に、漢字に、とても詳しく、実家では(私の母方の祖母、私の両親、私、私の弟の間では(特に、私の母、私、私の弟の間では))、読み方や意味等が分からない漢字や四字熟語等があったら、「おじいちゃん(私の母方の祖父)に聞け」と言う事が家訓となっていましたw

私の母方の祖父は、東洋的な(日本的な)、風流人である一方で、西洋文化が好きな一面もあり、私の母方の祖父の好みに合わせて、私の実家の朝食は、西洋式でしたし、私の、母方の祖父は、食事は、どちらかと言えば、和食(日本料理)よりも、洋食(yoshoku)(日本で、近代以降、日本人の口に合う様に、(日本人の視点からすれば)改良された、西洋料理)・西洋料理の方が、好きな位でした。また、私の母方の祖父は、ウイスキー(whisky)が、好きで、毎晩、寝る前に、必ず、ウイスキー(whisky)を飲んでいました。

そんな、私の母方の祖父が、大好物であった(非常に好きであった)食べ物は、カツカレー(豚カツ(tonkatsu)カレー(curry))です。
ちなみに、カツカレー(豚カツ(tonkatsu)カレー(curry))は、日本では、通常、家庭料理ではなく、外食で食べる食べ物です。



私の母方の祖母も、私の母も、家で、カツカレー(豚カツ(tonkatsu)カレー(curry))は作りませんでした。

私の母方の祖母は、結婚してから亡くなるまで、アルバイトを含めて、一切の仕事をした事がない主婦でしたし、私の母も、結婚してからは、アルバイトを含めて、一切の仕事をした事がない主婦です。

私の母は、(まあ、私は、母の事を、スーパー主婦と呼んでいるのですがw)、私の母は、子供の頃から、運動神経が良い(私の母は、小学校・中学校・高校と体育の成績は常に良かった様です)と言うのが関係しているのかしていないのか分かりませんが、料理を含めて、一つ、一つの作業が丁寧な訳では決してないのですが、昔から(私が子供の頃から)、家事の手際が、非常に良く、家事をこなす、スピード(速度)が、非常に速いです。まあ、私の母の、(一つ、一つの作業が丁寧な訳ではないけれど)、家事の手際が、非常に良く、家事をこなす、スピード(速度)が、非常に速いと言うのは、私の母の、家事を出来るだけ短時間で済ませ、自分が自由になる時間、自分が遊べる時間を、少しでも、より多く確保したいと言う、欲望・気持ちが、昔から、そうさせて来たのかもしれません。

私の母は、(私の母から見れば)家事に関して不器用な私と私の弟に、家事を手伝わすと、かえって、足手纏いになって家事のスピードが遅くなるから手伝わしたくはないと言った感じで、私の母は、基本的に、日常的な家事は、私と、私の弟に、あまり手伝わせませんでした。

その代わり、家の中等の力仕事は、私と私の弟が、それぞれ、中学生以降は、わざと(故意)に用事を見つけてまで、出来る限り、私と私の弟に手伝わせるようになりました。そして、手伝わせた後は、ほぼ必ず、「さすがは、男、頼りになる!」とか「さすがは、男!」等と、やたらと「男」を強調して褒めましたw

私の母は、子供に対して、勉強しろと、一切、言わないタイプの親でしたが(ちなみに、私の父は、子供の教育に関しては、全て、母に任せて、ほっぽらかしでした)、私の母は、私の母なりに、保守的な考えに基づいて、男の子は、女性を助ける、力強く、優しい男性に育てなければならないと言う、保守的な教育方針があったのかもしれません。

母は、前述の通り、結婚してから、アルバイトを含めて、仕事は、一切した事がない専業主婦ですが、昔から、料理は、必ずしも、手作りに拘らず、自分の匙加減で、楽をする為に、市販の物を活用する事に関して、全く厭いません。その事に関して、母方の祖父は全く気にしていませんでしたし、父も、昔から全く気にしていません。もちろん、子供達(私、及び、私の2歳年下の弟)も、実家暮らしの時、その事を全く気にしていませんでした。

父は、母が家事に時間をかける位ならば、昔から、(自分の)休日に自分と一緒に遊んでよと言った感じだと思います。ちなみに、母は、外食にしても、家で食べる食事にしても、本人が、食いしん坊なので(美味しい物を食べるのが好きなので)、母の料理は、大雑把ではありますが、母は、昔から、料理は上手な方(母の作る料理は美味しい)と思います。ちなみに、私は、若い頃は、基本的には、食事は、腹が一杯になれば良いと言った感じで、食事に対して、あまり関心がなかったのですが、今となっては、母の、食いしん坊な点を、よく受け継いでいると感じます。

私の母方の祖母(既に亡くなっています)も、私の母も、昔から、お節料理(正月の料理)は、基本的には、手作りはしない方針で(特に、作るのに手間がかかる物に関しては、昔から、一切、作らず)、簡単な物は、幾つか作りますが、昔から市販の物を、大いに活用しています。

私の母は、少し、バタバタして、おっちょこちょいの面もあり、私と私の弟が、子供(小学生)の頃、私と私の弟の、それぞれの、親しい友達を、数名ずつを呼んで、家(私の実家)で、クリスマスパーティーを開いた際に、さあケーキよと言って、大きなケーキ(私の母が作ったケーキではなく注文したケーキですがw)を、テーブルに運んで来る際に、私の母は、何かにつまづいて(何だか忘れた)、コケて、ケーキを逆さまに床に落として、台無しにしてしまった(もちろん、その時、私も、私の弟も、それぞれの友達たちも、一瞬、固まり、開いた口が塞がりませんでしたw)なんて事もあります。

私の母は、クリスチャン(Christian)ではありませんが、私の両親は(ちなみに、私の父も、クリスチャン(Christian)ではありません)、毎年、クリスマス時期に、自分達の家(我が家の近所の私の実家)に、近所の、(自分達の)親しい友人達等を、招いて、クリスマスパーティー(Christmas Party)を行っていますが、その際には、毎年、メイン(main)料理として、丸ごとの、ローストターキー(roast turkey)を注文していますが(ローストターキー(roast turkey)は、私の母が、自分で、作る訳ではないw)、(私の母は、昔から、ミーハーな女性ですが)、そうした事も、私の母の、ミーハー的な性格から来ていると思います(私の母は、チャラチャラした性格であり、現代に若者時代を過ごしていたら、ギャルになったような気もしますw)。

ちなみに、私の母方の祖母の性格は、私の母とは対照的であり、大人しくて、上品な性格で、田舎の裕福な地主の家(第二次世界大戦後は、没落しましたが)に生まれた、私の母方の祖母は、大学から東京に出て来たものの、生涯、世間知らずの田舎の裕福な家の箱入りのお嬢さん的な要素があった女性です(ちなみに、我が家の近所の私の実家は、元々、私の母方の祖母の父(田舎の、裕福な地主であった)が、東京に保有していた不動産の一つであった物で、私の母方の祖母の父が、私の母方の祖母が結婚した際に、私の母方の祖父母に与えた物です)。

私の母の、ミーハーで活発な性格は、近所に暮らしていた、私の母方の祖母の姉(既に亡くなっています)に似ています(私の母は、幼い頃から、よく、近所の私の母方の祖母の姉の家に、遊びに行っていた様です)。

私の母が、自由奔放にやりたい放題に育ったのは、誰に対しても、めったに怒らない穏やかな紳士であった、私の母方の祖父と、(大学から東京に出てきたものの)、生涯、世間知らずの田舎の裕福な家の箱入りのお嬢さん的な要素があった私の母方の祖母の間に、当時としては、割と年を取ってから生まれた、一人っ子(一人娘)であり、甘やかされて育てられたと言うのもあるかもしれません。



前述の通り、私の母方の祖父が、大好物であった(非常に好きであった)食べ物は、カツカレー(豚カツ(tonkatsu)カレー(curry))です。

ちなみに、カツカレー(豚カツ(tonkatsu)カレー(curry))は、日本では、通常、家庭料理ではなく、外食で食べる食べ物です。

私の母方の祖父は、おそらく、一人で、出掛けた際の外食で、カツカレー(豚カツ(tonkatsu)カレー(curry))は、よく食べていたと思います。また、母方の祖父が、私が幼い頃・子供の頃、私を連れて、私と二人で出掛けた際の外食(昼食)は、デパートの大食堂で食べる事が多く、その際に頼むのは、母方の祖父が、カツカレー(豚カツ(tonkatsu)カレー(curry))、私が、お子様ランチと言うのが、定番でした。そして、その際に、母方の祖父は、必ず、私に、カツカレー(豚カツ(tonkatsu)カレー(curry))の上の、切り分けてある、豚カツ(tonkatsu)の、一番肉が厚く、脂身が少ない、一番、美味しそうな、一切れを、私に分けてくれました(ちなみに、私は、子供の頃から、肉は、好きなので、喜んで、貰いました)。

私には、兄弟姉妹は、2歳年下の弟が、一人います。私も、私の2歳年下の弟も、幼い頃・子供の頃から高校生位の頃、親に、物質的には、好き放題甘やかされていた為、自分が欲しい物の為に、駄々をこねる(我儘を言う)必要がなかったと言う事もありますが、(例外的に、赤ちゃんの頃の私は、行ってはいけないような場所に、どんどん這って行ってしまうような冒険家の赤ちゃんであったようですがw)、私も私の弟も、親の前では、大人しい良い子供で、父親にも、母親にも、一度も、大きな声で、叱られたような事はありません。その点に関しては、自分で言うのも、何なんですが、私も弟も、頭の良い子供だったのだと思いますw

前述の通り、私の母方の祖父は、見合いで、私の母方の祖母と結婚したのですが、私の母方の祖父は、結婚したからには、ずっと(一生)、妻の事を大切にし、守らなければならないと言った、昔ながらの(保守的な)、紳士の美学・ポリシー(方針)と言った物を持った男性でした。

私の母方の祖父は、家族で出掛けた際の外食時も、デパートの大食堂等、カツカレー(豚カツ(tonkatsu)カレー(curry))が、メニュー(menu)にある場合は、必ず、カツカレー(豚カツ(tonkatsu)カレー(curry))を頼んでいました。その際に、母方の祖父は、必ず、自分が頼んだ、カツカレー(豚カツ(tonkatsu)カレー(curry))の上の、切り分けてある、豚カツ(tonkatsu)の、一番肉が厚く、脂身が少ない、一番、美味しそうな、一切れを、私の母方の祖母に分けようとしました(その際に、祖父は、孫達(私と弟)の事は、眼中にないと言った感じで、一切、無視でしたw)。その際に、母方の祖母は、その時の、自分の気分に応じて、「大丈夫です」と断ったり、「頂きます」と言って、貰ったりしていました。その際、母方の祖父は、母方の祖母が、「大丈夫です」と断った時は、「そうか」と、優しく暖かい笑顔で答え、母方の祖母が「頂きます」と言った時は、(やはり、優しく暖かい笑顔で)、母方の祖母が注文した食べ物の、皿の、邪魔にならない部分に、そっと、豚カツ(tonkatsu)の一切れを置きました。そうした、母方の祖父と、母方の祖母の、一連の、やり取りが、実に、自然で、様になっており、板についていると言った感じでした。

母方の祖父の母方の祖母に対する上記の行動は、何て事ない行為ではあるのですが、母方の祖父の、形式的なレディーファーストなんかではない、大切な女性を大切に思うからこそ、気持ちの中から、自然と滲み出て来る行動を象徴していた様な気がします。

