ミリタリー

日米戦争は「人種戦争」だった

『歴史通』 2013年1月号
渡辺惣樹(日米近現代史研究家)



アジア人種への恐怖

 アジア人排斥連盟(the Asiatic Exclusion League)のカナダ・ブリティッシュ・コロンビア州支部が結成されたのは1907年のことです。メンバーの中心は労働組合員で、彼らの標的は国際貿易港バンクーバーに流れ込む支那人や日本人労働者でした。低賃金を厭わない支那や日本からやってきた「奴隷」労働者は、炭鉱や魚の缶詰工場あるいは港湾作業場に溢れていました。

 カナダにやってきたアジア人労働者は1907年だけでも1万1千に及んでいます。経営者層には重宝なアジアからの低賃金労働者は、白人の労働組合にとっては黄色い悪魔でした。彼らの恐怖が怒りに変わり爆発したのは1907年9月7日のことです。

「数千人の男たちがバンクーバーのダウンタウンにある市役所前に集まってきた。手に手に『カナダは白人の国(Keep Canada White)』、『カナダを黄色い人種から守れ(Stop the Yellow Peril)』と書いた横断幕を掲げ、鉱山王ダンズミュアの人形を焼いた。彼は支那人を積極的に雇っていた男だった」

「群集をアジっていた男が近くにあるチャイナタウンに向かえと叫んだ。そこにはリトルトーキョーもあった。群集は支那人や日本人の暮らす町で四時間にもわたって破壊行為の限りを尽くした。店の窓ガラスを割り商品を掠奪した」

「支那人たちは無抵抗であったが、日本人はこの暴徒に立ち向かった」(*1)

 日本が日露戦争に勝利したことで、白人種のアジア人種への恐れはカナダ西海岸だけの現象ではなくなりました。この日にはワシントン州アベルディーンで、東インドからやってきたヒンズー教徒と白人労働者が衝突しています。似たような人種間衝突はサンフランシスコ(5月20、21日)、オレゴン州ボーリング(10月31日)、ワシントン州エヴェレット(11月2日)、カリフォルニア州ライブオーク(1908年1月27日)と連続しています。北米太平洋岸は反オリエンタルの憎悪に満ちていたのです。

 ヨーロッパ諸国はアメリカと日本がもうすぐ戦争を始めると思っていました。余りの日本人排斥運動の過激さに、誇り高い民族の国日本が傍観するはずはないと考えたのです。

 セオドア・ルーズベルト大統領が、万一日本との戦争が現実のものになった場合を想定し、メトカーフ海軍長官らと戦略会議を開いたのは、1907年6月27日。この会議でアメリカ大西洋艦隊を日本に派遣し、アメリカ海軍力を日本に誇示することを決めています。

 10月には、日本との緊張関係を緩和するため、大統領はウィリアム・タフト陸軍長官を東京に派遣し、西園寺公望首相と会談させています。タフトの日本訪問は1905年に続いての訪問でした。アメリカは日本との衝突を回避する道を選択したのです。

 1907年から08年は、日米の衝突は避けられないのではないかと思われていた時期でした。しかし戦後に教育を受けた者はこの時代の緊迫感を知りません。日米の緊張関係を学ぶのは1924年の排日移民法からです。

 しかし日米の緊張はそのずっと以前から存在していたのでした。1907年当時、アメリカやカナダに移民した日本人は町を歩くことさえ怖かったに違いないし、日本は同胞がそうした扱いを受けることに我慢がならなかったのです。

 本書の著者カレイ・マックウィリアムスは、カリフォルニア州の特異な歴史と人種観を分析し、1900年には既に、日本とカリフォルニアの間に人種戦争が勃発していたことを論じています。

 太平洋がアジアとアメリカを分かつ障害物から、アジアとアメリカを繋ぐハイウェイとなったのは、太平洋汽船航路の開設(1867年)に続いて大陸横断鉄道が完成した1869年のことでした。爾来、カリフォルニアはアジア人やアジア文化と接する最前線となります。

 しかし、カリフォルニアの白人種は黄色いアジア人種を受け入れるほどには成熟していなかった。異種のビールスを拒否するように、カリフォルニアはアジア人の排斥を始めたのです。

