ミリタリー


呉善花 恨と火病と疑似イノセンスと― 異常な反日行為と心の病

『別冊正論』 「総復習『日韓併合』」

呉善花(評論家・拓殖大学教授)


反日行為を担う「代償的擬似健常者」

 東日本大震災直後の3月末、韓国では「竹島は日本の領土」と明記した日本の教科書が検定合格したことに強く反発、義捐金募集活動を中止し、全額を返還したり、独島守護団体や慰安婦支援団体への寄付に振り向けたりする自治体が続出した。

 同年9月のAFCチャンピオンズリーグでは、韓国チーム全北現代の応援スタンドに「日本の大地震をお祝いします」と日本語で書いた横断幕が掲げられた。また2013年8月にはKBS2のテレビ番組で、お笑いタレントが「旭日旗を振った日本の応援団に体にいい福島産さくらんぼを送った」と揶揄し、これを東亜日報など各紙が「よくぞいった」とばかりの評価で報じた。

 「その神経を疑う」といった報道が諸国に見られた。韓国人の反日行為は常軌を逸している。こうした非文明性、異常性は世界的な「不可思議」の一つにまでなった。だが彼らは明らかに文明生活を送っており、反日行為は病者ならぬ正真正銘の健常者たちによるものだ。だからこそ「不可思議」なのである。

 精神医学者の中井久夫氏は、精神障害というものは、自らの破滅を防ぎ、生き残るための知恵だという観点を示している(「治療文化論―精神医学的再構築の試み」)。私もこの観点を強く支持したい。その上で私が問題としたいのは、これも中井氏の観点の一つなのだが、正常・健常者といわれる人のなかには、病気からほど遠い余裕のある人だけではなく、「他者に依存したり他者や社会を攻撃すること」によって自らの精神衛生を維持している人、中井氏のいう「代償的擬似健常者」が多数いるということである。

 「代償的擬似健常者」による常軌を逸した人類最悪の行為が、中世ヨーロッパの魔女狩りやナチスのホロコーストなどだろう。「代償的擬似健常者」が「他者に依存したり他者や社会を攻撃すること」を一挙に極端化していくと、こうした大虐殺が引き起こされることにまで至る。

 常軌を逸しているとしかいえない場合の韓国人の反日行為は、大挙して群なす「代償的擬似健常者」によるものと考えればいい。彼らは韓国人に特徴的な心の病に陥った人たちと同じように、韓国人に特有の苦悩やコンプレックスを抱えている。

 しかし彼らは、病者のように自らを苛(さいな)むのではなく、他者を苛むのだ。彼らは、他者への依存や他者への攻撃によって、自らの精神的危機を回避しようとする。そこで彼らの反日行為は、病者が示す病像ときわめて近似していく。彼らの反日行為が、非文明性、異常性をもって現れる最大の理由がここにある。


韓国人は〝魔女狩り〟ならずともすぐに火をつける。日本の首相の靖國神社参拝に抗議して日の丸に(右、AP)竹島問題に抗議して日本の教科書の写真や日の丸に(中、ロイター)米国産牛肉輸入問題で警察のバスに(左、同)


 以上のことを前提に、日本人をはじめ外国人には容易に理解できないと感じられている韓国人(韓民族)の反日行為の心理、情緒、精神のあり方の特異性を、韓国人に特徴的な心の病を通して照らし出してみたい。その前に、韓国人との一定の比較という意味から、十分なものではないが、日本人に起きやすいとされる心の病と日本人の性格的な特徴の関係について、一つの事例から簡単に眺めておきたい。

日本人とメランコリー

 日本人に起きやすい心の病の代表的なものに「内因性単極性鬱(うつ)病(メランコリー)」がある。「内因性単極性鬱病」は、とくに日本人に顕著に見られるものだが、誰にも起き得るものではなく、ある特定の性格の人に限って発生率が高いことが知られている。


日本人はまじめゆえにメランコリーが起きやすい…


 特定の性格とは「メランコリー親和型」と呼ばれる性格で、ドイツの精神科医テレンバッハが1960年代に理論化したものである。テレンバッハは「内因性単極性鬱病」にかかった人の性格的な特徴として「几帳面、仕事熱心、堅実、清潔、権威と秩序の尊重、保守的、律儀」を挙げている(木村敏訳「メランコリー・改訂増補版」)。

 これはまさしく日本人によくある性格だといってよいだろう。最近亡くなられた経営学者の大野正和氏も、日本人の「働き過ぎ」に関連するとして次のように述べている。

「日本人に多いのは、前うつ病性格(うつ気質)であるメランコリー親和性だ。真面目で几帳面、責任感が強く他人に気を遣う。この性格は、日本の職場では優秀な労働者の象徴である」(「過労死と日本の仕事」ブログ「『草食系』のための日本的経営論」)。

 精神科医芝伸太郎氏は、この「メランコリー親和型性格はそのまま日本人一般の性格特徴(を極端にしたもの)に他ならない」と述べ、テレンバッハらとは別に「日本人だからこそわかる」視点から、とても興味深い独自の理論を打ち立た(「日本人という鬱病」1999年)。

 芝氏の理論は「お金理論」といわれるもので、概略、次のようなものである。律儀な性格の日本人の多くは、人から借りたものは必ず返さなくてはならないと考える。物品であれ、精神的な好意であれ、地位や名誉を与えられた場合であれ、まるで精神的な貸借対照表があるかのように、「借りたら返す」という原則を貫こうとする。

 ちょっとしたミスを犯しても、必ず相手や社会に埋め合わせができるだけの良き行ないをしなくてはならないと考える―。

 こういう性格の人は、社会に出ると「決して借りをつくるまい」と一生懸命になる。会社では人並み以上に働き、他人に対しては執拗に「お世話」をしようとし、昇進をしようものならさらに時間を無視してまで働こうとする。中年になって高い役職に就いた途端にこの種の鬱病を患う人が、日本人には多いそうである。

 こういう人は、家庭生活にもとても生真面目に向かう。ミスをすれば、その挽回を思って、ミスのために会社や相手が失ったもの以上のものを生み出そうと盛んに努力を重ねる。

 そこでは、あらゆる人間関係があたかもお金のやり取りであるかのようになっていると芝氏はいう。もちろんそれは、「姑息な金銭勘定の意識」とはまったく異なるもので、逆に「金銭勘定を無視して」がんばってしまうのだ。

 そうすることで、自分が自分であることを保つことができている。こういう極端な性格の人は、そのままではいつかはやっていけなくなる。心身ともに疲れてしまうし、何をやっても不十分だと感じられていく。そこで、「自分はだめな人間だ」「だらしない」と深刻に悩み、やがてはメランコリー状態に陥って鬱病を発現するまでなってしまう。これが芝氏の「お金理論」である。

 芝氏のいう「お金と同じように人間関係を考える」というのは、物事についての「借りる・貸す」の関係を、それぞれの関係のあり方の個別的な性格を無視し、何でもかんでも普遍的に向き合ってしまっていることを意味している。確かに、日本人にはそうした性格的な傾向をもつ人が多いといえるだろう。

韓国人と火病

 韓国人に顕著に見られる心の病が火病(ファッピョン)である。火病は「韓国人にだけ現われる珍しい現象で、不安・鬱病・身体異常などが複合的に現われる怒り症侯群」とされる(米精神医学界「精神障害の診断と統計マニュアル」付録「文化的定式化の概説と文化に結び付いた症候群の用語集」)。

 火病は「お腹の中に火の玉があがってくるようだ」といった韓国人に特有な愁訴が特徴で、「怒りを抑圧し過ぎたことによって起きる心身の不調」とされている。

 韓国の精神科医キム・ジョンウ氏は、著書「火病からの解放」のなかで、ある中年女性の火病患者の訴えを、次のように記している(要約)。

 その女性は長男にだけ関心と愛情が深かった。長男を大学にやってから、今までの自分の生き方があまりにもむなしくて悔しいという気持ちになり、憂鬱な気分がはじまった。その頃は身体的な症状はなかったが、自分には不服な長男の結婚問題がきっかけとなり、突然火病がはじまった。14日の間大声を張り上げて泣く、眠れない、息苦しく胸から顔まで熱が出てくる感じ、喉が渇く、口の中が苦い、右脇腹が痛くてたまにぐらぐらする症状と、腕と足が麻痺する感じ。全身がおかしいという訴えである。

 また別の患者は、次のように訴えてきたという。


極端な特権と意識を持っていた両班層の豪邸(朝鮮総督府『生活状態調査 慶州郡』昭和9)


貧しい農民の集落(朝鮮総督府『写真帖朝鮮』大正10)

 何か大きなかたまりが胸のなかで圧迫しているという感じ。ある人に対する憤怒と悔しさが十四年過ぎても消えていない。今もその人を見れば憤怒が吹き出す気持ちになる。いろいろな病院を訪ねたが、誰もわかってくれない。

 キム・ジョンウ氏は同書で火病を次のように説明している。

 「怒りや悔しさをまともに発散できなくて、無理に我慢するうちに火病になるのです。…略…火病も一種のストレスの病気です。しかし違うところがある。一般的にストレス病は急にストレスが表に出る場合が多いのに対して、火病は同じストレスを六カ月以上受けるところが違います。また火病は怒らせる原因、怒りをつくる原因はわかっているけれども、それを我慢して起こすのが特徴です。ストレスを発散すれば離婚したりすることにもなるので、我慢することが多いのです」

 またキム・ジョンウ氏は、火病の原因は恨(ハン)にあると指摘している。

 「火病の原因は恨です。弱くて善なる人間が強い人間に感じる劣等意識、葛藤として見えるものです。かつては抑圧的な夫のせいで、女性たちの恨が溜まるしかありませんでした。今では患者の3割は男性で、職場の人間、中年の事業家、定年退職を前にした人たちなどが病院に訪ねてくるようになっています」(同)

 日本では怨恨の「怨」も「恨」もだいたい同じ意味で使われていると思う。しかし韓国の「恨」は、韓国伝統の独特な情緒である。恨は単なるうらみの情ではなく、達成したいが達成できない自分の内部に生まれるある種の「くやしさ」に発している。それが具体的な対象をもたないときは、自分に対する「嘆き」として表され、具体的な対象をもつとそれがうらみとして表され、相手に激しく恨をぶつけることになっていく。

 キム・ジョンウ氏は火病と恨の関係を次のように述べている。

 「火病患者の一部は憤怒が目立って現れませんが、その場合恨が関係する場合が多いのです。原因となるのは、貧困であること、弱者であること、悔しさ、怨痛さ、むなしさ、抑制などが積もりに積もること。症状面では、ため息、涙、苦しさ、胸の中の塊感など。そうした共通的なことが多いという点で、火病は韓国人特有の恨と関係が深いと推定できます」(同)

 続けてキム・ジョンウ氏は「火病は、原因と感情反応で歴史的な民族固有の情緒的な恨と共通線上にあることと、時間的経過によって恨が克服されずに病理化されたことを示唆しています」と述べている。韓国人の反日行為はまさしく火病のように、「時間的経過によって恨が克服されずに病理化された」状態であるかのようだ。