その様な、母方の祖父の行動を、幼い頃・子供の頃の、私と弟は、しっかりと、よく見ていました。そして、その様にして、私と私の弟が、男と言う物が、大切な女性に対して、執るべき態度・姿勢・行動と言う物を、自然と学び取って行ったと言う面もあると思います。



前述の通り、私の母方の祖父は、見合いで、私の母方の祖母と結婚したのですが、私の母方の祖父は、結婚したからには、ずっと(一生)、妻の事を大切にし、守らなければならないと言った、昔ながらの(保守的な)、紳士の美学・ポリシー(方針)と言った物を持った男性でした。ちなみに、私の父も、同様の、紳士の美学・ポリシー(方針)を持った男性ですが、性格が穏やかで、温和な紳士であると言う点においても、私の母方の祖父に共通していて、元々、面食いの私の母が、私の父に、一目惚れして、私の母から、私の父に、バリバリにアプローチして、私の母と私の父は、交際する事になったのですが(バリバリの恋愛結婚w)、私の母が、私の父に、自分の父(私の母方の祖父)の性格と共通する面を見出したのも、私の母が、私の父と結婚するまでに至った、大きな理由の一つなのかもしれません。

父は、例えば、西洋料理レストランで、食事をする際、母と違うメイン(main)料理を頼んだ際は、自然と、基本的に、自分が頼んだメイン(main)料理の、一番、美味しそうな部分を、母に切り分けて、分けてあげようとしました(その際に、食いしん坊の母は、たいてい断りませんでしたw)。また、父は、自分が頼んだ、メイン(main)料理の、ソースが美味しかった場合は、最後に、「この、ソース美味しいよ。パンに付けて食べて見る?」と言った感じの事を母に言って、(その際にも、食いしん坊の母は、たいてい断らなかったのですがw)、母が、パンにソースをつけ易いように、母の方に向けて、そっと、さり気なく、自分が頼んだ、メイン(main)料理の、皿をずらしました。

本格的な高級な西洋料理レストランでは、その様な事をするのは、マナー違反である事から、父は、高級な西洋料理レストランでは、基本的に、その様な事はしませんでしたが、高級リゾート(resort)ホテルのレストランの場合は、(おそらく、リゾート(resort)だからOKと判断したのでしょう)、やはりそうしていました(もちろん、その場合は、堂々とではなく、そっと、さり気なく)。

父が、西洋料理レストランで、その様な、母に対する、一連の行動をする際に、(私と私の弟が、幼い頃・子供の頃の場合、(私と弟は)、子供が好むメニューやお子様向けのメニューを食べていた)子供達(私と弟)の事は、眼中にないと言った感じで、一切、無視でしたw

その様な、父の、形式的なレディーファーストなんかではない、大切な女性を大切に思うからこそ、気持ちの中から、自然と滲み出て来る母に対する行動を、幼い頃・子供の頃から、私と弟は、しっかりと、よく見ていました。そして、その様にして、私と私の弟が、男と言う物が、大切な女性に対して、執るべき態度・姿勢・行動と言う物を、自然と学び取って育ったと言う面もあると思います。




私の母は、無意識的・意識的に、「さすが!」とか「凄い!」とか「頼りになる!」とか、周囲の男性達を、おだてて、立てて、男性達に、助けて貰ったり、面倒な事を引き受けて貰ったり、優しくして貰うのが、(おそらく)若い頃から、とても上手で(とても得意で)、無意識的・意識的に、そうした事が、大好き(とても好き)な女性です。

私は、顔は、母よりも、父に似ており、私の弟は、父と母、両方に似ているとも言えるし、父と母、どちらにも似ていないとも言える顔です。

私と、私の母との関係は、私の母にとって、私は、昔から、自分の好みのタイプのルックス(外貌)の(私は、顔は、母よりも父に似ているのですが、私の父と母は、父の顔を見て、一目惚れした私の母が、父に対して、猛烈にアプローチ(誘惑)しての、バリバリの恋愛結婚ですw)、何でも、気楽に話せる、気の合う男友達と言った感じで、私の母は、昔から、自分の恋愛話でも何でも、自分の事は、何でも、バンバン私に話して来ていますw これに対して、私の母は、私の弟に対しては、昔から、態度を使い分けて来ていると言った感じで、弟に対しては、自分の話を、何でもすると言う訳ではなく(弟に対しては、自分の、女性である面を見せようとせず)、昔から、相対的に、母親の顔をしようとして来ている感じです。

私の母が年を取り、私が中年になってからの話ですが、前に、近所の実家に暮らす母は、私に、「男は、おだてれば何でもしてくれるのよ」と、ぶっちゃけ自分で本音を暴露していましたw

私の父も、もしかしたら子供が見ていない時に(母と二人きりの時に)、母に、さんざん、おだてられて来たのかもしれませんw

我が家の近所の私の実家の場合、元々、母方の祖父母の家で、母方の祖父母が同居していたのですが(既に母方の祖父母とも亡くなっている。今は両親の二人暮らし)、それは別の話として置いておいたら、私と弟が実家を出るまでは、母(父と結婚してからはずっと専業主婦)以外、会社員の父、私、私の2歳年下の弟の、全員、男であったのですが、母は、まあ何も考えないタイプの女性というのもありますがw、男連中を褒めて伸ばすタイプで、私は気分が良かったですし、父も弟も、そうであると思います。



私の母は、昔から(私が子供の頃から)、「母親である前に女」であるような女性ですw

私の母は、私の父の事を、少なくとも私が物心ついた時から(私が記憶が遡れる限りから)、ずっと、「お父さん」とは呼ばすに、父の下の名前に、さんを付けて呼んでいます。また、母は、夫から(私の父)から、「お母さん」と呼ばれる事が嫌いで、父は、母に教育されてw、少なくとも私が物心ついた時から(私が記憶が遡れる限りから)、基本的に、ずっと、母の事を、「お母さん」とは呼ばすに、君(きみ)と呼んでいます。父は、たまに、うっかりと、母の事を、「お母さん」と呼んでしまう事があったのですが、母は、その都度、「私は、あなたの、お母さんではない」と言い、父の事を叱って来ましたw

私の母は、昔から、私の父の事が、大好きです(とても好きです)。 

私の両親は、昔から、とても仲が良く、子供(私と私の2歳年下の弟)が親離れしてからは(それぞれの楽しみを見つけて週末や休日を基本的に別々に楽しむようになってからは)、週末や休日にしょっちゅう夫婦二人で遊びに出掛けるようになり、それが父・母とも既に高齢者である現在まで続いています。我が家の近所の私の実家の両親は、二人共、高齢者になった、今でも、夫婦、とても仲が良く、頻繁に、二人で遊びに出掛けています。私の父は、会社員ですが、現在、半分、定年退職状態で、私の両親は、年齢的には高齢者の中で若い年齢ではありますが、夫婦で、よく二人共通の趣味のゴルフに行きますし(両親は、未だに、夫婦で、スキーにも行きます)、夫婦で、海外を含めた、長期旅行も、よくしており、私の父は、仕事と遊びを、とても、元気に楽しみ続けています。私は、両親の(まあ、私の母は、私の父と結婚してから、ずっと主婦ですが。。。)、元気と、パワーが(力が)、羨ましい位ですw

以下の今年の正月の際の両親のエピソードは、(他にも、父と母の関係の同様のエピソードが色々とあるのですが)、既に文章にしているので使い回せて便利であると言う事と、私の父と母の関係を示す象徴的なエピソードとして調度良いので、既に、少なくない、私の投稿で使い回してしまって、申し訳ありませんが。。。

正月に、我が家の近所の私の実家に、彼女と土産物を持って新年の挨拶をしに行き、一時間程、私の両親(主に私の母)と話をした際に、母は、「このコート、この前、○○さん(○○は私の父の下の名前)に買って貰ったんだけど、どう?、似合う?」と言って、上機嫌で、(その時において)最近、父が母に買ったコートを私と彼女に見せたのですが(ちなみに、母は、身長は、163cm位と、私の母の世代の女性にしては、割と高く、また、痩せの大食い体質で(ちなみに、私は母の痩せの大食い体質を受け継いでいますw)、年を取っても相変わらず痩せており、もう高齢者の年齢ですが、コートを着ても似合いますw)、そのコートは、10万円程のものがセールで半額の5万円程で売られていたものであったそうですが、デパート(だったかな?)で、父と母が買い物をしていた際に、父が、「ちょっと、こっちに来て来て!」と母を呼び、母に、「このコート、君に似合うと思うんだけど、どう?」と言ったコートだったそうで、その話を聞いて、父、母、共に(ちなみに父と母は同年代です)、もう、おじいさん・おばあさんの年齢ですが、父は母を、相変わらず、ちゃんと女性として扱ってくれているのだなと言う事を再確認出来て、嬉しかったです。



私の実家は、別に裕福ではなく、普通の中流の家庭ですし、私の父も、普通の会社員ですが(まあ、仮に、実家が金持ちであったり、親が社会的な地位が高かったりしても、それを、誇りに思ったり、他人に自慢したりするような物ではないと思いますが)、私が、自分の両親について、これだけは、誇りに思える、自慢出来ると言う事は、昔から現在に至るまで、両親の仲が、とても良いと言う事と、父、母、共に(ちなみに父と母は同年代です)、もう、おじいさん・おばあさんの年齢になった今でも、父は、母の事を、相変わらず(変わる事なく)、女性として、しっかりと、大切にしていると言う事です。

亭主関白だとか、かかあ天下とか言いますが、(理想の)夫婦関係と言うのは、男(夫)が上だとか、女(妻)が上だとか、上下関係と言った物ではないと思います。保守的な考え方かもしれませんが、男性(夫)と女性(妻)が、お互いが、お互いを、異性として尊重しあって、又、お互いが、お互いを、独立した個人として、尊重しあって・大切にしあって、仲睦まじい、夫婦関係を、築いて行く・持続して行くのが、個人的に、(理想の)夫婦であると思います。

私は、家族の、最も重要な、基本は、夫婦であると思います。家族で、最も大切である事は、お互いに血が繋がっておらず、元々、育った環境も異なる、赤の他人同士の、夫婦が、しっかりと仲良くする事であると思います。夫婦の仲さえ、しっかりとしていれば、基本的には(例外もありますが)、血の繋がりもあり、同じ家庭環境を共有する、親子関係なんて、どうにでもなると思います。



私は、弟とは、昔から(幼い頃から)、お互いに、過干渉しない、適度な距離感の、個人主義と言った感じで、仲が良いです(弟と激しい喧嘩なんて、生まれてから、一度もした事がありません)。

人は、それぞれが、自分の幸せな生き方を見つければ良いのだと思います。

私の弟は、会社員で、既に、結婚をし、子供が二人いて、上の(年上の子供)は、男の子、下の(年下の子供)は、女の子で、まだ、二人共、幼いですが(女の子(妹)の方は、一昨年、生まれたばかり)、二人共、とても可愛いです。
 
弟の、奥さん(妻)は(ちなみに、弟の、奥さん(妻)は、弟よりも、かなり年下です)、結婚する前は、服関係(ファッション関係)の、会社で、会社員として働いていましたが、結婚してからは、主婦となりました。弟の、奥さん(妻)は、専業主婦で、弟と結婚してからは、アルバイトを含めて、仕事は、一切していない様です。

現在、弟は、妻を愛し、大切にし、守ると共に、妻と共に、二人の子供に愛情を、たくさん注ぎ、子育てを、とても楽しんでいるようです。弟は、我が家の近所の私の実家の両親に、二人の幼い子供の写真を、よく送信しているようです。