 このカリフォルニアの人種偏見に、黒人隔離政策を墨守する南部諸州が加勢します。カリフォルニアでアジア人を平等に扱われたら、南部の黒人隔離政策に批判が及ぶのは避けられなかった。南部諸州にとってカリフォルニアにはアジア人を排斥し差別してもらわなければならなかったのです。

WASPを脅かした日本

 そこに東部のWASP(ホワイト・アングロサクソン・プロテスタント)も加わってきます。WASPはアメリカ建国以来の支配民族でしたが、移民の流入で少数派に転落する恐怖感にさいなまれていました。ロシアに勝利した黄色人種日本人はWASPの人種的優秀さを脅かす象徴でした。

 20世紀初頭のアメリカは、アジア人を受け入れるほどには成熟していなかったのです。マックウィリアムスはこの時代のアメリカを手厳しく自己批判しています。アメリカが人種偏見を止めない限りアメリカの将来は危ういと憂えるのです。

 本書ではその多くのページが、真珠湾攻撃後に実施されていた日本人強制収容政策の批判に費やされています。しかしこの書の真骨頂は、カリフォルニアの歴史的な特異性を分析し、そこから不可避的に発生した人種偏見形成過程の考察(第一章 カリフォルニアの特異性及び第二章 カリフォルニア州の対日戦争一九〇〇年から一九四一年)です。

 彼が本書を世に問うたのは、未だ日本との戦いが続いていた1944年のことです。読者は、この時期にこれほど日本人を好意的に、いやもっと正確に言えば公平な目で、分析する書物がアメリカ国内で出版されていることに驚きを覚えるに違いありません。

 もちろん日本との戦いの進行中に出版されているだけに、著者はその表現に苦心しています。随所に日本の為政者を、そして日本人気質を批判する記述がありますが、それは日本や日本人を批判しながら、実はアメリカ本国の政治家に対する批判でもあることには注意しておく必要があるでしょう。1944年においてはやはり指桑罵槐による権力者批判が必要だったのです。

 私たち日本人にとって、なぜあの戦争を戦わなければならなかったかを問い続ける作業はこれからも続くでしょう。あの時代をリードした政治家や軍人を批判するのはよい。しかし、私たち日本人同胞が、黄色い肌を忌み嫌う白人種の敵対の中で生きていた現実は忘れてはならないのです。

 日本人の私がその恐怖を語る書を記すことはもちろんできるでしょう。しかし、日本人差別、アジア人差別が続いているその渦中にあった同時代人マックウィリアムスの語りには遠く及びはしないでしょう。

 あの戦争以来、私たちの人種観は大きく変わりました。私はその変化の程度はアメリカにおいてこそ激しいものであったと信じています。多くの日本人は1861年から65年にかけて争われた南北戦争は奴隷解放の戦争であると教育されています。しかし当時の資料を丹念に読み解けば、南北戦争はけっして奴隷解放を目的としてはいないことがわかるのです。

 南部諸州の離脱はリンカーンが大統領就任前に始まっていました。リンカーンが大統領選挙に当選しただけで南部諸州は連邦からの離脱を決めています。実はリンカーンは奴隷解放宣言(1863年)で示された過激な奴隷解放など考えてはいませんでした。大統領就任前のリンカーンの言葉は、彼自身も白人の優位性を疑ってはいなかったことや、彼の進めるだろう奴隷解放の政策は極めて緩やかなものになることを示唆していました。リンカーンの奴隷解放宣言の本質は、南部連合を支援するイギリスとフランスに軍事介入の口実を作らせない高等な外交政策と考えるのがより適切なのです。

心にもない奴隷解放

 イギリスにもフランスにも、アメリカが二つに割れることを望んでいる勢力がありました。大国となるポテンシャルを持つアメリカが二つになって欲しかったのです。軍事介入し、停戦を実現し、南部連合を国として承認したかったのです。奴隷制度を忌み嫌う英仏内の知識人リーダー層を刺激して、英仏両国に、奴隷制度維持の南部連合に軍事的肩入れをさせないことがリンカーン大統領とその右腕であったソワード国務長官の戦略でした。アメリカの政治家の本音は、黒人は白人と同等などと考えるものではなかったのです。