恨の多い民族

 恨があるから強く生きられる、恨をバネに生きることができるというように、本来は未来への希望のために強くもとうとするのが恨である。そうして生きていくなかで恨を消していくことを、韓国人は一般に「恨を解(ほぐ)す」あるいは「恨を解く」と表現する。うらみにうらんだ末に恨が解けていくことを、大きな喜びとする文化は韓国に特有のものである。

 そうした心情の典型を、朝鮮民族の伝統歌謡「アリラン」にみることができる。「アリラン」は恨が解き放たれる喜びを歌った「恨(ハン)解(プリ)の歌」ともいわれる。一般に行なわれている日本語訳で歌詞を紹介すると、その一番は次のようになる。

 〽アリラン アリラン アラリヨアリラン峠を越えて行く 私を捨てて行かれる方は 十里も行けずに足が痛む

 ここでは親しい人が自分を捨てて去っていく恨が歌われている。哀しい歌詞なのだが、これを喜ばしい気持ちで快活に明るく歌うのである。二番、三番で、次のように恨解へと向かう心情が表現されていく。

 〽アリラン アリラン アラリヨアリラン峠を越えて行く 晴れ晴れとした空には星も多く 我々の胸には夢も多い

 〽アリラン アリラン アラリヨアリラン峠を越えて行く あの山が白頭山だが 冬至師走でも花ばかり咲く

 固い恨があるからこそ未来への希望があるということでいうと、韓国人にとっては生きていることそのものが恨である。自分の今ある生活を不幸と感じているとき、自分の運命が恨になることもある。

 自分の願いが達成されないとき、自分の無能力が恨になることもある。そこでは、恨の対象が具体的に何かは、はっきりしていないことが多い。韓国人は、自分のおかれた環境がいかに不幸なものかと、他者を相手に嘆くことをよくする。韓国ではこれを「恨嘆(ハンタン)」といっている。


思いこみ・妄想を偶像化して事実だと信じ込み、崇める姿は何とも哀れだ=ソウルの日本大使館前

 そこでは、「私はこんなに不幸だ」「いや、そんなのは不幸のうちに入らない、私の方がもっと不幸だ」という具合に、あたかも「みじめ競争」のようになることも少なくない。

 ここで特徴的なことは、「自分は何の罪もない正しく善なる者なのに、誰(何)かのせいで自分が恵まれていない」と、一方的に自らを純化し自己責任を回避していることだ。そうやってお互いにストレスを解消し合い、それでなんとかなっていれば火病に罹ることもない。

 自分が今おかれている境遇や自分の過去の不幸を題材にして「ああ、私の人生は…」と節をつけて、自前の身世打令(シンセタリョン)(韓国伝統の雑歌)を友だち相手に披露することもよくある。こうした場合の恨は、その対象が曖昧なままなのだが、それだけ、対象を求めてさまよっているのだともいえる。だんだんと、自分の恨を固めている相手、恨をぶつける具体的な対象が欲しくなっていく。

 韓国人はしばしば自分たち民族を、「恨の多い民族」と呼ぶ。韓国には「我が民族は他民族の支配を受けながら、艱難辛苦の歴史を歩んできたが、決して屈することなく力を尽くして未来を切り開いてきた」と自分たち民族を誇る精神的な伝統がある。こうした歴史性をもつ「我が民族」が「恨の多い民族」である。

 韓国人がキリスト教を受け入れやすい一つの要素は、苦難の歴史を歩んだユダヤ人・イスラエルの民と、自分(たち)の境遇を重ねる意識が強く働くところにある。韓国人とユダヤ人には、どんな罪もない優秀な民族が苦難の歴史を歩んできたという歴史的な共通性がある。ユダヤ人がそうであるように、我が民族もまた神から選ばれた特別の民(エリート)であり、最終的な救済を約束された民である―というように。

 実際、このように説く韓国人牧師は多く、韓国がキリスト教を受容した理由の第一をそこに求める論者も少なくない。こうした考えは、すでに韓国の初期キリスト教にあったが、戦後に反日民族主義と結びつき、より強固なものとなっていった。

 戦後韓国は、「日本帝国主義の支配」によって、我々は無実であるのに国を奪われ、国土を奪われ、富を奪われ、言葉を奪われ、文化を奪われ、過酷な弾圧下で苦難の歴史を歩まされたという、反日民族主義を国是として出発した。そうした「無実の民」が蒙った「苦難の歴史」、その「誇りの回復」というところで、反日民族主義とキリスト教が一致していく。キリスト教ピューリタニズムとも通じるところである。

 欲望・希望・願望といったものが通らずに阻止され、これが抑圧されることで形づくられる「心の凝り」というものがある。情緒的な色合いを強くもつことが特徴で、精神医学ではこれをコンプレックス(観念複合体)と呼んでいる。韓国人が古くからいう「恨が固まる」とは、現代でいえばコンプレックスとしての「心の凝り」が形づくられることに他ならないだろう。

 韓国の精神医学者イ・ナミ氏は、著書「韓国社会とその敵たち」のなかで、韓国人は「物質、虚飾、教育、集団、不信、世代、怒り、暴力、孤独、家族、中毒、弱い自我」にわたる12種類のコンプレックスの塊だといっている。そして、このコンプレックスの塊こそが、現代韓国社会に顕著に見られるさまざまな病理現象の原因をなすものだと断じる。

自分を無罪とする責任回避

 恨の多い人がそのまま恨を抱え続けていくと、一種の怒り症侯群である火病にまで至ることが少なくない。「怒りや悔しさをまともに発散できなくて、無理矢理に我慢するうちに火病になる」のだが、多くの人はそこまで我慢することなく、四方に怒りを爆発させていくことになる。韓国人がしばしば激しやすいといわれる理由もそこにある。

 いずれにしても、なぜ韓国人は一方的に自らを純化し、無実の者として自己責任を回避し、恨を抱えて生きようとするのだろうか。アメリカの精神医学者ロロ・メイの「疑似イノセンス」論は、この疑問に明快な答えを与えているように思う。

 イノセンス(innocence)とは、「無罪・無実、無害の・悪意のない、純粋・無邪気」などを意味する言葉である。イノセンスそのものを生きているのが子供だが、大人になってもイノセンスの見かけをもって生きているような人がいる。つまり自分を擬似的にイノセンスで装うのだ。これがロロ・メイのいう疑似イノセンス(Pseudo-innocence)である。心の内のイノセンスではなく、外から見たときだけのイノセンスである。

 ロロ・メイは「それは決して大きくなりすぎることのない子供らしさやある種の過去への固着から成っている。それは、無邪気というよりむしろ幼稚だ」として次のようにいう。

 「これは神経症に見られるイノセンスと平行関係にある。このイノセンスは、決して生き抜いてこられたものではなく、幼児のままに固着してしまうイノセンスで、ただ敵対的で冷たいあるいは支配的な親に対して身を守るだけのために、その幼児性にしがみつくのである」(小野泰博訳「わが内なる暴力」)

 なぜ世間の荒波を生き抜こうとせず幼児性にしがみつくのか。それは外部の権力から自らを守る防御のためで、疑似イノセンスは「外的な力の形態とかあるいは地位および威信といった内的な力の形態を含む、権力の現実に直面しなければならないときの防御壁」(同書)なのである。

 ここは多くの日本人には容易に理解できないところかもしれないが、韓国社会に生まれて大人になった私にはとてもよくわかる。韓国の社会には、地位や威信などを含む権力のまことに不条理な働きが、排ガスのように充満しているからだ。子供からすれば、大人になることは不条理な人間になることに等しいとすら思えてくる。

 疑似イノセンスは「自分を無罪とする責任回避」で大きく特徴づけられる。韓国の旅客船セウォル号沈没事故の犠牲者を追悼するポストイット・ボードに、青少年らによる無数のメモが貼り出された。新聞報道されたものからいくつか拾ってみる。

 「姉さん、そして兄さん、もう二度とこんな国に生まれないでください」「さようなら。兄さんが、必ず悪い大人たちと最後まで戦って、二度とこんな悲しみが無いようにするから」「冷たい海中に恐ろしさで真っ青になって泣いた私たちの後輩を考えなさい。こんな権力に耳をふさいで目をとじる人々ならば、本当に嫌いだ」「道徳を学ぶ理由は何ですか? どうか大人たちは非道徳的に生きないでください。花のように美しい私たちの命を安全にして欲しい」「互いに利益だけ考える社会だ。大人たちの欲望のために姉さん兄さんの命が一日で消えた」(ハンギョレ新聞日本語電子版2014年4月25日)

 韓国各地のポストイット・ボードは、こうした国家、権力、社会、大人の罪・責任を問う子供たちの悲痛な声に満ち溢れていた。

 社会の制度・秩序・慣習を受け入れていくことで、子供はイノセンスを脱して大人になる。大人としての自覚と責任をもって生きていこうとする。これがまっとうな社会でのあり方だ。しかし韓国のような不条理が大手を振ってまかり通る社会では、大人になりたくない子供たちをたくさん生み出すことになる。

 「幼児のままに固着してしまうイノセンス」をもって、「花のように美しい自分、責任がない自分、無罪である自分」を守ろうとする。こうして疑似イノセンスで自らを装う大人になっていく。

 そうした人たちは、人間ならば誰もが内部に抱えている不道徳性とか反秩序性といった破壊的な力を、自分のなかには認めようとしない。そして、自らを潔癖であり無罪であるとする一方で、他者に対しては道徳的な完全性を求めて強く批判する。

 この態度がロロ・メイのいう疑似イノセンスである。そしてロロ・メイがいうように、自己内部の破壊的な力が抑圧されると、極めて暴力的な形で噴出するのである。

 「責任回避の防御物としてのイノセンスは、また成長を妨げる防御物である。こうしたイノセンスは、われわれの新しい認識を妨げ、人類の苦悩とともによろこびをわがこととして感じとることをできなくしてしまう。この苦悩とよろこびは、擬似的なイノセンスの人間には閉ざされているものである」(同書)

 多くの恨を抱えさせているのが擬似イノセンスである。恨はキム・ジョンウ氏がいうように「弱くて善なる人間が強い人間に感じる劣等意識、葛藤として見える」面をもつことは確かだが、その主体は自分を「無罪、無責任、純粋」と装う疑似イノセンスにある。自分には責任がないのだから、自分にふりかかる火の粉はすべて他者によるものである。こうした「他人のせい」へのうらみが恨として溜め込まれるのである。


妄想による偶像への崇拝を選挙投票と引き換えに押し売りする姿は滑稽ですらある=米グレンデール

 擬似イノセンスでは、自分をイノセンスと装うことが、自分が生きるための戦略として利用される。民族レベルでいえば、韓国が無罪であることが、韓国が(民族の誇りを失うことなく)生きるための戦略として利用される。そこで日本は韓国にとって、どこまでも有罪でなくてはならない、責任が追及されなくてはならない、この世になくてはならない対象なのである。

 彼らの関心は、自分(韓国)が善であり道徳的に正しいという聖なるイメージを維持することに向けられる。他者(日本)が自分の純粋さにどれほど応えてくれるかを期待し、自分自身の汚れのないイノセンスを再確認し続けようとするのである。