弟は、弟の幸せをみつけ、今は、兄として、遠くから、弟の幸せを、温かい気持ちで見守っている感じです(まあ、弟は、弟の家族(弟の妻と子供達と共に)、東京の西部郊外の静かで落ち着いた住宅地に買った一戸建て住宅に暮らしており、物理的な距離は、近いのですがw)。

私は、弟との、個人主義の原則に基づき、弟の私生活には、干渉しない主義ですが、これから先、弟が、金銭面においても精神面においても、いかなる面においても、私の助けが必要となる場合が生じた時は、私は、兄の責任として、弟に対する、出来る限りの援助(助け)をしたいと思っています。

ちなみに、私は、会社員と比べて、相対的に、安定的ではなく、相対的に、ビジネスにおいて危険性が高いが、相対的に、自分で自分の時間を自由に管理する事が出来、又、自分の才能・仕事の能力・仕事の効率性・努力が、自分の収入に直結する(直接繋がる)、個人事業の道を選びました。

そして、以下の参考の投稿のような、ライフスタイル(lifestyle )で生きています。

以下、参考の投稿。

ヒュッゲと物欲主義(日本語)→
/jp/board/exc_board_8/view/id/2580461/page/5?&sfl=membername&stx=jlemon
ヒュッゲと物欲主義(韓国語)→
/kr/board/exc_board_8/view/id/2580461/page/5?&sfl=membername&stx=jlemon



以下、おまけの話です。



私の母方の祖父母が生きていた時は、私の実家の財産の系統は、私の母方の祖父母(私の母の両親)の系統と、私の両親の系統に分かれ、それぞれ、管理権限は、別となっていました。

私の母方の祖父母の財産の管理権限は、生活費も含めて、私の母方の祖父が、全て管理を行い、母方の祖母は、母方の祖父の管理の下で、母方の祖父母の財産の中から生活費を使い、又、それとは別に、母方の祖父は、母方の祖母に対し、母方の祖母が、自分の物を買ったり・自分の楽しみの為に使ったりする金を、お小遣いとして渡す方式でした。私の母方の祖父は、自分自身に関する、出費に関しては、とても、つましかった一方で、母方の祖母が、自分の物を買ったり・自分の楽しみの為に使ったりする金である、お小遣いに関しては、私の母方の祖母が、そのお小遣いを使う使わないに関わらず、かなりの金額を渡していた様です。

私の母は、常々、半分、からかいを含めて、私の母方の祖母に対して、「おばあちゃん、おじいちゃんに、お小遣い、たくさん貰っているんだから、自分の欲しい物買ったり、自分の楽しみの為に、じゃんじゃん(どんどん)、お金を使えば、いいじゃん(使えばいいでしょう)」と言ったような事を言っていたのですが、母方の祖母は、もちろんキメる時の服(フォーマルな服)等は、ちゃんと持っていましたが、あまり、お金を使わずに(普段の服等も質素で、普段の服等にも、あまり、お金を使わずに)、つましく、日々の、生活を送っていました。もっとも、母方の祖母は、甘い物(お菓子等)が好きだったので、甘い物(お菓子等)は、自分の為に、よく(たくさん)買っていました。



私は、大の、おばあちゃん子でした。

私が社会人となり忙しくなる前は(私が幼い頃・子供の頃から大学生の頃までは)、母方の祖母の、一番の話し相手は(私の母方の祖母と、一番、たくさん話していたのは)、大の、おばあちゃん子であった私でした。2番目の話し相手は(私の母方の祖母と、2番目に、たくさん話していたのは)、近所に暮らしていた私の母方の祖母の姉で(私の母方の祖母の姉は、生前、よく、近所の私の実家(元々、私の母方の祖父母の家)に遊びに来て、妹である、私の母方の祖母と話していました)、私の母は、私の母方の祖母の、3番目の話相手と言った感じでした。その他、時々からたまに、私の母方の祖母の、学生時代からの、女性の親友が、家(私の実家。元々、私の母方の祖父母の家)に遊びに来て、私の母方の祖母と話をしていました。

私の母方の祖母は、結婚してからアルバイトを含めて、一切の仕事をした事がない専業主婦でしたし、私の母も、結婚してからは、アルバイトを含めて、一切の仕事をした事がない専業主婦です。

私の母は、もちろん家事もあったのですが、私の母方の祖母の姉の性格を受け継ぎ、絶えず動いていないと気が済まない活発な性格で、自分がやりたい事で、忙しいと言った感じで、基本的に、じっくりと、私の母方の祖母の話相手をするような事は、あまりしませんでしたが、私が、社会人となり忙しくなって、以前のように、私の母方の祖母の話相手を出来なくなってからは、さすがに、気を遣って、前に比べれば、相対的に、よく、私の母方の祖母の話相手をするようになりました。

私は、実生活の会話においては、女性の、悩み等を、共感しながら、じっくり聞いてあげると言う事は心掛けており、話相手が女性の場合、そうした事は、ある程度自然に身について、出来ていると思いますが、その様な、私の女性の(と言うか人の)話の、聞き上手と言った事に関して、私は、母方の祖母と、たくさん話をした(母方の祖母の話を、たくさん聞いた)と言う事を通じて、培われた、その事が、大いなる土台となったと思います。

私の母方の祖母からは、人の心を思いやる、優しい心と言う物を学びました。そこにいてくれるだけで、存在していてくれるだけで、皆の(少なくとも私の)、癒しとなり、優しい気持ちになれた、おばあちゃんで、そこにいてくれるだけで、存在していてくれているだけで、ありがたく、いつでも、幸せな気持ちになる事が出来ました。

私は、学生時代(高校・大学時代)、ピアス等をして外見を派手に飾り立てていて、街を歩けば、ホストのスカウトの声が掛かったりしていたのですがw、母方の祖母は、そんな私の外見とは関係なく、ずっと、私の中身を見続けてくれていて、私の母方の祖母にとって、私は、いつまで経っても、ずっと、可愛い孫のままでした。

以下、参考の投稿。

初めて買ったCD (日本語)→
/jp/board/exc_board_5/view/id/2586392/page/3?&sfl=membername&stx=jlemon
初めて買ったCD (韓国語)→
/kr/board/exc_board_5/view/id/2586392/page/3?&sfl=membername&stx=jlemon

私が、実家で、母方の祖母の部屋を訪れると、母方の祖母は、いつでも、満面の、温かく、嬉しそうな、優しい笑顔で迎えてくれました。そして、母方の祖母は、私が、一度、祖母の部屋に遊びに訪れると、時間が許す限り(いや、時間が許さなくても)、いつまでも、私にいて欲しいと言った感じで、私が適当に時間を見て、「じゃあ、おばあちゃん、そろそろ行くね」と言わない限り、祖母の部屋から出て来れずw、私の母方の祖母の方からは、絶対に、そろそろ、遊びに行っておいでとか、そろそろ、勉強があるんじゃないか等と言って、私に、そろそろ行ってもいいよと配慮するような事は、絶対にありませんでしたw

前述の通り、母方の祖母は、甘い物(お菓子等)が好きだったので、甘い物(お菓子等)を、自分の為に、よく(たくさん)買っていたのですが、母方の祖母は、その様な、自分の為に買った、甘い物を、自分の部屋で、私と、一緒に食べる・私と、分けて食べるのが、大好きでした。私は、その様な経験を通じて、大切な人と、美味しい物を、一緒に・分け合って(シェアして)、美味しいねと言い合いながら・美味しいと言う気持ちを共有しながら、食べる事は、とても幸せで、楽しい気分になると言う事を、学んだ気がします。

私が、母方の祖母の部屋を訪れた際の、祖母の、満面の優しい笑顔は、今でも、鮮明に、私の心の中に残っています。その一方において、私が社会人になった後は、忙しく、私の母方の祖母が亡くなるまで、たまにしか、私の母方の祖母の、話し相手を出来なくなってしまったのが、今でも、私の大きな、悔い・心残りとなって、心の中にあります。

私の母は、男の子は女性を助ける力強く優しい男性に育てなければならないと言う保守的な教育方針があって、私も私の弟も、母に、男は涙を見せるものではない、男は簡単に泣くようでは、女性を守れない等と言った内容の事を言われて、育てられて来たと言う影響もあり、私も実際に、その通りであると思い、私は、少なくとも、中学生以降は、自分自身に関する事で、泣いた(涙を流した)事は、一度もありません。まあ、そんな私も、悲しい映画とか、悲しいドラマとかには弱く、割と、涙もろいと言うか、割と、すぐ涙が出て来てしまう方なのですが(まあ、涙が出ると言うだけで、泣くと言う程ではない)w

私は、そもそも、子供の頃を含めて、号泣と言ったものは、ほとんどした事がないのですが(私の親(母)は、子供(私、及び、私の弟)が、子供の頃から高校生の頃、子供(私、及び、私の弟)の事を、物質的には、好き放題、甘やかせていた為、私と私の弟は、幼い頃・子供の頃から、自分が欲しい物の為に、駄々をこねると言った必要はありませんでしたw)、私は、大人になってから、と言うか中学生以降、号泣(しかも大号泣w)した事が、たった一度だけあります。

それが、母方の祖母の、お葬式の時です。私の、母方の祖母の、お葬式の時(私の母方の祖父は、既に亡くなっていました)、父は泣かず、母は、しくしく泣いて、私の2歳年下の弟も、しくしく泣いて、私だけ、号泣(しかも、恥ずかしげもなく、思わず、大号泣w)してしまいました。

実は、(ここでは書ききれませんが)、私の母方の祖母の、お葬式の時、私が、ただの号泣ではなく、大号泣したのは、理由がありました。私の母方の祖母について、及び、私の母方の祖母に対する、私の思い等は、これだけでは書ききれない事から、また、まとめて、改めて、投稿しようと思っています。



私は、個人的に、小津  安二郎(ozu yasujiro)(日本の世界的に有名な映画監督の一人)の映画が好きなのですが、個人的に、小津 安二郎(ozu yasujiro)の映画の中でも、一番、好きな映画は、地味な映画ですが(と言うか、そもそも、小津  安二郎(ozu yasujiro)は、黒澤 明(kurosawa akira)(日本の世界的に有名な映画監督の一人)等と異なり、人々の日常を舞台とした、地味な映画を特徴とする、映画監督です)、「晩春(Late Spring)」(1949年)です。その理由の一つに、「晩春(Late Spring)」の登場人物達が、私の、身近な人々に重なると言うのがあります。笠 智衆(ryu chishu)と言う、日本の俳優が演じる、保守的で、つましい(質素な)、大学の教授は、誰に対しても、めったに怒らない穏やかな紳士であった、亡くなった、私の母方の祖父に重なります。原 節子(harasetsuko)と言う日本の女優が演じる、大学教授の娘は、亡くなった、私の母方の祖母に重なります。原 節子(harasetsuko)が演じる、大学教授の娘の、元々、女学校(第二次世界大戦以前の日本における、女子(女性)向けの中等教育機関。ほぼ、現在の小学校と大学の間、即ち、中学校と高校に当たる。第二次世界大戦以前の階級社会の日本において、主として、比較的裕福な、中流階級以上の家庭の娘(中流階級・中上流階級(upper-middle class)・上流階級の、家庭の娘)が通った)の同級生(同学年・同じクラス)である、親友の女性(月丘 夢路(tsukioka yumeji)と言う、日本の女優が演じています)は、我が家、及び、我が家の近所の実家の近所に暮らしていた、亡くなった、私の母方の祖母の姉の若い頃のイメージに重なります。