 あの南北戦争は、保護貿易思想で国内産業を保護育成したい北部諸州と、イギリスとの自由貿易による利益を享受し続けたい南部諸州の関税政策を巡るいがみ合いがその根本原因であったことは、拙著『日米衝突の根源』(草思社)で詳述したからここでは語りません。心にもない奴隷解放を実施してしまったアメリカは、その後遺症に悩み続けるのです。

 南部諸州を支持した民主党は南北戦争の敗北で壊滅的打撃を受けるのですが、戦後は一貫してかつての白人優位を回復する政策を標榜してその勢力の回復を図ってきました。彼らの進める「強固なる南部政策(Solid South)」では黒人隔離政策は当たり前でした。19世紀末から20世紀初頭のアメリカでは、南部民主党の勢いが盛んになってきた時期でした。その民主党にとって、1900年前後に始まったカリフォルニア州をはじめとする太平洋岸諸州の反日本人運動は、勢力拡大の絶好のチャンスだったのです。

 19世紀後半のアメリカ知識人は概して日本に好意的でした。日本人は「アジアのヤンキー」であると本気で考え、日本の近代化を助けました。1901年にマッキンレー大統領の暗殺を受けて副大統領から大統領職についたセオドア・ルーズベルトはそうした知識人の一人でした。西海岸の日本人排斥の原因は日本人が帰化不可能人種であることだといち早く気づいたルーズベルトは、議会に日本人を帰化可能人種にすることを検討させました。しかしその提案は一蹴されてしまうのです。

 1904年の大統領選挙でルーズベルトは勝利します。しかし南部諸州ではすべて敗北したのです。黒人隔離政策を推し進める民主党は、少なくとも南部諸州では復権したのです。民主党の真の復権は1912年の大統領選挙で達成されました。当選したのは民主党のウッドロウ・ウィルソンでした。彼は劣勢であったカリフォリニアの票を得るために、日本人排斥を主張する労働組合のリーダー連中にその支援を約束したのでした。

 第一次大戦後の国際連盟設立にあたって、人種間の平等をその設立趣意に盛り込もうとする日本全権牧野伸顕の主張をウィルソンが一顧だにしなかったのは、彼の出身基盤である民主党の復権の歴史を顧みれば当然のことでした。

 マックウィリアムスは日本人分析の中で日本人は粗末な衣服をまとい、わずかな所持金でやってきたが「日本文化という所持品」を持っていたことも日本人への差別の原因になったと述べています。またいつでもまとまって行動し、必要に応じて日本領事館に駆け込む態度があったことを日本人の負の特性として描写しています。

 「彼らの文化が人々をあたかもモザイク画のようにしっかりと一体化したのだった。日本人移民にとっては仲間内の関係が極めて重要な意味を持っていた。彼らは家族そして共同体の価値観が個人のそれよりも重要と考えていた。伝統的な価値観に支えられた大きな擬似家族集団。カリフォルニアの地にあってはそれは特異な集団であった」

張本人は新聞メディア

 そのことは確かに日本人集団を目立たせてはいましたが、そうした特異性も反日本人のプロが騒ぐまでは、ほとんど気にもならなかったことだったのです。すべての民族はそれぞれ一風変わった習慣や文化を持っています。アイルランド人もイタリア人もユダヤ人も、その意味では日本人と同じように特異な集団であることに変わりはありませんでした。

 それにもかかわらずなぜ、日本人の特殊性だけが際立たせられることになったのか。マックウィリアムスは、反日本人勢力と結びついた新聞メディアがその張本人だとして厳しく断罪しています。

 「一九四三年三月二十三日付けの『ロサンゼルス・イグザミナー』紙は『太平洋を巡る戦いは東洋人種と西洋人種の戦いである。どちらが世界の支配者になるかの戦いなのである』と主張していた」

 カリフォルニアではメディアの世界でも反日本人の狂気が覆い尽くしていたのです。そんな病に侵された土地にあっては、日本人の一挙手一投足が嫌悪の対象に成り果てていったのです。 

マックウィリアムスの著作の後半は日本人強制収容の実態の描写に費やされています。その描写で日本人移民が被った悲しみは十分すぎるほど伝わってきます。その事実を知ることは確かに重要ではありますが、私には彼が歴史的分析を通じて明らかにしたアメリカの人種差別の真因にこそ、この著作の本当の意義があると感じています。