韓国人と人格障害

 外部の権力から自分を守る防御として、イノセンスで自らを装う。その装いが強固であればあるほど、対人関係にさまざまな障害が生じてくることは疑いない。

 十年ほど前のことだが、韓国の新聞で「二十歳の男性の45%が対人関係障害の可能性」という記事を読んだ。韓国の研究チームによる人格障害の調査だが、「この数値は、米国やヨーロッパなど先進国の平均11~18%に比べて、2・5~4倍に達する」という(東亜日報日本語電子版2003年2月10日)。

 記事には「今回の研究結果は国内学術誌『精神病理』と米国の学術誌『精神医学と臨床神経科学』に掲載される予定」とあったから、学術的な研究であるのは間違いない。

 人格障害(パーソナリティー障害)とは通常、「偏った考え方や行動パターンのため、家庭生活や社会生活、職業生活に支障をきたした状態」とされている。関係する書物(岡田尊司著「パーソナリティー障害がわかる本―『障害』を『個性』に変えるために」)を何冊か読んで深く考えさせられたのは、その偏り方が韓国人一般に見られる精神的な傾向ときわめて酷似していることだった。

 それら書物から私なりに整理してみたところでは、人格障害の人には次のような性格の偏向が強く見られる。(一)善悪、白黒、敵味方など、中間のない両極端の考えに陥りやすい。(二)「私とあなた」(自分と他者)の区別があいまいで自分本位。(三)容易に他人を信じることができない。(四)自分は理想的・完璧だという思いと、自分は劣等で価値がないという思いが同居している。(五)物事を受け止める心が弱くて狭く、処理できなくなると暴発的な行動を起こしやすい。

 いずれについても、韓国人の精神的な特徴と、とてもよく合致していると思わずにはいられない。疑似イノセンスがそうであるように、考え方が極端なので、広い視野をもって物事を判断することができない。自己本位で自分を絶対視しやすいので、自分が善い(正しい)と思うことは他人もそうだと思い込む、何かまずい事態が起きても自分ではなく他人に問題があると考える、といったことが生じやすい。

 他人が信じられないので、表面的にしか親しい振る舞いができず、本当に他人に心を許すことができない。プライドが高いので、自信過剰とも見えるが、実際には自信がなく劣等感に苛まれている。受け止める力が弱いので、すぐに感情的となり、冷静に物事に対処することが難しくなる。

ありのままの自分を愛すること

 人格障害は自己愛の障害、つまり「ありのままの自分を愛すること」のできない障害だといわれる。自己愛が傷ついたり損なわれたりしているために起きるもので、幼い自己愛に支配されている一種の幼児性とも見られている。

 「ありのままの自分を愛すること」ができないと自分が嫌になってくる。引っ込み思案から、ひきこもりにもなりがちである。しかし、そういう嫌な自分に我慢がならず、逆に「自己愛」を過剰に膨れ上がらせていく人がいる。このタイプの人が陥る人格障害が自己愛性人格障害といわれるものだ。

 自己愛性人格障害(Narcissistic Personality Disorder)とは、ありのままの自分を愛することができず、自分は優れていて素晴らしく特別で偉大な存在でなければならないと思い込む人格障害の一類型である(米精神医学界「精神障害の診断と統計マニュアル」)。両親・家族が社会同様に「ありのままの自分を愛してくれる」体験に乏しいため、「ありのままの自分を愛すること」ができず、自己愛性人格障害になりやすいと考えられている。

 何種類もある人格障害のなかでも、自己愛性人格障害の病像はとくに、韓民族の性格的な特徴をそのまま極端化したものであるかのようだ。以下が診断基準となっている。

【診断基準】誇大性(空想または行動における)、賞賛されたい欲求、共感の欠如の広範な様式で、成人期早期までに始まり、種々の状況で明らかになる。以下のうち五つ(またはそれ以上)によって示される。

 (一)自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待)(二)限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。(三)自分が〝特別〟であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人たちに(または施設で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。(四)過剰な賞賛を求める。(五)特権意識、つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。(六)対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。(七)共感性の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。(八)しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。(九)尊大で傲慢な行動、態度 (高橋三郎・大野裕・染矢俊幸訳「DSM‐IV‐TR 精神疾患の診断・統計マニュアル新訂版」)。

 自分をイノセンスで装い、いつしかそれが本当の自分だと思い込んでいく先に、こうした病理的な心的現象が出てくるように思われる。人格障害に関連する精神医学・心理学の書物が記すところを私なりに整理・解釈してみると、自己愛性人格障害の人の対人関係には次のような特徴が見られる。

 ▽「ありのままの自分を愛すること」ができないので、優越的な存在だという自分で作った幻想の自分を愛そうとする。▽自分より優れたものを認めたくないので、他人の優れた能力や才能を無視する。▽他人を見下し・軽蔑・侮辱することが快感となる。▽自分の優越幻想がなかなか示せないとなると、過ぎたことであろうとも他人の欠点・難点を探し出してはなんくせをつけていく。▽人をバカにしているので、自分もいつバカにされるかわからないと疑心暗鬼になる。▽閉じられた自己幻想から出ようとせず、他人に心を開くことがなくなる。

 韓国人がしばしば示す自民族優越主義、反日民族主義、反日行為には、こうした心的傾向との同質性を強く感じさせられる。

反日が常軌を逸すると思える根拠

 多くの韓国人が示す反日行為が「常軌を逸している」と感じられるのは、これまで見てきたように、火病に現われる複合的な怒り症候、人格障害に現れる各種の性格的な偏向ときわめて近似しているからである。しかし彼らは病者なのではない。彼らは、他者に依存したり他者や社会を攻撃することによって、火病や人格障害に陥ることを回避している「代償的擬似健常者」なのである。

 自分には罪がないのに(イノセンス)、なにゆえに自分はこれだけの苦労を背負わされるのかと、コンプレックス(恨)が心の凝りとして固まっていく。これが高じると火病にまで至る。外部の権力から自らを守ろうとする疑似イノセンスが、ありのままの自分ではなく誇大にピュアーな幻想的自分を愛するようになっていく。それが高じると人格障害にまで至る。 韓国人の反日行為が「常軌を逸している」と感じられる根拠は、火病や人格障害と近似する心性を内部に抱えた「代償的擬似健常者」が、韓国社会に多数生み出されていることにあるのではないか。そこには、儒教・朱子学に特有な潔癖主義、厳正主義を重んじる、伝統的な制度文化が、諸個人に対する外部の権力として強く作用していると思う。

 儒教的な制度文化に覆われた社会では、制度規範としての絶対的な勧善懲悪(善を勧め悪を懲らしめる)が人々の心の内面を圧迫する。そこでは、人々は自分の表面を勧善懲悪の構えで飾り立てて生きるしかなくなっていく。 しかし現実はまことに不条理なものとしてある。疑似イノセンスが入り込む余地がそこにある。固まっていくコンプレックス=恨を抱え続け、「アリラン」の歌のようにそれが解けていく先に希望をもとうとする。現実には他者より抜きん出て俗世間で成功することが一途に目指されていく。

 朝鮮半島の伝統的な社会では、そうした人々の恨をバネとする上昇志向が社会を活性化させる原動力となっていた。良くも悪くも、排他的な自己愛と自己繁栄のエネルギーが、自分の一族や自分が所属する小集団の繁栄へと一途に向けられてきた。

 こうした「集団利己主義」の社会が根本的な解体を経ずして近代へ突入した。日本統治下での近代化推進で解体への道がつけられたとはいえ、戦後はその道を遮断し、反日を繁栄へのエネルギーとする国策が根を下ろした。「集団利己主義」の民族規模での強化が推進されたのである。

◇本稿は、拙著『「反日韓国」の自壊が始まった』(悟空出版)「第五章」前半を要点中心に圧縮し、新たな観点を加えて書き改めた。 ※別冊正論23号「総復習『日韓併合』」 (日工ムック) より転載関連記事■ 呉善花「反日」という「バカの壁」からの脱出■ 世界の人々が惹かれる「日本の心」■ 「反日」と「情緒」が支配する哀しき非民主国家■ 何でもあり 幻想の世界に生きている韓国国民

http://ironna.jp/article/1348

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『朝鮮人=ナチス』




( ´・∀・)b

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自己愛性人格障害

(一)自己の重要性に関する誇大な感覚(例:業績や才能を誇張する、十分な業績がないにもかかわらず優れていると認められることを期待)
(二)限りない成功、権力、才気、美しさ、あるいは理想的な愛の空想にとらわれている。
(三)自分が〝特別〟であり、独特であり、他の特別なまたは地位の高い人たちに(または施設で)しか理解されない、または関係があるべきだ、と信じている。
(四)過剰な賞賛を求める。
(五)特権意識、つまり、特別有利な取り計らい、または自分の期待に自動的に従うことを理由なく期待する。
(六)対人関係で相手を不当に利用する、つまり、自分自身の目的を達成するために他人を利用する。
(七)共感性の欠如:他人の気持ちおよび欲求を認識しようとしない、またはそれに気づこうとしない。
(八)しばしば他人に嫉妬する、または他人が自分に嫉妬していると思い込む。
(九)尊大で傲慢な行動、態度

しかしまた、ビックリするほどまるっきり寸分違わず朝鮮人だな。
( ´・д・)b

~ 以上 ~

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(おまけ)


韓国「卑日」とは対等な関係も友好もない

諌山裕(グラフィックデザイナー)


 以前にも取り上げたことのある連載記事、「早読み 深読み 朝鮮半島」は、なかなか興味深い韓国分析をしている。多少、筆者のバイアスがかかっているとしても、わりと的確な内容だと思う。

 多くのメディアでは、韓国の姿勢を「反日」と表現しているが、この記事では「卑日」という言葉を使っている。「反日」というと、ただ日本を敵視しているようにも受け取れるが、その動機や背景を知ると「卑日」という言葉の方が適切だと思えてくる。

 詳しくはリンク先の記事を読んで欲しいが、韓国にとっては、立ち位置が日本より下か上かが、なによりも重要なのだという。

 連載記事の最新号では……


韓国人の「自嘲」が生んだ「卑日」:日経ビジネスオンライン

    ——前回は「崇日」の時代があり、それが「反日」の爆発を抑えていた、という話でした。

    鈴置:私のソウル在勤時代、まだ「葉銭」(ヨプチョン)という単語が使われていました。自嘲、卑下の言葉で「旧弊にしがみついて没落した韓国人」というぐらいの意味でした。

     もともとは朝鮮朝の銅貨を指す単語だったそうです。それが「日本が紙幣を持ち込んだのに、古臭く使いにくい銅貨にしがみついた朝鮮人」という意味に転じ、さらには近代化に失敗した結果、日本の植民地に転落した自らを嘲笑う言葉に使われるようになった――と聞きました。

     日本語にはそれに相当する、自嘲の単語は見当たりません。19世紀末、近代化に乗り遅れたことに韓国人がどれだけ悔しい思いをしているかをよく示す話と思います。そしてこの悔しさが奇妙な“崇日思想”を生んだのです。

    (中略)

    ——「卑日」の動機と構造がよく分かりました。最後の質問です。韓国人はなぜ、「卑日」を世界で繰り広げるのでしょう。羽田行きモノレールの中でのように、韓国人同士で言い合えば十分な気もしますが。