動画は、you tubeから借りて来た物。映画、「晩春(Late Spring)」の中で、好きな場面の一つです。動画は、6分程の動画です。結婚したくなく、いつまでも、父と一緒に暮らしたいと思っている、娘に対して、父が、ど正論に、どストレートに、理詰めで、お見合い相手の男性と、結婚するように、お説教・説得する場面です。前述の通り、笠 智衆(ryu chishu)と言う、日本の俳優が演じる、保守的で、つましい(質素な)、大学の教授は、誰に対しても、めったに怒らない穏やかな紳士であった、亡くなった、私の母方の祖父に重なります。また、前述の通り、私は大のおばあちゃん子で、私が実家で母方の祖母の部屋に遊びに訪れると母方の祖母はいつも満面の笑みで私を迎えてくれて、その母方の祖母の笑顔が今でも鮮明に記憶に残っているのですが、その母方の祖母の満面の笑顔と、小津  安二郎(ozu yasujiro)の映画の中の原 節子(harasetsuko)の笑顔のイメージが重なります。













以下、参考の投稿。

母方の祖父の男の意地(日本語)→
/jp/board/exc_board_8/view/id/2612459?&sfl=membername&stx=jlemon
母方の祖父の男の意地(韓国語)→
/kr/board/exc_board_8/view/id/2612459?&sfl=membername&stx=jlemon
家族の関係(日本語)→
/jp/board/exc_board_50/view/id/2609023?&sfl=membername&stx=jlemon
家族の関係(韓国語)→
/kr/board/exc_board_50/view/id/2609023?&sfl=membername&stx=jlemon
ボブの絵画教室(日本語)→
/jp/board/exc_board_8/view/id/2610488?&sfl=membername&stx=jlemon
ボブの絵画教室(韓国語)→
/kr/board/exc_board_8/view/id/2610488?&sfl=membername&stx=jlemon



외가의 조부와 커틀릿 카레의 추억



                                                                 

도쿄도심부의 서부의 조용하고 침착한 주택지에 있는 우리 집의 부근의 나의 친가는, 원래, 나의 외가의 조부모의 집입니다(덧붙여서, 나의 어머니는, 독자입니다.이미, 외가의 조부모와도 돌아가셔, 현재는, (우리 집의 부근의 나의 친가는) 부모님이 계승하며 살고 있습니다).

나의 외가의 조부는, 맞선으로, 나의 외가의 조모와 결혼했습니다만, 나의 외가의 조부는, 결혼한 이상, 쭉(일생), 아내의 일을 소중히 해, 지키지 않으면 안 된다고 한, 옛날부터의(보수적인), 신사의 미학·폴리시(방침)라고 한 것을 가진 남성이었습니다.덧붙여서, 나의 아버지도, 같은, 신사의 미학·폴리시(방침)를 가진 남성입니다만, 성격이 온화하고, 온화한 신사이다고 하는 점에 대해도, 나의 외가의 조부에게 공통되고 있고, 원래, 미인만 탐하는 사람의 나의 어머니가, 나의 아버지에게, 한 눈 반하고, 나의 어머니로부터, 나의 아버지에게, 열심히에 어프로치 하고, 나의 어머니와 나의 아버지는, 교제하는 일이 되었습니다만(바리바 리의 연애 결혼 w), 나의 어머니가, 나의 아버지에게, 자신의 아버지( 나의 외가의 조부)의 성격과 공통되는 면을 찾아냈던 것도, 나의 어머니가, 나의 아버지와 결혼하기까지 도달한, 큰 이유의 하나인지도 모릅니다.

나의, 근본적으로는, shy인 성격이며, 온화하고, 온화한 성격, (뭐, 스스로 말하는 것도입니다만) 신사적인 성격은, 나의 외가의 조부와 나의 아버지의 성격을 계승하고 있다고 생각합니다.또, 지적 호기심이 왕성이라고 하는 면도, (뭐, 나의 경우는, 실제로 지적인가, 지식이 풍부한 것으로 말하는 일은 관계없이, 지적 호기심만 왕성이라고 한 느낌입니다만 w), 나는, 나의 외가의 조부와 나의 아버지의 성격을 계승하고 있다고 생각합니다.

한편, 나의, 술을 마시는 일, 먹는 일, 에이치(sex)에 관한, 향락주의(epicurean)적인 경향은, 나의 아버지 쪽의 조부의 피를 계승하고 있다고 생각합니다(뭐, 에이치(sex)에 관해서는, 나의 아버지 쪽의 조부는, 어떻게에서 만났는지 모릅니다만...덧붙여서, 나의 아버지는, 그렇지도 않다고 생각하므로, 격세에 계승하고 있다고 한 느낌이다고 생각합니다).

나의 아버지 쪽의 가계에 대해서는, 이하의 투고를, 참조해 주세요.

J-pop:고봉 히데코- 「긴자(ginza) 캉캉딸(아가씨)」(일본어)→
/jp/board/exc_board_5/view/id/2615756?&sfl=membername&stx=jlemon
J-pop:다카미네 히데코- 「긴자(ginza) 캉캉딸(아가씨)」(한국어)→
/kr/board/exc_board_5/view/id/2615756?&sfl=membername&stx=jlemon



현대는, 옛날과 달리, 정보화 사회이며, 나는, 나보다 전의 세대의 사람들( 나의 조부나, 나의 아버지)과 달리, 어릴 적부터, 대량의 정보로 둘러싸여 자라 왔다고 하는 것도 있다라고 생각합니다만, 나의 외가의 조부( 나의 아버지 쪽의 조부도 그렇습니다만), 나의 아버지, 나를 비교하면, 내가, 제일, 무취미(취미가 없다)라고 한 느낌입니다.

행복의 형태는, 일의 보람이거나 취미이거나 여행이나 온천 순회이거나 놀이이거나 가족과 보내는 즐거운 시간이거나 동료나 친구들과 보내는 즐거운 시간이거나 사람 돕기이거나 무슨 일도 적당히 온화한 인생을 사는 일이거나 그야말로 사람 각자, 천차만별이며, 그 사람이 생각하는, 그 사람에게 있어서의 행복이, 그 사람에게 있어서의 행복하고, 사람의 코우후쿠에 도착하고, 타인이 이러쿵저러쿵 말하거나 평가하는 것에서는 전혀 없다고 생각합니다.

나만큼, 취미가 없는 인간도 드물지도 모릅니다만, 내가 바보같고 정도가 낮은 인간이기 때문인지, 깨끗한 경치와 맛있는 술과 맛있는 식사와 좋은 여자가 있으면, 그 밖에 무엇이 필요한 것으로 생각해 버리는 w.다행히, 일본은, 기려경치와 맛있는 술과 맛있는 식사와 좋은 여자에게는 풍족한 나라이며, 나도, 깨끗한 경치와 맛있는 술과 맛있는 식사와 좋은 여자를 타고 나 취미가 없어도, 충분히, 행복합니다.

나의 외가의 조부는, 보수적이고, 견실, 성실하고, 생활은, 검소하고, 화려한 생활을 하는 일은, 좋아하지 않았습니다만, 무취미라고 말한 것은 아니고, 묵화(ink wash painting), 하이쿠(haiku)(일본의, 전통적인 시), 단가(tanka)(일본의, 전통적인 시), 한시(중국의, 전통적인 시), 낚시질등을 취미로서 풍류인적인, 일면도 가지고 있었습니다.현재는, 옛날과 달리, 우리 집의 부근의, 나의 친가(원래, 나의 외가의 조부모의 집.현재는, 부모님이, 계승하며 살고 있다)의, 뜰의 연못에는, 비단잉어(nishikigoi)(아래의 보충 설명 참조) 밖에 헤엄치고 있지 않습니다만, 일찌기, 나의 친가의 뜰의 연못에는, 잉어, 금붕어 외에, 나에게 외가의 조부가 낚시해 온, 부나 초어(grass carp) 등이 있었습니다.나의 어머니는, 어릴 적은, 휴일에, 나의 외가의 조부 에 이끌리고, 전철을 타고, 자주(잘), 도쿄의 서부 교외의, 타마(tama) 강에 낚시하러 갔다고 합니다( 나의 어머니는, 완전히, 지루하고, 시시했다고 합니다 w).
비단잉어(nishikigoi):관상용으로, 양식·품종 개량 된, 일본의 잉어의, 총칭.비단잉어(nishikigoi)는, 일본 및 일본의 미의식을 상징하는 물고기로서 일본의 국어(나라의 물고기)가 되고 있다.일본에서는, 선명한, 비단잉어(nishikigoi)는, 정원의 연못등에서, 많이 볼 수 있다.

나의 외가의 조부는, 원래, 기사(기술자)로, 완전하게 이과(이수계)의 사람이었지만, 공부 열심이고(공부에 열심이고), 지식이 풍부하고, 특히, 한자에, 매우 자세하고, 친가에서는( 나의 외가의 조모, 나의 부모님, 나, 나의 남동생의 사이에서는(특히, 나의 모, 나, 나의 남동생의 사이에서는)), 읽는 법이나 의미등을 모르는 한자나 4자 숙어등이 있으면, 「할아버지( 나의 외가의 조부)에게 (들)물을 수 있다」라고 하는 것이 가훈이 되고 있었던 w

나의 외가의 조부는, 동양적인(일본적인), 풍류인인 한편으로, 서양 문화를 좋아하는 일면도 있어, 나의 외가의 조부의 취향에 맞추고, 나의 친가의 아침 식사는, 서양식였고, 나의, 외가의 초`c아버지는, 식사는, 어느 쪽일까하고 말하면, 일식(일본 요리)보다, 양식(yoshoku)(일본에서, 근대 이후, 일본인이 입맛에 맞는 것처럼, (일본인의 시점으로부터 하면) 개량된, 서양 요리)·서양 요리가, 좋아하는 정도였습니다.또, 나의 외가의 조부는, 위스키(whisky)가, 좋아하고, 매일 저녁, 자기 전에, 반드시, 위스키(whisky)를 마시고 있었습니다.

그런, 나의 외가의 조부가, 좋아하는 음식인(매우 좋아함 ) 음식은, 커틀릿 카레(돈까스(tonkatsu) 카레(curry))입니다.
덧붙여서, 커틀릿 카레(돈까스(tonkatsu) 카레(curry))는, 일본에서는, 통상, 가정 요리가 아니고, 외식으로 먹는 음식입니다.



나의 외가의 조모도, 나의 어머니도, 집에서, 커틀릿 카레(돈까스(tonkatsu) 카레(curry))는 만들지 않았습니다.

나의 외가의 조모는, 결혼하고 나서 돌아가실 때까지, 아르바이트를 포함하고, 일절의 일을 한 일이 없는 주부였고, 나의 어머니도, 결혼하고 나서는, 아르바이트를 포함하고, 일절의 일을 한 일이 없는 주부입니다.

나의 어머니는, (뭐, 나는, 어머니의 일을, 슈퍼 주부라고 부르고 있습니다만 w), 나의 어머니는, 어릴 적부터, 운동신경이 좋다( 나의 어머니?`헤, 초등학교·중학교·고등학교와 체육의 성적은 항상 좋았다 님입니다)라고 하는 것이 관계하고 있는지 하고 있지 않는 것인지 모릅니다만, 요리를 포함하고, 하나, 하나의 작업이 정중한 (뜻)이유에서는 결코 없습니다만, 옛부터(내가 어릴 적부터), 가사의 솜씨가, 매우 좋고, 가사를 해내는, 스피드(속도)가, 매우 빠릅니다.뭐, 나의 어머니의, (하나, 하나의 작업이 정중한 것은 아니지만), 가사의 솜씨가, 매우 좋고, 가사를 해내는, 스피드(속도)가, 매우 빠르다고 하는 것은, 나의 어머니의, 가사를 가능한 한 단시간에 끝마쳐 자신이 자유롭게 되는 시간, 자신이 놀 수 있는 시간을, 조금이라도, 보다 많이 확보하고 싶다고 하는, 욕망·기분이, 옛부터, 그렇게 시켜 왔을지도 모릅니다.