 マックウィリアムスが指摘する「カリフォルニアの対日戦争」は、もうひとつ重要な視点を提供してくれます。それは石油に象徴される日本のエネルギー供給元がカリフォルニアであったという事実と重ね合わせることでより明確になります。

 1920年代にもロサンゼルス周辺に続々と大型油田が発見されていました。ハンティントン・ビーチ油田(1920年)、サンタフェ・スプリング油田(1920年)、シグナルヒル油田(1921年)。そして日本は次第にカリフォルニア産の石油に依存していくことになります。日本の石油の9割がアメリカからの輸入となり、その8割近くはカリフォルニアに産する石油だったのです。

 反日本人のメッカである「カルフォルニア共和国」にエネルギーを極端なほどに依存していた戦前の日本人の恐怖を、私たちは忘れてならないでしょう。アメリカへのエネルギー依存度を何とかして下げたいと考えるのは、日本の安全保障を担う者にとっては当然の責務でした。

 それにしても、アメリカは黒人差別に象徴される人種差別の呪縛からあの戦争を経ずして解放され得たのだろうかとつくづく思います。アメリカの最近の歴史研究では、なぜ日本は負けることがわかり切った戦争を決意したのかについての真摯な議論が出てきています。そうした研究では、日本の軍国主義化がその原因などとするような黴の生えた議論はありません。なぜ日本をそこまで追い込んだのかを自省的に分析する研究が増えているのです。人種差別問題もエネルギー問題もそうした研究に重要な材料を提供しています。

 いつかそうした最新の研究を紹介することができたらとも考えています。

*1:Anti-Asian riot in Vancouver : 1907
URL:http://marcialalonde.weebly.com/uploads/9/3/8/2/9382401/anti-asian_riots.pdf

わたなべ・そうき 1954年、静岡県生まれ。77年東京大学経済学部卒業。日米近現代史研究家。米国・カナダで30年にわたりビジネスに従事。カナダ・バンクーバー在住。著書に『日本開国』『日米衝突の根源1858-1908』『TPP知財戦争の始まり』、訳書に『日本1852』『日米開戦の人種的側面 アメリカの反省1944』(以上、草思社)などがある。


일·미 전쟁은 「인종 전쟁」이었던

일·미 전쟁은「인종 전쟁」였다

『역사통』 2013년 1월호
와타나베총수(일·미 근현대사 연구가)



아시아인종에의 공포

 아시아인 배척 연맹(the Asiatic Exclusion League)의 캐나다・브리티쉬・콜롬비아주 지부가 결성된 것은 1907년의 일입니다.멤버의 중심은 노동조합원으로, 그들의 표적은 국제 무역항 밴쿠버에 흘러드는 시나인이나 일본인 노동자였습니다.저임금을 싫어하지 않는 시나나 일본에서 온「노예」노동자는, 탄광이나 물고기의 통조림 공장 혹은 항만 작업장에 흘러넘치고 있었습니다.

 캐나다에 온 아시아인 노동자는 1907년에만 1만 1천에 이르고 있습니다.경영자층에는 아주 요긴한 아시아로부터의 저임금 노동자는, 백인의 노동조합에 있어서는 노란 악마였습니다.그들의 공포가 화내로 바뀌어 폭발한 것은 1907년 9월 7일의 일입니다.

「수천인의 남자들이 밴쿠버의 다운타운에 있는 시청 앞에 모여 왔다.손에 손에『캐나다는 백인의 나라(Keep CanadaWhite)』, 『캐나다를 노란 인종으로부터 지킬 수 있는(Stop the Yellow Peril)』라고 쓴 횡단막을 내걸어 광산왕단즈뮤아의 인형을 구웠다.그는 시나인을 적극적으로 고용하고 있던 남자였던 」

「군집을 전갱이는 있던 남자가 근처에 있는 차이나타운으로 향하라고 외쳤다.거기에는 리틀 도쿄도 있었다.군집은 시나인이나 일본인이 사는 마을에서 4시간에 걸쳐 파괴 행위의 한계를 다했다.가게의 유리창을 깨어 상품을 랭탈 한 」

「시나 사람들은 무저항이었지만, 일본인은 이 폭도로 향한 」(*1)