    鈴置:いい質問です。そこがポイントです。答えは、韓国人がまだ、日本を見下すほどの自信を本当は持っていないからです。

     世界の人々が「韓国が日本より上だ」とはっきり言ってくれるまで、韓国人はその確信が持てないのです。結局、慰安婦像は世界で立てられ続けることでしょう。



 長い記事なので、最初と最後の引用だけに。
 ようするに、韓国は自分たちが「上」で、日本は「下」だと、上下関係を確立したいのだろう。その根底には儒教の教えがあるという。
 道理で、韓国発の記事では、なにかと日本と比較するものが多いわけだ。いちいち日本と比べなくてもいいだろうに……と思うことは少なくない。
 韓国は中国を逆らえない宗主国だとも思っている一方で、経済発展を遂げた現在、国民感情的には中国を「下」だと思っているらしい。その歴史的背景は、日清戦争(1894年)以前の時代まで遡るという。

▼関連記事

ついに「属国に戻れ」と韓国に命じた中国:日経ビジネスオンライン

    中国の歴代王朝は1895年に日清戦争で敗れるまで、朝鮮半島の王朝を冊封体制に組み込んでいました。長い間、中国人にとって朝鮮は属国、朝鮮人にとって中国は宗主国だったのです。


 日本が植民地支配したことは1000年恨むといいつつも、まだ1000年経っていない中国(かつての清)による冊封体制は問題にしないようだ。
 韓国の執拗なまでの謝罪要求は、自分たちが「上」であることを、内外に誇示したいという欲求(願望)なのだろう。これまでも度々謝罪はしているし、賠償(もしくは相当する補償や援助)もしているが、それでは欲求(願望)に見合う結果を得られていないと考えていると思われる。特に、国際的な評価では、韓国が望む上下関係は確立されていない。しかし、その手法では国際的な評価・評判は上がらないことに、当人達は気がついていないようだ。
 韓国のコンプレックスは、相当に根が深い。

 日本人の大多数は、日本が韓国より「上」とか「下」とかいう見方はしていないと思う。嫌韓の人たちは、見下しているのかもしれないが、好きか嫌いかというのは、上下関係の問題ではなく、好みの問題だ。嫌いになるのは拒絶であって、上下関係を確定することではないだろう。
 「卑日」が求めていることは、日本を蔑むこと、屈服させることだ。そこに対等な関係はなく、友好もない。
 そんな国と、どうやってつきあえばいいのか?



 まもなく戦後70年談話が発表されるが、そこにどんな文言が書かれていようが、韓国が納得することはありえない。
 かの国が取るべき行動は、際限なく日本を叩くことだからだ。反日あるいは卑日をやめることは、彼らのアイデンティティを捨てることでもある。そんなことをできるはずがない。

 私は嫌韓ではないものの、かといって親韓でもない。どちらかというと、あまり関わりたくない国という感覚。日本を仮想敵国のように扱う国に対して、無理してつきあわなくてもいいんじゃね?

 距離を置いてつきあう相手……ということで、「離韓」でいいように思う。

 サッカーの試合で韓国と対戦すると、異様に敵意むき出しなのには閉口する。東アジアカップで、日本は負けに等しい引き分けだったけど、韓国は強かったよ。それは認める。日本が弱すぎるんだけどね。

 中国も日本相手だと、けっこうガツガツに戦うけど、ことサッカーに関しては、メディアもネット民も冷静なコメントをするんだよね。国歌斉唱での観客のブーイングはいただけないが、選手が政治問題を持ち込んだりはしていない。そこはサッカーに対して、実直だと思う。

 共産党独裁政権で、言論統制も行われているのに、中国の方が韓国よりもバランスが取れている気がする。荒唐無稽な抗日ドラマを、「あほらしい」と酷評できる感覚はあるようだし。韓国では、親日的な発言は非国民扱いだよね。それが正論であっても。


朴大統領の妹「正論」炸裂 舌鋒鋭く韓国批判 ネット民激怒「日本に移住しろ」:イザ!

    韓国による対日謝罪要求についても、「全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領が訪日した際、首相よりはるかに重要な天皇(陛下)が頭を下げているのに、なぜ(日本の)首相が替わるたびに謝れと言うのか」と、韓国の対応を批判。「日本は韓国の経済発展の基になることをたくさんしてくれたのに、被害意識だけ抱いていては国益にならない」と発言した。



 そのうえで、「北東アジアの平和実現のために日本は親しく付き合わなければならない隣国であり、解放前の“親日”と解放後の“親日”では概念が違う」と強調した。

 すべてにおいて、日本を批判しなくてはいけない考え方は、理解に苦しむ。

 中国とは仲良くできると思うけど、韓国は無理っぽい。
 「離韓」で、距離を取ることが、お互いのためではないかと思う。

諫山裕の仕事部屋より転載)



<;□`д′> 자기애성 인격장애…니카?


오선카콘과 화병과 유사 이노센스와 ― 비정상인 반일 행위와 마음의 병

『별책 정론 』 「총복습『한일합방 』」

오선화(평론가・타쿠쇼쿠 대학 교수)


반일 행위를 담당하는「대상적 의사 정상인 」


 동일본 대지진 직후의 3월말, 한국에서는「타케시마는 일본의 영토」라고 명기한 일본의 교과서가 검정 합격했던 것에 강하게 반발, 기부금 모집 활동을 중지해, 전액을 반환하거나 독도 수호 단체나 위안부 지원 단체에의 기부에 돌리거나 하는 자치체가 속출했다.

 동년 9월의 AFC 챔피온즈 리그에서는, 한국 팀 전북 현대의 응원 스탠드에「일본의 대지진을 축하 합니다」와 일본어로 쓴 횡단막을 걸었다.또 2013년 8월에는 KBS2의 TV프로에서, 웃음 탤런트가「욱일기를 턴 일본의 응원단에 몸에 좋은 후쿠시마산 체리를 보낸」와 야유해, 이것을 동아일보 등 각지가「잘 말한」토바 빌려의 평가로 알렸다.

 「그 신경을 의심하는」라고 하는 보도가 제국으로 보여졌다.한국인의 반일 행위는 상궤를 벗어나고 있다.이러한 비문명성, 이상성은 세계적인「불가사의」의 하나에까지 되었다.하지만 그들은 분명하게 문명 생활을 보내고 있어 반일 행위는 병자 되지 않는 진짜의 정상인들에 의하는 것이다.그러니까「불운 `트 사의」인 것인다.

 정신의학자 나카이 나가오씨는, 정신 장해라는 것은, 스스로의 파멸을 막아, 살아 남기 위한 지혜라고 하는 관점을 나타내고 있다(「치료 문화론―정신의학적 재구축의 시도」).나도 이 관점을 강하게 지지하고 싶다.게다가로 내가 문제로 하고 싶은 것은, 이것도 나카이씨의 관점의 하나지만, 정상・정상인이라고 하는 사람 속에는, 병으로만큼 멀 여유가 있는 사람 만이 아니고, 「다른 사람에게 의존하거나 다른 사람이나 사회를 공격하는 것」에 의해서 스스로의 정신 위생을 유지하고 있는 사람, 나카이씨가 말하는「대상적 의사 정상인」가 다수 있는 것이다.

 「대상적 의사 정상인」에 의한 상궤를 벗어난 인류 최악의 행위가, 중세 유럽의 마녀 재판이나 나치스의 대량학살 등일 것이다.「대상적 의사 정상인」가「다른 사람에게 의존하거나 다른 사람이나 사회를 공격하는 것」를 한꺼번에 극단화해 가면, 이러한 대학살이 일으켜지는 것에까지 도달한다.

 상궤를 벗어나고 있다고 밖에 말할 수 없는 경우의 한국인의 반일 행위는, 대거 해 군 이루는「대상적 의사 정상인」에 의하는 것이라고 생각하면 된다.그들은 한국인?`노 특징적인 마음의 병에 빠진 사람들과 같이, 한국인에 특유의 고뇌나 컴플렉스를 안고 있다.

 그러나 그들은, 병자와 같이 스스로를 가(차이인) 것은 아니고, 다른 사람을 책망한다.그들은, 다른 사람에게의 의존이나 다른 사람에게의 공격에 의해서, 스스로의 정신적 위기를 회피하려고 한다.거기서 그들의 반일 행위는, 병자가 나타내 보이는 병상영원째라고 근사 해 나간다.그들의 반일 행위가, 비문명성, 이상성을 가지고 나타나는 최대의 이유가 여기에 있다.


한국인은〝마녀 재판〟가 아니어도 곧바로 불붙인다.일본의 수상의靖국신사 참배에 항의해 일장기에( 오른쪽, AP) 타케시마 문제에 항의해 일본의 교과서의 사진이나 일장기에(나카, 로이터) 미국산 쇠고기 수입 문제로 경찰의 버스에(왼쪽, 동)


 이상을 전제에, 일본인을 시작해 외국인에게는 용이하게 이해할 수 없으면 느껴지고 있는 한국인(한민족)의 반일 행위의 심리, 정서, 정신의 본연의 자세의 특이성을, 한국인에 특징적인 마음의 병을 통해 비추어 보고 싶다.그 전에, 한국인과의 일정한 비교라고 하는 의미로부터, 충분한 것은 아니지만, 일본인에 일어나기 쉽다고 여겨지는 마음의 병과 일본인의 성격적인 특징의 관계에 대해서, 하나의 사례로부터 간단하게 바라봐 두고 싶다.

일본인과 멜랑꼴리


 일본인에 일어나기 쉬운 마음의 병의 대표적인 것에「 내인성단극성울(친다) 병(멜랑꼴리)」가 있다.「 내인성단극성울병」는, 특히 일본인에 현저하게 볼 수 있는 것이지만, 누구에게도 일어날 수 있는 것이 아니고, 어느 특정의 성격의 사람에 한해서 발생율이 높은 것이 알려져 있다.


일본인은 성실이기 때문에 멜랑꼴리가 일어나기 쉬운 …


 특정의 성격과는「멜랑꼴리 친화형」로 불리는 성격으로, 독일의 정신과 의사 테렌밧하가 1960년대에 이론화한 것이다.테렌밧하는「 내인성단극성울병」에 걸린 사람의 성격적인 특징으로서「궤장부, 일열심, 견실, 청결, 권위와 질서의 존중, 보수적, 률의」를 들고 있다(키무라 사토시역「멜랑꼴리・개정 증보판」).

 이것은 바야흐로 일본인에 자주 있는 성격이라고 해도 좋을 것이다.최근 돌아가신 경영학자 오노 마사카즈씨도, 일본인의「너무 일해 」에 관련한다고 해 다음과 같이 말하고 있다.

「일본인에 많은 것은, 전 우울증 성격(치는 기질)인 멜랑꼴리 친화성이다.성실하고 궤장부, 책임감이 강하게 타인에게 배려를 한다.이 성격은, 일본의 직장에서는 우수한 노동자의 상징인」(「과로사와 일본의 일」브로그「『초식계』를 위한 일본식 경영론」).