나의 어머니는, ( 나의 어머니가 보면) 가사에 관해서 서투른 나와 나의 남동생에게, 가사를 수전와 오히려, 거치적 거림이 되어 가사의 스피드가 늦어지기 때문에 수전나 싶지는 않다고 한 느낌으로, 나의 어머니는, 기본적으로, 일상적인 가사는, 나와 나의 남동생에게, 별로 돕게 하지 않았습니다.

그 대신해, 집안등의 육체 노동은, 나와 나의 남동생이, 각각, 중학생 이후는, 일부러(고의)에 용무를 찾아내서까지, 가능한 한, 나와 나의 남동생에게 수전``원 다투게 되었습니다.그리고, 돕게 한 다음은, 거의 반드시, 「과연은, 남자, 의지가 된다!」라고「과연은, 남자!」등과 함부로 「남자」를 강조해 칭찬했던 w

나의 어머니는, 아이에 대해서, 공부하라고, 모두, 말하지 않는 타입의 부모였지만(덧붙여서, 나의 아버지는, 아이의 교육에 관해서는, 모두, 어머니에게 맡기고, 방치였습니다), 나의 어머니는, 나의 어머니 나름대로, 보수적인 생각에 근거하고, 사내 아이는, 여성을 돕는, 강력하고, 상냥한 남성에게 기르지 않으면 안 된다고 하는, 보수적인 교육 방침이 있었을지도 모릅니다.

어머니는, 상술한 대로, 결혼하고 나서, 아르바이트를 포함하고, 일은, 일절 한 일이 없는 전업 주부입니다만, 옛부터, 요리는, 반드시, 손수 만들기에 구애받지 않고, 자신의 숟가락 가감으로, 락을 하기 위해, 시판의 물건을 활용하는 일에 관해서, 전혀 싫어하지 않습니다.그 일에 관해서, 외가의 조부는 전혀 신경쓰고 있어 , 아버지도, 옛부터 전혀 신경쓰고 있지 않습니다.물론, 아이들( 나, 및, 나의 2세 연하의 남동생)도, 친가 생활때, 그 일을 전혀 신경쓰고 있지 않았습니다.

아버지는, 어머니가 가사에 시간을 들이는 정도라면, 옛부터, (자신의) 휴일에 자신과 함께 놀아라고 한 느낌이라고 생각?`키.덧붙여서, 어머니는, 외식으로 해도, 집에서 먹는 식사를 해도, 본인이, 먹보이므로(맛있는 것을 먹는 것을 좋아해서), 어머니의 요리는, 대략적인 것은 있어요가, 어머니는, 옛부터, 요리는 능숙한 분(어머니가 만드는 요리는 맛있다)이라고 생각합니다.덧붙여서, 나는, 젊은 무렵은, 기본적으로는, 식사는, 배가 가득하게 되면 좋다고 한 느낌으로, 식사에 대해서, 별로 관심이 없었습니다만, 이제 와서는, 어머니의, 먹보인 점을, 잘 계승하고 있다고 느낍니다.

나의 외가의 조모(이미 죽습니다)도, 나의 어머니도, 옛부터, 정월요리(정월의 요리)는, 기본적으로는, 손수 만들기는 하지 않을 방침으로(특히, 만드는데 시간이 드는 것에 관해서는, 옛부터, 모두, 만들지 않고), 간단한 것은, 몇인가 만듭니다만, 옛부터 시판의 물건을, 많이 활용하고 있습니다.

나의 어머니는, 조금, 푸드득푸드득 하고, 덜렁이의 면도 있어, 나와 나의 남동생이, 아이(초등 학생)의 무렵, 나와 나의 남동생의, 각각의, 친한 친구를, 수명씩을 부르고, 집( 나의 친가)에서, 크리스마스 파티를 열었을 때에, 자 케이크야라고 말하고, 큰 케이크( 나의 어머니가 만든 케이크는 아니고 주문한 케이크입니다만 w)를, 테이블에 옮겨 올 때에 , 나의 어머니는, 무언가에 채이고(무엇인가 잊은), 이끼라고, 케이크를 역상에 마루에 떨어뜨리고, 엉망으로 해 버렸다(물론, 그 때, 나도, 나의 남동생도, 각각의 친구들도, 일순간, 굳어져, 열린 구가 차지 않았습니다 w)는 일도 있습니다.

나의 어머니는, 크리스챤(Christian)이 아닙니다만, 나의 부모님은(덧붙여서, 나의 아버지도, 크리스챤(Christian)이 아닙니다), 매년, 크리스마스 시기에, 자신들의 집(우리 집의 부근의 나의 친가)에, 근처의, (자신들의) 친한 친구들등을, 부르고, 크리스마스 파티(Christmas Party)를 실시하고 있습니다만, 그 때에는, 매년, 메인(main) 요리로서 통째로의, 로스트 터키(roast turkey)를 주문하고 있습니다만(로스트 터키(roast turkey)는, 나의 어머니가, 스스로, 만드는 것이 아닌 w), ( 나의 어머니는, 옛부터, 미하-여성입니다만), 그러한 일도, 나의 어머니의, 미하-적인 성격으로부터 와있다고 생각합니다( 나의 어머니는, 체라체라 한 성격이며, 현대에 젊은이 시대를 보내고 있으면, 걸이 된 것 같은 생각도 드는 w).

덧붙여서, 나의 외가의 조모의 성격은, 나의 어머니와는 대조적이며, 얌전하고, 품위있는 성격으로, 시골의 유복한 지주의 집(제이차 세계대전 후는, 몰락했습니다만)에서 태어난, 나의 외가의 조모는, 대학에서 도쿄로 나왔지만, 생애, 철부지의 시골의 유복한 집의 규중의 아가씨적인 요소가 있던 여성입니다(덧붙여서, 우리 집의 부근의 나의 친가는, 원래, 나의 외가의 조모의 아버지(시골의, 유복한 지주였다)가, 도쿄에 보유하고 있던 부동산의 하나인 것으로, 나의 외가의 조모의 아버지가, 나의 외가의 조모가 결혼했을 때에, 나의 외가의 조부모에게 준 것입니다).

나의 어머니의, 미하-로 활발한 성격은, 근처에 살고 있던, 나의 외가의 조모의 언니(누나)(이미 죽습니다)를 닮아 있습니다( 나의 어머니는, 어릴 적부터, 자주(잘), 근처의 나의 외가의 조모의 언니(누나)의 집에, 놀러 가고 있던 님입니다).

나의 어머니가, 자유모`z방에 제멋대로로 자란 것은, 누구에 대해서도, 좀처럼 화내지 않는 온화한 신사인, 나의 외가의 조부와(대학에서 도쿄로 나왔지만), 생애, 철부지의 시골의 유복한 집의 규중의 아가씨적인 요소가 있던 나의 외가의 조모의 사이에, 당시로서는, 생각보다는 나이를 먹고 나서 태어난, 독자(외동딸)이며, 응석부리며 자랐다고 하는 것도 있다일지도 모릅니다.



상술한 대로, 나의 외가의 조부가, 좋아하는 음식인(매우 좋아함 ) 음식은, 커틀릿 카레(돈까스(tonkatsu) 카레(curry))입니다.

덧붙여서, 커틀릿 카레(돈까스(tonkatsu) 카레(curry))는, 일본에서는, 통상, 가정 요리가 아니고, 외식으로 먹는 음식입니다.

나의 외가의 조부는, 아마, 혼자서, 나갔을 때의 외식으로, 커틀릿 카레(돈까스(tonkatsu) 카레(curry))는, 잘 먹고 있었다고 생각합니다.또, 외가의 조부가, 내가 어릴 적·어릴 적, 나를 동반하고, 나와 둘이서 나갔을 때의 외식(점심 식사)은, 백화점의 대식당으로 먹는 것이 많아, 그 때에 부탁하는 것은, 외가의 조부가, 커틀릿 카레(돈까스(tonkatsu) 카레(curry)), 내가, 아드님 런치라고 말하는 것이, 탐`천야였습니다.그리고, 그 때에, 외가의 조부는, 반드시, 나에게, 커틀릿 카레(돈까스(tonkatsu) 카레(curry)) 위의, 분리해 있다, 돈까스(tonkatsu)의, 제일 고기가 두껍고, 비계가 적은, 제일, 맛있을 것 같은, 한 조각을, 나로 나누어 주었습니다(덧붙여서, 나는, 어릴 적부터, 고기는, 좋아해서, 기뻐하고, 받았습니다).

나에게는, 형제 자매는, 2세 연하의 남동생이, 한 명 있습니다.나도, 나의 2세 연하의 남동생도, 어릴 적·어릴 적부터 고교생위의 무렵, 부모에게, 물질적이게는, 자기 마음대로 응석부리며 있던 때문, 자신을 갖고 싶은 것을 위해, 타들을 반죽할(아진을 말할) 필요가 없었다고 말하는 일도 있습니다만, (예외적으로, 아기의 무렵의 나는, 가 안 된다 같은 장소에, 자꾸자꾸 겨서 가 버리는 모험가의 아기인 것 같습니다만 w), 나도 나의 남동생도, 부모의 앞에서는, 얌전한 좋은 아이로, 부친에게도, 모친에게도, 한번도, 큰 소리로, 꾸중들은 것 같은 일은 없습니다.그 점에 관해서는, 스스로 말하는 것도, 무엇입니다만, 나나 남동생도, 머리의 좋은 아이였던 것이라고 생각하는 w

상술한 대로, 나의 외가의 조부는, 맞선으로, 나의 외가의 조모와 결혼했습니다만, 나의 외가의 조부는, 결혼했기 때문에 (은)는, 쭉(일생), 아내의 일을 소중히 해, 지키지 않으면 안 된다고 한, 옛날부터의(보수적인), 신사의 미학·폴리시(방침)라고 한 것을 가진 남성이었습니다.

나의 외가의 조부는, 가족과 함께 나갔을 때의 외식시도, 백화점의 대식당등 , 커틀릿 카레(돈까스(tonkatsu) 카레(curry))가, 메뉴(menu)에 있는 경우는, 반드시, 커틀릿 카레(돈까스(tonkatsu) 카레(curry))를 부탁하고 있었습니다.그 때에, 외가의 조부는, 반드시, 자신이 부탁한, 커틀릿 카레(돈까스(tonkatsu) 카레(curry)) 위의, 분리해 있다, 돈까스(tonkatsu)의, 제일 고기가 두껍고, 비계가 적은, 제일, 맛있을 것 같은, 한 조각을, 나의 외가의 조모로 나누려고 했던(그 때에, 조부는, 손들( 나와 남동생)의 일은, 안중에 없다고 한 느낌으로, 모두, 무시였습니다 w).그 때에, 외가의 조모는, 그 때의, 자신의 기분에 따르고, 「괜찮습니다」라고 끊거나 「받습니다」라고 하고, 받거나 하고 있었습니다.그 때, 외가의 조부는, 외가의 조모가, 「괜찮습니다」라고 끊었을 때는, 「그런가」라고, 상냥하고 따뜻한 웃는 얼굴로 대답해 외가의 조모가 「받습니다」라고 했을 때는, (역시, 상냥하고 따뜻한 웃는 얼굴로), 외가의 조표`독주문한 음식의, 접시의, 방해가 되지 않는 부분에, 살그머니, 돈까스(tonkatsu)의 한 조각을 두었습니다.그러한, 외가의 조부와 외가의 조모의, 일련의, 교환이, 실로, 자연스럽고, 님이 되어 있어, 잘 어울리고 있다고 한 느낌이었습니다.