 일본이 러일 전쟁에 승리한 것으로, 백인종의 아시아인종에의 우려는 캐나다 서해안만의 현상은 아니게 되었습니다.이 날에는 워싱턴주 아벨 딘으로, 동인도로부터 온 힌두교도와 백인 노동자가 충돌하고 있습니다.비슷한 인종 사이 충돌은 샌프란시스코(5월 20, 21일), 오리건주 볼링(10월 31일), 워싱턴주 에베렛트(11월 2일), 캘리포니아주 라이브 오크(1908년 1월 27일)와 연속하고 있습니다.북미 태평양기슭은 반동양풍의 증오로 가득 차 있었습니다.

 유럽 제국은 미국과 일본이 곧 있으면 전쟁을 시작한다고 생각했습니다.넘치는 일본인 배척 운동의 과격함에, 자부심 강한 민족의 나라 일본이 방관할 리는 없다고 생각했습니다.

 세오도어・루즈벨트 대통령이, 만일 일본과의 전쟁이 현실의 것이 되었을 경우를 상정해, 메트카후 해군 장관등과 전략 회의를 연 것은, 1907년 6월 27일.이 회의에서 미국 대서양 함대를 일본에 파견해, 미국 해군력을 일본에 과시할 것을 결정하고 있습니다.

 10월에는, 일본과의 긴장 관계를 완화하기 위해(때문에), 대통령은 윌리엄・타후트 육군장 관을 도쿄에 파견해, 사이온지 긴모치 수상과 회담시키고 있습니다.타후트의 일본 방문은 1905년에 이은 방문이었습니다.미국은 일본과의 충돌을 회피하는 길을 선택했습니다.

 1907년부터 08년은, 일·미의 충돌은 피할 수 없는 것이 아닐까 생각되고 있었던 시기였습니다.그러나 전후에 교육을 받은 사람은 이 시대의 긴박감을 모릅니다.일·미의 긴장 관계를 배우는 것은 1924년의 배일 이민법으로부터입니다.

 그러나 일·미의 긴장은 그 훨씬 이전부터 존재하고 있었던 것입니다.1907년 당시 , 미국이나 캐나다에 이민한 일본인은 마을을 걷는 것 조차 무서웠을 것이 틀림없고, 일본은 동포가 그러한 취급을 받는 것에 인내가 안 되었습니다.

 본서의 저자 가자미・맥 윌리암스는, 캘리포니아주의 특이한 역사와 인종관을 분석해, 1900년에는 이미, 일본과 캘리포니아의 사이에 인종 전쟁이 발발하고 있던 것을 논하고 있습니다.

 태평양이 아시아와 미국을 나누는 장애물로부터, 아시아와 미국을 연결하는 하이웨이가 된 것은, 태평양 기선 항로의 개설(1867년)에 이어 대륙횡단철도가 완성한 1869년의 일로 했다.그 이후, 캘리포니아는 아시아인이나 아시아 문화와 접하는 최전선이 됩니다.

 그러나, 캘리포니아의 백인종은 노란 아시아인종을 받아 들일 정도로는 성숙하지 않았다.이종의 바이러스를 거부하도록(듯이), 캘리포니아는 아시아인의 배척을 시작했습니다.

 이 캘리포니아의 인종 편견에, 흑인 격리 정책을 묵수 하는 남부제주가 가세 합니다.캘리포니아에서 아시아인을 평등하게 다루어지면, 남부의 흑인 격리 정책에 비판이 미치는 것은 피할 수 없었다.남부제주에 있어서 캘리포니아에는 아시아인을 배척해 차별받지 않으면 안 되었습니다.

WASP를 위협한 일본

 거기에 동부의 WASP(화이트・앵글로 섹슨・Protestant)도 더해져 옵니다.WASP는 미국 건국 이래의 지배 민족이었지만, 이민의 유입으로 소수파에 전락하는 공포감에 괴롭혀지고 있었습니다.러시아에 승리한 황색 인종 일본인은 WASP의 인종적 우수함을 위협하는 상징이었습니다.

 20 세기 초두의 미국은, 아시아인을 받아 들일 정도로는 성숙하지 않았습니다.맥 윌리암스는 이 시대의 미국을 매우 엄하게 자기 비판하고 있습니다.미국이 인종 편견을 멈추지 않는 한 미국의 장래는 위험하면 걱정합니다.