 정신과 의사시바 신 타로씨는, 이「멜랑꼴리 친화형 성격은 그대로 일본인 일반의 성격 특징(를 극단적으로 한 것)과 다름없는」라고 말해 테렌밧하?`노니는 별로「일본인이기 때문에 더욱 아는」시점으로부터, 매우 흥미로운 독자적인 이론을 쳐 립 (「일본인이라고 하는 울병」1999년).

 시바씨의 이론은「돈이론」라고 하는 것으로, 개략, 다음과 같은 것이다.의리가 있는 성격의 일본인의 상당수는, 사람으로부터 빌린 것은 반드시 돌려주지 않으면 안 된다고 생각한다.물품이든, 정신적인 호의든, 지위나 명예가 주어졌을 경우든, 마치 정신적인 대차대조표가 있는 것 같게, 「빌리면 돌려주는」라고 하는 원칙을 관철하려고 한다.

 약간의 미스를 범해도, 반드시 상대나 사회에 벌충이 가능한 한의 좋은 행동을 하지 않으면 안 된다고 생각하는 ―.

 이런 성격의 사람은, 사회에 나오면「결코 빌린 것을 만들지 않든지」와 열심히 된다.회사에서는 보통 이상으로 일해, 타인에 대해서는 집요하게「도움」를 하려고 해, 승진을 한다면 한층 더 시간을 무시해서까지 일하려고 한다.중년이 되어 높은 직무에 오른 바로 그때 이런 종류의 울병을 앓는 사람이, 일본인에게는 많다고 한다.

 이런 사람은, 가정 생활에도 매우 꾸준히 향한다.미스를 하면, 그 고름 `메회를 생각하고, 미스를 위해서 회사나 상대가 잃은 것 이상의 것을 낳으려고 활발히 노력을 거듭한다.

 그곳에서는, 모든 인간 관계가 마치 돈의 교환인 것 같이 되어 있으면 시바씨는 말한다.물론 그것은, 「고식적인 금전 계산의 의식」와는 완전히 다른 것으로, 반대로「금전 계산을 무시해」노력해 버린다.

 그렇게 하는 것으로, 자신이 스스로 있는 것을 유지하는 것이 되어 있다.이런 극단적인 성격의 사람은, 그대로는 언젠가는 해 나갈 수 없게 된다.심신 모두 지치게 되고, 무엇을 해도 불충분하다고 느껴져 간다.거기서, 「자신은 안된 인간이다」「야무지지 못한」와 심각하게 고민해, 이윽고는 멜랑꼴리 상태에 빠져 울병을 발현할 때까지 되어 버린다.이것이 시바씨의「돈이론」이다.

 시바씨가 말하는「돈과 같이 인간 관계를 생각하는」라고 하는 것은, 사물에 대한「빌리는・빌려 주는」의 관계를, 각각의 관계의 본연의 자세의 개별적인 성격을 무시해, 뭐든지 물어도 보편적으로 마주봐 버리고 있는 것을 의미하고 있다.확실히, 일본인에게는 그러한 성격적?`네 경향을 가지는 사람이 많다고 말할 수 있을 것이다.

한국인과 화병

 한국인에 현저하게 볼 수 있는 마음의 병이 화병(팝폴)이다.화병은「한국인만 나타나는 드문 현상으로, 불안・울병・신체 이상등이 복합적으로 나타나는 분노 증후군」로 여겨진다(미 정신의학계「정신 장해의 진단과 통계 메뉴얼」부록「문화적 정식화의 개설과 문화에 결부된 증후군의 용어집」).

 화병은「배안에 불의 구슬이 올라 오는 것 같다」라고 하는 한국인에 특유인 수소가 특징으로, 「분노를 너무 억압한 것 에 의해서 일어나는 심신의 부진」로 되어 있다.

 한국의 정신과 의사 김・젼우씨는, 저서「화병으로의 해방」 속에서, 어느A 중년 여자성의 불병환자의 호소를, 다음과 같이 적고 있다(요약).

 그 여성은 장남만 관심과 애정이 깊었다.장남을 대학에 하고 나서, 지금까지의 자신의 삶의 방법이 너무 허무하고 분하다고 하는 기분이 되어, 우울한 기분이 시작했다.그 무렵은 신체적인 증상은 없었지만, 자신에게는 불복인 장남의 결혼 문제가 계기가 되어, 돌연화병이 시작했다.14일간 큰 소리를 질러 울음?`, 잘 수 없는, 가슴이 답답하게 가슴으로부터 얼굴까지 열이 나 오는 느끼고 목이 마른다, 입속이 씁쓸한, 오른쪽 옆구리가 아파 이따금 흔들흔들 하는 증상과 팔과 다리가 마비되는 느낌.전신이 이상하다고 하는 호소이다.

 또 다른 환자는, 다음과 같이 호소해 왔다고 한다.


극단적인 특권과 의식을 가지고 있던 양반층의 대저택(조선 총독부『생활상태 조사 경주군』쇼와 9)


궁핍한 농민의 취락(조선 총독부『사진첩 조선』타이쇼 10)

 무엇인가 큰 덩어리가 가슴 속에서 압박하고 있다고 하는 느낌.어느A 사람에 대한 분노와 분함이 14년 지나도 사라지지 않았다.지금도 그 사람을 보면 분노가 불기 시작하는 기분이 된다.여러가지 병원을 방문했지만, 아무도 알아 주지 않는다.

 김・젼우씨는 동서로 화병을 다음과 같이 설명하고 있다.

 「분노나 분함을 온전히 발산할 수 없어서, 무리하게 참을 때에 화병에 걸립니다.…약어…화병도 일종의 스트레스의 병입니다.그러나 다른 곳(중)이 있다.일반적으로 스트레스병은 갑자기 스트레스가 겉(표)에 나오는 경우가 많은데 대하고, 화병은 같은 스트레스를 6개월 이상 받는 곳(중)이 다릅니다.또 화병은 화나게 하는 원인, 분노를 만드는 원인은 알고 있지만, 그것을 참고 일으키는 것이 특징입니다.스트레스를 발산하면 이혼하거나 하게도 되므로, 참는 것이 많습니다 」

 또 김・젼우씨는, 화병의 원인은 한(한)에 있다고 지적하고 있다.

 「화병의 원인은 한입니다.약해서 선 되는 인간이 강한 인간에게 느끼는 열등·`모식, 갈등으로서 보이는 것입니다. 이전에는 억압적인 남편의 탓으로, 여성들의 한이 모일 수 밖에 없었습니다.지금은 환자의 3할은 남성으로, 직장의 인간, 중년의 사업가, 정년퇴직을 앞에 둔 사람들등이 병원에 찾아 오게 되어 있습니다」( 동)

 일본에서는 원한의「원」도「한」도 대체로 같은 의미로 사용되고 있다고 생각한다.그러나 한국의「한」는, 한국 전통의 독특한 정서이다.한은 단순한 원한의 정이 아니고, 달성하고 싶지만 달성할 수 없는 자신의 내부에서 태어나는 어떤 종류의「분함」에 발하고 있다.그것이 구체적인 대상을 갖지 않을 때는, 자신에 대한「한탄」로서 나타내져 구체적인 대상을 가지면 그것이 원한으로서 나타내져 상대에게 격렬하게 한을 부딪치는 것에 되어 간다.

 김・젼우씨는 화병과 한의 관계를 다음과 같이 말하고 있다.

 「불병환자의 일부는 분노가 눈에 띄어 나타나지 않습니다만, 그 경우한이 관계하는 경우가 많습니다.원인이 되는 것은, 빈곤한 것, 약자인 것, 분함, 원 아픔, 허무함, 억제등이 예정에 쌓이는 것.증상면에서는, 한숨, 눈물, 괴로움, 가슴안?`후 덩어리감 등.그러한 공통적인 일이 많다고 하는 점으로, 화병은 한국인 특유의 한과 관계가 깊으면 추정할 수 있습니다」( 동)

 계속해 김・젼우씨는「화병은, 원인과 감정 반응으로 역사적인 민족 고유의 정서적인 한과 공통 선상에 있는 것으로, 시간적 경과에 의해서 한이 극복되지 않고 병리화 된 것을 시사하고 있습니다」라고 말하고 있다.한국인의 반일 행위는 바야흐로 화병과 같이, 「시간적 경과에 의해서 한이 극복되지 않고 병리화 된」상태일까의 같다.

한이 많은 민족

 한이 있으니까 강하게 살 수 있는, 한을 디딤판에 살 수 있다고 하는 것처럼, 본래는 미래에의 희망을 위해서 강하지도 묻는다고 하는 것이 한이다.그렇게 해서 살아가는 가운데 한을 지워 가는 것을, 한국인은 일반적으로「한을 해() 」혹은「한을 푸는」라고 표현한다.원한에 원망한 끝에 한이 풀려 가는 것을, 큰 기쁨으로 하는 문화는 한국에 특유의 것이다.

 그러한 심정의 전형을, 조선 민족의 전통 가요「아리랑」에 볼 수 있다.「아리랑」는 한이 풀어 발해지는 기쁨을 노래한「한(한) 해(프리)의 노래」라고도 한다.일반적으로 행해지고 있는 일본어 번역으로 가사를 소개하면, 그 제일은 다음과 같이 된다.

 〽아리란아리란아라리요아리란고개를 넘어서 가는 나를 버려 갈 수 있는 것(분)은 쥬우리도 &지 못하고 다리가 아프다

 여기에서는 친한 사람이 자신을 버려 떠나 가는 한이 불려지고 있다.슬픈 가사지만, 이것을 기쁜 기분으로 쾌활하게 밝게 노래하는 것이다.2번, 3번으로, 다음과 같이 한해로 향하는 심정이 표현되어 간다.

 〽아타 `석연도@아리란아라리요아리란고개를 넘어서 가는 상쾌로 한 하늘에는 별도 많이 우리의 가슴에는 꿈도 많다

 〽아리란아리란아라리요아리란고개를 넘어서 가는 그 산이 백두산이지만 동지 12월이라도 꽃만 핀다

 단단한 한이 있기 때문에 미래에의 희망이 있는 것으로 말하면, 한국인에 있어서는 살아 있는 것 그것이 한이다.자신의 지금 있는 생활을 불행이라고 느끼고 있을 때, 자신의 운명이 한이 되기도 한다.

 자신의 소원을 달성되지 않을 때, 자신의 무능력이 한이 되기도 한다.그곳에서는, 한의 대상이 구체적으로 무엇인가는, 뚜렷하지 않는 것이 많다.한국인은, 자신이 두어진 환경이 얼마나 불행한 것일까하고, 다른 사람을 상대에게 한탄하는 것을 잘 한다.한국에서는 이것을「한탄(한 탄)」라고 한다.


믿음・망상을 우상화하고 사실이라고 믿어, 우러러보는 모습은 왠지 불쌍하다=서울의 일본 대사관앞

 그곳에서는, 「 나는 이렇게 불행하다」「아니, 그런 것은 불행가운데 들어가지 않는, 제 쪽이 더 불행하다」라고 하는 상태로, 마치「봐 글자째경쟁」와 같이 되는 것도 적지 않다.