외가의 조부의 외가의 조모에 대한 상기의 행동은, 은 일 없는 행위입니다만, 외가의 조부의, 형식적인 레이디 퍼스트같은 걸로는 없는, 중요한 여성을 소중히 생각하기 때문에, 기분중에서, 자연과 배어 나오는 행동을 상징하고 있던 님생각이 듭니다.

그 님, 외가의 조부의 행동을, 어릴 적·어릴 적의, 나와 남동생은, 제대로, 잘 보고 있었습니다.그리고, 그 님으로 하고, 나와 나의 남동생이, 남자라고 하는 것이, 중요한 여성에 대해서, 맡아야 할 태도·자세·행동이라고 하는 것을, 자연과 배워 취해서 갔다고 하는 면도 있다고 생각합니다.



상술한 대로, 나의 외가의 조부는, 맞선으로, 나의 외가의 조모와 결혼했습니다만, 나의 외가의 조부는, 결혼한 이상, 쭉(일생), 아내의 일을 소중히 해, 지키지 않으면 안 된다고 한, 옛날부터의(보수적인), 신사의 미학·폴리시(방침)라고 한 것을 가진 남성이었습니다.덧붙여서, 나의 아버지도 , 같은, 신사의 미학·폴리시(방침)를 가진 남성입니다만, 성격이 온화하고, 온화한 신사이다고 하는 점에 대해도, 나의 외가의 조부에게 공통되고 있고, 원래, 미인만 탐하는 사람의 나의 어머니가, 나의 아버지에게, 한 눈 반하고, 나의 어머니로부터, 나의 아버지에게, 열심히에 어프로치 하고, 나의 어머니와 나의 아버지는, 교제하는 일이 되었습니다만(열심인 연애 결혼 w), 나의 어머니가, 나의 아버지에게, 자신의 아버지( 나의 외가의 조부)의 성격과 공통되는 면을 찾아냈던 것도, 나의 어머니가, 나의 아버지와 결혼하기까지 도달한, 큰 이유의 하나인지도 모릅니다.

아버지는, 예를 들면, 서양 요리 레스토랑에서, 식사를 할 때, 어머니와 다른 메인(main) 요리를 부탁했을 때는, 자연과 기본적으로, 자신이 부탁한 메인(main) 요리의, 제일, 맛있을 것 같은 부분을, 어머니에게 분리하고, 나누어 주려고 했습니다(그 때에, 먹보의 어머니는, 대부분 거절하지 않았습니다 w).또, 아버지는, 자신이 부탁한, 메인(main) 요리의, 소스가 맛있었던 경우는, 마지막으로, 「이, 소스 맛있어.빵에 붙여 먹어 봐?」라고 한 느낌의 일을 어머니에게 말하고, (그 때에도, 먹보의 어머니는, 대부분 거절하지 않았습니다만 w), 어머니가, 빵에 소스를 붙여 쉬워 게, 어머니에게 향하여, 살그머니, 아무렇지도 않게, 자신이 부탁한, 메인(main) 요리의, 접시를 늦추었습니다.

본격적인 고급 서양 요리 레스토랑에서는, 그 님일을 하는 것은, 매너 위반인 일로부터, 아버지는, 고급 서양 요리 레스토랑에서는, 기본적으로, 그 님일은 하지 않았습니다만, 고급 리조트(resort) 호텔의 레스토랑의 경우는, (아마, 리조트(resort)이니까 OK라고 판단했겠지요 ), 역시 그렇게 해서 있었습니다(물론, 그 경우는, 당당히가 아니고, 살그머니, 아무렇지도 않게).

아버지가, 서양 요리 레스토랑에서, 그 님, 어머니에 대한, 일련의 행동을 할 때에, ( 나와 나의 남동생이, 어릴 적·어릴 적의 경우, ( 나와 남동생은), 아이가 좋아하는 메뉴나 아드님 전용의 메뉴를 먹고 있던) 아이들( 나와 남동생)의 일은, 안중에 없다고 한 느낌으로, 모두, 무시였습니다 w

그 님, 아버지의, 형식적인 레이디 퍼스트같은 걸로는 없는, 중요한 여성을 소중히 생각하기 때문에, 기분중에서, 자연과 배어 나오는 어머니에 대한 행동을, 어릴 적·어릴 적부터, 나와 남동생은, 제대로, 잘 보고 있었습니다.그리고, 그 님으로 하고, 나와 나의 남동생이, 남자라고 하는 것이, 중요한 여성에 대해서, 집나무 태도·자세·행동이라고 하는 것을, 자연과 배워 취해 자랐다고 하는 면도 있다고 생각합니다.




나의 어머니는, 무의식적·의식적으로, 「과연!」라고「굉장하다!」라고「의지가 된다!」라고, 주위의 남성들을, 치켜세우고, 세우고, 남성들에게, 도와 받거나 귀찮은 일을 맡아 받거나 상냥하게 해 받는 것이, (아마) 젊은 무렵부터, 매우 능숙하고(매우 자신있고), 무의식적·의식적으로, 그러한 일이, 너무 좋아(매우 좋아해)인 여성입니다.

나는, 얼굴은, 어머니보다, 아버지를 닮아 있어 나의 남동생은, 아버지와 어머니, 양쪽 모두를 닮아 있다고도 말할 수 있고, 아버지와 어머니, 어느 쪽에도 닮지 않다고 말할 수 있는 얼굴입니다.

나와 나의 어머니와의 관계는, 나의 어머니에게 있어서, 나는, 옛부터, 자신의 좋아하는 타입의 룩스(외모)가( 나는, 얼굴은, 어머니보다 아버지를 닮아 있습니다만, 나의 아버지와 어머니는, 아버지의 얼굴을 보고, 한 눈 반한 나의 어머니가, 아버지에 대해서, 맹렬하게 어프로치(유혹) 한, 열심인 연애 결혼입니다 w), 뭐든지, 마음 편하게 이야기할 수 있는, 기분이 맞는 남자 친구라고 한 느낌으로, 나의 어머니는, 옛부터, 자신의 연애이야기라도 뭐든지, 자신의 일은, 뭐든지, 모두 나에게 이야기해 와있는 w 이것에 대해서, 나의 어머니는, 나의 남동생에게 대해서는, 옛부터, 태도를 구사해 와있다고 한 느낌으로, 남동생에 대해서는, 자신의 이야기를, 뭐든지 한다고 말하는 것이 아니고(남동생에 대해서는, 자신의, 여성인 면을 보이려고 하지 않고), 옛부터, 상대적으로, 모친의 얼굴을 하려고 해 와있는 느낌입니다.

나의 어머니가 나이를 먹어, 내가 중년이 되고 나서의 이야기입니다만, 전에, 근처의 친가에 사는 어머니는, 나에게, 「남자는, 치켜세우면 뭐든지 해 주어」라고, 스스로 본심을 폭로하고 있었던 w

나의 아버지도, 혹시 아이가 보지 않을 때에(어머니와 둘이서의 때에), 어머니에게, 실컷, 치겨 세워져 왔을지도 모릅니다 w

우리 집의 부근의 나의 친가의 경우, 원래, 외가의 조부모의 집에서, 외가의 조부모가 동거하고 있었습니다만(이미 외가의 조부모와도 죽는다.지금은 부모님의 두 명 생활), 그것은 다른 이야기로서 놓아두면, 나와 남동생이 친가를 나올 때까지는, 어머니(아버지와 결혼하고 나서는 쭉 전업 주부) 이외, 회사원의 부, 나, 나의 2세 연하의 남동생의, 전원, 남자였습니다만, 어머니는, 뭐 아무것도 생각하지 않는 타입의 여성이라고 하는 것도 있어요가 w, 남자 무리를 칭찬해 늘리는 타입으로, 나는 기분이 좋았습니다 해, 아버지나 남동생도, 그렇다라고 생각합니다.



나의 어머니는, 옛부터(내가 어릴 적부터), 「모친이기 전에 여자」인 여성입니다 w

나의 어머니는, 나의 아버지의 일을, 적어도 내가 물심 붙었을 때부터(내가 기억을 거슬러 올라갈 수 있는 한으로부터), 쭉, 「아버지」란호에, 아버지아래의 이름에, 씨를 붙여 부르고 있습니다.또, 어머니는, 남편으로부터( 나의 아버지)로부터, 「엄마」라고 불리는 것이 싫고, 아버지는, 어머니에게 교육되어 w, 적어도 내가 물심 붙었을 때부터(내가 기억을 거슬러 올라갈 수 있는 한으로부터), 기본적으로, 쭉, 어머니의 일을, 「엄마」란호에, 너(너)라고 부르고 있습니다.아버지는, 이따금, 무심코 와 어머니의 일을, 「엄마」라고 불러 버리는 것이 있었습니다만, 어머니는, 그때마다, 「 나는, 당신의, 엄마는 아니다」라고 해, 아버지의 일을 꾸짖어 왔던 w

나의 어머니는, 옛부터, 나의 아버지의 일이, 정말 좋아합니다(매우 좋아합니다). 

나의 부모님은, 옛부터, 매우 사이가 좋고, 아이( 나와 나의 2세 연하의 남동생)가 부모 떨어져 하고 나서는(각각의 즐거움을 찾아내 주말이나 휴일을 기본적으로 따로 따로 즐기게 되고 나서는), 주말이나 휴일에 언제나 부부 둘이서 놀러 나와 걸게 되어, 그것이 부·모 모두 이미 고령자인 현재?`와로 계속 되고 있습니다.우리 집의 부근의 나의 친가의 부모님은, 두 명모두, 고령자가 된, 지금도, 부부, 매우 사이가 좋고, 빈번히, 둘이서 놀러 나와 걸고 있습니다.나의 아버지는, 회사원입니다만, 현재, 반, 정년퇴직 상태로, 나의 부모님은, 연령적으로는 고령자중에서 젊은 연령입니다만, 부부로, 자주(잘) 두 명 공통의 취미의 골프하러 가고( 부모님은, 아직도, 부부로, 스키에도 갑니다), 부부로, 해외를 포함한, 장기 여행도, 잘 있어, 나의 아버지는, 일과 놀이를, 매우, 건강하게 계속 즐기고 있습니다.나는, 부모님의(뭐, 나의 어머니는, 나의 아버지와 결혼하고 나서, 쭉 주부입니다만...), 건강과 파워가(힘이), 부러운 정도입니다 w

이하의 금년의 정월때의 부모님의 에피소드는, (그 밖에도, 아버지와 어머니의 관계의 같은 에피소드가 다양하게 있다의입니다만), 이미 문장으로 하고 있으므로 사용해 돌릴 수 있어 편리하다라고 말하는 일과 나의 아버지와 어머니의 관계를 나타내는 상징적인 에피소드로서 세간 좋기 때문에, 이미, 적지 않은, 나의 투고로 사용해 돌려 버려서, 죄송합니다만...