 본서에서는 그 많은 페이지가, 진주만 공격 후에 실시되고 있던 일본인 강제 수용 정책의 비판에 소비되고 있습니다.그러나 이 책의 진면목은, 캘리포니아의 역사적인 특이성을 분석해, 거기로부터 불가피적으로 발생한 인종 편견 형성 과정의 고찰(제1장 캘리포니아의 특이성 및 제2장캘리포니아주의 대일 전쟁19〇〇해부터 1941년)입니다.

 그가 본서를 세상문노래의 것은, 아직도 일본과의 싸움이 계속 되고 있던 1944년의 일입니다.독자는, 이 시기에 이 정도 일본인을 호의적으로, 아니도 와 정확하게 말하면 공평한 눈으로, 분석서적이 미국내에서 출판되고 있는 것에 놀라움을 느낄 것임이 틀림 없습니다.

 물론 일본과의 싸움의 진행중에 출판되고 있는 만큼, 저자는 그 표현에 고심하고 있습니다.여기저기에 일본이기 때문에 정자를, 그리고 일본인 기질을 비판하는 기술이 있습니다만, 그것은 일본이나 일본인을 비판하면서, 실은 미국 본국의 정치가에 대한 비판이기도 한 것에는 주의해 둘 필요가 있겠지요.1944년에 있어 역시 지상매괴에 의한 권력자 비판이 필요였습니다.

 우리 일본인에 있어서, 왜 그 전쟁을 싸우지 않으면 안 되었는지를 계속 묻는 작업은 앞으로도 계속 되겠지요.그 시대를 리드한 정치가나 군인을 비판하는 것은 좋다.그러나, 우리 일본인 동포가, 노란 피부를 기피하는 백인종의 적대 중(안)에서 살아 있던 현실은 잊어서는 안됩니다.

 일본인의 내가 그 공포를 말하는 책을 적는 것은 물론 할 수 있겠지요.그러나, 일본인 차별, 아시아인 차별이 계속 되고 있는 그 와중에 있던 동시대인 맥 윌리암스의 이야기에는 멀고 및은 하지 않을 것입니다.

 그 전쟁 이래, 우리의 인종관은 크게 바뀌었습니다.나는 그 변화의 정도는 미국에 있어야만 격렬한 것인 (이)라고 믿고 있습니다.많은 일본인은 1861년부터 65년에 걸쳐 싸워진 남북 전쟁은 노예 해방의 전쟁이라고 교육되고 있습니다.그러나 당시의 자료를 열심히 읽어 풀면, 남북 전쟁은 결코 노예 해방을 목적으로 하지는 않은 것을 알 수 있습니다.

 남부제주의 이탈은 링컨이 대통령 취임전에 시작하고 있었습니다.링컨이 대통령 선거에 당선한 것만으로 남부제주는 연방으로부터의 이탈을 결정하고 있습니다.실은 링컨은 노예해방선언(1863년)으로 나타난 과격한 노예 해방같은 건 생각하고는 있지 않았습니다.대통령 취임전의 링컨의 말은, 그 자신도 백인의 우위성을 의심하지는 않았던 것이나, 그가 진행할 것이다 노예 해방의 정책은 지극히 완만한 것이 되는 것을 시사하고 있었습니다.링컨의 노예해방선언의 본질은, 남부 연합을 지원하는 영국과 프랑스에 군사 개입의 구실을 만들게 한 않는 고등인 외교 정책이라고 생각하는 것이보다 적절합니다.

마음에도 없는 노예 해방

 영국에도 프랑스에도, 미국이 두 개로 갈라지는 것을 바라고 있는 세력이 있었습니다.대국이 되는 포텐셜을 가지는 미국이 두 개가 되었으면 좋았습니다.군사 개입해, 정전을 실현해, 남부 연합을 나라로서 승인하고 싶었습니다.노예 제도를 기피하는 영불내의 지식인 리더층을 자극하고, 영불 양국에, 노예 제도 유지의 남부 연합에 군사적 가세를 시키지 않는 것이 링컨 대통령과 그 오른 팔인 소워드 국무장관의 전략이었습니다.미국의 정치가의 본심은, 흑인은 백인과 동등등이라고 생각하는 것은 아니었습니다.