 여기서 특징적인 (일)것은, 「자신은 아무죄도 없는 올바르고 선 되는 사람인데, 누구(무슨) 카노세 있어로 자신이 풍족하지 않은」와 일방적으로 스스로를 순화해 자기책임을 회피하고 있는 것이다.그렇게 서로 스트레스를 서로 해소해 , 그래서 어떻게든 되어 있으면 화병에 걸릴 것도 없다.

 자신이 지금 두어지고 있는 경우나 자신의 과거의 불행을 소재로 해「아, 나의 인생은…」와 마디를 붙이고, 자기 부담의 신세타령(신세타롤)(한국 전통의 잡가)를 친구 상대에게 피로하는 일도 자주 있다.이러한 경우의 한은, 그 대상이 애매한 그대로지만, 그 만큼, 대상을 요구해 헤매고 있는 것이라고도 할 수 있다.점점, 자신의 한을 굳히고 있는 상대, 한을 부딪치는 구체적인 대상을 갖고 싶게 되어 간다.

 한국인은 자주 스스로 민족을, 「한이 많은 민족」라고 부른다.한국에는「우리 민족은 타민족의 지배를 받으면서, 응`··h고의 역사를 걸어 왔지만, 결코 굽히는 일 없이 힘을 다하고 미래를 열어 온」와 스스로 민족을 자랑하는 정신적인 전통이 있다.이러한 역사성을 가지는「우리 민족」가「한이 많은 민족」이다.

 한국인이 크리스트교를 받아 들이기 쉬운 하나의 요소는, 고난의 역사를 걸은 유태인・이스라엘의 백성과 자신(들)의 경우를 거듭하는 의식이 강하게 일하는데 있다.한국인과 유태인에게는, 어떤 죄도 없는 우수한 민족이 고난의 역사를 걸어 왔다고 하는 역사적인 공통성이 있다.유태인이 그렇듯이, 우리 민족도 또 신으로부터 선택된 특별한 백성(엘리트)이며, 최종적인 구제가 약속된 백성인―와 같이.

 실제, 이와 같이 말하는 한국인 목사는 많아, 한국이 크리스트교를 수용한 이유의 제일을 거기에 요구하는 논자도 적지 않다.이러한 생각은, 벌써 한국의 초기 크리스트교에 있었지만, 전후에 반일 민족주의와 결합되어, 보다 강고한 것이 되고 갔다.

 전후 한국은, 「일본 제국주의의 지배」에 의해서, 우리는 무실인데 나라를 빼앗기고 국토를 빼앗기고 부를 빼앗기고 말을 빼앗기고 문화를 빼앗겨 가혹한 탐`e압하에서 고난의 역사를 보 뛰어날 수 있었다고 하는, 반일 민족주의를 국시로서 출발했다.그러한「무실의 백성」가 입은「고난의 역사」, 그「자랑의 회복」라고 하는 (곳)중에, 반일 민족주의와 크리스트교가 일치해 나간다.크리스트교 청교주의와도 통하는 (곳)중에 있다.

 욕망・희망・소망이라고 한 것이 통과하지 않고 저지되어 이것이 억압되는 것으로 만들어지는「마음의 응결」라는 것이 있다.정서적인 색조를 강하지도 개일이 특징으로, 정신의학에서는 이것을 컴플렉스(관념 복합체)라고 부르고 있다.한국인이 옛부터 말하는「한이 굳어지는」란, 현대에 말하면 컴플렉스로서의「마음의 응결」가 만들어지는 것과 다름 없을 것이다.

 한국의 정신의학자이・나미씨는, 저서「한국 사회와 그 적들」 속에서, 한국인은「물질, 허식, 교육, 집단, 불신, 세대, 화내, 폭력, 고독, 가족, 중독, 약한 자아」에 걸치는 12 종류의 컴플렉스의 덩어리라고 하고 있다.그리고, 이 컴플렉스의 덩어리가, 현대 한국 사회에 현저하게 볼 수 있는 다양한 병리 현상의 형태 `에인을 이루는 것이라고 판단한다.

자신을 무죄로 할 책임 회피

 한이 많은 사람이 그대로 한을 안아 계속해 가면, 일종의 분노 증후군인 화병에까지 도달하는 것이 적지 않다.「분노나 분함을 온전히 발산할 수 없어서, 무리하게에 참을 때에 화병에 걸리는」의이지만, 많은 사람은 거기까지 참는 일 없이, 사방으로 분노를 폭발시켜 가게 된다.한국인이 자주 격렬해지기 쉽다고 하는 이유도 거기에 있다.

 어쨌든, 왜 한국인은 일방적으로 스스로를 순화해, 무실의 사람으로서 자기책임을 회피해, 한을 안아 살려고 하는 것일까.미국의 정신의학자 로로・메이의「유사 이노센스」론은, 이 의문에 명쾌한 대답을 주고 있다고 생각한다.

 이노센스(innocence)란, 「무죄・무실, 무해의・악의가 없는, 순수・천진난만」 등을 의미하는 말이다.이노센스 그 자체를 살아 있는 것이 아이이지만, 어른이 되어도 이노센스의 외관을 가지고 살아 있는 사람이 있다.즉 자신을 의사적으로 이노센스로 가장한다.이것이 로로・메이가 말하는 유사 이노센스(Pseudo-innocence)이다.마음 중의 이 노센스가 아니고, 밖에서 보았을 때만의 이노센스이다.

 로로・메이는「그것은 결코 너무 커질리 가 없는 어린이다움이나 어떤 종류의 과거에의 고착으로부터 완성되어 있다.그것은, 천진난만이라고 하는 것보다 오히려 유치하다」로서 다음과 같이 말한다.

 「이것은 신경증으로 보여지는 이노센스와 평행 관계에 있다.이 이노센스는, 결코 살아 남아 올 수 있는 것이 아니고, 유아대로 고착해 버리는 이노센스로, 단지 적대적이고 차가운 혹은 지배적인 부모에 대해서 몸을 지킬 만한 위해(때문에), 그 유아성에 매달리는 것인」(오노 야스시박역「우리 안 되는 폭력」)

 왜 세상의 거센 파도를 살아 남으려고 하지 않고 유아성에 매달리는 것인가.그것은 외부의 권력으로부터 스스로를 지키는 방어를 위해로, 유사 이노센스는「외적인 힘의 형태라든지 혹은 지위 및 위신이라고 한 내적인 힘의 형태를 포함한, 권력의 현실에 직면해야 할 때의 방어벽」( 동서) 인 것인다.

 여기는 많은 일본인에게는 용이하게 이해할 수 없는 곳일지도 모르지만, 한국 사회로 태어나 어른이 된 나에게는 매우 잘 안다.한국의 사회에는, 지위나 위신등을 포함한 권력 의 정말로 부조리인 기능이, 배기가스와 같이 충만하고 있기 때문이다.아이로부터 하면, 어른이 되는 것은 부조리인 인간이 되는 것에 동일하면조차 생각되어 온다.

 유사 이노센스는「자신을 무죄로 할 책임 회피」로 크게 특징지워진다.한국의 여객선 세워르호침몰 사고의 희생자를 추도 하는 포스트성적매력・보드에, 청소년등에 의한 무수한 메모가 붙여 나왔다.신문보도 된 것 매운 구두인가 주워 본다.

 「언니, 그리고 형님, 더이상 두 번 다시 이런 나라에서 태어나지 말아 주세요」「안녕히 가세요.형님이, 반드시 나쁜 어른들과 끝까지 싸우고, 두 번 다시 이런 슬픔이 없게 하기 때문에」「차가운 바다 속에 무서움으로 새파랗게 되어 운 우리의 후배를 생각하세요.이런 권력에 귀를 막고 눈을 철하는 사람들이라면, 정말로 싫다」「도덕을 배우는 이유는 무엇입니까? 어떨까 어른들은 비도덕적으로 살지 말아 주세요.꽃과 같이 아름다운 우리의 생명을 안전하게해 주었으면 한」「서로 이익만 생각하는 사회다.어른들의 욕망을 위해서 언니 형님의 생명이 하루에 사라진」(한겨레 일본어 전자판 2014년 4 월 25일)

 한국 각지의 포스트성적매력・보드는, 이러한 국가, 권력, 사회, 어른의 죄・책임을 묻는 아이들의 비통한 소리로 가득 차 흘러넘치고 있었다.

 사회의 제도・질서・관습을 받아 들여 가는 것으로, 아이는 이노센스를 벗어나 어른이 된다.어른으로서의 자각과 책임을 져 살아가려고 한다.이것이 정직한 사회로의 본연의 자세다.그러나 한국과 같은 부조리가 대기업진빌려 통과하는 사회에서는, 어른이 되고 싶지 않은 아이들을 많이 낳게 된다.

 「유아대로 고착해 버리는 이노센스」를 가지고, 「꽃과 같이 아름다운 자신, 책임이 없는 자신, 무죄인 자신」를 지키려고 한다.이렇게 해 유사 이노센스로 스스로를 가장하는 어른이 되어 간다.

 그러한 사람들은, 인간이라면 누구나가 내부에 안고 있는 부도덕성이라든지 반질서성이라고 한 파괴적인 힘을, 자신 속에는 인정하려고 하지 않는다.그리고, 스스로를 결벽하고 무죄이다고 하는 한편으로, 다른 사람에 대해서는 도덕적인 완전성을 요구해 강하게 비판한다.

 이 태도가 로로・메이가 말하는 유사 이노센스이다.그리고 로로・메이가 말하도록(듯이), 자기 내부의 파괴적인 힘이 억압되면, 지극히 폭력적인 형태로 분출하는 것이다.

 「책임 회피의 방어물로서의 이노센스는, 또 성장을 방해하는 방어물이다.이러한 이노센스는, 우리의 새로운 인식을 방해해 인류의 고뇌와 함께 기쁨을 우리 일로서 느껴 취하는 것을 할 수 없게 해 버린다.이 고뇌와 기쁨은, 의사적인 이노센스의 인간에게는 닫히고 있는 것인」( 동서)

 많은 한을 안게 하고 있는 것이 의사 이노센스이다.한은 김・젼우씨가 말하도록(듯이)「약해서 선 되는 인간이 강한 인간에게 느끼는 열등 의식, 갈등으로서 보이는」면을 가지는 것은 확실하지만, 그 주체는 자신을「무죄, 무책임, 순수」와 가장하는 유사 이노센스에 있다.자신에게는 책임이 없으니까, 자신에게 체 걸리는 불똥은 모두 다른 사람에 의하는 것이다.이러한「타인의 탓」에의 원한이 한으로서 모으는 것 이다.


망상에 의한 우상에의 숭배를 선거 투표와 교환에 강매 하는 모습은 우스꽝스럽습니다들 있다=미 그렌데이르

 의사 이노센스에서는, 자신을 이노센스와 가장하는 것이, 자신이 살기 위한 전략으로서 이용된다.민족 레벨로 말하면, 한국이 무죄인 것이, 한국이(민족의 자랑을 잃는 일 없이) 살기 위한 전략으로서 이용된다.거기서 일본은 한국에 있어서, 어디까지나 유죄가 아니면 안 되는, 책임이 추궁받지 않으면 안 되는, 이 세상에 없어서는 안되는 대상인 것이다.