정월에, 우리 집의 부근의 나의 친가에, 그녀와 선물물을 가져 신년의 인사를 하러 가, 1시간 정도, 나의 부모님(주로 나의 어머니)과 이야기를 했을 때에, 어머니는, 「이 코트, 일전에, 00씨(00은 나의 아버지아래의 이름)에게 사 받았지만, 어때?, 어울려?」라고 하고, 매우 기분이 좋고, (그 때에 있어) 최근, 아버지가 어머니에게 산 코트를 나와 그녀에게 보이게 했습니다만(덧붙여서, 어머니는, 신장은, 163 cm위와 나의 어머니의 세대의 여성으로서는, 생각보다는 높고, 또, 마름의 대식 체질로(덧붙여서, 나는 어머니의 마름의 대식 체질을 계승하고 있습니다 w), 나이를 먹어도 변함 없이 야위고 있어 이제(벌써) 고령자의 연령입니다만, 코트를 입어도 어울리는 w), 그 코트는, 10만엔정도의 것이 세일로 반액의 5만엔정도로 팔리고 있던 것이었다고 합니다만, 백화점(였는지?)(으)로, 아버지와 어머니가 쇼핑을 하고 있었을 때에, 아버지가, 「조금, 여기에 오고 와!」라고 어머니를 불러, 어머니에게, 「이 코트, 너에 어울린다고 생각하는데, 어때?」라고 한 코트였다고 하고, 그 이야기를 듣고, 부, 모, 모두(덧붙여서 아버지와 어머니는 동년대입니다), 이제(벌써), 할아버지·할머니의 연령입니다만, 아버지는 어머니를, 변함 없이, 제대로 여성으로서 취급해 주고 있다라고 하는 것을 재확인 되어있어 기뻤습니다.



나의 친가는, 별로 유복하지 않고, 보통 중류의 집뜰이고, 나의 아버지도, 보통 회사원입니다만(뭐, 만일, 친가가 부자이거나 부모가 사회적인 지위가 비싸거나 해도, 그것을, 자랑으로 생각하거나 타인에게 자랑하거나 하는 것은 아니라고 생각합니다만), 내가, 자신의 부모님에게 대해서, 이것만은, 자랑에 생각되는, 자랑 할 수 있다고 하는 일은, 옛부터 현재에 이르기까지, 부모님의 사이가, 매우 좋다고 하는 일과 부, 어머니, 모두(덧붙여서 아버지와 어머니는 동년대입니다), 이제(벌써), 할아버지·할머니의 연령이 된 지금도, 아버지는, 어머니의 일을, 변함 없이(바뀌는 무사히), 여성으로서 제대로, 소중히 하고 있다고 하는 일입니다.

폭군이라고, 엄처시하라든가 말합니다만, (이상의) 부부 관계라고 말하는 것은, 남자(남편)가 위라고, 여자(아내)가 위라고, 상하 관계라고 한 것은 아니라고 생각합니다.보수적인 생각일지도 모릅니다만, 남성(남편)과 여성(아내)이, 서로가, 서로를, 이성으로서 서로 존중하고, 또, 서로가, 서로를, 독립한 개인으로서 서로 존중해·서로 소중히 하고 , 사이 화목한, 부부 관계를, 쌓아 올려서 가는·지속해 가는 것이, 개인적으로, (이상의) 부부이다고 생각합니다.

나는, 가족의, 가장 중요한, 기본은, 부부이다고 생각하는 .가족으로, 가장 중요한 일은, 서로 피가 연결되지 않고, 원래, 자란 환경도 다른, 별개인끼리의, 부부가, 제대로 사이좋게 지내는 일이다고 생각합니다.부부의 사이마저, 제대로 하고 있으면, 기본적으로는(예외도 있습니다만), 피의 연결도 있어, 같은 가정환경을 공유하는, 부모와 자식 관계는, 어떻게라도 된다고 생각합니다.



나는, 남동생이란, 옛부터(어릴 적부터), 서로, 과간섭하지 않는, 적당한 거리감의, 개인주의라고 한 느낌으로, 사이가 좋습니다(남동생과 격렬한 싸움은, 태어나고 나서, 한번도 한 일이 없습니다).

사람은, 각각이, 자신의 행복인 삶의 방법을 찾아내면 좋은 것이라고 생각합니다.

나의 남동생은, 회사원으로, 이미, 결혼을 해, 아이가 두 명 있고, 위의 것(연상의 아이)은, 사내 아이, 아래의 것(연하의 아이)은, 여자 아이로, 아직, 두 명모두, 어립니다만(여자 아이(여동생)는, 재작년, 태어났던 바로 직후), 두 명모두, 매우 귀엽습니다.
 
남동생의, 부인(아내)은(덧붙여서, 남동생의, 부인(아내)은, 남동생보다, 꽤 연하입니다), 결혼하기 전은, 옷관계(패션 관계)의, 회사에서, 회사원으로서 일하고 있었습니다만, 결혼하고 나서는, 주부가 되었습니다.남동생?`후, 부인(아내)은, 전업 주부로, 남동생과 결혼하고 나서는, 아르바이트를 포함하고, 일은, 일절 하고 있지 않는 님입니다.

현재, 남동생은, 아내를 사랑해, 소중히 해, 지킴과 동시에, 아내와 함께, 두 명의 아이에게 애정을, 많이 따라, 육아를, 매우 즐기고 있는 것 같습니다.남동생은, 우리 집의 부근의 나의 친가의 부모님에게, 두 명의 어린 아이의 사진을, 자주(잘) 송신하고 있는 것 같습니다.

남동생은, 남동생의 행복을 찾아내 지금은, 형(오빠)로서 멀리서, 남동생의 행복을, 따뜻한 기분으로 지켜보고 있는 느낌입니다(뭐, 남동생은, 남동생의 가족(남동생의 아내와 아이들과 함께), 도쿄의 서부 교외의 조용하고 침착한 주택지에 산 독립주택에 살고 있어 물리적인 거리는, 가깝습니다만 w).

나는, 남동생과의, 개인주의의 원칙에 근거해, 남동생의 사생활에는, 간섭하지 않는 주의입니다만, 지금부터 앞, 남동생이, 금전면에 있어도 정신면에 있어도, 어떠한 면에 있어도, 나의 도움이 필요한 경우가 생겼을 때는, 나는, 형(오빠)의 책임으로서 남동생에 대한, 가능한 한 원조(도와)를 하고 싶습니다.

덧붙여서, 나는, 회사원과 비교해서, 상대적으로, 안정적이 아니고, 상대적으로, 비즈니스에 대해 위험성이 높지만, 상대적으로, 스스로 자신의 시간을 자여`R에 관리할 수가 있어 또, 자신의 재능·일의 능력·일의 효율성·노력이, 자신의 수입에 직결하는(직접 연결된다), 개인 사업의 길을 선택했습니다.

그리고, 이하의 참고의 투고와 같은, 라이프 스타일(lifestyle )로 살아 있습니다.

이하, 참고의 투고.

훙게와 물욕 주의(일본어)→
/jp/board/exc_board_8/view/id/2580461/page/5?&sfl=membername&stx=jlemon
훙게와 물욕 주의(한국어)→
/kr/board/exc_board_8/view/id/2580461/page/5?&sfl=membername&stx=jlemon



이하, 덤의 이야기입니다.



나의 외가의 조부모가 살아 있었을 때는, 나의 친가의 재산의 계통은, 나의 외가의 조부모( 나의 어머니의 부모님)의 계통과 나의 부모님의 계통으로 나누어져 각각, 관리 권한은, 구별이 되고 있었습니다.

나의 외가의 조부모의 재산의 관리 권한은, 생활비도 포함하고, 나의 외가의 조부가, 모두 관리를 실시해, 외가의 조모는, 외가의 조부의 관리아래에서, 외가의 조부모의 재산중에서 생활비를 사용해, 또, 그것과는 별도로, 외가의 조부는, 외가의 조모에 대해, 외가의 조모가, 자신의 물건을 사거나·자신의 즐거움을 위해 사용하거나 하는 돈을, 용돈으로서 건네주는 방식이었습니다.나의 외가의 조부는, 자기 자신에 관한, 지출에 관해서는, 매우, 검소했던 한편, 외가의 조모가, 자신의 물건을 사거나·자신의 즐거움을 위해 사용하거나 하는 돈인, 용돈에 관해서는, 나의 외가의 조모가, 그 용돈을 사용하는 사용하지 않는 관련되지 않고, 상당한 금액을 건네주고 있던 님입니다.

나의 어머니는, 상들, 반, 때문인지 있어를 포함하고, 나의 외가의 조모에 대해서, 「할머니, 할아버지에게, 용돈/`A 많이 받고 있기 때문에, 자신의 갖고 싶은 것 사거나 자신의 즐거움을 위해, 척척(자꾸자꾸), 돈을 사용하면, 좋잖아(사용하면 좋을 것입니다)」라고 한 것 같은 일을 말했습니다만 , 외가의 조모는, 물론 살결시의 옷(포멀한 옷) 등은, 제대로 가지고 있었습니다만, 너무, 돈을 사용하지 않고 (평상시의 옷등도 검소하고, 평상시의 옷등에도, 너무, 돈을 사용하지 않고 ), 검소하고, 나날의, 생활을 보내고 있었습니다.무엇보다, 외가의 조모는, 단 것(과자등 )을 좋아했기 때문에, 단 것(과자등 )은, 자신을 위해, 잘(많이) 사고 있었습니다.



나는, 대단한, 할머니자였습니다.

내가 사회인이 되어 바빠지기 전은(내가 어릴 적·어릴 적부터 대학생의 무렵까지는), 외가의 조모의, 제일을 이야기 해 상대는( 나의 외가의 조모와 제일, 많이 이야기하고 있던 것은), 대단한, 할머니자인 나였습니다.2번째의 대화 상대는( 나의 외가의 조모와 2번째에, 많이 이야기하고 있던 것은), 근처에 살고 있던 나의 외가의 조모의 언니(누나)로( 나의 외가의 조모의 언니(누나)는, 생전, 자주(잘), 근처의 나의 친가(원래, 나의 외가의 조부모의 집)에 놀러 오고, 여동생인, 나의 외가의 조모와 이야기하고 있었습니다), 나의 어머니는, 나의 외가의 조모의, 3번째의 이야기 상대라고 한 느낌이었습니다.그 외, 가끔으로부터 이따금, 나의 외가의 조모의, 학생시절부터의, 여성의 친구가, 집( 나의 친가.원래, 나의 외가의 조부모의 집)에 놀러 오고, 나의 외가의 조모와 이야기를 하고 있었습니다.

나의 외가의 조모는, 결혼하고 나서 아르바이트를 포함하고, 일절의 일을 한 일이 없는 전업 주부였고, 나의 어머니도, 결혼하고 나서는, 아르바이트를 포함하고, 일절의 일을 한 일이 없는 전업 주부입니다.

나의 어머니는, 물론 가사도 있었습니다만, 나의 외가의 조모의 언니(누나)의 성격을 계승해, 끊임 없이 움직이지 않았다고 기분이 내키지 않는 활발한 성격으로, 자신이 하고 싶은 일로, 바쁘다고 한 느낌으로, 기본적으로, 차분히, 나의 외가의 조모의 이야기 상대를 하는 일은, 그다지 하지 않았습니다만, 내가, 사회인이 되어 바빠지고, 이전과 같이, 나의 외가의 조모의 이야기 상대를 할 수 없게 되고 나서는, 과연, 배려를 하고, 전에 비하면, 상대적으로, 자주(잘), 나의 외가의 조모의 이야기 상대를 하게 되었습니다.