 그 남북 전쟁은, 보호무역 사상으로 국내산업을 보호육성 하고 싶은 북부제주와 영국과의 자유 무역에 의한 이익을 계속 향수하고 싶은 남부제주의 관세정책을 둘러싼 으르렁거려 합겉껍데기 그 근본 원인인 것은, 졸저『일·미 충돌의 근원』(소우시사)로 상술했기 때문에 여기에서는 말하지 않습니다.마음에도 없는 노예 해방을 실시해 버린 미국은, 그 후유증에 계속 고민합니다.

 남부제주를 지지한 민주당은 남북 전쟁의 패배로 괴멸적 타격을 받습니다만, 전후는 일관해서 한 때의 백인 우위를 회복하는 정책을 표방해 그 세력의 회복을 도모해 왔습니다.그들의 진행하는「강고한 남부 정책(SolidSouth)」에서는 흑인 격리 정책은 당연했습니다.19 세기말에서 20 세기 초두의 미국에서는, 남부 민주당의 기세가 활발하게 되었던 시기였습니다.그 민주당에 있어서, 1900 년 전후에 시작한 캘리포니아주를 시작으로 하는 태평양안제주의 반일 본인 운동은, 세력 확대의 절호의 찬스였습니다.

 19 세기 후반의 미국 지식인은 대체로 일본에 호의적이었습니다.일본인은「아시아의 양키」이다고 진심으로 생각해 일본의 근대화를 도왔습니다.1901년에 맥킨레이 대통령의 암살을 받아 부통령으로부터 대통령직에 임한 세오도어・루즈벨트는 그러한 지식인의 한 사람으로 했다.서해안의 일본인 배척의 원인은 일본인이 귀화 불가능 인종인 것이라면 재빨리 눈치챈 루즈벨트는, 의회에 일본인을 귀화 가능 인종으로 하는 것을 검토시켰습니다.그러나 그 제안은 일축 되어 버립니다.

 1904년의 대통령 선거에서 루즈벨트는 승리합니다.그러나 남부제주에서는 모두 패배했습니다.흑인 격리 정책을 추진하는 민주당은, 적어도 남부제주에서는 복권했습니다.민주당의 진정한 복권은 1912년의 대통령 선거에서 달성되었습니다.당선한 것은 민주당의 웃드로우・위타 `울음였습니다.그는 열세함 카리포리니아의 표를 얻기 위해서, 일본인 배척을 주장하는 노동조합의 리더 무리에게 그 지원을 약속했던 것입니다.

 제1차 대전 후의 국제연맹 설립에 임하고, 인종 사이의 평등을 그 설립 취의에 포함시키려고 하는 일본 전권 마키노 노부아키의 주장을 윌슨이 일고다로 하지 않았던 것은, 그의 출신 기반인 민주당의 복권의 역사를 돌아보면 당연한 일이었습니다.

 맥 윌리암스는 일본인 분석 중(안)에서 일본인은 허술한 의복을 입어, 몇 안 되는 소지금으로 왔지만「일본 문화라고 하는 소지품」를 가지고 있던 것도 일본인에게의 차별의 원인이 되었다고 말하고 있습니다.또 언제라도 결정되어 행동해, 필요에 따라서 일본 영사관에 뛰어드는 태도가 있던 것을 일본인의 부의 특성으로서 묘사하고 있습니다.

 「그들의 문화가 사람들을 마치 모자이크화와 같이 제대로 일체화했던 것이었다.일본인 이민에 있어서는 동료들의 관계가 지극히 중요한 의미를 가지고 있었다.그들은 가족 그리고 공동체의 가치관이 개인의 그것보다 중요라고 생각하고 있었다.전통적인 가치관에 의지한 큰 의사 가족 집단.캘리포니아의 땅에 있어서는 그것은 특이한 집단인 」

장본인은 신문 미디어

 그것은 확실히 일본인 집단을 눈에 띄게 했다가 있었습니다만, 그러한 특이성도 반일 본인의 프로가 떠들 때까지는, 거의 기분도 안 되었던 것이었습니다.모든 민족은 각각 풍격 바뀐 습관이나 문화를 가지고 있습니다.아일랜드인도 이탈리아인이나 유태인도, 그 의미에서는 일본인과 같이 특이한 집단인 것에 변화는 없었습니다.