 그들의 관심은, 자신(한국)이 선이며 도덕적으로 올바르다고 하는 성스러운 이미지를 유지하는 것에 향할 수 있다.다른 사람(일본)이 자신의 순수함에 얼마나 응해 주는지를 기대해, 자기 자신의 더러움이 없는 이노센스를 계속 재확인하려고 하는 것이다.

한국인과 인격장애


 외부의 권력으로부터 자신을 지키는 방어로서 이노센스로 스스로를 가장한다.그 치장이 강고하면 있는 만큼, 대인관계에 다양한 장해가 생겨 오는 것은 의심할 여지가 없다.

 10년 정도 전의 일이지만, 한국의 신문에서「스무살의 남성의 45%가 대인관계 장해의 가능성」라고 하는 기사를 읽었다.한국의 연구팀에 의한 인격장애의 조사이지만, 「이 수치는, 미국이나 유럽 등 선진국의 평균 11 ~18%에 비해, 2・5~4배에 이르는」라고 한다(동아일보 일본어 전자판 2003년 2월 10일).

 기사에는「이번 연구 결과는 국내 학술잡지『정신병리』와 미국의 학술잡지『정신의학과 임상 신경 과학』에 게재될 예정」와 있었기 때문에, 학술적인 연구인 것은 틀림없다.

 인격장애(퍼스널러티 장해)와는 통상, 「치우친 생각이나 행동 패턴 때문에, 가정 생활이나 사회 생활, 직업 생활에 지장을 초래한 상태」로 되어 있다.관계하는 서적(오카다존사저「퍼스널러티 장해를 알 수 있는 책―『장해』를『개성 』에 바꾸기 위해서」)를 몇권인가 읽어 깊게 생각하게 된 것은, 그 치우치는 방법이 한국인 일반적으로 볼 수 있는 정신적인 경향 영원째라고 아주 비슷하는 것이었다.

 그것들 서적으로부터 나 나름대로 정리해 본 곳은, 인격장애의 사람에게는 다음과 같은 성격의 편향을 강하게 볼 수 있다.(1) 선악, 흑백, 적아군 등, 중간이 없는 양극단의 생각에 빠지기 쉽다.(2)「 나와 당신」(자신과 다른 사람)의 구별이 애매하고 자신 본위.(3) 용이하게 타인을 믿을 수 없다.(4) 자신은 이상적・완벽하다고 하는 생각과 자신은 열등하고 가치가 없다고 하는 생각이 동거하고 있다.(5) 사물을 받아 들이는 마음이 약하고 좁고, 처리할 수 없게 되면 폭발적인 행동을 일으키기 쉽다.

 머지않아에 대해서도, 한국인의 정신적인 특징과 매우 자주(잘) 합치하고 있으면 생각지도 않게 들어가지지 않다.유사 이노센스가 그렇듯이, 생각이 극단적인의로, 넓은 시야를 가지고 사물을 판단할 수 없다.자기 본위로 자신을 절대시 하기 쉽기 때문에, 자신이 좋다(올바르다)라고 생각하는 것은 타인도 그렇다고 믿어 버린다, 무엇인가 맛이 없는 사태가 일어나도 스스로는 없게 타인에게 문제가 있다고 생각한다, 라고 했던 것이 생기기 쉽다.

/`@타인이 믿을 수 없기 때문에, 표면적 밖에 친한 행동을 하지 못하고, 정말로 타인에게 방심할 수 없다.프라이드가 높기 때문에, 자신 과잉이라고도 보이지만, 실제로는 자신이 없게 열등감에 시달리고 있다.받아 들이는 힘이 약하기 때문에, 곧바로 감정적이 되어, 냉정하게 사물에 대처하는 것이 어려워진다.

있는 그대로의 자신을 사랑하는 것

 인격장애는 자기애의 장해, 즉「있는 그대로의 자신을 사랑하는 것」를 할 수 없는 장해라고 한다.자기애가 다치거나 손상되거나 하고 있기 위해서 일어나는 것으로, 어린 자기애에 지배되고 있는 일종의 유아성이라고도 보여지고 있다.

 「있는 그대로의 자신을 사랑하는 것」가 할 수 없으면 자신이 싫어진다.인포함 사안으로부터, 끌어 가득차에도 되기 쉽상이다.그러나, 그러한 싫은 자신에게 인내가 안되어, 반대로「자기애」를 과잉에 부풀어 오르게 해 가는 사람이 있다.이 타입의 사람이 빠지는 인격장애가 자기애성 인격장애라고 하는 것이다.

 자기애성 인격장애(Narcissistic PersonalityDisorder)란, 있는 그대로의 자신을 사랑하지 못하고, 자신은 우수해 훌륭하고 특별하고 위대한 존재가 아니면 안된다고 믿어 버리는 인격장애의 동류형이다(미 정신의학계「정신 장해의 진단과 통계 메뉴얼」).부모님・가족이 사회와 같이 「있는 그대로의 자신을 사랑해 주는」체험이 부족하기 때문에, 「있는 그대로의 자신을 사랑하는 것」가 하지 못하고, 자기애성 인격장애에 걸리기 쉽다고 생각되고 있다.

 몇종류도 있는 인격장애중에서도, 자기애성 인격장애의 병상은 특히, 한민족의 성격적인 특징을 그대로 극단화한 것일까의 같다.이하가 진단 기준이 되고 있다.

【진단 기준】과대성(공상 또는 행동에 있어서의), 칭찬되고 싶은 욕구, 공감의 결여의 광범위한 양식에서, 성인기 조기까지 시작되어, 여러 가지의 상황으로 밝혀진다.이하중 다섯 개(또는 그 이상)에 의해서 나타난다.

 (한) 자기의 중요성에 관한 과대한 감각(예:실적이나 재능을 과장하는, 충분한 실적이 없음에도 불구하고 우수하다고 인정되는 것을 기대)(2) 한없는 성공, 권력, 재기, 아름다움, 혹은 이상적인 사랑의 공상에 사로 잡히고 있다.(3 ) 자신이〝특별〟여, 독특하고, 다른 특별한 또는 지위의 비싼 사람들에게(또는 시설에서) 밖에 이해되지 않는, 또는 관계가 있어야 한다, 라고 믿고 있다.(4) 과잉인 칭찬을 요구한다.(5) 특권의식, 즉, 특별 유리한 처리해, 또는 자신의 기대에 자동적으로 따르는 것을 이유 없게 기대한다.(6) 대인관계로 상대를 부당하게 이용한다, 즉, 자기 자신의 목적을 달성하기 위해서 타인을 이용한다.(7) 공감성의 결여:타인의 기분 및 욕구를 인식하려고 하지 않는, 또는 거기에 눈치채려고 하지 않는다.(8) 자주 타인에게 질투한다, 또는 타인이 자신에게 질투하고 있다고 믿어 버린다.(9) 거만하고 오만한 행동, 태도 (타카하시 사부로・오노 유타카・소메야 토시유키역「DSM‐IV‐TR정신 질환의 진단・통계 메뉴얼 신개정판」).

 자신을 이노센스로 가장해, 어느덧 그것이 진짜 자신이라고 믿어 버려 가는 먼저, 이러한 병리적인 심리적 현상이 나오는 것처럼 생각된다.인격장애에 관련하는 정신의학・심리학의 서적이 기록하는 곳(중)을 나 나름대로 정리・해석해 보면, 자기애성 인격장애의 사람의 대인관계에는 다음과 같은 특징을 볼 수 있다.

 ▽「있는 그대로의 자신을 사랑하는 것」가 할 수 없기 때문에, 우월적인 존재라고 하는 스스로 만든 환상의 자신을 사랑 그렇다고 한다.▽자기보다 뛰어난 것을 인정하고 싶지 않기 때문에, 타인이 뛰어난 능력이나 재능을 무시한다.▽타인을 업신여겨・경멸・모욕하는 것이 쾌감이 된다.▽자신의 우월 환상이 좀처럼 나타내 보일 수 없다고 되면, 지난 것이든지 타인의 결점・난점을 찾아내고는버릇을 붙여 간다.▽사람을 바보 취급하고 있으므로, 자신도 언제 바보로 될지 모르면 의심 암귀가 된다.▽닫혀진 자기 환상으로부터 나오려고 하지 않고, 타인에게 마음을 여는 것이 없어진다.

 한국인이 자주 나타내 보이는 자민족우월 주의, 반일 민족주의, 반일 행위에는, 이러한 심리적경향과의 동질성을 강하게 느끼게 할 수 있다.

반일이 상궤를 벗어난다고 생각되는 근거

 많은 한국인이 나타내 보이는 반일 행위가「상궤를 벗어나고 있는」와 느껴지는 것은, 지금까지 봐 온 것처럼, 화병에 나타나는 복합적인 화내 증후, 인격장애에 나타나는 각종의 성격적인 편향 영원째라고 근사 하고 있기 때문이다.그러나 그들은 병자인 것은 아니다.그들은, 다른 사람에게 의존하거나 다른 사람이나 사회를 공격하는 것에 의해서, 화병이나 인격장애에 빠지는 것을 회피하고 있는「대상적 의사 정상인」인 것인다.

 자신에게는 죄가 없는데(이노센스), 뭐이기 때문에 자신은 이만큼의 고생을 세오이원 되는지, 컴플렉스(한)가 마음의 응결로서 굳어져 간다.이것이 심해지면 화병에까지 도달한다.외부의 권력으로부터 스스로를 지키려고 하는 유사 이노센스가, 있는 그대로의 스스로는 없고 과대하게 퓨어-환상적 자신을 사랑하도록(듯이) 되어 간다.그것이 심해지면 인격장애에까지 도달한다. 한국인의 반일 행위가「상궤를 벗어나고 있는」와 느껴지는 근거는, 화병이나 인격장애와 근사 하는 심성을 내부에 안은「대상적 의사 정상인」가, 한국 사회에 다수 만들어지고 있는 것에 있는 것은 아닌가.거기에는, 유교 ・주자학에 특유인 결벽 주의, 엄정 주의를 존중하는, 전통적인 제도 문화가, 제개인에 대한 외부의 권력으로서 강하게 작용하고 있다고 생각한다.

 유교적인 제도 문화에 덮인 사회에서는, 제도 규범으로서의 절대적인 권선 징악(선을 권유악을 벌준다)이 사람들의 마음의 내면을 압박한다.그곳에서는, 사람들은 자신의 표면을 권선 징악의 자세로 성장해 살 수 밖에 없어져 간다. 그러나 현실은 정말로 부조리인 것으로 해 있다.유사 이노센스가 비집고 들어가는 여지가 거기에 있다.굳어져 가는 컴플렉스=한을 계속 안아 「아리랑」의 노래와 같이 그것이 풀려 가는 먼저 희망도 묻는다고 한다.현실에는 다른 사람 으뜸응 나오고 속세에서 성공하는 것이 한결같게 목표로 해져 간다.

 한반도의 전통적인 사회에서는, 그러한 사람들의 한을 용수철로 하는 상승 지향이 사회를 활성화 시키는 원동력이 되고 있었다.자주(잘)도 나쁘지도, 배타적인 자기애와 자기 번영의 에너지가, 자신의 일족이나 자신이 소속하는 소집단의 번영으로 한결같게 향할 수 있어 왔다.