나는, 실생활의 회화에 대해서는, 여성의, 고민등을, 공감하면서, 차분히 (들)물어 준다고 하는 일은 유의하고 있어 이야기 상대 하지만 여성의 경우, 그러한 일은, 있다 정도 자연스럽게 몸에 대해서, 되어있다고 생각합니다만, 그 님, 나의 여성의(라고 할까 사람의) 이야기의, 잘 듣기라고 한 것에 관해서, 나는, 외가의 조모와 많이 이야기를 했다(외가의 조모의 이야기를, 많이 (들)물었다)라고 하는 것을 통해서, 길러진, 그 일이, 커다란 토대가 되었다고 생각합니다.

나의 외가의 조모에게서는, 사람의 마음을 배려하는, 상냥한 마음이라고 하는 것을 배웠습니다.거기에 있어 주는 것만으로, 존재하고 있어 주는 것만으로, 모두의(적어도 나의), 위안이 되어, 상냥한 기분이 될 수 있던, 할머니로, 거기에 있어 주는 것만으로, 존재하고 있어 주고 있는 것만으로, 고맙게, 언제라도, 행복한 기분이 될 수가 있었습니다.

나는, 학생시절(고교·대학시절), 피어스등을 해 외관을 화려하게 성장하고 있고, 거리를 걸으면, 호스트의 스카우트의 소리가 걸리거나 하고 있었습니다만 w, 외가의 조모는, 그런 나의 외관과는 관계없이, 쭉, 나의 내용을 계속 봐 주고 있고, 나의 외가의 조모에게 있어서, 나는, 언제까지 지나도, 쭉, 귀여운 손자인 채였습니다.

이하, 참고의 투고.

처음으로 산 CD (일본어)→
/jp/board/exc_board_5/view/id/2586392/page/3?&sfl=membername&stx=jlemon
처음으로 산 CD (한국어)→
/kr/board/exc_board_5/view/id/2586392/page/3?&sfl=membername&stx=jlemon

내가, 친가에서, 외가의 조모의 방을 방문하면, 외가의 조모는, 언제라도, 만면의, 따뜻하고, 기쁜 듯한, 상냥한 웃는 얼굴로 맞이해 주었습니다.그리고, 외가의 조모는, 내가, 한 번, 조모의 방에 놀이에 방문하면, 시간이 허락하는 한(아니, 시간이 허락하지 않아도), 언제까지나, 나에게 있었으면 좋겠다고 한 느낌으로, 내가 적당하게 시간을 보고, 「자, 할머니, 이제 가는군」이라고 하지 않는 이상 조모의 방에서 나오고 오지 못하고 w, 나의 외가의 조모로부터는, 반드시, 이제, 놀러 가 둬라든지, 이제, 공부가 있다 응이 아닌가 등이라고 말하고, 나에게, 이제 가도 괜찮아와 배려하는 일은, 절대로 없었습니다 w

상술한 대로, 외가의 조모는, 단 것(과자등 )을 좋아했기 때문에, 단 것(과자등 )을, 자신을 위해, 잘(많이) 사고 있었습니다만, 외가의 조모는, 그 님, 자신을 위해 산, 단 것을, 자신의 방에서, 나와 함께 먹는· 나와 나누어 먹는 것이, 정말 좋아했습니다.나는, 그 님경험을 통해서, 소중한 사람과 맛있는 것을, 함께·서로 나누고 (쉐어 하고), 미맛주위군요서로 라고 말하면서 ·맛있다고 하는 기분을 공유하면서, 먹는 일은, 매우 행복하고, 즐거운 기분이 된다고 하는 일을, 배운 것 같습니다.

내가, 외가의 조모의 방을 방문했을 때의, 조모의, 만면의 상냥한 웃는 얼굴은, 지금도, 선명히, 나의 마음 속에 남아 있습니다.그 한편에 있고, 내가 사회인이 된 다음은, 바쁘고, 나의 외가의 조모가 돌아가실 때까지, 이따금 밖에, 나의 외가의 조모의, 대화 상대를 할 수 없게 되어 버린 것이, 지금도, 나의 큰, 후회해·유감이 되고, 마음 속에 있습니다.

나의 어머니는, 사내 아이는 여성을 돕는 강력하고 상냥한 남성에게 기르지 않으면 안 된다고 하는 보수적인 교육 방침이 있고, 나도 나의 남동생도, 어머니에게, 남자는 눈물을 보이는 것은 아닌, 남자는 간단하게 울어서는 여성을 지킬 수 없는 등이라고 한 내용의 일을 듣고, 자라 왔다고 하는 영향도 있어, 나도 실제로, 그 대로이다고 생각, 나는, 적어도, 중학생 이후는, 자기 자신에 관한 일로, 운(눈물을 흘린) 일은, 한번도 없습니다.뭐, 그런 나도, 슬픈 영화라든지, 슬픈 드라마라든지에는 약하고, 생각보다는, 눈물이 많다고 하는지, 생각보다는, 곧 눈물이 나와 버리는 편입니다만(뭐, 눈물이 나온다고 하는 것만으로, 울음 구라고 말할 정도가 아니다) w

나는, 원래, 어릴 적을 포함하고, 통곡이라고 말한 것은, 거의 한 일이 없습니다만( 나의 부모(어머니)는, 아이( 나, 및, 나의 남동생)가, 어릴 적부터 고교생의 무렵, 아이( 나, 및, 나의 남동생)의 일을, 물질적이게는, 자기 마음대로, 응석을 받아 줄 수 있고 있던 때문, 나와 나의 남동생은, 어릴 적·어릴 적부터, 자신을 갖고 싶은 것을 위해, 타들을 반죽한다고 말한 필요는 없었습니다 w), 나는, 어른이 되고 나서, 라고 할까 중학생 이후, 통곡(게다가 대통곡 w) 한 일이, 딱 한번 만일 수 있는 있어요.

그것이, 외가의 조모의, 장례식때입니다.나의, 외가의 조모의, 장례식때( 나의 외가의 조부는, 이미 죽었습니다), 아버지는 울지 않고, 어머니는, 훌쩍훌쩍 울고, 나의 2세 연하의 남동생도, 훌쩍훌쩍 울고, 나만, 통곡(게다가, 수치않다 기울 수 있는도 없고, 무심코, 대통곡 w) 해 버렸습니다.

실은, (여기에서는 끝까지 쓸 수 없습니다만), 나의 외가의 조모의, 장례식때, 내가, 단순한 통곡이 아니고, 대통곡 한 것은, 이유가 있었습니다.나의 외가의 조모에게 대해서, 및, 나의 외가의 조모에 대한, 나의 생각등은, 이것만으로는 끝까지 쓸 수 없는 것으로부터, 또, 정리하고, 재차, 투고하려고 사(이)라고 있습니다.



나는, 개인적으로, 오즈 야스지로우(ozu yasujiro)(일본의 세계적으로 유명한 영화 감독의 한 명)의 영화를 좋아합니다만, 개인적으로, 오즈 야스지로(ozu yasujiro)의 영화 중(안)에서도, 제일, 좋아하는 영화는, 수수한 영화입니다만(라고 말하는지, 원래, 오즈 야스지로(ozu yasujiro)는, 쿠로자와 명(kurosawa akira)(일본의 세계적으로 유명한 영화 감독의 한 명) 등과 달리, 사람들의 일상을 무대로 한, 수수한 영화를 특징으로 하는, 영화 감독입니다), 「만춘(Late Spring)」(1949년)입니다.그 이유의 하나로, 「만춘(Late Spring)」의 등장 인물들이, 나의, 친밀한 사람들과 겹쳐진다고 하는 것이 있어요.삿갓 노리토모(ryu chishu)라고 말하는, 일본의 배우가 연기하는, 보수적이고, 검소한(검소한), 대학의 교수는, 누구에 대해서도, 좀처럼 화내지 않는 온화한 신사인, 죽은, 나의 외가의 조부과 겹쳐집니다.원 세츠코(harasetsuko)라고 하는 일본의 여배우가 연기하는, 대학교수의 딸(아가씨)는, 죽은, 나의 외가의 조모과 겹쳐집니다.원 세츠코(harasetsuko)가 연기하는, 대학교수의 딸(아가씨)의, 원래, 여학교(제이차 세계대전 이전의 일본에 있어서의, 여자(여성) 보내의 중등 교육 기관.거의, 현재의 초등학교와 대학의 사이, 즉, 중학교와 고등학교에 해당된다.제이차 세계대전 이전의 계급 사회의 일본에 있고, 주로, 비교적 유복한, 중류 계급 이상의 가정의 딸(아가씨)(중류 계급·나카가미류계급(upper-middle class)·상류계급의, 가정의 딸(아가씨))가 다녔다)의 동급생( 동학년·같은 클래스)인, 친구의 여성(월구꿈길(tsukioka yumeji)라고 말하는, 일본의 여배우가 연기하고 있습니다)는, 우리 집, 및, 우리 집의 부근의 친가의 부근에 살고 있던, 죽은, 나의 외가의 조모의 언니(누나)의 젊은 무렵의 이미지과 겹쳐집니다.


<iframe width="560" height="315" src="https://www.youtube-nocookie.com/embed/kswwLFUcEpA?rel=0" frameborder="0" allow="autoplay; encrypted-media" allowfullscreen></iframe>
동영상은, you tube로부터 빌려 온 것.영화, 「만춘(Late Spring)」 중(안)에서, 좋아하는 장면의 하나입니다.동영상은, 6분 정도의 동영상입니다.결혼하고 싶지 않고, 언제까지나, 아버지와 함께 살고 싶다 , 딸(아가씨)에 대해서, 아버지가, 정론에, 스트레이트하게, 이치따지기로, 맞선 상대의 남성과 결혼하도록(듯이), 설교·설득하는 장면입니다.상술한 대로, 삿갓 노리토모(ryu chishu)라고 말하는, 일본의 배우가 연기하는, 보수적이고, 검소한(검소한), 대학의 교수는, 누구에 대해서도, 좀처럼 화내지 않는 온화한 신사인, 죽은, 나의 외가의 조부과 겹쳐집니다.또, 상술한 대로, 나는 대단한 할머니자로, 내가 친가에서 외가의 조모의 방에 놀이에 방문하면 외가의 조모는 언제나 만면의 미소로 나를 맞이해 주고, 그 외가의 조모의 웃는 얼굴이 지금도 선명히 기억에 남아 있습니다만, 그 외가의 조모의 만면의 웃는 얼굴과 오즈 야스지로우(ozu yasujiro)의 영화의 나카노하라 세츠코(harasetsuko)의 웃는 얼굴의 이미지가 겹칩니다.













이하, 참고의 투고.

외가의 조부의 남자의 고집(일본어)→
/jp/board/exc_board_8/view/id/2612459?&sfl=membername&stx=jlemon
외가의 조부의 남자의 고집(한국어)→
/kr/board/exc_board_8/view/id/2612459?&sfl=membername&stx=jlemon
가족의 관계(일본어)→
/jp/board/exc_board_50/view/id/2609023?&sfl=membername&stx=jlemon
가족의 관계(한국어)→
/kr/board/exc_board_50/view/id/2609023?&sfl=membername&stx=jlemon
보브의 회화 교실(일본어)→
/jp/board/exc_board_8/view/id/2610488?&sfl=membername&stx=jlemon
보브의 회화 교실(한국어)→
/kr/board/exc_board_8/view/id/2610488?&sfl=membername&stx=jlemon




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