 그럼에도 불구하고 왜, 일본인의 특수성만이 때 세울 수 있게 되었는가.맥 윌리암스는, 반일 본인 세력과 결합된 신문 미디어가 그 장본인이라고 해 어렵게 단죄하고 있습니다.

 「194삼년 3월 23 날짜의『로스앤젤레스・이그자미나』종이는『태평양을 돌아 다니는 싸움은 동양인종과 서양인종의 싸움이다.어느 쪽이 세계의 지배자가 될까의 싸워 인 것이는』라고 주장하고 있던 」

 캘리포니아에서는 미디어의 세계에서도 반일 본인의 광기가 다 가리고 있었습니다.그런 병에 침범된 토지에 있어서는, 일본인의 일거수일투족이 혐오의 대상으로 전락하고 갔습니다. 

맥 윌리암스의 저작의 후반은 일본인 강제 수용의 실태의 묘사에 소비되어 (이)라고 있습니다.그 묘사로 일본인 이민이 감싼 슬픔은 지나칠 정도로 전해져 옵니다.그 사실을 아는 것은 확실히 중요하기는 합니다만, 나에게는 그가 역사적 분석을 통해서 분명히 한 미국의 인종차별의 진인에야말로, 이 저작의 진짜 의의가 있다고 느끼고 있습니다.

 맥 윌리암스가 지적하는「캘리포니아의 대일 전쟁」는, 또 하나 중요한 시점을 제공해 줍니다.그것은 석유에 상징되는 일본의 에너지 공급원이 캘리포니아에서 만났다고 하는 사실과 거듭해 맞추는 것으로보다 명확하게 됩니다.

 1920년대에도 로스앤젤레스 주변에 잇달아 대형 유전이 발견되고 있었습니다.한틴톤・비치 아부라타(1920년), 산타페・스프링 유전(1920년), 시그나르힐 유전(1921년).그리고 일본은 점차 캘리포니아산의 석유에 의존해 나가게 됩니다.일본의 석유의 9할이 미국으로부터의 수입이 되어, 그 8할 가깝게는 캘리포니아에 나는 석유였습니다.

 반일 본인의 메카인「캘리포니아 공화국」에 에너지를 극단적인정도로 의존하고 있던 전쟁 전의 일본인의 공포를, 우리는 잊어서 되지 않을 것입니다.아메리 카에의 에너지 의존도를 어떻게든 해 내리고 싶다고 생각하는 것은, 일본의 안전 보장을 담당하는 사람에게 있어서는 당연한 책무였습니다.

 그렇다 치더라도, 미국은 흑인 차별로 상징되는 인종차별의 주박으로부터 그 전쟁을 거치지 않고 해 해방될 수 있 것일까로 절실히 생각합니다.미국의 최근의 역사 연구에서는, 왜 일본은 지는 것을 알 수 있어 자른 전쟁을 결의했는지에 대한 진지인 논의가 나와 있습니다.그러한 연구에서는, 일본의 군국주의화가 그 원인등으로 할 것 같은 미가 난 논의는 없습니다.왜 일본을 거기까지 몰아넣었는지를 자성적으로 분석하는 연구가 증가하고 있습니다.인종차별 문제도 에너지 문제도 그러한 연구에 중요한 재료를 제공하고 있습니다.

 언젠가 그러한 최신의 연구를 소개할 수 있으면 좋겠다고도 생각하고 있습니다.

*1:Anti-Asian riot in Vancouver : 1907
URL:http://marcialalonde.weebly.com/uploads/9/3/8/2/9382401/anti-asian_riots.pdf

와타나베・총기 1954년, 시즈오카현 태생.77년 도쿄대학 경제학부 졸업.일·미 근현대사 연구가.미국・캐나다에서 30년에 걸쳐 비즈니스에 종사.캐나다・밴쿠버 거주.저서에『일본 개국』『일·미 충돌의 근원 1858-1908』『TPP지재 전쟁의 시작』, 역서에『일본 1852』『일·미 개전의 인종적 측면 미국의 반성 1944』(이상, 소우시사)등이 있다.



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