 이러한「집단 이기주의」의 사회가 근본적인 해체를 거치지 않고 해 근대에 돌입했다.일본 통치하에서의 근대화 추진으로 해체에의 길이 붙여졌다고는 해도, 전후는 그 전`케를 차단해, 반일을 번영에의 에너지로 하는 국책이 뿌리를 내렸다.「집단 이기주의」의 민족 규모로의 강화가 추진되었던 것이다.

◇본고는, 졸저『「반일 한국」의 자괴가 시작된』(오공출판)「제5장」전반을 요점 중심으로 압축해, 새로운 관점을 더해 고쳐 썼다. ※별책 정론 23호「총복습『한일합방 』」 (니코 무크)보다 전재 관련 기사 ■ 오선화「반일」라고 하는「바보의 벽」로부터의 탈출 ■ 세계의 사람들이 끌리는「일본의 마음 」■ 「반일」와「정서」가 지배하는 액사계비민주국가 ■ 무엇이든지 있어 환상의 세계에 살아 있는 한국 국민

http://ironna.jp/article/1348

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『한국인=나치스 』


=

( ´・∀・) b

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자기애성 인격장애

(한)자기의 중요성에 관한 과대한 감각(예:실적이나 재능을 과장하는, 충분한 실적이 없음에도 불구하고 우수하다고 인정되는 것을 기대)
(2)한없는 성공, 권력, 재기, 아름다움, 혹은 이상적인 사랑의 공상에 사로 잡히고 있다.
(3)자신이〝특별〟여, 독특하고, 다른 특별한 또는 지위의 비싼 사람들에게(또는 시설에서) 밖에 이해되지 않는, 또는 관계가 있어야 한다, 라고 믿고 있다.
(4)과잉인 칭찬을 요구한다.
(5)특권의식, 즉, 특별 유리한 처리해, 또는 자신의 기대에 자동적으로 따르는 것을 이유 없게 기대한다.
(6)대인관계로 상대를 부당하게 이용한다, 즉, 자기 자신의 목적을 달성하기 위해서 타인을 이용한다.
(7)공감성의 결여:타인의 기분 및 욕구를 인식하려고 하지 않는, 또는 거기에 눈치채려고 하지 않는다.
(8)자주 타인에게 질투한다, 또는 타인이 자신에게 질투하고 있다고 믿어 버린다.
(9)거만하고 오만한 행동, 태도

그러나 또, 깜짝 놀라는 만큼 만송곳 극소 다르지 않고 한국인이다.
( ´・д・) b

~ 이상 ~

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(덤)


한국「비일」와는 대등한 관계도 우호도 없다


간산유(그래픽 디자이너)


 이전에도 채택한 것이 있는 연재 기사, 「조읽기 심독 한반도」는, 꽤 흥미로운 한국 분석을 하고 있다.다소, 필자의 바이어스가 걸려 있다고 해도, 비교적 적확한 내용이라고 생각한다.

 많은 미디어에서는, 한국의 자세를「반일」라고 표현하고 있지만, 이 기사에서는「비일」라는 말을 사용하고 있다.「반일」라고 하면, 단지 일본을 적대시하고 있도록(듯이)도 받아 들이지만, 그 동기나 배경을 알면「비일」라는 말이 적절하다고 생각되어 온다.

 자세한 것은 링크처의 기사를 읽었으면 좋지만, 한국에 있어서는, 서 위치가 일본에서(보다) 아래나 위인가가, 무엇보다도 중요하다라고 한다.

 연재 기사의 최신호에서는 ……


한국인의「자조」가 낳은「비일 」:일경 비즈니스 온라인

    ——전회는「숭일」의 시대가 있어, 그것이「반일」의 폭발을 억제하고 있었다는 이야기였습니다.

    령치:나의 서울 재근 시대, 아직「엽전」(요프톨)라고 하는 단어가 사용되고 있었습니다.자조, 비하의 말로「구습에 매달려 몰락한 한국인」라고 하는 정도의 의미였습니다.

     원래는 조선아침의 동화를 가리키는 단어였다고 합니다.그것이「일본이 지폐를 반입했는데, 낡게 사용하기 어려운 동화에 매달린 한국인」라고 하는 의미로 변해 또 근대화에 실패한 결과, 일본의 식민지에 전락한 스스로를 조소하는 말에 사용되게 된――라고 (들)물었습니다.

    일본어에는 거기에 상당하는, 자조의 단어는 눈에 띄지 않습니다.19 세기말, 근대화에 놓쳤던 것에 한국인이 얼마나 분한 마음을 하고 있을까를 잘 나타내 보이는 이야기라고 생각합니다.그리고 이 분함이 기묘한“숭일 사상”를 낳았습니다.

    (중략)

    ——「비일」의 동기와 구조를 잘 알았습니다.마지막 질문입니다.한국인은 왜, 「비일」를 세계에서 펼치겠지요.하네다행모노레일안에서와 같이, 한국인끼리로 서로 말하면 충분한 생각도 듭니다만.

    령치:좋은 질문입니다.거기가 포인트입니다.대답은, 한국인이 아직, 일본을 업신여길 정도의 자신을 사실은 가지고 있지 않기 때문입니다.

    세계의 사람들이「한국이 일본에서(보다) 위다」와 분명히 말해 줄 때까지, 한국인은 그 확신을 가질 수 없습니다.결국, 위안부상은 세계에서 세울 수 있는 계속하겠지요.



 긴 기사이므로, 최초와 마지막 인용인 만큼.
 야 하는에, 한국은 스스로가「위」로, 일본은「아래」라고, 상하 관계를 확립하고 싶겠지.그 근저에는 유교의 가르침이 있다고 한다.
 당연하고, 한국발의 기사에서는, 여러가지로 일본과 비교하는 것이 많은 것이다.하나 하나 일본과 비교하지 않아도 괜찮을 텐데……라고 생각하는 것은 적지 않다.
 한국은 중국을 거역할 수 없는 종주국이라고도 생각하는 한편으로, 경제발전을 이룬 현재, 국민 감정적으로는 중국을「아래」라고 생각하는 것 같다.그 역사적 배경은, 청일 전쟁(1894년) 이전의 시대까지 거슬러 올라간다고 한다.

▼관련 기사

마침내「속국으로 돌아와라」와 한국에 명한 중국:일경 비즈니스 온라인

   중국의 역대 왕조는 1895년에 청일 전쟁에서 질 때까지, 한반도의 왕조를 책봉 체제에 짜넣고 있었습니다.오랫동안, 중국인에게 있어서 조선은 속국, 한국인에 있어서 중국은 종주국이었습니다.


 일본이 식민지 지배한 것은 1000년 원망하면 좋은 개개도, 아직 1000년 지나지 않은 중국(한 때의 청)에 의한 책봉 체제는 문제삼지 않는 것 같다.
 한국의 집요한까지의 사죄 요구는, 스스로가「위」인 것을, 내외에 과시하고 싶다고 하는 욕구(소망)일 것이다.지금까지도 종종 사죄는 하고 있고, 배상(혹은 상당하는 보상이나 원조) 만약이라고 있지만, 그러면 욕구(소망)에 알맞는 결과를 얻지 못하고 있다고 생각하고 있다고 생각된다.특히, 국제적인 평가에서는, 한국이 바라보는 상하 관계는 확립되어 있지 않다.그러나, 그 손법에서는 국제적인 평가・평판은 오르지 않는 것에, 당사자들은 깨닫지 않는 것 같다.
 한국의 컴플렉스는, 상당히 뿌리가 깊다.

 일본인의 대다수는, 일본이 한국에서(보다)「위」라든지「아래」라든가 하는 견해는 하고 있지 않다고 생각한다.혐한의 사람들은, 업신여기고 있을지도 모르지만, 좋아하는가 싫은가라고 하는 것은, 상하 관계의 문제는 아니고/`A기호의 문제다.싫게 되는 것은 거절이며, 상하 관계를 확정하는 것은 아닐 것이다.
 「비일」가 요구하고 있는 것은, 일본을 업신여기는 것, 굴복 시키는 것이다.거기에 대등한 관계는 없고, 우호도 없다.
 그런 나라와 어떻게 교제하면 좋은 것인지?



 곧 전후 70년 담화가 발표되지만, 거기에 어떤 문언이 쓰여져 있든지, 한국이 납득하는 것은 있을 수 없다.
 인가의 나라가 취해야 할 행동은, 끝 없게 일본을 두드리는 것이기 때문이다.반일 혹은 비일을 그만두는 것은, 그들의 아이덴티티를 버린 것이라도 있다.그런 일을 할 수 있을 리가 없다.

 나는 혐한은 아니기는 하지만, 일까하고 말해 친한국도 아니다.어느 쪽인가 하면, 별로 관련되고 싶지 않은 나라라고 하는 감각.일본을 가상 적국과 같이 취급하는 나라에 대해서, 무리해 교제하지 않아도 괜찮지?

 거리를 두어 교제하는 상대……라고 하는 것으로, 「리한」로 좋다고 생각한다.

 축구의 시합으로 한국과 대전하면, 이상하게 적의 노출인데는 질린다.동아시아 컵에서, 일본은 패배에 동일한 무승부였지만, 한국은 강했어요.그것은 인정한다.일본이 너무 약하지만.

 중국도 일본 상대라고, 꽤 하나하나에 싸우지만, 일축구에 관해서는, 미디어도 넷민도 냉정한 코멘트를 해.국가 제창으로의 관객의 야유하는 소리는 주실 수 없지만, 선수가 정치 문제를 반입하거나는 하고 있지 않다.거기는 사타 `b카에 대해서, 성실하고 정직하다고 생각한다.

 공산당 독재 정권으로, 언론 통제도 행해지고 있는데, 중국이 한국보다 밸런스를 잡히고 있는 것 같다.황당 무계인 항일 드라마를, 「바보같은」라고 혹평할 수 있는 감각은 있는 것 같고.한국에서는, 친일적인 발언은 비국민 취급이지요.그것이 정론이어도.


박대통령의 여동생「정론」작렬 말투 날카롭고 한국 비판 넷민 격노「일본에 이주해라 」:이자!

    한국에 의한 대일 사죄 요구에 대해서도, 「전두환(정・두판) 전 대통령이 방일했을 때, 수상보다 훨씬 중요한 천황(폐하)이 고개를 숙이고 있는데, 왜(일본의) 수상이 바뀔 때마다 사과하라고 말하는지」와 한국의 대응을 비판.「일본은 한국의 경제발전의 기본으로 되는 것을 많이 해 주었는데, 피해 의식만 안고 있고는 국익이 되지 않는」라고 발언했다.



 게다가, 「북동 아시아의 평화 실현을 위해서 일본은 친하게 교제하지 않으면 안 되는 이웃나라이며, 해방전의“친일”와 해방 후의“친일”에서는 개념이 다른」라고 강조했다.

 모두에 있고, 일본을 비판하지 않으면 안 되는 생각은, 이해하기 어렵다.

 중국과는 사이좋게 지낼 수 있다고 생각하지만, 한국은 무리 같다.
 「리한」로, 거리를 취하는 것이, 서로의 기 위해서가 아닐까 생각한다.

(이사야마 유타카의 작업실에서 전재)

http://ironna.jp/article/2240



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